00:04
スピーカー 1
目を閉じると、そこには近代史の世界が始まりました。
大人の近代史、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、第1回目ということで、大人の近代史始まりました。
スピーカー 2
いやー、始まりましたねー。
スピーカー 1
そうそうそう。
私、おが太郎と長まろ、この2人で近代史について、ちょっとゆるーく語っていきたいなと思ってます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
近代史っていうとさ、日本だとさ、どちらかというと敬遠されたりとかさ、触れられないような時代な感じがしない?
スピーカー 2
うーん、学校なんかだとさ、どうしても古代とか中世とか、あの辺に力を置いてさ、最終的に三学期になってもう駆け足で近代史って過ぎていくイメージだよね。
スピーカー 1
あー、確かに。
スピーカー 2
そうそう。
スピーカー 1
まあそんなね、ちょっと馴染みのないかもしれないんだけども、あえてその近代という時代に、うちらを踏み込んでいきたいなって思ってます。
はい。
はい、じゃあそれでは、これから近代史という航海の始まりです。
じゃあ行きます。
はい。
今日のテーマは、岩倉使節団をやりたいと思います。
スピーカー 2
あ、岩倉使節団ですね。
スピーカー 1
はいはい。
これさ、何だろうな、自分の中で日本の近代って言ったら、この岩倉使節団を無きには語れないかなと思ってて。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
何だろう、明治が始まって、近代史の、何だろう、本当に最初の頃って感じなんだよね。
うーん。
まあそんなね、岩倉使節団っていうのは何なのかっていうと、
うん。
これはあの、名前にもついてる通り、いわくらともみを大使として、
うん。
1871年から73年まで、約ね1年9ヶ月にわたって、欧米各国12ヶ国をめぐったし説談だ。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
で、このいわくらともみっていう人は、もともとは朝廷に使える、クゲっていう身分の人で、
うん。
クゲの中でもね、あの身分が低かったの。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
だからあのね、結構貧しい生活をしてたっていう過去はあるんだけども、
うん。
その中であのメキメキとあの頭角を表して、江戸幕府を倒して、新しいあの明治政府を作った、あの実力者の一人なんだよね。
うん。
岩倉使節団ってさ、調べるとさ、あの5人が並んでるような写真が、あの真っ先にね、あのGoogleとか検索しても出てくると思うんだけど、
スピーカー 2
あー、見たことある。
スピーカー 1
そう。で、ここにあの真ん中に座ってるちょんまげがいるのよ。
うーん。
これがあのいわくらともみなんでね。
スピーカー 2
うふふふふ。なんで一人だけっていう。
スピーカー 1
そうそうそう。このちょんまげもね、ちょっとね、なんか上にツーンって立ってるような、ね、これ何なんだろうってちょっと思うんだけど。
03:01
スピーカー 2
うふふふふ。
スピーカー 1
だから武士のちょんまげとはちょっとまた違うんだよね。
スピーカー 2
あれなのかな、クゲのちょんまげってああいう感じなのかな、もしかして。
スピーカー 1
ね、ちょっとそこをね、もう深入りしてないからわかんないけど。
で、このあの詩説談のほとんどはその、こういう和風でちょんまげスタイルではなくて。
うん。
すでにその旅立つ前に断髪をして洋装で行ってるから。
うーん。
このいわくらともみだけが、このちょんまげで和服姿でアメリカにそのまま行っちゃったっていう。
あー。
そう、あえてね、この日本の文化っていうのに誇りを持っていたから行ったっていう経緯はあったんだけど。
うん。
結局ね、アメリカに留学してた息子に説得されて、アメリカでその断髪して、それ以降はね、洋装で旅してるんだけども。
スピーカー 2
なんかもうちょっと誇りを持ってほしかったなと思うけどね。
スピーカー 1
貫いても面白かったよね。
スピーカー 2
ね。
スピーカー 1
