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迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
主婦の方だけでなく、主婦のパートナーの方にもヒントになればというのと、主婦が身近にいないという方にも楽しんでもらえたら嬉しいです。
この番組は、Spotify独占配信でお送りします。
今回のテーマは、「小学生のころのモヤモヤ」。
前にハッシュタグSpotifyで話そうの、子供のころの忘れられない1日を話すという企画に参加した流れで、前回は保育園時代のモヤモヤについてお話ししたんですけど、
ぜひそちらも聞いてみていただきたいんですが、今回は小学生時代のモヤモヤを中心にお話ししたいと思います。
小学生のころを思い浮かべると、なんかポワンと楽しかった思い出も浮かんできて、鼻一揉めしたなとか、
運転を私、腕で進んでいくっていうのもいいんですけど、運転の上をバランスとって歩くのが楽しかったなとか、
あとね、校庭にあったクスの木の根元にタイムカプセルを埋めたんですよね。
でもね、中学生になる前にみんなで掘り返したような気がするとかね、そういう微笑ましい記憶ももちろんあるんですね。
今はね、学校にないけど、当時はゴミを焼却炉に持って行って燃やしてたなとか、そういうシーンも思い浮かびますし、
あと授業だと、船か何かの解剖をした時に、優等生だった女の子が、すごいかわいそうって何度も言ってたなとか、
同じく理科でアルコールランプを使った実験で、熱くなった三脚を最後片付けようとして、
熱さを確認せずにギュッと握っちゃって、大火傷をしたなとか、
これね、メンバーが重なっているから、中学生の頃の記憶かもしれないんですけど、
まあそんなことを思い出しましたね、今回。
そんな中で、もやもやの気持ちも一緒に記憶していることといえば、
まずはね、体育であんなに逆上がりを頑張らないといけないの、なんで?
運動ができる方には、今回一切共感していただけないかもしれないんですけど、
こういう人もいるんだと思っていただければと思います。
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実はこの逆上がりを頑張らないといけない文化ね、これ今でも全くなくなったというわけではないんですけど、
今の子どもたちですね。
授業でもね、やったことがあるっていうくらいだそうで、だいぶ変わってきてはいる感じですね。
私の頃はもっと、逆上がりはできないといけないものっていうプレッシャーが強かったんですよね。
私ね、体育があまり得意じゃなかったんですね。
足も遅い方で、クラスを5つに分けたら、遅い方から2番目っていう感じで、
だからね、都教操は苦痛でしたね。体も小さいし、力もないんですよ。
体操部だったから、マット運動は得意だったんですね。
飛び箱もまあまあ好きだったんですけど、腕の筋肉がないっていうこともあるのかな。
鉄棒が本当に苦手で好きじゃなかったんですよ。
鉄棒といえば、やっぱり逆上がりだったんですよね。
なんでさ、みんなの前で棒を回らないといけないのかって思ってましたけど、
放課後に補助板を使って、くるんと丸まった感じの板ですね。小学生と同じくらいの身長かな。
そこへ足をトトッと駆け上がらせて回ると、逆上がりができるっていうあれですね。
あれを使って練習したり、その後またできるようになったかのテストがあったりして、
できるできないを晒されるわけですね。
親になって他の子どもたちも見ていて思うんですけど、できる子は何も考えなくても、
誰かがやっているところを見るだけでできるし、できない子は必死のパッチで練習してもしても、なかなか難しいんですよね。
手つくさくなる手。
目ができて痛いし、辛いし、何度も何度も練習すると頭がクラクラするし。
今大人になってあれができなくても、生きていくときにジャングルでツタを回ったりすることがあるわけじゃないですよね。
だから全然困らないんですよ。
幸いですね、私小学生の頃に何度かできたことはあるっていう感じで。
