迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
はい、ちょっと緊張気味なんですけど、今回のテーマはですね、ゲストをお呼びしました。
ということで、今回2回目の登場となります。
【山あり谷あり放送室】のお二人、山ちゃんと谷君にお越しいただきました。
よろしくお願いします。
何回やってもね、ちょっと緊張しちゃいますね。
ダメだ、ダメだ。
はい、ちょっとじゃあ一応ね、簡単に番組紹介をしていただいてもいいでしょうか。
はい、どっちでやる?
いやもうここは山ちゃんが。
僕が、山あり谷あり放送室という番組をやっている山ちゃんと谷君です。
僕たちは実は高校の同級生同士、でも今は40代のお互い仕事もし父親でもありっていう立場から、
いろんな子育てとか、自分の身の回りのこととか、雑談ですね、話していますと。
そうですね。
特徴があるとすれば、谷君はロサンゼルスに住んでいるので、
東京とアメリカの文化の違いとかが少し垣間見れるような、そんな番組を気ままに撮って配信しているという二人です。
よろしくお願いします。
またお邪魔します。
大人気ポッドキャスト番組です。
ちょっと私から経緯を説明したいんですけど、2回目の登場に至るまでいろいろあったんですよね。
そうですね、本当に。
1年以上前に、まず最初はお互いの番組でゲスト出演ということで、
Spotifyさんのスタジオで収録したりとかもありまして、お互いコラボ会ということでやりまして。
その後、谷君が一時帰国をされた時に直接お会いしてお話もしました。
その後、私の番組で100回記念ということで、夫のドタさんが登場したんですけれども、
夫のドタさんというのは実はポッドキャスト番組をやっているポッドキャスターでもありまして、
それで声を知っていていただいた、そして100回記念聞いていただいた谷君から、
もしかして夫さんはあのポッドキャストのあの方ですかということで、ご連絡をいただきまして、
私はこれまで自分からそういうことは話すことはしないっていうふうに決めて番組を始めてたんですよ。
でも聞かれたらそこは別に嘘もつかないし、そうですっていうことでやろうって思っていたところへ、
直接お会いした方では初めて谷君から来たんですよね、ご連絡が。
それで私も聞いていただいて嬉しかったし、夫の方も自分の声だけであの人って分かってくれたっていうのがすごい嬉しくて、
で、夫が山有谷有放送室に出させていただけませんかっていうことでゲスト出演をさせていただきました。
ありがとうございました。
本当こちらこそですよね。
たくさん何回か出させていただきまして。
こちらこそありがとうございます。
その後私も2回目のゲストとして先日参加させていただきまして、
今日に至るんですよね。
このようなことになっております。
本当にもう偶然が重なって今に至るって感じですよね。
本当ですよね。
スポーティファイスタジオでコラボさせていただいたときは、あれ2年前なんですよね、今から。
そんな前です。
すごいまさか、旦那さんがあの方だとは思わずに。
ちなみにピューさんの番組で旦那さんポッドキャスターだっていうのは今初めてですか。
そうなんです、初めて。
自分からはっていうことでやってきたし、だからこういう機会のないまま初めてお伝えしております。
リスナーの皆様もびっくりしてらっしゃる方多いんじゃないですかね、今。
そうかもしれないですね。
しかもまたポッドキャスターってあっさり言ってるけど、めちゃくちゃすごい有名な方なんでね。
僕はもうびっくりすぎて。
本当にこれからもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はお二人に私の番組にお越しいただきまして、それぞれに私から質問をしたいということでお願いします。
よろしくお願いします。
まず山ちゃんに伺いたいんですけど、山さんは公立の小学校で図工の先生をされてて、
今は私立の学校で図工の先生っていう言い方とはちょっと違いますかね。
そうですね、もう授業持ってないので変な人です、学校には一応いるんですけど。
学校に勤務してるけど授業持ってないと。
変なおじさんだよね。
変なおじさんです。
小学生と中学生と高校生まで?
はい、主にそうですね。
学校自体は短期大学まであるので、三大生と絡むこともあるし、実は幼稚園もあるので、最近ないけど前は幼稚園の授業というか遊びのデザインをしたこともあったり、何でも屋みたいな感じですね。
図工っていうので想像するのよりももっと幅広い感じで子どもたちと関わっていくっていう感じですね。
はい、そんな感じです。
もともと学校の先生になりたかったっていうことですよね。
もともとそうですね、大学生の時は自分の進路の一つとして結構思いがあって、でもストレートでなるの嫌だったんで、結局学校に行ったんですけど、
9年は実は別の仕事をして、30過ぎに転職しているんですけど。
教職だけ取っておいて、別の仕事をして。
そう。
そうなんですね。
でも大学では中高の免許しか取れなかったので、小学校の免許を働きながら取りました。
結構違うんですか?
