ドタさんの報告にあった通り、わたくしPIU、子宮摘出手術で退院したかと思ったら、緊急手術からの再入院をしておりました。
一体どんな状況で手術に至ったのか、なんの病気だったのか、どうしてそうなったのか。
そして、さらなる災難が待ち受けていたーー。
※医療に関することなので、素人による素人目線の体験談というところをご了承いただければ幸いです
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サマリー
今回のエピソードでは、PIUが緊急手術と再入院の経験について語ります。腹痛の原因となった超閉塞や、病院での手術の流れ、そしてコロナ陽性の発覚について詳しく説明します。また、緊急手術を受けた後の再入院に関しても触れ、小腸の超閉塞という稀なケースの詳細や、患者が感じた痛みの耐性について考察します。
緊急手術の経緯
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
今回のテーマは、緊急手術と二度目の入院。
はい。前回まで、夫のドタさんが私の代わりにお話をしてくれていたんですけれども、そちらでもお伝えをしました通り、私、PIU、緊急手術からの再入院をしておりました。
今は退院をしてきているわけなんですけど、どこからお話ししようかなというところなんですけど、時系列がいいでしょうかね。
まずね、前回の入院は子宮を摘出するということで、日にちももう事前に決めた状態で入院をしたんですけれども、それから約1ヶ月経った頃に、夜突然ね、すごいお腹が痛くなったんですよ。
でもね、私、こういう同じようなね、お腹が痛くなるっていうことが、もう本当に、どうだろう、記憶のある限りではもう20代の頃からね、何度もありまして、
痛みはね、今回ほどではないんですけれども、毎回ね、すごくお腹が張る感じ、空気がね、膨張するというか、そんな、自覚的にはね、そんな感じで、胃が痛いというか、
自分ではね、いいかなと思ってるんですけど、ちょっと下の方だったりもするのか、とにかくお腹が痛くなる、そういうことが、よくね、あったんですよ。
それでね、20歳くらいの頃かな、大学病院に紹介状を書いていただいて、本当にいろんな科を回って検査をしたことがあったんですね。
でもその時も、結局何もわからなかったんですよ。異常はないっていうことでね、そんなこともありました。
それだけじゃなくて、6、7年前くらいかな、その時もね、今回みたいに夜に腹痛がきまして、最初はね、何時間か我慢をしていたんですけど、さすがにずっと痛すぎると思ってね。
救急車を呼ぶかどうか尋ねるところありますよね、電話するところ、そこに問い合わせをしまして、それは自分でしたんですけど、そしたら呼んでくださいっていうことになって、救急車に乗って近くの大きな病院に運ばれたことがね、あったんですよ。
でもその時は結局、過去の大学病院の時じゃないですけど、いろんな検査をして、でも最終的にはお腹に空気が溜まっていたのかなみたいなね、そういうことになって、確かに何時間かしたらちょっとよくなったんですよ。
これなら自分で帰宅できますっていうことで、自分で帰宅をしたっていうね、そういうこともあったんですね。
だから今回もその時と同じかもしれないと思って、すっごく痛かったんですけど、でもその時もこれぐらい痛かったかもしれないなと思って、1時間以上自分の部屋のベッドの上で悶絶しながらね、痛いと思いながらも、
でもきっとまた我慢してたらいつかは治ると思ってね、もう本当にひたすら一人で痛くない角度、少しでも痛くない角度を探しながら、本当にひたすら我慢をしていたんですよ。
でも今回は走行しているうちに全身が痺れてきたんですね。ちょっとこれまずいかもしれないなと頭をよぎって、その時間は夜の8時ぐらいからお腹痛くなったんだったかな。
夜の9時ぐらいだったんですけど、隣の部屋で子どもたちはゲームをしていて、っていう音も聞こえてきてるしね、だから壁を叩いて隣の部屋でゲームをしている子どもたちを呼んだんですね。
でも子どもたちは早くゲームを終わらせて寝たらどうなんだみたいな、その最速のコンコンと思ったみたいでね。最初は反応が薄かったんですけど、声も出してちょっと、ちょっとって言って子どもたちを呼んで、
子どもたち来てくれて、ちょっとお父さん、お父さん呼んでって。夫はもうその夜の9時ぐらいに寝てたんですよね。だからお父さんを起こしてもらって、私の部屋に来てもらって、体調の悪さっていうのを夫に訴えたんですね。
そんな状態だったんですけど、なお救急車を呼ぶっていうことには躊躇する思いがあってね。夫に救急車呼ぶって言われても、すぐにうんと言えない自分がいて。
夫も夫で、一旦呼ぶかどうかの相談に電話をするかっていうのを言ってね。夫婦でちょっと躊躇いながらも、今回は相談するところに夫が電話をしてくれて、全然私電話なんかできる状況じゃなくてね。
相談をしたら、救急車呼んでくださいっていうことになったんですね。とても歩けないし、それどころか、もうその時すごくぼっさい服というか、ちょっと人に合うというか、とにかく外に出るような服装じゃなかったから、
本当は本心はちょっとこの格好で着替えたいという気持ちもなくはなかったんですけど、とても着替えるために動くっていうのも無理だし、痛いし痺れてるしね。
