00:08
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
主婦の方だけでなく、主婦のパートナーの方にもヒントになればというのと、主婦が身近にいないという方にも楽しんでもらえたら嬉しいです。
今回のテーマは、若者時代の終焉、おばさんになるということ。
突然ですけど、若者時代の終焉、おばさん。私の話ですね。私の若者時代はとうに終わったというお話です。
先日ですね、子供の夏休み中にショッピングモールのかつのお店で食事をしたんですね。
3つテーブルが並んでいるような場所に座って、壁側が全部ソファー席で、テーブルはそれぞれ4人掛けなんですけど、私その真ん中のテーブルに座ったんですね。
椅子に座って、壁側のソファー席に子供が座って迎え合って食べたんですけど、私の視界に右側と左側のテーブルのソファー席が目に入る形だったんですよ。
どちらも4人掛けの席に2人で座ってたんですけど、それが2人ともソファーに隣り合って座ってたんですね。
高校生ぐらいだと思うんですけど、そんなカップルだったんですよ、男女の。
仲睦まじげに喋っている、なんならちょっとイチャイチャしてたんですね。
それを見て、さーっと私がこれまで経てきた年月が、そうまとうじゃないですけど、さーっとその2人から遠ざかるように流れていったんですね。
ああ、なんかもう全然違うわ。私も全然違う。
子供がカツを食べるのを見ながら覚醒する思いというか、俯瞰する感じでそう思ったんですね。
もうおばさんだからっていうのはそうなんですけど、もちろん自覚して生きてはいるんですけど、なんかもっと深いというか、もうおばさんだからっていう軽い感じじゃなくて、
ああ、おばさんだっていう感じですかね。
なんというか、30代、少なくとも30代前半までは人生がここから開いていくような感覚、これからまだ長く生きていくっていう感覚があったんですけど、
40を越えてから不悪、惑わないってことはなくて、今も自分に強い自信を持てるわけでもなく、惑い続けてはいるんですけど、
03:04
心も体もある種の山場を越えた感じがすごくあるんですね。
華麗とか衰えとか、まあおばさんになったんだなっていうことなんですけど、お姉さんと呼ばれる時期は過ぎたなっていうことをしみじみ感じることが多いです。
まずはですね、体と心の両面に関連する食欲の話から、ケーキバイキングが重すぎる!
昔はケーキバイキングも大好きで、行くとは全種類食べないと気が済まなかったんですね。
今は食べられる総量が減って、質もね、特に重いものは量を受け付けなくなっちゃいました。
ケーキだったら3つとかでいいです。それもちっちゃいの。
上質なものを少しだけいただければ幸せっていう風になりました。
ケーキバイキングに限らずですね、普通のバイキングでも同じように全種類って昔は意気込んでたんですけど、今はそれを考えるだけでちょっと胃が重いというか、
バイキングだとしても美味しいものだけいただけばいいっていう感じで、一切ガツガツしなくなりました。
旅館のご飯も豪華な食事楽しみだわー!残すなんてもったいない!っていう感じだったんですけど、
今は例えば旅館のパンフレットとかでこんな豪華な食事全部載ってたりするのを見ると、全部食べられるかなーっていう心配が先に立つというか、
実際食べに行ってもちょっとこれボリュームありそうだから、この食事全部食べちゃうと最後までいけなさそうかなみたいな、なんかそんな感じになってしまいました。
一方でですね、小腹がすきやすくなりまして、食べる回数は増えました。
お昼食べに行ったんだけど、しばらくしたらナッツボリボリみたいな小袋開けちゃうっていう。
昔は特に高校生から大学生、20代くらいまでですかね、食に対してすごく貪欲だったんですね。
毎食次の食事では何を食べようか?一食も無駄にしたくない。あれも食べたいし、これも食べたい。
あのレストラン行ってみたい、あの国の料理食べてみたい。だったんですけど、最近はもう家のお昼ご飯は、
例えばメインがたっぷりのじゃこ、豆腐みたいなのが続いても平気です。
