1. PitPa Talk(ピトパトーク)
  2. #021 日米で報道番組に関わっ..

様々な経歴を持つメンバーが働くPitPa。

今回は、ケーブルテレビ局のアナウンサーから始まり、アメリカで5年に渡る番組制作、また帰国後は報道ステーションのディレクターなど、報道現場で多くの経験を積んできた竹村さんがゲストに登場。

過去の経験が今のポッドキャスト制作にどう活きているか、PitPa共同創業者の富山がインタビューしました。


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サマリー

PitPa Talkは、ポッドキャストやWeb3などを取り上げるポッドキャスト番組です。今回、ポッドキャスト事業の政策面を担当するPitPaメンバーの富山さんがホストを務め、番組プロデューサーの竹村さんをゲストに迎えてさまざまな話を聞いています。竹村さんは報道番組のディレクターとして国際ニュースを担当しており、週間制作で毎日のニュースに取り組んでいる日本のテレビの制作とは異なる、アメリカでの番組制作の経験もお持ちです。彼女は自身の仕事感についてもお話ししており、また、今後のピトパに対する要望も述べました。

PitPa Talkの始まり
PitPa Talk、この番組やポッドキャスト番組を総合プロデュースするPitPaのメンバーが、
ポッドキャストやWeb3などの話をしていくポッドキャストです。
今回はポッドキャスト事業責任者の富山がホストを務めまして、
ポッドキャスト事業の政策面でPitPaチームにジョインしていただいている方々を紹介していこうと思っています。
今回は番組プロデューサーで、時にはキャスターとしても出演している竹村さんをお招きして、
いろいろ話を聞いていこうと思っています。竹村さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
あれですよね、竹村さんと仕事を始めて3年ぐらい?2,3年ぐらいですかね。
そうですね。3年以上経つかもしれないですね。
ですよね。あれ?一番始めきっかけみたいなのって言うと、何かで応募してきていただいたみたいな形だったんでしたっけ?
そうです。PitPaのプロデューサー募集みたいな求人広告を見て、
ポッドキャストってその頃やってる人がまだあんまり多くなかったので、自分の周りで。
どんな人たちがやってるのかなとか、ちょっと話聞いてみたいなと思って面接に行ったのが始まりですね。
そこからでも、とびとびだったりもするんですけど、番組をずっと作り続けてきて、一緒にやり始めて2,3年というところなんですけど、
竹村さんが、それまで報道関係がベースでいろいろやられてた方だと思うんですけど、
竹村さんの経歴と留学経験
ちょっと改めてですね、ここで聞くのもあれなんですけど、大学の時からもう留学とかされてたんですよね?
そうなんですよ。大学時代に日本でコミュニティFMっていうのがちょうどブームになっていた時期で、
大学に通いながらコミュニティFMで今みたいに台本書いたりとか、出演して喋ったりとか、そういう仕事をしていて、
英語にも興味があったので、あとFMのDJの方とか、やっぱり英語喋る方すごい多いので、
私も留学しようと思って、それでアメリカに留学を1年間して、日本に戻ってきて就職とかどうしようかなってなった時に、
コミュニティFMでの経験がすごく自分に合っていて楽しかったので、何か台本を書いて喋れるような仕事、
そして英語が生きるような仕事ないかななんて思って探したんですけど、日本って当時そんな仕事なかったんですよね。
プロデューサーというか制作者はもう制作会社に入って制作だけやる、そういう人は喋らないっていうことが前提ですし、
アナウンサーってなるともう今度は制作とかは全然やらない。
逆にニュースとかそういうものとかの場合は自分の考えとかも一切言わない。
ただ与えられた原稿を正確に伝えるっていう仕事を求められて、大学卒業してフリーアナウンサーみたいな感じで事務所に所属することになって、
学生時代にラジオ日本のオーディションを受けたら受かって、卒業と同時に番組を持てることになったんですね。
なのでそういうフリーアナウンサー事務所みたいなのを紹介してもらって、所属してやっていきましょうっていうことになったんですけど、
その時は全然原稿を書いたりとかそういうことはしてなかったですね。
完全な分業という感じだったんですよね。
そうなんです。
なのでアナウンサーの仕事もその後のキャリアとしてはやったりしてたんですけど、
アナウンサーをやったり、逆に制作ももうちょっとやりたかったので、アナウンサーの仕事はちょっとストップして、制作の仕事、会社に入ってやってみたりっていうことを繰り返しながら今までのキャリア来たような感じですかね。
