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2023-11-06 23:00

「迷惑をかけるな憲法」に縛られてませんか?

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「迷惑をかけるな憲法」、それは法律やルールに規定されているわけではないにも関わらず、多くの日本人の生きる前提になってしまっている…。

最近読んだ新書をご紹介しつつ、学校現場に思うことや子育てで気をつけたいことなど、つらつら考えてみました。

【今回の内容】

大人の顔色を伺う「いい子」…大人に「納得できない」と伝えるのは「わがままな子」?/今も運動会では「右向け、右!」/経済復興の時代は良かったけど…学力「工場」/数学でさえも暗記でこなしたあの頃/言い切る人が人気/令和5年の今は、昭和98年/子どもが親に「怒ってる?」は忖度の危機/「いい子」がキャパ超えすると…


☆トークに出てくる本

「ケアしケアされ、生きていく」(竹端寛著、ちくまプリマー新書)

「訂正する力」(東浩紀著、朝日新書)


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迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
天の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
主婦の方だけでなく、主婦のパートナーの方にもヒントになればというのと、主婦が身近にいないという方にも楽しんでもらえたら嬉しいです。
今回のテーマは、ちょっと真面目というか、そんな回になるかもなんですけど、迷惑をかけるな憲法について考える。
最近読んだ一冊の新書が、すごく考えさせられたんですね。
タイトルは、ケアしケアされ生きていく。竹畑博史さんが書かれてまして、チクマプリマ新書ですね。
竹畑さんというのは、兵庫県立大学環境人間学部の準教授でいらっしゃいます。
この本の帯には、他人に迷惑をかけていい。社会の抑圧や呪縛から抜け出して、お互いがケアし合う関係になろう。
ということが書かれてまして、背拍子には、社会の規格からはみ出してはいけないと、忖度したり空気を読んだりしてしまう。
でもそんな社会は生き苦しくて生きづらい。自分のありのままを大切にする。ケアのある社会にしよう。
そういう内容の本です。竹畑さんが20年間、大学生と接する中で、かぎかっこつきのいい子っていうのが増えてるらしいんですね。
看板にも標識にもない、法律やルールにも規定されてないけど、他人や周囲に迷惑をかけてはならない。
これをしっかり守っているっていういい子が多いっていうことなんですけど、そういういい子っていうのは、先生としては表面的には授業をするのは楽なんです。
でもどう思うっていうふうに意見を求めると、分かりませんって言って黙り込んだりとか、教員の顔色を伺って、教員が求める答えを探るっていう学生もいるそうなんですね。
大人の期待に応えようとするっていうことなんですけど、これは世間や他人にとって都合のいい子っていうことなんじゃないかっていう問題提起ですね。
そういう社会では、先生、親、大人に違うと思います。納得できませんって、そういうことを伝える子はわがままと言われたり、我の強い子、自分勝手、こういうラベルが張られがちじゃないか、そういうことにも警鐘を鳴らしてるんですね。
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この筆者が6歳の子の子育てをする中で、いろんな発見があって、ケアされる存在の素晴らしさっていうのを考えていくっていう本なんですけど、この本の中で、学校教育が古臭いままだっていう話に考えさせられたんですよ。
実際、私も子供の運動会見に行って、そこで聞いて、強烈に違和感を覚えたことがあって、それが今も気をつけ、回れ右といった号令が使われ続けている。
運動会では、小さい子たちがお揃いの体操服着て、赤白帽をかぶって、号令に従う。これ、軍隊じゃんってちょっと思って、それは恐ろしい気分になったんですよ。
これでも、自分が小学生のときは当たり前にやってたんですね。前へならえ、座れ、みたいな、その号令に従って動いてたんですよ。
