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2024-09-16 52:45

第303回 【お便り回】一番良かった、素晴らしかったと思った本(WATA編)

以前放送したお便りアンサー回「第300回 【お便り回】一番良かった、素晴らしかったと思った本」のWATA編になります。 ■ 番組への感想・お便りはこちら https://bit.ly/3TK21mu ■ 登場した書籍 変身 / フランツ・カフカ www.amazon.co.jp/dp/4102071016 私の幸福論 / 福田恆存 www.amazon.co.jp/dp/4480034161 ■ クレジット Opening Theme : Composed by WATA Cover Artwork : Designed by WATA CG Character : Modeling & Designed by WATA Ending Theme : Composed by TAZAWA ©終わりかけのRadio 番組エンディングテーマ『life』 https://bit.ly/4aHZ1wU

サマリー

今回のエピソードでは、フランツ・カフカの名著『変身』について詳しく語り、そのテーマやカフカ自身の思想について探っています。作品の中で描かれる実存主義や人間の存在の意味について考察し、カフカの独特な視点が現代にも通じる要素を持っていることを明らかにしています。このエピソードでは、サルトルの思想やルサンチマンについて語りながら、行動の重要性と自己実現のための道を探っています。また、福田常有の著作を引き合いに出し、見た目や社会的評価に対する現実的な視点も考察されています。見た目に基づく判断や美しさの概念についての議論が展開され、福田恒有の考え方にも触れています。さらに、SNSの影響が人々の見た目に対する意識に与えている影響についても考察されています。今回のエピソードでは、現代の社会における多様性の重要性やネットの影響について考察し、古典文学の価値を再確認しながら、リスナーからの質問やお便りに応じた対話が展開されています。

カフカの『変身』
スピーカー 1
前々回、本の紹介はしたんですけども、
ただ、全然参考にならない話をしてしまって、お便りに対するアンサー回としてやったんですけど、
全然本の内容というよりは思いっきり思想の話とか、振り切った話をしちゃってたんで、改めてちょっと本をご紹介しますよっていうのはその回でも言ってたんですけど、
その回にします、今日は。
なので、ちょっと1,2個空いちゃって申し訳ないんですけど、前回お便りを頂いたタイニーブラザーさんですね。
人生に影響を与えた書物とかですかね、そういうところの話を聞いて頂ければなと思うんですけど。
でですね、今日僕が2冊ぐらい本を持ってきたんですけど、1冊目がですね、これは非常に名調ですかね。
フランスカフカーの変身っていう本なんですよ。
これはなんとなく知っている人が多いんですかね。
もうだって何百年前の話ですもんね。
スピーカー 2
もう読んだことはありますね。
スピーカー 1
すごい薄い本ですね。
中編、短編小説ぐらいな感じなんですけど、ちょっと知らない方向けにも軽く、これネタバレとかもそういう話じゃないんで、普通に話しちゃうんですけど。
変身っていうタイトルで、この主人公がですね、ザムザさんっていう主人公がいるんですけど、普通の男性です。
その男性が家族と暮らしてるんですけども、ある朝目覚めたら虫になっちゃったっていうね。虫になっちゃってましたみたいな。
とんでもない話なわけです。後頭部系で、ちょっとこそい言い方すると失礼ですけど。
虫になっちゃって、虫に変身しちゃったと。
変身した自分が家族と住んでるんで、家族といろいろどうすんだが、なんで虫になっちゃったんだみたいな。
途中ぐらいまでは自分のことを虫だって思って、信じられなくて。
虫にはなってない、なってないみたいなことを言ったりするんだけど、結局虫になっちゃってて、どうすんだみたいな感じの戯殺がただただ記されていて。
