00:13
どうも、WATAです。 TAZAWAです。
先週ぐらいに、あれはどこだっけ? 両国かな? 両国かどっかに
両国かどっかってことだね。両国だね。両国にちょっと会社の人と飲みに行って、今普通に飲みの席は楽しく過ごして、普通に終わったんですけど、
その帰り道に、帰り道を歩いてた時に、おばあさんから声をかけられて、足引きずっているおばあさんで、僕らを見た瞬間に、ちょっと手招きして呼ばれて、おばあさんにね。
で、「どうしました?大丈夫ですか?」みたいな感じで声をかけるじゃないですか。 足をちょっとくじいちゃってね、家もすぐ前なんだけど、ちょっと足くじいちゃって手助けしてもらいたくてさ、お兄ちゃん達さって言って。
ちょっとさ、こっちのこの壁の方に来てくれる?って言って、そこがね、自分の家の目の前だったんですよ。で、なんか足くじいちゃって歩けないから、ちょっと家の前まで連れてってくれる?みたいな話なのかなと思ったんですけど。
歩けるっぽい、歩けるって歩けるっぽい感じで、その壁の、家の壁の方に来てくれって言うわけ、一緒に。で、お兄ちゃん、ちょっと壁の方に来てくれる?って言って。で、あのね、壁をさ、ちょっとさ、ここ、このさ、どっこの壁のとこさ、ドンドンドンって思いっきり叩いてくれる?って言われて。
叩いていいんですか?お家ですけど、なんかお家なんですよね、これね。壁叩いちゃって大丈夫ですか?みたいな。あんまりこう、新しいそうなお家じゃなかったから、叩いて大丈夫なのかな?みたいな感じで。
あ、じゃあ行きますよ、叩きます。軽く叩きますね、みたいな。トントントンっていう感じで叩いて。あ、いやいや、もっともっと強く、強く叩いてほしいのって言われて。あ、もっとですか?これ大丈夫ですかね?みたいな感じで。
で、あ、でね、あのちょっと壁とかに、なんかその手をつかないで欲しいんだよね?みたいなこと言われて。あ、あ、今、手ついた。手ついたよ、今。みたいなこと言われて。え?なんか、なんですか?手をなんか触っちゃって、でもドンドンドンってするのに手は触っちゃダメなんですか?みたいな感じで、なんか変な空気になって。
で、とりあえずもうドンドンにしてほしいらしいの。で、壁を、だからドンドンドンってちょっと強めに叩いたら、いい、いいよ、いいよ、みたいな感じで。そうそうそうそう、みたいな感じで。で、壁はOK、みたいな感じになって。ちょっと今度こっち来てって言われて。その家の手前の辺にマウンホールがあったんですね。で、マウンホールを思いっきりジャンプして踏ん付けてって言われて。
え?なんか、お家はまだ分かるんですけど、マウンホールはちょっと好境物なんで、どうなんですかね?みたいな感じで。でも、そもそもこれどういう意味があるんですか?って言いたかったんですけど、ちょっと言えないような空気感で。思いっきりジャンプしてって言われて。
03:13
分かりました、みたいな感じで。ぴょーん、軽くぴょーんって感じで、わーって声出して、踏んだよっていう。違う違う違う、もうちょっと大きくジャンプしてって言われて。分かりました、ちょっと怖くなってきたんだ。もうちょっと大きくジャンプしますねって言って。もうちょっと気持ちね、あんまりドーンっていう音出すのもあれだから、気持ち大きくジャンプして、はいOKって言われて。
じゃあ次こっち来てって言われて。道路側の速攻のとこにある、その鉄のやっぱりマウンホールじゃないけどさ、速攻の鉄の蓋みたいなのあるじゃん。よく穴が開いてる。それを今度は僕と一緒に行った連れの人に対して、じゃあ今度はあなたね、この蓋を思いっきりジャンプして踏んでって言われて。
で、その人真面目だから、分かりましたみたいな感じで、すごいその人なんかもう容赦なく思いっきりジャンプして、ドーンって感じでね、踏んだのよ。いいねって言うんだ、一番良かったんだろうね、今日。いいねって言って。ありがとう、私帰るねって言って、お家入ってきました。
それだけ?
っていう、ちょっとゾッとした、なんていうかね、怖かったのよ、一例。なんか、てっきり足を悪くして、歩けなさそうなおばあちゃんを助ける気持ちで行ってたから、だから怖くなっちゃったよ、途中で。あれこれ何か、何か良くないことに僕ら付き合い始めてるのではないかというか、何か狙いがあって何かをさせようとしてるのかとか、いろんな勘ぐりが入っちゃった。怖くてさ、もう。
それは怖さを解決してませんよ。
全然してないのよ。だから結局これは何だったのかわからないし、ただ、その人なりの一日のナイトルーティーンみたいなのがあって、それをやる、なんかその儀式というか、そのおまじないをすると、なんかこう縁起が良いとかあるのかもしれないから、一概ね、ちょっと言い切っちゃうのは申し訳ないんですけど、なんかね、とはいえね、怖かった。
笑
こんな、何か普通に、何だろうな、普通に生きてて、なかなかこう味わわない非日常感だったから、すごい怖かったね。
何か安全確認をしたかったの。
だから、最初そう思ったの。壁も、壁、なんかどんどんやったとき、変な音が鳴って、なんか家がきしんでるとか、なんかそういう心配事があるのかなと思ったんだけど、でもさ、もうその手つかないでが意味わからなすぎて、
06:03
あ、いやいや、手つかないで、手つかないで。あ、やり直し、やり直し。手つかないでって言われたんですね。
はいはいはいはい。
え?みたいな、なんかその、すごい、だから謎のそのルールがあって。
はいはいはいはい。
いやだからさ、いやー、
なるほど、なんかこう、実は潜在的にイメージしてるものがあって、それをこう再練しようとしてるとかなんかあるんですかね、そういうの。
あるのかねー、だから、わからないけど、そういうその独特の習慣を持ってる人っているからね、なんか、ただなんか足腰悪そうだなっていう感じで、
で、明らかに困ってる様子だったから、で、明らかに困った様子で、ちょっと、ちょっとお兄ちゃんたちごめんね、みたいな。
からのそれだったからね、ちょっと、よくも悪くも期待を裏切られて、もうその後戦慄で、2人ともその、ね、その飲み行った人もちょっと言葉がなくなっちゃって、なんかさ、しばらく無言で歩いてもらって、ちょっと何を、これ何をさせられてたんだ。
まだ終わってない可能性もありますからね。
あるからね。
今もね。
これね、怖いよ本当に。
伏線が回収されてる。
伏線が、そうそうそうそう。あるいは何かその、僕らは、また別の世界に、その不運なタイミングで潜り込んでる。異世界転生してるとかね。
場合によってあるかもしれないんで。
っていうね、ちょっとあの怖い、ちょっとだけ怖いことがありました。
なるほどね。それは何コア系ですか?
