じゃあミトンさんお願いします。食べ終わりましたご飯。
ミトンです。埼玉から参加してます。私はサリーさんが内容をちょっと紹介してたのを読んで気になるなと思って読んでみようと思って参加してます。
思ってたのとは全然結果違かったんですけど、内容が勝手に想像してたものとは。
私も今、友谷さんが言ってたみたいなその文体が、あれって感じですよね。進む中で、あれ三人称これでよかったっけみたいななんて言ったらいいんだろう。
それこそ妄想と現実がぐちゃぐちゃになっている感じに近いような感じで、あれ日本語の文体はこれでよかったっけみたいな感じの、なんかこう、そういう部分にすごいあれってずっと引きずられていくような感覚。
で、最後までそれが結局ずっと続いて、そのあれあれっていうやつが、そのあれあれのままに終わっていく感じがものすごい不思議なんだけど。
あれっていう感じに、なんかこう、不快感があったりとか、無理みたいな感じがあるわけじゃないのもすごく面白い感覚だなって思いながら読んでいたんですけれども。
で、なんかあの、なんだろう、すごくあの、主人公の方がそういう文体と同様にこういろんなものが解き合っておかしくなっていっている様が書かれてるはずなのに、なんていうかこう、変にドロドロしてたりとかいうこともなく、
こう、ちょっとこう、うまい表現は見つからないけど、こう、抗菌されてる状態みたいな、わかります?なんか抗菌、あの、これは抗菌済みですみたいな。
なんかそういう雰囲気があるのは、ツトムがもしかして、マネキンなせいなのかもしれないんですけど、なんかすごい、ちょっと味わったことのない不思議な感覚を終始味わわせられた気がします。
だけどなんかついていけない、ついていけてはいないんですよね。主人公の方の漢字、いる場所とかに。なんかそれがすごい不思議な感覚で読ませていただきました。
で、芥川賞ってこういう漢字なんかな、みたいなとか、どうなんだって思いながら読んでて、結果的に、別に芥川賞はこういう漢字じゃないよな、みたいな。
そう、ちょっとなんだろう、候補になる作品で、今どういう感じなんだろうっていうのは、ちょっと気になったりとかしました。はい、またなんか、おいおい皆さんの話に合わせて話したいと思います。お願いします。
ありがとうございます。
抗菌されてるって面白い、面白い感覚、そんなの考えなかった。どういう、確かに、不快感があるというわけじゃなく、ドロドロでもなく、抗菌されてる。何なんですかね、生々しさがないみたいなことなのかな。
ちょっとその辺面白いんで、後でまた話聞いてますかね。芥川賞ちょっと私も気になる。富谷さんその辺って聞いてみてもいいですか。芥川賞ってそもそもどういう賞に選ばれるものなんですか。
いや僕も正直そんな分かってないですけど、まあでも基本的には純文学って言われるジャンルに当たる賞で、結構その小説の種類は結構まちまちで、どっちかでこの千歳さん小説は珍しい方のタイプ、そういう妄想と現実が入り混じっての幻想小説チックなものっていうのは結構珍しい方かなというふうに思います。
小説を通して一貫した哲学みたいなものがあったり、例えば文芸ですね。文章で芸術的な文章であるかっていう、この2点は僕も読んでるときに結構重視していて。
芥川賞の選評とかを読むと、文章の芸術性と、あと必然性。その人が描きたかったテーマに対してその文体や構成や3人称1人称っていう語り手の選択というものがマッチしていたかみたいなところが結構重視されてるような気がします。
でも、以前おそらくなんですけど、前と比べて芸術性よりはどっちかという、そういう証言したいものに対する技術、技術というか文章がマッチしているかというところは結構重視されているような気がします。
この年っておいしいご飯が食べられますようにが取ったでしょ。それはやっぱり妥当というか、そうなのか、やっぱり表現したいものに対する。
妥当性はあったのかなって、僕もその時は候補作読んでないんでわからないんですけど、ある程度、現代の説法とか、視聴者が感じているもやもやした違和感みたいなものを、こんな違和感がありますって書くのではなくて、そういうものがあるよねみたいなものをこっそり読者に渡すみたいな感じができてるかって感じですかね。
なるほどね。
エンタメとかになるとこれがテーマですっていうのが多分前に出てもいいと思うんですけど、そのテーマさえも、著者と読者がたぶんすれ違っててもよくって、でもちゃんと受け取るものがあったりとか、それにある程度の自由度を持たせてるっていうのが多分大事なんかなっていう。
全く理解不能もあかんし、理解できすぎるのもあかんしっていう、このちょっと狭間がある感じですかね。
なるほどね。
絶妙なとこにスパンとはまんないと、受賞まで至らないんですね。
そうそう、だから家庭を安心広報で言ったら何を表現したかったのかっていうのがまず議論にあって、それを表現するときに三人称で内面を描くということであったり、太もものことであったり、落ちまでであったり、そういうところが議論されて、今年の芥川賞はこれじゃないかって多分なるんちゃうかな。
すげー。
そういうのはすごい、僕も最近は5個か、大体工作5個読んだら、テーマ性と構成と文章の芸術性感をそれぞれ評価っていうか、いけてるかなっていうのを見て、全部点数にして、点数の高いやつが受賞するんじゃないかっていつも予想してるんですけど。
結構当たる?
