中国の文化大革命のさなかの1967(昭和42)年、産経新聞の北京支局長だった柴田穂(みのる)記者が突然、国外退去処分となりました。柴田記者は文革を丹念に取材していたため、中国当局には都合が悪かったのです。
 柴田記者は平成4年に亡くなりましたが、帰国後に出した著書「報道されなかった北京―私は追放された」などを再構成して、改めて「新聞の自由」について考えます。
 柴田記者役は、フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」の2代目ナレーターとしても知られる木村匡也さんです。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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昭和生まれのタラリーマン、アベレージが送る 11文字でグッとくる言葉
他のやらぬことをやる。 みんながやってないこと探していきましょう。
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私は追放された 産経新聞社がお届けする音声ドキュメント
元北京特派員 柴田穂の回想
第5話 文化大革命とは何だったのか
柴田記者は当時から文化大革命の本質を見抜いていました そして最後に音声ドキュメント編集部がその後の日本メディアの中国報道について解説します
案内役は私、ナレーターの木村共也です 文化大革命とは一体何なのか
なぜ起こったのか 私なりの一応の結論を持って日本に帰ってきた
農業と工業の大増産を目指した大躍進政策が失敗し 毛沢東は1959年国家主席の座を劉少奇に譲った
党の実権を握った劉少奇らは毛沢東路線を排除しつつあった 党内で指導権を握れない毛沢東は
党の外から非合法手段で劉少奇グループを倒さなければならなかった 後衛兵を動員し
党に公然と攻撃を加え権力を奪う方法を取ったのはそのためだ 劉少奇打倒運動は同時に党内で離れつつあった毛沢東路線を取り戻し
毛沢東が絶対的な正しさを打ち立てることにある だから文化大革命が劉少奇打倒運動と並んで毛沢東の個人崇拝
毛沢東思想の徹底という形をとっているのだ 劉少奇打倒と毛沢東の深刻化
端的に言って それが文化大革命の本質であり目的なのだ
と私は考えている 音声ドキュメント
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私は追放された元北京特派員柴田実の回想を5回にわたってお送りしました 回想にある通り
1967年昭和42年の9月に産経の柴田記者と毎日新聞 西日本新聞が追放されましたが
その後 日本の中国報道はどうなったでしょうか
柴田記者らが追放された翌月 読売新聞の記者が追放され
帰国中だった日本テレビの記者も再入国を拒否されました
翌年には日本経済新聞の記者が逮捕され 帰国中の nhk 記者は再入国できませんでした
1970年には共同通信が追放されました 北京の日本人特派員はその時期
朝日新聞だけになりました 柴田記者は日本にいながら文化大革命の実情を懸命に報道しましたが
朝日新聞は文化大革命を肯定的に伝えました 毛沢東が後継者に指名した林平が1971年に失脚したことを
柴田記者は様々な情報網から報じましたが 朝日新聞は北京に特派員がいるにもかかわらず根拠は薄いと否定しました
その後 日本と中国の国交が正常化し中国が文化大革命を否定するなどの激動がありましたが
産経新聞は北京への特派員常駐を認められませんでした 柴田記者はソウル特派員や論説委員長を経て
平成4年に亡くなりました 産経新聞は中国に関するニュースを台湾や香港や東京でキャッチした情報をもとに報道して
いました 北京に特派員を常駐させることができるようになったのは
柴田記者が追放されてから実に31年も経った 平成10年のことでした
中国の真実を報道するという柴田記者の姿勢は今も産経新聞に受け継がれています
05:22

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