これはね、ヒトコアです、完全に。
ヒトコアなんですね。
うん。まああと不思議系。ちょっとだからその、ちょっとよくわからない怖さがあるみたいな。
なるほど。
系ですね。
だからね、まあ、こう街を歩いてるといろんなね、体験ができるなっていうことで、ちょっとね。そんな小話もありつつ、これは導入ですね。
関係ないですか?
全然関係ないです。
あ、そうなんですね。
ちょっとね、こういう小話をこういっぱい、ちょこちょこ持ってきてるっていうやつなんですけど。
あのー、まあ僕今ちょっと学校行ってて、もうすぐ終わりかけてるんですけど。
うん。
あの最後のですね、最終課題みたいなのがありまして、結構大きめの課題で、なんかその、まあ僕、その本、ブックデザインって言って、なんか本とか雑誌のそういうデザインの学校に行ってるんですね。
で、最後のお題が、まあ一つ、その雑誌を作ると。で、ちゃんとその架空じゃなくて、どこかに取材しに行って。
で、ちゃんとインタビューをちゃんとして、で、それを写真に収めて、で、えっと、そのインタビューした記事を雑誌化するっていうテーマをやってるんですよ。
で、グループワークで、当然ながら一人じゃできないから、まあチーム組んでやるんですけど。で、まあ僕らのグループ、僕以外に他女の人しかいないんですけど、4人ぐらいで。
で、取材のテーマをですね、日本民芸館っていう。ご存知ですか?日本民芸館っていう、民芸ってあるじゃないですか。
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あの、民衆的工芸の略らしいんですけど、まあ、あの、なんて言うんですかね。ちょっと例えがパッと出るものがないんですけど。
例えば何でもいいですけど、お皿とかお茶碗とかあって、まあ、その、昔、そういうこう、お皿とかお茶碗作るのも、まあ伝統芸能的な感じで、いろんな地域特有の、そういう技能が伝承されて作られてるものとか、マシコ焼きとかいろいろあるじゃないですか。
まあ、ああいう芸術的価値があるものも、もちろん、そういう大切な日本の遺産として残ってるんですけど、もうちょっと大衆的な、まあ、ちょっとだから職人の人が作ってるんだけど、手作りである程度こう量産的に作られてるもの。
なんか一品ものとかじゃなくて、ちょっと量産されてるもので、日用品として使われるものが、まあその1930年ぐらいですかね。まあそういう民芸運動っていうのがあって、そういうこう、そういうものの美しさを世に広めて、
1900年代前半の方だと、すごい大量生産、大量消費の時代が産業革命とかで始まるじゃないですか。それに対してのアンチテーゼって感じ。だからその機械で作られたものまで行くと美しくないし、それはなんか消耗するものになっちゃうけど、
人の手で作った、手仕事で作られたお茶碗とか器っていうのは、まあその人の気持ちも宿っているし、それを使うってことに対しての美意識とか、あとはその使い続けるみたいな、まあサステナブルみたいな感覚を持つっていうこの向き合いが非常に日本人的で美しいんじゃないかと。
そういうのを民芸運動って感じで、柳宗義さんっていうですね、これ有名な柳総理さんっていうプロダクトデザイナーがいるんですけど、もう亡くなられてますけど、柳総理さんのお父さんで、柳宗義さんっていう方がいて、その方が1930年代に作った日本民芸館っていう、
そういう民芸品と民芸とは何かっていう思想を込めたものをすごいキュレーションして、展示物として一般公開して、いろんな人、来賓とかお客さんを招いて見てもらうみたいな場所があるんです。
で、それがまあ、あそこにあるんですよね。灯台、駒場灯台前にあって、そこに取材しに行きまして、結構だから、僕はだからね、気持ち的にその町のトンカツ屋さんとか行って、その店主の人に秘伝の味はみたいな感じで、それぐらいのライトな感じを想像したんですけど、ずいぶん行儀良しくなってきたなみたいな感じで。
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だって、結構あれですよ。伝統ある、結構有名な場所なんですよ。日本民芸館で。今、館長されてるのも深澤直人さんっていう、すごい有名なまたデザイナーの人が館長されたり、ちゃんとした場所なんで、権威ある。結構ヘビーなインタビューになりそうだなみたいな感じで。で、行きましてね。
で、そして先週ぐらいに取材を終えてきたんですけど、でもやっぱり、すごい対応してくれた方も非常に上品な女性の方で、逐一こう丁寧に。だって学校の課題の取材だからさ、別に何のプレスリリースにもならないし、PRにもならないものなんですけど、すごい丁寧に答えていただいて。
でね、1時間ぐらいの取材にちゃんと応答してくれて。で、日本民芸館の建物の中でインタビューさせてもらったんですけど、すごい僕が今、歴史とか日本のそういう伝統のなんちゃらみたいな、興味あるっていうのはあるんだけど、めちゃめちゃ良い話というか、すごい良い話だったんですよ。ちょっと具体的には言えないんですけど。
で、僕が一番刺さったのが、その日本民芸館。だから要はその日本民芸館だし、その日本民芸館のそのね、民芸の定義っていうのが、まあ仏教美学って言って、まあその仏教的な心の美しさ、ただ住まいみたいなのを、まあそういうこうものとかを通じて、まだものが映し鏡になって、それを使う自分。
まあ陽の美って言うんですけど、日用品の陽の美しさ、陽の美って書いて。だからそういうこう、なんだろうな、そういう作られたものとか、手仕事に丁寧に作られたものを大切に使って、で、それを使い続けることとか、そういうのをこうね、一点一点ちゃんとこうケアしながら、あの思いを馳せつつね、そういうのを受け継いでいくみたいな美しさっていうのが、まあ結構あのルーツには仏教美学っていう、
