またまたまた。
これは極端な意見の反対側っていうことみたいな感じなんだよね。
全てに関して言えて。
例えば金額で言うのはロー&ハイの両方っていうのもそうだし。
あと、例えば人間の生き様としてものすごく美しいものと見にくい感じるものとかっていうのも両極だと思うんだけど。
やっぱりその両方を見るに触れるっていうことの重要性っていうのを感じた。
どんな両極感じるみたいなことも聞きたいなと思って。
話した。
ヤバ。
ヤバ。
最近毎回起こってるよね。
ヤバ。
両極のところで美衆って書いてあって美しいと見にくいって書いたらヤバって思って。
これ話したいな。
これかも。
美衆すごくない?
美しいものと見にくいものって絶対知ってたほうがいいんだって思う。
どうしたの?思い当たる不思議が。
人間を知るっていうのがテーマでは。
人間で見にくいことが沢山あってそれを絶対知るみたいなのがめっちゃ大事なんだ。
自分の中の見にくいところとかね。
そうそうそうそう。それもあるよね。
でももう始まってるね。
これにしましょう。
今回はもうこれです。
もう走り出しちゃってるからもう。
なんか今日おかしくね?
まだスタートって言ってないのにさ、一人でどんどん走っていってる人がいたみたいな。
そうなんですよね。
山本くんだから。
山本くんのチョイスでこっちでいきましょうか。
じゃあ今回は両極を知る重要性について話したい件。
よろしくお願いします。
これなんかきっかけってあったんですか?
これね、なんか割と常に考えて意識してることではあるんだけど、
この前強烈にこれ両極詰まってるなって思って話したいなと思ったんだけど、
ピーピングトムっていうダンスカンパニーがあって、
アルゼンチンの方、アーティスト、ダンサー、アーティストの方が作ったカンパニーなんだけど、
そのピーピングトムの作品が私すごい好きで、
彼らが久しぶりにまた来日して日本公演があったの、この前。
世田谷パブリックシアターでトリプティックっていうのを公演したんだけど、
それがカンパニーのダンサーが6名ぐらい、男女、登場して、
船の中で起きるいろんな愛憎悪夢みたいなことを、つまりはずっとダンスで表現していくっていう内容なんだけど、
まずピーピングトムの特徴として、
舞台のセットと衣装がものすごい美しいのね。
ものすごい美式なの。計算され尽くした、本当に美しい。
本当に切り取ったらそのまま海外になりそうなぐらい本当に美しいセットなんだけど、
その美しいセットと美しい衣装を着ながら、本当に鍛え抜かれたダンサーの人たちの肉体っていうのも美しい。
なんだけど、そこでさ、人間の醜さみたいなのを、それこそ身体性を持って表現していくわけよ。
踊りとしては美しいって思う瞬間もあるんだけど、
だんだんっていうかもう後半につれてほぼ奇妙さになっていくわけ。
入りがなんかすごい素敵な美しいステップだったとしても、
何この体の動きみたいな。要はなんかもう足首がねじれた状態で踊ってるとか、
もうなんか時間が逆戻りしているような感じで体を動かすとか、
ものすごいなんか人間の体ってこんなに奇妙で捉えどころがなくて気持ち悪かったんだっけみたいな感覚になるわけよ。
ストーリーとしても、男女がいる環境の中でいろんな悪夢が起きていって、
でも悪夢、悪夢、悪夢でもずっと悪夢を見続けるみたいな感じだからひたすらちょっと恐怖に近いようなものがあるわけ。
もう全然救いがないような感じなのね。
なんだけど、もうそのセットと衣装が党的に美しいし、
踊りもものすごい決めが細かいから美しいんだけど、
そこにその人間としてのどうしたって抗えない醜さみたいなのが常にセットで描かれてるから、
これこそ本当にこの人たちその両極を知った上で表現してるなっていうのをすごい感じて。
で、実際その表現も両極を知らないとこんな表現は生まれないわけで、
やっぱり両極を知るってこれだけの奥行きが出せるんだ、深さが出せるんだって思った時に、
自分もやっぱり本当にもっともっとそこをちゃんと触れていきたいなと思ったんだよね。
なんか今話聞いてて、あれですね、両極を知るっていうのもそうなんですけど、
その両極が同時に存在し得てるみたいな。
矛盾が同時に成立するんだみたいなところにすごい感動してる気がする。
そうそうそうそう。
それはマジで感覚わかる。
言うたらアンビバレンスってその愛、矛盾するものがなんで一緒にあるんだろうみたいな。
そこに僕もすごい魅力を感じる作品がいっぱいあります。
マジである。
なんかこれって、すごいアンビバレントって愛反するみたいな意味じゃない?