最終的に、家族も家族で自分の親と兄弟と暮らしてるっていう設定なんですけど。
家にでっかい虫いるわけじゃないですか。困るわけですよね。
取り扱いというか、最初は心配してくれてたんだけど、だんだん家族が冷たくなってきてるなみたいなのを察知したりとか。
自分の家族も疎ましい存在になってくるんですよ、その虫さんが。虫の形をした息子が。
結局、自分のザムザ自身もそれに気づいて、俺は死んだほうがいいのかなみたいな感じになってて。
結局、心身喪失というか、食べ物を食べれなくなって衰弱して死ぬっていう話です。
家族は家族で、ザムザが死んじゃって、悲しいっていうところもあるんだけど、一切死んでくれてよかったって思ってる家族っていうのがいて。
スピーカー 2
っていう、何のオチも何もない。これパッと見た人は、なんだこの話やみたいな。
実存主義の概念
スピーカー 2
そう、僕も大学生の時に読んだんですけど、よくわからなかった。
スピーカー 1
これは何でかっていうと、このフランスカフカ、僕今手に取って本持ってるんですけど、表紙がカフカの写真になってるんですね。
ちょっとその説明の前に話そうと思ってるのが、僕何でこれ選んだかっていうと、実は今僕ちょっと行ってるデザインの学校で課題図書みたいな、これをデザインするみたいなリデザインですか。
スピーカー 2
この本をリデザインしたらどういう表紙になるかみたいなのをやってるんですよ、実は。
スピーカー 1
自分も影響を受けた本というか、好きな本なんで選んでるっていうのもあるんですけど、だから選んだっていうのは。
その表紙のデザインが結構インパクトがあって、カフカの写真が写ってるんですけど、だからこれフランスカフカを知らないと何のことかよくわからない本なんですね。
カフカ自身はすごい、今でいうとメンヘイラちゃんというか、ご存知の方も多いかもしれないですけど、絶望名人っていうあだ名があって、とにかく絶望してるみたいな、絶望してる名言みたいなのが多い人で、いわゆるパラノイアというか、ちょっと精神的に病んじゃってる人で。
だからこの本は結構この当時のカフカの自分自身の状態を表してる本だって言われてて。
もう一つ補足で説明すると、ちょっと難しい言葉になっちゃうんですけど、本質的なテーマっていうのが、これちょっとご存知ないかと思う人もいるんですけど、実存主義っていう、いわゆる哲学の言葉です。
実存主義のこともちょっと軽く話すと、実存主義っていろんな哲学者いっぱいいるんです。例えば有名なところで言うとミーチェとか、あとはハイデガーとか、あと最近で言うとジャンポール・サルトルっていう人が有名なんですけど、
サルトルの言葉で有名な言葉があって、実存は本質に先立つという言葉があるんですよ。ちょっとこれだけで何言ってるかわからないと思うんですけど、要するに人間っていうのは、生まれたときには存在っていうものが先にあって、その先に本質とか意味があると。
つまり生まれたときには全く何も意味がない状態で、行動とか人生を歩むための主体性みたいのを磨いていくことで、初めて意味が派生するというものですと。
なんかすごい当たり前のことを言ってるようなんですけど、本来の哲学の考え方っていうのは、まず世界があってその中にいる自分なんですよ。つまり神様がいて、神様が私たちを作ってくださったと。だから世界があって自分なんですけど、実存主義っていうのは自分があって初めて世界に意味が起きるっていう考え方で、
この当時、カフカが生きてた頃、1800年代とかですけど、ちょっと流行ったというか、直接的な表現をしちゃうと、要するに宗教批判の言葉なんですね。宗教は神様が自分を作ってくれる。でも神様なんていないじゃないですか、みたいな。
別に神様は僕に何か悲劇的なことがあっても助けてくれないですよと。結局僕は精神的に病んでますし、誰にも評価されないですしっていう感じで、現実っていうのはそういうもんなんですと。それを受け止めて初めてその先の行動に意味を成していくのですっていうのが実存主義。