仏教のそういう考え方が根付いてるらしくて、で、その創設者の柳宗義さんもそういう思想のもと作ってるんですよ。だからそういう本来、ただものの美しさってよりも、そのものに向き合う自分の心の美しさみたいなのを、やっぱりものを通して映し鏡として確認するじゃないですけど、そういう思想が入ってるらしいんですよ。
で、日本のもの、あるいは仏教美学っていうと、結構やっぱりそういう和風のものとか、なんかこう日本のね、そういう伝統の収蔵物とかが集まってるのかなと思いきや、結構キリスト教圏のアイテムとかがあるわけ。
で、なんか今ちょうどその企画展って言って、その仏教美学についてのその企画展を今やってるんですよ。で、展示ブースに飾ってあって。で、7割8割が外国由来のものが置いてあって。で、なんかめっちゃキリスト教っぽいなみたいな雰囲気なんですよ。もうパッと見た感じで、なんかそのキリストがこう貼り付けにされてるような可愛いお人形が飾ってあったりとか。
15:25
なんかね、あ、これ仏教かなみたいな。仏教っぽくないぞ、みたいなのをずっと感じてて、それをずっと聞きたかったんですよ。で、それを質問で聞いたら、そもそも仏教っていうのは、もちろんね、そういう経典というか、そのね、仏陀からの教えの文脈、コンテクストではあるんだけど、その考え方としては、壁がないものだから。
だから、例えばその他の多神教のものとかを、別になんか弾いて、それ自体を仏教として見なさないなっていう考え方はないと。要するに、それも含めて美しさとか、その仏教的な美学が感じるものに関しては、同じものというか、それも含めて仏教の懐の深さとして、
そういうのも含めて、その仏教美学と捉えるみたいなことを言ってて。要するに、切り分けるカテゴリーの話じゃなくて、すべてを包摂して、どういう美学があるかっていうのを向けようためのものなんですっていうふうに言ってて、めちゃくちゃ良いこと言ってるな、この人みたいな感じでも。
だから、要は仏教ってなると、仏教徒とかお寺とか、そういうことになりそうだと思うんですけど、本質はそうじゃなくて、すべてを包摂して受け入れて、キリスト教徒でも仏教的な観点で、そういう美しさを感じる場合は、それも仏教と見なすっていう考え方らしいんですよね。
それは初めて聞いて、だからその展示室には、あえてキリスト教のものを置いてるんです。それは直感的に、これキリスト教じゃんって言って、いう考え方は仏教的じゃないんだって。要するに、それも含めて美しさが、これはあるなというか深みというか、そこに思想が宿ってるんであれば、それを仏教と見なせるっていうのが、ある種の仏教の考え方だから、
それを直感的に向き合って欲しいから、あえて置いてるっていう話を言ってて、めちゃくちゃ不敬。というか、感心しちゃって本当に。 ハイター的じゃない。 ハイター的じゃないんですよ。そうそうそうそう。
だからこれ一神教別に、これディスっちゃうと仏教的じゃないんであれですけど、やっぱり一神教の世界ってそれ絶対ダメじゃないですか。とにかく神様はいっぱいいっちゃいけないんで、神様一人しかいないから、そういう多神教の考え方っていうのは、どうしても受け入れられないところはね、カルチャーとしてなんですけど、やっぱ仏教の面白さっていうのは、そういう、なんていうかな、やっぱりやっぱ調和とか、
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その方もおっしゃったんですけど、やっぱ結局ハーモニーを作るための考え方だから、別に仕切りとかカテゴリーではないから、それをやっぱり理解しないといけないんだっていうのを言ってたんですよね。だから仏教だからやっぱりブディズムで、なんかお経を読んで、インドの神々がどうちゃらで、とかそういうことじゃないらしいんだよね。
だから究極的に言うと、自分と自分との向き合いではあるから、それをどういうふうに美学を持てるかっていうのがやっぱ仏教ではあるから、それをこう、やっぱり形式ばって、我々は仏教徒だからとか、あるいは神道とか神仏集合でとか、そういう、あんまりそういうカテゴリーとナショナリズムみたいな話で見ちゃうと、そもそも仏教の本質からずれる。
っていうのをおっしゃって、本当に驚きましたよね。なんか初めてそういう話を聞いて、だからなんか、そう考えたらやっぱり仏教っていうのは面白いですよね。なんかこう、仏教であり仏教でないような、なんとも言えないその、形容しがたい器があるものではないんで、なんかこう、
本当にこう、やっぱ自分との向き合いと、やっぱ自己とリターというか、周囲があって自分がいて、自分がいて周囲がいるみたいな、やっぱああいう考え方っていうのはすごい学びがあるなっていうのを勉強させてもらいました、本当ね。
本当、特に何のオチもないんですけど。だから、なんでこんな痺れるのかなって思うのは、やっぱね、要するに、僕がちょっと仏教の解釈をある意味もうちょっと拡大解釈させると、要するに正解はなくて、0と1の世界でもないし、
結局それを見極めるのは自分の塩梅だから、自分の感覚を研ぎ澄まさなきゃいけないみたいな話をしてるんだと思うんだけど、まあもうこの世の中はもう0か1の話をずっとしてるじゃないですか。何が正解、何が間違ってる、フジテレビが悪い、仲良くんが悪いみたいな、そういうさえげつない話ばっかしてるから、本当にね、染みましたよね。なんかもう全然別世界というか世界観が違うなと思って。
それがやっぱり仏教的な感覚っていうのが難しいっていうのは、逆に複雑であるっていう意味でもあるじゃないですか。
そうね。
世の中複雑に物事を考えられないから単純化して見れるっていうのはありますよね。
いや本当そうなんだよね。結局だからね、やっぱり何が正しい悪いって物指しじゃないですか。物指しっていうのは要するに世間的なものの見方の正しさの尺度だから、結局それがないともうなんか物が見れないみたいな価値観になってきちゃってるんだよね。
21:12
