先の大戦が終わると、海外には多くの日本人が残されました。京都府の舞鶴港で息子の端野新二さんの帰りを待ち続ける母、いせさんは、ヒット曲「岸壁の母」のモデルになりました。

 

【原作】 「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊) 
【語り手】 德光亮子
【番組制作】産経新聞社

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

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00:01
戦後史開封
戦後史開封
岩壁の母、息子を待ち続けた橋の威勢
第3話 シンジは中国で生きていた
ご案内役はナレーターの徳光亮子です。
岩壁の母のモデル橋の威勢は、昭和29年、厚生省から
一人息子シンジの死亡認定理由書を受け取った。
昭和20年8月15日未明、前方およそ300メートルの地点付近より
突然ソ連軍の射撃を受けたので、直ちに分散してこれに応戦したが、
数多いソ連軍の一斉攻撃によって、戦友は次々と倒れ、
本人は最後まで抵抗していたが、ついに力尽きて
お母さんによろしくと言い残して倒れたのを目撃した。
理由書にはそんな戦友の証言が付記されていた。
昭和31年には、次のようなシンジの死亡告知書が
東京都知事の名前で伊勢に届いた。
昭和20年8月15日、中華民国母炭鉱庄的陣地で戦死されましたので、お知らせします。
しかし、伊勢は昭和56年7月に81歳で亡くなる最後まで、
シンジの生存を信じていた。
菊地彰子さんに続いて岩壁の母を謳い、大ヒットさせた双葉由里子さんは、
伊勢を病院で見取った。その時の様子をこう語る。
伊勢が亡くなってから19年が経過した平成12年。
衝撃的な事実が分かった。伊勢が信じていた通り、
シンジは戦後も生きていたのだ。
伊勢は死ぬ間際までシンジさんを待っていました。
シンジは再死とともに中国人の名前で静かに暮らしていたが、
中国政府発行のハシノ・シンジの名前の身分証明書を持っていた。
ハシノ・シンジの名前の身分証明書を持っていた。
ハシノ・シンジの名前の身分証明書を持っていた。
03:04
中国政府発行のハシノ・シンジの名前の身分証明書を持っていた。
口は終始重く、母さん団との記念写真も拒んだという。
昭和20年8月15日に満州で行方不明となったシンジは、
終戦後一時シベリアに抑留され、9月10日頃に再び満州に移されたという。
その後、中国共産党軍に所属したという。
だが、シンジがどんな経過をたどって上海で暮らすようになったのかはわからない。
シンジは、母さん団にこんな言葉を漏らしていた。
母がマイズルの岩壁で待っているということは、
人づてに聞いて知っていましたが、帰るに帰れませんでした。
だって、死んだことになっている私が帰れば、
歌にまでなって有名になった母のイメージをすべてぶち壊すことになってしまいます。
今さら帰れません。
伊勢の納刀を本にまとめたシーンの八塚は、
日中国交正常化後もシンジさんは下手に自分は日本人だということはできなかったんでしょう。
帰ろうと思っても帰れなかったのではないでしょうか、と話す。
双葉由里子さんは当初、
せめてお墓参りに帰ってきて母責を抱きしめてあげてほしい、
と注文を出したが、今はこう語る。
シンジさんが平穏な生活を送っているのなら、それがいいのではないでしょうか。
報われない愛、無償の愛を貫いた伊勢さんは、
天国でそんな事情は知っていて、シンジさんの生活を喜んでいるでしょう。
生存が確認された後のシンジさんのその後の消息は不明だ。
生きていれば、令和3年現在で96歳。
シンジさんの本当の思いはわからないが、
岩壁の母伝説にまでなった伊勢の愛が、
日本人の心にいつまでも留まることは間違いない。
お届けしたのは音声ドキュメント
岩壁の母・息子を待ち続けた橋野伊勢の最終話でした。
06:16
産経新聞社がお届けする戦後紙開封
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06:52

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