そうなんですよ。教育学部とか行かないと小学校の免許は取れないので。
僕は別に教育学部でもないし、なので小学校の免許は大学では取れなかったんですね。
じゃあそのためにまた学校に通って。
そうですね。なるなら小学校の先生がいいなって思ってた自分に気づいちゃったんですよね。
何かきっかけがあったんですか?
小さい頃とか。
そうですね。もともと教員になりたいなって思いは、今でも覚えているのが、
結構小学校6年生の時のクラスとか、僕自身も居心地が良くて好きだったんですよ。
卒業式の日に他人の先生が別れるのが嫌だって言うとあれですけど、
とにかくお別れを単純に喜んだり寂しかったりで泣いてくれて、
大人は泣くんだみたいな。
それはすごく大きな印象でしたね。
泣ける仕事っていいなと思ったのが、大きな原体験な気がしてます。
結構山ちゃんは先生としての出演も多いですよね。いろんなところに出演されている。
そんな中ですごい熱い思いを感じるんですね。
ありがとうございます。
だからすごい強い思いを持ってなったんだろうなと思って。
そうですね。やっぱりなりたくてなった仕事。
転職するきっかけも息子が生まれて、あと東日本大震災もあって、
人生一度きりで生まれて、
やりたいことをやらずに終えるっていうのは、息子に見せる背中としてもかっこ悪いなと思って。
お前好きなことやれよって自分が子に言うんだったら自分がやれよっていう話じゃないですか。
なので転職しようと思ったっていうのが一番の動機ですね。
なるほど。
谷くんもそういう話は聞いてますか?
今初めて聞きましたね。
ちょっとなんかもう開始早々、いい話しすぎて、
ちょっと僕後から出づらい感じなんですが、
ちょっとうまいこと編集で僕の本前に持ってってもいいですけど。
ヤマト知らなかったよそれ。
そうなんだよ。それはもう確かなことだと思うんですけど。
大きなきっかけになったのは息子の誕生と震災っていうのは大きいですね。
なるほどね。
結構これまで出会われてきた先生っていうのは、いい先生と思う方が多かったんですか?
いや、そんなことないですよ。
好きな先生はあげたら小学校で1人、高校で1人ぐらいかな。
そうか。
そうなんですね。
実はうちの次男が小学校も何年も前ですけど、
学校で学期末に1学期2学期それぞれ作ったものを持ち帰ってくるじゃないですか。
図工とか教室で作ったものとか。
その中に将来の夢は学校で作ったものを持ち帰ってくるんですか?
実は1学期か何学期か忘れたんですけど、学期の最初にそれを書いて、
その後ちょっと先生に不審感を持つような出来事があって、
他人の先生なんですけど、
その後、先生に不審感を持つような出来事があって、
他人の先生なんですけど、女子を否記してるみたいな、うちの男の子で。
やっぱり理解はできるんですけど、
女子の方が何でもきちんと提出物とか丁寧に隠しみたいな、
そういうのもあると思うんですけど、
男子からすると女子と男性の対応が違うみたいな。
その中で一部の女子から迷惑こいというか、
もうちょっと嫌に思うんですけど、
女子から迷惑こいというか、もうちょっと嫌に思うような出来事があって、
またその後の先生の対応にも本人は納得がいかないというところがあって、
最初に夢を書いて、その出来事があって、学期末に持ち帰ってきて、
私は学校の先生になりたかったの?って言ったら、
いや、もうそれゴミだからって言ったんですよ。
ちょっとショックを受けちゃって、
え?夢を一回持ったのに?と思って、
私結構、本当にすごくよくその出来事がフラッシュバックというか思い出すんですけど、
でも山ちゃんは、やっぱり小学生とかって学校の先生が一番身近じゃないですか、
だから夢にもなりやすいというか、それを持ち続けたっていうのは、
やっぱりいいイメージを持ち続けたのかなって思ったんですけど、
どうなんですかね、でもずっと先生になりたかったかっていうと、そうでもないですよ。
あ、他のお仕事とかもちょっと検討しつつ。
ですです、なんか小学生とか幼稚園の時から一貫した夢を持てる人ってやっぱりすごいなって思うし、
そういう人に憧れるんですけど、うつろいでいいじゃないですか。
だから将来の夢は何?って言って、
例えばお花屋さんっていう後に、今はね?って付ければいいんじゃないかなと思って。
変わるも前提でいてほしいなと思ってますね。
結構でも難しいですよね、あれよく聞かれますよね。
小学校、中学校で将来の夢何ですかって。
もう自分も何を書こうかなって、毎度なんかちょっと適当というか、
なんとなく毎度違うようなことを書いてたような記憶があって。
そうそう、今娘が小6でちょうど卒業文集を今から書き始めて、
まさにテーマが将来の夢とかなんですって。
そんなのさ、ないって書こうぜって言ってこの間。
相談して。
今は見つかってないし、今ある仕事が20年後あるかわからないって言われてるような世の中だし、
逆に今ない仕事が出てくるし。