だから、なんか本質的に別にそれに興味もないし、本質的にどうかっていうと別に個人としてはどうでもいいことを、なんか世の中の尺度で正しさ悪さを決めて、こっちが正解こっちが悪いみたいな議論をとうとうとしてるみたいな世界観になっちゃってるんじゃないかなっていうね。で、これがやっぱギスギスさせてるよね。日本の空気を。
両方正しいっていうことって難しいんでしょうね、多分ね。感覚的にね。 難しいのかね。だって、でもなんかそのさ、ある種断定したくなっちゃう心理状態もかなり余裕がないんだろうなと思うし、なんかこうなんでそうなっちゃうんだろうなみたいなのをね、思いますよね。
いやだってさ、別にキリスト教もあってもいいし、仏教もあってもいいし、ただそれだけの話じゃないですか。別にどっちが正解じゃないし。で、仏教はキリスト教も仏教とみなすみたいな、ある種すごい斜め上の価値観ではあるけど、だからその矛盾をさ、なんかこう受け入れられない社会になっちゃったよね、本当。矛盾があっていいんだけど、矛盾がもう絶対嫌だというかさ。
まあ別に仲井くんを擁護したいわけじゃないんだけど、やっぱりこう、数ヶ月前に話した認知的不協和の話ですけど、やっぱり仲井くんのファンってそれなりに多かったと思うんですよね。スマップとか。で、たぶん彼らのファンが、今認知的不協和を起こしてると思うんですよ。
もうすごい仲井くんを擁護するか、ぶったたきにぶっ殺しに行くかみたいな感じで、今までのイメージはぶっ壊されちゃったから。そういう意味で認知的不協和を今メディアに起こされてるわけなんですけど、でもやっぱ仲井くんがね、今回やったことは悪いことなのかもしれないけど、過去にやってきたいろんな人を、例えば歌とか演技とかなんでもいいですけど、そういうの励まされて救われてきた人がたくさんいるわけですよね。
その事実はやっぱり変わらなくてですね。だからそれ自体が、その仲井くん自体が悪くて、あいつはもう、なんかあんな奴を応援する奴は気が知れないみたいな感じで断罪しちゃうみたいな感じっていうのもちょっと違うのかなと思って。
過去は過去で、彼なりにそういう良い影響を及ぼしてきた事実はあるし、なんか全否定しちゃうね。もちろん擁護できないことをしてるのかもしれないですけど、とはいえね、なんか寛容さがほんとないなというか。
あとそもそも判断ができるほどの情報を持ってるわけがないじゃないですか、僕らが。
24:00
そうなんだよね、そうそうそうそう。だから何をジャッジしてるんだっていう話があるんですよね。
おそらく当事者とかになったら、今いろいろ言ってる人だって違う考えになってた可能性あるし、分かんないですからね。
そうそうそうそうそう。だからまあそういうふうに、ほとんどの普通の人は、あえてジャッジしようなんて人はいないと思うし、
多分普通に情報として受け取ってる人がほとんどだから、そんな恣意的な人はいないんだけど、一部そういう恣意的なやつとかがいて、
そういうの情報を植え付けて、どっちが悪いか正解かっていうのを与えるじゃないですか。
そうすると、全く無関係だった、別にジャッジを求めてない人たちは、無理にジャッジを迫られて、あたかも過去自分が好きだったものを否定されてる状態?
中井くんとかスマップが好きだった人とかフジテレビが好きだった人は、結構それを否定されちゃってる状態みたいなのが起きるから、やっぱすごい
多分精神的に結構影響が強いんじゃないかなと思うとこがあるんですよ。これなんか、TAZAWAさんはすごいよくわかってくれてると思うんですけど、
例えば坂本龍馬の話とかさ、だからその最近だと歴史的にさ、その史実として別に重要人物じゃなかったみたいな話あるじゃん。でもあれも後日談で、今そういうふうに解釈してそうだったっていう
なんかわかんないけど、その事実ベースの切り取りでそう氾濫してるやつで、でもその坂本龍馬のエピソード、しば龍太郎の価値観とか世界観みたいなのとかを否定するものじゃないじゃないですか
だから坂本龍馬が、しば龍太郎とかの影響で龍馬が好きな人も、事実の龍馬はまた別ってわかってますからね わかってますからね、そうそうそうそう
で、実際その歴史的な背景は僕らにはジャッジできないとこもあるわけじゃない、いくら事実が出てきたとはいえ
なんかそれをこう、これよくだからね、その認識的不協和の例で出たりするんですよ、坂本龍馬の話は。結局だから現代的に解釈するとあいつは大したことなかったみたいな
でもやっぱ好きだった人からすると、いやそんなこと言われてもみたいな、起きるじゃんそういう
だからそういう、なんつうんだろうな、その良いと思ってたものに対して、そういう事実とか、なんつうかこう合理的な何か価値観を植え付けて
その反転させちゃうみたいなっていうやり方は、なんかすごい
恣意的ですし、だからそれに操作されると、やっぱ心が蝕まれていくような感覚があるよなっていうのをね
感じるわけですよね、本当に なんかそういうふうに意見言ってるとね、アドレナリンが出るんで気持ちいいなと思うんですよね
気持ちいいんでしょうね そうそうそう
で、やっぱり、あとはまあマーケティングというかさ、そういうふうにさ、ちょっと煽りじゃないけどさ、実は真実はこうでしたみたいなね
陰謀論とかもそうですけど、やっぱ人にアドレナリンをこう植え付けるとこもあるしね、そういう口ぶりは
27:08
でもやっぱそうすると、やっぱ今まで自分が信じてたものみたいなのが崩れちゃって、結構価値観とか精神のバランスを崩す人がね、多いと思ったんですよね
だからやっぱ今の現代人、そういう仏教的な解釈みたいなのがすごい重要だなっていうのをね、改めてその民芸館の話を聞いて
めちゃくちゃ思ったわけですよ、もう本当ね、抱きしめたかったですよ、そのインタビュー答えてくれた人を
ありがとうって言って へえ、それはどんな人なんですか、その
すごい上品な女性の方でしたね、核芸員さんですけど、やっぱ口ぶりもすごい丁寧で
