昭和58年から59年にかけてNHK連続テレビ小説として放送された「おしん」は、明治時代に山形の貧しい家に生まれた一人の少女が苦労にめげずに生きていく姿を描き、爆発的な人気を呼びました。

「おしん横綱」や「おしん宰相」という言葉を生み、「我慢の哲学」は海外にまで輸出されました。日本人がおしんに投影させて見つめようとしたものは何だったのでしょうか。

産経新聞に過去に連載された「戦後史開封」を再構成してお届けします。ナレーションは、朝ドラ出演経験があり、脳出血から復帰した俳優・河合美智子さんです。

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊)
【番組制作】産経新聞社

 

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00:01
戦後史開封
おしんブームが残したもの
第2話 名古屋区にお米まで届いた
今からざっと40年ほど前、昭和58年7月の大相撲名古屋場所で
宝石高野里が優勝。第59代横綱となった。
この高野里、初土俵から横綱になるまで実に15年もかかるという
遅い出世の横綱だった。
持病の糖尿病や怪我に泣かされ、相撲取りにとっては特につらい
食事制限までして横綱になった。
そんな高野里に対し、当時のマスコミは
ごしん横綱のニックネームを与えた。
高野里の横綱時代、寿司屋に行った時のこと。
あくまで節制のため、値段の安い低カロリーのネタばかり食べ
ビールも1本だけ。しかも氷水で割って飲んでいたら
隣の席の男性からビールを差し入れられた。
高野里さん、横綱なんだから寿司もガバガバ食って酒も大いに飲みなさい。
あんた苦労したんだろう。大根飯しか食ったことないんだろう。
大根飯とはもちろん、ドラマの中でおしんが食べていただけで
ごしん横綱とは関係がない。
はは、どうもドラマとごっちゃにしてたらしいんだ。
後になるとお館になった高野里は苦笑いしながら当時を振り返った。
おしんの少女時代を演じた小林彩子さんにも
全く知らない視聴者のお年寄りからドラマと現実を混同して
かわいそうだとお米が送られてきたことがあった。
小林さんは放送当時10歳から11歳。
おしんの生みの親である橋田須賀子さんは
まだ子供ですから自分が主役かどうかなんてわからないわけですよ。
オーディションが5回ありましたが最後の頃にようやく
朝の連続ドラマらしいとわかったくらいです。
受かった後も次のオーディションの時に
おしんをやりましたって言えるんだくらいにしか
思ってなかったと思いますよと振り返る。
橋田さんによればおしんがあそこまで火がついたのは
小林彩子さんの功績が大きいという。
小林さんの魅力について
ほっぺたが赤くてぽっちゃりしたあの顔
あれが大きかったですねと褒めちぎっている。
またおしんの元チーフディレクターによれば
小林さんは自分のセリフだけではなく台本を全部覚えていた。
03:03
例えば泉ピンコさんなんかが詰まったりすると
彼女が横で囁いたりするんです。
大人たちもこれは大変だぞと発憤したわけですね。
小林さんは雪の降る寒い山形ロケでも元気いっぱいだったという。
雪のあぜ道を走るシーンで追いかけながら撮影していた
カメラマンが滑って転ぶと芝居も忘れて
助けに行ったこともあったという。
その元チーフディレクターは小林さんはとってもかわいい目をしていて
顔を見ているだけで涙が出るという視聴者の方もいたほどです。
同じ年頃の子がみんな学校に行っているのを
おしんが赤ん坊をおんぶしながら窓からじーっと見ている。
そのシーンの彼女の表情は今もわからない。
悲しいね悲しいねというだけで
彼女はじわっと涙が出てくるんですよとも話している。
放送が始まってからの小林彩子さんは
誰も予想できなかったほどの国民的アイドルになってしまった。
おしんの放送が終わった昭和59年。
ジョノマイで映画デビュー。
その後もドキドキドキしている。
昭和59年、ジョノマイで映画デビュー。
その後もドラマや映画、舞台で活躍し
平成18年にヘレンケラーを知っていますか?で
映画初主演を果たした。
小林さんは橋田菅子さんの不法に
今こうして私がお仕事させていただけているのは
橋田先生のおかげです。
先生がおシーンを書いてくださったおかげで
人生の幅が広がりました。
人生の幅を大きく広げていただきました。
先生の作品はいつまでもみんなの心の中で生きています。
と語っている。
最終話の次回は
おしんが海外に与えた感動と
日本の現状についてお送りします。
産経新聞社がお届けする戦後紙開封
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