2023-12-11 05:28

【話の肖像画】加藤登紀子さん③ 獄中結婚でセンセーション

spotify apple_podcasts

産経新聞紙面に掲載された「話の肖像画」。歌手の加藤登紀子さんが、自らの反省を回顧する、第3話。(代読は加藤さんの次女、 Yae さん)
‥‥「その日(昭和35年6月15日)、高校(東京都立駒場高校)2年生の私は同級生らと一緒に国会前にいた。60年安保反対の闘争がヤマ場を迎えて、異様な雰囲気…。そのうちに『高校生は帰れ、特に女子は残るな』という指令が来て家へ帰ったのですが、夜のニュースで東大生の樺美智子さんが亡くなったことを知りました。そのことが東大を目指した、きっかけの一つでしょうね。「樺さんの後を継ごう」って。」

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

■番組のフォロー、評価をお願いします!

■産経Podcast おすすめの歴史番組

①『神田蘭の5分で恋する日本史列伝』人気〝講談師〟の神田蘭が語る、日本史に名を残す偉人列伝。教科書が載せてくれない偉業と生い立ち、思わず身の引き締まるお話を、情感豊かにユーモラスに語ります。
Spotifyで聴く(リンク)

ApplePodcastで聴く(リンク)
Amazon Musicで聴く(リンク)

②『歴史の真相―本当はこうだった』学校の授業だけでは分からない歴史の暗部。現代を生きる我々の想像を超える出来事が潜んでいました。歴史上の転換点や人物について、史実を掘り起こしていきます。
Spotifyで聴く(リンク)
ApplePodcastで聴く(リンク)
Amazon Musicで聴く(リンク)

■番組SNSでは最新情報をお届け
X(旧Twitter)
 
■産経Podcast 公式ウェブサイト
https://sankeipodcast.com/

■産経Podcastとは。
新聞紙面では伝えきれない情報を、産経新聞社の記者陣が厳選。
ニュース解説、ドキュメンタリー、歴史、エンタメ、インタビューなどオリジナル音声コンテンツをお楽しみください。 

■アンケートフォームはこちら(リンク)

See omnystudio.com/listener for privacy information.

サマリー

東大文学部での学生生活の中で、女子学生が少ない中、加藤登紀子さんは学生運動から距離を置きながらも、歌手として活動を始めます。そこで彼女は、偶然にも学生運動のリーダーと出会い、恋人になることとなります。しかしその後、リーダーが獄中に入り、妊娠が判明したため、学生運動のリーダーとの獄中結婚によってセンセーションが巻き起こりました。

00:00
1960年6月15日、東京都立駒場高校2年生の私は、同級生らと一緒に国会前にいた。
60年安保反対の闘争が山場を迎えて、異様な雰囲気。
そのうちに、高校生は帰れ、特に女子は残るな、という指令が来て家へ帰ったのですが、
夜のニュースで、東大生の冠場美智子さんが亡くなったことを知りました。
そのことが、東大を目指したきっかけの一つでしょうね。冠場さんの後を継ごうって。
ところが、私の成績は急降下中。
先生から、
東大なんてとても無理、と言われたのが悔しくて、8分。
入試本番では、5問中2問を捨てて、とにかく3問に集中する作戦が、こうそうしたのか。
なんとか現役合格できました。
東大文学部西洋史学科、入学37年。
女子学生はまだまだ少ない頃で、
入学早々の、
女子だけのオリエンテーションでは、
結婚できるのは20%。
一般企業の採用はほとんどなく、
研究職か公務員しかない、と脅される始末。
文学部でも、女子は少なかった。
私のクラスは、50人中、女子が7人だけ。
ある時、クラスの男子が、他の女子大生と合コンをやっているのが分かり、
もう半端、次にやるときは私たちを誘いなさい、
って吊るし上げたんです。
でも、実際に参加したのは私一人。
女子に裏切られたわけ。
あの時は怖かったなあ。
学生運動からの距離
すでに学生運動とは距離を置いていた。
演劇活動に熱中し、
本郷の専門家庭へ進む3年生の頃には、
ほとんど講義に出なくなった。
ほとんど講義に出なくなった。
ほとんど講義に出なくなった。
ほとんど講義に出なくなっていましたね。
コンクールに優勝して、歌手デビューが決まり、
大学からは足が遠のくばかり。
6年かかって、なんとか卒業単位を取った1968年。
東大卒業式ボイコット闘争が行われていた時、
振袖で来てほしい、という女性週刊誌の要請を振り切って、
ジーパンで、
会場に。
学生運動のリーダーとの出会い
そして、運命の人と出会う。
ジーパン姿の週刊誌の記事を見た友人が、
相談があるという。
行ってみると、一緒に、
学生運動のリーダーだった、
藤本俊夫がいたのです。
彼は私に、
学生の集まりで歌ってほしい、と言いました。
だけど私は、
歌と政治を絡めたくない、
って断ったのです。
ブスッペラなプロパガンダにされるのは嫌だったし、
思いを託せるほどの歌も、
当時の私にはなかった。
結局、その日はみんなで朝まで飲み明かしました。
始発電車で帰る時、
彼だけは振り向きもせず、
さよならも言わずに去って行く。
彼は、
その後ろ姿が、
妙に心に残りました。
後になって、彼の振る舞いは、
私が大好きだった高倉健さんを真似していた、
と分かるのですが、
やがて二人は恋人に。
獄中結婚のセンセーション
だが、学生運動のリーダーとして、
様々な闘争事件に関与した藤本氏は、
入室獄を繰り返す。
そして、
1947年の春、
約3年の実刑判決を受けて収監された時、
時子の妊娠が判明。
東大での歌手と、
学生運動のリーダーとの獄中結婚は、
センセーションを巻き起こす。
話の肖像画。
05:28

コメント

スクロール