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夫は本当にそこにいるの?|『家庭用安心坑夫』をめぐる妄想と現実のはざま
2026-05-09 1:40:09

夫は本当にそこにいるの?|『家庭用安心坑夫』をめぐる妄想と現実のはざま

📚今夜のアパート3号室は、
読書会企画の第7弾!
小砂川チト『家庭用安心坑夫』を、4人で語り合いました!

「作中の夫は実在する?それとも幻想?」という議論から始まり、物語の核となるマネキンの「ツトム」が象徴するものとは?と対話が広がっていきました。
3人称でありながら主観に浸食された独特の文体や、読み進めるほどに「足元が揺らぐ」ような不思議な感覚……。
読後、誰かと答え合わせをしたくなるこの作品の謎を、読書会の熱量そのままにお届けします。

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📖『家庭用安心坑夫』小砂川チト

夫との平穏にみえる家庭に漠然とした不安を抱えた専業主婦小波が、ある日、日本橋三越の柱に、幼いころ実家に貼ったはずのシールがあるのを見つけたところから物語は始まる。小波はいまも実在する廃坑テーマパークに置かれた、坑夫姿のマネキン人形があなたの父親だと母に言い聞かされ育つが、やがて東京で結婚した彼女の日常とその生活圏いたるところに、その父ツトムが姿を現すようになって……。
現実・日常と幻想・狂気が互いに浸蝕し合いながら、人間の根源的恐怖に迫っていく作品。想像力と自己対話によって状況を切り抜け成長していく主人公は不可思議で滑稽な言動と行動に及ぶが、それがかえって小説としての強度となり、ある種のユーモアを孕みながら読む者を惹き込み、我々を思ってもみなかったような想定外の領域へと運んでいく。
誌上発表後、新聞各紙絶賛、話題沸騰! 第167回芥川賞候補作となる。
第65回群像新人文学賞受賞!

https://www.amazon.co.jp/dp/4065288576

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サリーの感想の一人語りはこちら
🎧こんな小説読んだことない!!『家庭用安心坑夫』がおもしろすぎた!
https://stand.fm/episodes/69d653fd969b21b60c665f81

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感想

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サマリー

このエピソードでは、小砂川チト著『家庭用安心坑夫』をテーマにした読書会が開催されました。参加者たちは、主人公さなみの夫は実在するのか、それとも幻想なのかという疑問から議論を開始し、物語の中心的な存在であるマネキンの「ツトム」が象徴するものについて深く掘り下げました。独特な三人称でありながら主観に浸食される文体や、読者が「足元が揺らぐ」ような感覚に陥る点について、参加者それぞれの解釈が交わされました。夫の存在、ツトムの正体、そして作者が何を表現したかったのかという核心的な問いに対し、父の不在、コミュニケーションの欠如、そして「安心」という概念への希求といった様々な視点から考察が展開されました。作品の持つ「家庭」という概念へのこだわりや、登場人物たちのディスコミュニケーション、そして読者が「わけがわからない」と感じながらも惹きつけられる理由についても、熱量の高い議論が繰り広げられました。最終的には、この作品が現代社会における不安や、人が「安心」を求める心理を巧みに描いているという見解で締めくくられました。

読書会開始と作品紹介
はい、みなさんこんばんは。おしゃべりラジオ「アパート3号室の配信企画 オンライン読書会の夜のアパート3号室」今回は15夜ということで、小佐川千人さんの『家庭用安心坑夫』を課題本にして、読書会を開催したいと思います。よろしくお願いします。
今日は、私を含めて5名での参加を予定してるんですけど、お一人ちょっとまだ見えてないんですけど、まあちょっとね、時間なので始めつつおしゃべりしつつ待ってようかな。
まあ、やりましょう。ということで、今日はね。みなさんありがとうございます。『家庭用安心坑夫』嬉しい。課題本ね、ありがとうございます。こちらからお声掛けをした人もいると思うんですけど。
おもしろかったでしょ。
うなずいてる。よかった。
これ、私スタンドFMでなんでこれを読むに至ったかっていうのをちょっと話したんだけど、ちょっと重複してたらごめんなさいね。もう一回になっちゃうかもしれないんだけど。
三宅多保さんの、話が面白い人は何をどう読んでいるのかっていう新章の中に、シスターフットの潮流という章があって、そこでね、さらっとこの本について紹介されてたんですよ。
そのチラッと2、3行だったんだけど、すっごい興味を持って、読んでみたいなと思って読んだんですね。
私最初に読んだ時は図書館で借りてきたんで、この帯とか何にもない状態だったのね。もう何にも帯がなくて、この状態だったんだけど、買い直したんですよ。
そしたら、こういう帯がついてたのよ。これはイラストレーターの方なのかな。夏子さんという方のイラストの帯がついてるんだけど、見えます?これ。
もうね、これ壮大にネタバレしてるじゃないですか。これ絶対ない方が良くないと思って。
これツトムっていうのを頭の中で想像しながら読むのが面白いのに、この帯があると全然なんか面白さが半減しちゃうんじゃないでしょうかと思って。
1個帯目にするとこういうシンプルな帯が出てくるので、こっちの芥川賞候補作、こっちのシンプルなね、この群蔵新人文学賞受賞と芥川賞の候補作。
これで良かったんじゃないかな。ちょっとこのイラスト入りはちょっと私は過剰にどうでしょうかって思っちゃったんですけど、まあいいや。そんな感じでめちゃくちゃ面白かったですね。
で、1回読んだだけだと訳わかんないっていう感じで、ちょっとこの本誰かと喋りたいっていう気持ちになったんで、今回課題本に選ばせてもらって皆さんにちょっとどうだった?
一体これはどういうことっていうのをちょっとね、私の理解が及ばないところに皆さんのお考えを解釈をちょっと手伝ってもらいたい。ちょっとそういう感じの読書会になるかなと思っています。よろしくお願いします。
反送は一言で言うと面白かったですね。私はね、初読の時訳わかんない。さっき再読したら、いろんなことがこういうことかっていうのがちょっと見えてきたんで、その辺の考えも後で皆さんの感想を聞いた後に探っていけたらなと思います。
一言で言えば面白かった、ちょっと怖かったって感じかな。じゃあ一人ずつ、自己紹介って毎回してるけど、どうなの?別に名前と感想を言っちゃおうかなと思います。お名前と、なんでこの読書会に参加してくれたかということと、あと感想も言っちゃってもらおうかなと思います。
参加者の自己紹介と作品への第一印象
そんな感じで、じゃあ先に来ていただいてアサリさんからいいですかね。
アサリです。よろしくお願いします。
参加したきっかけは、この作品が公募になった芥川賞の時すごい、確か全員女性の作家の回で何作家読んでどれも面白かったなと思っていて、
この作品は特に結構自分に近いっていうか、けろけろけろっぴとか、マインランドおさり沢って自分小さい頃に何回も行ったことあって、
ツトムって出てきますけど、あれだなっていうか帯にさっき絵が載っちゃってたって言ってたんですけど、そのイメージが先にあって読んだ感じでした。
あとけろけろけろっぴなんですけど、タンリオのキャラクターの中で結構当時はすごい人気があったと思うんですけど、今このリバイバルみたいな中でかなり忘れられている存在な気もしたんですけど、
ちょっとこの小説の雰囲気と似たような夜を過ごしたことがあって、平成から令和に変わる平成31年の4月30日に好きなミュージシャンが出るクラブイベントに一人で行ったんですよ。
そのイベント深夜まで続いて、そのクラブで令和を迎えたんですけど、その時に自分は一人で行ったので壁に寄っかかってステージっていうかライブを見てたんですね。
その時に何個か前のバンドに出てたベーシストの人が自分の横に同じように壁に乗ったんですけど、その人は大学の時に話したことがない同級生だったんです。
で、その人と並んで特に話すこともなく、ステージに歌ってる女性がちょうどジャンパーみたいな着てたんですけど、それにデカデカとケロケロケロッピーがプリントされてて。
話したこともない大学の同級生と一緒にケロケロケロッピーを見つめながら、令和を迎えたっていうことがあったりとかして、なんかちょっと親近感を持つ本です。
感想、寝久しぶりに読み直した時に、全然本の内容と関係ないんですけど、ホントが結構気持ち悪いなって思ったんですよ。
ホント?
文字、書体って言うんですか?