カフカが言いたいのは何かと言うと、理不尽すぎる現実。ある日突然無視になっちゃう。フィクションですけど、それぐらい人生って実はめちゃめちゃ理不尽で。もうちょっと言い方を変えて言うと、人種の話なんですよね。
彼はユダヤ人なんで、多分ユダヤ人差別とかっていうのもあって、そのユダヤ人という事実は変えられないじゃないですか。変えられないし、受け止めなきゃいけないし、結局神様は救ってくれないんで、それを受け止めなきゃ本来は生きる意味っていうのは生まれないっていう。
ただカフカはそれをもう受け止められないっていう。結局それを受け止められないで死んでいくっていう自分っていうのも現実ではあるから、それを描いてるっていう。結構だから、割とちゃんとその辺の構造を踏まえないと何言ってるか分からない本なんですよ。
カフカって結構イケメンでね。写真見るとめっちゃイケメンなんですよね。ただめちゃめちゃ内向的で。ただこれ諸説あるんですけど、この変身を書いて本が出版されるじゃないですか。やったらちっちゃい本になって、短編小説だからちっこい本で小さい文字で書かれてて、それを見たカフカはすごい不満そうだったみたいなエピソードが残ってて。
要するに、結構ちょっとサイコパスなところなんですけど、この話を笑い話として紹介したかったらしいんだ。こんなもんだ人間はみたいな、くだらんみたいな感じで。
だからこの本を書きながら、出来た時に友達と見せ合いをして、笑い合ってたっていうんですよ。こんな救いようのない話を笑いながら話してて。で、出来上がった小説を見て、こんなちまちました不気味なテイストの方に仕上がって文句言ってたみたいな話があるらしいんで。
だから皮肉な、人生ってのは皮肉でし、そういうことを受け止めて生きていかなきゃいけないっていうのが人間らしい。詰まるところの現実主義というかリアリズムっていうことですね。それを踏まえて生きていくべきだよっていうのが皮肉で書かれてるのがこの変身っていう本ですね。
だから結構ね、この本を読んだだけの人からすると、なんだこの本はみたいな感じで言われてることは多い。
スピーカー 2
でも僕も当時文学作品として読むべき本だなと思って読んだ気がするんですけど、若ななりにおそらく文学作品ってこういうもんだし、おそらく芸術性としてそういうのがあるんだろうなって思いながら、やりながら読み終わりました。でもちゃんと虫になるじゃないですか。
スピーカー 1
そう、ちゃんと虫になっちゃうから。虫あんゆーとかじゃなくて、ちゃんと虫になる描写があるじゃないですか。
そう、グロテスクなんですよね。これもカフカの名言で残ってるんですけど、「俺はちっちゃいちっぽけな一匹の虫だ。」みたいな名言が残ってるんですよ。要はこれ自分のことを多分言ってるんですよね。
この本を書いてるときに、めちゃめちゃブラック労働というか、ブラック企業で働いてたんですって。すっごい冴えない毎日で。本も誰からも評価されないしとか、この前にも本を書いてるから。
結構、言っちゃうとルサンチマンになって、それの状態を自分のすごい稚拙な言い方すると愚痴っぽい感じになる。あとはあんゆーというか、社会なんて。
実存主義の話に戻るんですけど、結局だから実存主義の言いたいのは、人間の生き物としての器には何も意味がないっていうことを言ってるんですね。
生まれたときには何も意味がなくて、この形にも全く意味がなくて、その後行動を起こして、その行動によって起きる価格変化にこそ意味があるっていう考え方なんですけど。
器に意味がないのに、結局この本では器に左右される。要は人の見た目に左右されて、家族ですら家族を見捨てるんだみたいなことを言ってる本だから、皮肉なんですよ。
スピーカー 2
結局、なんだかんだ理想を並べるが、結局は人は見た目で判断してるし、その現実は変えられないと。でもそれを受け止めないと前に進めないからっていうメッセージが入ってるわけですけど。
現代のリアリズム
スピーカー 1
だからこれはね、ある種僕が思う現代的に必要な観点でもあるというか、これ200年、百何十年も前の話ですけど、その頃から見た目の話とか差別の話とかそういうのあって、それに一喜一憂とかほとんど落ち込むことがほとんどですけど、そういう人たちがいっぱいいたわけですよ。