うん。ちょっと当たってきた。
そうなんだ。じゃあ傾向が分かってきたとことか、こういうものが評価されるっていう。
そうですね。それはやっぱり自分の好きとまたちょっと違う評価の言い方になるんで、この小説好きやったなーっていう、俺は好きやなーっていうのと、こういうのが評価されるんちゃうかっていうのを2つの視点で読んでる感じかな。
なるほどね。ありがとうございます。
小川陽子さんと平野圭一郎さんは、高瀬潤子さんのやつも押してたけど、こっちを押してたみたいなことを書いてあったんじゃない?だから人によってね、今友谷さんが教えてくれたような基準みたいなのがきっとそれぞれ違うってことなのかな?
そうです。平野さんとか小川さんは意味のわかんない小説の方が好きなんですよ。
そうなんだ。
その、わけわからん、とっちらかってるように見える、一見とっちらかってるように見えるという小説だけど実はまとまっているという方が技術が高いっていう風に捉えはるんですよね。
へー。
一見意味わからんけど、作品としては成り立っているという、小説を評価する傾向にあるかな。
すごいね。成功因の傾向をもう掴んでるっていう。確かにそれは、小川陽子さんとかが好きってのはわかるよね、これが。
それがすぐわかった。
小川陽子さんはね、そもそも不気味な小説を書く方やから結構。
だからこれが、評価するっていうのは納得してて、2022年で一番良かったっていうのをこれって言ってて、アクター画書とか関係なく、その年に一番良かったのはこれって言ってたんで、すごいよくわかるなと思っていました。
ちょっとね、長々とアクター画書について話しましたけど、早速内容について話を入れていこうかなと思うけど、
私が聞きたいことはいろいろある。何を表現したかったのかっていうのはまずある。それはすごく大きい。
この作品の何を小沢さんが表現したかったのかってことと、あと私がミステリーっていうかわけわからないところは、夫がいるのかいないのかっていうことがわからなかったんですよね。
で、いろいろ書評とかね、いろいろな人のレビューとかを読むと、夫は実在していないっていう声がいっぱい見たのね。
私それ言われるまでわかんなかったんだけど、夫はこのさなみの幻想だっていう風に読むと、本当にそう読めるのよ。
あとはもう一個、3つぐらいある。何を表現したかったのかと、その夫は存在しているのかっていうことと、あともう一個は努むとは何だったのかっていう。
この3つがちょっと皆さんに聞いてみたいんだけど、でもこれってさっきの小川陽子さんじゃないけど、わけわかんないことを混沌としているまま、わけわかんないけどなんか面白いっていう方がこの作品の味わい方であって、
サリーさん、そうやってね、わけわかんないのを紐解いていくことが正解の読み方じゃないじゃないっていう意見もあるかなと思うわけ。
それも含めてどう感じるか、その辺ちょっと皆さんに聞いてみたいんだけど、わけわかんないと思ったら、その辺どうですか、ちょっと手を挙げてもらって。
友谷さん。
いいんちゃいますか、理解しようとすること自体は。
本当に?