一番最初の3ページの例えばですけど、ケロケロケロッピーっていう字、よく見て気持ち悪いなっていうか。
なんか、ピのところの先出しのところも短すぎないかとか。
ソとかも気持ち悪いって思って、だんだん平仮名が不気味に思えてきた。
ご覧者が全部こういうフォントなのかもしれないんですけど、そんな変なことを考えながら読み直しました。よろしくお願いします。
おもしろい。ありがとうございます。独特のケロッピー体験と、フォントを言われてみたら確かに、そういう風に言われると気持ち悪くなってくるっていう感じですけど。
おもしろい。ありがとうございます。マイナンドおさり沢に行ったことある人がいるとは思わなかったので、ちょっとびっくり。
また後でゆっくり話し聞かせてください。そんなあさりさんです。よろしくお願いします。
芥川賞候補作としての作品と文体の分析
じゃあ、ともやさんいいですかね。お願いします。
あ、すみません。声聞こえます?はい、すみません。えっと、ともやです。お願いします。
この本は、さりさんに勧められて読みました。
今でこそ、芥川賞候補作毎回全部読んで、受賞作を予想するっていう遊びをやってるんですけど、この頃はまだやってなくて。
それこそ、おいしいご飯が食べられませんようにが受賞した回の候補作なんですけど、こちらは。
おいしいご飯を読んで、芥川賞と面白いなと思って予想を開始したっていうところです。
芥川さんの本は、実は前にも猿の体感式っていう本が候補作になって、それも読ませてもらったんですけど、そちらも現実と妄想とが入り混じるような小説で、かなりユニークな書き方をされるなというふうに思っていました。
今回の本もそれに近い感じで、すごく面白い小説でした。
いろいろ話したいことあるんで、どこまで話したらいいかわからないけど、まずはやっぱり、そうですね、いろいろ話したいな。
なんか一番面白いなと思ったのは、三人称で書かれているけれど、さなみの心象が豊かに書かれすぎているっていうところが、この小説のユニークなところだと思っていて。
一人称であれば、私が語ることっていうのは、信頼性がおけないという形になって、ある程度自由に書かれると思うんですけども。
今回はさなみはっていう三人称で書きながらも、さなみが見えているであろうことが打列されていくっていう不思議な書き方で。
さなみの中にもしかすると一人称的なものがなくて、さなみ自身もくとむと一緒で、ちょっと人形的にさなみ自身を扱っているのかなっていうふうに、ちょっと捉えさせられるような書き方だなというふうに思いました。
結構読み解くと、いろんな工夫というかテクニックみたいなのが結構隠されてるんじゃないかなと思うんで、皆さんとお話しながら読み解いていきたいなというふうに思います。
では、お願いいたします。
ありがとうございます。
いやまさにそうなんですよ。その三人称、私もすごい気になってたのと、あとこの群蔵の新人文学賞の受賞の時に、誰か先行委員の人が批判してたみたい。
書き方がおかしいって、この心情の、ここまでさなみの心情を描いてるのに三人称なのおかしいって、これは一人称で書くべきだからありえないみたいな、これなんか一頭両断されてたんで、逆にそこが実は魅力だなと思ったんだけどね。
友谷さんもそういう不思議な感じでって言ってて、そこがそのテクニックとか工夫っていうふうに解釈できると、この作品の魅力につながるけど、ダメですっていうね、そういう人もいるっていうのがちょっと面白かったんで、ちょっとそこも後で話してみますかね。
面白い工夫とかテクニックというか、独特な手法がいろいろ散りばめられてたなと思うので、ありがとうございます。
作品の文体と読後感、芥川賞選考基準についての考察
じゃあミトンさんお願いします。食べ終わりましたご飯。
ミトンです。埼玉から参加してます。私はサリーさんが内容をちょっと紹介してたのを読んで気になるなと思って読んでみようと思って参加してます。
思ってたのとは全然結果違かったんですけど、内容が勝手に想像してたものとは。
私も今、友谷さんが言ってたみたいなその文体が、あれって感じですよね。進む中で、あれ三人称これでよかったっけみたいななんて言ったらいいんだろう。
それこそ妄想と現実がぐちゃぐちゃになっている感じに近いような感じで、あれ日本語の文体はこれでよかったっけみたいな感じの、なんかこう、そういう部分にすごいあれってずっと引きずられていくような感覚。
で、最後までそれが結局ずっと続いて、そのあれあれっていうやつが、そのあれあれのままに終わっていく感じがものすごい不思議なんだけど。
あれっていう感じに、なんかこう、不快感があったりとか、無理みたいな感じがあるわけじゃないのもすごく面白い感覚だなって思いながら読んでいたんですけれども。
で、なんかあの、なんだろう、すごくあの、主人公の方がそういう文体と同様にこういろんなものが解き合っておかしくなっていっている様が書かれてるはずなのに、なんていうかこう、変にドロドロしてたりとかいうこともなく、
こう、ちょっとこう、うまい表現は見つからないけど、こう、抗菌されてる状態みたいな、わかります?なんか抗菌、あの、これは抗菌済みですみたいな。
なんかそういう雰囲気があるのは、ツトムがもしかして、マネキンなせいなのかもしれないんですけど、なんかすごい、ちょっと味わったことのない不思議な感覚を終始味わわせられた気がします。
だけどなんかついていけない、ついていけてはいないんですよね。主人公の方の漢字、いる場所とかに。なんかそれがすごい不思議な感覚で読ませていただきました。
で、芥川賞ってこういう漢字なんかな、みたいなとか、どうなんだって思いながら読んでて、結果的に、別に芥川賞はこういう漢字じゃないよな、みたいな。
そう、ちょっとなんだろう、候補になる作品で、今どういう感じなんだろうっていうのは、ちょっと気になったりとかしました。はい、またなんか、おいおい皆さんの話に合わせて話したいと思います。お願いします。
ありがとうございます。
抗菌されてるって面白い、面白い感覚、そんなの考えなかった。どういう、確かに、不快感があるというわけじゃなく、ドロドロでもなく、抗菌されてる。何なんですかね、生々しさがないみたいなことなのかな。
ちょっとその辺面白いんで、後でまた話聞いてますかね。芥川賞ちょっと私も気になる。富谷さんその辺って聞いてみてもいいですか。芥川賞ってそもそもどういう賞に選ばれるものなんですか。
いや僕も正直そんな分かってないですけど、まあでも基本的には純文学って言われるジャンルに当たる賞で、結構その小説の種類は結構まちまちで、どっちかでこの千歳さん小説は珍しい方のタイプ、そういう妄想と現実が入り混じっての幻想小説チックなものっていうのは結構珍しい方かなというふうに思います。
小説を通して一貫した哲学みたいなものがあったり、例えば文芸ですね。文章で芸術的な文章であるかっていう、この2点は僕も読んでるときに結構重視していて。
芥川賞の選評とかを読むと、文章の芸術性と、あと必然性。その人が描きたかったテーマに対してその文体や構成や3人称1人称っていう語り手の選択というものがマッチしていたかみたいなところが結構重視されてるような気がします。
でも、以前おそらくなんですけど、前と比べて芸術性よりはどっちかという、そういう証言したいものに対する技術、技術というか文章がマッチしているかというところは結構重視されているような気がします。
この年っておいしいご飯が食べられますようにが取ったでしょ。それはやっぱり妥当というか、そうなのか、やっぱり表現したいものに対する。
妥当性はあったのかなって、僕もその時は候補作読んでないんでわからないんですけど、ある程度、現代の説法とか、視聴者が感じているもやもやした違和感みたいなものを、こんな違和感がありますって書くのではなくて、そういうものがあるよねみたいなものをこっそり読者に渡すみたいな感じができてるかって感じですかね。
なるほどね。
エンタメとかになるとこれがテーマですっていうのが多分前に出てもいいと思うんですけど、そのテーマさえも、著者と読者がたぶんすれ違っててもよくって、でもちゃんと受け取るものがあったりとか、それにある程度の自由度を持たせてるっていうのが多分大事なんかなっていう。
全く理解不能もあかんし、理解できすぎるのもあかんしっていう、このちょっと狭間がある感じですかね。
なるほどね。
絶妙なとこにスパンとはまんないと、受賞まで至らないんですね。
作品の核心的問い:夫の存在、ツトムの正体、作者の意図
そうそう、だから家庭を安心広報で言ったら何を表現したかったのかっていうのがまず議論にあって、それを表現するときに三人称で内面を描くということであったり、太もものことであったり、落ちまでであったり、そういうところが議論されて、今年の芥川賞はこれじゃないかって多分なるんちゃうかな。
すげー。
そういうのはすごい、僕も最近は5個か、大体工作5個読んだら、テーマ性と構成と文章の芸術性感をそれぞれ評価っていうか、いけてるかなっていうのを見て、全部点数にして、点数の高いやつが受賞するんじゃないかっていつも予想してるんですけど。
結構当たる?
うん。ちょっと当たってきた。
そうなんだ。じゃあ傾向が分かってきたとことか、こういうものが評価されるっていう。
そうですね。それはやっぱり自分の好きとまたちょっと違う評価の言い方になるんで、この小説好きやったなーっていう、俺は好きやなーっていうのと、こういうのが評価されるんちゃうかっていうのを2つの視点で読んでる感じかな。
なるほどね。ありがとうございます。
小川陽子さんと平野圭一郎さんは、高瀬潤子さんのやつも押してたけど、こっちを押してたみたいなことを書いてあったんじゃない?だから人によってね、今友谷さんが教えてくれたような基準みたいなのがきっとそれぞれ違うってことなのかな?
