2023-08-21 26:56

初盆に、母を想う

PIU
PIU
Host

母が亡くなってから、初めてのお盆を迎えました。今回は母を偲んで、母のお話をしました。

【今回の内容】

ほとんど怒られた記憶がない/亡くなる日に2度頷いた理由/「アチキ、バレち」/学校が決めた優等生像に従わなくていい/世間の目は気にしても、人のことは気にしない/助けられた日々/夢で…


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迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご紹介します。
主婦の方だけでなく、主婦のパートナーの方にもヒントになればというのと、主婦が身近にいないという方にも楽しんでもらえたら嬉しいです。
今回はちょっといつもの感じとは違うんですけど、去年、母が亡くなったんですね。初めてのお盆を今回迎えたんですね。
ということで、今回は母のことをお話ししたいなと思います。
夏休みに子供と一緒に長い時間過ごしてますと、子供って本当によく笑うなと思うんですね。
大人の何倍ぐらいじゃ聞かないぐらい、すごいよく笑ってるななんて、子供を見る時間も増えたわけなんですけど、
そういう時間にね、普段から母のことを思い出すことは結構あるんですけど、やっぱり子供を見るときに、
私の母は私が子供の時にこんなふうな気持ちだったのかなとか、そういうことでね、そういう視点でも母のことを思い出すっていう時間が夏休みにあるんですね。
何から話したらいいかなと思うんですけど、まずはね、すごく穏やかな人だったんですね。
私は毎日家でね、子供たちをあれこれ注意したりとか、怒ったりとか、日々の出来事に感情的になることもあるし、
あーもう嫌!みたいなこともあるんですけど、母は私から見てですけど、すごくいつも穏やかで、私ね、母にはほとんど怒られた記憶がないんですね。
勉強しろみたいなのも言われたこともないですし、もちろんね、注意されたり、もうこんなことしてみたいなくらいはあっても、ガミガミ怒られたとか、そういう記憶はもうほとんどないんですね。
でね、それを前に私がね、お母さんってあんまり怒らなかったよねっていうことを言ったら、母曰く娘1人、私1人っ子なんですけど、娘1人と男の子2人っていう今の我が家の状況、もうこれ全然違うよって言って、すごくやっぱり男の子元気いっぱいだしね。
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そういうのもあったんかな、みたいなことをね、うちの母は言ってたんですけど、なんだろうな、怒りの感情が起こらないっていうわけではないんですけど、その怒るまでの不転が高いというのか、本当に怒るまでには相当な蓄積、怒りの蓄積だったり、本当にひどいことがないと起こらないというかね、
大体のことを飲み込んじゃうみたいな、そういう気質で穏やかな人だったんですね。
で、亡くなる前日というか当日というか、もう自分から言葉を発するのは難しいけど、私が語りかけると頷いたりはしてくれる。
そんな時に、いろいろ話しかけてたんですね。
感謝の気持ちとか。
で、そういう中で、私はすごく子供に怒っちゃうよね。
お母さんみたいに怒らないようにしないとねって言ったら、それまで私が何か言ったら、うんってゆっくりうなずいてくれてたんですけど。
その時はね、2回うんうんってうなずいたんですよね。
それすごくよく覚えてます。
母は独特の言語センスみたいなのがあって、自分のことをあちきとか言ってみたりね。
私にとっては普通だったんですけど、夫に言われて特殊だと気づきましたね。
確かにね、私は自分のことをあちきと言ったことはないし、そういえばね、母以外でそういうふうに自分のことを呼ぶ人っていうのは聞いたことがないなと思ったんですよね。
バレちゃったっていうのをバレちって言ってみたりね。
我が家では、母の真似で何かがバレちゃったみたいな時に、あちきバレちっていうのがね、今ね流行り文句のように登場するんですけどね。
それから母はね、見た目は若い頃なんか特にすごく本当に綺麗な人で、もうね私といろんなところの国が違うんですけど。
例えばね、鼻筋が通ってたりとか、私はぺちゃっとしてるんですけど。
