2024-02-19 08:50

あさま山荘事件① 警察官ら3人が死亡、重軽傷者は27人~TVで生中継された人質立てこもり事件

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昭和47年2月、長野県軽井沢町の保養施設「あさま山荘」に過激派「連合赤軍」の5人が押し入り、管理人の妻を人質に取って、10日間にわたって立てこもった。警察官ら3人が死亡、重軽傷者は27人。銃撃戦の模様はテレビで刻々と中継され、全国に異様な興奮を巻き起こした。そして、その後発覚した14人もの凄惨な「同志リンチ殺人」は昭和の世をいっそう震撼させたのである‥

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

昭和47年2月、長野県軽井沢町の保養施設あさま山荘に、過激派連合籍軍の5人が押し入り、管理人の妻を人質に取り、10日間にわたって立てこもります。警察官ら3人が死亡し、重軽傷者は27人となっています。銃撃戦の模様はテレビで刻々と中継され、全国に異様な興奮を巻き起こしています。

あさま山荘事件の始まり
戦後史開封あさま山荘事件
第1話
昭和47年2月、長野県軽井沢町の保養施設あさま山荘に、過激派連合籍軍の5人が押し入り、管理人の妻を人質にとって、10日間にわたって立てこもりました。
警察官ら3人が死亡、重軽傷者は27人。
銃撃戦の模様はテレビで刻々と中継され、全国に異様な興奮を巻き起こしました。
そして、その後発覚した14人もの精算な同志リンチ殺人は、昭和元禄のよう一層震撼させたのです。
産経新聞に連載された戦後史開封に、その後の取材を加え、5回に分けてポッドキャストでお届けします。
案内役は私、ナレーターの岩田光一です。
カルイザー町にある山合の別荘地、レイクニュータウンの40センチほどの積雪の上に、真新しい足跡が点々と、空き別荘まで続いていた。
付近を捜索中だった長野県警機動隊員5人が中を確認しようとしたところ、いきなり別荘内から銃撃を受け、機動隊員が応戦し、銃撃戦となった。
15分後、一旦退却した機動隊員の隙を突いて、男たちは発砲しながら逃げ出した。
そして、数百メートル離れた浅間産総に押し入り、一人でテレビを見ていた管理人の妻、武田靖子を人質にとった。
その後、10日間にわたって国民の目を釘付けにした浅間産総事件の幕開けだ。
昭和47年2月19日午後のことだ。
浅間産総に立てこもったテロリストたちは、連合赤軍の活動家で、元東京水産大政の坂口博史、元京大政の万藤邦夫、元横浜国大政の吉野政国と、19歳と16歳の兄弟の計5人だった。
当時、警察庁警備局好きの刑事生だった佐々厚幸は、平成30年に亡くなったが、生前、取材に対して事件を振り返っていた。
佐々は事件直後、警察庁長官の後藤田雅春から、現場に指揮幹部の一人として休校するよう特命を受けた。
立てこもり事件の幕開け
すぐ、遺書と身体うかがいをひそかに用意した。
すでに最初の銃撃戦で長野県警の機動隊員一人が負傷していた。
指揮幹部としては、自分が死ぬか、そうでなくても犠牲者が出るという最悪の事態を考えざるを得なかった。
悪い予感は10日後、不幸にして敵中する。
連合関軍は、2ヶ月前の46年12月末、群馬県春名山のあじとで、世界同時革命を目指す共産主義者同盟関軍派と、毛沢東思想の革命左派の2つの過激派によって結成された。
その後、30人近い活動家たちが春名山や花生山などの山の中で集団生活を続けていた。
警察側は目撃情報などから、活動家たちが大量の銃器、爆弾などの武器を持って潜伏しているとみて、群馬県内の山を中心に大規模な捜索を始めた。
危険を察知した連合関軍は、県内の苗木山にあじと移すが、そこも見つかりそうになり、何てかに分かれて逃走する。
坂口らは、原島の雪山を3昼夜かけて歩き続け、長野県側までようやく逃れたところを、機動隊員と遭遇したのだった。
現場に急行した察査が見た、浅間山荘は山の斜面に突き出して立てられる。谷側の山崩からは容易に近づけない砦になっていた。
機動隊員が近づこうとすると、バリケードを築いた山荘から容赦なく狙い撃ちして、管理人の無対抗は食料を買い出しに行っている隙に、妻を人質に取られた。
その心痛は察査にも痛いほど分かったが、短期決戦は難しかった。
事件2日目の2月20日が明けた。
この日、牢場の拠点となった3階ベッドルームで、手足を縛り付けられていたヤスコの縄が解かれた。
しかし、ベッドルームから出ることは許されず、トイレに行くにも監視がついた。
山荘の外では、警察側が立てこもっている犯人の人数と名前の割出しに全力を挙げていた。
浅間山荘に逃げ込む前に侵入した秋別荘の異流諸門などから、吉野、坂口、坂東らが含まれていると見た警察側は、彼らの両親らに牢場を解くよう呼びかけさせる作戦に出た。
現場に呼ばれた一人に、横浜国大生寺岡光一の両親がいた。
マイクを握った父親は、「おととしのおばあちゃんの葬式に、君は突然出てきて泣いてくれた。君の評価はこれからの君の行動にかかっている。」と懸命に訴えた。
しかし、寺岡は山荘内にはいなかった。
連合籍軍が集団生活していた春名山のあじとで、仲間からアイスピックでめったずきにされるなどして殺害されていたのだ。
四十日前のことだった。
寺岡を含め十二人もの仲間が草活の名の下に殺されたのが発覚するのは、しばらく後になる。
後に、同志殺しの罪を懺悔することになる坂口は、寺岡の父親の声を山荘内で聞いていた時の思いを、こう短歌に読んだ。
T君の死を知らぬ父上の呼びかけを、牢状の我ら俯きて聞く。
次回第2話は、機動隊の強行突入作戦についてお届けします。
案内役は私、ナレーターの岩田光一でした。
08:50

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