そうです。平野さんとか小川さんは意味のわかんない小説の方が好きなんですよ。
そうなんだ。
その、わけわからん、とっちらかってるように見える、一見とっちらかってるように見えるという小説だけど実はまとまっているという方が技術が高いっていう風に捉えはるんですよね。
へー。
一見意味わからんけど、作品としては成り立っているという、小説を評価する傾向にあるかな。
すごいね。成功因の傾向をもう掴んでるっていう。確かにそれは、小川陽子さんとかが好きってのはわかるよね、これが。
それがすぐわかった。
小川陽子さんはね、そもそも不気味な小説を書く方やから結構。
だからこれが、評価するっていうのは納得してて、2022年で一番良かったっていうのをこれって言ってて、アクター画書とか関係なく、その年に一番良かったのはこれって言ってたんで、すごいよくわかるなと思っていました。
ちょっとね、長々とアクター画書について話しましたけど、早速内容について話を入れていこうかなと思うけど、
私が聞きたいことはいろいろある。何を表現したかったのかっていうのはまずある。それはすごく大きい。
この作品の何を小沢さんが表現したかったのかってことと、あと私がミステリーっていうかわけわからないところは、夫がいるのかいないのかっていうことがわからなかったんですよね。
で、いろいろ書評とかね、いろいろな人のレビューとかを読むと、夫は実在していないっていう声がいっぱい見たのね。
私それ言われるまでわかんなかったんだけど、夫はこのさなみの幻想だっていう風に読むと、本当にそう読めるのよ。
あとはもう一個、3つぐらいある。何を表現したかったのかと、その夫は存在しているのかっていうことと、あともう一個は努むとは何だったのかっていう。
この3つがちょっと皆さんに聞いてみたいんだけど、でもこれってさっきの小川陽子さんじゃないけど、わけわかんないことを混沌としているまま、わけわかんないけどなんか面白いっていう方がこの作品の味わい方であって、
サリーさん、そうやってね、わけわかんないのを紐解いていくことが正解の読み方じゃないじゃないっていう意見もあるかなと思うわけ。
それも含めてどう感じるか、その辺ちょっと皆さんに聞いてみたいんだけど、わけわかんないと思ったら、その辺どうですか、ちょっと手を挙げてもらって。
夫の存在についての議論
友谷さん。
いいんちゃいますか、理解しようとすること自体は。
本当に?
でも何よりに危険なのは、分かったってなるのが違うと思うんですけど、分かろうとするというのはすごくいいと思います。
よかった。
本はこういう本なんだよって言ってるのは、違うかなと思うけど、これは一体どういうことなんだろうって、やっぱり理解をしようとするのは、たぶん人間関係においてもそうやし、他者理解においてもそうやし。
でも、他者を分かったってなってしまうと、そこで理解が止まるんで。
なるほどね。
いいんちゃうかな、でも僕もその言ってたところが気になるから。
夫問題は先に夫からいってみようかな、どう思いました、夫。
友谷さんどうぞ。
僕、喋りすぎて申し訳ないんですよ。
全然大丈夫。
僕もね、夫は実在しないか、夫はかっこにいてたかもしれんけど、今はいない。
もう一つは、人形的に扱っているかなっていうふうに捉えた。
どっちにしても、さまみの中の心象止まりって感じなんですよ。
実際の夫がもしいてもいなくても、夫とやりとりしている時の夫の言葉って鍵かっこで出てこないじゃないですか。
そう、それ、鍵かっこで出てこない。
そう、で、仮に実在してても実在していなかったとしても、夫の言葉を自分に聞いてないというか、
自分の中で生み出してたり、自分の中で捕食してたりするから、自分だけの中のやりとりになっちゃってる感じはあったんですよ。
だから、夫がいてたとしても、夫とやりとり、正確にはできてないんちゃうかなっていうふうにちょっと捉えたというか。
あくまでもさまみの心象世界が中心に描かれて、その心象が現実世界に拡大していってるから努むとかが途中途中現れると思うんですけど、
だから夫がいなかったとしても、夫とのやりとりは成立するし、
夫がいてたとしても、夫の言葉そのものよりも受け取った自分の心象世界が中心になってしまってるんじゃないかなっていうふうにちょっと捉えたかな。
なるほどね。だからその夫がいるいないという議論というよりも、そのさまみの中での夫っていうことについて冨田さんは考えてたから。
そう。だからさまみの中で夫がいるということが重要であって、本当にいるかどうかっていうのはわからないっていうところがおついち。
なるほどね。なるほどね。確かに。あさりさんはどう思います?どういうふうに考えますか?
夫についてですか?
夫についてどうなの?っていう。でも冨田さんの意見はすごい面白いなと思う。
いるかいないかというよりさまみの心象の方にっていうのはね、確かにね、なるほどな。
なんか今、冨田さんのお話聞いてて、実際にいたとして、主人公が心象に移っている夫についての話だっておっしゃってたんですけど、
自分はそれってでも当たり前のことだなと思っていて、人って必ず誰かと話してるときとか対峙してるときに、その人そのものと対話って実はできてない気もしていて、
どうしても自分の心の中に移っている、自分のこと半分くらい自分の期待とかも含んで勝手に言葉を解釈したりとかして、相手のことを言葉を聞き受けたりすると思うんですよ。
その意味でそもそもこの小説って幻想小説なのかなっていうのもちょっと思ったりとかして、
自分が見てる世界とすごく似てるなって、世界の見方っていうか、同じだなって思って読みましたね。
自分が見てる世界と同じっていうのは、どういうことですか?
さっき最初にケロケロケロッピーの話をしたと思うんですけど、自分が令和になる日にケロケロケロッピーの服を着た女性を見たっていう、
そのだけの話なんですけど、自分にとってすごい小説的な世界と近いような不思議な体験だなっていうのをさっき話したんですけど、
不思議なのって自分にとってだけで、自分の心の中に移った時に自分の勝手に不思議な要素を受け加えたりとか、
そういうものを引っ張ってきているっていうのがあるなっていう。
この小説も、何を話そうとしたのかわからなくなっちゃいました。
じゃあ思い出したら。
はい。
なるほどね。
じゃあそんな感じで、美藤さんはどうですか?男性陣は結構そういう関連的な夫という関係性というか、私結構実情過ぎなのかな?
「家庭用安心坑夫」というタイトルと「安心」の概念
なんて言うんですか?いるの?いないの?どうなの?ってすごい気になっちゃうんだけど。
美藤さんはどうですか?どう思います?どういうふうに読んだ?
私は、それはいると思って読んでたんですよね。
いると思って読んでて、なおかつ、途中で多分さなみ自身も言っていると思うけど、
いるけどいないみたいな存在として、夫のことを認識している。だから誰でもいいみたいなことを言ってるじゃないですか。
夫っていう存在は本当に誰でもいいから、タイトルとか努めの存在みたいな感じ。
それがマネキンであったとしても仮に、多分あんまり気にならないみたいな。
違う事情とか、違う理由で夫という存在があるべきだから、一応置いているみたいな感覚で、
夫を認識している人なのかなって思いながら読んでいた部分があって、
いなかったのかもっていうのを、今皆さんで話して、
サリーさんが問題提起として言われたときに、ちょっとキョトンとしてしまったみたいなぐらい、
いるって思い込んで読んでしまっている自分とか、
今聞いた上でも、極端に言うと本当にどっちでもいいのかなみたいな。
存在として多分さなみにとっては。
っていうのは、一つこの話の中で一貫しているのかなみたいな。
だけど最後の最後の時に、完全に失ったみたいな描かれ方をしているのは、だから一体なぜなんだろうっていう。
必要だったのか必要じゃなかったのかもはっきりしない状態だったので、
そこの感覚がさなみにとって何だったんだろうっていうのは気になるし、
どこですごくさなみが、ここまで妄想と現実が崩壊し始めて、
全部がぐちゃぐちゃになり始めたかっていうのにもよるんだろうけど、
一応夫っぽい人が、あんなに大変なとこから逃げてきたのに、おかしいよ狂ってるよみたいなこと言ってるシーンとかあるじゃないですか。
だからやっぱり考え方によっては、過去にはいたけど、今はいないのかもしれないし、いるのかなって思いながら読んじゃった。
なるほどね。私ほどそんなにみんな夫がいるかいないか問題は、どっちでもいいんじゃないって感じなんだよね。
最初にガスの点検の人が来て、家に入ってきたら、夫が今リモート会議をしているのでそっちの部屋は?みたいなこと言ったじゃない。
でも夫のリモート会議の部屋に入ろうとした時に、いきなり秋田に帰ろうって決めて、その隙にバーっていなくなったじゃないですか。
あの行動が、自分が妄想夫みたいなのを家の中に飼ってるっていうか、その存在を、そんなのいないじゃんって現実に露呈されるっていうか、露見しちゃうのが、
自分がその妄想をしながら生きている、もう一つの現実みたいな、妄想の中で生きていることが、第三者にいなくないって言われちゃった時点で崩壊するっていうか、自分が守られている世界が。
だから夫の部屋に入る前にいなくなったっていうのは、夫の存在を作り上げることで、さなみは自分のこうだったらいいのにっていう幸せな妄想の中に留まっていたかったっていうことなのかなと思ったのよ。
あの人が来なかったら、天犬の人が来なかったら秋田にも戻ってないし、自分が夫と生活しているその妄想の中にまだ住み続けられたから。
だから、そういう自分の妄想としての装置みたいな、そういう存在として夫が必要だったのかもしれないっていうふうに思ったんですよ。どう?どう?考えすぎてる?