娘の私と写ってる写真なんか見るとね、娘の私はなんというかね、ちょっともさっとした感じ、もさっとしてるなっていう感じなんですけど。
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母はね、声の押し出しが弱めだったんですよ。か細いというかね。大声を張り上げるっていうことは苦手だったと思いますね。
目立ちたがらないっていうのがありましたね。
こういうところとかね、もうとにかくね、うちの長男パキさんとね、共通点がすごい多いんですよ。
一人娘の私との共通点よりも、孫のパキさんとの共通点が多いなっていう感じで。
例えばね、気に入った食べ物があるとずっと食べ続けるとか、食べすぎて逆に嫌いになるみたいなことがあったりとか。
玉ねぎが苦手とかね。そういうのもパキさんと一緒なんですけど。
この目立ちたがらないっていうのがね、特にそうなんですよ。
パキさんはね、小学生の時に何度か面談の時に先生に言われたのが、手を挙げないっていうことなんですね。
手を挙げてくれないっていう。
指名して答えてもらうと、ちゃんと答えがわかってるのに手を挙げない。そういう話をね、されるんですね。
何かに立候補みたいなのもしないし、まあね、目立たないように生きてるっていう感じなんですよ。
これが学校だと積極性が足りないっていうことになるわけですよね。
これね、母が子供、小学生時代にもね、全く同じだったそうで、学校の先生がわかってるのに手を挙げてくれないっていうことを面談の時に言ってたそうなんですよ。
だから、うちの母はね、パキさんの気持ちがすごくよくわかるっていうことを言ってましたね。
手を挙げて、はきはき答える。積極的な子が理想みたいな、学校が決めた優等生存に従わなくてもいいじゃないっていうことをね、
とにかく目立つことを嫌うっていうパキさんなんですけど、そんなパキさんの良き理解者としてそんなことを言ってました。
そういう母なのにね、小学生の、私が小学生の時と中学生の時の卒業式。卒業式ではなんと親の掃除。
みんなの前で送る言葉を読むっていう掃除をね、小学校の時も中学校の時も学校から頼まれてやってましたけどね。
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できるならね、やりたくなかったと思うんですけど、断れなかったってことだと思いますね。
あとね、手先がすごく器用で、美術も得意でね、そういうところもパキさんに似てるんですよね。
だからね、私、子どもたちが幼稚園とか小学校で必要なグッズ、大砲が必要なグッズっていろいろあるんですけど、
そういうので買うこともあるんですけど、自分で手縫いでできるものはするんですけど、結構ね、母にお願いして頼ったこともありますね。
そんな母なんですけど、意外と芯は強くて、昔からね、体の不調っていうのはいろいろあったんですね。
体調不良で寝込んでることも、そんな姿も目に浮かびますし、でもね、そういうことも取り乱したりとか、
なんで私だけって、そういうふうに理不尽を嘆いたりみたいなことは一切なくて、淡々と受け入れるみたいなところがありましたね。
なんか弱々しく見えて、自分っていうものをね、ちゃんと持ってたんですよね。
確固たる自分っていうのが実はすごくあって、なんかある種の悟り、だからぐちぐち嘆いたりっていうのもほとんど記憶にないですね。
世間の目っていうものは気にするんですけど、常識から外れたことをしない、目立たないようにっていう、そこからもちょっと繋がるんですけど、
そういうのは気にするんですけど、人のことは気にしないっていう人でしたね。
人は人っていうのはかなり徹底してて、誰かと比べてああだこうだとか、人を羨んで嫉妬するとか、劣等感とか、そういうのはない人でしたね。
私ってすごい時間があるとね、何かしなきゃいけないっていう気になって、せかせかしがちなんですね。
でもね、母は真逆で、ゆったりやりたいっていう人でしたね。
母からすると、特にね、私の大学受験前から30代までもそうかな、そんな時の私はすごくいき急いでるように見えてたという話をしてましたね。
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私やっと40代になって、母がね、ぴゅーちゃんもいき急がないで過ごせるようになったねっていう、そういうことをね、母に言われたことがあるんですけど、
