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2023-02-27 24:55

第222回 エルトゥールル号の悲劇とトルコと日本の絆 〜時を超える友好の物語

なぜトルコは親日国と言われているのか。

そこには130年前に起きたある悲劇をルーツとし、

時を超えて生まれたある絆の物語があった。


大地震により甚大な被害が起きているトルコに向け、

いま我々ができることを、歴史を深掘りながら考える。


▶︎ トルコ地震 緊急支援募金(Yahoo!基金)

https://donation.yahoo.co.jp/detail/1630054


▶︎ TAZAWAの3分クラシック

モーツァルト「トルコ行進曲」

https://youtu.be/LBBRk8blLV0


■ チャプター

オープニング

本日の3分クラシック

トルコ・シリア大地震

エルトゥールル号の悲劇

イラン・イラク戦争での恩返し

いまトルコに対して日本ができること

エンディング


■ 関連リンク

Madrigal / MALICE MIZER

https://youtu.be/4Yc4DLDht-Y


トルコ行進曲 / 由紀さおり・安田祥子

https://youtu.be/xhY9qIUn0vU


阿佐ヶ谷姉妹

https://youtu.be/EPCq5pzy6aI


海難1890

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B01GGPRZCS/ref=atv_dp_share_cu_r


■ 番組への感想・お便りはこちら

https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9


■ クレジット

Opening Theme : Composed by WATA

Cover Artwork  : Designed by WATA

CG Character : Modeling & Designed by WATA

Ending Theme : Composed by TAZAWA

©終わりかけのRadio


#エルトゥールル号 #トルコ #イラン・イラク戦争

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00:00
どうも、TAZAWAです。
どうも、WATAです。
早速、今週のクラシックコーナーです。
ちょっと前回は、スキバートに楽しみしてました、この機会を。
なるべく、可能な範囲で本編で喋る話とリンクしてくるといいかな、みたいな風に思いついて。
手の込んだことやり始めましたね。
せっかくなのに。
いいじゃないですか。
えっとね、今日はあれですね。
これ言ったら、あの曲ってピンとくるかもしれないですけど、
マリス・ミゼルのマドリガルっていう曲の間奏で使われてるやつですよ。
あの、全然知らないんです。
え?
え、えじゃないんですよ。
あ、音楽、あ、はい。
いや、あ、はいじゃなくて。
音楽あんま聞かない人ですよ。
いやいやいや、マリス・ミゼルは当然知ってるんですけど、そんなディティーのとこはわからないですよ。
そうか。
アルバムの曲だからか。
アルバムの曲だからか。
いいですね、古典的な音楽好きな人のツッコミ方しますよ。
アルバムの曲だからか。
知りませんよ、それは。
あれですね、モーツァルトのトリコ更新曲です。
トリコ更新曲。
これは誰もが知ってる。
え、マリス・ミゼルの歌、その間奏が。
まるごと。
え、あ、そうなんだ。
じゃあ後で貼っときますんで。
ちょっとそれもね、知りたいです。
マリス・ミゼルの歌がまるごとトリコ更新曲なんですよ。
いやそうなんですよ、トリコ更新曲深く考えたことあります。
トリコ更新曲はちゃんと向き合ったことないっすね。
なぜモーツァルトがトリコ更新曲なのか。
確かに、不思議なタイトルだなと思ったことありますね。
なんですか、今も昔もそういうのって変わらないんだなと思ったんですけど、だからシンプルな話、当時モーツァルトがいたウィーンでトリコ風が流行ったっていう感じ。
なるほどね、K-POP流行りましたねって感じが。
それに乗っかって、だからモーツァルトもトリコ風の更新曲作ってみたみたいな感じなんですよね。
めっちゃなんかあれっすね、そういう感じだったんですかね。
そう、だからその時ベートベンとかもトリコ風のやつ作ったりとかして、そういう風になったんです。
そうなんだ、ベートベンもやってたんですかね。
当時、トリコってオスマン帝国で超強い。