でも何よりに危険なのは、分かったってなるのが違うと思うんですけど、分かろうとするというのはすごくいいと思います。
よかった。
本はこういう本なんだよって言ってるのは、違うかなと思うけど、これは一体どういうことなんだろうって、やっぱり理解をしようとするのは、たぶん人間関係においてもそうやし、他者理解においてもそうやし。
でも、他者を分かったってなってしまうと、そこで理解が止まるんで。
なるほどね。
いいんちゃうかな、でも僕もその言ってたところが気になるから。
夫問題は先に夫からいってみようかな、どう思いました、夫。
友谷さんどうぞ。
僕、喋りすぎて申し訳ないんですよ。
全然大丈夫。
僕もね、夫は実在しないか、夫はかっこにいてたかもしれんけど、今はいない。
もう一つは、人形的に扱っているかなっていうふうに捉えた。
どっちにしても、さまみの中の心象止まりって感じなんですよ。
実際の夫がもしいてもいなくても、夫とやりとりしている時の夫の言葉って鍵かっこで出てこないじゃないですか。
そう、それ、鍵かっこで出てこない。
そう、で、仮に実在してても実在していなかったとしても、夫の言葉を自分に聞いてないというか、
自分の中で生み出してたり、自分の中で捕食してたりするから、自分だけの中のやりとりになっちゃってる感じはあったんですよ。
だから、夫がいてたとしても、夫とやりとり、正確にはできてないんちゃうかなっていうふうにちょっと捉えたというか。
あくまでもさまみの心象世界が中心に描かれて、その心象が現実世界に拡大していってるから努むとかが途中途中現れると思うんですけど、
だから夫がいなかったとしても、夫とのやりとりは成立するし、
夫がいてたとしても、夫の言葉そのものよりも受け取った自分の心象世界が中心になってしまってるんじゃないかなっていうふうにちょっと捉えたかな。
なるほどね。だからその夫がいるいないという議論というよりも、そのさまみの中での夫っていうことについて冨田さんは考えてたから。
そう。だからさまみの中で夫がいるということが重要であって、本当にいるかどうかっていうのはわからないっていうところがおついち。
なるほどね。なるほどね。確かに。あさりさんはどう思います?どういうふうに考えますか?
夫についてですか?
夫についてどうなの?っていう。でも冨田さんの意見はすごい面白いなと思う。
いるかいないかというよりさまみの心象の方にっていうのはね、確かにね、なるほどな。
なんか今、冨田さんのお話聞いてて、実際にいたとして、主人公が心象に移っている夫についての話だっておっしゃってたんですけど、
自分はそれってでも当たり前のことだなと思っていて、人って必ず誰かと話してるときとか対峙してるときに、その人そのものと対話って実はできてない気もしていて、
どうしても自分の心の中に移っている、自分のこと半分くらい自分の期待とかも含んで勝手に言葉を解釈したりとかして、相手のことを言葉を聞き受けたりすると思うんですよ。
その意味でそもそもこの小説って幻想小説なのかなっていうのもちょっと思ったりとかして、
自分が見てる世界とすごく似てるなって、世界の見方っていうか、同じだなって思って読みましたね。
自分が見てる世界と同じっていうのは、どういうことですか?
さっき最初にケロケロケロッピーの話をしたと思うんですけど、自分が令和になる日にケロケロケロッピーの服を着た女性を見たっていう、
そのだけの話なんですけど、自分にとってすごい小説的な世界と近いような不思議な体験だなっていうのをさっき話したんですけど、
不思議なのって自分にとってだけで、自分の心の中に移った時に自分の勝手に不思議な要素を受け加えたりとか、
そういうものを引っ張ってきているっていうのがあるなっていう。
この小説も、何を話そうとしたのかわからなくなっちゃいました。
じゃあ思い出したら。
はい。
なるほどね。
じゃあそんな感じで、美藤さんはどうですか?男性陣は結構そういう関連的な夫という関係性というか、私結構実情過ぎなのかな?