僕もそれは思って、そもそも家庭用安心交付っていうタイトルが、家庭用の安心交付。小さい子って安心するために物持ったりするじゃないですか。
で、僕、昔って衣食中が不安定だったときは、食べられない寝られないっていうのが不安だったと思うんですよね。
でも今っていうのは、だいたいそれが満たされて、社会保障もできてきて、仮に働けんかとしても生きていけるというものがあったときに、今の安心ってなんやってなったら、僕は何か心の預け先みたいな感じなんかなと思って。
で、そうなったときに、お父さんですよって、お父さんおらんくなってお母さんになじられながら育って、もうこれがお父さんやからって言って、巨像としてのお父さん、父という名前を与えれば父になるんだっていう感じ。
そこに一つの安心と言ったらおかしいんですけど、が生まれたと思ったんですよ。
で、そうなったときに、夫がいたかもしれないし、いなかったかもしれないんですけど、夫という名前をつけてしまえば夫が生まれるということになるんかなと思ってて。
で、それがたなみの安心につながってたんかなと思うんですよ。
で、今回交付を3つとも盗みに行くわけじゃないですか。
でも実際に盗んでお家に置くんだけど、それで家庭用の安心交付にするわけなんだけど。
安心って一つ怖いのが、安心してしまうと、
それが安心できるから外に出られるって言ったらおかしいんですけど、ないがしろに扱えると思ってて、普段あるものやから。
だから盗んできたくせに、つとも置いて出てくるじゃないですか。
で、そのときに、ちょっと言い方が難しいんですけど、家に帰ったらそれで夫はいなくなってたじゃないですか。
で、なんて言ったらいいんだなあ。
あれも二重で読めると思ってて、勝手にさなみが出てったから夫が出てってしまったっていうふうにも捉えられるし。
ある意味、安心交付というリアルを、今まで幻想で見てた、幻覚で見てたのがリアルで置いたときに、
それこそちょっとこの妄想と現実の忌み混じりの幅が少し狭まって、リアルが見えるようになってしまったというふうに捉えると、
この夫というものの存在が見えなくなったというふうにも捉えられるし。
あくまで本当にさなみの新小説からずっとやってくる小説なんだなっていう感じで、
僕自身も自分の大切な人とかを家庭用安心○○にしてないかなっていう逆説な怖さみたいなのがあったんです。
結局、俺が奥さんを傍に置いてるのって安心するためじゃないかとか。
安心すぎてちょっと人形的に扱ってないかとか、そういうふうに捉えてしまって。
でもある意味でも安心できる何かっていうのは、現代社会においては結構必要なんじゃないかっていう。
それがあるから、仮に幻だっても何か安心できる何かっていうのを作り出したりするんかなみたいなふうにちょっと考えた。
だからそのためには夫というものの存在がさなみの中の新小世界とこの小説には必要で、
この夫のいる・いないを描くことによって、さなみの新小世界の移り変わりも描いてるんかなというふうに捉えました。
なるほど。この家庭用安心交付って、これってツトムのことなの?
って僕思ってたんですけど。
家庭用安心交付。
最終的にこの名前は出てこないでしょ、小説に。家庭用安心交付っていう。
安心交付っていう名前も出てこないし、じゃあ家庭用の安心交付って何だったんだろうと思ったら、僕は多分ツトムだと思った。
一生ツトムが出てくるから、幻覚で。
なるほど。
家に持ち帰ったことで家庭用になったってこと?家庭の中で。
持ち帰ったのが家庭用安心交付なのか、幻覚でもいいからポンと置いておくのが家庭用安心交付なのかがわからないけど、
でも家庭用安心〇〇はもしかしたら誰にでもあるんじゃないかって思った。
なるほどね。
父の不在とツトムへの希求
自分はツトムかなって最初今まで思ってたんですけど、小野谷さんの話聞いて、
夫っていうのが結構大事な存在っていう読み方ができるんだなっていうのを聞いて思った時に、
最後の方でツトムを盗むっていうか持ち出す時に、
ツトムの脇にいた、見たことあるような顔の人形が出てくると思うんですけど、
それがもしかしたら夫っていうか、家庭用安心交付なのかなっていう読み方もできるなってちょっと思いました。
まさにそれで、最終ページぐらいにも夫の顔がもう思い出せないみたいな感じだと思うんですけど、
それぐらい夫ってマジで何でもいいっていうか。
ツトムはツトムばっかり、父はツトムとしてこれだよってツトム見てたと思うけど、
その周辺にもいっぱいいろんな交付がいて、
もしかすると隣の交付とかは、その交付さんの顔は無意識にインプットされてて、
それを夫にあてがってたんかなと思ったりして、
この家庭用安心父じゃなくて交付なんは、本当に何でもいいんですよ。
誰でもいい、どの交付でさんでもいいっていうか。
だから、父がいれば安心ってわけでもないし、夫がいれば安心ってわけじゃなくて、
この顔がないみたいに想定に何か当てはめれればいいみたいな感覚があったかな。
なるほどね。父でも夫でも当てはまるってことだよね、ここの交付のところは。
要するに今さっき言ったみたいに、部下の顔が夫の顔だったわけじゃん。
部下の交付というか。
夫の顔とは語れてなかった気がするんですけど。
夫の顔っぽかったよね。
かもしれないって感じ。
かもしれないって言ってたのか。そっか。
そんな感じでしたっけ。
それであとちょっと、さっき言おうと思い出したんですけど、
自分は結婚してないので皆さんにお聞きしたいんですけど、
夫なり妻なりの顔って見えてるもんなんですかって思っちゃって。
意外とこういうふうにしか見えてないんじゃないかなって。
不安点検の人が来たときに、顔を合わせずに話しているかのような描写があったと思うんですけど、
あの感じの存在感に長く暮らした夫婦とかってなるんじゃないかな。
っていうのはちょっと推測で思ったんですけど、
サリーさんとかどうですか。
まさにこの表紙のままです。
まさにこの、うちの夫ですこれが。
友谷さんがさっき家庭用安心丸々だったんじゃないかって言ったじゃないですか。
まさにそうだなと思っちゃったな。
そうだから、誰でもちょっと人形的に扱ってるところがあるんじゃないか。
だからさっきアサリさんが、誰でも自分の心象でしか生きてないって話してて、
まさにその通りって僕は思ってるんですけど、
結局は人を傍に置くのもある程度自分の都合のいいというか、
安心できる人しか逆に言えば傍に置かないと思うんですね。逆に言ったらね。
不安な人とか危害を加える人は絶対傍に置かへんと思うし、
勤むなんて人形やったからなおさら自分の思うようにできる。
自分が安心できるようにできるっていうところがあるから、
顔も言葉も余計に聞かなくなっていくっていうところが、
見なくも聞かなくもなっていくっていうところが、
家庭用安心交付、家庭用安心○○につながっていくのかなっていう。
その辺を描きたかったのかなっていう感じは、
描きたかったというか、僕はそう受け取ったかなって。
確かに。三宅加穂さんが父の不在を描いた調節って言ってたんだけど、
さなみがここまで圧倒的に家庭用安心交付を求める背景に、
父親の圧倒的な不在というのがあるでしょ。
お母さんと二人でものすごい、お母さんがある意味ものすごい変な怪しい人だし、
例えばマインランドおさり沢に、このさなみが小学校の時に行ったら、
二組別の家族がいて、見てるんだけど、
お母さんは車の中で寝てたとか書いてあったりとか、
絵描いたりするのも卵の殻に描いてて、
とにかくちょっとお母さんいかれてるっていうか、
すごく子供ながらに片親で、しかも残っている母親がこんなだから、
お父さんを求める気持ちって、さなみの中にすごいあったと思うんだけど、
そこがコンプレックスっていうか、
父親がいないっていうことで、頼れるお母さんもこんなだし、
その時に父親があれだよって、ツトムのことを指ささえた時に、
それにすがるというか、
普通っていう言い方おかしいけど、
両親が揃ってて、お家にお父さんお母さんが相手にしてくれる、
自分を普通に愛している、
安心できるお父さんお母さん、
小学校の子供が安心できるお父さんとお母さんがいる家庭じゃないところで、
さなみが育っていることが、
そういうツトムを求める、
最後に老人出てくる、この老人っていうのがお父さんですよね。
数年間、お父さんが認知症だよね。
徘徊しているとか言っているから、
壮絶な認知症で、
ずっと長年お母さんと自分をほったらかしにしていなかったお父さんが戻ってきて、
介護させられているわけだよね。
それがものすごいつらいし、
私がずっと思い描いていた、
ツトムという存在に、
本当は現実はこうじゃないっていうか、
現実の父親を受け入れられないから、
ツトムに自分の父親という幻想をすがりついているっていうか、
そういう背景がすっごいあるんじゃないかと思ったのよ。
美兎さんあんま喋ってないんだけど、
美兎さんちょっと喋ってみます。
はい、ありがとうございます。
喋ろうと思ったことが、
コミュニケーションの欠如と「ツトム」の意味
ちょっと結構流れちゃって分からなくなってきた。
ごめんねーなとこで言っちゃったもんだから。