ちょっと動けないんですよ。そんな不規則な動きはとてもできない。だからしょうがなくね、その格好で私と夫で救急車に乗りました。
手術歴、先日の子宮テキストの話を救急隊の方にもしまして、そしたら、その手術をした病院に行きたいですかっていうことを言われまして、
これがね、前に私が運ばれた近くの大きな病院をA病院とすると、子宮テキストしたのは少しそこよりは距離があるB病院だったんですね。AもBもどちらも大きな病院でして、
その時はね、子宮と今回のお腹が関係してるっていうことは全然思わなかったんですよね。また前回の症状かもしれないっていうことしか思わなかったから、
だから前回と同じ病院、そっちのが我が家からは距離的には近いのかなっていうのもあって、でも痛いからね、早く病院行きたいっていうこともあって、
なので、どっちでもいいですと、でもA病院の方が近いですかねみたいな、そんなようなことをね、もうろうとしながらですけど、お伝えをしたかなと思います。
で、その近い方のA病院に一旦運ばれました。
でもそこでね、最初に痛み止めの点滴をしていただきまして、いろいろ検査をした後は、ずっと放置というかね、とにかく誰も来ないし、とにかく寝てるだけっていう感じで、
でも痛み止めもその効果も薄れてくるわけですよ。
だから痛いですっていうことをちょっと夫がいたんでね、ちょっと先生呼んで行ってくれるっていうことを訴えたんですけど、
病院での診察と苦痛
看護師さん来て先生に相談するので少し待っててくださいっていうことで、またちょっと長らくね、全然放置というか来なかったりして、誰も。
で、先生もちょっと頼りない感じというかもあって、そんな中ですよ、カーテンで透けられた隣のおばさんの大声が聞こえてきまして、
どうやらそのおばさんは酔っ払って倒れて、それでお友達がもうびっくりしちゃって、歩けるって聞いたらお友達にそのおばさんが歩けないっていうことを言ったから、お友達が救急車を呼んだみたいなんですね。
ずっと意識はあったみたいなんですけど、検査してもどこも悪くないから帰って大丈夫ですよっていうことになって、
でもそのおばさんの夫が埼玉のすごい遠いところにいるかなんかで、家族の迎えがないとそのお友達も帰ってもらえないし、その方も帰っちゃいけないっていうのがあってっていう、
そのやり取りをずっと、看護師さんとのやり取りをずっと全部聞こえてくるわけですよね。
お友達と大声で飲みすぎたお話とかもされてて、あんまり私の話とは関係ないんですけど、
そのおばさんの夫がついに来たっていうかと思ったら、次はちょっと腰が痛いから薬を出してほしいんだけどってなって、
そうしたら看護師さんが、ちょっともう一旦会計が閉まっちゃったので、お薬出すとなるとまたお時間かかりますけど、いいわよ、そんな本当に腰が痛くて寝れなかったら大変でしょって言って、
おばさんが言ってね。そんなやり取りもすごい大声でわちゃわちゃされてて、関係ないんですけど、本当にそれをずっと聞いてなきゃいけないのが、
私の痛みは誰も来てくれないみたいな、そういう思いもあって、余計つらかったなっていうのを覚えていますね。
ともかくね、その中でね、その病院では手術は入れられないっていうことで、支給適出をした方の病院に問い合わせをしてくれまして、結局そちらの病院が私を受け入れてくれるっていうことになってね、定院をすることになりました。
前回は婦人科での手術だったんですけど、今回は外科のお世話になったわけですね。
定院したらすぐに外科の手等医の先生が来てくださってね、この頃には痛みもひどければ気分も悪くて、ちょっと吐いちゃったりっていうのもあったりしまして。
痺れはね、もう痛みがひどくて過呼吸になって、その過呼吸から来てる痺れだそうでしてね。
これは呼吸を整えるっていうことしか解決法がないそうなんですよね。
でもこの頃には痛くて痛くて、過呼吸になる、呼吸を整えるっていうことを気にしていられない状況で、また痺れが来てるっていうのはわかってはいたんですけど、やっぱりちょっとその痛みを我慢しなきゃいけないっていうことに集中しないとっていうのでね。
だから痺れるところか、私ね、寝転がってはいないな、頭起こした状態でちょっともたれてるような格好で、腕を折り曲げて、なんて言ったらいいかな。
首を右手で触ろうとする、自分の首を掴もうとするような仕草、ちょっと脇から肘も上げてみたいな。
手のひらは野球ボールとか何かを掴んだような形で自分の胸の方に向けている、その形のまま麻痺というか、そこで手が固まっちゃって動かないんですよ。
自分の意思で動かしたい、元の場所に戻したいって思うんですけど、動かせないんですよ。もうその場所で固まっちゃって、自分の手がその変な格好のままっていう状態で、もう痛いし気持ち悪いし動かないしむいたいしっていうのと、
鼻から管を胃まで入れるんですけど、それもすごい辛いし、何もかもが本当に辛いと思ってね。でも先生が2時半から手術ですからねっていうことでね、もちろん深夜の2時半ですけど、そんな状態でも先生も励ましてくださってね。
同意書とかそういうのもサインも無理だから夫がしてくれましたね。そこでもう一つの災難がありまして、なんとコロナの陽性まで出た!