だったら今はこれだけど、明後日は違うこと言ってるかもしれないし、
来年は言ってるかもしれない。
違う仕事に出会っちゃうかもしれないみたいな風に書けば全然文章埋まるじゃんとか言って。
まさに先週そんな話を娘としてました。
そうなって、小学生の頃に知ってる職業っていうのがもう相当限られてるわけだから、
そこから視野を広げていきたいんですもんね。
なんか変にね、夢聞かなきゃいいのにって思う。
そうですよね。
そっとしとけばいいのにって。
そう、困っちゃうって話しちゃう。
長男の時もそうでしたね。
ね。
谷君もありましたか?昔の夢は。
いやでもやっぱり小学校とか中学とかの夢ってコロコロ変わっちゃいますよね。
今は無限系ないですよね。
うん。
ステージごとにいろんななりたい、興味あることがあっていいんじゃないかなと。
うん。
でもちょっとその次男のそれはもうゴミだからっていう発言ちょっと聞きづれてるよね。
それはね。
それは悲しすぎるエピソードだな本当に。
ちょっと本当にその時はやっぱり気持ちもマックスで嫌だっていう気持ちがあった時ではあったんですけど、
そうなんですよね。
これなんか僕すごくもやもやしするのが、
学校の先生って大人も誰しもが知っている職業なので、
先生っぽさとかがすごく個人で形成されてるじゃないですか。
あー。
先生っぽさ。
なんか過去の自分の経験で。
個人で先生について先生とはこういうもんだみたいなのが多分ある非常に丸見えの先生っぽさがあって、
非常に稀な僕職業だと思うんですよ。
で、なんでそんな感じで先生についての話がいろんな人と共通項でできるじゃないですか。
うんうん。
その時に先生のネガティブな話題になると、
本当先生ってそうだよねって言って全国100万人の先生の評価を下げるんですよ。
あーなるほど。
だって本当はその次男さんのエピソードだって、
その嫌な思いをした一人に対して嫌なだけであって、
本当は別に他の99万人の先生に対してはあってないわけだから、
先生嫌だっていうのは本当はイコールで結びつかないはずなんだけど、
そうですね。
一人のその嫌なことがね、先生っていう相次いでの印象を下げてしまうっていうのは、
確かに。
なんか身近な職業ならではのすごくネガティブな点。
確かに。
確かにそうですね。
そういう時期かなって思って。
うちの子もその後いい先生にも出会ってるし、
そうなんですけど将来の夢の話は一旦しなくなりましたね。
それまで全然いいっす。
一旦ちょっとそっとしておこうぜ。
そう、でもだからなんか先生が嫌だっていうよりかは、
本当もう変な人とか会わない人がいるのはもうそれはしょうがないと思ってて、
全員にいい先生に出会うなんて、
そんなのもう100%ないって言い切ってくらいなくないですかね。
そうですね。
それでもなんか先生を掃除で嫌いになるというよりかは、
なんか違うようなハケさせ方みたいのがあるといいのになーって今のエピソードを聞いて思いましたね。
確かに私もその印象が強すぎて、
マイナスな記憶強いですけど、
確かにこれから私自身も息子に対しても、
もっと先生のいいところ、学校生活もその方が楽しいですもんね。
そういう視点でちょっと会話しておくといいですね。
そうなると教育会は嬉しいですね。
確かに確かに。
確かになー。
学校の先生ってやっぱ忙しいって言われるじゃないですか。
夜遅くまで電気がついてたりとか学校に。
忙しいっていうのは、
もうヤマちゃんがされた時にはそう言われて、世間では言われてたわけですよね。
そうでもなかった。
これね多分、僕がちょっと変なんですけど、
仕事を仕事と思ってなかったんで。
ああー。
学校の先生って要は、本文が授業づくりだとすると、
授業のネタなんて日常中や関わらず、
いくらでも転がってるんですよ。
だから多分僕家族と過ごしても授業のネタを探していたし、
夜テレビ見ても、
このキーワードめっちゃ面白い、これ授業にしようとか思っちゃうしって考えると、ずっと仕事してるとも言える。
で、ブラックって言われてるのは、
多分そういうやりたいことをやってればそんなブラックじゃないはずなんだけど、
多分やらされてるとか、
仕事を仕事として思っちゃうと教員の仕事っていうのは相当辛いと思うんだけど、
でも本来そうやって全部自分ごととか生活をリンクしたりとかできる、
すごーく面白い仕事だと僕は思ってて、
しかもそのリアクションがすぐわかるっていう、
いちいち決済とかいらないですよね。
翌日の授業でポンって行ってみて、こう帰ってきて、
あーうまくいかないとか、あー伝わったとか、
すっごくライブ感のあるクリエイティブな仕事だと僕は思ってるので、
なんかそう取られられるかどうかなのかなっていうところは思ってますね。
そうですか。
あらららら。
すごいなんか。
ちょっとヤマちゃんかっこよすぎない?今日はなんか。
ねー。
格言出ますぎ。
ええええ。
ちょっとヤマちゃんあれじゃない?久しぶりのゲスト回でちょっとかっこよくなってない?今日。
そう?