時代は時は流れて、結構今も同じような話はしてるじゃないですか。結局、ポリコレだなんだ言うて、結局は見た目に左右されて。見た目とか、あとなんだろうな、もうちょっとステータス的な話もそうですよね。
人って結局、そういうとこで判断されちゃってて。人種とか、あとは金持ってるかとか、見た目とか。そういう判断されて、その判断軸に人生を翻弄されてる我々たちみたいな構図っていうのは、結構現代に通じる皮肉が入ってるかなっていうところで。
僕はこの本を読んでその考えに至ったっていうわけじゃないんですけど、すごいそうだよなっていうリアリズムって、そうだよなっていう感覚を持った本ですね。読み解いていくと、そういうことを言ってるんだなっていうのに。
カフカに共感はちょっと。だいぶ病んでる感じが。そうなんだよ。カフカは人間的に好きっていうのがあるんですよ。やっぱりめちゃめちゃ内向的でネガティブだけど、結構いいエピソードとかもあって、結構博愛ではないんですけど、やっぱり人のことを思いやれる人でもあるっていうエピソードが結構たくさん残ったりするんで、人間的な魅力があるっていう意味でも好きなんですけど。
カフカの話は実存主義の話になっちゃうんですけど、実存主義って結構古い考え方で、別に今、あえて言うほどのことでもないぐらい、割と普通っちゃ普通というか。
例えばニーチェの話で言うと、さっきの見た目とか地位とかステータスとか人種とか、そういうのに不満を持った人たちがルサンチマンになって、ルサンチマンはトトークンで、どうしようもない人たちが悪い政治をやる人たちを支持しちゃって戦争が起きるんだとか。
だから結局そういうところから抜け出して、拓越して、超人っていう拓越した人にならないといけないんだと。それって結構現代で言う、我々が普通に生きてる社会でも教訓というか、通じるところはあるじゃないですか。
要するに不平不満だけ言ってて、何も行動に起こさないみたいな。結構ビジネス的な感覚にも通ずるところがあったり、教訓とかね、久が深いなっていうところと。
あとサルトル、実存主義のサルトルの言葉っていうか、これだからちょっと僕の話にも紐付く話なんで、ちょっと話したいんですけど、サルトルは人のせいばっかりしてルサンチマンにならないで、結局行動で変えていかなきゃいけないんだと、もうちょっと前向きにやっていかなきゃいけないんだっていうのを言ってますけど、それをアンガージュマン。
アンガージュマンっていう戦隊もののヒーローみたいな、フランス語ですこれ。
アンガージュマン。これだけ聞くとなんかよくわかんない。これ英語にするとわかりやすいんですけど、エンゲージメントなんですよ。
スピーカー 2
何とかマンってことじゃないですね。ルサンチマンみたいな。
スピーカー 1
ルサンチマンとかけてんのかな。そこはちょっと。
スピーカー 2
そういう系ですね。
スピーカー 1
そうそうそう。だから、エンゲージメント。ただエンゲージメントって僕らが一般的に使ってるエンゲージメントって言葉とちょっと違くて、エンゲージメントって拘束っていう意味があるらしいんですけど、
未来に向かって自分を成長させるためには、拘束されている感覚。それは大体外から見た自分。
対他存在と対自存在っていう言葉で言ってるんですけど、対他存在っていうのは外から見た自分。対自存在っていうのは自分から見た自分。
自分が本当はこうなりたいよっていう自分ですね。大体対他存在的に自分を判断しちゃってるから、そういうかやから外れて、自分自身をちゃんと見つめて、自分が感じる幸福であったりとか。
このあとは、さっきの話にも通じますね。1個前の紹介してくれた小説の話にも通じますけど、人が決めてる判断とかじゃなくて、自分が本当に良いと思えるものを判断できるようになって、それをちゃんと行動に移しなさいと。
それを初めて抜け出したときに、ルサンチマンから解き放たれて、本当の自由が待ってるっていうことを言ってるんですけど、その表現方法としていくつか提案してるんですよ。その1つが政治参加。