その中で転機になったのが、20代後半の時に、筑波にあるケーブルテレビ局でアナウンサー募集っていうのがあって働くことになったんですけど、
やはり地方ということで人数がいないっていうことがあって、
そこではアナウンサーの人も番組作っていいですよ、自由にやっていいですよみたいな環境があったんですよ。
そこで上司の人に映像制作のイロハを教わって、
なので自分で台本を書いて現場にはいくんだけど、カメラとかそういうのは他の人がやってくれ。
ただ局に戻ってきて自分で編集をするっていうような、
なのでちょっとやりたいことに近いような仕事を地方に行ったことによってできることになって、
それがやっぱりすごく自分のやりたいことだったので楽しくてあっていて、
それを2年ちょっとやったんですよね。
その時にちょうどニューヨークでNHKの関連会社で映像を作れる人を日本から募集しますみたいな募集があって、
あ、アメリカに行けるチャンスだと思って、
アメリカの仕事ではアナウンサー業っていう感じではなかったんですけど、
制作をニューヨークでできる機会なんてなかなかないので、
これはもう行ったほうがいいなと思ってアメリカに行って、
アメリカも結構5年ぐらいいたんですけど、
その中でいろいろアメリカの大統領選挙を取材する機会があったりとか、
911のアメリカ同時多発テロの遺族の方に取材するような機会があったりとか、
そこでどんどん報道の方に自然な形でシフトしていったっていうような感じですかね。
それまでは報道とかではなくて、もう普通にいろんな番組を単純に作るっていうベースだったんですかね?
そうですね。ニュース番組みたいなものもやってはいたんですけど、
これからずっと報道やっていこうみたいな気持ちもなくて、
やっていたニュースというのも地方だったりしたので、
地域のお知らせだったり、自治体のことだったりとかお祭りだったりとか、
日本の夕方のニュースとかでやっている柔らかいネタというような感じの、
もうめちゃくちゃ報道しているハードな、
例えば殺人事件の現場に取材に行きましたとか、
そういうような感じでは全然なくて、
なのでそこまで一生通じて報道やっていこうみたいな風になるとは、
報道への転向と日本での活動
アメリカに行くまでは全然思ってなかったですね。
そっから逃兵して、もう完全に向こうに移住したんですか?
そうです。完全に向こうに移住して、
向こうの会社で働いていたので、
ドルでお給料をもらって生活するっていうような生活をしていて、
それ、2010何年半ぐらいかな?
今から5年前ぐらいですかね。
なので、10年ぐらい前にいて5年ぐらいまでいたっていうような感じですかね。
2013年とかそのぐらいに行ってっていうような感じでしたね。
そっから5年間向こうでやられてて、
日本にその後帰ってきて、
どっちでもやるようなそんな仕事なんでしたっけ?
そう、日本に帰ってきて、じゃあどうしようかなって思った時に、
ニューヨークでは制作の仕事しかしてなかったので、
いきなりアナウンサーの仕事に戻るようなチャンスはないんじゃないかなって思っていて、
とりあえずアメリカで制作の仕事をしたので、
日本でそれがどこまで通用するのか、
いろいろやってみたいななんていうのもあったりとか、
アメリカでその仕事をしながら映画学校に通って、
ドキュメンタリーとかそういうののコースを取ったりとか、
まったく短編映画?フィクションの物語というか、
よくある映画を撮るような授業を取ったりもしていたので、
ちょっとそのドキュメンタリーとかそういうものも作ってみたいなとか、
いろんな思いがあって、
ちょうどその時にですね、
CNNのドキュメンタリー部門で日本で働く人っていうのの採用があって受かって、
日本に帰ってきてCNNで働き始めて、
めっちゃ大手ですね。
そうなんですよ。英語ができたっていうのが本当に大きくて、
英語ができて映像制作の経験がある人ってそこまで業界に多くないので、
なのでそれでCNNで働き始めて、
その時にSDGsに関する短い外務省のドキュメンタリーとか、
そういうものの仕事をして、
その時にCNNって当時テレビ朝日と独占契約を結んでいたんですよね。
ニュースの部門の独占契約を結んでいて、
会社にテレビ朝日の方とかが来てたんですよね。
で、なるほどなんてこう日本ではニューステレビ朝日こんな感じなのかとか、
そのCNNの映像を使ってたりするのでよく見るようになって、
その後にですね、報道ステーションのディレクターをやらないかみたいな話が出てきて、
CNNの仕事は楽しかったんですけど、
日本の大手のテレビ局でそういうニュースの現場で働いたことっていうのは全然それまでなかったので、
いい経験になるかなと思って、ちょっと行ってみようかなーなんて思って、
報道ステーションのディレクターとして転職したんですね。
それでもう報道路線っていうか、年齢も見合っていたし、