なんて言うんですか?いるの?いないの?どうなの?ってすごい気になっちゃうんだけど。
美藤さんはどうですか?どう思います?どういうふうに読んだ?
私は、それはいると思って読んでたんですよね。
いると思って読んでて、なおかつ、途中で多分さなみ自身も言っていると思うけど、
いるけどいないみたいな存在として、夫のことを認識している。だから誰でもいいみたいなことを言ってるじゃないですか。
夫っていう存在は本当に誰でもいいから、タイトルとか努めの存在みたいな感じ。
それがマネキンであったとしても仮に、多分あんまり気にならないみたいな。
違う事情とか、違う理由で夫という存在があるべきだから、一応置いているみたいな感覚で、
夫を認識している人なのかなって思いながら読んでいた部分があって、
いなかったのかもっていうのを、今皆さんで話して、
サリーさんが問題提起として言われたときに、ちょっとキョトンとしてしまったみたいなぐらい、
いるって思い込んで読んでしまっている自分とか、
今聞いた上でも、極端に言うと本当にどっちでもいいのかなみたいな。
存在として多分さなみにとっては。
っていうのは、一つこの話の中で一貫しているのかなみたいな。
だけど最後の最後の時に、完全に失ったみたいな描かれ方をしているのは、だから一体なぜなんだろうっていう。
必要だったのか必要じゃなかったのかもはっきりしない状態だったので、
そこの感覚がさなみにとって何だったんだろうっていうのは気になるし、
どこですごくさなみが、ここまで妄想と現実が崩壊し始めて、
全部がぐちゃぐちゃになり始めたかっていうのにもよるんだろうけど、
一応夫っぽい人が、あんなに大変なとこから逃げてきたのに、おかしいよ狂ってるよみたいなこと言ってるシーンとかあるじゃないですか。
だからやっぱり考え方によっては、過去にはいたけど、今はいないのかもしれないし、いるのかなって思いながら読んじゃった。
なるほどね。私ほどそんなにみんな夫がいるかいないか問題は、どっちでもいいんじゃないって感じなんだよね。
最初にガスの点検の人が来て、家に入ってきたら、夫が今リモート会議をしているのでそっちの部屋は?みたいなこと言ったじゃない。
でも夫のリモート会議の部屋に入ろうとした時に、いきなり秋田に帰ろうって決めて、その隙にバーっていなくなったじゃないですか。
あの行動が、自分が妄想夫みたいなのを家の中に飼ってるっていうか、その存在を、そんなのいないじゃんって現実に露呈されるっていうか、露見しちゃうのが、
自分がその妄想をしながら生きている、もう一つの現実みたいな、妄想の中で生きていることが、第三者にいなくないって言われちゃった時点で崩壊するっていうか、自分が守られている世界が。
だから夫の部屋に入る前にいなくなったっていうのは、夫の存在を作り上げることで、さなみは自分のこうだったらいいのにっていう幸せな妄想の中に留まっていたかったっていうことなのかなと思ったのよ。
あの人が来なかったら、天犬の人が来なかったら秋田にも戻ってないし、自分が夫と生活しているその妄想の中にまだ住み続けられたから。
だから、そういう自分の妄想としての装置みたいな、そういう存在として夫が必要だったのかもしれないっていうふうに思ったんですよ。どう?どう?考えすぎてる?
