2024-02-25 06:05

私は追放された  元産経新聞北京特派員・柴田穂の回想(1)

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中国の文化大革命のさなかの1967(昭和42)年、産経新聞の北京支局長だった柴田穂(みのる)記者が突然、国外退去処分となりました。柴田記者は文革を丹念に取材していたため、中国当局には都合が悪かったのです。
柴田記者は平成4年に亡くなりましたが、帰国後に出した著書「報道されなかった北京―私は追放された」などを再構成して、改めて「新聞の自由」について考えます。
柴田記者役は、フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」の2代目ナレーターとしても知られる木村匡也さんです。

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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私は追放された 産経新聞社がお届けする音声ドキュメント
元北京特派員柴田穂の回想 第1話日曜朝の国外退去通告
香港への弾圧に見られるように中国共産党は国民の自由と民主主義を抑えつけ 人権を侵害しています
今から50年ほど前の1966年から76年にかけて 中国では文化大革命という大きな混乱がありました
中国共産党を作った毛沢東は政策の失敗で国家主席の座をナンバー2の竜床機に譲ったのですが その後毛沢東が巻き返しを図って起こしたのが文化大革命です
町では毛沢東を支持する後衛兵と呼ばれる若者たちが暴れ 学校の先生や役人たちを吊るし上げ多くの犠牲者が出ました
貴重な文化財も壊されてしまいました そうした最中の1967年昭和42年産経新聞の北京特派員だった
柴田実記者が突然国外退去処分となりました 柴田記者は文化大革命を丹念に取材していたため中国当局には都合が悪かったのです
柴田記者は平成4年に亡くなりましたが帰国後に出した著書 報道されなかった北京私は追放されたなどを再構成して改装機をお届けします
案内役は私ナレーターの木村共也です まだ日本との国交が正常化していなかった中国には日本から新聞社や通信社
テレビ局の旧社の特派員が駐在していた 1967年9月10日の日曜日の朝
私たちは中国外務省から突然呼び出された 産経新聞の私と毎日新聞西日本新聞の3人に国外退去が告げられた
担当者の女性が淡々と読み上げた追放理由は次のようなものであった 友情を求める中日両国人民の願いに背き
懸命に佐藤政府のつゆ払いをし佐藤の反共産主義 反中国反人民の罪悪行為に積極的に協力している
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佐藤とは当時の総理大臣佐藤英作のことだ 担当者はさらにこう述べた
漫画やニュースを載せて文化大革命を抽象し反中国の行動に出た 花枝敷に至っては矛先を全世界人民の指導者
心の中の赤い太陽最も敬愛する赤い太陽 毛沢東主席に向けている
私は驚いて呆然とした そんな馬鹿な話があるか
私は北京で街角などに張り出された 壁新聞と呼ばれる張り紙から文化大革命の実情を取材していた
それが気に入らなかったようだ 追放のニュースが共産党機関紙の人民日報で報道されると私が滞在していたホテルの
前に日本語の壁新聞が張り出された 反中国的な記者はすぐに出ていけ
と書いてあった なぜ日本語なのか
後衛兵には日本人留学生などもいたのだ 北京に駐在していた日本の消費者員たちも商売のために毛沢東を褒めたたえていた
そういう人たちが書いたのだろう 日本に帰るルートは北京空港から飛行機で甲州に移動しそこから香港に出る
北京空港に着いた時見送りに来てくれた日本人たちはみんなホッとした 1ヶ月前中国共産党との関係が悪くなって帰国しようとした
日本共産党の代表と赤旗の特派員が日本人を含む後衛兵たちから長時間にわたって 集団暴行を受けたからだ
だがこの日は北京空港に後衛兵はおらず静かだった 私は香港に出る直前の税関で荷物を徹底的に調べられた
カメラに入っていたフィルムや記事を送った時のメモなどは取り上げられた 税関職員は記事のスクラップを見てこう尋ねた
この記事は何を見て書いたのか 私はこう答えた
壁新聞を見て書いた 次回はその壁新聞についてお伝えしたい
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