そう、だから元々トルコの軍楽体というか、あれの雰囲気っていうのがトルコ風。
なるほど。
打楽器がジャンジャンみたいな。
ピッコロとか、トライアングルとか、そういうのを使ったのがトルコ風っていうので、そういうので一時ウィーンで流行ってた。
その一環でモーツァルトも作ったってことですよね。
だからトリコ更新曲ってピアノのイメージじゃないですか。
そうです。
実際ピアノとして作ってるんですけど、改めて聞いてもらうと分かると思うんですけど、打楽器っぽいフレーズがいっぱいあるんですよね。
03:02
要するに左手で打楽器を表現したりとか。
ピアノってだからそういう打楽器を表現できる楽器でもあるんで、普段そのピアノの特性を生かして作ってるって感じ。
懸圧というか、ベロシティみたいな感じで表現してる。
トリコ更新曲って聞くと、ユキサオリ、安田幸子姉妹のあれを思い浮かべる人が多いと思うんで。
さっきからちょいちょいマニアックな情報入れるのやめて。全然思い浮かばなかったですけど。
テララララ、テララララってやつですよ。2人でハモるやつ。
え、何それ。
CM?
いやいやいや、2人のCM曲ですよ。じゃあこれ貼っときます。
貼っといてください。
面白いから。
全然今回どっちもついていけなかった。
浅谷姉妹がよくモノマネしてます。
浅谷姉妹、見たことあんのかな。なるほどね。元ネタがユキサオリさんと。
ということでね。トリコ更新曲でした。
これが本エピソードに繋がってるんですか。楽しみです。
まあそうですね。
ありがとうございます。
では本編。
いやあの昨今。ちょっとジネタですけど。今トリコの。
ああそうね。まさにそうか。
トリコシリアン自身がね。
っていうところで。
いやちょっと。
かなり。
絶望的だね本当に。
そうそうそうそう。なのでね、まあその。日本としてもね、可能な限りの。
物資の支援。
支援とかね。
僕寄付しました。
僕もしました。ちょっとですよね。
これね、ちょっとこういう時は本当に。
ということでね、今日は日本とトリコの。
おーいいですね。
まあ日本とトリコってすごい絆があるっていう風に。
新日の国として言うね。
でその絆のエピソードみたいなね。いや僕めっちゃ好きな話なんで。
ちょっとね、めちゃめちゃ泣いちゃうから僕は。
あ、そう?
この場で泣くつもりですか?
そうそう。だからちょっと最後まで僕が喋れなかったら渡さん引き継いでくださいね。
いやいやいやいやいや。どんなエピソードなのそれ。片方泣いちゃってるみたいな。
そうですよね。
そんな思い入れが強かったですね。
いや、エピソードとしてね。
いい話っていうかね。
はい。
ちょっとね、頑張って喋りますよ。
まあちょっとだから、泣き始めたらトリコ更新曲かけるんで。
気持ちを立て直してもらって。
確かにね。
あのあれですよ。トリコと日本の関係ときっかけになるエピソードですけど。
エルトゥルルゴ海難事故っていうのがありますけど。
ちょっとその話から始まるやつをね。これすごいいい話だからね。
ちょっとぜひね、知らない方に知ってほしいなっていうふうに思うんですけど。
06:02
時は1890年ですね。
当時日本は明治時代、明治維新後、西洋化を進めてめちゃめちゃ成長してた頃で。
当時世界中から注目され始めた時ですね、日本が。
日本っていうのがなんかこう、すごい変わっていってるというかね。
そんな中で日本を注目した国の一つがトリコだったんですよね。
トリコが日本と仲良くしたい、交流深めたいっていう意味で、
親善目的で日本に使節団っていうかね、送ったんですよね。
それがね、結構な人数で600人規模で、はるばるトリコから日本に船で。
その時に使った船がエルトゥルルゴっていうんですよね。
そのエルトゥルルゴが若干やっぱりね、古くて大丈夫かっていう感じもあったらしいんですけど。
それでなんとか日本まで来れて。
普通に行きは来れて。
当時の明治天皇も手厚く行き入れて。
大体3ヶ月ぐらい過ごしたんですけど。
実際その後、いざ帰るってなって横浜から出て。
和歌山の辺りを経由して進んでいくんですけど。
帰ろうとしたタイミングがこれが厄介で、9月なんですよね。
9月って言うと日本人はね、台風大丈夫かって。
それはトリコ側の事情もあって、9月16日だったんですよね。
帰るってことになって。
帰ったんですけど、和歌山県沖で台風にあっちゃって。
もう古い船だったから。
もうなんか水上で爆発とかもしちゃったりとかして。
結構もうドッカンっていったんで。
結局600人以上がもう海に投げ出されちゃったんですよ。
それでもう、なんとか沖だったから、みんな泳いで行くんですけど。
何人かがたどり着いて島に。
そこが和歌山県のね、ところなんですけど。
清尾島、そこで。