これが面白いんですけど、サルトルってヨーロッパでめちゃめちゃ人気な哲学者で、特にフランスでは、ヨーロッパで旅行とか行くじゃないですか。空港とかで追っかけというか、本当ジャニーズみたいな感じで迎え入れられちゃうぐらい人気者だったんですね。キャーみたいな黄色い線が上がるぐらい。
それぐらい人気者のサルトルが反体制派なんですよ。サルトルって。それぐらい影響力が強くて、受け身じゃなくて自分で主張して、何か政治参加しなさいっていう。革命を起こしなさいみたいな、極端に言い換えるとね。
そういうことを言ってる人なんで、割とそこで影響を今のリベラルとか左寄りの人に影響を与えた人でもあるっていう。だから僕は結構、もともとちょっと左派的な感覚があるっていうのは、この番組でも何回も話してるんですけど。
結構だからシンパシーを感じるのはここで、結局何かを自分で世の中の不平等とか社会的な不都合とか、そういうのに屈しないで、不安ばっか言ってないで何かをやろうとすると、何かアクションが必要だから、そういった時に政治の活動とか社会参加。
あとはもう一つは芸術って言ってるんですよね。アート活動で、そのアートで人に影響を与えられるようになりなさいと。そこで自己表現したやつが、それが結果的に自分が耐意地存在っていう、自分が自分の中で評価した本当にやりたいことの表現をしてることになるから、そういう形で表現しなさいって言ってるんですよ。
これは結果論というか、もともとそれを知って僕がそうなったってわけじゃないんですけど、結果的に自分の中で左寄りの考え方とかにシンパシーを感じたのは、こういう言説があるなっていうところで、結構実存主義に紐づいてるところがあるんだなっていうのを思ったっていう話です。
行動することの重要性
スピーカー 1
だから結局、ある種の人間的なリアリズムを追い求めていく流れで、世の中の価値観とか、あとは自分が思ってる不平不満っていうのを乗り越えるためには何かの行動とセットで、それがやっぱりそういう、この番組でも言ってるような発信であったりとか、あとはアート活動みたいな。
そういうのにシンパシーを感じるっていうのは、この本とかこのカフカの本もそうですけど、腹落ちしたというか、自分を理解する上で、確かにそういう意味でサハに共感してる部分はあったなっていうのを紐解いたというね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
ちょっと難しい話になっちゃってますけど、要は行動して変えていこうよっていう、単純に言うとシンプルな話じゃないですか。結局幸福の尺度って、自分で決めてるっていうよりは、世の中でこれ幸せですよねって言ってることに自分を照らし合わせて、それが自分がその状態にあるかどうかで幸福度を測ったりするじゃないですか。
例えばお金を持ってることはイコール幸せっていうのは、社会通念であって自分で決めてないことなんですけど、大体そういうことで判断しちゃってて、でもその判断軸自体をそもそも問いかけて、本質的に自分がいいと思えるものとか、本当は自分は世の中的にはこうかもしれないけど、自分はこう思ってるっていうのを言えるようになりましょうみたいなことなんだと思うんですけど。
なんかすごい資産に富んでる内容だとは思うんですよね。
スピーカー 2
確かに最近も、人は他人の欲望を模倣するっていう、そういう話題になってる気がするから、そういうことですよね。
スピーカー 1
だから難しい話だと思うんですよ。こういう資本主義の世の中で、それだって経済的に裕福な人のほうが幸せであるっていうのは、確かにやっぱり飯食えるから、それはそうじゃんっていう話はあるんですけど、それに依存しすぎちゃって、その依存してる状態でそれに僕は慣れないから、本当この社会は終わってるみたいな。
日本は終わってる。この社会を変えられるのは、政治家が変えないから悪いって言って、要は人のせいにしちゃうみたいな話ですよね。そういうのって繋がってる、ルサンチマンの話と繋がってるっていう感じはするんで、この辺はやっぱりすごくうまく言葉にしてくれてるなっていう感じはあるんですよね。