一応調べるっていうことだったと思うんですけど、鼻の奥に棒を入れるやつ。私ね、実はね、人生で初めてやりましたね。
まさかのね、陽性だったんですよ。コロナっていう、ちょっとね、本当全然自覚的にもそんなコロナだっていう自覚症状はなくて。ただ確かに前日に長男がちょっと熱っぽくて、でも疲れもあるんじゃないかなって言ってね、一日寝てて、そうしたら元気になったんですよ。
私も少しだけ倦怠感あるかなくらいで、一応カッコンと飲んどこうみたいな感じだったんですけど、別に熱もないしね。他の症状も何もなかったので、まさかまさかコロナだとは思ってなかったんですけどね。
私もしかしたらこれが初コロナ、人生初コロナかもしれなかったですね。
そんなこんなでですね、入院が前回みたいな6人部屋は難しくて、前回ね、前の入院の時にお話ししましたけど、6人部屋だと追加料金はかからないんですよね。でも4人部屋、そして個室ってなっていくと、料金も上がっていくっていう、そういう形だったんですよ。
でも今回6人部屋難しいと、しかも急なことで個室も空いてないっていうことで、なんと個室より値段の高い特別個室しか空いてないって言うんですよね。
手術後の入院生活
で、いいですかどうしましょうみたいに看護師さんもなっていたので、私も息も絶え絶えだったんですけど、特別個室でもいいです、大丈夫ですみたいな感じで言って、そこもちょっと大いなる不安大量ではあったんですけど、
でももう本当に頭も回らないし、早く手術お願いしますっていう、なんかもう祈る気持ちが一番大きかったですね。
手術が無事終わって、入院は2週間って言われてたんですけども、少しだけ早まりまして11日間入院をしました。
その間途中、特別個室から普通の個室に移動させてもらって、その後もちょっと個室は贅沢なのでっていうことで、6人部屋をずっと希望をしていたんですけど、全然急なことなのでしょうがないですよね。空きがなくてですね。
なので最後まで個室で退院をしました。
私ね、これ結局何だったのかと言いますと、超閉塞だったんですよ。
でも本当ここからはね、素人の勝手な思い込み、勘違いっていうのもあるかもしれないから、その前提で聞いてほしいんですけど、
この超閉塞自体はお腹の手術、私で言うと子宮、これもお腹に含まれるんですけど、こういうお腹の手術をすると癒着をして、中でちょっと構造が変わるというか内臓の超閉塞になるリスクはあるわけなんですけど、
事前の説明では副空胸手術だから、そうなる可能性はほとんどないという言い方だったか、とにかく本当に低いですよみたいな感じで言われていたんですよね。
私の場合はただ単にくっついちゃったみたいなことではなくて、小腸がねじれた状態になっていたんですよ。そこにその小腸の流れを阻害するようなもの、バンドっていう名前で呼ばれてましたけど、それができていたんですね。
手術の前は、小腸が腐っているかもしれないということで始まった手術だったんですけど、結果、そのバンドだけを取り除いて、小腸は切らずに済みそうということで、下科の先生の判断のおかげで体に一番負担のない形での手術をしていただいたんですね。
お腹も副空胸手術でしたし、切る場所も前回のところと同じ箇所を使っていただいたりもして、傷跡も最小限にしてくださったんですよ。
最初に運ばれた病院でちらっと言われたのが、お腹の手術をすると超閉塞になるっていうのはありますから、それでしょうねみたいな感じだったんですよ。
だから当初は子宮的質をしたせいで癒着が起きて、その具合が悪くて起こった超閉塞かと思って、ほとんど大丈夫っていう意識で手術を受けたんだけど、
そのほとんどじゃない方の悪い方の低い確率の方に私は当たってしまったのかなっていう。手術を気軽にして良くなかったかなっていうことも思ったんですね。
でも入院中に婦人科の手術をしてくれた先生も何度も外科の病棟に来てくださってお話もする中で、ただでさえ超閉塞自体が稀なケースなのに、腸がねじれてるっていうのが本当に効かないパターンだっていうことでね。
確かに超閉塞っていうのは起こりうるリスクではあるんですけど、子宮を取り出すときって小腸は触らないわけですよ。
だから子宮的質の前からねじれた状態だった、そういう可能性について外科の先生ともお話をしておきますみたいな、そういうことだったんですね。