胃が小さくなったっていうだけじゃなくて、海鮮丼とか大好きだったんですけど、最近は火の入ったものの方が食べてて安心感を覚えるようにもなったりして。
あと昔は定番のものじゃなくて、変わったものを食べたいっていうのがあったんですけど、いろんなものの味を知りたいっていうふうに思ってたんですけど、
06:04
ちょっと好奇心も薄れてきたのか定番のもの、例えばご飯だったら生姜焼き定食とか、パンならクリームパンとか、お菓子だったらじゃがりことか、
そういう定番のものがやっぱりおいしいとしみじみ感じるようになりました。
それから体のことで言うと、階段をたかたかと降りられない。これは運動能力の低下ですね。
小学生の頃は、小学生はちょっと馬鹿すぎるって話ですけど、学校の階段を2段飛ばして上り降りすることもありました。
けど今は地下鉄の駅とか、子供の速さについていけないんですね。
同じ動きを繰り返してたかたかと降りていくだけなんですけど、急ぐと途中で必ず1段1段の間隔がどれだけなのか把握できなくなっちゃって、
一段飛ばして何とか着地するっていうことが増えました。
何とか着地できれば、ちょっと周りの目からも体裁を保つというか、ちょっと急いで飛ばしていったのかなっていう感じになりますよね。
それで何とか体裁を保つんですけど、やっぱりそういうことがあると階段が怖いです。
手すりにつかまるのも、コロナになってからなんとなく抵抗もあって、
当初ドアノブとか金属には金が残りやすいっていう報道ありましたよね。
一人の時はゆっくり降りるし、誰か家族と一緒に階段を降りるときは、家族の体とかカバンとかをつかませてもらって降りてます。
さすがにちょっと友達にはしないで、ゆっくりおしゃべりしながら降りたりしていれば大丈夫なんですけど、
特に子供と一緒だと、「あ、もう電車来るよ。来てる。」なんてときも、子供はタカッと降りてっちゃうんですけど、「お母さん急げない。それは乗れない。お母さんゆっくりしか降りられないからね。」って。
転んだらそれこそ大変なことになるので、腰とか足の骨、そこに何かあったらもちろん大変ですけど、
大人が転ぶっていう見た目に対する心理的衝撃ですよね。そうはならないようにするのを第一に生活してます。
この話をすると、「え?その歳で?」と言われることもあるんですね。だから私が特にっていうことかもしれないです。
階段は降りるばっかりじゃなくて、上る方もスムーズな日常運営に立ちはだかってくるんですね。
下りは怖い。上りはしんどい。地下鉄の最寄り駅の最寄りの出口の階段が、まあ長くて、いつも外出で疲れた体にムチ打つ最後の最後の階段があるんですね。
09:09
修行のようにそびえてまして、これを登りきるコツは無心ですね。無心。
あと半分だなとか考えちゃうとしんどいから、「はあ、疲れた!」って一旦なっちゃうと、ため息が出て足が動かなくなっちゃうから、
そうならないように最後までひたすら、メトロノームのように、視線も足元から逸らさずに、
なんか音楽に乗せるとかして、たとえばスケーターズウォールで、「たーたーた、いちにした、いちにした!」みたいな。
なんでもいいんですけど、そういう感じで、その時に頭に浮かんだ音楽とかで、ひたすら無心に足を動かす。
少し離れたところにエレベーターもあるんですけど、ベビーカーの方がいらっしゃったらもちろんどうぞってなるし、
そうするとだんだん使わなくなってきてて、階段を頑張ってます。
そもそも普通に年々疲れやすくはなってまして、新卒の会社員時代っていうのは徹夜しないといけないっていうこともあったんですけど、
なんとかやってたんですね。今は睡眠時間の確保が史上名台。8時間睡眠四種。
睡眠の質が悪い時、たとえば夜中に目覚めて寝られなくなったとか、そういう時は翌日の支障の出方が昔とは雲泥の差になりました。
徹夜なんてもってのほか、たまに夜に出かけることがあると精神状態が興奮状態になって、
だいたい寝つけなくて、翌日だるーってなるんですね。
身体のことは今回はこれくらいにして、次に心の面で言いますと、
紅葉に感動しがち!