いろいろみんなの話を聞いてて、
面白いな、そうなんだなとかいろいろ思って聞いてて、
どこからさせればいいかな。
父親をなんでこんなに、
ツトムとは何だったのかでもいいですよ。
夫もツトムも似たようなことなんだよね、きっとね。
私の読み方が、
深読みしてない部分っていうので、
言えると、
ツトムっていうのは結局いなくなって、
要は多分、最初からいたのか分からないし、
逃げられたのかどっちか分からないんですけど、
最後に介護してたお父さんっていうのは、
ほぼ一切関わってない状態で、
美兎さん育ってると思うんだけど、
その1個の役割としてのツトム、
いないとは言えないお母さんの意地、
ツトムをお父さんであると言い切るみたいな。
お母さんがいつからいう、
ちょっと狂気じみた感じなのか分からないけど、
さなみちゃん自身も言ってるみたいに、
コミュニケーションが多分ほぼないみたいな。
真っ当なコミュニケーションが母親ともない、
父親ともコミュニケーション取れないっていう、
ほぼほぼコミュニケーションが、
脱っていうより、無コミュニケーションみたいな状態で、
きっと育ってきた感じなんだろうなーっていう。
その中で夫もおそらく、
どうコミュニケーション取ったら分からなくて、
自主的に何かを選ぶことがなかったって言ってるぐらい、
多分一つのコミュニケーションっていうものに対して、
知識もなければどういうふうに自分の中で、
そういうものをこなしていいか分からないっていうような、
状態の主人公の、
ものすごく全部自分の中だけで、
一応終わってしまうじゃないけど、
コミュニケーションがないので、あらゆるところで。
っていうのがものすごく不思議な形だけど、
いわゆる、今言われてるような、
親子関係がうまくいってない状態であったりとか、
そういうことから発する、
ちょっと偏ってしまった人生であったりとか、
その人の状態だったりとかが、
絶妙な感じで描かれてるんだな、みたいに捉えていて、
なので勤むっていうのも本当に、
なくてはならないけどないから、これにしますっていう。
それはもう友谷さんたちがおっしゃってたみたいな、
これがお父さんなんだからっていうことで、
一つ据えれば、安心に本当にできるのって思うけど、
そういう形でのお父さんが、マネキンズだったんだなって、
思って読んでました、私は。
だから夫がいる、いないっていうことが、
「安心交付」と「安心毛布」、そして「父」の不在
どうでもいいっていうことではなくて、
夫の存在そのものもそうなってしまっている、
その状態の怖さとか不安定さが、
本来あるはずなのに、
そこと真っ当に向き合うことなく、
たぶん過ごしてきた幼みの人生がここまで来たっていう、
そこの、
そこから目を背けて、目を背けていって、
普通だったら断ってもいいじゃないですか。
家にいなかったお父さんが、たぶん捨てられたんでしょうね。
完全にもう認知症とかなって。
そっちで、みたいな。
夫、等々しい人にも言われているみたいに、
あんなのやらなくてもよかったのに、なんでやったの、みたいな。
でもやっぱりお父さんというものに対する何か、
強い欲しかった気持ちがあったから、
その時のお父さんがまた認知症が進みすぎて、
たぶんもう全然コミュニケーションが取れない状態だったんじゃないかなって思うんだけど、
そういうことの連続の中での、
マネキンの存在。
マネキンは物も言わなければ、コミュニケーションを取る必要もないので、
そりゃ安心交付ですよね、みたいな。
だけで、一応存在としてはいるっていうことがたぶん安心なんだと思うから、
そういう名前はつけてるけど、
それは本当のお父さんではないわけで、本当は。
っていう、なんかこう、絶妙な、そういう祖母みたいな感じが、
面白い感じで描かれてる小説だなーって思った。
うーん。
うまく全然喋れてないんだけど。
いやいや、全然大丈夫。
うまく、なんとなく。
安心交付っていう言い方が、
スヌーピーのライナスっていうキャラクターが、
安心防護っていうのを持ってるんですよね。
安心防護と安心交付をかけてるんじゃないかっていう、
そういうレビューを見て、
なるほどなーって思って、
さっき友田さんが言ったじゃない、
子供が安心するために何かを持っているとかっていう話。
だから、そういうのもあるよね、きっとね、って話聞いてて。
安心するために持っておきたいもの、
それをストムというマネキン人形をお父さんだよって、
することで、
安心毛布みたいなこと。
友田さん何か言ったでしょ。
いやなんかね、安心って、
なんか、親からもらうものなのかね、
どうなんすかねっていうのを、
みたいなもので、
なんか、
幼少、父さん、お父さんもなくなって、
お母さんあんな感じだから、
安心できる環境じゃなかったと思うんですけど、
なんて言ったらいいんだろう。
それがないままに育つ。
最初の安心っていうのは、やっぱり両親から得るんかなーって。
どうなんですかっていう。
それも分かんないけど、
でもさ、あんた誰?とか急に言ったりするじゃん。
お母さんが。
あんた誰だっけ。
なんか言うね、娘に。
そんなことさ、
言うようなお母さんって、
なんかもう、安心を親からもらうとかもらわないとかいう、
不安しかもらわないっていうかさ。
そうそう、だから不安しかないから、
安心はどこかで作るしかないのかなって、
みともさんの話も聞いてて思って。
なるほど。
僕はどっちかというと、
安心○○の方に結構意識が寄ってたけど、
確かに不正の具材が起点だったとすると、
そもそもじゃあ、
さっき安心できる何かが必要なんじゃないかって言ったけど、
仮に幼少期に安心をもらえてたら、
そこまで強烈に欲するってことはないんかなどうかなっていう風にちょっと思って、
だから今回そんだけ強烈に安心交付を求めたのは、
のスタートが、
父の不在とか母からの心ない言葉がスタートだったとすると、
むしろ不安が規定になってしまって、
その反対として安心を擦るっていうのを擦り続けるっていうのは、
なんとなくそうなのかもなって、
みともさんの話を聞いて思ったかな。
もう一個気になるのが、
リアルツトムパートと小説の構造
リアルツトムっていうか、
交付としてのツトムの総和が入れられるんですか。
だからそっちは本当に、
人間たちの営みっていう感じで描かれてるじゃないですか。
そこに対してのさまみの描かれ方みたいなのは、
みなさんはリアルツトムの章とか、
ポンポン挿入される、
あれはどのように捉えて読まれたのかなっていうのはちょっと気になるなって。
リアルスタイルで交付のツトムがなくなってしまった。
マネキンのモデルってことですよね。
私ここわかんなかった。
なんかよくわかんなかった。
そのつながりが。
あさひさんとかどういうふうに感じましたか。
リアルツトムのところ。
ツルハシのマークが挟まって、
そこからツトムの章というか、
パートになるじゃない。
確かにこの挟み方独特よね。
どう思いました。
どう思ったか。
ほっこりして読むんですけど。
犬とか出てきたりとか。
読んだんですけど。
あとなんか、
そのリアルツトムっていう人は、
オサリータはツトムでもないんですよね。
オサリータはツトムであり得た誰かの物語。
もうここにはいない誰かの物語。
そういうことだと思ったんですけど。
おそらくこの小説の世界線上では、
今現実に起きている、
出てくる人たちよりも、
すごい輪郭がしっかりしていて、
ミトンさんおっしゃるように、
すごい人間的な書かれ方というかしている。
それによってその、
なんて言うんでしょうか。
リアルじゃないツトムの世界というか、
主人公が出てくるほうの、
現実世界的なところの、
おかしさが際立つような感じもするけど、
するなと思ったんですけど。
なんかちょっと皆さんと話しているうちに、
この小説のテクニカルな部分が、
すごい入り組んで作られてるんだなって思って。
最初、友谷さんが話された認証が、
一認証じゃないけれども、
三認証のような書かれ方をしているけれども、
いわゆる信じられない語り手というか、
信頼できない語り手っていう手法、
みたいになってるとか、
あとマジックリアリズムとかって言われるような、
雰囲気も醸し出しつつ、
その後、小説を入れ子状にしていきながら、
それぞれに対比を出していく手法とか、
なんかすごいいろいろ考えて作ってるんだろうなとか、
さっきのタイトルも、
この方心理学を勉強されてるって後があったのと、
後ろに書いてあったから、
たりさんがおっしゃる通り、
ライナスのノークとかっていうのが、
頭にあったんだろうなって思ったりとかもしたんですけど、
何て言うんだろうな、
それだけじゃないところがあるなと思ってて、
そういうふうに多分、
推行する過程で、
かなり手を入れて、
すごい精緻な形には仕上がってるんだけど、
最初に出てきたときに、
すでに何かわけのわからぬ、
オーラを纏っているものが出てきてたんだろうな、
と思ったりとかもしました。
全然違う話になっちゃった。
夫の不在と「ツトム」パートの解釈
なるほど。
最初に出てきたときに、
全然違うオーラっていうのは何の話?