その後、外科の先生ともお話をしてね、もうここからは過去のお腹の状態っていうのは調べられないから、もちろん証明もできないし、はっきりしたことも言えないっていう、先生ももちろんそういうことが前提のお話ではあるんですけど。
子宮の手術とは関係なく、もともと私の腸は超閉塞に近い形だったかもしれない。
それが20代の頃からの不調の場所と同じかどうかはわからないけど、同じの可能性がないわけでもないし、全く違うものかもしれないし、そこはちょっとわからないんだけど。
でも、いずれにせよ、子宮の手術とは関係なく今回の事態が起きた、そういう可能性は結構あるというか、おそらく関係がなさそうというようなニュアンスでしたね。
今回は、子宮を手術してお腹の手術をしましたっていうことを伝えたら、すぐに造影剤を入れてのCTを取りましょうっていうのを、最初に運ばれたA病院でなったんですよね。
でも、この検査は私、過去に一度もしたことがないんですよね。だから、どこにも過去のデータっていうのもそもそもないですし、もう過去のことは調べようもないですしっていうので、もう本当にわからないこと尽くしなんですけど。
でもね、自分としては、そういう長年の不調の原因がそこだったのかもしれないっていうのは、すごく腑に落ちる話ではあったし、そうではなくて、新たにどこかのタイミングで超閉塞になってたんだとしても、
入院生活の振り返り
もしくは、これが子宮菌種の手術の合併症、手術の影響でなったことだとしても、今後の食べ方だったりとか、食べるものだったりっていうのを気をつけようっていうね、そういういいきっかけになったかなっていうことも思うんですよね。
例えば具体的には早食いをしないとか、あと性質を取りすぎないとかね、それと体の状態に敏感でいようとか、なんかそういうふうに自分をいたわるというか、ちゃんと気にするっていうきっかけをいただいたというようにね、感謝の気持ちを持っていこうと思いました。
本当にスムーズに手術をしていただいた病院にもね、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
はい、というわけでここまででね、結構長くなってしまいました。
もう改めましてね、これ医療のことなので、一素人が感想と言いますかね、話してるだけですので、勘違いとか間違いとか、そういうのもね、あるかもしれませんので、皆さんそういうこと、そういうものだという前提でお聞きいただきたいですし、
詳しいことは、医療関係者の方に確認をお願いします。
いやー、おっとですよね。一晩中起きてて大変だったと思います。
手術終わったのがね、早朝、朝でしたからね。
今回ね、入院前に私2つのコミュニティで割と活発に動く役回りだったっていうこともあってね、ちょっとあれしてこれしてってやらないとってなっていたんですけど、だからどちらのメンバーにも頑張りすぎたんじゃないか、無理をさせたんじゃないかみたいなね、ちょっと心配をかけてしまいまして、ちょっと申し訳なかったなと思います。
これね、述言の過ごし方が悪かったとか、無理をしすぎたとか、全然ね、そういう話ではないそうなんですね。
はい、でもまあとりあえずね、元気に、元気というか、退院もしましたし、はい、ありがとうございます。
次回はね、ぜひ今回の入院生活の個室の生活がどうだったかっていうのとかね、あとはドタさんがお話をしてた子どものこと、退院後にね、すごく子どもたちに変化があったので、そのあたりとかね、お話をしたいと思います。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
なんかね、今回の諸々でちょっと思ったんですけど、私割と、わからない、直接は比べられないんですけど、おそらくなんですけど、人と比較したら、痛みを我慢できる方なのかな、我慢する癖があるというか。
いや、思えば出産の時も確かにすごく、その時は人生で一番痛いと思ったんですけど、特に叫んだりとかもなかったですし、助産師さんとかにはずっと冷静でしたねっていうふうに言われたりして、私の中ですごく痛かったんですけど。
でもね、今回我慢しすぎるのも良くないなっていうことも学びました。
それではまた。
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