どうですか皆さん、年を重ねるごとに、こういう季節の美しい景色、風景、そういうものにより感動するようになったっていうのはありませんか。
これ、情緒や趣を感じられる大人になったと言えばそうなのかもしれないんですけど、
私これ考えてみたら、あと何回紅葉を見られるんだろうかっていう、
そういうのがあって、実感を伴ってより紅葉の輝きが増してるんじゃないかと思うんですね。
みずみずしい新緑にも、生命力みたいなのを感じて、
頑張ってるな、輝いてるな、未来があるなって、応援する気持ちで感動しちゃうんですよね。
なんならちょっと自然の景色の素晴らしさに泣けてくるときもあって、
12:03
最近は思うように旅行してなくて、そういう機会も減ってはいるんですけど、
日々そういうのを感じてます。
自然の変化だけじゃなくて、映画やドラマを見ても、
まあ累戦が緩みやすくなったなと思います。
親目線のものは特にダメで、前に夫婦だけで家でライフ・イズ・ビューティフルを見たんですね、映画ですね。
ユダヤ系イタリア人の男性とその5歳の息子が、
ナチスによって強制収容所に連行されるんですけど、
そこでのことをパパは息子に、これはゲームだよ。
銃を持ってる人がいるけど、それもゲームだよ。
最後に戦車がもらえるよ、みたいな、そういう明るい嘘をついて、
自分は苦しい肉体労働をして、食事も息子にあげたりするんですけど、
ちょっと最後はネタバレになるので言えないんですけど、
子供に不安な思いをさせないように、優しい嘘をつき続けるんですね。
これもなんか見た後に、夫婦で涙がダーッでした。
もうダメでしたね。
逆に10代・20代の子たちの恋愛ものとかも、感情的にも、
感情移入ができなくなっているかもしれないです。
これも年を重ねてきたからだなと思うし、
若い俳優さんなんか見ても、特に子役の頃から活躍している子、
上木龍之介くんとかを見ると、親目線で応援するようになりました。
ニュースもダメですね。
痛ましい事件なんかだと、もう本当に胸を動かして、
逆に頑張っている、活躍しているっていうそういう系は、
偉いねって、我が子のことのように思ったりもします。
もう本当にこれもズズしいんですけど、
藤井聡太くんレベルでも、勝手に親目線で応援しています。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
ここまでいろいろお話をしてきましたが、続きをお楽しみに。
今回、つらつらとおばさん談を語ってきましたけど、
実際の生活では、子供のお友達の前で自分のことを、
おばさんはね、っていうのをまだ言えないでいる自分がいるんですね。
不甲斐ないです。
おばさんはさぁとか、おばちゃんはねなんて堂々と言っている方を、
おばさんはさぁって言っている方を、
おばさんはさぁとか、おばちゃんはねなんて堂々と言っている方を見ると、
もうかっこいいって思うのにです。
昔は友達のお母さんというのはみんなおばさんでしたよね。
15:01
だから全然深く考えなくてもいいのに、全然おばさんなんですけど、
なんかおばさんという言葉の難しさを感じています。
そんな殻を打ち破っていくのも、今後の課題かなと思います。
白心の井戸端番組、職業主婦です。
もしよかったら番組のフォローボタンを押していただけたら嬉しいです。
新しいエピソードが追加されて聞いていただきやすくなります。
ご意見ご感想などメッセージもフォームやインスタグラムで送ってください。
それではまた。