本来だからアンビバレントって言葉って愛反するものが存在してるっていうことが違和感だからこそアンビバレントって言葉があるわけじゃない?
だから同じ性質のものだけをみんな見ようとするっていうか、
人間だったら人間の美しさだけとか尊さだけを見ようとするみたいな。
でもさ、確かにそれが必要な時もあるんだけど、
でも絶対にそうじゃないっていうか、やっぱり人間全てのものに関してその両面があるわけじゃない。
だから特にそのピーピングトムの作品だったりすると、
もうその絶対どっちかに偏らないように、あえてそのアンビバレントな両面を見せようとしてる作品なんだよね。
だからすごい信頼できるっていうか。
それが本当に表しますよね。
そうなの?
美しいものだけを表してるようなストーリー性とかあるじゃないですか。
でもそれはやっぱりフェイクでしかなくて。
いや本当にそう。
もうその気持ちめちゃくちゃ。
本当にそうなの。だから作品、そうだよね。文芸作品でも。
ちなみに三島由紀夫さんの仮面の告白は文章美しすぎる。もう光輝いてるみたいな。
でも内容がグロいとか、もう醜さもあって。
それの両立、そのアンビバレントの両立が僕感動しちゃって。
でもそれにやっぱり心惹かれるというか、それが本当なんだなと思って。
だからその視点で、それ以後結構いろんなものを見てきたんですけど、
共通してるなっていうか。
映画でも文学でも、歌とかでもそれがあるなっていうのがあって。
いや本当そうなんだよね。
だから、例えばみんなにも、両極ってどんな要素があるか知りたいなって思った理由の一つとしても、
両極って多分いろんな要素があって、
例えば女性性とか男性性もある意味両極だと思うの。
なった時に例えば自分の中でさ、なんかすっごい柔らかいものが好きだったりとか、
なんか抽象度が高くなってたりとか、
なんか自分の感性が刺激するようなものだけとかを自分が追ってたりとかすると、
あれなんか私、なんか今女性性が強くなりすぎてる気がするなと思って。
急にそれこそ三島の文章とか読みたくなる。
ものすごい男じゃん。
マッチョな。
そうそうそう。
だからそれを本当にインストールしたくなったりするし、
あと逆になんか学者の人が書いたものすごいロジカルな文章とかを読みたくもなったりするっていうかさ、
自分の中で常にそこの、両極を知りながらもどこに自分がバランスを取るかみたいなことも見ながら生きてるんだけど。
面白すぎ。
なんかどんな両極に触れてる気がする?普段。
私は圧倒的に思考と感覚です。
あー面白い!面白い!
かなりそうですね。
最近までの私は結構、いろいろ自分の道を行くためにめっちゃ社会のこととか見て、
自分が今どういうことをやるべきかとか、どうしたら自分が楽しいかみたいなのをすっごいめちゃくちゃ頭で考え続けて、
勉強もめちゃくちゃして、で、なんとなく人に話せるようになってきたかもなというタイミングで、
やっぱなんか、すごい自由にやってるはずなのにすっごいしんどくなってきちゃってて、
なんなんだろう、よくわかんないけど、肩がずっと重いし、肩こりとかレベルじゃなくなんか重いし、しんどいし、
なんか楽しさより、正しさみたいなのが勝ちすぎちゃってて、文章とか書いててもファクトチェックを全部しないと出せないみたいな、
すごいね、それもすごいことだけどさ。
大事なんだけど、でなった時に、私ってあれこれやりたかったんだっけ、なんかなんか、
で、結構苦しくなってきちゃった時に、その感覚の方にパッて目が向くようになって、
で、今そのなんかカウンセリングとか受けたりとかしてて、あとはそのいわゆるその潜在意識、心理学的にも95%くらいが潜在意識って言われてるんだけど、
そこになんかその意識を緩めて、瞑想とかいろんなアクション起こしてアクセスしていこうみたいなのをやってみたら、
それがすっごい楽しくて、なんかねーみたいな、私ってなんかすごい思考有為だと思ってたけど、こんな豊かな世界があるのかみたいな、
本当にもうなんか、なんて言うんだろう、マジでパラダイムシフトみたいなのが起こってて、面白いみたいな。