中学生になったらもうできなかったんじゃないかなと思うんですけど、大人の今はもちろんやってみても一切体は持ち上がりませんね。
うちの子たちも鉄棒が苦手な部類に入るんですけど、長男は一時期体操教室に行ってたっていうこともあって、
坂上りの練習用のベルトっていうのがあって、自分の体と鉄棒を近づけて固定するわけですね。
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それを使うのは近くの公園に行くとお友達がいたりして、見られると抵抗があるっていうことで、
少し離れたおじいちゃん家に行ったときにおじいちゃんに付き合ってもらって、ひたすら練習してた時期があるんですね。
冬休みに行ったときには寒い時期です。本当にお正月の寒い時期。
ペットボトルにお湯を入れて鉄棒のところに持って行って、それで手を温めながら200回とやってたんですね。
これ手袋をつけちゃうと滑ってできないんですよ。だから素手でやらないといけないけど鉄棒がすごい冷えてるんですね。
冷たいからペットボトルのお湯で温めながら、お湯もすぐに温度が下がっちゃうんですけど、頑張ってましたね。
その甲斐があって、できたっていう時には涙ものでしたけど、本当に偉かったですね。私はあんなに頑張れなかった。
そんな感動な思い出もありますけど、自分の記憶から連続して鉄棒っていうのは複雑な感情を呼び起こしますね。
他にも何なんだと思っていたスポーツとしては、これは小学校の話じゃなくて中学の時の思い出なんですけど、
バレーボールも意味がわからなかった。大人になってもママさんバレーなんて言って、バレーボールって生涯スポーツ的に楽しんでる方もいらっしゃいますよね。
私それがすごく羨ましいんですよ。できる人にとっては楽しい競技なんだと思うし、私も見るのは好きなんですよ。ルールもわかりやすいし。
でもやるのは本当に嫌でした。苦痛だったんですね。
まずレシーブですね。あれみんな痛くないの?と思ってたんですけど、私は毎回痛ったと思ってて、すごく痛くて何度かやった後で手首を見ると赤い点々がポツポツポツってできてて、
これ内出血じゃないの?ここまでしてやらないといけないの?ってもやもやしてたんですね。
でもバレーボールって体育以外でも学級活動とかレクリエーションとか競技大会とかやる機会が多かったんですよ。
でこれね、必ずサーブが回ってくるんですね。これが本当にストレスでした。
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何といってもサーブ飛ばない。よく飛んでもネットスレスレで相手チームに落ちる。これが一番うまくいってこれ。
だいたいは味方チームのところに落ちるか、もしくは直線で飛んでいってネットに引っかかる。
まだそれなら良くて、かなりの確率で空振りスカッとなってね、みんなの心の声が響くような気がしてました。
おいって突っ込んでくれる子がいる時もあったんですけど、みんなも笑ってもかわいそうだしっていうのもあっただろうし、
もう一回打っていいよみたいな感じで、ここでポーンとサーブが入ればいいんですけど、またスカッとなるわけですよ。
でもこれね、自分だけできないので済むっていう競技はいいんですけど、チームプレーは得点、勝ち負けに繋がるんですよね。
だからあんまりミスをするのも忍びなくて、夜な夜な母に車で近隣の学校に連れて行ってもらって、
うちの学校じゃないですよ、近隣の学校で壁打ち練習っていうのをしてた時期もあります。
サーブを何度も何度も壁に向かって打つわけです。
昔は今よりも学校の敷地に入る敷が低かったから、結構誰もいなくて田舎だし広くて練習はしやすかったわけです。
バレーボール以外にも小学校の話に戻るんですけど、高跳びも意味不明だった。
高跳びね、斜めに走り込んで棒の手前で右足を上げて、え、左足引っかかるよねって毎回意味がわからないままやってたんですよ。
今思えば右足が下がったところで左足を上げてっていう、交互に足を上げるっていうことなんだろうけど。
当時は先生が見本を見せるばかりで、見本を見たからといってピンときて体がその通りに動くわけじゃないんですよ。
飛べない子ははい残念、飛べた子は褒められるっていう、それだけだったんですね。