でも本当に、だからそういう意味で言うと、やっぱり今インバウンドの影響もあると思うんですけど、外国の方はね、すごい多くいらっしゃって、でもなんかね
外国の人の方が言っちゃうと、そのなんていうか、自然とかそういう宗教美学に関しては造形が深いから、日本人よりも理解度が高いらしいです
だから全然その、割とコアな目線で、日本人よりちゃんと民芸とかそういう宗教的な背景っていうのをすごい深く考察して捉えてる人は外国の人が多いって言ってましたね
逆に言うと日本人はそういう感覚が今かなり薄れて、脅迫、だから要は、これはちょっとよしやしあるんだけど、結局ものとして美しいから
やっぱりその表面的な美しさだけを捉えちゃうみたいなムーブメントあるっぽい
本質的には心の美しさっていうところなんでね、それをこう、どういうふうに向き合うべきかみたいな、それなんかさっきの通りですけど、写し鏡というかね
どう心に響くのかを確認する作業っていう話らしいんで、ちょっとね深いなっていう話なんですけど
日本人の方がね、リスペクトはないでしょうね、そういうものに関して
今ね、残念ながらちょっとそんな気するね、ちょっとこの流れでもう一つネタ言っていいですか、ちょっとあと今日は何となく話そうな時間があるんで
ちょっとサクッと終わらせますけど、その流れでちょっとだからもういろいろ日々、すいませんね、思うことというか文句が多くなっちゃって申し訳ないんですけど
僕とあるそのこの業界のビジネスインフルエンサーの人で、これ実際編集ではカットしますけど
タダさんを僕すごい尊敬してるとこがあるんですけど、ただその人がここ1,2年ぐらいすごいもうAIのことだけを発信するようになったんですよ
30:03
あの僕も発信見てますんで、その辺多分僕も分かります 分かりますよね、もしかしたらタダさんもこの投稿を見てるかもしれないですけど
僕ちょっとやっぱりAIの発信するようになってからちょっとやっぱ ちょっとあの
僕とは価値観が合わないのかなみたいなのを思うことがやっぱりたびたびその、まあいいんですけどね全然それはあの
もともとそういう人だったと思うし全然いいんですけど、ただ意見の相違が、相違というかなんて言うんだろうね
あの なるほどなーって考えさせられるようなことが多くてですね
ちょっと最近見た投稿でね、ちょっとこれ今日議論のネタにしたかったんですけど
これ読み上げると自分のネッコは平均的リベラルより極端に自己決定権の最大化をアイデンティティにしているので
名前、性別、外見、年齢、趣向、性子、遺伝子すべて自由に自己決定可能な未来を望んでいる
出産ガチャで与えられたすべて本人の意思で好転的に変えられるようになるのが望ましい
ガチャの話です、例の
出産ガチャ、要はその生まれ持った状態っていうのは不公平性があるから
それは好転的に変えられる世界が望ましいみたいな話なんですけど
そうかそういうことを言うか、なるほどね
言ってることはわかりますよ、もちろん
わかるんですけど、僕は思ったのは
そこまでして生きたいかっていう
全部自分の何かを好転的に変えてまで
そんなに生きることへの執着あるかって思ったんだよね
でもなんか典型的な今どきっぽいリベラルっぽい感じしますよね
感じですよね
自由、何でも自由であるし
何でも自由であるし
個体、自分の個人から見た世界なんだよね
世界から見た個人じゃなくて
やっぱ必ず自分視点っていうのが絶対的だよね
でもさ、要はそのこの前の名前の話とすごい近いんだけどさ
そこまでアイデンティティ無くなった状態で
生きたいかっていう議論がやっぱ僕はあると思うんだよね
あとさっきの話は出発が
出発の時点でそれはそれでいいっていう感覚を
持ちにいけないもんなんですかね
そうなんだよね
なんかなんでそこまで強くて
ニューゲームみんなやりたいのかって思っちゃうよね
強くてっていうのも
今どきの今の世界標準の価値観の上での
ガチャってこと言ってるんですけど
そもそもそれ自体が存在してるのかどうかっていう
議論もあるはずで
あるしねそうそうそうそうそうなのよそうなのよ
あとまたその強くてニューゲーム状態が
全員の世界ってそれ何なのもはや
ってなっちゃう
そのその自由その自由が
33:00
そのどんどんみんなが持ち始めて行き渡ったら
もっと不幸になると思うんですよね
そうなんだよね
だからそのこれよく言われますけど
自由って言葉が言っちゃうと不自由じゃないですか
要は自由っていう言葉が生まれてる時点で不自由だっていう
よくあるパラドックスなんですけど
なんかそのなんていうんですか
ロボット要はロボット的な世界観で
その違いも何もないなんていうんだろうね
なんかが
まあ物差しをみんなで共通で持とうって話をしてる感じで聞こえるんですよ僕は
そうなんだよねそうそうそうそうそう
だからそれにはさなんか背景が全部すっとぶじゃない
僕らからすると結局だからこれはまた継承の話になっちゃうんですけど
なんかもう受け継いできたものは全てリセットしてじゃない
だから要はそのだって全て変えられちゃうんだから
だったら別にもう人間とかどうでもよくならないかなみたいな
人間っていうもの自体をやっぱり一回否定しちゃうことにはなる気がするんだよね
だからその変遷とかさ
いわゆるそのもう要するにその困難から立ち向かわないっていうメッセージも見えるわけね
この投稿からは要するにその困難というものを世の中から排除するみたいな
でもその困難を乗り越えるっていう力があったからここまで生きれてるんじゃないの私たちはって思っちゃうんだよね
要するになんか困難を抜き去ることが幸福度かっていうと
幸福度とかリベラルかっていうとそうじゃない気もしてて
困難があってそれを乗り越えるための動力とか
そのそういう共同体意識があるから自由があるんじゃないかなっていうのを思っちゃうんですけど
だから現代的な自由っていうのはこういうことなんですかね
この全て後で変えられるみたいなことなのかなっていうさ
それはもう前提がもうだからなんて言うんですかね
