EP25 【対談】責めることを減らしても見過ごさない(ゲスト:あざらしさん)
2026-07-07 49:15

EP25 【対談】責めることを減らしても見過ごさない(ゲスト:あざらしさん)

spotify apple_podcasts

今回も野田徳子主催のコミュニティー「インナーコンパス」から、メンバーのあざらしさんをお招きして、あざらしさんが CPS(Collaborative Problem Solving)とIFSを使い、どのようにお子さんの毎日感じていらっしゃることなどをお聞きしました。

❤️  対談の中で出てきたCPSの本『教師と親のための子どもの問題行動を解決する3ステップ』はこちらから購入できます。

❤️  今回ゲストで来てくださった、あざらしさんのノートコムのページはこちら

https://note.com/ikuji_pukapuka
 

【親も育つ子育て™︎ コミュニティー「インナーコンパス」のご案内】 「知識は分かったけれど、一人で実践するのは難しい」と感じる方へ。 自分の内側をナビゲートする指針(コンパス)を共に育む、対話と実践の場をご用意しています。

詳細・お申し込み: https://thrivingfrominside.com/ja/community-ja/

 

【公式リンク・SNS】 
■ 書籍『親が先に酸素マスクを』 https://www.amazon.co.jp/dp/B0GT2MCN9Q 
■ 書籍『許さなくても、愛せる』https://www.amazon.co.jp/dp/B0H4C4V9V4

■ X (旧Twitter) https://x.com/drnodanori

■ note https://note.com/nodanori

 

【プロフィール】 野田徳子(Noriko Noda) ニュージーランド在住。総合診療科医、メンタルヘルスプラクティショナー。脳科学、ポリヴェーガル理論、内的家族システム(IFS)を使ったモダリティ「親も育つ子育て™︎」を提唱。

【注意事項】 ※このポッドキャストは教育・情報提供を目的としており、個別の医療診断や治療に代わるものではありません。

#脳科学 #親も育つ子育て


 

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回のエピソードでは、野田徳子さんと、コミュニティ「インナーコンパス」のメンバーであるあざらしさんが、子育てにおける「叱らないけど見過ごさない」アプローチについて対談しました。あざらしさんは、息子さんの不登校や娘さんの登園拒否といった困難な状況に直面し、当初は感情的に叱ってしまうこともありましたが、CPS(協同問題解決)とIFS(内部家族システム)の考え方を学ぶことで、子どもの行動の背景にある感情を理解し、建設的な解決策を見出すことができるようになったと語りました。 特に、息子さんが暴言や暴力に発展する行動をとった際、感情的に叱るのではなく、落ち着いた時間に息子さんと対話し、彼の困難な気持ちに寄り添いながら、どうすれば一緒に過ごせるかの解決策を模索した経験が共有されました。また、学習面での課題についても、子どものペースを尊重しつつ、親としての懸念を伝えながら、共に解決策を探る姿勢が重要であると述べられています。専門家への相談も活用し、子どもの発達段階に応じた対応を見つけることの重要性も強調されました。 この対談を通じて、親が子どもの行動を一方的に否定するのではなく、その背景を理解し、共感的な姿勢で向き合うことの重要性が示唆されました。CPSとIFSの考え方は、親子の信頼関係を深め、子育ての困難な状況を乗り越えるための有効なツールとなり得ることが語られ、リスナーに対して、自分に合った子育ての方法を見つけることへの希望を与えています。

