2022-05-23 07:52

人間・田中角栄(3) 神楽坂の家

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元総理大臣の田中角栄が亡くなってから30年近くがたちます。裸一貫から権力のトップに登り詰めた「今太閤(いまたいこう)」。行動力と知識がある「コンピューター付きブルドーザー」。そして総理辞任後にロッキード事件で逮捕されても政界を牛耳った「目白の闇将軍」…。さまざまなあだ名がありました。その人間性の端々(はしばし)から、一つの戦後が浮かび上がってきます。

産経新聞に過去に連載された「戦後史開封」などを再構成してお届けします。案内役は、落語家の三遊亭楽八さんです

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊)
【番組制作】産経新聞社

 

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戦後史開封 人間 田中角栄
最終話 神楽坂の家
案内役は私、落語家の山友亭落八です。
元総理大臣の田中角栄には、目白の他に神楽坂にも家庭があった。
神楽坂の芸者だった辻和子さんだ。
辻和子さんが、角栄に初めて会ったのは、昭和21年、19歳の時、神楽坂のお座敷だった。
角栄は、当時28歳。
この年行われた、戦後初の衆議院選挙で落選したが、建築ブームに乗る土研会社の社長として歯ぶりを利かせていた。
辻和子さんは、
奥さんや子供のことも、隠し事せず喋るザックバランな人。
性格も優しかったわよ。天然パーマで、髪をセットしても額に垂れてね。
と振り返った。
翌年春の衆議院選挙に再挑戦し、初当選した角栄を、その年の夏、旦那にすることになった。
角栄は、
50代で総理大臣になれ。そのために今から勉強しておくんだ。
と話していたという。
角栄は、角栄が茶舞台に資料を広げ、暗記するつもりか、何か書いた紙を丸めて飲み込むのを見かけたことがあるという。
角栄には、制裁の花戸の間にできた元外務大臣の田中真希子さんのほかに、角栄さんとの間に2人の息子がいる。
京さんと6歳下の優さんだ。
真希子さんの上に正成という長男がいたが、5歳の時に病死している。
それだけに、外にできた兄弟にかける角栄の期待は大きかった。
京は京都の京と書く。左右対称の字で国家の中心という意味。
数の単位では、長の上の軽ということから、人の上に立つことを願って角栄が名付けた。
優は示す変に右、京を助けるという意味だ。
京さんは、大学在学中から音楽評論を始め、卒業後CBSソニーで勤めた。
音楽評論家や料理研究家として活躍し、神楽坂や銀座でバーを経営した。
一方の優さんは、勤めていた西部グループから独立して企画会社を立ち上げたが、
失敗したことがきっかけで生活保護を受けていると伝えられている。
京さんは、平成6年当時の取材に角栄のことをこう振り返っている。
父は1ヶ月か2ヶ月に1回来ました。
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我々兄弟と母、母の母や祖母らと食事し、濃いブランデーの水割りを飲んでいました。
その後10分ほど眠り、がばっと起きて水を飲み、いろいろなことを話しました。
目白とは違う落ち着きを感じたのでしょう。
京さんは早くから自分が角栄の精細の子ではないとうすうす感じていた。
しかし自分は母方ではなく父方の生である田中を名乗っている。
なんとなくもやもやしたものがあった。
中学2年の時、母に呼ばれた。
深刻な顔をしていた母は、自分と角栄の関係、京さんが生まれた戦いなどを語った。
京さんは、細い糸が切れたような気がしました。
でも、それまで父が話してくれなかったからといって荒れることはありませんでした。
20歳の時、イギリスに音楽の勉強に出かけた。
そこに母から分厚い手紙が届いた。
涙が滲んでいた。
弟の優さんも中学2年になっていた。
母の手紙には、「優にどう話したらいいかわからない。」とあった。
京さんはしばらく考えてから優さんに手紙を書いた。
「冷静に受け止めてほしい。」が書き出した。
事実をしたため、自分の考えを書いた。
長文になった。
何かあったら、俺に手紙をくれって書き終わった。
2ヶ月後、京さんは東京に帰った。
翌日、角栄が家に来た。
私は挑発にしていましたから、怒鳴られるんではないかと思いました。
ところが、私のところへつかつかっとやってきて、
「ありがとう。」と握手してきたんです。
そして、私を抱きしめて、
「すまん。外地に老前に苦労かけた。」と言って、わっと泣き出しました。
父の涙を見たのは、最初で最後です。
母の和子さんが角栄に事情を話していたのだ。
父から感謝されたのは、あれが最初で最後ですね。
泣いた後はケロッとして、食事になりました。
京さんと優さんの兄弟が最後に父に会ったのは、角栄が倒れる半年も前だ。
2人は、角栄を助けに来た。
最後に父に会ったのは、角栄が倒れる半年も前だ。
2人は和子さんとともに何回も見舞いに行こうとしたが、
いつも目白の棚掛けに拒否された。
牧子さんは、原市街の兄弟たちがこの世に存在していることを心よく思っていないのだ。
京さんたちは、内容証明付きの手紙を何通も目白に送ったが、
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封も切らずに送り返された。
結局、父に会えず、葬儀への参列も敵わなかった。
角栄は声善。
俺に何かあっても、お前たちのことは心配していないよ。
ただ、俺が死んだら牧子の周りからは人がいなくなるかもしれないな。
とポツンと漏らしたことがあったという。
京さんは取材の最後にこう言った。
父は母を愛していたと確信しています。
父は声善。
お母さんは俺より苦労した面がある。
だから大事にしろ。
お母さんを泣かせたら俺が承知しないぞってよく言っていました。
それが、嬉しいんです。
お届けしたのは、音声で聞く戦後史解封、人間田中角栄の最終話でした。
案内役は私、落語家の産牛邸落八でした。
三刑新聞社がお届けする戦後史解封。
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