本質的な話というよりは今の世の中の前提としたちょっと隔論の自由って感じが僕はしちゃうというか
そうなんだよね
本当の意味で多様性は別に認めてないっていう感じにも見えますね
多様性を認めてないね
確実的にしてこうというやっぱり社会主義っぽい感じの考え方でもあるからね
だからやっぱりインターネットが普及してみんなが同じ情報取りにいけるようになってから
多様性ってやっぱりみんな同じものを目指すようになっていって
小説とかの展開もみんな同じ風になっていくとか
そうそうそう
だからそういう風に慣れていかないことが不幸になっていくっていう
ただの悪循環をやってるだけな気がするから
あと何て言うんですかね
僕だからこれで真っ先に思いついた人が一人いてこの話を聞いて
パーティーちゃんっていう芸人いるでしょ
ギャルとギャルの
僕実はパーティーちゃん結構好きなんですけど
下ネタばっかり言うね3人組のお笑いの人たちなんですけど
パーティーちゃんのスガちゃん最高ナンバーワンっていう男の子がいるんですね
これただ知ってるのはスガちゃんの人生ってめちゃくちゃ壮絶なんですよ
36:01
めちゃくちゃ壮絶で
おばあちゃんと実の両親と兄弟と暮らしてて
おばあちゃんがめちゃくちゃ変人だったらしくて
すごいある種虐待というか変なルールとか
いろいろおかしいようなことを
いろいろ家族のルールとしてすごい強制とかしてたりしてて
それで家族がすごいおかしくなっていっちゃって
お母さんが出てっちゃうんだよね
お父さんもすごい破天荒な人で女遊びばっかりしてて
お父さんもいなくなっちゃうの
兄弟がいたんだけどお母さんと一緒にお姉ちゃんも家出ちゃってて
その変人のおばあちゃんとスガちゃんが二人暮らしになっちゃって
なる流れになっちゃって
でもスガちゃんは本来お母さんと一緒に家出てけばいいんだけど
いや俺別に大丈夫でおばあちゃんと暮らすよみたいな感じで
おばあちゃんと暮らすことになって
それが小学校か中学校ぐらい
おばあちゃんが確か死んじゃうんですよ
中学校ぐらいかな
中学校から一人暮らししてるんですよ
親と暮らせばいいじゃんっていう話なんだけど
いやでもそっちのほうすごい要するに大変なわけよ
家の家賃とかも払わなきゃいけないし
家事とか掃除とか飯とか全部自分でやるっていう
サバイバル生活みたいなのを中学校からやってて
なんであえてそれを選ぶのかっていうのは
そっちのほうが主人公っぽい生き方だからみたいなことを言うわけね
でも確かにかっこよさというか
こっちのほうがかっこいいと思ってるみたいな感じのこと言うんだけど
多分いろんな背景があって彼は選んでると思うんだけど
本来ならめちゃくちゃ
要は自分を半ば捨てて出てった母親とか父親を
恨むべきなんだけど
特に父親ね女ばっか作って
すごいもうやりたい放題でさ
ひどい親父なんですよ聞いてる限りは
ギャンブルとか金もないし
で金たまにせめりに来たりとかしてみたいな感じで
子供いいんだよ
でなんかそれがね親父が病気になって
結局帰ってくるんですよ
死ぬ一歩手前ぐらいの病気がガンになっちゃって
結局また親父と暮らすみたいな感じの流れになるんだけど
やっぱ菅ちゃんはそれでも全然親父は別になんか
親父の生き方はそれなりに
なんつーかまあいい人生じゃないかもしんないけど
いい真っ当な人生じゃないかもしんないけど
俺はかっこいいと思ってるし面白いと思ってるみたいなことを言ってて
39:01
で結局お父さんがんで死んじゃうんですけど
で死ぬ時も死ぬ間際までもすごい突き沿ってて
で最後まで結局だから
親父ってやっぱかっけえなって俺は思うんですよねみたいな感じで
まあいろいろ苦労はさせられたけど
やっぱ一番尊敬してるみたいなこと言ってて
でこの生き方がやっぱ俺は
いい生き方だと思ってるんですよ
やっぱこっちの方がかっこいいと思うしみたいなことを言ってて
僕ねすごいねかっこいいと思ってるんですよ
菅ちゃんの生き方というか
やっぱそれぐらい
いやなかなかできないよ人は真似できないし
あのやっぱネジぶっ飛んでるからできるっていうのはあるから
別にそれがみんなそれそうなるべきっていうのは思わないんだけど
それぐらいのこう生き物としての強さみたいなのが
でそういう人がやっぱ最終的にそんな辛い思いしたとしても
父親に感謝して感謝を伝えて
その父親に感謝を伝えられた状態で親父は死んでいくわけで
だからそういうのってさ
やっぱ他人にはわかんない幸福があるよねそこには
なんかすごいある意味幸せな話だなっていう
こんななんかいい話
美談にしちゃってるとこもあるかもしれないけど
すごいいい話というかさ
なんか泣けてくるわけよそういう話聞くと
なんかそういう家族の状態とか生まれ持ったそういうなんて言うんですかね
自分の背景とかをリセットしちゃってすごい良いように書き換えちゃうって
ある種その幸福なんつうんだろうな
そういう感覚はやっぱ絶対出ないよねやっぱりこう
それはそれでまあかっこいいと思える感覚って
それが本当の多様的な感覚だと思うんですよ
たぶん菅ちゃんナンバーワンは世の中にはいろんな人がいるって
たぶんそういう話を聞くと直感的にわかってる人だし
そうなんだよね
たぶん差別もしないタイプの人
まさにそうなんですよ
だからやっぱりね
芸人として面白いかどうか1個置いといてたけど
すごいだからボキャブラリーとキャパシティはあるわけよ
やっぱり相当修羅場乗り越えてきてるから
でやっぱりそういう人って強いと思いますよ
強いし人にこうやっぱり愛情を理科的に注げる人になるんじゃないかな
っていうのを思うわけなんですよ
だからやっぱりこうリセット主義とか
そういう合理的なのもわかるんですけど
それねでもわかりますわ
でもそうやって世の中どういうふうに
どうしたら世の中ってもっと健全になるんですかね
なんて言うの
だから
インターネットでみんなで同じ情報共有してる限り難しくなるんですかね
そうですね