そう、それどっちも得て、本当に中央に行きたいなと思ってるんですけど、今、たぶん今後半年くらいその感覚をめっちゃ知っていくフェーズになるなっていうところにいます、今。
さっきちょっとワード見たけど、アイリスさんの言うこと、中央を目指してることだよね。中央って言って。
結局は。
結局アイリスとか言ってると。
そう、そのバランスがある、あの、両極端があって、かつその中央を目指していくことが結構人間にとってすごいなんか、もう心地がいいというか、目指したいところだって行き着く場所。
それも感じました。
なんか仏教に理有無二辺って言葉があって、離れるにある、なしで、有無。で、二辺は数学とかの辺。
二辺。有無の二辺を離れる。何かと言うと、中央でありなさいってことですよ。
すぐどっちかを確定させた上でそれは悟りではないから、全部の二辺から離れていくことが悟りであり、それはその、一個離れたらおしまいじゃなくて、もう全部に言えるから、もう本当にずっと段階的にそれがありますよみたいなロジックで、
めっちゃこれでもあるなと思いました。
本当だね。
全部から離れるっていうのは、あまりにレベルの高い話だけど、
だからそのね、舞台芸術とかでそれが一緒になっているのを見るって、本当にもう悟りを見たに近い感じ。
そうそう。
悟りの境地のコンテンツってことか。
っていう気がしました。
舞台も三島も。
でもそうだと思うね。
だから私たちは本当だと思うんだ。
本質だって思うんですね。
それを見て。
面白いね。
でもその仏教のまさにさ、理由も二辺。
離れるっていう表現がものすごいやっぱり仏教的だなって思うんだけど、
例えばその尊い美しいで、反対側が醜いとした時に、
美しいとか尊いものにわーって惹かれることもあれば、
醜いものにわーって惹かれる時もあって、
そのやっぱり惹かれるっていう感覚の方が強いから人って引っ張られるじゃない?通常。
でもそれって逆に言うとなんかじゃあ自分が傷ついてたりとかすると、
すごい美しいものとか尊いものを信じたいみたいな気持ちになるし、
逆になんかそのまた醜い方に惹かれるのも何か自分のエゴとか何かを試したいとか、
逆にさらに傷つけたいみたいなのもあってそっち側に惹かれたりもするじゃない?
だからなんかやっぱりすごいなんかエゴが極端に働いてる時って、
すごいやっぱりどっちかに引力が働きすぎちゃってて、
でもそっからこう離れるってやっぱりなんかすごいこう、
知った上で手放せるみたいななんか余裕な気もするから。
いやそうですよね。
確かにまずは知って。
そうそうまずは知らないと俯瞰でも見られないし、
手放すこともできないというか。
っていう意味では確かに知ることってすごい大事ですよね。
そうなのそうなの。
美しいものに惹かれる。
そうなの。
ポイントは逆に言うとそれこそ知るっていう段階の時には、
そうそれこそ美しいものに惹かれる、そこしか目に入らないくなるのが人間だけど、
そうじゃなくて反対のことに目を向けてみて、できるだけ中央になっていけるっていう、
その段階的なものがありますね確かに。
そうそうそう。
引くと。
そう。
間違いない。
だからなんかその、でも自分がやっぱりそのどうしてもさ、やっぱり生きてると、
そんなにやっぱり客観してもらえないから、
大体なんか自分の欲求で気づくじゃない?
だから要は引力が働いてる時に気づいて、
私こんなものに惹かれてるんだみたいな。
でもその時に同時に、じゃあ今自分はこの引力でこれに引き寄せられているが、
その反対側に何があるんだろう?みたいなことを見るみたいなのが大事なのかなと思ってて。
確かに。
めちゃくちゃ面白い。
確かに確かに。
なんか、そうですよね。
結構それ僕、それこそテーマとして、
さっき話したタイリップ軸みたいな、
両極?何がある?みたいな質問ってめっちゃいいなと思って、
結構テーマを考えていくときに、
すごい両極のものを結構、両極のものをセットにテーマにしたことが多いなって自分の中で思って、
例えば今で言うと、
そういうことは思考と感覚だったじゃん。
僕はもう生と動ですね。
動くと止まる。
それなんだっけ、それさ、
今年年始とかにも言ってなかった?