例えば、
さりぃさんもラジオでおっしゃってたと思うんだけど、
一番最初の語り出しがすごいじゃないですか。
日本橋三越の大石で出た、
あちらの上にケロケロの汁が一番思い出したように貼ってあるっていう、
そこでグワって小説世界に引き込まれていくわけなんですけど、
このケロケロが小説の構造として見れば、
小説世界に引き込むという役割もあるし、
これから起きる不思議な出来事の伏線というか、
そういった機能も持っているし、
一所々で何回か出てきたりとかするんですけど、
そういったものを小説の最初に書こうと思って出てきたんじゃなくて、
多分この文章を思いついちゃったんだろうなと思って読んでいて、
そういうことがいつもわけわかんない。
さっきの三藤さんの問いでいうところの、
要するにいろんなテクニックとして、
しとむパートがあったり、さなみパートがあったり、
テクニックはあるけど、まとまりないんだけど、
そういう、どういうこと?
さっきの質問に答えてる?
私もまとめようと思ったけどまとめなくなっちゃった。
だから、どんな意味があるの?
の論になっちゃうんですけど、
この小説がこのシーンを引っ張ってきたとしか思えないかなっていう。
なるほどね。
そのさなみパートだけだと成立しない気がしていて。
確かにね。
富屋さんどうですか?
あさひさんもちょっと喋って。
あと、さっき夫がいるかいないのか問題のときにもちょっと思いついたんですけど、
いるふうにも読めるし、いないふうに読めるって、
小説の広さが少し広くなってる。
いるよって書かれてる小説、いないよって書かれてる小説よりも、
いるかもしれないし、いないかもしれないって書かれ方すると、
どっちでも読めるように、ちょっと小説の世界が広がっているなっていうのはちょっと思ったんですけど、
努むパートで具体的な人がいろいろ出てきたりとか、
その人たちも、
いくの人たちっていうか、
おさりたは努むっていう名で呼ばれる、
多くの人がいるっていうことを暗示する層話だと思って、
小説の中に、
実際に出てくるキャラクターは少ないんですけど、
いろんな人の声が響いてるような、
そういう印象を、
努むパートから感じたっていうか、
マインランドおさり沢にある、
すごいいっぱいあるマネキン人形の背景にも、
実は同じ株の人がいて、
その人たちの人生があったっていうようなものが、
むしろ努むっていう人、
リアル努むの、
小さな人生の物語から浮かび上がってくるなと思って、
これでいいんでしょうか。
確かに確かに。
ありがとうございます。
OKしてる。
友田さん、何か言いたい?
特にない。
むずいなと思って。
努むパートね、
僕、かなりうがった見方してて、
これもなんか、わからん。
妄想というか、
なんつったんかな。
そこまでうがったらあかんなと思うんですけど、
なんつったんかな。
その文字でさえも、
つともがいたかのようにするなっていう、
なんつったんかな。
怖くなってきちゃって。
夫がいないもそうやし、
つとももただの人形なんてそうやし、
お父さんも最終的に最後の辺で思い出すんかみたいな感じもそうやし、
花見の心象に晒されすぎて、
つともとアドも、
書かれたらつともがいたかのように感じるんだが、
それは書かれているからそう感じるだけで、
ごらんやんって思っちゃうっていうか、
なんつったんかな。
小説自体は否定することもあるんですけど、
小説って全部そうやと思うんですよね。
わかるわかる。
書かれたことを想像したり感じれたりするってことが、
そもそも不思議ですって思うんですけど、
このつとむパートでさえも、
これは想像やんって思っちゃったっていうか、
確かに。
そこにもリアリティを持たせようと思ったらできるなっていう、
逆の感じを思ってしまって、
なるほど。
ただ行動を掘っていくっていうことの、
過去の不安さっていうものと、
現代の不安さっていうものを対比として、
こう書いているのかなと思うところもあったし、
やっぱり絶妙に描き分けというか、
書き分けされていましたが、
小沢梨沢つとむパートの始まりも、
僕だからなんで想像っていうか、
なんでも言えるやんと思っちゃったんが、
小沢梨沢つとむとは、
ジョン・ルーであり山田太郎でありみたいな、
書き方から始まるんですよ。
それも3人称でありつつ、
誰が喋ってんねんっていう感じの始まり方して、
結局誰でもない人の物語が、
今から始まりますよみたいな、
書き方やからこそ、
これって別に誰でも言えるやんみたいな。
もしかすると、
誰だっけ、
サナミがね、
仮に言うけど、
サナミが物語をつけることにできるし、
物語って怖って思って、
コストマって怖いなって思って。
だから全部信頼できないってことでしょ。
そう思ったら、
さっきおさりさんも言ってましたけど、
僕たちこうやって読んでったときに、
何かを自分の都合の良いように見たり、
物語を実在するように感じたりするっていうので、
そもそも自分たちの人生自体が、
現実と妄想が入り混じった行動なんだなと思って、
それをただただ前に、
前に放っていってるか分からないけど、
そうやってやってるんだなみたいな風に
ちょっと捉えちゃったところはあって、
人のパートって何やったんやろって、
僕もちょっと思うんですよ。
確かに。
なるほどね。
すっごいよく分かるな。
本当に信頼できないから、
ここも信頼できないし、
視点がどんどん上にいっちゃうって感じでしょ。
自分の人生そのものも俯瞰して。
そうそう。
だから僕はさなみが、
もしかするとさなみの一人称の物語なのかもしれない
って思ってるんですよ。
芥川賞候補作の評価基準と『家庭用安心坑夫』の位置づけ
それはさなみが自分のことを語るときも、
さなみというものを上から見てる気がしてて、
なるほど。
自分自身をね。
私はっていうこの目で見る一人称で語れるんじゃなくて、
私自身も何か一つ空っぽの人形みたいな感じで
唯一操れる人形として扱う、
さなみがさなみ自身のことを語るから、
三人称だけど一人称っぽい語りになってるんかなっていう風に
なるほどね。
ちょっと捉えてるんで。
なるほどね。
だからお座り座はつともが山田太郎であり何やり何やりって
始まった瞬間に、
これは何か偽物の物語が始まるんだなっていう感じが
ちょっとしてたんですよね。
確かにね。
すごいよくわかるんだけど、
美藤さんがさっき言ったのはお座り座のパートは
ものすごい人間の生活が描かれてるじゃん。
ビタワンっていう具体的なペットの餌の名前が出てきたりとか、
お弁当にカツをぶしかけてお醤油をかけてとか、
卵焼きを。
すごくさなみパートより、
生活の細部がすごい描かれてて、
リアルな生々しい。
血が通ってる感じがするじゃない。
こっちは。
その血が通ってる感じがリアルで対比させる。
思い切り今友谷さんの言ったように。
確かに誰でもいいなら、
これすらすごく解像度の高い妄想かもしれないってことですよね。
ひどいけどね。
うがった見方すればっていう感じなんですけど。
美藤さんどうぞ。
美藤さんどうぞどうぞ。
面白いんだけど、
面白いなって聞いてたんだけど、
全部妄想っぽいのに、
あさりさん何度も言ったことがある。
自在するわけじゃないですか。
それ自体は。
確かに。
これがすごい面白い。
本当に圧倒的にちゃんとあるものだからそれは。
誰がなんて言っても。
そこで勝手に妄想世界も繰り広げられてるわけだし、
さなみたちの生活は、
一応固有名詞もしっかりした固有名詞もあったりとかして、
現実のものとして描かれてるのに、
私がさっき黄巾とか言っちゃったけど、
無機質なんですよ言っちゃうと多分。
リアルツトムの方は、
みんなの代表のツトムみたいに、
本当はツトムじゃないかもしれないツトムが描かれてるわけだから、
確かに妄想であってもおかしくないのに、
匂ってきそうな描き方してたりとかして、
っていうのが、
なかなか面白いなって思う部分で、
すごく面白いなって思う部分だし、
ちょっと飛んじゃうけど、
この時においしいご飯が、
お菓子を取りましたってさっき言ってたけど、
やっぱあっちの方が良かったんですか?
本当だよ。
たまやんさんはタカセイジウンコ大好きだもんね。
僕はあれは面白かったです。
おいしいご飯は面白かった。
でも候補作を当時並べたことがなかったんで、
読むとわからないし、
正直わからん。
何で選んでるのかさっぱりわかんないです。
全校員たちは。
僕はNAっていうのがすごい好きでした。
あー。
若干脱線するんですけど、
芥川賞で評価される小説っていうタイプがあると思っていて、
NAについては、
まだ誰も言葉にしたことがないけれども、
体験していることにピタッとした言葉を当てはめるタイプの小説だなと思ったんですね。
そういったとこは多分評価するポイントなのかなと思いつつ、
家庭用安心コースは全然タイプが得られるかなと思っていて、
小説のスキル的なものというよりは、
なんかすごい審査員の人たちが読んだことがないようなものを評価するっていう軸もあって、
そんな感じかなって。
なるほどね。
作品のテーマ:家庭、家族、そして「安心」への希求
NAってあれでしたっけ、教育実習生と付き合うやつだっけ?
女の子の人が。
そうですよね。
それでSNSで、
違う?付き合ってるっていうことをSNSで言ってて、
それじゃあまずいみたいな。
違う?違う小説のこと言ってる?
それです。
高校生の女の子と教育実習生の同性愛みたいな関係を描きつつ、
それにかけがえのない他人という言葉を当てて話が進んでいくんですね。
そういうふうに、
今ある言葉でレズビアンだとか親友だとかそういう言葉じゃない、
その間にある謎の領域に文章とか言葉で光を当てていくようなタイプの小説でした。
そうでした。
同じ年?