こんなね、いわくら施設団っていうのは、いわくらともみを大使として、あとね、副司っていうのが4人いるんだよね。
うん。
これはね、あの木戸孝良、山口直良、伊藤博文、大久保利道っていうメンバーだ。
うん。
結構名前聞いたことあるのも多いかと思うんだけど、
うん。
スピーカー 2
当時のね、実力者ばかりなんだよ、これ。
スピーカー 1
あー。
そうそう。
この中にね、あの山口直良っていう、非前半のね、佐賀出身の人がいるんだけど、
うん。
この人ね、初代会計検査委員長とかにも就任して、
うん。
その後ね、20ぐらいね、超える役職について結構器用な人なのよ。
うん。
そうそうそう。でね、地元ではね、この人、マスカって呼ばれてた。
スピーカー 2
あ、名前がね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
これね、ちょっと言われが結構あって、直良とも呼んだりするんだけど、地元ではマスカって呼ばれてたみたい。
スピーカー 2
直良が正しいんだけれども、マスカっていうのがなんかあだ名みたいな意味なんだな。
スピーカー 1
いや、これ調べたんだけどね、どっちも言われてて、ちょっとどっちが正式かわかんないんだよね。
ちょっと。
スピーカー 2
名前がわかんないってちょっとまた難しい話だけどね。
スピーカー 1
あるんだろうけど、私は探せなかったっていう。
この人、目元よく見ると結構ぱっちりしてて、
うん。
まるでさ、ほら、マスカラをしてるような感じがするじゃん。
うん。
これでマスカラの語源とも言われてはないんだよね。
スピーカー 2
ないんかい。
スピーカー 1
ちなみにマスカラってイタリア語のマスケラっていう、おうっていう語源がから来てるから。
スピーカー 2
山口マスカではない。
スピーカー 1
そうそう。
はい、ということで、ちょっと岩倉施設団の時代背景から早速入っていきたいと思います。
はい。
時代背景はね、1840年から始まったアヘン戦争っていうのがあって、
06:02
スピーカー 1
これはイギリスと中国、当時のシンだね、との戦争で、シンがイギリスに敗れるっていう戦争なんだけども、
うん。
これ日本にとっては結構衝撃で、あの隣国で大国でもあったシンがまさか敗れるなんてっていう結構衝撃が走って、
うん。
その後さ、日本にもこの西洋の船が頻繁に港を開港するようにっていう要求するように来たんだよね。
うん。
で、1853年にいよいよそのアメリカのペリーが黒船を従えて日本へ来港するんだけども、
それまでさ、日本っていうのは中国、オランダ、琉球、朝鮮と限定的に攻撃はしてたんだけども、
うん。
他の国との攻撃は避けて、いわゆるこれが鎖国って言われる体制を取ってたんだよね。
うん。
で、このペリーの到来で幕府との交渉が始まって、後に約200年以上続いたこの鎖国っていうのが終わって、
日本は開国へと舵を切るっていう。
うん。
そんな日本の国内は結構あの、いろいろ意見が割れて乱れるわけ。
ここであの幕府を倒そうとする東幕派によって江戸幕府は倒れて、新しい新政府が誕生した。
この一連の流れを明治維新って言うんだけど、
これによってあの1869年に明治時代が始まって、その2年後にこの1871年に岩倉私説団が日本を出発するっていう、こんな背景。
うん。
で、この岩倉私説団っていうのは、それに同行した人たち合わせてね、総勢ね107名で構成されてんの。
スピーカー 2
おお、107名か。
スピーカー 1
そう、結構人数だよね。
うん。
で、このね、岩倉私説団って呼ばれる人は46名なの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、残りは随員って言って月人の人が18人で、
うん。
さらに残りはあの留学生って言って43名いたんだよね。
うん。
このさ留学生なんだけど、ほとんどが男子留学生なの。
うん。
どんな背景で選ばれたかっていうと、
うん。
親父親がね、新政府の重要な役職に就いてる息子がほとんど。
ああ。
そうそう。だから結構偏った感じで選ばれてはいるんだよね。
うん。
でね、さらにさっき言った留学生の中に5名だけ女子留学生がいて、
うん。
実はね、これ旧幕府側の人たちなんだよね。
ああ、そうなんだ。
基本さ岩倉施設団は察庁を中心とする新政府側の人たちで構成されてるんだけども、