言ってた。
だから僕のずっと結構テーマがあるよね。
でもそれって面白いなって思って、
やっぱこう両極のバランスとかね、大事っていうのもあるんだけど、
なんかそれを両極に置くことによって、結構行動指針になるというか、
例えば美しいもの、見にくいものを知るときって、
僕もよくしてたなって思うのは、美しいものを見に行くっていう時間と、
じゃああえて見にくいものを見に行くって時間を結構切り分けて、
いろいろ知るようにしたなって思う。
だからそういう意味で僕は東南アジアとかバックしたときは、
めちゃくちゃ綺麗な景色を見に行く、
一方でもうめちゃくちゃドロドロしたスラムを見に行く、
みたいな感じで結構ピックアップだったなって思うので、
知らないうちにこういうことをしてるのがすごい良かったんだなって。
本当に重要だと思う。
僕は今生と動っていう、ちなみにテーマではあります。
面白い。私はそういう意味では女性性と男性性なの。
だからテーマは大切にしかあるんだよ。
両極みんなそれぞれ。
絶対ある。
面白い。
これどんな両極があるか、リスナーの人にも聞きたい。
人それぞれのフェーズだったらいろいろあると思うので。
確かに今日インスタのストーリーでも聞いてみようかなって。
ねえねえねえ。
そうしようそうしよう。
しかも自分のテーマも結構明確になりますね。
2極っていうフレームワークで考えてみると。
しかもこれさ、なんか自分の中で多分それぞれ自分のテーマだから当たり前に思ってるんだけど、
こうやって出してみると、こんな違うんだって思うよね。
でも両極になってて面白い。
そうそう。やっぱり考えやすいっていうのは、認知しやすいですよね両極っていうのは。
しかも一方に偏らないっていう面では、すごい実用的な考え方でもある。
セットでテーマで置いておくとか。
ちなみにアイリーさんの男性性・女性性っていうのはどう向き合ってるんですか?
なかなか私もまだ向き合い切れてない、向き合えてないテーマだなと思う。
いやこれね、だから本当にいろんな面で自分の男性性と女性性があるから、
すっごい本当に深掘りしがいがあって、
私結構数年前からこれなんとなくテーマでずっと考えてることなんだけど、
例えば数年前とかだと、仕事でバリバリ自分が働くこと、
自分がある程度ちゃんと能力を身につけてある程度結果を出すこと、
みたいなのが意識してやってきたから、
私って男性性が強いんだろうなとかって思っていた。
で、私の女性性ってみたいなことを考え始めて、
それで会社を辞めた途端に結構感覚優位になっていって、
女性性がなんかちょっと大きくなってきてるなとかって思いながら、
でも男性性をじゃあもうちょっと本読んだり、
何か知識つけたりしてもうちょっとバランス取ろうとかってまたしてる時も経て、
逆に今は、なんかほんと抑圧してた女性性があったみたいにまた気づいたりもして、
っていう感じだから本当にこう渦を巻くみたいにして、
どんどんどんどんなんかこう内側に入っていってる気がする。
面白い。
だから割と表層の部分で気づく男性性と女性性のバランスがあるんだけど、
それをクリアしたらまた今度は内側に入っていってみたいな感じで、
何かいくらでも掘りがいがあるから、
永遠に終わらない気がするんだけど、
でもとにかく何かこうやっぱり気づかされるような出来事があるんだよね。
面白いですね。愛憎とかもありましたね。
愛憎もそうだね。
これも間違いなく同時に存在する。
含まれるというか、すごい愛矛盾した感情が一緒になることって、
当たり前にありますね。
あるよね。
愛憎って本質なんだよ。この法則で言うと。
確かに一緒になるって。
全部自動的になって、来るものに影響を与えられ、埋もれていくみたいな感覚があったんだけど、
問いを立てた瞬間に、マジで濃度的になって。
それこそさっき、前回の話のワードで言うと、やっぱ主導権を握れるみたいな、実践、自分に。
いや、だから私、問いを立ててるっていう実感がないから、むしろ問いを立ててるっていう風に整理できるんだって今学んでる。
問いがもう生まれてくるみたいな感じなんでしょうね。
そのステースだと思う。
そうでもね、すごい思った。
確かに最初にそれがないとね、何も始まらない。
何も始まらない。
ぼんやり漠然となんか、もやもやするとか苦しいとか。
そういう人すごく多いと思うんだよ。
もやもやしてるんだけど、何があれなのかなって課題がわからないから明確になってない。
本当に今ビジネスでもマジで同じなんですけど。
でもその課題設定、問い設定みたいなのがめちゃくちゃむずいっていう。
なるほどね。
問いさえ設定しちゃえば、もう今の時期はテクノロジーとかいろいろ解決してくれるんだけど、
その問いがわからないって人がやっぱりすごい苦しむような気がする。
この何、世の中、今の世の中。
問いをどうキャッチするか。
そうキャッチって感覚でもある。
確かに。
なんだろうでも私、例えば客観的に見てて私どういう問いを持ってそうに見える?