自己紹介と対談のテーマ設定
こんにちは、親も育つ子育ての野田徳子です。 今日も私の運営するコミュニティ、インナーコンパスから、メンバーのあざらしさんをお招きして対談しようと思います。
では、あざらしさんお願いします。
あざらしさんよろしくお願いします。あざらしです。
簡単に自己紹介をすると、今6歳息子と3歳娘を育てているんですけど、
上の子は不登校で、下の子はちょっと登園拒否があって、最近ちょっと付き添いをすると、少しずつ登園できるようにはなってきているんですけど、
2人ともちょっと集団に不安があって、自宅で育てています。
はい、ちょっと前回も対談させていただいて、今回もちょっとお話しさせていただければと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それで前回お話したときに、なんかちょっと気になることというか、もうちょっとこう言っておきたいことというか、そういうことがあるっていう感じなんですね、あざらしさんに。
はい、なんか前回ちょっと話の流れで、ちょっと子供のことを聞かれたときに、ちょっとあまりセリフができていないまま話をしてしまったところもあって、
確かYouTubeを見続けちゃうときに、何を言ってもダメなときは、ちょっとそのままにしておくっていうような話をしてたと思うんですけど、
この野田則さんのコミュニティの方で、IFSとかCPSの本とかを紹介していただいて、
それから、自分にとってしてほしくない行動をどうやって親の気持ちを伝えるかっていうときに、
叱らないけど見過ごさないで済むっていうことができるようになったので、
あの文脈だと、ちょっと良くないことはそのままスルーしておくみたいな形に伝わってしまったかなって思ったので、
改めてお話をしてみたいなと思って話をしています。
いろいろやっぱりそこって大変ですよね。
私たちの日常の生活でも、相手とか子供がやってくれないときに、
あんまり押すとか文句を言ったり怒ったりしたら、もううまくいかないことは分かってるけど、
じゃあそこをどうやって親も幸せ、子供も幸せな解決法を探すかっていうのを、
多分本当に皆さんの課題だし、親子関係じゃなくてもね、
夫婦関係とかいろんな関係でもやっぱりそういうことはあると思うので、
そこの話をしてみましょう。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
息子さんの不登校と家庭内の葛藤
最近ちょっと特に困った場面があって、
その時の話を例に出してみようかなって思うんですけど、
息子が今小1で、春いろいろやっぱり登校するというか、
入学を機にやっぱり結構メンタルダウンをしてしまいまして、
早々にちょっと不登校になり、今は自宅からなかなか出れない状態になったんですね。
その当初、外出ができない状態に落ち込んだすぐは、
家庭の中でも結構不安定というか、
私は割と信頼関係ができてるんですけど、
例えば娘とか夫に対しても、そこに対しても刺激になっちゃうというか、
近寄ってほしくないけど、近寄られるとか、
そういった時にやっぱり暴言とか暴力に発展していったんですよね。
娘がやっぱり3歳なので、なかなか言っても聞けないというか、しょうがないところがあって、
だけどお兄ちゃんが好きで、やっぱり寄っていくんですよね。
そしたらやっぱり、まだ本当に警戒モードというか、防衛モードになっているというか、
息子がその状態だと、やっぱり入ってこられるとすごい怒っちゃったりとか、
あっち行ってほしいとか、そういうことがあって、
やっぱりその5月が結構苦しかったんですけど、
私も棚でさえ2人を見ている状態で、さらにその刺激が家の中でもさえもある状態になってしまって、
私も当初、やっぱり暴力とか暴言に対しては、私も結構やっぱり許せないパーツがいて、
当初はやっぱり娘に暴言とか暴力働いたときは、やっぱり叱ってしまったんですよね。
その場でやっぱり、やめなさいって言って。
だけど、そうやっているうちにやっぱり言い合いになって、
それを見ている娘もやっぱり傷つくというか怖がったりとか、
結局娘がやめてって私に言ったりとかする状態にもなってしまったので、
結構どうしようかなって思ってたんですけど、
でもそこでやっぱりできるだけ息子のパーツというか、息子の考えていることを想像して、
やっぱり今それだけエネルギーが足りていない状態なんだなって思ったときに、
どうやってそこを自分で解決する手助けができるかなって考えたんですよね、一瞬。
そのときに野田則さんに教えていただいたCPSと、
相手のことをやっぱり想像するためにIFSっていうのがすごく有効的で、
やっぱり私も叱っちゃったんですけど、
その夜の日とかちょっと落ち着いている時間帯に娘が先に寝て、
大体私と息子が最後に起きているんですけど、
その暗い部屋でちょっと寝る前に話をしたんですよ。
娘に対してやっぱりどっかに行ってほしいとか、家から出ておってほしいとか、
そういうことをよく言ってるけど、
どういうことが具体的に困るかなという話をしたりとか、
どうしたら娘がいる状態で落ち着いて過ごせるかなみたいな話をしたんですけど、
息子自身はまだちょっと解決策を導き出せるほど、まだ冷静ではないし、
極端な答えが返ってくるんですけど、
もう家から出ていけばいいとか、死んじゃえばいいとかそういうことも言うんですけど、
だけどそれはやっぱりそうだよね、それぐらいいなくなってほしいんだよねって話をしつつ、
だけど私は息子のことも大好きだし、娘のことも大好きだしって話をして、
どっちも大事だから、夫も含めて4人で仲良く過ごしたいんだよねって、