まあなんていうんですか、僕の本心をついていただけるともうこういうことしか出ない。
ヤマちゃんいいこと言えばいいほど、僕は出づらいんですけどね、後から。
でもヤマちゃんの授業というか取り組む課題というかさ、そういうのも結構自由だもんね、クリエイティブ系のね。
そうね、だから図画工作と出会ったのはその辺すごくありがたかったなっていうところと、
あと実は僕前職が大学職員だったので、事務処理が割ともうそれをやっぱりなりわいとしてたわけじゃないですか。
なんで学校の先生が苦手とする事務処理が大げさに言うと人の3倍早いみたいな。
なるほど。
だから大して苦じゃなかったんですよ。なんですごくそれに追われることはなかったし、楽しんでましたっていうのが実際ですね。
小学生ってわーってなるじゃないですか。で、学校の授業だと先生が話してみんな聞くみたいなのが基本的にはメインになるのかなと思うんですけど、
図工ってもっと子供たちがそれぞれ喋ったりとか、わーってトラブルとか、バーみたいな。
わかんないですけど、なんかちょっと子供たちがわーわー鳴りそうな感じがあるんですけど、それで何か苦労したりとかなかったですか?
いや、これはですね、僕は多分ね、幸せだったんですよ。でこぼこいろんな子供がいるし、学年クラスになっても全然違うんですけど、そうして6年間本当楽しくて、高齢小時代。
なので、やっぱり図工の時間をちゃんと楽しいし価値があると思うと、意識はちゃんと向きますよね。
それでもトラブルとか全然あるんですけど、別に授業が成り立たないなんていうことは一度もなかったですね。
そうですか。やっぱり持ってき方というか、人生も大事なんですかね。
あと僕の授業、本当僕しゃべんないんですよほとんど。冒頭3分ちょっと説明した後90分だいたいあるので、だいたい80分は僕前に立ってしゃべるみたいなのはない。
みんな何か作ったりしてるってなると、全然他の授業と違うんで、図工は楽しいとか好きなことができるとか、何かそういう特別な時間であることが、ちゃんと自分たちで守ろう、この時間を守ろうとしてくれる感じがすごくありましたね。
いいですね。そんな教室でやるの楽しそうですね。子どもたちも。
ポイントがね、僕がめっちゃ楽しかったとか、僕がやりたい授業やってたんで、僕も電車で通勤してると、早くやりたいこの授業って言って電車で行くんですよ。
そんなに?
それは楽しいと思いません?今日これ持ってきたとか、超いいこと思いついたんだけどこれ一緒にやんない?みたいなそういう授業なんで楽しかったです。ずっと。
仕事のスタンスすごい。
実はね、僕も帰国時にね、ヤマちゃんの職場にお邪魔させていただいて、あそこはちょっと上がるよね。空間がもう素敵でね。なんか面白いことを想像できそうな素敵な空間でしたね。
どちらかというと、僕は知識とかスキルとかをそういうのを身につけてほしいっていう、僕から何か手渡るような授業じゃなくて、
例えば同じグループ内の子ども同士とか、空間とか環境の中で自分たちの学びを作るっていうようなところの観点に立つ授業設計をする、学習のデザインをする人なんですね。
なんでその今の延長が今の職場にもあって、もう環境ゼロから作れたので、今は本当に僕が別に先生として立ち回らなくても、
自ら何か問いを持ったりとか何か手が動いたりして活動が広がっていくっていうようなことを徹底的に今やってるっていう感じです。
やばい、俺今日ちょっとかっこいいな。
かっこよすぎるよちょっと。
すごい、仕事行くときにそんな楽しい気持ちで仕事行ける人って。
そう、なかなかないでしょ。
いや、すごかったと思いますよ私。
なんでね、好きなんですよ。
どんな楽しいなと思って、自分に向いてると思ってる仕事をしてる人でも、そこまで楽しみに仕事に行けるってすごいことだし、それが伝わってるんでしょうね。
周りにいい空気が伝わってるんでしょうね。
今でも覚えてる1個シーンが、掃除の時間、公立小のときに親が先生っていう人がいたんです、そういう子がいて。
で、うちのお父さんもね、お母さんもそうだし、何かよく話してるんだけど、先生って大変なんでしょう?とか言ってる。