あと、これも難しい説明の補足が続いちゃって申し訳ないんですけど、ただサルトルは基本的に別に主張とか行動は大事だけど、別に共産主義者になれとは言ってないくて、別に資本主義も否定してなかったりして、もう片方でいう近い存在で言うとマルクス主義があって、
マルクス主義は完全に社会批判というか、社会の仕組みが悪いっていう感じじゃないですか。そうじゃなくて、それは受け入れた上で、そもそも自分の行動とか主張をして、そこの行動をもって自分の本質を定めなさいっていうのが、サルトルとか実論主義が言ってることなんで。
そこはやっぱり結構ちょっと、サハっぽい流れでも言ってることはちょっと違うっていうところはあるかなっていうところで、その辺も結構僕は合点がいくというか。改めて、別に若い頃に知り合った本じゃなくて、本当に結構最近に知り合った本であるんで、昔出会えればよかったとか、別にそういうことで言ってるあれではないんですけど。
それいいですね。昔、もっと若い頃に読んでおいてもよかった。
そうですね。でも、メタ的に多分俯瞰して自分を見れたっていうのはあるかも。もっと早くに出会ってるか。
スピーカー 2
それは例えば、たかな時期に読んでたら。
スピーカー 1
読んでたら。なんとなくよく分かんない反骨精神、日本クソだみたいな。なんかあるじゃないですか。そういう若気のいたりみたいな。もう少しそれを構造的に把握してれば、もうちょっと早く報酬に行っちゃった方がいい。
いいと思うんですよね。別に不満を言ってる人を別に休断したりとかそういうことではなくて、ただそれを乗り越えないと結局ないじゃないですか。その本質的な価値みたいな。
結局その不満とか、自分の人生に不満を抱えちゃってること自体が退流とか停滞して、別にそれはそれで人生だって言い聞かせちゃえばそれまでなんですけど、でもそれを受け入れた上で行動していけば、その先にある何かみたいなのが見えるみたいな話ですね。
今日もおそらく波形がですね、僕がずっと。
二人の録音の紹介系とか論説みたいなのを話し始めちゃうと。
スピーカー 2
さっき難しい話してましたよ。出てました出てました。
福田常有の社会的視点
スピーカー 1
出てましたよね。久々に昔の左寄りモードの会話になってましたけど。この流れで紹介するのはあれなんですけど、もう一個紹介したい本があって、これも知ってる人は結構多いのかな。わからないですけど福田常有の私の幸福論っていう。
結構古い本ですね。もう何十年前だろう。相当昔ですね。福田常有さん。もう代前に亡くなられてるんで。昭和の保守系のわりと名調。ロンドン人というか作家さんですからね。
私の幸福論っていう。言ってるぐらいの幸福論の話なんですけど。これ全部ちょっと話すと大変だから、かえつばんで話すと。結構これ言ってることが近くて。カフカの本も近いな。
だから人の美臭というか見た目の話を結構話してるんですよ。すっごいこれ結構残酷な内容なんで、読む人が読むとゲロ出ちゃうかもしれないですけど。要するに、これちょっと僕の言葉じゃないですかね。誤解しないでほしいんですけど、ブスは幸せになれないっていうことを言ってる。
今、絶対福田常有はポリコレで大変なことになる。生きてたら大変なことになると思うんですけど。こんな言い方してないですよ。ただ結局見た目で判断されちゃって。女の人の幸せ。今の現代で言うと男の人の幸せもそうかもしれないですけど。
だからそこに左右されちゃってて、結局でもそれって変えられないじゃないですか。あなたたちは。どんなにポリコレで女性の人権運動だって言っても、結局現実ってすごいリアルで。結局見た目で判断してる男たちっていうのは絶対ゼロにはならないし、社会も変わらない。
だからそれを社会活動家として、例えばフェミニズムとかフェミニスト運動みたいな人たちに向けて言ってるんですけど、それを言ったところで変わらないっていう現実は受け止めないと、あなた自身が幸せになれないですっていうのをすごい言ってる。かなり厳しい本で。
そうだと思う。
