「夢の超特急」といわれた東海道新幹線が昭和39年10月1日に東京―新大阪間で開業してから、今年、令和4年で58年を迎えます。

 東京五輪直前に開業した新幹線が高度経済成長に果たした役割は計りしれませんが、アイボリーホワイトとブルーの車体には、政治的課題を諦めずに解決しようとした経営陣や、最先端技術の開発に挑んだ鉄道マンたちの夢が満載されていました。ただ開業式典には、国鉄総裁として開業に尽力した十河(そごう)信二の姿はありませんでした。

 案内役は落語家の三遊亭楽八さんです。

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊)
【番組制作】産経新聞社

 

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戦後史開封 新幹線開業秘話
第1話 総裁自ら政治家を説得
夢の超特急と言われた東海道新幹線が、昭和39年10月1日に東京・新大阪間で開業してから、今年令和4年で58年を迎えました。
東京オリンピック直前に開業した新幹線が高度経済成長に果たした役割は計り知れませんが、アイボリーホワイトとブルーの車体には政治的課題を諦めずに解決しようとした経営陣や最先端技術の開発に挑んだ鉄道マンたちの夢が満載されていました。
平成6年に産経新聞に連載された戦後史開封を再構成して音声ドキュメントでお届けします。案内役は私、落岡の山友亭落八です。
最初の東京オリンピックを間近に控えた昭和39年10月1日早朝、東京駅19番線ホームで東海道新幹線開業1番列車光1号の出発式が行われた。
第5代国鉄総裁石田玲介のテープカットの後、光1号は朝霧の中を新大阪に向けて出発した。
しかしこの華やかな席に新幹線の父と呼ばれた前国鉄総裁の蘇豪新二の姿はなかった。
新幹線建設予算が大幅に膨らんだ責任を取る形で任期満了の退任に追い込まれ、出発式には招待されなかったのだ。
東海道新幹線を巡っては設計思想や予算、技術的課題などを強安をもって解決していった蘇豪だが、やはりかなりの圧力があったことが伺える。
昭和30年5月20日。壊れる形で蘇豪は4代目国鉄総裁に就任した。71歳だった。しかし行動は素早かった。
総裁に就任するや否や直轄部隊の総裁審議室に線路の幅が広い後期での新幹線建設の検討を命じた。国鉄内に大きな波紋が広がった。
03:06
鉄道の線路幅は世界で最も普及している後期と、日本がイギリスの勧めで採用した狭い幅の強気に分かれるが、蘇豪新総裁の指示は後期による新幹線建設だった。
人務景気で旅客や貨物量が急増したことに対応するため、国鉄は東海道線を強気で伏線化することをほぼ決めていたが、蘇豪の指示はそれをひっくり返すものだった。
国鉄本社の廊下で新聞記者が担当者に質問した。
大丈夫ですか?後期での新幹線研究やるって聞きましたけど。
この間銀座の領邸で大先輩に相談したら、君、この仕事をやると偉くなれないよと言われたよ。
後期反対の上司に見つかると睨まれるから、研究はうちに持ち帰ってやってるよ。
蘇豪はその年の暮れから、新聞記者がよくやる夜打ち朝掛けを始めた。
相手は政治家。後期による東海道新幹線の必要性を理解してもらうことが目的だ。
自分で書いたパンフレットまで持参していた。
記者クラブでは記者の間で蘇豪の行動が話題になった。
蘇豪さんは今朝は鳩山総理大臣のところに押しかけて、閣議や総務会で異論が出た場合、総理総裁として建設のターンを下すと約束してもらいたいと迫ったそうだ。
うーん、で鳩山さんは?
いくらかかるのかって聞いたそうだよ。蘇豪さんが最初に調査費100億円、その上で事業計画を決めて総予算を提出すると伝えると、鳩山さんはよろしいと答えたらしい。
蘇豪は実力者である岸信介、砂田茂雅、市田飛鳥のところにも精力的に回った。
人によると蘇豪はラジオのスイッチも自分でつけられないほどの機械音痴だそうだが、新幹線について説明するときには、日本の総人口の半分は東海道沿線に住んでいて、工業生産力では6、7割を上げている。
経済的に十分ペイすると説得力のある説明をしたという。
昭和31年1月、総裁審議室がまとめた後期新幹線建設に関するレポートが国鉄の理事会に提出された。その結果、国鉄内部の意見を統一するための東海道線増強調査会が作られたが、意見はまとまらなかった。
記者たちは後期が劣勢と見ていた。
調査会、5回やっても結論ですが。
もともとが強気ではほとんど固まっていたんだから無理もないな。
06:03
蘇豪さん、どうするのかな。
蘇豪は一気に議論を有利に進めるための強行策に出た。
国鉄内での議論に見切りをつけ、問題を運輸省に挙げたのだ。
運輸省には戦前に計画された後期の弾丸列車計画に携わった鉄道管理局長のゴンダ・ヨシヒコラがいた。
運輸省に上進すれば後期が有利になる根回しもできていた。
運輸省の廊下で記者が課長に聞いた。
すいません課長、弾丸列車、いや新幹線はいけそうですか。
戦争で断念した弾丸列車を復活させようとみんな乗り気でね。
これは国のためになると。必ず閣議了解まで持っていくよ。
昭和33年12月12日、交通関係閣僚協議会は東海道新幹線早期着工を決めた。
昭和34年から5年計画となった。
蘇豪はその日の夕方、青山墓地にある後藤新平らの墓に着工決定を報告した。
後藤は初代鉄道院総裁の時、日本の鉄道の線路の幅をすべて後期にするよう主張したが実現できなかった。
蘇豪は鉄道院で後藤の影響を受けた一人で、後期へのこだわりの原点が後藤だった。
昭和34年4月20日、戦時中に弾丸列車計画のために掘削された静岡県の新田那トンネルの前で東海道新幹線の起工式が行われた。
トンネルは新幹線に転用される。
最初の桑入れは蘇豪だった。
えいっ!
大定段に振りかぶった桑を綱山に打ち込んだ時に蘇豪の胸の軸が落ちた。
えいっ!
3度目を打ち込んだ時、力余って桑の先が抜けた。
こうして豪安・蘇豪新時による後期新幹線建設が始まった。
次回はエンジニアたちの奮闘をお送りします。
三景新聞社がお届けする戦後紙開封。
最後までお聞きいただきありがとうございます。
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