ただでもそこがすごく苦しい時どうしたらいいかなっていう話をして、
結局出ててほしいっていう話はずっとしてるんですけど、
だけど、どうしても近寄っちゃった時に、近寄られることがまず防げたらどう?って、
それだけでもちょっと楽になるかなって話をして、
だったらどうやったら近寄らないで済むかちょっと考えてみない?っていう話をしたりとか、
最終的には私の方からできるだけ話す環境を私が整えるっていうのと、
それでもやっぱり私がずっとついてるわけにはいかないので、やっぱ家事とかがあるので、
大変な時は助けてって呼ぶか、私の方にちょっと来れるかなとか、
どうしてもやりたいことがある時は私のそばでやれるかなっていう話をして、
ちょっとずつ解決法というか、家庭の中でもどうやって逃げ場を作るかっていうのを2人で話すと、
ちょっと落ち着いてきたっていうのがあったなって思って。
なのでヒートアップしてる時、私も怒っちゃうこともあるんですけどやっぱり、
どうしても許せないことが自分の中にもあるので、
だけどやっぱりその後に2人とも落ち着いた状態で、
お互いの意見を否定せずに、建設的な解決策を話すっていう中で、
相手のパーツを想像したりとか、自分のことを話したりとか、
CPSの本を読んで知ったことで、解決策は考えられなければ私が出す必要はあるんですけど、
そういった形で、相手の感情を認めつつ、こっちの感情も出して、
その両者がバランスを取れる方法を探るっていうのがすごく良かったなって思ってます。
CPS(協同問題解決)の理論と実践
素晴らしい。
ちょっとCPSは前回のあさらしさんとお話をした時にも少し説明したんですけれど、
コラボラティブプログラムソルビング、共同的に一緒に問題解決をするっていうやり方で、
子どもだけじゃないんだけど、いろいろ問題行動っていうのは、
問題行動をやるのは、その子のやる気がないからとか、その子のしつけがなってないからとか、
そういうことじゃなくて、何かやっぱりその子が大変だと思ってる、
周りがやってほしいようなことを行動することがすごく大変だと思ってる。
だからこそ問題行動になってしまう。
だからこそあさらしさんの場合だったら、例えば妹を叩いちゃうとか、妹になんかしてしまう。
それは妹を叩きたいからじゃなくて、妹が来た時のすごく自分の中で不安だと思う気持ちとか、
何かがあってそれがうまく処理できないとか、それがうまく言語として伝えられないとか、
そういうことがあるから結局行動に出てしまう。
そういうふうに問題行動というか望ましくない行動を捉えて、
じゃあそこに行く前にどうやって、
じゃあそのイライラしている気持ちをどういうふうに、
例えばどういうふうに処理するかとか、そういうふうにイライラしないような状況にどうやって持っていくかとか、
その前を探っていくという感じなんですよね。
それであさらしさんはこの場合、息子さんと話をした。
このCPSの中では、事前にやるっていうことがやっぱり大切で、
あさらしさんがおっしゃったみたいに、やっぱり怒っちゃったりするとか、
特にそういう場面では、親が何かをしないと娘さんの身も危ないし、
息子さんもそれで怪我し合うかもしれないし、なのでパッと介入することは必要だと思うんだけれど、
あさらしさんが言われたように、後からでもみんなが落ち着いた後に、
その状況について話し合って、じゃあ今度こんなことがあったらとか、
今度こういう状況でこういうふうにならないようにするにはどうすればいいかということを、
お互いの案を出して、解決策を練るというか、そういう感じのやり方なんですね。
あさらしさんがおっしゃったみたいに、本当に最初にその感情を理解してあげる。
完全に理解できなくても認めてあげる。
例えば本当に今すごい不安なんだよねとか、本当にこういうことになると腹が立つんだよねって、
お母さんもわかる気がするとか、やっぱりそこが一番大切で、それが伝えられたら、
その子自体が新経験をもつくし、そこで次の案が話せると思うので、
それが素晴らしいなと思ったんですね。
子どものつらい気持ちとか、子どもの何が大変だったのかを、まず私が理解しますよという姿勢であること。
そこが一番、本当にどんな状況であってもそれが一番大切で、
だからといってあなたが妹を叩いていいわけではないけど、
でもその前にあったこのすごいイライラした気持ちはあったんだよね。
お母さんにもわかるけど、じゃあ今度は叩かないようにどうすればいいかっていう、
そういうことかなと私は思います。
なんかやっぱり、息子がたぶん集団の中に入っていたとしても、
私自身結構叱るっていうこと自体がちょっとトラウマがあったりとかしてて、私も。
あと同時にやっぱり家の中で子どもたちがいる状態っていうので、
一番やっぱり私が心配しているのが、やっぱり依存先が家族だけになっている状態で、
やっぱり追い詰めすぎてしまうと、最終的には家族内で暴力とか、
やっぱり自分自身を自傷したりとかっていうのをすごく今怖いんですよね。
やっぱり不登校の人とかでやっぱり子どもに強く言えないっていう人も結構いると思うんですけど、
その原因ってやっぱり自分たちしか最後は取り入れになっているから、
そこを潰しちゃうとそういう怖さが常にあるのかなって思っていて、
だけどやっぱりちゃんと家庭の中でも他者がいるから、
その中で思いやりを持ってもらうというか、そこを出発して、
ゆくゆくは社会に出る力を少しでも育てばいいなって思っている親御さんにはすごくいい方法だなって、
私が改めて感じました。
なんか出席はしないけど放置しないですぐというか、
その方法がこの相手の感情も聞いて、自分の感情も話して、
