1. 職業、主婦です! 〜迫真のイドバタ番組〜
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2024-10-14 27:32

アメリカでの出産と夫婦の絆のはなし【「山あり谷あり放送室」谷くん編】

PIU
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前回に続き、ゲスト回です。

久々にして2度目のコラボが実現!ポッドキャスト番組「山あり谷あり放送室」のお二人が遊びに来てくれました〜!

今回はロサンゼルスで暮らす谷くんへ、質問タイム。アメリカ暮らしへの思いや、現地で出産されたときにご夫婦で大変だったことなど、貴重なお話をたっぷり伺いました。

以下のリンクからぜひ、「山あり谷あり放送室」もチェックしてみてください!(PIUがゲストの回もあります♪)

 

【山あり谷あり放送室ー父ふたりのウェルビーイングRADIO】

[山ちゃん]⁠https://www.instagram.com/tottorie⁠

都内の学校の先生兼ワークショップデザイナー。学校内外でアーティストや専門家、企業と連携した授業やワークショップを実践。子どもたちとともに創造する環境をつくりだす。

[谷くん]⁠https://www.instagram.com/tomozobeer⁠

アメリカ在住新米パパ。クラフトビール探検家・とも蔵として著書やSNS、YouTubeでクラフトビール文化を発信する傍ら、写真家・グラフィックデザイナーとしても国際的に活躍。

▶︎▶︎番組はこちらから

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★PIUがゲスト出演させていただいている回(今回のコラボ)

▷170.イランとアメリカの幼稚園生活

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★PIUがゲスト出演させていただいている回(前回のコラボ)

▷113.「職業、主婦です!」と山谷のドタバタ会議

⁠https://open.spotify.com/episode/2cHfNT8L1Y1BdGvsu2fe4O?si=44d3195e60b34067⁠


▷114.CAN YOU CELEBRATE?〜変わりゆく夫婦間の誕生日の祝い方〜

⁠https://open.spotify.com/episode/3ySbLkMlHDZxJVI2QBRgRE?si=b07f417e778e4c52⁠

 

【職業、主婦です!】

★前回の「山あり谷あり放送室」ゲスト回

▷48話目・「山あり谷あり放送室」のお二人とコラボしました〜!(前編)

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▷49話目・「山あり谷あり放送室」のお二人とコラボしました〜!(後編)

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サマリー

このエピソードでは、ロサンゼルス在住の谷さんがアメリカでの出産体験を語ります。夫婦の絆を深める過程や、出産における困難な状況を乗り越える様子が描かれています。また、妊娠がわかった瞬間や周囲のサポートの欠如についても触れられています。アメリカでの出産を通じて、夫婦の絆がさらに強まったことが語られています。日本人コミュニティと関わりながら不安を乗り越え、夫婦で支え合った貴重な経験が紹介されています。