今、私が小学生になっても、学校で先生がやりましょうっていうことに疑問を持たないんじゃないかと思うんですよね。
そして、学校の先生も、そういう監修の中でずっとやり続けている、先輩の先生もやっている、周りの先生もやっているという中で、慣れきって疑問に思わないかもなと思うんですね。
でも今は、こういうのをなくしていこうなんていう話も、ちらっと聞いたこともあるので、疑問を持つ先生も出てきているとは思うんですけど、ただ現実として今もある。
そうやって、学校教育って連綿と続いてきたわけですよね。
戦時中もそうだし、戦後もこういうやり方、統制するっていうのが、戦後の経済復興の時代に国にとって都合が良かったわけですよね。
先生1人対たくさんの生徒っていう授業スタイルで教え込む、それから言うことを聞かせるというか、そういう標準化、規格化された知識を詰め込んで、
そうすれば、読み書きソロ版をみんなが身につけられて、工場労働者の質も上がって、生産力も上がって、学力向上の成果が出てますよねっていう、そういう時代背景とともにやってきたわけですよね。
だけども今、学力向上じゃなくて、学力工場、ファクトリーの方の工場になっちゃってるんじゃないか。
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教師が一方的に話して、生徒はただその内容を覚える、ただの入れ物になっちゃう。先生も生徒も、入れ物をいっぱいにすればいいっていう風になっちゃうっていう、そんなような話も本には出てくるんですよ。
これ読みながらね、うわーこれ私だと思ったんですよ。数学さえも暗記でこなしていたあの頃。私にとって勉強っていうのはイコール暗記だったんですね。
数学でさえやり方を考えるっていうことをせずに、すぐに答えとやり方を確認して、全部パターン化してたんですよ。そういう勉強の仕方をしてたんですね。
この間、テレビ番組で、数学の番組で1たす1は2、この当たり前と思われている現象について考える、深掘りをするっていう、そういう番組をやってて、そのとき一緒に見てた長男も夫も興味深そうだったんですよ。
なるほど、なんて言ってね。私はというとね、数学の成績自体は悪くはなかったから、そんな苦手っていう意識はなかったんですけど、興味がないんですよ。
私ってつまらないなと思ったんですけど、さっきの入れ物の話で言うと、ふわふわの軽い羽毛みたいな、そういう知識で、ただただ入れ物をいっぱいにして、押し込んで押し込んで、ぎゅっと蓋を閉めて、それで学生時代をしのいで、いざ大人になって、もう蓋緩めていいですよ、蓋緩めます。
バーッと羽毛が散っちゃって、何にも残ってないみたいな、まあね、教養がないんですね、私ね。
言い訳にはなるんですけど、高校時代特にですね、授業も授業だったんですよ。公立の一応新学校だったんですけど、生徒の自主性だけに任されている状況で、宿題も補修も特にないし、
日本史の先生はね、問題集の答えの悟空をひたすら黒板に書き続けるだけの授業をしてたりとか、あとね、真面目に聞いてても意味不明な科学の先生とか、人柄は大好きだったんですけど、授業は非常に評判が悪くてね、周りみんな、マジ意味わかんないよねっていう感じだったんですけど、
でも当時はインターネットもアプリもないし、受験に対してもね、情報源っていうのは本屋でもう限られるんですね。
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勉強は嫌いではなかったけど、全然面白いと思ってやってなかったんですよ。
でもね、本来勉強って面白いもののはずなんですよね。何か知らないことを学んで自分が成長する世界が広がる、そういう面白いもののはずなんですよね。
だってポッドキャストだけ見ても、知識系、ナレッジ系と言われるポッドキャスト、すごい人気ですよね。それもやっぱりみんな勉強すること、知識を得ることが面白いっていうのを物語ってると思うんですね。
全然知識系じゃないね、ポッドキャストやっておいてなんなんですけども。
なぜどうしてっていうのは、かつての受験ではあんまりいらなかったんですよね。
でもね、今は中学受験を見てても、小学校、中学校、学校の授業一つとっても、なぜどうしてっていうのをすごく大切にしている感じがするんですね。
そんな中で子どもたちには少しでも勉強の楽しみを感じてほしいと思いますね。