逆に報道ステーションに行くとアメリカの選挙戦取材した経験がある人とか全然いないので、
重宝されるというか、記者としてはもちろん外報部の記者の方とかで駐在したような方は、
取材されたことある人もいるんですけど、ディレクターとしてあるっていう人はなかなかやっぱりいないので、
重宝されて、あと自分の年齢的な興味ともその社会の接点がどんどん増えていく中で興味があってですね、
このまま報道の道に済むのもいいのかなーなんて思いながらやっていたら、
英語ができるのでいろんなインタビューを担当してほしいっていうようなことも増えていって、
やっぱりどうしても日本語しかできないディレクターの場合は通訳さんを雇って聞いてもらうことになるんですけど、
通訳さんって番組をどうやって構成するかっていうような知識は全くないので、
ただ言われたことを英訳して聞くっていう感じだと、なかなかその番組で使えるようなコメントっていうのは引き出すのが難しいんですよね。
逆に通訳さんは自分の意見で何か変えたらいけないっていうふうに教わってる人なので、
そんな要領よくいろいろ規定も聞かせて聞き換えてくれたりとかしないので、
そうするとやっぱり限られた、与えられている例えば30分とかっていうインタビュー時間の中で、
なかなかいいコメントっていうのを引き出すのは難しくて、
それが英語ができるディレクターであれば、もうインタビューを引き出すっていうのは長年やってきたことですから、
しかも私はアナウンサー経験があるので、インタビューっていうのはもう人生を通じて慣れているわけですよね。
なのでその仕事はすごくうまくいって、
報道ステーションを結構仕事もハードなので、
体力的にこれからどうやって続けていくのかなみたいな、もうちょっと緩やかな働き方ってないのかななんて思ったときに、
報道ステーションを辞めてからも別の報道番組で、
このまま大統領選の企画は手伝ってほしいとか、911の遺族の主催は毎年やってほしいとか、
ありがたいことにそういう通訳的なお仕事とかもいただくようになって、
なので緩やかにフリーランスになったというか、フリーランスになるつもりはなかったんですけど、
ちょっと報道ステーション忙しいから休憩しようかなってなったときに、結構そういう細々した仕事が入り始めて、
なんかこういう感じで仕事があるんだったら、そんなに急いであれこれ探さなくても、
例えばポッドキャストとかそういう新たなメディアとかですね、興味のあることをどんどんやったりとか、
あとアナウンサーの仕事も、たとえそんなにレギュラー番組を持つみたいな安定した感じじゃなくても、
いろいろ複合してやっていけばいいんじゃないかななんていうふうに思って、
ピトパの皆さんに会いに行ったっていうような流れですかね。
報道番組のディレクターとしての経験
一番初めに振り返っちゃうんですけれども、コミュニティFMのときは基本音声の編集と言いますか、制作から入って、
生放送だったので編集っていうのは要らなかったんですよね。
なので音声の人は、MAさんというか現場で音量調節してくれる人みたいなのはいて、
私はどちらかというと生放送に入るために原稿を書いたりとか、現場でその原稿を組み立てながら、
いろんなゲストの人にお話ししていたりとか、今やってる仕事とあんま変わらないんですけど、
その原型になるような経験をしていたっていう感じですね。
なので音声のこととかは当時は全然詳しくなかったですね。
途中のその転機になったケーブルテレビのところから映像の方に入ってきて、
これもちょっと興味本位で聞いちゃうんですけども、
報道ステーションとか日本のテレビ局のディレクターっていうと、仕事の範囲ってどういうところになる感じなんですかね。
日本はですね、やっぱり大手のテレビ局だと本当に分業が進んでいるんですね。
なので自分のやることっていうのが決まっていて、
私は報道ステーションの中でも国際ニュースを担当することが多かったんですけど、
やはり英語ができるということで。
大体毎日国際ニュースのチームに入って、
そのチームがどんなネタをその日扱うのかっていうのは、
上司のような感じの番組のプロデューサーだったりデスクだったりっていうような人たちが相談して決めているので、
今日はこれをやりますっていうふうにお対応が与えられて、
それをいかにみんなが興味を持つような形として出せるかっていうのを、
じゃあこういう映像を集めてこようとか、こういう専門家に話を聞こうとか、
そこから毎日毎日チームで相談して動き出して、
そういう専門家に話を聞くんだったらいろいろコーディネートもして、
会いに行って話を聞くのか、それともスタジオに来てもらって話してもらうのか、
映像を撮るのかっていうような段取り回りをしたりとか、
チームの中で今日は誰が台本を書くのかっていうのを決めたりとか、
映像も他社には出ていないような、まだ現地のメディアでしか報じられていないようなものを、