うん。
女性にも今後活躍の場を広げてほしいって思いがあって呼びかけたんだけど、
うん。
実際なかなか集まんなかった。
うん。
それあの当時さ、やっぱり外国っていうのは今みたいに手軽に行けるような環境でもないし、
09:03
スピーカー 1
うん。
どっちかっていうとその、異国の地でなんか恐ろしいようなイメージが持ってたのが多かった。
うん。
そう、なんでその大事な娘を生かせるのは考えられないっていうのが大半だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、そんな中ね、この5名っていうのは父親がね、旧幕府派なんだけど、
すでにね、こう海外に行ってたりとか、そういった海外事情に明るかった家庭で育った人たちなの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう、まあそういうのもあって、この5名が女子留学生が行くことになった。
うーん。
こん中にはね、最年少でね、8歳の子もいて、
スピーカー 2
8歳って。
スピーカー 1
そうそう、津田梅子って言うんだけど、
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
津田塾大学のね、創始者って言われてるけど、
うん。
こういうあの優秀な人もいるわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、岩倉施設団のこの行くまでの経緯なんだけども、
うん。
最初はね、大隈重信からなる、あの大隈施設団っていうのが行くはずだった。
うん。
そうそう、もともとの施設団の構想っていうのが、
フルベッキっていうオランダ系のアメリカ人の人がいて、
うん。
この人があの提案したのが、そもそものきっかけな。
うん。
そう、で、この人はね、宣教師として長崎にこう来て、
ただあの、当時キリスト教っていうのは江戸幕府の時代で禁止されてた。
うん。
そのため、宣教活動ができないから、
うん。
ひとまずね、英語を教えてた。
で、そこにはあの大隈重信とか、生徒としてこう習っていたっていう背景があって、
うん。
そう、さらにね、フルベッキっていうのはこう英語だけじゃなくて、
工業技術の実務経験とかもあって、知識がね、豊富で、見識もあるんだよね。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 1
だからそんなね、彼はあの、明治政府ができてからも声をかけられて、
政治古文的な役割をしてたんだよ。
うん。
で、そこでね、フルベッキっていうのは、
西洋の発展した文明を自分たちの目で直接体験して、
学ぶことが大切なんじゃないかっていうのを大隈重信に提案するんだよ。
うん。
これでね、大隈施設団として海外へこう、派遣される予定だったんだけども、
うん。
ここのね、ちょっとね、詳細はね、不明なんだけど、
新政府内のね、闘争があって、結局はね、
岩倉ともみを代表する岩倉施設団が行くことになったっていう。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
そうそうそう。憶測としてはね、大隈重信は、
非前半出身の人なのよ。
うん。
そう。でね、当時大きな力を占めてたのは、やっぱり薩徴の勢力で、
うん。
まあその争いがなんかあったんじゃないかって言われてる。
スピーカー 2
あー。反罰の争いでちょっとこう、のけ者にされちゃったんじゃないけど。
スピーカー 1
そうそうそうそう。まあちょっと、憶測にはなっちゃうんだけど、
うん。
12:00
スピーカー 1
まあただね、この大隈重信っていうのは、参加はしなかったんだけども、
うん。
岩倉施設団が行ってる間の、政府を統括する1人として活躍するの。
うん。
そう。この間の政府っていうのは、ルス政府って言って、
うん。
いたメンバーもね、だから結構優秀なメンバーが残ってるわけよ。
うん。
そこにあの、西郷隆盛とか、板垣大輔、江藤新平とか、
うん。
結構そうそうたるメンバー。行ったほうも優秀なんだけど、残ったほうも優秀で、
うん。
なんだろう、例えて言うなら、エグザイルがそのままもう岩倉施設団って行っちゃうみたいな。
ふふふふふふ。