ベリーロールとかもっと意味がわかりませんでした。
やってみようと思っても棒に突っ込むだけでね、理論的にも意味不明だったし、
自分がどうしたらできるのかっていう、できるイメージみたいなのも全く持てなかったんですよ。
それがね、今は小学校の教科書にね、体育の教科書っていうのがあるわけですね。
絵も丁寧でたくさんあって、細かくコツとか練習の仕方も、交互に足を上げる練習はこうしたらいいっていう、
そういうのもね、何通りも載っているわけですよ。
こんな時どうする?なんてコーナーもあって、バーに当たることが怖くて飛べない。
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そんな時はバーをゴム紐に変えてみよう!なんていう風にあってですね、なんか優しい。
できない子がそれを読んだからってすぐにはできるようにならないかもしれないですね。
できない子がそれを読んだからってすぐにはできるようにならないかもしれないけど、
はい、意味不明。できません。体育嫌い。じゃなくて、教科書だけ見ててもね、
自分なりの課題を見つけて、それを克服するためにはどうしたらいいんだろう?
こんなこと頑張れたね!みたいな、そういう優しい雰囲気なんですね。
教科書のことは先日ね、知ってますか?今どきの教科書っていうのをお話ししたんですね。
工夫がすごいんですっていうことで、紹介した回がありますので、
ぜひこちらも概要欄にリンクを貼っておきますので、聞いていただけたら嬉しいです。
それから体育つながりで、運動会の前の時期にモヤモヤしたのを思い出したんですけど、
運動会グループ分けのヒアリー。あんまり詳しいことは覚えてないんですけど、
教室の黒板に順番に名前を書いていくっていうシーンと、
友達の困った表情、これだけはね、すごい鮮明に覚えてるんですね。
その時、小学校何年生だったかはちょっと忘れちゃったんですけど、
一番仲の良かった子が、この女の子ね、足の速い子でリレーの選手に選ばれてたんですよ。
確かリレーに出る子だけ、最初に赤組、白組に分かれるっていう形だったんですね。
人数を公平にしようっていうことで。
その後の赤組、白組それぞれのメンバーを、
すでにリレーに選ばれていた子から、一人のメンバーを選んだんです。
すでにリレーに選ばれていた子から、一人ずつ選んでいくみたいなやり方だったんですね。
赤、白それぞれ、まずリレーメンバーが好きな子を自分の赤組、白組に推薦する。
選ぶ。選んだ子を黒板に名前を書くわけですね。
その名前を書かれた選ばれた子が、次に誰か、誰を同じ組に入れるかっていうのを選ぶっていうやり方を
先生がさせたんですよ。
私の中の良かった子が最初に選ばれていて、リレーのメンバーとして選ばれていて、
誰か推薦するっていう時に、私の方を見て、私を選ぼうとしたんですね。
同じ組になりたいなっていうことで選んでくれようとしたわけですね。
でもその時、もう一つのチームは、リレーメンバーには入っていないけど、運動神経のいいというか足の速い子を
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もう一人選んでたんですよ。そういう選び方をして。
そういう選び方がいいねみたいな空気になってたんですよ。
そこへその仲の良かった子が私を選ぼうとしてくれたわけですね。
私としてももちろんその友達と同じチームが良かったけど、私クラスの運動レベルでそんな初期の段階で選ばれるっていうのは
申し訳ないっていう気持ちが強かったんですよ。空気を読んでしまって、足の速い子を選んでっていう
そういう言い方をしたかどうかは記憶にないけど、そういうことを伝えてそういう流れになって
お友達もそういう子を選んで、その後もそういう選び方が続いて
さっき言った5つに分けた下から2つですね。私はそれくらいの順で名前が書かれて終わったんですよ。
これどう思いますか。私はねもやもやなんて言ってますけど、一番最後に選ばれた子の気持ちは私より悲惨だったと思うんですね。
確かに運動ができるできないでね、運動会のそれぞれのチームに入る点数も変わってくるから、運動神経は平均化されるのが必要かもしれないし