同じテーブルに乗せて、どうやってそれぞれがある程度妥協するというか、
大事なことは守りつつ、どうやって心地よく過ごせる方法があるかっていうのを話し合うっていうことが、
すごくこの不登校のちょっと希望というか、
家の中でリアルにできるソーシャルスキルトレーニングみたいになっているなっていうのが、
最近すごくありがたいなって思って。
5月すごい落ち込んだけど、6月経って今7月になったんですけど、
娘とも結構仲良くやれてて、
落ち込んだ割には家の中では回復が早かったような気がしたんですよね。
それってやっぱり攻めちゃうこともあるし、どうしても自分も許せないことだから、
だけどやっぱりそうなっちゃう原因みたいなのがやっぱりあるっていう想像力を持つというか、
観察をするっていうモードが、このIFSとかご紹介いただいたCPSには結構詰まってるなっていうので、
自分もわりと子どもに関しては、わりとセルフでいられる時間が増えたなっていうのは、
すごくありがたくて共有させていただきました。
子どもの「誤学習」への新たな視点
ありがとう。
まさに、私もノートコムとかにも書いたかもしれないし、まだ出してないかもしれないんだけど、
皆さんが、私たちが心配する、子どもに対して心配する語学習とか、
例えばこのままYouTubeを見せておいたら、YouTube見てればいいよっていうことだと思って、
こういう人間になっちゃうんじゃないかとか、大人になっちゃうんじゃないかとか、
そういう心配する私たちの親としてのパーツがいるから、介入しようというか、やめなさいとか、
目とムチを使って、これをやったら1時間見ていいよとか、ちょっとコントロールしようとすると思うんですけど、
私は誤学習、誤った学習をするっていうのを、もうちょっと分析というか分けて、
まず、その子がどうしてYouTubeを見ているのか。
新しいさんのコメントとかでもあったと思うんですけど、
やっぱりお子さんがすごくメンタル的に落ち込んでいるときとか、不安が強いときとかは、
ちょうど私たちがすごく疲れて、もう何にもやる気がないときに、SNSを見てちょっとほっとするのと一緒で、
何かが必要、自分の神経系を落ち着いたところにするのに何かが必要で、
もちろんそれが例えば、運動とか、外から見てちょっとヘルシーなものだったら素晴らしいと思うんだけど、
でも、そのときによっては、そういうものが選べないかもしれない。
学習への取り組みと親の葛藤
だから、その問題行動、望ましくない子どもの行動を、望ましくない行動がダメだって見るんじゃなくて、
その奥にある、じゃあ今日は本当に疲れちゃったのかな、なんかお母さんもわかるよ、みたいなところから始まって、
でも例えば、でも今ご飯を食べて栄養をとって元気になることも大切だから、
じゃあこういう状況になったらご飯のときはどうするっていうことを、
親としての懸念、健康が大切だとかご飯が大切だということも出しておいて、
最初にでも子どもが本当に疲れて、学校の行った後とか疲れるよねとか、
そういうことを先に理解してあげて、そして私たちの懸念も出して、
じゃあこれを解決するにはどうすればいいかな、みたいな、そういうふうに話をするという感じなので、
そういうふうにやっていると、語学習っていうものではなくて、
ちょっと違う見方ができるんじゃないかなというか、
怒るか許すかどっちかの二者卓一の白黒ではなくて、
相手を理解しつつ、私が心配していることも述べて、
二人で親子で、じゃあどういう解決法があるかな、みたいなのを考えていくっていう、
そんな感じのことをやってらっしゃるんですね、あざらしさん。
そうですね、はい。ありがとうございます。
ただなんかちょっとね、学習についてはちょっとやっぱり難しさを感じてますね。
なんかアイメッセージ、最終的には強めになってしまうというか、
できるだけこう、今ハードルを下げて、
1日の中で最低5分できたらOKぐらいにしてるんですけど、
でもやっぱり嫌がることは。
勉強、学習というか勉強のね。
はい、はい、そうですそうです。
で、なんか私のやっぱり不登校になって、
やっぱり不安に感じていることの一つに学習もやっぱりあって、
でもなんだろう、学校の中にもしかしたら戻るかもしれない、
そういう選択肢が出てくるかもしれないので、
そこのペースはやっぱり維持したくて、
ただやっぱりやりたがらないことはやりたがらないので、
最低限触れるだけっていうハードルは下げて、
もう復習とかテストとかできる1人で全部問題を解くまではしてなくて、
問題も私も読んであげたりとかして、
できるだけ寄り添いつつ、1日プリント2枚、
それか音読がちょっとできたらOKぐらいのハードルに下げてるんですけど、
スムーズにいくときは逆に6枚とかやれたりもするんですけど、
やりたくないときは本当にやりたくなくて、
だけど本当にやりたくないときでも1日ちょっとでもやるみたいなところで、
最終的にアイメッセージ強めになっちゃうんですけど、
そこがねすごく難しいなって思いながら、
一応毎回この勉強が必要かもしれないみたいな、
私の考えが正解かちょっとわかんないんだけど、
今の現時点だと勉強が何かやりたいときに見つかったときの選択肢として、
やっぱり大切な手段になってくるから、
お母さんはやった方がいいと思うんだけど、
これも実は正解かわかんないみたいなことをよくタラタラ喋りながら、
何とかか苦しいときでもちょっとでもやってもらうみたいなのをやってるんですけど、
そこが本当に正解がわからないっていうところで、
一応これでいいかなとは思いつつやってるんですけど、
実際やりたくないことをやってもらう、だけど必要なことっていうところでは、