それこそ髪色だったりとか、いろいろな実験して、
なんかこのこれをやってみようみたいな仮説なんて実験して。
半年後死ぬ予定で生きてみるとか。
定期でやってますよね。
確かに。
確かにでも髪色も、なぜ私は今この髪色でなくてはいけないのかみたいな問いに変換することはできるね、確かに。
いやまあそうというよりはなんか。
違うんだ。
いやなんでなんで、なんか、それこそ今は今の人生は実験、いろいろな実験をしてみようみたいな。
その行為を繰り返してみようみたいなテーマを持ってて、この4年くらい生きてるじゃないですか。
そういうのが。
なるほど。
そういうのが。
なるほどね。確かに。
それがはっきりしてるんですよ。
確かに確かに。
そこからもうブレイクが派生して、個々のいろんな行動が繋がってるから、それが全部そういう風に見える。
なるほどなるほど。
ってことは土台としてまずなんか、全てが決まってなくて実験と捉えるみたいなことは大事なのかもしれないね。
確定的なものじゃないっていう。
そうそう、何一つ決まってないからっていう。
そう、それだわ。確かに確かに。
しかもこれって本当にスモールスタートするために前回の移動って大事?やっぱり県について。
新しいことを始めてみるみたいなのがあったじゃないですか。
もしかしたら問いを立てるためにまず現状に浸っていることをメタ認知して、本当にちっちゃいところでもその風穴を開けていくみたいなのがもしかしたら問いを立てる0.1歩目なのかもしれないよね。
というかなんかさ、この行動をしてみたらどうなるんだろうっていう勝手に思考が働くじゃん。
分かりすぎると駅までの道でちょっと1個入ってみたらどういう景色になるんだろうみたいな。
そこに自体の問いが出てくるというか、それを積み重ねていけば確かに生まれるわ。
でもあるあるあるある。
なんか正直それを解決しようって全然思わなくてよくない。
アンテナを立てて、そうすると勝手に入ってくるものがあるし半年後に解決されるものがあるんだけど、
そのアンテナを立てるみたいな行為をしてないと世界が一気にモノトーンになる。
分かる分かる分かる。
問いも何もなく、これを繰り返すだけになる。
ずっとヘボやなとか思って生活を見ちゃうけど、でも実はアンテナ立つとまず都会でも鳥鳴いてるし、その感覚。
アイリーさんはそれをもうデフォでしてるなって思って。
でも確かにな、確かに確かに。でも本当に至る所にそういう意味では問いのきっかけは落ちてるからね。
間違いないですね。間違いないですね。
なんか一方で僕は、たぶん二人は分かんないかもしれないけど、考えすぎちゃうことはやっぱ疲れちゃうというかキツイみたいになっちゃうタイプで。
だから、なんていうんだろう、問い立てで考えるって言うたらストレスが一応かかる行為の感じで。
そこを考えなくていいかなみたいな感じになっちゃうのも人間だと思うんですよ。
その感覚ってあるんですか?二人には。
私は、本当に延々に考えようと思えば考えられちゃうから、むしろ抜く時間を意識して。
逆に?
それは何故にそういう風になるんですか?逆に言うと考えないってことをしすぎるとどういう気持ちになるんですか?
考えないっていうことができないぐらい常に考えちゃう。常に掘ってるみたいな感じ。
それは何を目指して、何を目的にそういうことになっちゃうんですか?