ロサンゼルスでの生活の始まり
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見るイドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
今回もテーマは、ゲストをお呼びしました。
ということで引き続き、山あり谷あり放送室の山ちゃんと谷君にお越しいただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回、山ちゃんにいろいろお話を伺ったので、今回谷君に伺っていきたいと思います。
ぜひよろしくお願いします。
谷君はロサンゼルスでもう10年以上生活をされているということですよね。
今年で11年ですね。
11年。
しかもこれ駐在でどこかの企業で行くとかではなくて、もう完全に自分で都米して生活をされているということですよね。
そうなんです。もう全然単独でどうなるかわからないけど、とりあえず来てみたら11年経っていたと。
最初、外国で暮らしたいと思ったきっかけとかあったんですか。
きっかけはこれもう振り返ると本当に幼少の時ですね。
それこそもう6歳ぐらいの時にはもうアメリカ行ってみたいみたいなそういう考えがあって。
で、なんかその当時って結構なんかアメリカのドラマとかってNHK教育とかでやってたりしませんでした?
なんかフルハウスとか。
ビバリーヒルズとか。
そうそうそうそう。
はいはい。
そういうのあって。で、僕はフルハウスにすごい影響を受けて、なんかすごい見てて。
で、いつかこんなとこ行ってみたいなみたいな。で、舞台がサンフランシスコなんですけど。
どんなとこなんだろうとか。
ちなみに大人になってからそこのフルハウスで使われた家は見に行きましたけどね。
撮影現場。
へー。
っていうぐらいやっぱそれは相当大きかったですね。
そうだ。でもだとしてもですよ。確かにそれでいいなと思ったとしても、例えば大学時代に周りの人たちが就職活動をして、日本の企業とかに就職していく中で、やっぱりアメリカだっていうところってすごい大きなハードルというかあると思うんですけど。
出産の準備と困難
そうですね。でも僕その頃にはもう完全になんか全てがアメリカカルチャーでできてたぐらいのアメリカカブレになっていたんで。
えーどうなんですか。
なんかもう僕らね、たぶん同年代だと思うんですけど、90年代ってもう時代的にアメリカがもうかっこよかったじゃないですか。
世界のリーダーだし、日本で洋画見るって言ったらまあハリウッド映画だし。
で僕らの時代的に、例えばホームアローンとかターミネーター、バックトゥーダフューチャーとか。
確かに。
まああんなのをね、小学校とかで見せられたらもう、それはもう行きたくなっちゃいますよね。
そうか。音楽もね確かに。
音楽もやっぱね、ビルボードチャートとかで、まあアメリカの音楽を世界中が追っかけてた感じだし。
確かにね。
でもう一個僕すっごい影響を受けたのは、1992年バルセレナオリンピックでバスケット選手、NBAっていうアメリカのプロリーグがあるんですけど、
そのバルセレナオリンピック前まではNBAの選手が出場するのが禁止されてたんですよ。
他の国でプロリーグがなかったから。
さすがにプロ出ちゃだめでしょって感じで。
で初めて解禁されたのが1992年で、そこで初めてマイケルジョーダンを見て、なんだこれはと思って。
それが小3ですね。
よく覚えてるね。
そうそうそう。で小3で、ダビングしたビデオを兄貴と見まくったり、で他人の先生もちょうどなんかジョーダン好きだったんでずっとなんかこう話したりとか。
バスケットはかなり影響を受けましたね。
そうなんですね。
大学卒業の時っていうか、僕は本当は高校出たらもうそのままアメリカ行きたかったんですよね。
でそのときその話を言ったら、両親が。
僕はもう成績的に行ける大学があったんですよ。
両親に頼むから日本の4大だけは出てくれと。
4大卒業したら1年だけ行かせてやるっていう条件で行かせてもらったんで。
今考えるとこんな贅沢な条件はないんですけど、恵まれすぎて。
だから僕はもう大学1年の時点から特に授業内容に興味ないっていうか、もうアメリカ行きたくてしょうがないから。
でみんなが就活して就職してって時にはようやく来たなみたいな感じで。
おーなるほど。
なので周りとかなんか見て焦るとか特になくようやく来たみたいな。
そういうことですか。
そうなんです。
でも準備大変ですよね。
何から何まで自分でやるっていうことですもんね。
そうですね。
たまたま僕が住んでたアパートの隣に個人でやってる英会話教室みたいなのがあって。
そこの先生が留学のアセンとかしてて。
その方にかなりお世話になり、今でも連絡してたまに会ったりする中ですけれども。