そしたらもうトリコ人が駆け上って村人探して。
村人をびっくりして。
なんか外国人が。
怖いですよね。
なんかめちゃくちゃ言ってくるし。
びしょ濡れだし。
どういう状況なのかって感じですね。
それでまあ当然ね、漁村だったから事情はすぐ分かって。
で、そっからもう村の人たちはもう不眠不休で救助やって。
台風の中船出したりとかして。
救助しつつ、看病しつつ、治療しつつみたいなね。
で、結局600人以上いた中で、命は助かったのが69人とかなんですよ。
ほとんど。
結局その遺体が打ち上がっちゃうみたいな感じですごい状態になっちゃって。
09:00
で、その中で村の人たちはもう、いわゆる食料とか。
お金もない村だったからなかったんですけど、
自分たちの非常食まで全部出して、お米とかさつまいもとかね。
あと村の人ですら1年に1回食べれるか食べれないかぐらいの鶏肉とかも出したりして。
自分たちの食事ですら全部与えて懸命に看病したんですよね。
亡くなった方々もちゃんと丁寧に手厚く葬ったりとかして。
で、それは当然日本中には政府とかに伝えて。
だからそれは大変だってことで、もう結構東京の方から一段が来たりとかして。
で、神戸の方に整った医療施設があるから、若いまの陣場から神戸の方に移動してもらって、治療を受けたりとかして。
で、無事帰れるってことになってね。
明治天皇が、トルコの人たちはね、はるばる地球を反従してきて、こんな目にあって。
これ以上ね、やっぱり悲しい思いをさせたくないってことで、最大限の日本の行為で送り届けたいってことで、軍艦2隻出して。
それも当時としてはめちゃめちゃお金かかるしね、軍艦。
で、それもやっぱり日本としてはそこまでして送り届けたいってことで、2隻出して、なんとか送り届けて。
そしたらもう、その状況っていうのはもう当時現地では、トルコの方でも知られてたから、ものすごい熱狂で歓迎されたらしいんですよね。
もう日本がこういうことしてくれたってことで。
そういうエル・トゥルル号海難事故っていうのがあって。
それが1890年ですね。
その当時、だからちょっとその後ですけど、1904年に日露戦争というのがありましたね。
日露戦争っていうのはトルコの人たちにとってはちょっと意味があって。
トルコと日本って境遇が似てるんですよね。
要はロシアに対する立ち位置がちょっと似てて、ロシアっていうのは南下政策で、凍らない港が欲しいから南の方に行きたいと。
で、そんな中で日本とトルコっていうのは同じような立ち位置にいたんですよ。
ずっとトルコも戦ってたからね、ロシアと。
そんな中でトルコとしては、あの日本が、エル・トゥルル号の話もあって、あの日本がロシアと戦うと。
これはカタズオを飲んで見守ってたわけですよ。
だって要は東の小国がロシアと戦うと。
まあ普通だったら日本大丈夫かっていう中で。
そしたらまさかの日本が大勝利しちゃったって。
それはもう当時そのトルコではもう大熱狂だったらしくて。
当時、それこそロシアのバルチック艦隊をリリアした日本海軍の東郷平八郎と言いますけど、
トルコで生まれた子供に東郷って名前つけるのが流行ったらしいんですよ。
12:00
だから当時の子供で東郷とか、あとノリ、ノリマレスのノリ、ノリっていう名前の子供が多いんですって。
英雄化してる。
そうそう。日本っていうのが割と特別だったらしくて。
っていうのが1900年ぐらいの出来事であったんですよね。
いや、で、これがもうあれですよ。
エルトゥルル号編ですよ。
キズナの。
まず。
あの第一章がね。
第一章。
エルトゥルル号の事件ってやっぱり、
特にやっぱりもう一歩こう、日本が立派だなっていう部分が、当時そのエルトゥルル号のちょっと前にノルマント音音事件っていうのがあって、
それはそのイギリスの船だったんですけど、あとドイツ人とか。
その船が同じく和歌山県沖で沈没したんですよ。
その時に日本人だけ全員助かなかったんですよ。
25人。
他の人たちもみんなイギリス、ドイツ人含めて助かったんですけど、日本人だけが全員助かなかったんですよ。
で、これがかなり当時問題になってて。
要は白人のね、人種差別があったっていうことで、結構当時も議論なんか裁判とかいろいろやってて。
で、そのぐらいそのアジア人が差別されてるみたいなことで、言われてた中、そんな中でその同じね和歌山沖で、
そのアジア人がドルゴ人を懸命に助けたっていうのもあったりとかして、っていうのも背景もあったりとかしてね。
特にこう感謝をされてたらしくて。
っていうのがまあ今から100年以上前にエル・ツルル号あったんですけど、時は流れですよ。
時は流れ1985年。
イランイラク戦争っていうのがあって、その時に当時イラクのフセイン大統領、ある声明を出したんですよね。