人生はマラソンっていう、よく聞きますよね。人生はマラソンなんだ、ずっと走り続けられるわけじゃないっていう、そういう意味ですよね。
ずっと走り続けるのは難しくて、やっぱり休むときも必要だし、休んだからこそまた走れたりもするとか言いますよね。
実際、もう走り続けたい、もう一生走り続けたい、走り続けられるっていう人もね、実際にはいるかもしれないんですけど、いるとは思うんですけど、大半の人はそうじゃないかなと思ってるんですね。
私は本当にそれを実感してまして、これまで走り続けてきた、私なりにですけど、でもちょっとゆったり周りの景色を見ながら、自分を大切にして深呼吸したいみたいな、今そういう時期でもあるんですね。
私、高2までは毎日友達と遊び続けてたんですね。すごく楽しかったんですけど、それも。
それはそれですごく充実してたんですけど、降参で受験を強く意識し始めてから、大学に入って、それからも就職を意識して頑張って忙しく生活してたんですね。
その甲斐があって、希望の就職ができたんですけど、ずっと私、あれをしなきゃとか、これをしなきゃとか、鍵かっこつきの無駄とか暇とかを嫌って生きてきたんですね。
仕事も本当に多忙を極めてたんですけど、プライベートもプライベートじゃないっていうかね、プライベートもなくなく潰れちゃったり、休みの空いた時間とか起きてる時間は仕事に役立てるための何かのための時間。
そんな感じで生きてきて、それは望んでそうしてたわけだし、そのときは。その分すごく充実した仕事の時間でもあったわけですね。
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やっぱ体力も今よりあったし、それは気力にもつながるし、そういう若いときに一生懸命やったっていうのは良かったなとは思ってるんですね。
ただ長時間働いて、時間も不規則でね、眠いっていう、眠いなっていうことをいつも考えてたりとか、そんな感じの生活だったんですよね。
よく子供が赤ちゃんのときの寝不足とか子育て、大変だって言いますよね。振り回されるっていうのは本当に大変なんですけど、私は結構仕事にも振り回されてたって言い方するとあれだけど、
でもそういう感じでね、プライベートの予定は本当に後回しだったし、眠る時間を削るみたいなこととかね、そういう免疫っていうのは結構あったんですよね。
かつ子育てって、母親は私しかいないわけだから、責任感と頼られてる、ちょっと自尊心みたいな、そういうものというか、かけがえのないことをしてるんだっていうね、意識を持てて。
もしかしたら一般に言われてるよりは、当初からそういうことのおかげで子育てを楽しめたかもしれないなっていうのも思うんですね。
たぶんそれだけじゃなくてね、うちの父がよく言ってたんですよね。子育てほどやりがいのあるものはないぞっていうことを、別に仕事をしてた時に仕事をやめろとかそういう意味で言ってたわけじゃないけど、
やっぱり子育てっていうものに対してすごく肯定的な言葉を父が本当によく言ってたんですよね。それもやっぱり大きな影響を受けたんじゃないかなと思うんですけどね。
そんな免疫があったとはいえね、いつも全力でいるっていうのはね、やっぱり疲れちゃうわけですね。途中、外国で子育てするっていう期間もあって、ずっと気も張ってたんですよ。
今思えばちょっと疲れたなっていう時にね、そういう時なんだと思います。私が母に電話してたのは。そうするといつもね、もっとゆったりやればいいじゃないって、そういうことを言ってもらって、力を抜くようにしてたのかなと思います。
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気持ちの面だけじゃなくてね、実際に子育てをすごく助けてもらったっていうのも本当にあるんですね。仕事が忙しくて免疫があったなんて言いましたけど、それプラスね、本当に母の助けなしには子育てできなかったですね。
単語は特にそうだったんですけど、初めてのことって、ちょっと脳がフル回転というかね、余裕のない私の横でゆったり家事、育児を助けてくれたっていう、その実際にやってくれたご飯を作ってくれたっていう事実だけじゃなくて、その雰囲気と言いますか、
空気、そういうのの助けが大きかったなと思います。