気になることが多すぎて。
ダメだ。問いが多すぎる。ペースが違うわ。気になることが多すぎるみたい。
気になることっていうのは、好奇心みたいな。
好奇心にも近い。
例えば、この前も友達と気がついたら、二人ともなしっていう漢字が入ってるねとか言っていて、
お互いのなしが入ってる理由とか由来を話して、
私は食べ物のなしとか言って、友達はなしの花とか言って、
なしの花の香りと果物になった時の香り違うなみたいな。
花が実になった時みたいな。
きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる。
とか言ってやってるうちに、あっという間に2、3時間考えてた。それについて。
それにまつわる本とか調べたり、つまりはみたいな。なしの漢字の意味とかさ。ずっとそんなこと。
すげーな。バッシもこんな感じ。
私もそんな感じ。私はことを苦しみにしてそうかも。
ささいな感じた。本当にささいな。
今日飲んだ人がこうこうこう言ってて、このようなズレがあって、これってなんでだろうなみたいなことを一生やってる。
それはつらいね。
でもデフォすぎるから。でも最近思ったんですよ。
結構最近インタビューしていただく機会があって、なんでそんな考えるんですかみたいな。
私そんなストイックに向かう人もなくないですかって言われて。
でも確かによく言うと結構自他の幸せを本当に願っているから。
私は生きてる限り幸せでありたいし、みんなもそうだったらいいなって思ってるから、そのために考えてるっていうのはそうなんですけど。
一方でめっちゃ俗な言い方をすると、すごいわがままなんだろうなと思って。
何一つ許せないというか、妥協が絶対にできない。
いい意味でもあるんですけど、例えば自分が就活して就職して新卒で入ったとして、新卒だからみたいな感じで、
自分の能力に合わない、本当にすみません傲慢な話だけど、合わないみたいな仕事を振られたら本当に無理だと思う。
それの極地が、それをやんないためというか、そのようなことが起きないための極地が本当に考え続けることみたいな感じ。
このわがままなんて許していただくために、マジで世界のことを考えますぜみたいな感じなんだなと思いました。
私はそれが楽しいし、それでどんどん解決していけるっていうのが自分でわかってるから。
楽しさもあるんだよね。
本当にずっと苦しみ続けているけど、明らかにここ数年勉強して考えて、それこそもう一周問いを立てて、
もう繰り返して実践して繰り返していくうちに、明らかに幸せになりすぎてるから、合ってんだなみたいな、今のこの自分の。
確かに。考えたくないなって気持ちも邪魔して、しょっちゅう顔出してるんですけど、
しょっちゅうなんかに乗っかりたいみたいな。乗っかって自分で全力でワーッてやるだけでワーッて住みたいとかあるけど、
でもどっかでやっぱり幸せになれないなってめっちゃあるから。
かつ考えると、言うたら一個受賞が多かった時に、自分の思考を巡らせて解釈をパッと変えるだけで、マジで幸せになったりするじゃないですか。
それがあるから、やっぱ考えないとダメだなって。自分がどんどん考えなくなると苦しくなっていくなっていう気持ちもあるから、
考えるようにしてる、頑張ってしてる感じの派です。
でもそれも両極だよね。
あるね、あるある。
そうかも。
あるある。だし、たぶん考える動機は人それぞれってのが分かりました。
でもそうだな、やっぱ幸せになるためなんだよな。
それ本当にそうですよね。
それはそうだね。
そうですよね。考えるっていう。なんで考えるかって言われたらそうですよね。
ほんとそう。
ね。
すごい旅をしましたね。
勉強になりました。
2曲の話から問いを立てて、すごい旅をした気がしますね。
しかも前回と今回の歌舞伎いたら、めっちゃ何かの自己啓発症ができる気がする。
いや、ほんとだよね、なんかね。
分かります。
分かる分かる分かる。
これで。
濃いね、なんかね。すごいよね、最近。
ちょっと、やっぱ神以外だね。
神以外。
続いてますよね。
2曲からこんなに広がりますっていうね。
だって、ずっと本質しか言ってなかったですもんね、結局。
これもね、曲でしかないんで。
自分で本質というのは、頼ったものがまだありますからね。
注意を目指して参りましょうということで。
素晴らしい、全部は脱構築してくれる。
確かに。
この曲の脱構築担当かもしれません。
そうだね。
脱構築してくれます。
ほんとだね。
すいません、ほんとにありがとうございます。
神以外なの?本質なの?
言いすぎるな、やめてください。
ちょっと恥ずかしいかもしれないんで、これってもしかしたら。
聞いてる人からしたら。
確かにね。
わかるけど。
すごく楽しいけど。
この番組好きなんですよ、本当に。
止まんない。
すごいよね、私たちの自己肯定感とかさ。
本当にそう。
本当にそう。
すごい。
頻度取っていってほしいと思う。
落ち込んだ時は。
我々から。
こっちの家に産み続けるからね、自分まで。
この明るさから。
ほんとほんと。
ありがとうございます。
ということで、この番組では取り扱ってほしいこと、株の種や感想を皆さんから募集しています。
概要欄のリンクからぜひお借りに送ってください。
あなたからのお便りお待ちしてます。
今日の株どうだった?