そうか最初は留学だったんですね。
そうそうそう。僕最初留学して日本の大学4大出て1年アメリカ行って帰ってきて。
でやっぱり次はもうどうしても就職でアメリカに行きたいなとずっと思ってて。
今回来たのが2012年か。
2013年ですね。
2012年に僕日本で結婚してたんで。
結婚が先だったんですね。
そう。2012年に奥さんと結婚して翌年に2人でアメリカに来たっていう感じで。
そうなんですね。
そうなんです。
奥さん全然アメリカ興味なくて。
なんでアメリカなのってずっと言ってましたけどね。
奥さん結構海外旅行経験すごい多いんですけど。
バックパッカーっていうか一人で何かいろいろ敵地とかインドネパールとかアフリカとかそういうところが大好きで。
アメリカは絶対私の人生で行くことはないって思ってたらしいんですけど。
そうなんですね。
今はアメリカが好きになってきてるらしいです。
海外生活とか英語使って生活するとかいうことにもそんなに抵抗はなかったんですね。
そうですね。
なるほど。そっかでも家を探すところとかそこからもう2人で手探りっていうことですよね。
いやそうですね。
留学でいたもののほぼ地理とか全然わからないし、そんなに広いエリアで本当に一箇所にちょっといただけなんで、全然わかんないまま本当に手探りって感じで。
1日1個ずつ解決していくみたいな。
それは絆が深まりますね。
共通する部分が。
そうなんですよ。こんな話してたら、ピューさんアメリカどころじゃないすごい大変な国で生活してらっしゃったから。
そうなんですけどね。
それは自身のポッドキャストで言ってないんですか?
まだ国名を言ったことはないかな。ただ海外での子育てのお話はしてるかなっていうことですね。
僕ピューさんの聞かせていただいて、なんとなく東南アジアとかを勝手に想像してたんですよ。ピューさん。多分住んでたらこの辺かなって。全然見当違いでしたね。
そうですね。今後こういう話もしていったら興味持っていただけるかな。
谷くんは出産もアメリカでされてるじゃないですか。谷くんが出産したわけじゃなくて。
そうですね。夫婦ね。
どうでしたか?病院探しとか検診とか出産自体も。
娘が生まれたタイミングが今考えるとパーフェクトで、2019年に生まれたんですよ。
娘が生まれて4ヶ月後ぐらいにコロナになったんですよ。
だからコロナ禍だったらひどい時は旦那でも入れないとか、面会室とか立ち会えないとか。
で、奥さんは病院にいるけど旦那何もしてあげられないとか、そういうカップルもありましたし。
出産のタイミングパーフェクトで、その後ロックダウンとかになってたんでステイホームで。
家族との絆と支え
僕もずっと子供の成長を毎日見れたっていうね。
いる時間が長かったわけですね。
そうなんです。
そんな時期に暇を持て余して山ちゃんに声かけてラジオやりたいって言って、実は俺もやりたかったって言って始まったんですよ。
そっか確かに。
家にいる時間が長いし。
でも立ち会いしたわけですよね?
立ち会いしました。
どんな感じだったんですか?
でもね本当に僕らは言っても、本当に僕と奥さんだけで、周りに近しい友達いたんですけど、2人とも引っ越しちゃったんですよ、集外に。
本当に頼れる人がいなくて。
ちなみに言うと、僕の奥さんは妊娠中にお母さん亡くなったんですよ。
お父さんは全然20歳ぐらいの時に亡くなってるんですよ。
兄弟がいないんですよね。
奥さんは本当に完全に一人。
僕の方は母も亡くなってるんですよね。
で、父だけ。
僕の今娘にとって、祖父一人だけなんですよね。僕側の。
そんな時にね、年齢もあれだし、僕の親父が来たところで何もできないじゃないですか。
せめて母方だったらね、あれだけど。
そんな状況だったんで、本当に何のサポートもなかったんですよね、周りの。
僕らこういう関係広い方でもなかったんで、本当に友達も少ないし。
だから毎日いっぱいいっぱいで、僕がちょっとでも焦ってる表情を見たらもっと焦っちゃうだろうから。
僕も平常心を装ってみたいな。
そういう状況だと本当に夫しか頼りにできないですもんね。
そうそうそう。
いやーでもまあなんとかなったなって感じですね。今5歳になりましたけど、何事もなく元気に健康に大きい怪我もなく。
なんか出産の時、言葉の壁とかはもう全然ないような感じだったんですか?
いやなんかね、もう一瞬一瞬、出産の前の献身とかもそうですけど、お互いがなんかもうわけわかんなくて。
急展開じゃないですか、4コマ漫画みたいな感じで流れが早いから、よくわかってないまま、なんか子供を抱いてたみたいな。
必死に目の前のことにという感じですよね。
そうですね。
いやーでもそんなお母さんが亡くなられてて、すごい本当精神的にも、辛い時に妊娠の不安も、初めての出産ってやっぱりすごい不安ですよね。
