昭和20年8月15日、日本軍は武器を捨てました。しかし、この日から本格的な戦闘を開始した日本人がいたのです。インドネシア残留日本兵です。日本軍を離れ、現地人とともに4年半にわたりインドネシア独立のため旧宗主国のオランダ軍と戦いました。その数は1000人とも1500人ともいわれます。北スマトラだけで700人が残り、400人が戦死したとされています。

(産経新聞に連載された「戦後史開封」を基にお届けします。肩書や発言などは取材当時のものです)

(リンク)『歴史の真相~本当はこうだった』北海道侵攻を阻止した占守島の戦い 400人の乙女を救う

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サマリー

このポッドキャストの第1話では、インドネシアに残った日本兵の物語が紹介されています。石井正春さんが日本軍と一緒に戦い、インドネシアの独立運動に参加した経験が語られました。現在は元理事長として活躍していますが、福音船には乗れず、戦争に参加したというエピソードが紹介されました。

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戦後史開封 インドネシアに残った日本兵
産経新聞に連載された戦後史開封をもとにお届けします。 肩書や発言などは取材当時のものです。
福音船に乗れなかった甲将役
第1話 福音船に乗れなかった甲将役
昭和20年8月15日 日本軍は武器を捨てました。
しかしこの日から本格的な戦闘を開始した日本人がいたのです。 インドネシア残留日本兵です。
日本軍を離れ現地人と共に4年半に渡り インドネシア独立のため旧総支国のオランダ軍と戦いました。
その数は1000人とも 1500人とも言われます。
北スマトラだけで700人が残り 400人が戦死したとされています。
インドネシアの首都ジャカルタの中心部から南西におよそ5キロ 民家の立ち並ぶ一角に勝者な3階建ての建物が立つ
ここに福祉友の会という インドネシアで独立戦争を戦った旧日本兵の相互扶助と親睦の会がある
福祉友の会の元理事長石井正春は戦後も ジャワ島東部のスラバ屋に住んだ
インドネシア語ができたばかりに日本への福音船を目の前にしながら帰る機会を失う という数奇な運命の持ち主である
石井は北海道札幌市出身 昭和11年
小野江騎兵連隊に入隊した 小野江捜索連隊に改変されマレー作戦に駐軍し
シンガポール攻略後の17年3月 インドネシアスマトラ島に上陸占領した
20年8月17日 敗戦を知る
石井は順位になっていた 日本の敗戦はインドネシアに新しい動きを巻き起こす
石井は言う 戦争中インドネシア人は日本軍に協力することで独立を達成しようと考えていました
しかし日本軍が負けたため上陸してくるオランダ軍を相手に自力で独立戦争をしようとし 日本軍の武器を奪い始めたのです
インドネシア人は日本の降伏でイギリス軍とオランダ軍が再び親中し 独立が達成されないことを恐れていた
このため日本軍の武器が 喉から手が出るほど欲しかったこれに対し終戦後上陸してきた
イギリス軍オランダ軍はインドネシア国旗の慶応 周回武器の傾向を禁止した
さらに日本軍に対し2つの命令を出した 一つは武器をインドネシア側に引き渡してはならない
もう一つはインドネシアを戦勝国とみなすので インドネシア人に対して武器を使用してはならないというものだった
しかしその時にはすでに武器を奪う目的で日本軍の小部隊が襲われ 日本兵が殺される事件が多発していた
第16軍の記録ではジャワ島だけで戦後1,000人近くの日本兵が殺害されている それでも日本軍はこの間まで
インドネシアは日本の兄弟と教え 現地の住民による義勇軍や日本軍の補助兵士を要請し
ヨーロッパ列強からの東アジアの解放 独立をたて前として戦っており
インドネシアの独立に対して好意的だった イギリスオランダ軍に免銃腐敗し
インドネシア民衆への発砲を極力避ける一方 多くの部隊は
奪われたと嘘の報告をして小出しに武器をインドネシア独立軍側に引き渡していた 20年11月
スマトラ北部の村坊に付陣していた石井の所属する中隊に独立軍が攻撃を仕掛けてきた 石井は言う
イギリスオランダ軍の命令は矛盾に満ちたものだった 現実に独立軍はすでに獲得した武器を手にさらに武器をよこせと日本軍の兵舎に迫って
くる 武器を渡せば済むがそれではイギリスオランダ軍の命令に背くことになる
渡さなければ攻撃される しかし
反撃もできない どうすればいいのか結局インドネシア語ができて現地人に知り合いの多い石井が舞台を代表して独立軍と
交渉することになる 石井は振り返る
独立軍との交渉
軍頭つまり刀だけを持って独立軍に行った 斬り殺されることを覚悟した
あれほどの覚悟は戦争中でもなかった 石井はそのまま監禁されてしまう
1週間経った時 独立軍側は石井に手紙を持たせて駐隊に返した
手紙には すべての武器を渡さなければ日本軍は生きて村坊を出られないと書かれていた
帰る途中日本軍の前哨戦まで来ると機関銃の威嚇射撃を受け 打つ打つな
俺だと連呼して駐隊に戻った 石井が生きていたことを駐隊の仲間は喜んだが手紙を見て
騒然となった 実は駐隊は連帯本部とようやく無線連絡が取れ日本に戻るために港に集まれとの命令を受けたばかりだったのだ
ようやく日本に帰れる 日本に公約者がいた石井は飛んででも帰りたい心境だった
しかし港に行くには丸木舟で数人ずつ川を下るしか方法がない 独立軍の要求を無視した場合
駐隊の残りが450人くらいになった時点で3000人を超す独立軍に攻撃されれば 全滅してしまう
そこで駐隊長は 退却の要は攻撃にある
冒頭村坊から追い出し村に火をつけてこの間に退却する 戦争が終わった今日本兵を一人でも傷つけることは許され
だがこの作戦はインドネシア人を攻撃することになるから 作戦が成功した後に自分が責任を取って自決すると決心を語った
しかしそれではインドネシア人に多くの死傷者が出る 石井は上官に決心を変更するよう問いた
結局石井が一人で再び独立軍側に行き説得することになった 戦友らは石井に共に復印しようと問いたが石井はインドネシア側に向かった
この間に駐隊は脱出するのだ 石井は日本軍の計画について正直に説明し独立軍側はようやく折れ
日本軍が武器の一部を残していくことを条件に攻撃を中止した 血を流すことなく作戦は成功した
しかし石井一人は復印船に乗ることができなかった 人質として再度監禁されてしまったからだ
村坊の沖を行く復印船のシルエットが見えたとき 待ってくれ
俺も連れて行ってくれと声を限りに叫びました 無駄でした石井はやがて独立軍に加わり
4年間にわたってオランダ軍と戦う 次回第2話は日本の敗戦後に初めて実戦を経験した日本兵の話をお送りします
案内役は私ナレーターの菅俊介がお届けしました
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