こうやって選ばれることで運動できる子のモチベーションになってたかもしれないですし
でもね、できないプリを公開の場でランク付け認定されるんですよね。
先生はその場にいて、先生もそれを認めているというか、それを推奨しているっていう雰囲気で
でも選んだ選ばれたこれは生徒で完結してるわけだから、責任は生徒が負ってる形なんですよね。
今思えば、私が選ばれちゃうことでその空気を断ち切って、運動神経がいい子を選ぶ以外の選択肢を作るみたいなこともできたのかもしれないけど
そこで好きな子を選ぶみたいになっても、次は最後に残される子は嫌な気持ちがするでしょうし
難しいんですけど、子供に聞いたら今は運動会で赤と白を分けるっていうのは先生が決めたそうなんですね
といっても、コロナをきっかけに運動会も変わってきてて、そういう赤白の点数を大々的に競うみたいなことも終わって
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赤組、白組自体がなくなったんですよね。もう学年ごとの発表、学年ごとの都競争っていうのに切り替わったんですよ。
これもコロナで運動会が快適にっていう回でお話ししたので、よかったら概要欄にリンクを貼っておきますので聞いてみてください。
運動会の赤組、白組はなくなったとはいえ、体育の授業なんかで、例えばバスケをして点数を競うっていう場面で
チームの能力に差がありすぎると、あまりに活躍できないし、点を取られっぱなしになるっていう事態が起きるから
うまい子をバランスよく入れるなんていうことは必要だと思うんですね。
先生がバランスを考えてグループを決めちゃうとか、能力に差は出ても今回は完全にくじ引きとか、決め方はいろいろあるわけですよね。
その時の体育の授業の狙いによっても変わってくると思うんですけど、先生が子供に決めさせるっていうこともあるらしいんですね、今も。
その場合、特定の生徒がそれぞれの能力のバランスを考えて決めたりとか、決める係になった子が先生と相談して決めたっていうこともあったみたいなんですね。
だけど、あの子はできる、あの子はできないっていうのを分かるようなやり方はしないそうなんですね。
結果的には分かるんですよ、バランスよく入っているわけだから。でも、それを公の場で晒すみたいなことはしないそうなんですね。
そもそも運動会で赤白能力を公平にしないといけないっていうのは、競技がそういう運動できる、とりわけ足が速いっていう子に有利なものばかりだったからっていう面もありますよね。
これも運動会の回とか、他にも体育のこと、これまでもお話ししてると思うんですけど、今はそこだけに注目しないっていう方向性を感じるんですね。
人と比較して運動できる子だけが活躍するんじゃなくて、できない子もできないなりに自分で目標を立てて、自分の中でその目標をクリアして、
前よりもこんなことができるようになりました、なんていうのが評価されるようになってきてる感じがするんですね。
もちろん運動が得意な子に活躍の場を作ってあげるのも大事だと思うんですよ。
境目が難しいんですけど、これ何かしらでトラウマになっちゃうと、一生体育、運動は嫌いになっちゃうと思うんですよね。
でもこういうことって勉強の方でもあるかもしれないから、難しいんですけどね。
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最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
前半にお話しした体育の話、昔はできるできないっていうのを、今よりはっきりさせられる授業だったと思うんですよね。
そうするとできない、きっとこれもできないだろう、やっぱりできない、どうせできないみたいになってね、私のことなんですけど、今も体を動かす習慣がないんですよね。
でもね、体とか体重のこともありますけど、とにかく体を動かすのは大事なので、そうも言ってられないので、なるべく運動というか散歩を散歩するっていう機会を増やしていこうっていう気持ちで生活してます。
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