そうそうそう。ちなみに妊娠発覚したのって、普通に僕ら一時帰国で日本に帰ってたんですよね。
でちょっと年齢も年齢だし、乳がん献身受けた方がいいんじゃないかみたいになって。
でその市のやつに行って、奥さんが行って、で僕が免許センターで更新してたのかな、免許の。
でその後にどうだった?献身って言ったら、いやがんはなかったけど、別の見つかったみたいになって。
写真見せてくれて。
写真見せてくれて。子供がいましたみたいになって。
すごいなそれ。
俺、普通の免許センターで聞いてたの、その妊娠報告。
えーーー。
でその時は奥さんの母は生きていたんで、で喜んで。
だから一人娘だったからそういうね嬉しい報告もあって、ちょっとそういうのもあってようやくほっとしたのかなっていう。
見れることはできなかったけど、報告を聞いただけでもね、一人娘だもんね。
で僕らはもう一回帰ったのか、免診発覚して帰って、帰ってね一ヶ月も経たないうちにお母さんが亡くなったって報告を受けて、
だからそのちょっとつわりとかひどい時に、もう一回帰ったんですよ二人で。
でお母さんは一人暮らしだったんで、もうそのつわり一番ひどい中、家を引き渡さないといけないから。
で荷物も持っていけないから、めちゃめちゃ大変なのに今思い出してまいったね、話しながら。
そうですね、もう聞いてるわけない。
そうなんですよ。
いろいろ車とかね、歯医者にする手続きとか手伝ってもらったりとか、周りの人にいろいろサポートしてもらって、
で家引き払って二人で帰ってきて、そしたら今度あの、僕らが前に住んでたアパートは、入居する前から言われてたんですけど、
子供NGだったんですよ。
なんか結構年配の夫婦が多くて、ちょっと静かに暮らしたいみたいな、結構70とか80の人が多くて。
そういうことあるでしょ。
そうそう、そんなの聞いたことないってみんなに言われますけど、僕も聞いたことなかったですし。
で僕らは子供を作る予定は全くなかったんで、いいですよみたいに言ってたんですけど、
妊娠発覚して出ていかないといけないっていうので、今度その辛い状況で僕らが新しいアパート見つけて引っ越さないといけないっていう。
そんな感じで気づいたらもう出産の日になってましたね。
そうか、もうそうです。周りのことに精一杯で自分は後回しになっちゃいますね。
そうそう、だから急展開すぎて。
本当に辛い思いを持たれましたね。
いやーなんか今こういう話してなかったら全然忘れてるようなことを今思い出させていただきましたね。
初めて聞いたわー。
だよねー。俺も人に言ったことないかも。
うーん。
谷くんの珍しい話
ピューさんもご存知だと思うんですけど、基本谷くんがこんな真面目に30分喋るのはさすがに話題の時にボケどころがないよな。
確かに確かに。
レアな谷くん話を。
確かにそうですね。
いやーでもなんか基本思うのが、いつも笑って笑顔の人に限って闇ありますよね。
確かに。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
そうですよね。
もっかーなんかお話しいただいてありがとうございます。
いやいやいやいや。まさかのこんな話の流れに。
うーん。
すごいな。
すごいな。
すごい。
すごいな。
すごいな。
すごいな。
すごいな。
すごいな。
すごいな。
こんな話の流れに
凄いですね
てつこの部屋じゃないですけど
ぴゅーさんの部屋的に
谷君を引き出しましたね
支え合った夫婦の経験
もうちょっとぴゅーさん夫婦から
引き出されまくっちゃって
丸裸ですよもう二人
夫もね相当なんか
いやもう本当に上手だから
すっぽんぽんなっちゃいました
ちょっと気持ち悪いから
すっぽんぽんやめてください
安心してくださいって言ってますから
そうかじゃああんまり日本人コミュニティの方とは
交わることはない感じなんですか
あのね当時やっぱりあれですね
もういわゆる尖ってたんで
アメリカ来てまで日本人とか
つるんでないっしょみたいな
そういうなんかもう尖ってる時期だったんで
今はもう全然そんなことないです
本当にいろんな
なんだかんだ本当困った時支えてくれるのって
日本人の友達だったりするんで
むしろ大事な存在ですね
そうですか
ちょっと私も
いやー本当にご夫婦
もう二人で力合わせて乗り越えてこられたんだなと
思うと本当になんか
僕は100回記念ピューさんの旦那さんが出演された時に
ピューさんのお母様が亡くなったっていう話を受けて
僕はこういう研究があったから
もう本当にうるうるきて
聞いてすぐピューさんにメッセージしたんですよ
でそこのやり取りで
谷君もなんかね
秀さんとか会って大変だったですよね
みたいなそんなやり取りやったような気がする
うちも実は今
うちの子供たちのおじいちゃんおばあちゃんって
私の父だけなんですよ
だから同じような