僕もそれは思って、そもそも家庭用安心交付っていうタイトルが、家庭用の安心交付。小さい子って安心するために物持ったりするじゃないですか。
で、僕、昔って衣食中が不安定だったときは、食べられない寝られないっていうのが不安だったと思うんですよね。
でも今っていうのは、だいたいそれが満たされて、社会保障もできてきて、仮に働けんかとしても生きていけるというものがあったときに、今の安心ってなんやってなったら、僕は何か心の預け先みたいな感じなんかなと思って。
で、そうなったときに、お父さんですよって、お父さんおらんくなってお母さんになじられながら育って、もうこれがお父さんやからって言って、巨像としてのお父さん、父という名前を与えれば父になるんだっていう感じ。
そこに一つの安心と言ったらおかしいんですけど、が生まれたと思ったんですよ。
で、そうなったときに、夫がいたかもしれないし、いなかったかもしれないんですけど、夫という名前をつけてしまえば夫が生まれるということになるんかなと思ってて。
で、それがたなみの安心につながってたんかなと思うんですよ。
で、今回交付を3つとも盗みに行くわけじゃないですか。
でも実際に盗んでお家に置くんだけど、それで家庭用の安心交付にするわけなんだけど。
安心って一つ怖いのが、安心してしまうと、
それが安心できるから外に出られるって言ったらおかしいんですけど、ないがしろに扱えると思ってて、普段あるものやから。
だから盗んできたくせに、つとも置いて出てくるじゃないですか。
で、そのときに、ちょっと言い方が難しいんですけど、家に帰ったらそれで夫はいなくなってたじゃないですか。
で、なんて言ったらいいんだなあ。
あれも二重で読めると思ってて、勝手にさなみが出てったから夫が出てってしまったっていうふうにも捉えられるし。
ある意味、安心交付というリアルを、今まで幻想で見てた、幻覚で見てたのがリアルで置いたときに、
それこそちょっとこの妄想と現実の忌み混じりの幅が少し狭まって、リアルが見えるようになってしまったというふうに捉えると、
この夫というものの存在が見えなくなったというふうにも捉えられるし。
あくまで本当にさなみの新小説からずっとやってくる小説なんだなっていう感じで、
僕自身も自分の大切な人とかを家庭用安心○○にしてないかなっていう逆説な怖さみたいなのがあったんです。
結局、俺が奥さんを傍に置いてるのって安心するためじゃないかとか。
安心すぎてちょっと人形的に扱ってないかとか、そういうふうに捉えてしまって。
でもある意味でも安心できる何かっていうのは、現代社会においては結構必要なんじゃないかっていう。
それがあるから、仮に幻だっても何か安心できる何かっていうのを作り出したりするんかなみたいなふうにちょっと考えた。
だからそのためには夫というものの存在がさなみの中の新小世界とこの小説には必要で、
この夫のいる・いないを描くことによって、さなみの新小世界の移り変わりも描いてるんかなというふうに捉えました。
なるほど。この家庭用安心交付って、これってツトムのことなの?
って僕思ってたんですけど。
家庭用安心交付。
最終的にこの名前は出てこないでしょ、小説に。家庭用安心交付っていう。
安心交付っていう名前も出てこないし、じゃあ家庭用の安心交付って何だったんだろうと思ったら、僕は多分ツトムだと思った。
一生ツトムが出てくるから、幻覚で。
なるほど。
家に持ち帰ったことで家庭用になったってこと?家庭の中で。
持ち帰ったのが家庭用安心交付なのか、幻覚でもいいからポンと置いておくのが家庭用安心交付なのかがわからないけど、
でも家庭用安心〇〇はもしかしたら誰にでもあるんじゃないかって思った。
なるほどね。
自分はツトムかなって最初今まで思ってたんですけど、小野谷さんの話聞いて、
夫っていうのが結構大事な存在っていう読み方ができるんだなっていうのを聞いて思った時に、
最後の方でツトムを盗むっていうか持ち出す時に、
ツトムの脇にいた、見たことあるような顔の人形が出てくると思うんですけど、
それがもしかしたら夫っていうか、家庭用安心交付なのかなっていう読み方もできるなってちょっと思いました。
まさにそれで、最終ページぐらいにも夫の顔がもう思い出せないみたいな感じだと思うんですけど、
それぐらい夫ってマジで何でもいいっていうか。
ツトムはツトムばっかり、父はツトムとしてこれだよってツトム見てたと思うけど、
その周辺にもいっぱいいろんな交付がいて、