本の中には正解幻想、正しい答えがあるっていう幻想のことなんですけど、それが今、原発、東日本大震災の原発のこととか、あとコロナのことなんかで、専門家が常に正しいとは限らない、そういう正解幻想っていうのに気をつけないといけないっていう、そういう話も出てくるんですね。
確かに正しい答えっていうのを求めがちだなっていうのは思って、はっきり物事を言い切る人っていうのは人気ですよね。これはこうですよって言い切る。
メディアに出てくるような方とか、何人か思い浮かびますけど、そういう方とか、あと占い師とかですね、言い切る印象がありますよね。
もちろんね、それによって救われる方がいらっしゃって支持されてるから、人気も出てるんだと思うんですけど、もちろんね。
だけど、私はある意味、言い切るっていうのは無責任っていう面もあるなと思うんですね。
結構ネットとか雑誌とかの見出しなんかにも、「〇〇のただ一つの方法」とかそういう見出しをよく見るんですけど、そういうのに安易に頼らないようにしないとなっていうのを改めて思いました。
それからこれも印象的な言葉でした。
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これは朝日新聞の連載で使われていたワードだそうなんですけど、日本社会の基本的なシステムがね、昭和で動き続けている。
さっきの学校の話もそうだし、働き方もそうだという話が出てくるんですね。
さすがに24時間戦えますかっていう、そういう社会ではなくなってきているとはいえ、労働ファーストな社会の風潮っていうのはすごくあると思うんですね。
相変わらず女性が多くになっている家事、育児にしわ寄せが来る。
金銭的な価値を生み出すこと、市場主義みたいなね、稼いでいるか、そしてどれだけ稼いでいるか、それが大事にされる社会。
これはでもね、その家中にいる人も息苦しくしてるんじゃないかなっていうのはちょっと思うんですね。
ウェルビングじゃないんじゃないかなと思うんですね。
これはね、前にも言った、自己肯定感の話っていう時に言ったかなと思うんですけど、家事、育児、介護もですね、このケアをもっと大切なものとして見ようよっていう話にもつながるんですけど、
それはそのケアをメインの活動としていない人にも結果的にウェルビングをもたらすんじゃないかなと思ってるんですね。
自己肯定感の話についてはリンクを貼っておくので、よかったら聞いてみてください。
あと本の中にあったのは、頑張れば報われるっていうのの呪いですね。
これは頑張るなっていうわけではなくて、報われるためには頑張らなければいけない。
頑張らないなら報われなくても仕方ない。
頑張らないなら報われなくても仕方ない。
こういうガンバリズムがあるせいで、今若者たちがね、うまくいくかわからないことに対して意欲的に取り組む意欲が低くて、つまらないやる気が出ないっていうふうに感じる若者が多い。
これで若者の自尊感情がすごく低くなる、そういう話も出てくるんですね。
いやーこれもう怖いなと思います。
昭和の大成功、昭和のやり方での大成功っていうのは、もう賞味期限切れだよっていうことですね。
自分の子供のことを考えた時に印象的だった本の内容がありまして、
子供が親に怒ってるとかすぐにごめんなさいを言うのは孫択の危機。
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これ筆者の娘さんが小学校に上がったぐらいから怒ってるっていうふうに聞いてきたりとか、
何か注意をするとすぐにごめんなさいっていうふうに言うようになったっていうのを見て、
いやーこれ我が家も全くないとも言えないかなと思ったんですね。
孫択して大人の顔色を伺う大人にとって都合のいい子っていうのは、大人にとってすごい扱いやすい子供なんですよね。
親が管理、支配しやすい子っていうことになるんですけど、
でもこれって子供の成長にとって親が最大のリミッターっていうことになりかねないんですよね。
やりたいことよりも親の顔色を先に見る。
お金が発生するようなことで特にこういうことあるかもなと思ったんですよ。我が家も。
子供がダメだよねみたいな遠慮がちな感じで聞いてきたっていうのが記憶にありまして、
最近だとね、ハンドボールをやってるんですけど、ハンドボールのボール買うってなったときに、