同じ夫というか本当におじいちゃん一人いるっていう感じなんですよね
でも出産の時はやっぱりまだ母がいて
近くにいた時だったから
やっぱり夫にも助けてもらったけど
母がいたっていうのは色々気持ち的にもそうだし
物理的にもやっぱり助けてもらったから
ご飯作ってくれたりとか
ちょっと子供を見てくれたり
おむつ変えてくれたりっていうのもあったから
それが全くない中で
で谷君も仕事に行ったりっていうのもあるわけですよね
本当に辛い思いを
いやでもこれはよくね
今笑い話として夫婦でよく話しますけど
そうこういう状況じゃなかったら
絶対二人離婚してるなって言ってますね
あの言ったらもうお互い逃げ場があったりとか
例えば奥さんは実家があったりとか
僕も僕でなんかあったりとか
そういうところあったら
でも海外じゃなくて日本でお互い
そういうとこあったら
何回か離婚危機はあったなとは思います
逆に良かったんじゃないかなって
それを乗り越えたから逃げ場がなく
もうそこで一緒に共同するしかないっていう状態
チームになるしかないんですよ
ポッドキャストの意義
本当に今でもそうですけど
やっぱ物理的精神的なサポートは全くないんですよね
あの周りのね
僕らが本当お互いどうにかするしかないというか
もう本当娘さえの二人の愛情も
インスタからすごい伝わってきました
ただの親バカグラムになってますけどね最近
いやいやもう本当に私も勝手に感情移入して
またそこで3人の絆がね
強めていらっしゃるんだなと思います
いや本当にありがとうございました貴重なお話を
ちょっとかっこいいじゃないですかタニー君
いやいやいやヤマちゃんチャチャ入れようとしてたけど
ごめんねなんかタイミングなかったね
もうねシンシンとした気持ちで聞いてました僕は
俺本当に人に話したことないかも
すごいねそれを記録に残っちゃったね
残っちゃいましたね
主婦業主婦ですね刻まれましたね
いやいや本当に大丈夫ですか流しても
全然問題ないです
もうむしろたまに僕も振り返って聞きたいなと
忘れちゃいますねやっぱこういうことでも
そっかもう本当に健康で
あのし暮らしようって
どんな締めだったか感じですけど
はいもう健康に気をつけて
皆さんお互い親ですけれども
イラッとすることもいっぱいありますけど
そうですね
いろいろねこういうなんか音声に残しておくって
すごい良いですよね
イライラした時に可愛かったみたいなエピソード聞いて
自分のね自分のポッドキャストの癒されたりとか
そうですね最近私も音声の良さ思います
そうなんか今日なんか職場で
ピューさんの最新話聞かせていただいて
ありがとうございます
そういうことをおっしゃってたんで
確かにと思って
写真とかねビデオと違う感じで
思いが残るって言う
これなんか今僕ちょっとこれもふと思ったんですけど
なんかポッドキャストを始める時とかは
全然思ってなかったんですよ
最初の時とか
でも本当に何が起きるかわかんないっていうので
例えば自分があの今日亡くなったとする
したら音声は残るじゃないですか
そうなんですよね
例えば今娘5歳だけど高校とか20年
20代になって自分のお父さんで
こういう気持ちで育ててくれたんだとか
もし自分が子供の立場だったら
その親のそういう音声って残ってて欲しいなって
ちょっとふと思い始めた時あって
だからちょっとそういう意味でも
なんか続けておくとなんか面白いかなっていう
そうですよね
今は聞かなくても
後で聞いてより考え深いってことありますよね
きっと
いやーポッドキャストっていいですね
金曜労働者だっけ何だっけこれ
そう金曜労働者
それではでしょ
さよならさよなら
すいませんじゃあありがとうございました
本当にこの度はまたゲストに来ていただいて
こちらこそありがとうございます
ありがとうございます
本当にいい機会をいただきまして
毎度毎度本当にこちらこそです
それではお時間ですので
名残惜しいところではありますが
これで締めさせていただきたいと思います
やめ
それ様は使ってくださいね今の噛んだ感じ
山有谷有放送室のお二人どうもありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
最後まで聞いてくださって
どうもありがとうございました
今回も谷くんに貴重なお話を伺いました
どうもありがとうございました
皆さん是非山有谷有放送室
この番組自体も面白いですし
今同時並行で私がゲストとして出演させていただいた回も
配信されてますので
ぜひそちらもチェックいただけたら嬉しいです
白信の井戸端番組職業主婦です
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それではまた
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