でもこれはちょっと前にもタダさんと話したかもしれないですけど
1回本当の意味での苦境に陥らないと無理ですよね
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だからこれは演技でもないし
そうなってほしいとかそうなるべきではないと思うんだけど
ただやっぱりかなりこう苦境に陥らないと災害なのか戦争なのか
そういう状態なんだとやっぱりちょっと
僕らの1回こう崩れてしまった
何か価値観とか共同体意識はもう崩壊していく一方なのではないかな
っていう気はしますけどねやっぱり
そこに立ち返った時に初めてちょっと
別にこのインフルエンサーの方が言ってる世界観がダメっていうわけじゃないんだけど
ただ本質にはもう1回ちょっと戻って
こういうものごと発信する人は増えるんじゃないかなとは思うんですよね
だってこんなのだって別に極限な状態になったら何の意味もないから
この人生リセット話なんで
そうですよね
でもその投稿は結構支離されてる感じですかね
そこまでバツってるっていうわけじゃないんですけど
ただなんかねこういう発信をする人ってやっぱちょこちょこ増えてきてるじゃないですか
なんかだからこれは僕昔からやっぱ思ってるんですけど
そもそももう大人になってくと同じタイプの人としか付き合わなくなるじゃないですか
だから本当の意味で多様性って実感しにくくなると思うんですよ
だってもう例えばもう超高学歴超エリートの人って
もう周りにエリートしかいない状態でずっと何十年過ごしていくことになるじゃないですか
そしたら菅田のパパみたいな人って絶対周りにいない
まあいないでしょうね
間違いなくいないでしょうね
そう思うとなんか例えば学校だと義務教育の小中って
ある意味貴重だなと思ってて
あの頃ってどんな学力の人でも効率だったら
一緒に近場所に住んでるってだけで同じクラスになるじゃないですか
そうするともういろんな人がいるってことを実感するんですよね
もし受験していいとこに行ったらみんなね成績のいい育ちのいい人
子供たちになるけど
やっぱ効率の良さってそれあるなって思うんですけど
いやそうな確かに
それがやっぱ中学までなんですよね
高校からはもう同じ学力で揃うってから
金質化しちゃうんですね
言っちゃうとこれ言い方悪いけどね
このインフルエンサーの人の周りもぶっちゃけもう
イージーモードの人たちだらけだと思うのよ
コンフォートゾーン入りまくりの脳がもうとろけてる人たち
とろけてるような人たちしかいないから
だからこんなこと言うんだと思うんだけど
だからやっぱりそうだよね
ハードにサバイブしてる人ともう共存
なんだその世界観を共有してないから
僕らの周りだって不自由な人ばっかりじゃないですか
まあそうだね
僕らでもそうなんだから
まあそうだね
でもさあ
なんつーんだろうな
なんかその
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もうちょっとでも違和感を感じてほしいっていうのはあるんだよね
だから僕らもそういうどちらかというと
恵まれてる状態の方だと思うんですけど
でもそういう危機感とか違和感ってめっちゃあるじゃないですか
だからまあ僕とタダさんはこういう風に話してると思うんですけど
なんか本当にその違和感がない人が結構いるというか
ナチュラルにもう全部ゲームリセットできる世界がいいとか
脳にチップを埋め込んで
その電子情報だけで生きていきたいみたいな感じの人って
割とこうマジレスでいるじゃないですか
それも一つの宗教だと僕は思いますよ
そうだね 宗教本当にそうだと思う
でやっぱり非常にこう一神教的なね
ちょっと一神教ディスっちゃう感じになっちゃうけど
やっぱりなんか画一的で
やっぱり絶対的なその正しさみたいなのがあって
それにこう全部押しなべられてる世界みたいなのを
望む人がね増えちゃってるというか
まあそのすごいわかるよ
そのなんか世界をメタ的に捉えて
こんなに悲惨な戦争とこんなに悲惨な事故と
こんなに治安が悪い話があるんだったら
もう究極理想の世界線に行けたら
それがなくなる
そういう悲劇がなくなるっていうね
そういう思いもあるんでしょうけども
とはいえだよね
やっぱりその絶対的な
そういう災害であったりとかさ
まあそのやっぱり完全なそういう
均衡というかさ不公平性をなくすって
やっぱり絶対無理なわけですし
あるいはそのそれをやっぱりあれだよね
そのそういう苦難とか困難を
やっぱりこう乗り越えたりとか
共同体としてそれを拓越した上で
さらに精神的にも成熟していくみたいな
感覚を失うと
やっぱそれこそ不幸な世界になると思うし
やっぱ困難ありきの人生だという前提が
僕はやっぱりいいと思うんですけどね
自分が好きなタイミングでリセットができるっていう人って
相当恵まれた状態にないとそれできない
前提がね
お金もなければ情報もない人で
できないし発想もないから
ないねそうね
で仮に今そういうの持ってたとしても
持ってる人がいたとしても
もう究極的な戦争になった時に
そんな全部リセットされるわけにそもそも
そのぬくぬく状態みたいな
だからやっぱり
生き物である以上やっぱり生きてる状態で
常にサバイブしてる状態っていうのが
まあお花畑じゃなかったら
この感覚がやっぱり普通なわけだから
だからそういうこうなんつーんだろうな
すごいテクニックテクニカルで
すごいインフラが整ってる前提で描いてる世界観っていうね
48:01
だからそういう違和感は感じるよね
前なんかアベマTVかなんかでやってて
僕は違和感をすごい覚えたんですけど
なんかその日本では不自由だから
海外に移住してますっていう人のインタビューを聞くやつだったんですよ
で海外ってかまあアジアとかだったら
シンガポールだったかどっかに
あのもう日本は良くないからこっちでっていう人が
私は弱者なんですって言ってますよ