もしかすると隣の交付とかは、その交付さんの顔は無意識にインプットされてて、
それを夫にあてがってたんかなと思ったりして、
この家庭用安心父じゃなくて交付なんは、本当に何でもいいんですよ。
誰でもいい、どの交付でさんでもいいっていうか。
だから、父がいれば安心ってわけでもないし、夫がいれば安心ってわけじゃなくて、
この顔がないみたいに想定に何か当てはめれればいいみたいな感覚があったかな。
なるほどね。父でも夫でも当てはまるってことだよね、ここの交付のところは。
要するに今さっき言ったみたいに、部下の顔が夫の顔だったわけじゃん。
部下の交付というか。
夫の顔とは語れてなかった気がするんですけど。
夫の顔っぽかったよね。
かもしれないって感じ。
かもしれないって言ってたのか。そっか。
そんな感じでしたっけ。
それであとちょっと、さっき言おうと思い出したんですけど、
自分は結婚してないので皆さんにお聞きしたいんですけど、
夫なり妻なりの顔って見えてるもんなんですかって思っちゃって。
意外とこういうふうにしか見えてないんじゃないかなって。
不安点検の人が来たときに、顔を合わせずに話しているかのような描写があったと思うんですけど、
あの感じの存在感に長く暮らした夫婦とかってなるんじゃないかな。
っていうのはちょっと推測で思ったんですけど、
サリーさんとかどうですか。
まさにこの表紙のままです。
まさにこの、うちの夫ですこれが。
友谷さんがさっき家庭用安心丸々だったんじゃないかって言ったじゃないですか。
まさにそうだなと思っちゃったな。
そうだから、誰でもちょっと人形的に扱ってるところがあるんじゃないか。
だからさっきアサリさんが、誰でも自分の心象でしか生きてないって話してて、
まさにその通りって僕は思ってるんですけど、
結局は人を傍に置くのもある程度自分の都合のいいというか、
安心できる人しか逆に言えば傍に置かないと思うんですね。逆に言ったらね。
不安な人とか危害を加える人は絶対傍に置かへんと思うし、
勤むなんて人形やったからなおさら自分の思うようにできる。
自分が安心できるようにできるっていうところがあるから、
顔も言葉も余計に聞かなくなっていくっていうところが、
見なくも聞かなくもなっていくっていうところが、
家庭用安心交付、家庭用安心○○につながっていくのかなっていう。
その辺を描きたかったのかなっていう感じは、
描きたかったというか、僕はそう受け取ったかなって。
確かに。三宅加穂さんが父の不在を描いた調節って言ってたんだけど、
さなみがここまで圧倒的に家庭用安心交付を求める背景に、
父親の圧倒的な不在というのがあるでしょ。
お母さんと二人でものすごい、お母さんがある意味ものすごい変な怪しい人だし、
例えばマインランドおさり沢に、このさなみが小学校の時に行ったら、
二組別の家族がいて、見てるんだけど、
お母さんは車の中で寝てたとか書いてあったりとか、
絵描いたりするのも卵の殻に描いてて、
とにかくちょっとお母さんいかれてるっていうか、
すごく子供ながらに片親で、しかも残っている母親がこんなだから、
お父さんを求める気持ちって、さなみの中にすごいあったと思うんだけど、
そこがコンプレックスっていうか、
父親がいないっていうことで、頼れるお母さんもこんなだし、
その時に父親があれだよって、ツトムのことを指ささえた時に、
それにすがるというか、
普通っていう言い方おかしいけど、
両親が揃ってて、お家にお父さんお母さんが相手にしてくれる、
自分を普通に愛している、
安心できるお父さんお母さん、
小学校の子供が安心できるお父さんとお母さんがいる家庭じゃないところで、
さなみが育っていることが、
そういうツトムを求める、
最後に老人出てくる、この老人っていうのがお父さんですよね。
数年間、お父さんが認知症だよね。
徘徊しているとか言っているから、
壮絶な認知症で、
ずっと長年お母さんと自分をほったらかしにしていなかったお父さんが戻ってきて、
介護させられているわけだよね。
それがものすごいつらいし、
私がずっと思い描いていた、
ツトムという存在に、
本当は現実はこうじゃないっていうか、
現実の父親を受け入れられないから、
ツトムに自分の父親という幻想をすがりついているっていうか、
そういう背景がすっごいあるんじゃないかと思ったのよ。
美兎さんあんま喋ってないんだけど、
美兎さんちょっと喋ってみます。
はい、ありがとうございます。
喋ろうと思ったことが、