「一言でいうならば、コカ・コーラは『ザ・ブランド』。ブランドの中のブランドです」
 かつて日本コカ・コーラのマーケティング本部取締役副社長を務めた勝部悦子はそう胸を張った。「世界のブランドの資産価値を調査すると、必ずコカ・コーラは1位にランクされる。そういう意味では、特別な位置にあるのです」
 ペプシの果敢なチャレンジにもかかわらず、日本のコーラ業界で、コカ・コーラは圧倒的首位を保ち続ける。
 「過去のマーケティングの差も大きい。コカ・コーラは動きが素早く、しかも売り方が本当にうまかった」。日本ペプシコーラの元ルートセールスマンはそう振り返る。

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コカ・コーラとペプシのライバル関係
戦後史開封
永遠のライバルコカ・コーラvsペプシ
第3話 激しい自動販売機争奪戦
戦いはまるでオセロ
一言で言うならば、コカ・コーラはザ・ブランド
ブランドの中のブランドです
かつて、日本コカ・コーラのマーケティング本部
取締役副社長を務めた勝部一子は、そう胸を張った
世界のブランドの資産価値を調査すると
必ずコカ・コーラは1位にランクされる
そういう意味では、特別な位置にあるのです
ペプシの果敢なチャレンジにもかかわらず
日本のコーラ業界でコカ・コーラは圧倒的主意を保ち続ける
過去のマーケティングの差も大きい
コカ・コーラは動きが素早く、しかも売り方が本当にうまかった
日本ペプシコーラの元ルートセールスマンはそう振り返る
コカ・コーラが日本に上陸したのは大正時代にさかのぼる
コカ・コーラサンキューベリーマッチ
コカ・コーラもういっぱい
これは大正3年に発表された高村幸太郎の詩集
童貞に収録された強者の詩の一節
高村が詩に登場させたのはペプシではなくコカ・コーラだった
本格的な日本輸入は戦後中流軍用として
終戦2ヶ月後の昭和20年10月
アメリカコカ・コーラ社の海外部門を受けよう
100%子会社の日本支社が発足
27年にかけて米軍基地内など計6カ所に製造工場が設立された
一方アメリカペプシコ社の日本上陸は2年後の22年
どちらも当時は中流軍関係者以外には販売が禁止されていた
一般販売が許可されたのは同時で31年
同年中に日本飲料後の日本ペプシコーラボトリング社と
東京飲料後の東京コカ・コーラボトリング社が設立され
各地域にボトリング社が次々と立ち上がった
全国展開を完了したのはコカ・コーラが38年
ペプシが43年
コカ・コーラの方が早く全ての地域を網羅していた
昭和30年代後半から40年代は一番競争が激しかった
自動販売機競争と缶の普及
ペプシの元ルートセールスマンは言う
39年10月ペプシが470ml50円の大型瓶入りの発売を決めると
すぐにコカ・コーラも500ml50円の大型瓶を導入するなど
両社は一歩も引かずにシェアを争った
ルート内の酒屋にペプシの看板を貼って10分間ぐらいして戻ると
コカ・コーラのルートセールスマンがそれを剥がして赤い看板を貼っている
思わず乗っていた台を蹴飛ばした
とペプシの元ルートセールスマンは語る
40年代に入社した東京コカ・コーラボトリングの社員は
コカ・コーラが優位だったもののペプシも肩を並べていました
入社当時はペプシの看板があったら飛び込んでひっくり返せと言われていました
と打ち明ける
両社の競争はコーラ全体の消費量を押し上げた
全国精霊飲料工業会の統計によると
35年から45年までのおよそ10年間
国内のコーラ飲料の総生産量は
毎年1.4から2.5倍の割合で増え続けた
46年にはコカ・コーラの大瓶が割れる破瓶事故が相次いだ
この時コカ・コーラはホームサイズの販売を自粛
ペプシの売り上げは一時数倍になったという
しかしコカ・コーラはこの状況を利用し
うまく缶にシフトできた
これと同時期に割れやすい瓶から
持ち運びの手軽な缶への転換を図った
缶の自動販売機はこの年およそ2000台に増えたという
コカ・コーラのシェア拡大
ペプシの元ルートセールスマンは話す
自動販売機競争ではオセロといった
ペプシの自動販売機を置かせてもらっても
すぐにコカ・コーラに取り替えられることの連続だった
コカ・コーラはスカッと爽やかコカ・コーラなどのキャッチコピーで
若者の心をつかむ一方
最新の自動販売機を次々と投入
自動販売機台数を確実に拡大した
そしてペプシのマスターフランチャイズ権を
サントリーが獲得した平成10年までに
コカ・コーラとペプシのシェアは9対1と大きく差が開いていた
次回は最終話
レモン味のペプシツイストにダイエットコカ・コーラレモン
戦いは続くをお届けします
ご案内役は私小菅和則でした
産経新聞社がお届けする戦後紙開封
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問題2
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