でそれについて、ジェネレーションズも行っちゃうみたいな。
スピーカー 2
うん。若い人たちね。
スピーカー 1
若い人たちも数年海外ツアー行っちゃうみたいなね。
うん。
残った3代目ジェイソウルブラザーズは、日本で活動するみたいな。
おー。
そうそうそう。ただね、エグザイルとね、ちょっと兼任してる人もいるから、
ちょっとそこどうしようかなと思って。
スピーカー 2
あー、考えなくていいかな。
スピーカー 1
ふふふふふふ。
確かにね。まあいいや。
で、施設団のね、ここでちょっと目的っていうのに触れたいんだけども、
うん。
2つ大きく分けてあって、
うん。
1つ目がね、西洋文明の視察調査。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なるほど。でね、2つ目が、これ幕末にさ、外国と結ばれた不平等条約の改正のための予備交渉なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これね、予備交渉ってさ、いきなり条約改正のお願いしても、やっぱ当時の国力の差っていうのは分かってたから、
うん。
まずはちょっと交渉というか探りを入れたかったっていう意味があって、
うん。
で、さっき出てきた不平等条約ってよく言われるものなんだけど、
うん。
これはね、日本にとって不利な条約のことをよく言うんだけど、
うん。
アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと5カ国とね、結んでた。
うん。
で、今回ちょっと2つだけ、その不利な条約の主だったものを紹介したいんだけど、
うん。
1つはね、治外法権って言って、
うん。
これはね、外国人が日本で罪を犯した場合であっても、日本の法律で裁けないっていう。
うん。
そうそう。これによって、外国の犯罪に対して日本側が何もできないような現状があった。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからなんだろう、その条約以降、外国のその犯罪っていうのも少しずつ増えてきたっていう現状が実際にあった。
うん。
そうそう。で、もう1つが、関税自主権がない。
うん。
これはね、主に輸入で、外国から入ってくる市内に対して、自国で税率をかける権利なんだけど、
うん。
これがないの。例えば外国から安価で大量の商品が入ってきたら、自国の産業が成り立たないわけよ。
15:06
スピーカー 1
うん。
だから税率をかけてバランスを取りたいんだけども、これができないっていう。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
日本はさ、後進国だからその時、これを先進国である欧米との貿易において、関税自主権がないってことは、自国の産業が守ることがちょっと難しいんだよね。
うん。
アメリカなんかもさ、当初先に産業が進んでたイギリスに対してさ、自国で税率をかけて自国の産業を守るっていう防衛関税って言われるんだけど、
うん。
そんな対策をしてた。けれども日本はそれができないって現状。
あー。
こういったね、不平等条約をなくしたいっていう目標も一つにあった。
こんな風にね、施設団の目的を話したんだけど、ま、ざっくり言うとやっぱり欧米列強の植民地政策の餌食にならないためにはどうしたらいいかっていうのがやっぱ根本にあると思う。
うーん。
そうそうそう。ま、そのためにじゃあどうしたらいいかっていうのをためにもいくっていうのもあるんでね。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
で、そんなんでね、ちょっとね、岩倉施設団早速ね、横浜港から出港するわけなんです。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
そう。で、この日はね、ほんとによく晴れた日でした。
スピーカー 2
はははは。そうなんだ。
スピーカー 1
うん。空気もね、済み切ってたって言われてる。
で、これね、蒸気船のね、アメリカ号っていうアメリカの船で行ってんのよ。
あー。
で、これでサンフランシスコに向かってんの。
うーん。
で、このね、向かってる途中にね、あの、事件があったの。
うん。