しばらくね、実家にいた時期っていうのはもちろんなんですけど、自分の家に戻ってからも結構足を運んでくれたりして、
単語の赤ちゃんの授乳とかおむつ替えの日記にもね、本当に毎日のように、お母さんがおかずをたくさん作ってくれて助かったとか、パキさんが泣いた時にお母さんが優しくあやしてくれて、パキさんが落ち着いてたみたいなことを書いてたり、
実際に赤ちゃん用品を買い揃えてくれたりっていうのもあったりしてね、そういうところでも助けてもらったし、離れて暮らしてた時も夫が長期出張でいないっていう時に東京まで新幹線で来てくれたりもしましたね。
本当に感謝してます。母はね、とにかく人のことを心配するし優先するんですね。私たちが実家に行くと全部布団の用意もしてくれてて、これね、やってみると結構掛け布団と敷き布団のシーツ掛けだけでもね、大変なんですよね。重労働なんですよね。何人もで落ちかけるわけですしね。
子供たちが寒くないか暑くないかなんてね、3つも心配してましたね。私なんてね、結構大丈夫でしょう。寒かったら寒かった時に何とかしたらいいんじゃない?くらいの感じなんですけど、母はね、例えば夜寝てからも寒くない?大丈夫?なんて気がしてきて心配したりとか、そういうこともありました。
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家事もね、私は最低限なんですけど、母は家のことでね、あれやこれやいつも動き回ってましたね。
料理もね、何種類もおかずを用意してくれてたりね。私だと本当に一品、二品、多くて三品みたいな感じですけど、結構ね、ちょっと茹で物、煮物を増やしたり。
普段私、家でなかなか手間もかかるし、敬遠しがちなね、春巻きとか作ってくれたりとか、巻き寿司とか、そうだな。
あとね、なかなか私家で作れなくて、いつも母のとこに行って何が食べたい?って言われて、食べたいって言ってたのが茶碗蒸しですね。
簡単だよなんて母は言うんですけど、なんとなく慣れないというか、なんとなくね、蒸し器も実家のと違うし、うちでなかなか作らないですよね。
ずっと甘い話でしたね。何かしてもらってばかりで、自分は何も返せなかったかなっていうふうに思いますね。
私にとって、母はね、本当に親友みたいな存在だったんですね。何でも話してたし、いろいろ聞いてもらってましたね。
だから本当に自分勝手なんですけど、話すことができなくなって、そんなことないんですけどね、心の中で話しかけたらいいんですけど、だからすごく寂しいって思いましたね。
この間ね、父が言ってたんですけど、母自身もね、私がひとりっ子っていうことで、ひとりっ子だから私が友達みたいにそういう存在であろうと思うみたいなことを自分でも言ってたって言って、
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いう話を初めて聞いたんですけど、それを聞いた時はちょっと胸がいっぱいになりました。
それ以外にね、私と母の共通点とか違いとかそういうのを父にこの間聞いてみたんです。
そしたらなんか、ほとんど共通点なんてないんじゃないかって言って、あるとしたら頑固なとこくらいかって言ってましたけど。
本当にね、私はわりと好奇心というか、あれやってみようとか、これ見てみたいとか思うんですけど、母はそういう感じじゃなかったから、お家でゆっくりするほうが好きっていう感じだったから、確かになって思うんですけど、今も結構夢には出てきてくれるんですね。
私はいつも自分の服とか買い物にはね、母に付き合ってもらってたんですけど、本当によく一緒に買い物行ったんですね。
でもね、今も夢では一緒に買い物をしてたりするんですよ。
思えばこの1年くらいね、本当に感情がすごい揺れ動いたんだけど、お母さんはね、ずっと可愛らしくてずっと凛としていたように見えました。
私もいつまで人生があるかわかんないけど、何が大事なのか見失わないように大切な人を大切に思って生きていこうということを改めて思ったお盆でした。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
いやもうね、すごく冷静に話そうと思ったんだけどな。すみません、なんか。
でも聞いてくださってありがとうございました。
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