同じ回だったと思う。
そうなんだ。
なるほどね。
おいしいご飯は、
心の中にあるもやもやしてる、
言語化されないところの関係性とかをうまく描いたって感じでしたよね。
そうですね。
あれは多分マッチしてたと思います。
現代。
確かに。
現代のカオスな思想の職場のもやもやと、
それをうまく言語化したのと、
あと足屋さんの心象を描かないっていうことも、
いろんな技術面が多分マッチしてたんですよ。
だからそこをめっちゃ見られるんですよ。
そうなんだ。
これは特殊だったのかな。
その意味不明さが、
僕はフランとティラのケースが好きなんで、
プレゼンがうまくいかなかった。
あ、そうか。
プレゼンして、これはここがすごいっていうのを、
他の専攻医さんにも聞いてもて、
いやでも、それでも美味しいがうままってるけどなーみたいになると、
こっちがトップかってなるんですよね。
なるほどね。
Amazonのレビューとか読んでて、
結構賛否が分かれてて、
もちろんそうですね。
訳わかんないっていう賛否の非の人が結構いたのよ。
だから、すっごいこの訳わかんなさが面白いっていう人と、
本当に訳わかんなくて嫌っていう人が、
たぶん二分する作品だったんじゃない?
美味しいご飯話の方は、ある意味分かりやすいよね。
そうですね。
うん。
っていうことなのかもしれないけど。
そう、ね。
そんな感じで。
あと何かある?
これを通して何を表現したかったのかっていうテーマ。
どう思います?これ。
まあでもやっぱり土なんかな。
「ツルハシ」のマークと「父」の不在
僕は安心やと思ってたんだけど、
皆さんが聞いてたら土なんかなと思って。
この家庭用安心工夫の背拍子のね。
うん。
何だっけ、この。
ツルハシ?
そう、ツルハシ。
2本重ねて土になってましたね、これ。
あ!
そう、って思ったよね、僕今。
え!本当だ!
え、これそういうこと?
いやってなったら、
やっぱ土なんかな、分からねえなと思って。
ここだけ?
うん。
あと開いたとこもあったかな。
そこだけ。
ほんとだ。
一番最初の扉もこうなってるよ。
そう。
チチっていう字に読める。
と思ったのに、
すごい!
やっぱりチチの不在によって。
チチがおったところでどうなったんだろうと思うんですけどね。
分からんけど。
でも、片方に安心があったとしたら、
まだちょっと変わったのかもしれない。
し、チチというね、もしかしたら。
し、自分のアイデンティティが一ついなくなるということの不安定さとあるのかな。
そこがちょっと不安につながっていって、
安心交付につながっていくと思うと、
チチの不在からの何かしらの影響っていうのを描いた作品だったのかなっていうふうには、
思えました、皆さんと話して。
だってさ、お母さんがおかしくなっちゃったからチチが出てったとも読めますよね。
お母さんのせいでチチが出てった。
お母さん死んでから戻ってきたんでしょ。
だってこのお父さん家に実家に。
ってことはやっぱりこのお母さんのこの狂気的なお母さんのこれにちょっともう受け入れらんないっていう感じで
お父さん出てっちゃったっていう。
その出てっちゃったお母さんをヤングケアラーみたいに
さなみは一人で世話しなきゃならなかったっていうことのような問題もあるじゃない。
だからシングルマザーの家庭がオサリザワマインパークでジンニス缶食べてるのを見て、
それでなんかうちのお父さんのツトムが他の家族のもとに行ったかもしれないと思って
そこから盗もうって決意するっていうので
なんかそういう父の不在で
なんかそういうとこがすっごいなんかなんかあるんじゃないでしょうかね。
父親が奪われちゃう。
なんかそういうやつがうまく言えないんだけど。
だから夫が家庭にいないのもなんか関係してるような感じがする。
その家庭の中に男がいないというか
だけどいるように幻想して生きていこうとしてるみたいな
なんかその夫と、家庭内の夫と自分の父親がなんかリンクするところもありません。
なんかうまく結びつけるのはちょっと乱暴かもしれないけど
最後のラストでドアを開ける勇気がなかった。
中に入っていけなくて
自分はもう二度とこの団地での夢のような生活の中に帰ることはできないんだっていう風に
直感的に理解したっていうのも
家庭の中に安心できるこの父というか夫というか
そういう存在がいないっていうことの現実を受け入れられないっていうことなのかなみたいな
それがちっちゃい時からのお父さん不在の家の中が結局はやっぱり幻想してたけど
それもやっぱり現実だったみたいな
なんかそういう圧倒的にずっと父が不在してる
男の人が不在してるっていう感じを乗り越えられてないみたいな
そういう話、全然まとまってないのはわかってるんですよ
迷いまくってるんだけど
何が言いたかったの?これはそういうことなの?
男の人
宮手加保さんはシスターフッドの潮流っていう章でこの作品を語っているわけで
家庭へのこだわりと世間の目
母娘問題として読んでるんだよね、この作品をね
家庭における過不調性というか男性優位社会みたいなこともたぶん下敷きにしてる
どう?ちょっとよくわかんない、三太郎さんごめんね
なんか私も散らかってきちゃったんだけど
家庭、家族の話であることは確かだと思います
家族を描いてるんだけど
家族っていうのが一般的に思われている形ではない家族の形になってる
お母さんがどっちで狂ったのかがちょっと描かれてないからわからない
お父さんがいなくなったことでちょっとおかしくなったのか
おかしいからお父さんが出てったのかっていうのがちょっとわからないところはあるから
家庭っていうものがうまく成立っていうのがあるのかわかんないんですけど
家庭に、でもこの形だとおそらく本当だったら安心材料がない家庭であるし
夫がいれば安心というわけでも本来なくって
不正的なものがあれば絶対的に安心というわけでもなくって
でもないからそこに求めるの
タイトル通りそこに求めるっていう
奈美さんの不安定さが趣旨描かれてるんだけど
でもやっぱりそこで描きたいのは家庭なのかな
家族のいる家庭なのかなっていうのは思いながら読みました
確かに家庭っていうものをすごい求めてるのかもしれない
その奈美はだから夫がいるふりを
私はそう読めたんだけど夫がいるふりをしてるのも
ガスメーター見に来た人が来る前にすごい掃除をしなきゃいけないって言って
例えばここが汚いとか生活の衛生面とかを
ちゃんとしてるのは女の仕事だみたいなことを言ってて
その家庭の中の妻である自分が
そこでジャッジされるみたいな
そういう世間的な家庭生活を営んでますみたいなことに
こだわってるじゃないですか世間の目というか
その務むをお父さんだっていうふうに思い込むのも
ある意味その家庭を追い求めてるからっていうか
お母さんがいてお父さんがいて私がいて
っていう家庭を追い求めてるから
だから安心したくてそういうふうにしてるっていう
だからそういう
女だったらもう30も過ぎて
夫がいるのが当然だみたいな
世間的な目を意識してる
それにこだわっているから
夫がいるふりをしているとも読めるよね
みどもさんが家庭を描きたかったっていうのは
さなみが家庭にこだわりすぎてるからっていうか
それもあるかもしれない
話を聞いてて
どうですかね
だから何って感じなんだけど
どうなの何を表現したかったかって言ったら
なんで私家庭を求める
家庭に恵まれなかった女性の話みたいなことなのかしら
そんな単純化したくないんだけどさ
この単純なことがこんなかけたらすごいなって思う
むしろ
そういうふうに要約しちゃうと
全くこの作品が面白くないんだけど
要約しなくてもいいのかもしれないけど
そういう形で
描かれたものが好きな人って一定数いると思ってて
ちょっと不思議だったりとかわけがわかんないなみたいな
しかもそれが広い世界だと
結構描きにくかったりするじゃない
広い世界の不思議な話だと
結構収集つかなくなってわかんないんだけど
家庭に全部修練させると
読んでるこっちもわかりやすいっていうか
家庭ってものなら想像ができるから
知ってる世界だから
それをこんな知らない世界に描いてしまうからこそ
読めるのかなみたいなのはちょっと
小島のほうさんみたいな
小島のほうさんの小説みたいな
自分の家庭を
せきあらっていうか
描くと意外と不思議なことになってしまうみたいな
人って一定数いると思うんですよ
みんなが同じ家庭を持ってないから
なるほどね
そういうのって結構
引きつけられちゃう人はすごく強く引きつけられちゃう
とは思う
さなみの思う家庭を描いてるってことで
例えば鍋やりたいとか言ったり
読書会全体の感想と作品の魅力
誕生日ケーキ買ってきて
ロウソク立ててみたいなのも
さなみの思う理想の家庭のあり方なわけよね
鍋やりたいっていうのがあっても
まさにそうだなと思ったり
あとはリアルツトムのほうね
死にかけた時にお母さんのことを思い出したり
お母さんの声が聞こえたりとか
妹の声が聞こえたりとかするよね確か
みたいなこともある意味
家庭っていうものを描いてるとも言えるし
いろんな形の家庭のあり方みたいなのが
妄想として描かれてるというか
そう考えたこのタイトルってなっちゃうよね
家庭用
最初に家庭って出てくるんだもんね
家庭用安心交付
作者の人と話してみたよね
どういうつもりで書いたんですかねって
本当に何を
軍藤新人文学賞受賞のこの選票に
この作品には家族という概念を茶化し
批評する視点があるって書いてある
だから家族という概念を茶化すっていう