どこまでお互いが我慢するというか譲るみたいなのが、
すごく難しいなっていう場面もやっぱりありますね。
うん、そうですよね。
やっぱりお子さん、私たちだってやりたくないことはやらないといけないけれど、
でも私たちの前頭前腰はもうちょっと発達してるので、
私が今やらなかったらここが汚いままでお客さんが来たら恥ずかしいとか、
いろいろこう何か理由があって、やりたくないけどやるかみたいになるけど、
やっぱり子供の頭の中では、まだ未熟な前頭前腰では、
やりたくない時のこの、もうすごいイライラしたこの気持ちを、
なんとかマネージしてやりましょうっていう、
やっぱりそこまで考える能力がまだないというか、
それを行動に移せられる能力とか、その時のイライラ感を
なんとかマネージできる、そういう能力がまだないので、
そこのあたり、ある子もいるし、同じ年でも、
あの子はやってるの、嫌なこともやってるのにどうしてあなたはできないの、
みたいなことになると思うんだけど、結局はでもある程度、
農家学的に言えば、その子の前頭前腰の今の発達具合がどうかとか、
そういうことによると思うんですよね。
だから難しいのは、そこをどこまで許したら、
語学習で、親をなめるようになっちゃうかとか、
そういうことがやっぱりいろいろ、世の中には心配に思う親もいると思うし、
私も自分の子供がそうだったら、心配と思うと思いますが、
でも、言い聞かせて怒ってっていうやり方って、絶対聞かないと思うんですよ。
怒られてやるのは、怖いからやるだけであって、
頭で理解して、これが大切って思うのとはちょっと違うと思うんです。
怒られたら、やっぱり自分は闘争モードになるから。
だから、大きくなって力があれば、それまでおとなしく親のことを聞いてたけれど、
暴力をやり始める。もう親は怖くないからとか、
そういうことにもなりかねない、理論的に言えば。
それよりも、あさりさんがやってらっしゃるように、
完全に両方ともがすごくハッピーではなくても、
あなたがこういうことは難しいと思っている、こういうことは大変だと思っている。
お母さんは、でもこういうことも大切じゃないかなと。
本当に正しいかどうかとか、正しいとか悪いとかいうことはないと思うし、
この先の世の中がどうなるかによって、今やっている勉強がすごく役に立つのかどうかも。
世の中から言えば、私は受験面センスを通り越えてきて、
本当に何が役に立ったかというと、本当に何が役に立ったのかを。
それがないと受験して大学に行けなかったからだったけど、
人間としての勉強として何が役に立ったかというと、
算数は役に立ったし、
ある程度の、今英語を使っているから英語も役に立ったけど、
じゃあ、関数は役に立ったとか、いろいろ役に立たないこともあるので、
何が正解かというのはわからないのは、みんなわからないと思うので、
わからないけど、でもお母さんはこういうことが心配だから、
じゃあ、お母さんもある程度ハッピーで、
じゃあ、あなたもある程度ハッピーな解決法を一緒に探しましょうみたいな。
結局は、そこに解決法が100%正解な解決法があって、
それを2人で探しましょうというのではなく、
2人にとって正解な解決法を探しましょうということだと思うんですよ。
それがあざらしさんのうちの解決法と、隣の人の解決法では違うかもしれない。
でも、それはその2人が決めるものであって、
比べるものではないと思うし、比べちゃうと思うんですけど。
そうですね、なかなか。
勉強の目的は、やっぱり手段としてっていうのと、
やっぱり物を描いたりとか、ちょっと忍耐強くやるっていうことで、
育つ力もあるとは思うんですけど、
ただそれぞれみんな違っていいのかなと、私もどこかで思っているので、
私自身もちょっとこのやり方が全てなのか疑いながらも、
だけど、もしかしたら本人が選びたいときに選べるようになるためにはやっぱりある程度は必要だし、
かといって、無理やりやらされても結局身につかないっていうのは思っているので、私も。
だから、本人がやる気を出さないと結局身につかない分野だから、
ちょっと悩ましいなって思いながら、
でも最低限触れる、みんなと同じ速度で触れることは触れていこうかなっていうところで、
今自分で何とか納得させているところなんですけど、
ただそれをやっぱり子供にもそのまま伝えた方がいいかなと思って、
自分がこれがいいと思ってやってるんじゃなくて、
とりあえずこれが今一番やっとくといいかなみたいな感じで、
お母さんも全部正解持ってないよっていうのは常に広げて、
私が言ってることが全てじゃないんだけどっていうので、
できるだけ伝えるようには心がけてますね。
子どもの発達段階と親の対応
私はそれはすごくいいことだと思いますよ。
やっぱり今まで親って親のパーツはみんな知ってなきゃいけない。
解決法も親が知ってなきゃいけない。
だからこそ解決法を子供に押し付けて、
子供がやりたくなかったらじゃあ飴を与えるか、ムチで叩くかして、
この私の知ってる正解の、私が正しいんだからこれをやりますよっていう、
それに向けてたけど、結局親も知らないちょっと不安がある。
完全に自分が知ってるって思い込んでる人もいると思うけれど、
やっぱり中に正しいかどうかわからない。
例えば不登校だったりすると、
世の中の典型は学校に行くだから、
それをやってればなんとなく自分もどうかなと思うけど、
みんながやってるからこれは正解でしょみたいなことになるけれど、
そうじゃないものを選んだときに、
自分の中であるパーツはこれが正解だよ、私の家族にとってはと思いながらも、
あるパーツがそれ正解であれもやってないじゃんみたいな、
