「ウォ ブーシー リーベンレン。私は日本人じゃない」。中国残留孤児の一人で、身元が判明しないまま遼寧省から帰国した女性はこんな言葉を残して再び中国に戻っていった。
 女性は黒龍江省で保護され、中国人に育てられた。中国人の夫と結婚し、2人の子供をもうけたが、公安当局によって日本人孤児と確認され、身元調査のため来日した。しかし本人の記憶がなく、全く手掛かりはなかった‥

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

産経新聞に連載された戦後史開封中国残留日本人をホットキャストで5回に分けてお届けしています。私たちは資金も供養もありませんが、孤児として日本に行く権利があります。一方、夫婦にとって日本は外国でしかありませんでした。

帰国の道を求めて
戦後史開封中国残留日本人
産経新聞に連載された戦後史開封中国残留日本人をホットキャストで5回に分けてお届けします。
案内役は私、ナレーターのバーバラ・アキです。
最終話
日本人
我々には資金も供養もありません。しかし、私には、孤児として日本に行く権利がありました。
子ども2人は日本に帰家した。だが、夫婦にとって日本は外国でしかなかった。
夫婦で、中華料理店で皿洗いや清掃などをして働いた。
習慣や秩序を押し付ける日本に疲れました。
帰国の道を与えてくれた熱心なボランティアなど、日本の皆さんには感謝します。
でも、期待に応えるのは私たちの子どもたち、つまり孤児2世の世代であって、孤児世代は戦争が残した悲哀を背負って現実を生きていくしかないんです。
土壌論だけでは解決できない戦後の歴史なのだと思います。
身元がわからない孤児でも日本に帰国できる法的整備が進むと、法日調査は大きくさまがわりした。
訪日調査と定着問題
東京代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで、厚生省係官として対面調査に立ち会った中川昇によると、
面会が実現して訪れる人がいても、孤児の方が、「この人が本当に私の肉親なのか。」と消極的になる場面に何度も出くわしたという。
中川はその度に、「来日できるなら、肉親はもう必要ないのかな。」と感じ始めた。
中川は言う、所沢の帰国孤児定着促進センターに、我が子ではないかという人々が面会に訪れるんですが、孤児たちは、「もういいよ先生。」と会おうともしないんです。
法日調査が孤児にとって来日の手段でしかないと思うと、厚生省とボランティアが進めてきたことは一体何だったのだろうと思ってしまいます。
厚生省担当官として対面調査に立ち会った浜野作にもこんな経験があった。
年老いて家族の中で発言力を失っていて、引き取りたいと言い出せない親がいます。
肉親関係がほぼ確定しているのに、血液鑑定を拒否するんです。
その代わりに封筒に入ったずしっと重い現金を渡して去っていきました。
虚しかったですね。
孤児が、「あれが親なら、親はもういらない。」というのも当然です。
また、促進センターの次長だった中川にとって最大の悩みは、4ヶ月の研修を終えた孤児たちの定着問題だった。
中川はこう言う。
孤児たちには強烈な都会志向があって、地方に行きたがりません。
東京への定着ができないことに激行した孤児や家族から何度も包丁を持って追いかけ回されました。
ガラスは割るし、椅子を投げる。
東京での生活を夢見て来日した家族に、地方定住を納得してもらうのは難しいのです。
帰国促進を訴える中心的役割を果たしてきた民間団体の関係者によると、
中国では偽装結婚や偽装孤児などが横行していたという。
孤児に関する情報ネットワークがあり、現地のブローカーがこれを使って孤児二世の結婚を圧戦する。
里帰りする帰国孤児が金銭目的で関与するのだ。
日本に渡るという目的を果たしてしまうと、結婚相手は消えていなくなっていくことがあるという。
そんな中で、残留孤児や二世たちの苦悩は続いている。
孤児二世の矢部紀久子さんは家族と共に来日した。
東京農耕大学に通っていた頃、残留日本人問題の集会で自らの体験をこう振り返った。
高校生活で一番傷ついたのは、中国に帰れと言われた時でした。
私たちが行く場所はどこにあるのでしょうか。返す言葉がありませんでした。
今考えると重要なのは、私たちの気持ちや感情を社会にどう伝えるかだと思います。
私たちを軽蔑している人たちも必ず分かってくれる日が来るはずです。
お届けしたのは、産経ポッドキャスト戦後史開封中国残留日本人。
案内役は私、ナレーターのバーバラアキでした。
07:34

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