2023-07-10 09:10

天皇陛下が墓参した「インドネシア残留日本兵」の物語 ③ イギリスに逆らい独立集会を許可

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昭和20年8月、インドネシアのジャワ島で終戦を迎えた陸軍航空隊の藤山たちは、間もなくジャカルタ市内の警備に当たることになった。上陸してきたイギリス軍が日本軍に命じたためだが、本来、警備を担当するはずの憲兵たちが、終戦と同時に姿を消してしまったという事情があった‥

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サマリー

日本人の残留兵がイギリス軍に逆らい、独立集会を許可される話。

00:07
戦後史開封 インドネシアに残った日本兵
第3話 イギリスに逆らい独立集会を許可
インドネシアでの終戦と警備任務
昭和20年8月 インドネシアのジャワ島で終戦を迎えた陸軍航空隊の藤山たちは
間もなくジャカルタ市内の警備に当たることになった 上陸してきたイギリス軍が日本軍に命じたためだが本来
警備を担当するはずの憲兵たちが終戦と同時に姿を消してしまったという事情があった 藤山は佐賀県出身
昭和17年3月 整備兵として入隊した
シンガポールからビルマ戦線に駐軍 インパール作戦が開始される頃の19年4月
ジャワ島に転属になった 終戦と同時に憲兵が姿を消したのには理由があった
終戦の前年頃から連合軍は日本の占領下にある ジャワ島・スマトラ島の沿岸に潜水艦を近づけ
海岸からインドネシア人を拉致しオーストラリアに連行して スパイに仕立てる教育を行った
教育されたスパイがインドネシアに戻って日本軍の配置や兵力を調査し ゲリラ活動を行う
この事態を受けて日本の憲兵隊ではスパイを摘発するため 同じインドネシア人の密定を要請しスパイに対抗させた
ところが密定の中には俺は密定だと名乗って一般住民から金品を奪ったり 権威を傘に着る者が出たりするようになった
密定に逆らったばっかりに日本軍にスパイとして報告され 拷問を受ける羽目になった住民も少なくなかった
このため密定はもちろん日本の憲兵隊も打滑のように嫌われることになる こうした経緯から住民からの報復を恐れ
憲兵の多くは終戦と同時に舞台を離れてしまったのだ そのインドネシアでは終戦直後から独立の機運が盛り上がっていた
イギリスに逆らい独立集会を許可
日本が敗戦してすぐに独立を宣言し自ら初代大統領に就任した スカルノは昭和20年9月19日
ジャカルタの中心部で国民大会を開き就任演説を行うことになった この情報は全島に広がりこの日は朝から群衆がガンビルという応急広場に集まり出した
イギリス軍は日本軍に対し集会をさせてはならない いうことを聞かなければ発砲してでも集会を解散させると命令した
藤山は ものすごい群衆でした
何万人もいた 一斉にインドネシアライアを歌い規制を挙げましたと振り返る
日本軍の警備兵は集会をやめさせようとした しかし数万の群衆は日本軍の命令を聞かない
日本軍としても独立には好意的なため強い態度には出られない 群衆の一部が日本軍に襲いかかろうとした
藤山は 殺されるかと思った
逃げるわけにもいかず銃は持っていたが発砲していいかどうか悩んだ ひたすら群衆をなだめたという
騒ぎを聞いて第16軍参謀の中佐 宮本静雄が駆けつけ日本軍と群衆の間に割って入った
日本軍の発砲を禁止して後方に退かせた 宮本は説明する
イギリス軍は集会を禁止していたがそうすれば日本軍とインドネシア人群衆との間で 取り返しのつかない惨事が起こるのは目に見えていた
そこで演説の準備をしていたスカルのに集会を許可しますと告げたんです スカルのも日本軍と争うことをやめるようマイクで説得した
日本軍と群衆とのトラブルは収まった 宮本は壇上に登りスカルの大統領
張った副大統領の隣に座った そしてスカルのが演説を行った
群衆は慷慨して独立を祝った 記念すべきこの地には現在
ジャカルタを見下ろすように高さ137メートルの独立記念塔が立っている
藤山は集会終了後舞台が中途している ボゴールに戻ったが舞台は東部のスラバ屋へ移動してしまった後だった
そこで仲間たち14人で独立軍に身を投じた 藤山は言う
日本兵は強いという認識がインドネシア人にあり 日本兵がいれば戦闘に勝てるとの神話がありました
我々は常に戦闘に立ち4年間の戦争で14人のうち 12人が戦死しました
弾薬がなくオランダ軍から盗んで戦う日々でした 竹刃突撃もしました藤山は足を負傷し傷跡が残った
舞台はその後日本本土へ福音した 藤山の父はそれまでずっと
福音船が福岡県の文字港に着くたびに迎えに来ていたという 藤山が日本に一時帰国したのは昭和39年
ようやく父と再会するしかし母はすでに亡くなっていた インドネシアに日本兵たちが残留した理由は様々だ
イオウ島出身のセリカ区は終戦により帰る故郷を失った 出身は沖縄だが戦前に父がイオウ島に移住しそこで生まれた
昭和15年1月 小野江保平第5連隊に入隊
シンガポールからスマトラに進駐した 終戦後父と兄がイオウ島で軍とともに玉砕したことを知る
しかもイオウ島は米軍が占領し故郷は消滅した セリカ区は言う
故郷はなくなり家族はすべて死んだわけです 日本に帰る気がなくなりました
部隊から小銃1丁ピストル3丁を盗んで山に逃げ込みました 21年
部隊が復印することになったがセリカ区はそのまま残って インドネシア独立軍に参加する
終戦時に小野江保平第5連隊の人事係で順位だった吉岡はこう証言している 終戦からしばらくすると独立軍に加わるため逃亡兵が出ました
私の中隊からも多数逃亡しました 連隊長は怒って管理不十分だと私を責めるものだから反発して私も逃亡して
独立軍に加わることにしたのです 次回第4話は日本軍が軍艦までインドネシアに渡した話をお送りします
案内役は私ナレーターの菅俊介がお届けしました
09:10

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