えっいいの?みたいなことがあったんですけど、
まあね必要なものはそれは私たちだって買おうと思うんですけど、
でも必要じゃないと私たちが判断するもの、親の私たちが判断するものに対して、
でもそれダメ、ダメみたいな感じを続けてると、子供としては何を買うのもダメと思っちゃうかなっていうのを思いまして、
それは何でもかんでも買えないけど、子供がとりあえずこれ欲しいなと思いついたものを言葉にする前に飲み込むのは、これは良くない状況かなと思ったりしました。
子供が自分の思いを伝えることを我慢したり諦めたり、そういうことをしたりしないように意識だけでもしていたいなと思うし、
自分の思いを伝えることを我慢したり諦めたりする鍵かっこつきのいい子ですね。
こういう子っていうのは限界を超えてキャパオーバーになると涙を流したり、不登校になったり、リストカットをしてみたり、
そういう自分が苦しいことを伝えようとする言葉にならない表現っていうのが出てくるっていう話もあったんですね。
そういうのがあったときには、そういう背景まで考えた上で、自分も振り返って受け止めないといけないなと思いました。
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あとここもちょっと印象的だったんですけど、一度失敗したことに対してすぐに自分には向いていないっていうふうに思いがち。
フィッシャーの話だと自分はサッカーができない、運動ができないと思い込んで、自分でリミッターをかけていたっていうそういうのがあって、
私自身も運動に対してそういうところがあったかなと思ったんですけどね。
今の自分に対してもリミッターをかけないようにしたいし、何より子どもがそういう思考に陥らないように、
もし陥っていたらそこは救ってあげるのも親の役目かなと思いました。
このフィッシャーの方の大学の大学生でね、自己紹介のときに話しかけてもらったら何でも話すんで、ぜひ話しかけてくださいっていう、
そういうことを言う子が必ずいると。
自分から話しかけると迷惑かもしれない。
話しかけられるのは迷惑じゃないよと宣言をしていくことで、迷惑をかけるな憲法違反にならずに友達を増やそうとする。
そういう空気があるそうなんですね。
ルールを破ってはいけないっていう同調圧力の強い空気の中で、ルールの範囲内で友達を作りたいっていう。
これを破る人はからかいだったりいじめだったりで、空気が読めないっていうことで排除されてしまって、不登校なんかに追いやって、より同調性が高まっていく。
そういうことも書かれてまして、言語化されると本当に恐ろしいなと思うんですね。
学生だけの話じゃなくて、そういう迷惑をかけるな憲法、大人の社会の自粛警察にもつながっていくと。
皆さんも周りのマスクの状況の空気を読む。たくさんしてる人がいるのか、したほうがいいのか、そのあたり周りの雰囲気、空気を読むっていうのは経験があるんじゃないかと思うんですけど。
マスク警察なんていう言葉もありましたけどね。世の中も学校現場も多様性とかSDGsとか、そういう言葉が叫ばれる一方で迷惑をかけるな憲法が同居しているっていう、この複雑な現代社会。
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ともかく子育てをするときに、子どもの自立性と対等性。自立性っていうのは自分で立つ方の自立じゃなくて、自分を立するの自立ですね。自立性と対等性。子どもは対等な存在だっていうこの対等性。
改めて気をつけて、空気に支配されるこの社会をね、生きる力を少しでもつけてもらいたいなと思いました。最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
社会の空気の話っていうのはね、ちょうど今読んでる別の新章があって、あずまひろきさんの本で、訂正する力っていう本なんですけど、ここにも空気の話書かれてるんですね。
世の中をなんとなく生き苦しいなって思うだけじゃなくて、言語化してもらえるとね、自分自身もちょっと生きやすくなるかなっていうのがあるし、自分が社会を変えるっていうのはなかなか現実的ではないんだけど、でもね、社会の中での自分の意識を変えると気持ちが楽になることがあるなと思いました。
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