そういうパーツがなくなるわけではないので、
なんかあるたびにちょっと不安とか、
隣の子が学校に行きだした、やっぱりなんか不安とか、
結局はそれがなくなるわけではないので、
新しい人の場合はそれをよく自分で見つめていらっしゃる、
こういうふうにしたいけど、したら安心っていうパーツがありつつ、
でもこういうふうでもいいんじゃないみたいな、
なんかもう声を聞いて意識されてるような印象を受けるので、
自分にちょっと自信がないだけかもしれないですけど、
なんか言い切れないなっていうのもやっぱり結構自分の中にもあって、
でもそれが逆に子供を迷わせてるような気もするし、
だけどまあこれもいいかと思いながら、
なんかある意味、学校に行ってないからこういうことが言えるのかなと思うし、
本人もそうやってちょっと安心できるところもあるんだったらいいかなって思いながら、
迷わせてるかなって思いながら、
でも実質私も迷ってるからなって思って、
できるだけもうそこは、私をあまり信用しないでっていう気持ちを出して、
私は未熟なんでっていうのを子供にも出しながら過ごしてますね。
これがいいのかわかんないんですけど。
そうですね。
未熟っていう言葉がまた、それは未熟だって思ってるパーツがいるのかもしれないけど、
結局、ほら私が言うことが正解だって言っている人は、
なんとなくやっぱりそれじゃないものが来たときに、
拒否する、ある程度それにしがみついてないと不安すぎるからとか、
やっぱり世の中にだって本当の正解ってあるものってそんなにないですよね。
もちろん人を傷つけないとか、何とかをしないとかそういうことはあるけど、
だから知らないのが、未熟って思ってるパーツがいるかもしれないけど、
私はそのパーツに、未熟ってどういうことかなみたいな、
そういうふうに言ってるのはどうしてかなみたいな、そんな疑問が。
でも、未熟だってやっぱり心配してるからね、その気持ちもわかってあげつつ。
親が正直に自分が言ってることが100%正解じゃないけど、
一緒に、私とあなたの関係で一緒に正解を、2人の正解を探していきましょうとか、
あなたの正解を私が手伝うから探していきましょうっていう、
私はそういう立場というか、そういうアプローチというか、
そういう関係はすごくいいなと個人的には思います。
ありがとうございます。
対話を通じた関係構築と子どもの成長
そうですね。
本人が納得感を持って動けるタイプなんで、
なおさら私がそう思ってても、本人が納得しないと動かないだろうなと思ってるんで、
できるだけ自分の気持ちを出す方が、置き換えて考えてもらいやすいところもあるのかなって思ったりして、
最初の暴力とかの話も、やっぱり大事だから辞めてほしいだけじゃなくて、
私もやっぱりできるだけ、私はなんで傷つけるのが嫌なのかっていうのも、
できるだけ正解かわかんないけど、私がこれまで経験したこととか、
そういったところで、例えば子どもたちも奇跡で生まれてきた話とか、
そういう性教育も混ぜながら、やっぱり頑張って一人一人生まれてきたから、
傷つけると悲しいし、傷つけられた方ももちろん悲しいからっていう話をしたりとか、
そういう、できるだけ詳細な気持ちの奥底はできるだけ見せるようにして、
ちょっと納得感を持ってくれるのかわかってないけど、
そういう上辺のことはいろいろ言えるんだけど、
なんでそこをそんなに大事に思っているのかは、できるだけ話すようにはしてますね。
私はそういう関係ってすごく、この先も信頼関係が生まれてくるお母さんに、
何を言ってもただ却下されるとかそういうことじゃなくて、
お母さんと僕の意見は違うかもしれないけど、
お母さんはどう思っているかを言ってくれるし、
僕もどう思っているかを言う時間というか機会を与えられているっていう、
そこがやっぱり大切かなと思うんですよ。
自分で親がこれが100%正しいからやりなさいと言われると、
子供が自分のやりたいこと、自分の気持ちを言う機会もないし、
結局そういうことを言っちゃダメなんだっていう、
ある意味そういう学習をしてしまう、
言わずにお母さんが喜ぶようにやっていくのがいいんだという、
そういう人生を送って、50歳60歳になった患者さんと会ってみると、
その前に子供の時にもうちょっと親がそういうスペースを与えていたら、
違っただろうなっていうふうに思うことがあるので、
トラウマが少ない人生を送っていったりとか、
自分が自分の言いたいこと、考えを自分で考えて言える場所があるとか、
そういうことは本当に大切だと思っています、私は。
息子からやっぱりまだまだ話してくれることは少なくて、
言語化がちょっと苦手っていうのがあって、
このCPSとかIFSを知るまでは正直、
2人で話し合いたくても話し合い方がわからなかったんですけど、
やっぱりできるだけ想像して、このCPSの本を読むと、
言語化ができないという対応も書いてあって、
できるだけ相手の気持ちを想像して、その気持ちで合ってるかどうかを聞くと、
うんって一つ返事するだけでいいとか、違うとか、そういう返事ができるぐらいのレベルまで、
こっちが語りかけてあげることで、
向こうも自分ってこういう気持ちを持ってたんだっていうことが気づくことができたりとか、
それから先やっぱり自分でこういうことが嫌だとか、
こういうことを思ってるっていうことが言えるようになっていく材料がたぶん育てられるっていうところで、
すごくまだまだ自分から考えて話すことは少ないんですけど、
だけどそれでも目の色が変わったりとか、
こういうこと言いたかったのかなってきて、
そうそうそうなんだよっていうのを言ってくれたりとか、
言えることが増えてきたのですごく良かったなって思ってます。