それが今から48時間後にはイランを飛ぶ航空機を無差別に爆撃すると。
これどういうことを意味するかというと、48時間以内に飛行機で逃げなきゃいけないってことなんですよね。
要は48時間過ぎたら飛行機で飛ぶもんなら爆撃されるからね。
だから現地にいる外国人たちは何とかしてその逃げなきゃいけないって中で、当然各国が飛行機を用意してどんどんどんどん自分たちの国に帰っていくわけですよ。
そんな中日本が対応遅れたんですよね。
それは当時自衛隊が海外に派遣できなかったっていう事情もあったし、日本の航空会社も安全が確保できるまでは出せないっていうふうになって。
労働革命が反対したとかっていう話があるらしいんですけど。
ってことで結果日本人だけが現地に取り残される状態だったんですよ。帰れないと。
どんどんどんどん48時間のタイムリミットは少なくなっていくと。
だから日本人としてもいろんな国に助けを求めるんですけど、どんどん時間がなくなっていくと。
そんな中である国が動いてくれたんですよね。
それがトルコなんですよね。
15:00
トルコが日本人を乗せて帰るためのために1機用意してくれたんですよね。
で、それに当然その日本人200人ぐらいですけどね。
トルコ用意してくれた飛行機で帰れて。
トルコの人たちも日本人を乗せるために自分たちが乗れないトルコ人も多かったんですけど。
だけど自分たちは陸通機になってるから日本人たちを飛行機に乗せることを優先して車で帰る人も多かったっていうことで。
で、結果まさかの日本が日本人を救えなかったって状況の中でトルコが助けてくれたっていう話があってね。
で、その時って日本人ってなんでトルコが飛行機出してくれたかわからなかったらしいんですよ。
そうだよね。
で、なんでかってなった時にトルコの駐日大使の人がこういうふうに言ったって言ってて。
エルトゥールル号の事故に際して日本人がなしてくださった献身的な救助活動を今のトルコの人たちは忘れていませんと。
私は小学生の頃歴史の教科書で学びました。
トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけですと。
それでテヘランで困っている日本人を助けようとトルコ航空機を飛んだのですっていう話をしてたらしくてね。
それでその要はトルコはエルトゥールル号の時の恩返しを100年近く経ってからやってくれたっていう話なんですよ。
すごいね。時を経てるからね。
そうなんですよ。で、この話って日本人が知るようになったのってここ最近なんですよ。
そうですよね。
僕エルトゥールル号の話を知ったのは数年前ですもん。
トルコはなんで真実の国なのかみたいな。
そういう流れで結構テレビでも放映されているのを見たことは僕もありますけど。
世界不思議発見とかで。
でもなんかびっくりするよね。
言っちゃうとすごい昔のことをね。
そんなを覚えてやってくれるんだね。
そうなんですよね。
教科書も載ってるってことなんでね。
みんな知ってるっていうことなんですけど。
日本人が知らないんで。
そうだね。
ちゃんと伝えてって思うんだけど。
国民性もあるんですかね。トルコっていう国のなんかね。
なかなかこういう歴史を越えての恩返しみたいなのはなかなかできないことですよね。
これ映画になったんですよ。
知ってました?
なんかちょっと今僕インターネットでいろいろ見てるんで。その流れで今。
2015年に映画化されたんですよね。
結構その前後で知られるようになったっていう感じなんだと思うんですよ。
結構その映画、日本とトルコ合作の映画で見ましたけど。
18:01
よかったです。
ただその映画のタイトル海南1890ってもう少しなんとかならなかったかなと思って。
海南1890。
なんかちょっとB級のパニック映画みたいな。
絶対あのTSUTAYAとかに置いてた借りないやつですよね。
そうそうそうそう。
そうなんですよね。日本人が勝手に適当に。
なんかパニックムービーっぽいから感動の話としてちゃんと伝えてほしいけどね。
そうか。
このイランイラク戦争の時もそこまでそういう背景は知らなかったから、日本では伝えられなかったってことだよね。
そういう助けてくれたんやでみたいな。
なんかあんまりイメージないのよ。それについて。
僕85年代普通に生きてましたけど、子供の頃でしたけど。
でもそんなイメージないね。
でもまあ要はトルコがなぜか最初トルコが飛行機を出してくれたってことは当然かなり話題になってて。
それに対して日本人がね、どうせトルコは日本に援助してもらいたかっただけだろうみたいなこと言ったりする新聞もいたんですって。
原税渡ってた。
それに対してトルコの大使館の人がエルトルゴ以来の関係があったじゃないかって寂しそうに言ったっていう。
