2024-07-22 07:14

人間・田中角栄(3)神楽坂の家

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■『戦後史開封;大阪万博編』2025年に大阪・関西万博が開かれる。大阪で開催される万博は1970年以来、55年ぶり。前回の大阪万博での関係者の苦労を紹介する。
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元総理大臣の田中角栄が亡くなってから30年近くがたちます。裸一貫から権力のトップに登り詰めた「今太閤(いまたいこう)」。行動力と知識がある「コンピューター付きブルドーザー」。そして総理辞任後にロッキード事件で逮捕されても政界を牛耳った「目白の闇将軍」…さまざまなあだ名がありました。その人間性の端々から、一つの戦後が浮かび上がってきます。

産経新聞に過去に連載された「戦後史開封」などを再構成してお届けします。案内役は、落語家の三遊亭楽八さんです。
(令和4年に配信したエピソードの再配信です)

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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戦後史開封(人間・田中角栄(3)神楽坂の家、です。
案内役は私、落語家の三遊邸落八です。
元総理大臣の田中角栄には、目白の他に神楽坂にも家庭があった。
神楽坂の芸者だった辻和子さんだ。
辻和子さんが角栄に初めて会ったのは、昭和21年、19歳の時、神楽坂のお座敷だった。
角栄は、当時28歳。
この年行われた戦後初の衆議院選挙で落選したが、建築ブームに乗る土研会社の社長として歯ぶりを利かせていた。
辻和子さんは、
奥さんや子供のことも隠し事せず喋るザックバランな人。
性格も優しかったわよ。天然パーマで髪をセットしても額に垂れてね。
と振り返った。
翌年春の衆議院選挙に再挑戦し、初当選した角栄をその年の夏、旦那にすることになった。
角栄は、「50代で総理大臣になれ。そのために今から勉強しておくんだ。」と話していたという。
角栄は、角栄が茶舞台に城を広げ、暗記するつもりか何か書いた紙を丸めて飲み込むのを見かけたことがあるという。
角栄には、制裁の花戸の間にできた元外務大臣の田中真希子さんのほかに、角栄さんとの間に二人の息子がいる。
京さんと六歳下の優さんだ。
真希子さんの上に正則という長男がいたが、五歳の時に病死している。
それだけに、外にできた兄弟にかける角栄の期待は大きかった。
京は京都の京と書く。左右対称の字で国家の中心という意味。
数の単位では、朝の上の慶ということから、人の上に立つことを願って角栄が名付けた。
優は示す辺に右、京を助けるという意味だ。
京さんは、大学在学中から音楽評論を始め、卒業後、CBSソニーで勤めた。
音楽評論家や料理研究家として活躍し、神楽坂や銀座でバーを経営した。
一方の優さんは、勤めていた西部グループから独立して企画会社を立ち上げたが、
失敗したことがきっかけで生活保護を受けていると伝えられている。
京さんは、平成六年当時の取材に角栄のことをこう振り返っている。
父は一か月か二か月に一回来ました。
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我々兄弟と母、母の母や祖母らと食事し、濃いブランデーの水割りを飲んでいました。
その後、十分ほど眠り、がばっと起きて水を飲み、いろいろなことを話しました。
目白とは違う落ち着きを感じたのでしょう。
京さんは、早くから自分が角栄の精細の子ではないとうすうす感じていた。
しかし、自分は母方ではなく父方の生である田中を名乗っている。
なんとなくもやもやしたものがあった。
中学二年の時、母に呼ばれた。
深刻な顔をしていた母は、自分と角栄の関係、京さんが生まれた戦いなどを語った。
京さんは、細い糸が切れたような気がしました。
でも、それまで父が話してくれなかったからといって荒れることはありませんでした、という。
二十歳の時、イギリスに音楽の勉強に出かけた。
そこに母から分厚い手紙が届いた。
涙がにじんでいた。
弟の優さんも中学二年になっていた。
母の手紙には、
優にどう話したらいいかわからない。
とあった。
京さんは、しばらく考えてから優さんに手紙を書いた。
冷静に受け止めてほしい、が書き出した。
事実をしたため、自分の考えを書いた。
小文になった。
何かあったら、俺に手紙をくれ、
って書き終わった。
二ヶ月後、京さんは東京に帰った。
翌日、角栄が家に来た。
私は挑発にしていましたから、
怒鳴られるんではないかと思いました。
ところが、私のところへツカツカっとやってきて、
ありがとう、と握手してきたんです。
そして私を抱きしめて、
すまん、外地に老前に苦労をかけた、
と言って、わっと泣き出しました。
父の涙を見たのは、最初で最後です。
母の和子さんが角栄に事情を話していたのだ。
父から感謝されたのは、あれが最初で最後ですね。
泣いたあとはケロっとして、食事になりました。
京さんと優さんの兄弟が最後に父に会ったのは、
角栄が倒れる半年も前だ。
二人は和子さんと共に何回も見舞いに行こうとしたが、
いつも目白の棚掛けに拒否された。
牧子さんは原氏外の兄弟たちが
この世に存在していることを心よく思っていないのだ。
京さんたちは内容証明付きの手紙を何通も目白に送ったが、
06:00
封も切らずに送り返された。
結局父に会えず、葬儀への参列も敵わなかった。
角栄は声善。
俺に何かあっても、お前たちのことは心配していないよ。
ただ、俺が死んだら牧子の周りからは人がいなくなるかもしれないな、
とポツンと漏らしたことがあったという。
京さんは取材の最後にこう言った。
父は母を愛していたと確信しています。
父は生善。
お母さんは俺より苦労した面がある。
だから大事にしろ。
お母さんを泣かせたら俺が承知しないぞってよく言っていました。
それが嬉しいんです。
お届けしたのは音声で聞く戦後史開封
人間田中角栄の最終話でした。
案内役は私、落語家の三級帝落八でした。
安倍晋三元首相の婦人、安倍昭恵さんの講演会のお知らせです。
題して、私が今思うこと。
オンラインで配信中。
詳細は概要欄のリンク、または産経ID 安倍昭恵さん講演会で検索を。
07:14

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