これからもっと増えるといいかなって思いつつ、
でもなんか言語化できる人が全てじゃないというか、
違う形で言語化をすることもきっとできるから、
そういったところに結びついていけたらいいなっていうのを最近願いながら過ごしてます。
そうですね。
思わずやっぱり自分が許せないこととかは叱ってしまうことも全然あるし、
自分のやっぱり疲れてる時は、もうやめてくれとか言ったりも全然するんですけど、
だけど叱っちゃった時でも後からやっぱり修正したりとか、
でも最近は本当に大事なことほど観察するっていう習慣が出てきて、
絶対ここは私にとって大事なところから、
だからちゃんとゆっくりした時に話そうっていうのを、
そういうモードになれるように最近になったかなと思って、
大事なところでやっぱり思わず叱ってしまうと、
もう理解されてないってだけでまた反抗が来たりとかっていうのを、
息子を通しても思ったし、私自身も怒っちゃった時に、
やっぱり理解してもらえないみたいな状態になるとそっちばっかりになっちゃって、
本当に大事なことが気づけなくなっちゃうっていうことを体感したので、
本当にやめてほしいこととか、自分にとってつらいことをやられた時は、
よりちょっと飲み込むというか、何でだろうっていうのを先に、
頭に思い浮かぶように最近はなりました。
結局そこで強く言って叱っても、
同じことを多分繰り返して、同じことを何回もやって、
両方ともトラウマを受けるっていう感じになってしまうと思うので、
観察とプランニングによる問題解決
今あざりさんがやってらっしゃるみたいにやっぱりそこで観察する。
そこでもしも怒っちゃったとしても、次に怒る前に、
いつも本当にこのパターンだけど、どうしたの、どうすればいいのかを、
じゃあみんなが2人とも落ち着いている時に、ちょっとプランを立てましょうみたいな、
そういう風にね、多分、今もう立ち止まってらっしゃるって言ったから、
すごくすごいなと思ったけど、もしもそれがすごい難しいなって思っている、
こう聞いてらっしゃる方でも、いつもいつも同じパターンで怒る。
いつもいつも、例えばお兄さんが妹を叩いてっていう、
同じパターンでいつも息子さんに怒っちゃうとか、
そういうのに気がついたら、一度落ち着いた時に、
いつもこういう風になって、あなたがテレビを見ている時に妹が来ると、
いつも手を出しちゃうというか叩いちゃうんだけど、
これどうしてるのかなみたいな、2人が落ち着いている時に話す、
プロアクティブ、物が起こる前にもう1回話をしてみるっていうのが、
本当に大切だなと思うので、
でもあざりさんが過虫であってもそこで止まれるっていうのはすごいですね。
本当に自分が疲れて、逆にどうでもいいというか、
ちょっとしたことが逆にやめてとかは言うんですけどね。
逆にそこが緩くなったかもしれないですね。
こういうことで起こっちゃう自分もいるよねとか、
やっぱりちょっとしたプチ爆発みたいのは逆に出すようになっちゃったかもしれないですね。
そこバランス難しいんですけど。
そうですね、あとはやっぱり、たくさん喋っちゃっても大丈夫ですか?
いろいろちょっと思い出したことがあって、
日常動作とかでやっぱりまだできないことも多くて、
例えば、トイレだとトイレットペーパーがちぎれないとか、
そういう日常的な動作、お盆を返すとかもやらないとか、
そういったところがコマコマとあって、
やっぱり疲れてくるとやってほしいっていう気持ちも出てきたりするんですけど、
やっぱりそこはスキルが育ってるかどうかっていうところで、
やっぱり大人としてはやれるでしょうとか、
日常動作の課題と専門家への相談
他の子もやれてるし、みたいなところがあると思うんですけど、
そこがやっぱCPSの方で言うと、
ある程度そこはまだ育ってないから置いておくっていうところも、
大事にしなくちゃいけないんだなっていう時に、
ただそれが甘えてやらないのかとか、
ただ怠けてやらないのかっていう判断がやっぱり難しくて、
そこは外部の民間の運動領域、
オンラインで運動領域を関わってくださっている、
作業療法士さんがいるんですけど、
そういう方にこういうことで困ってるんですけど、
って言うと、それはまだこの段階まで達してないから、
そこはまだ置いておきましょうとか、
これができるようにここを一旦トレーニングやってみましょうとか、
練習してみましょうとかこういうやり方でっていうのを、
やっぱり相談することができていて、
なので何かむやみに何だろう、
必要以上に攻めなくて済むというか、
そういう時々一人で悩んじゃった時は、
体の動作機能とかは専門家にちょっと見てもらって、
これが求めていくものなのか、一旦様子見でいいのか、
それともちょっと違うことをやったらできるようになるのかとかを、
結構相談しやすくなりました。
何かそれぞれにだから、
その時に持てる視点っていうのが、
やっぱり一人だけだと難しい時もあるので、
専門家の人に相談する際に、
困った場面とか、こういうことを言ってるとか、
そういうことをより相談しやすくなったかなっていうのが感じました。
何かこうやってくれない、
何か自分は期待してくれてるけど、
やってくれないお盆を持っていくとか、
何とかをするとか、靴紐をやるとか、
何かそれを一緒くたにするんじゃなくて、
ああ、こういうこれがあって、こういう行動があって、
これは今大切だけど、
これは今置いておいてもいいかみたいな、
何かそういうことの分別とか、
自分の中で放っておいて、
がっかりするパーツの話を聞きつつ、
まあでも、いいか、これは置いておいてもね、
みたいにできるっていう感じですかね。