なんか切ない。
いやなるほどね。
そうか。
だからめっちゃいい話じゃないですか。
いい話ですよ。
僕飛行機が日本人を助けるために飛行機が飛んでくるシーンとか考えたらもうちょっと泣けますけどね。
そうだね。だから本当に取り残されて死ぬ覚悟でいただろうからそういうのを助けて。
あとあれだよね。しかも東日本大震災のときもすごい救援してくれてますよね。
トルコの人たちが元々そういう国民主義、優しいっていうのもあると思いますけど、やっぱりトルコの人たちがエルトルゴって言うんだったら、なんだとしたらある村のその人たちのそういう献身的な対応っていうのが後々の百何十年越えて絆を作るっていうのはすごいいい話だなと思いますよね。
で、ちゃんとその連鎖が生まれてるというかね。なんか多分今まさに今トルコ非常に厳しい状態だと思うんですけど、またちょっとここでね、日本が逆にこうしっかり支援してあげたいし、逆にこういう背景もう一回ちょっとおさらいしてこういう関係なんだよっていうのを知りたいですよね。
ちゃんと国民としてね。
やっぱり歴史を勉強する意味ってやっぱこういうことをちゃんと知っていくことにあるかなという感じがしますよね。
これはだから本当だよね。そのさ、やっぱりさ、その生み返られてっちゃうもんじゃん。だからそれがやっぱり残すべきとこを残してて、でなぜ協力的な関係でどういうこうなんていうの、あの絆があってっていうのをやっぱちゃんとこう受け継いできたいですよね。
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なんかそれって結局やっぱり国がこう、国同士が仲違いしないための仕組みなんだと思うんですよ。あのそういうのをちゃんとこう歴史を受け継いで受けてきた恩恵とかをリスペクトとかをちゃんと返してあげれば、そういう国がいっぱい増えればいいわけじゃないですか。
だからこういうね、あのすごい昔のことで、ちょっとだからその覚えてないっていうとこはあるかもしれないんだけど、とは言えたか、それをこう引き継いでいくのが国交関係だと思うから。だからちゃんとこう、こういうのが続いて、台湾との関係とかもそうですけど、なんかちゃんとね、続いていくといいですよね、こういうね。
まあこのね、未来イラック戦争の時に、中日大使の方がエルトルルゴの話をね、みんな知ってますっていうふうに話されてましたけど、最近の調査だと大体3割ぐらいの人が知ってるみたいですね、トルコ人が。
あ、そうなんだ。すごいね、でもね。だからちゃんと日本もさ、教育に取り入れて欲しいよね、こういう話。
そうですね。
ええ話いいよさ、もう。ええ話は積極的に取り入れて欲しいよね。
そうですね。まあね、あれなんですかね、日本の良いところってあんま書かないのかな、教科書には。まあ割とね、日本良くないっていう感じで書いてきますからね、教科書はね。
なんか日経争の話とかします?今これ。
まあこういうこう、日本人のこうね、海外に対するこう、まあ良かったら行ないみたいなやつってやっぱり知ると、やっぱりこう日本人のこうなんかこう精神みたいなものを知って、なんかこう日本人としてのこうなんかね、誇りみたいなの出ると思うんですよ。
いや、ですよね。
僕その、すごいしばりー太郎さんのね、表現で好きなのは、やっぱり本当の愛国心っていうのは、日本が一番優れてるんだとかそういうことじゃなくて、日本ってこんなにその精神いい国なんだから、その良さを海外の人にも知ってもらおう、見てもらおうっていう気持ちが本当に愛国心だっていうふうに言ってる話で、まさにこういう話を知ることってそういうことだと思うんですよね。
まあ単純に誇らしい。
だからこの当時、この村の人たち、助けた実際の人たちは、その後、自分のそのお孫さんとかに対して聞かれると、このエルトゥーレル号の話どうだったのか聞かれると、なんかいいことやってやったぞなんて一人もいなかったらしくて、みんな口揃えて、なんかちゃんと帰れたかなーって言ってたって言いますね。ただ帰れたかどうかは心配してたっていうね。
いやね、だからなかなかなんて言うんですかね。そういう逆に言うと、国同士で助け合える、ちょっと言い方があれですけど、機会ってやっぱりそうほどないことなんで、やっぱりこういう状況になったからこそね、ちゃんとこうルーツもした上で支援してあげるみたいなね。だから重要なんでしょ、やっぱり。
そんなことでね、支援とか可能な限りでできたらいいですよね。
24:04
リンクを貼っておきますね。
ということで、ありがとうございました。
大変お世話になりました。
24:55

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