2024-11-18 12:10

「メディアは死んでいた」 ⑥ 横田めぐみさん 前編 【戦後史開封特別編】

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理不尽極まりない凶悪犯罪である拉致を、政府が認めてから、さらに9年の歳月が流れた。                                    この間、国民はまだ拉致の事実にほとんど気づいていない。           阿部雅美は、古巣の社会部へ戻った。そこで驚くべき情報をキャッチする―。

【原作】 阿部雅美『メディアは死んでいた―検証 北朝鮮拉致報道』
【語り手】柳亭市好
【制作】 産経新聞社

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「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

このエピソードでは、日本人拉致事件の一例として横田めぐみさんの失踪について詳しく語られています。また、メディアがこの凶悪な犯罪をどのように報道してきたのか、そしてそれに対する反響や影響についても考察されています。

00:04
第6話 横田めぐみさん 前編
産経新聞社がお届けする音声ドキュメント
横田めぐみさんの失踪
北朝鮮による日本人拉致事件
原作、産経新聞出版
パベマサミチョ
メディアは死んでいた
検証 北朝鮮拉致報道
2018年5月28日
初版発行
制作 産経新聞社
案内役は私、話科の劉邸一光です。
理不尽極まりない凶悪犯罪である拉致を
政府が認めてから、さらに9年の歳月が流れた。
この間、国民はまだ拉致の事実にほとんど気づいていない。
安倍は、古巣の社会部へ戻った。
予期せぬ偶然が起きたのは平成9年、1997年1月22日のことだった。
古巣の社会部へ部長として戻る内事を受け、
移動の挨拶に東京長田町の参議院議員会館を訪ねた。
面会したのは旧知の国会議員秘書、兵本達吉さんである。
兵本さんは梶山答弁を引き出した共産党の橋本篤さん議員の秘書である。
安倍くん拉致に関連した国会質問は、
秘書の兵本さんが現地調査を基に練ったことに疑いの余地はない。
兵本さんは、拉致された被害者たちをどうやって日本に取り戻すかを考えていた。
拉致は主権侵害、人権侵害の重大犯罪だ。
産経も共産党も朝日もない。
メディアはなぜ報道しないんだ、とも言っていた。
この日、兵本さんの様子がいつもと違った。
これ、読んでみてよ。
テーブルの上に二つのコピーが置いてあった。
一つは、20年も前、1977年11月22日付けの新潟日報の記事。
もう一つは、雑誌現代コリアの1996年10月号掲載の石高賢治さんの論文だった。
石高さんは当時朝日放送のプロデューサーであり、
拉致報道に本格的に取り組んでいた唯一のテレビ人だった。
その場で読み比べた。
新潟日報の記事は社会面で4段の見出しだった。
女子中学生帰らず。下校途中。すでに1週間。
当時13歳だった新潟市立頼井中学1年の横田恵さんが、
11月15日夕、バドミントンのクラブ活動を終えて帰宅途中に、
突然姿を消したことを報じていた。
誘拐などの疑いはほぼなくなったが、
行方不明が長引けば何らかの犯罪に巻き込まれる恐れもある
という地元警察の見解が載っていた。
一方の石高さんの論文は、韓国の情報筋から
メディアの報道の影響
石高さん自身が聞いた北朝鮮亡命工作員の話を紹介していた。
1978年の安倍区連続拉致の1、2年前。
13歳の少女が日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。
少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて帰宅途中だった。
少女は普通の学校に帰って、
少女は双子の妹だという氷本さんが付け加えた。
ここに双子ってあるだろう。
めぐみちゃんは双子じゃないんだがね。
双子の弟がいるんだよ。
氷本氏から示された2枚のコピーを手に、
一体どういうことなのかすぐには飲み込めなかった。
何箱か置いたように記憶する。
氷本さん、これまさか。
その、まさか。
氷本氏は社名によって記者を分け隔てする人ではない。
朝日読売NHK。
どこの記者が訪ねても同じ話を聞いただろう。
以下のような説明をしてくれた。
前年の1996年暮。
石田花論文の話を知った警察関係者が、
19年も前に新潟市で下校途中に行方不明になった
横田めぐみさんのことを覚えていたというのだ。
13歳の少女。
バドミントン。
双子。
偶然の一と片付けるわけにはいかない。
氷本さん、それ、いつのことですか?
昨日だよ。
何というタイミングだろうか。
まるで自分が拉致に取り憑かれているような、妙な気分になった。
これ、大変なことになりますよ。
そうかな。
新聞記者の勘てやつかね。
僕の勘です。
氷本さんにはそう言ったものの、実は半信半疑だった。
いや、正直に言えば疑いが8割だった。
私の中で、拉致被害者といえば、
アベック3組の20代の若者たちや、
10年の原忠明さん、
久米豊さん、
そして田口八重子さんだった。
13歳の少女を、
日本から北朝鮮へ拉致するなどということは、思いもよらない。
ただし、日本人なら、
たとえ暗闇の中でも、
制服姿イコール少女とわかるだろうが、
北朝鮮工作員たちが、
犯行時に、
恵美さんを少女と認識したかどうかは疑問だった。
いずれにせよ、
情報はあくまで情報に過ぎない。
報道できる内容かどうか、
別の方法で確認する作業、
メディア業界でいう裏取り作業をしなければ、
記事は書けない。
私が氷本さんから、
横田恵美さんの話を聞いた日の前日のことだ。
恵美さんの父、茂さんが、
新潟の日本銀行支店に勤めていたことを知った氷本さんが、
神奈川県内に住む茂さんと連絡を取ったのだ。
お宅のお嬢さんが、
北朝鮮で生きているという情報が入りました。
母、先恵さんは外出中だった。
すでに定年退職して留守番をしていた茂さんは、
氷本氏の電話に驚き、
慌てふためいて、
国会議事堂に近い議員会館へ一人駆けつけた。
そして、私同様に、
氷本さんから示された新潟日報の記事と、
石田賀論文の二つのコピーを比べ読んだ。
これは確実に、
恵美のことだと思う。
込み上げるものがあり、
涙されたそうだ。
心中察するにあまりある。
自宅まで徒歩わずか一、二分の間、
帰ってきた十三歳の娘が、
突然失踪して二十年。
初めてもたらされた、
具体性のある消息情報だった。
議員会館から帰宅した茂さんは、
横田家の反響と戦い
その晩、先恵さんと、
こんな会話を交わしたそうだ。
今日、変なことがあったんだよ。
おかしな話なんだ。
何?
何なの?
ひょっとして恵美ちゃんのこと?
そうなんだよ。
先恵さんは胸がドキドキ、
背中がゾクゾクしてきたそうだ。
この時を境に、
横竹は大嵐に巻き込まれる。
長い戦いの日々が始まる。
これは音声ドキュメント、
北朝鮮による日本人拉致事件の、
シリーズ第六話です。
皆様から番組の感想を、
ぜひ聞かせてください。
メールアドレスは、
u-service at sankei.co.jp
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この作品は、
元産経新聞、
社会部記者、
安倍政美による著書、
メディアは死んでいたを、
再構成したものです。
第七話、
横田恵さん後編。
17年の歳月を経て、
再び放たれた、
産経新聞の、
拉致事件の続報。
では、次回。
あなたは拉致を、
いつ知りましたか。
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