これね、5人の女子留学生がさっきいたって言ったけども、こう船ではね、袴を着てたのよ。
で、あの、トイレでね、こう用を足すのに、袴を持ってあげる人が必要だったから、2人1組でね、必ずトイレに行ってたの。
あー。
そこに、永野恵二郎っていう、通称トミーって言うんだけど。
その通称がよくわかんないな。
この人が、この女子留学生に戯れたっていう記述が残ってる。
スピーカー 2
あー、戯れたんだ。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
はははは。
このね、トミーっていうのは、旧幕府側の人間なのよ。
うん。
そういうね、旧幕府側も、実はね、海外経験が豊富な人とか多くいたから、初期間とか通訳として参加をしてたっていう経緯がある。
うん。
で、こんなね、トミーっていうのは、陽気なキャラクターなのよ。
スピーカー 2
まあ、トミーだしね。
スピーカー 1
そうそう。これ、トミーってあれなんだよ。
用名がね、タメハチだったから、タメハチがちょっと、なんか変わって、トミーってなった。
タメハチから。
タメハチ、タメハチ、タメ、タ、タミーみたいな。
そうそう、多分外国の人がね、そう言って呼んだんだよ。
スピーカー 2
関係ねぇな。
スピーカー 1
はははは。
18:00
スピーカー 1
でね、だから結構ね、陽気なキャラクターで、アメリカにね、その以前行ってたことがあって、
うん。
すごいね、人気があったんだよ。
で、実際にね、数千通のね、ファンレターももらってたらしい。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
そう、実際に今も残ってるけど、彼のことを歌った、トミーポルカっていう曲がアメリカでヒットして、
うん。
権威もあった彼、コミュニケーションが誰とでもできるような彼だったんだけど、
うん。
このちょっと女子流学生には受け入れられなかった。
スピーカー 2
はははは。悲しいだけじゃん。
スピーカー 1
そうそうそうそう。で、この女子流学生ね、こう自分の部屋に戻って、もう泣き出しちゃうぐらいな、何があったのかちょっとわかんないんだけど、
うん。
そこでね、福祉のね、大久保利道に訴えたんだって。
うん。
僕が伊藤博文に相談して、模擬のね、裁判をやろうっていう風になったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
欧米だったらこういう風にやるんだっていう具合に、あの裁判役はね、伊藤博文がやって、
うん。
弁護士役とか書記官役とか色々割り当てて、実際になんか模擬裁判をしたっていう記録が残ってる。
あー。
まあ結局はね、なんか厳重注意みたいな感じだったんだけども、
うん。
まあこんなんでね、ようやくね、アメリカへ行くっていう流れの中で、ちょっと今回は1回目ここまでということで、
次回またその続きを話したいなって思います。どうですかね、ここまで。
スピーカー 2
まあ岩倉施設団自体はね、もちろん聞いたことあったけど、なんか掘り下げてさ、調べようっていうなんだろう、ことは今までなぜか思わなかったんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
なんかやっぱりそういう人って結構多いんじゃないかなと思うし、いいきっかけになればなっていうふうに思ってます。
スピーカー 1
あー確かに。なんかね、自分はさ、その日本ってさ、それ以降さ、結構軍国主義とか言われてさ、
うん。
軍事力強くしてさ、走ってったわけじゃん。
うん。
でもさ、その根本的なものをさ、見ると、やっぱりこの幕末に結ばれたさ、さっき言ったあの、平等じゃない条約。
うん。
これがさ、まああったのが一つに、その理由として間違いないなと思うんだよ。
うん。
もしさ、ここで欧米がさ、対等な関係をはじめから築こうとしてくれてれば、
うん。
なんかまた違ったあり方があるんじゃないかなっていうのも思っちゃうとこ。
スピーカー 2
まあそうだよね、確かに。
スピーカー 1
そうそうそうそう。まあそんなこんなで、次回ちょっと続きを話したいと思います。
はい。
ということで、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。