中国残留日本人の帰国を決めた日中共同コミュニケ‥その調印前夜となる昭和28年3月4日夜、日本代表団が詰めていた北京のホテルに、一人の男が訪ねてきた。
 中国への接触を強め、後には民間大使を自認する参議院議員の西園寺公一だった。西園寺は、中国側の窓口である紅十字会からのメッセージを伝えた。
 「われわれは日本への招待を希望しています‥」

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

日中共同コミュニケの調印前日、蔡恩次という中国の要人が日本代表団に中国への招待を希望するメッセージを伝えました。このメッセージに日本側は一時困惑しましたが、外務省の調整を経て、梁松氏率いる中国の要人が日本を訪れることになりました。

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戦後史開封 中国残留日本人
産経新聞に連載された戦後史開封 中国残留日本人をポッドキャストで5回に分けてお届けします。
中国人の要請と日本の慌て
案内役は私、ナレーターのバーバラアキです。 第2話
中国残留日本人の帰国を決めた日中共同コミュニケ その調印前夜となる昭和28年3月4日夜
日本代表団が集めていた北京のホテルに一人の男が訪ねてきた。 中国への接触を強め、後には民間大使を辞任する参議院議員の蔡恩次金勝だった。
蔡恩次は中国側の窓口である公十寺会からのメッセージを伝えた。 我々は
日本への招待を希望しています。 中国側の要望に日本側は慌てた。
日本は当時台湾の中国国民党政府と国交を結んでいた。 日本赤十字社の副社長だった加西義介によれば
中国要人を日本に招くことは大陸中国との外交受立に道を開きかねないと見られていた。
日赤社長の島津忠次は 協定調印の当日
返答は帰国後、関係各方面と打ち合わせをしてからにしますと即答を避けた。
日本に戻ってから副社長の加西らが外務省に通っては水面下の調整を進めた。
外務省アジア局長だった中川徹は 日赤の加西さんとは頻繁にお会いしました。
中国は無視できない大切な存在であることは百も承知でしたが 台湾も目を光らせていました。
結局は外務省は実質的な協力はできず日赤が唯一の頼みという情けない状況でしたと話す。
さらに今では台湾の公館が日本に来るというと中国から抗議されますが当時は全く逆でしたと振り返った。
しかし世論などに押されて外務省もついに折れ政治活動はしないことなどを条件に 公十字会幹部の入国を承認すると日赤側に伝えた。
日赤は直ちに公十字会に正体の電報を打った。 そして昭和29年10月30日
対日政策のトップである梁松氏らによる戦後初の中国要人日本訪問が実現した。 梁松氏は残留日本人について
中国人と結婚し家庭を営む婦人が4700人 中国で働きながら暮らしている男性が800人余りと説明した。
一方日赤と外務省の間では一つの極秘工作が着々と進んでいた。 11月4日
訪日団が泊まっていた東京日比谷の帝国ホテルに一台の乗用車が 報道陣の目を避けるようにして滑り込んだ。
降り立ったのは香港総領事館の首席領事から外務省アジア局第2課長に就任した 小川平志郎。
日本政府側の人間として中国からの訪日団と会談するのが目的だった。 中国を所管する外務省アジア局2課は残留日本人の帰国問題について
当初から日赤に任せてある 訪日団の滞在中政府要人と会う予定はない
と説明していた。 さらに台湾の大使も声明で
日赤が公衆事会を招待することは日本にとって不利と述べ 日本政府に釘を刺していた。
当時の日赤社員によれば 純粋な帰国推進を目指す日赤は政治問題すれすれの際どい対応を迫られ
神経をすり減らしていたという。 それだけではない。日中友好協会など2つの民間団体との仕事が何とも非効率だった。
3団体は残留日本人の帰国推進という基本目的は一致していた。 しかし公衆事会との連絡文書一つでも中国に配慮する2団体から
中国への謝罪表現が足りないなどの注文が出たという。 日赤単独だったらどれだけ時間と手間暇を短縮できたかわからないという認識が日赤にあった。
小川はこう振り返る。 2団体に足を引っ張られて困っていた日赤が
実質的な決定権を持つ梁正史との仲介役を外務省に依頼してきました。 政府の役人はあっちゃいかんという指摘はありましたが
外務省は人道問題という観点から大臣判断で踏み切ったんです。 残留日本人の帰国問題はまさに戦後処理問題であり、実際には外務省が出ないと話が通じないというのも事実だった。
台湾側には事前に外務省で実務を担う課長だけが中国側と接触し、大臣、局長は遠慮すると通知した。
帝国ホテルでの会談は日赤主催の昼食会の形式が取られた。 外務省からはアジア局第2課長の小川、
中国側は両少士らが出席した。 小川によると日本側は二団体抜きでスムーズに進めたいという日赤の要望を担当直流に切り出したが、
両少士は小川に静かに微笑みかけ、 流暢な日本語でしかも明快に次のように答えた。
二団体も一生懸命やっているし帰国事業も間もなく終わる。 そんなに心配することはないでしょう。
次回第3話は北京の日本大使館で中国側の警備兵が残留日本人を追い返した話をお届けします。
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