その段階から英語で交渉を始めて、いかにうちだけ独占で出すかっていうようなことを工夫したりとか、
なので毎日毎日が短距離層みたいな、
そういう感じですね。
なので台本も書くし、コーディネーションもするし、取材もするしっていうような感じが報道番組のディレクターの仕事ですね。
お題が出されて、それに対してシナリオをどう作っていくか、用意どんみたいなので。
用意どんです、本当に。
編集マンはいるんですけど、編集マンはあくまで自分の意思で編集する人ではないので、
ディレクターがこの映像の次はこれ、この次はこれ、こういう感じの過去の映像ないかなって言って、
全部指示出しをするんですね。それをつなげてくれるっていう人なので。
それももう本当に、私たちだいたい昼の1時ぐらいに働き始めて、
まあ夕方ぐらいには台本が出来上がっていて、
7時ぐらいから編集のブースに入ったりとかして、
そこから9時とか10時ぐらいまでには映像が出来上がってなければいけなくて、
で、もう11時50分からオンエアがスタートというような感じなので、
ただ映像はオンエアが始まってもまだ出来上がっていないこととかもあったりして、
本当に毎日がもう羽渡らしいんですけど、でも楽しいので、
ずっと遊園地にいるみたいな感じなんですけども、ずっとジェットコースターに乗ってるみたいな。
なので楽しいけどすごい疲れるっていうのがリアルな感想ですかね。
お昼の1時から用意どんになるんですか?
そうです。出社がだいたいお昼の1時なので、そこから用意どんですね。
じゃあもう明日何するかとかっていうのは特に決まってない?
そうなんです。何が起こるかニュースは分からないので、
準備するっていうものはよっぽど長くやるような企画ですよね。
例えばアメリカ同時多発テロから何年っていう、
必ずその日に流すことが決まっている企画ものってなると、
何ヶ月も前から準備したり色々調べたりできるんですけど、
基本的に毎日のニュースっていうのは準備ができないので、
なので毎日がジェットコースターでした。
日本とアメリカだとその辺の制作の違いって結構あるんですかね。
アメリカの場合は、私が担当していた番組がそこまで長い尺のものではなかったので、
事前に準備できるその当日のニュースっていうの以外の内容も結構多かったんですね。
どちらかというとその会社で作っていたメインの番組が、
アメリカとかカナダとか北米に住んでいる日本人に向けて、
役立つ情報を、もちろんその人たちも日本からのニュースも見ているし、
アメリカで現地で報道されているニュースも見ているんだけれども、
普通に生活に役立つような特化した情報っていうのがないので、
在米の日本人に向けて役立つ情報を伝えるっていうような趣旨がメインだったので、
そうなると日々のニュースっていうよりはもうちょっと企画して、
いろいろ準備したり取材したりできるようなものが多かったので、
そこまで毎日を挑んっていう感じではなかったですかね。
なるほどですね。じゃあやっぱ報道っていうのとはだいぶ違う。
報道って言いますかニュース、日々のニュースとだいぶ違う感じですね。
ニュースってなると全然違いますね。
どっちのほうがあれですか、自分のショーに合ってました?
アメリカでの番組制作の違い
いやそれぞれ楽しいので、どっちもやりたいんですけど、
でもやっぱり休み休みやれたら一番いいですよね。毎日ジェットコースターだと。
確かに。
やっぱり報道ステーションで一緒に働いていた方たちを見ていても、
だいたい3年ぐらいで番組変わる方が多かったですね。
長くやられている方も本当に10年以上やられている方ももちろんいたんですけど、
やっぱり体力面で相当ハードなので、
いろんな夕方のニュースとかまたちょっと毛色の違うニュース番組をやったりしながら、
いろんな番組をローテーションで3年置きぐらいにやっていくっていう方が多かったので、
そのぐらいがちょっとサステイナブルな働き方なのかもしれないですね。
なるほどですね。そういうことですね。
はい、というところで前半のエンディングです。
竹村さんとはですね、ちょっと話が厚くなりすぎて、
この続きはですね、後半へと続いていきます。
後半はですね、竹村さんが具体的にPodcast制作にどう携わってきたのかというところを伺っておりまして、
竹村さんもですね、大事にしている仕事感ですとか、
あとですね、ピトパにもっとこうしてほしいみたいなところもいろいろ関連に話していただきましたので、
ぜひ次回もお聞きいただけると嬉しいです。
今後もこの番組ではピトパのメンバーが回ごとに代わり登場します。
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よろしくお願いいたします。
それではまた。
20:06

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