茶化して批評してる
なるほど
松浦理恵子さんという人の選票が載ってますけど
わけわからなくなっちゃう
どうやってまとめる
時間になっちゃった
非常に迷宮入りをした回でございますけれども
でも語りがいがあったよね
なんか語れば語るほどどんどん迷宮に
それこそ行動を掘っていくような感じで
奥に奥にと入っていくような作品だったですね
一人ずつ今日の感想をお聞きして
終わろうかなと思うんですけれども
あさりさんから順番にいいですかね
はい
すごく面白かったです
自分小説読むときに読み解かないっていうか
読み解こうとしないんですけど
この小説は皆さんの話聞いてると
読み解かれるための仕掛けがいっぱいあるなと思っていて
さりさんがよく
この人何が言いたいのって最後におっしゃってたんですけど
この作者が言いたいことっていう観点から
その鍵を開けていくと
みどんさんとか小野屋さんおっしゃった通り
父とか家族が家庭とかが出てくるんだろうなって思いながらも
逆に言いたいことではなくて
言われてしまったこととか書かれてしまったことっていう観点で
読むとどうかなっていうのはちょっと最後思って聞いてました
自分の中ですごい印象に残ってたのは
マイナンド・オサリザワの描写で
マネキン同士の視点が合ってないっていうのが
描かれてたところがすごい印象的で
この小説に出てくる人たちも
お互いに視線を合わせてないなって思っていて
ディスコミュニケーションが描かれてしまっているっていうのは
ちょっと思ったのでした
あとコロナのシーンも
コロナの予防接種のシーンもすごい印象的だったんですけど
コミュニケーションがないっていうか
主人公が特にそうですけど
自分の中で完結してしまっているように
描かれてしまっている
そこがすごい興味深いなというふうに思いました
今日はありがとうございました
統合失調症的視点と精神的サバイバル
なるほどね
ディスコミュニケーションが描かれている
なるほど確かに
描かれてしまっている
交付同士が目が合わないところの
哲学的空白画みたいなことが書いてあったよね
何か書いてませんでしたっけ
バグカップの中に哲学的空白画って
視線が合わない
私もそこすごい気になった
ありがとうございます
じゃあ友谷さんお願いします
ありがとうございました
すごく面白かったです
多分言ってしまえば
統合主張的な描かれ方をされていて
もしかすると
そういうふうに見えているのかな
というふうに捉えられる小説でもありました
いろいろ精神病とかも
職業から勉強することがあるんですけど
そういったものっていうのは
すべて生き延びるために
脳が起こしているものであるので
やっぱりその脳を出現させなければ
おそらくさなみは生き延びることができなかった
ということであろうし
それに至るストレスっていうところの根源というのは
描かれきってはなかったと思うんですけど
ただしそれを求める切実さみたいなものは
さなみの心象に違和感を感じながらも
切迫感みたいなものはすごく感じたので
そういった描写の効果っていうのがあるな
というふうに思いました
あとは
ディスコミュニケーションの話が
最近出てましたけど
まじで見たいように見ているなと思って
お父さんと思えば思えれるという
要は自分が好き勝手
思えば思えるというところの
好き勝手さもあるし
あんまり他社が多分出てこなかったと思うんですけど
他社とのコミュニケーションが出てこなかったと思うんですけど
やっぱり
自分の心象世界っていうのは
他社と関わることで崩されるところもあると思うんですね
いやいやそんなおらんよって言われたらおらんし
それはおかしいよって言われたら
おかしいことになってしまうっていうので
崩されてしまうところもあるから
なんかこう他社との関わりを
すごく尻ぞけてた部分もしかしたら
書かれてなかったんでわからないんですけど
あったんかかもしれないなっていうふうに
そこは無意識に守るために
やってたんかなというふうに思いました
あとは父と
安心の関係みたいなところが最後らへん
自分の中ではテーマとして浮かび上がって
そこの辺は
自分自身も感じるところがあるし
そこはまたテーマとしては
話してみたいなと思うところでした
今日はありがとうございました
ありがとうございました
そうか統合失調症っていうと
こういう幻覚が見えたり原始があったり
っていうことなんですか
かなりリアルを持って
脅迫された感じが出たりとか
何かが見えるっていうのは
かなりリアリティを持って出てくる
病気と言われるものになるんですけども
それっていうのはある程度
そういうものを起こさないと
精神的に持たないから
引き起こしてるっていう場合が多いので
今回もそういうことが考えられるのかな
っていう感じでした
なるほどね
それを聞くと壮絶な現実が
彼女をやっぱり痛めつけて精神的に
そこから逃れようとするために
そういうものを見ないと生き延べないっていうことは
やっぱりその背景にある
彼女の抱えてきた過去とか壮絶さに
描いてないけど
思いを馳せるっていう二重の
ことを考えさせますよね
そうなんですよ
何で盗むって
それはリアルな僕たちは思えるんだけど
サナミは盗まなあかんかもって思っちゃうんですよね
やっぱり小説を読むと
それぐらいの世界観を見せてくれはずなのが
すごいなっていう感じやし
あと精神的に
ダウンしてしまうと
自己身体感とか
もう失われていくっていう風に言われてるんで
自分が自分を操作してる感じが
少なくなっていくからこそ
自己が受ける感覚とかもちょっと鈍くなってったり
他人が受けているような感じに受け取ったり
したりもするようなので
心理科も勉強なさってるってことだったから
そういうところも試験も入れながら描かれたのかなっていう
こういうことを先行するっていうあたりが
何かそもそもそういうものに興味が
あるんだろうなっていう気はします
心理師さんみたいですよこの人
作品の不思議さと「足元が揺らぐ」感覚
そういうことなんだ
分からないですけどね
面白いありがとうございます
みとんさん最後にお願いします
今友谷さんがおっしゃってた分裂病のお話
その感覚だったんだなって
全部言語化で言ってもらったみたいな感じなんですけど
この小説から感じるのはそういう何か
ちょっと特殊な状態の人の
特殊な人の状態の状態って変な日本語になっちゃうけど
それを小説として描いてるのかなっていうのを
ちょっと感じながら読んでた
そうだなって思いながら聞いていました
もしそれも使って一つ描いてみたかったっていうのがあるんだったら
一個大きいテーマっていうのは
もっとますますよく分からなくはなってしまうんですけど
でもテーマが何であったにせよ
面白く読めたっていうのと
すごく不思議な小説だなっていうのは
本当に思いながら読んでました
一番はそのやっぱ認証の問題とかもあって
すごい帯に書かれてる足元が揺らぐ感じみたいなのは
本当にそうだなっていうのは思いながら読んでました
ありがとうございました
ありがとうございました
私から最後に
良かったです
皆さんと話しながらこれはどうなのっていうのとか
「ツトム」と「金閣寺」の比較、圧倒的な美と心の支え
読み解かないっていうアサリさんの
それもなるほどなと思ったな
読み解かなくてもいいけど
でも読み解きたくなっちゃう作品だったなと思った
私さっき再読した時に
これ全然関係ないっていうか思ったんだけど
金閣寺に行ってません?
最後ツトムを燃やそうとして
盗むんだけど火をつけようかなって思うところの
場面が出てくるんだけど
燃やそうかちょっと考えてみただけで
瞬きと一緒に涙がしぶいた
それをするにはツトムはあまりに美しすぎる
と思ったって書いてある一文で
金閣寺を彷彿させるなと思って
さなみにとってツトムって
金閣寺みたいなみぞぐちにとっての金閣寺みたいな
圧倒的な美とは言えないかもしれないけど
圧倒的に理想を形にしてるものなのかなと思って
さなみはみぞぐち
ツトムは金閣寺っていう風に置き換えて読むと
なんかちょっと面白そうなんだけど
そういう人が生き延びていくためには
圧倒的な美というか圧倒的に憧れるものというか
そういうものを心に住まわせながら
生きていくっていうような心の支えでもあり
生きていくために必要なものだったのかな
みたいにも思ったりしました
ありがとうございました
読書会終了の挨拶
とっても楽しかった
なんか今日結局4人だったけど
深く話せてね
よかったですね
ということで
これでおしまいにしたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
じゃあ録音をやり返しますね
写真撮るの忘れた
ありがとうアサリさん
この私ミートザワールドの時さ
AIに作ってもらったんだもんね
これね
じゃあ写真撮ります
ありがとう
いつも忘れるのよ
写真撮ります
はいチーズ
ちょっとブレちゃったごめんもう1回
ごめんねもう1回いきます
はいチーズ
OKです
はいOKです
ありがとうございます
ではでは
おやすみなさい
ありがとうございました
ありがとうございました
今夜のアパート3号室
いかがでしたか
最後まで耳をすませてくれて
ありがとうございました
この後も
あなたの夜が穏やかで
心地いいものになりますように
アパート3号室のサリーでした
それではまた
01:40:09

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