そうですね、
子供がやっぱり、
やっぱりできないとか、やりたくないっていうだけに終わっちゃうので、
ただそれは一つその子の限界だなっていうことも思いつつも、
何かこれに対してやれることがあるのかなとか、
これは本当にそうなのかなっていうのは、
やっぱりまた相談したいときに、
その場面とかを自分でこうやって、
頭に並べて置いておけてるので、
自分はこうやって思ってるんだけど、
作業療法士さん的に見たらどうですかとか、
こういう答えが返ってきてて、
たまにできるんですけど、これでもやっぱり無理なんですかねとか、
そういう話をしたりとか、
新たな視点を、
新たに親と子だけじゃなくて、
外部の人にも見てもらうっていうところで、
整理しやすい感じがしましたね。
行動って本当に。
すいません。
だいたいは息子側に、
それはまだちょっとこのスキルが足りてないから、
今はしょうがないですねっていうことにはなるので、
やっぱり息子のことはあって、
疑ってた自分もいたりとかするんですけど。
常にやれるっていうスキルと、
一回できるかっていうスキルは違うスキルなので、
例えば靴紐を、
靴紐は技術かな、
例えばお盆を持っていくのも、
昨日できたのになんで今日できないのっていうのは、
やっぱり毎回コンスタントにできないっていうのが、
そういう状況であって、
そういう行動ができないわけではない。
でも毎日これをやるっていうことを続けるのは難しいっていう、
私たちの運動とかと同じで、
運動ができないわけじゃないけど、
毎日続けるのは難しい。
だからそれはまたちょっと別のレベルの、
前頭前腰の脳の働きというか、
なので、
そこをただ怒ったからっていってできるようになるわけではない。
難しいですね。
その時その時やっぱりコンディションも変わってくるし、
自分に置き換えると確かに、
嫌なことを毎日続けるって、
習慣化できればできるけど、
習慣化してないものは難しいなっていうのは確かにって思って、
反省しながら。
だけどやっぱりやれるように導かないと、
ゆくゆくは困るのは本人なので、
そこら辺のやりとりみたいなのが、
ある意味ちょっと面白みもあるというか、
毎日チャレンジしてる感が細かく見ていくと結構、
すごいことやってるなっていうのを親子で思ったりとかしてますね。
すごいちっちゃいことなんですけど。
子育ての楽しさと学び
でも小さいことではないと思うんですよ。
やっぱりCPSのやり方を知ってるとか、
IFSの考え方を知ってるとかいうことで、
今までだったら、
もう子供はあれをやらないし、
私はこれが正しいと思ってるし、
もう怒鳴るしかないとか、
飴をあげるしかないみたいなところが、
でもこういうやり方もあって、
自分のやり方を押しつけなくても、
解決できる方法がある。
それってだいぶ違うと思うんですよね。
新井さんはもうそういうことを、
いろいろ勉強されて実践されているので、
やっぱりそういう意味で何かが起こったときに、
やっぱりもう全部、
何もかもうまくいかないんじゃなくて、
今疲れてるけど、
明日はこの方法でもう一回やってみようとか、
そういうスペースがあるというか、
そんな感じじゃないかなと思うんですけれど、
どうでしょうか。
そうだな。
やれないことに対して、
怒っちゃうときも、
疲れてると泣きに、
ないことはないんですけど、
それ以上に、
どのタイミングでやったら、
こうなるのかなっていうのを、
検証し続けるみたいなのが、
ちょっと楽しいときは本当に楽しくて、
やっぱりできると嬉しいし、
できなくてもしょうがないかって思いながら、
そういう日もあるかって思いながら、
過ごしつつしてますね、本当に。
だから子育てが大変だけど、
楽しさも同時にあって、
そこらへんが時々その比重が、
行ったり来たりはするんですけど、
基本的に、
自分でちゃんと育ててるっていう、
実感にもなるというか、
自分にもできるかもしれない、
っていう気持ちも、
自分の中にも芽生えてきて、
だけどやっぱり大変なことは大変なので、
バランスが毎回違うんですけど、
全部嫌かというと、
そうじゃないっていうのは、
いろんなことを勉強して、
開けた感じはあります。
そうらしい。
他に何か、
小原さん、最後に言っておきたいことはありますか、
今日。
最後にですね。
叱らずに住むっていうところで、
私は共感しているんですけど、
叱ったほうがいいという考え方の方も、
多分いるので、
なんか本当、
いろんなやり方でいいと思うんですけど、
自分に合った方法でやれる一つに、
このIFSとCPSがあるかなっていうのは、
すごく知ってほしいなって思いました。
ありがとう。
叱らずに済む子育てへのメッセージ
やっぱり叱ったやり方でうまくいってるって、
思っていらっしゃる方は、
とか、
言ってるという状況の方は、
それでいいと思うかもしれないけれど、
もしも聞いてらっしゃる方の中で、
叱って、
ある時期まではうまくいったけど、
今はうまくいかないとか、
そういうことがあったら、
コミュニティに入っていただいたりとか、
いろんな本を読んでいただいて、
もうちょっとこう、他のやり方も、
ちょっと学んでいただくと、
多分、
世界が広がるというか、
少しリラックスできる部分があるんじゃないかなと、
思います。
ありがとうございます。
今日は小原さんありがとうございました。
ありがとうございました。
コミュニティでお会いしましょう。
よろしくお願いします。
また次の対談の時もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
49:15

コメント

スクロール