弱者はこうやって日本から出て行くしかないんですって言っていたんですよ
でそれに対してあのペコパの松陰寺
彼結構保守だから
結構そのいやいやそういう意見は
日本に住んでいながら言ってくださいよみたいな
海外で言わないでくださいよって言ったら
その人は結構反抗的に結構強く反対してたんですよね
いやいやだからそれが言えない状態にいる私は
弱者なんですっていう主張をするんですけど
もう難民なんですみたいな感じですね
だけど僕ね海外に移住できるっていう知識と
いろいろそのそれってその能力だから
本当の意味での日本にで暮らしてる
あの弱者と言われてる人って
そんなこと多分できないと思うんですよ
海外に移住するっていう
そうだね
だからいわゆるその自分を
なんかいろいろ解決するために行動ができる時点で
結構恵まれてる状態にいるって僕は思っちゃうかな
いや本当そうだと思う
ちょっとすみません僕もちょっと
いろいろ言いたいことが思い出したけど
熱くなってきましたねただそもそも
そのやっぱりいろんなネットで
情報を見すぎてるっていうのもあると思っていて
それはなんか今後
やっぱり反動でそうじゃなくなっていく可能性もあるなと思うのは
なんかこのちょっと前に都知事選に出たあの
安野さんに
最近安野さんが本出して
その本の帯がオードリータンなんですよ
オードリータンに帯書いてもらってるって感じすごい
すごいっすよね対談もしてたしね
で、安野さんがオードリータンに
オススメのChromeの拡張機能を教えてもらったんですよ
その拡張機能が
Twitterのタイムラインを隠す機能なんですって
だからTwitter自分で開いても
自分で投稿することと
自分に対するリアクションしか見れなくなるんですって
そういうのをオードリータンは教えてくれたと
だから安野さんとしては
あのオードリータンさんですら
やっぱり情報に左右されないようにこういう発行してるんだって
思ったって言ったんですよ
あの天才のね
オードリータンですらやっぱりそういう風に
そこを危機感を感じたりとかしてるっていうことですから
いやでも
ほんとそういうことだよね
結局だからオードリータンは多分その
情報のネタラシーは多分ね
もうほんとすごい高い人だと思うし
そもそも情報選別は高い
レベル高くできる人だと思うけど
思想とかさ
民意とかさ
あとこういう
謎の極端なビジネスインフルエンサーの
意見でやっぱ世の中が
扇動されてってる姿を見た時に
やっぱすごいやっぱ失望と
なんか世界ってこんなに
今結構
やばい状況なのかみたいなのを
ある種その
ちょっと危機的に捉えすぎちゃうところは
逆エコーチェンバーじゃないけど
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なんか
そうでもないのに
すごいそうなんだって自己暗示しちゃう
機会でもあるじゃんやっぱSNSって
実はそんな大したことないのに
すごい問題化しちゃう
みたいなとこもあるし
それでいうとそこは
さすがのオードリータンでもね
なんか今世界の
てかアメリカやべえじゃんみたいな
アメリカはすごいやばすぎじゃんみたいな
のは確かに
その判別は難しいもんね
オードリータン自身でもね
それをあえてこう
選別して
ミニマルにしていくっていうのは
これは
僕らもまさに
今求められてることなのかもしれないですね
テレビもやっぱ
やっぱりオールドメディアが
ずっとそれをやってきたわけじゃない
2000年代くらいまで
ずっと何十年もかけてやってきたわけだけど
その流れを
惰性で多分今SNSで同じことを
やっているんだと思うんですけど
そこからちょっと一回
切り離されないといけないのかもしれないですね
完全にこう
そういう情報に
やっぱ一挙手一投足
影響を受けるような
環境を作られちゃってるから
やっぱり
それでやっぱ精神的にさ
こう
元気がなくなるとこもあるしさ
なんか別に全く自分に関係ない情報にも
左右されるようになったりするじゃない
なんかちょっとやっぱ
なんらかんだ興味はないと言いつつ
精神的な影響があると思うの
さっきの中井くんの話とかも
だからね
それって
なんかまあ
問題提起とか
世の中に考えさせるための報道とかって
言ったら聞こえはいいけど
本当に本質的にそうなのかって
いうのもね
確かに判断するのは個人の自由っていうのが
果たして本当の意味で自由かどうか
ちょっと選べるからいいって
訳でもないというか
だからさっき紹介してくれた
投稿に関しても
あれを見てなるほど確かに自分も
こういうところやだな直せるかとか
そういう風な方向に行っちゃうじゃないですか
思わなくてもいいのにね
そうそうそうそう
思うこと自体が
この時代の一番
アップデートされた状態でとか
そういう思い込みもやなのよ
最先端でこの状態
これが新しい民主主義の形だ
っていう扇動の仕方もすごいやで
そうか
みたいな
それはやっぱり
陰謀論と僕は一緒に見えるのよね
正直言って
これがもう新たな世界の価値観
なんですって言って
それを見せちゃって
それが
新しいものがやっぱり最上級のもので
常に時代は
アップデートされていかなきゃいけないっていう
そういう扇動とか
詩的なものにも見えるし
あくまで
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これは彼の意見だ
っていうのも分かるんですけど
なんかちょっと
そういうね
これは去年からずっと
悶々と抱いてる
そういう
もう導きにちょっと僕らは
そろそろなびかない
向き合い方をしたいですよね
やっぱね
という感じでちょっとね
久々に2人で熱くなってしまって
だいぶ長くなってしまったんですけど
編集が
大変なので
前半後半で話してる話違うぐらい
いっぱい喋ってます
2テーマはやっぱり重そうかな
というと
申し訳ないなという感じなんですけど
これで終わります
ありがとうございました