だからまずその現実を受け止めた上で、そこから先の行動だっていうことを言いたいんですよね。行動すること否定はしてないんだけど、ただ結局それをやってることであなた自身が幸せになれることは絶対ないですと。はっきり断言してる。結構残酷な本で。
でも本当そうで、僕が例えばルッキズムの話で何が良い悪いっていうのは厳密には判断禁止はないと思うし、それが全てだとは思ってないけど、例えば僕とトム・クルーズが並んでてどっちかっこいいって言ったらそれトム・クルーズに決まってるじゃないですか。
ちょっと迷ってますね。
スピーカー 2
僕はでもね、ちょっと話ずれるから、僕はそのかっこいいかっこ悪いもみんながどう思ってるかを自分にインストールしてるだけだから。
そうそう判断禁止は。
正直そう言われても。
見た目の美しさと判断
スピーカー 1
ただいわゆる社会っていう大多数のマジョリティの行為として、その見た目の判断ってある程度優劣はつくんじゃないですか。もっとわかりやすく言うと、僕とすごいロシアの180cmくらいある綺麗な女性のモデルさんがいたとしましょう。
どっちが綺麗ですかって言われて、あんまり僕って答える人は少ないと思うんで、言ってくれたら嬉しいですけど。
スピーカー 2
ビューティフルっていう観点で言われれば。
スピーカー 1
すごいマイルドに。
種類の問題だからね、ビューティフル。
スピーカー 2
ビューティフルはね、造形の居合いではないですから。確かにそういう上手い逃げ方ありますね。
まあいろんな尺度があるんですからね。
尺度あるね。
スピーカー 1
比較のね。
タダさんすごい今いいこと言ってくれたんですけど、結局見た目っていう変数で判断されるのは間違いないですと。
その見た目の美しさで言ったらね、造形の話なんで。
でもこれは実論主義の話と一緒なんですけど、それ自体は別にそんなに言ってももうそれは受け止めなきゃいけない現実だから意味はなくて、
結局そこから、それを受け止めてからどう人間として成長していくかっていうことが言いたいんだと思うんですね、福田常谷さんは。
だから要するにさ、見た目で判断するなんて良くないです。
見た目のことを言って、あなたどういう人生を歩んできたんですか。価値観が狂ってるじゃないですか、みたいな。
スピーカー 2
福田 すいません、めちゃめちゃイライラしました。
スピーカー 1
めちゃめちゃイライラしました。こそこれなんですよ。
結局これをやってるっていうこと自体が美衆で言ったら見にくいじゃないですか、この行動自体が。
言ってることがもしかしたら正しいのかもしれないけど、ただ言ってる状態って絶対その人は幸福な状態じゃないし、まずその行為が結構見にくく映っちゃってる。
酷い顔して言ってますよ、あなたみたいな。福田さんが今僕が軽くデモしたぐらいで嫌な言い方だって言ってるから。
福田 今ちょっと嫌いになりました。
嫌いになったでしょ。僕の再現性が高すぎたっていうのもあるかもしれないですけど。
これリアルに言われたらもっと嫌になると思うんですよね。結局そういうツンケンしてババババババって言って、
ルッキーズ分とかを公平にもっと判断しろって言ってることは正しいんだけど、事実幸福への尺度で言ったら全然その状態は幸福じゃないでしょ、あなたみたいな。
さっき田田さんが言ってくれたんですけど、ビューティフルっていう観点で言ったら見た目じゃない変数もいっぱいあって、
それを結局仮に見た目がビューティフルだったとしてバババババっていう人は結構見にくく映ると思うんですよ、見た目が綺麗だったとしてもね。
よっぽど綺麗だったのはちょっとわかんないですけど。でもそういうことじゃないですか。だから割と内面は見た目のビューティフルを超えちゃうというか、
内面を磨かない限りは絶対あなたは美しくなることはないと。で、見た目がある程度、表現難しいですね。
例えばもうちょっと努力が必要な場合みたいな。
すごい世の中ですよね。これを話すだけでこんな大変なんですよ。
そうですよ。結局こういう世の中だから、やばいやばいやばいやばっていう人もいっぱい出てくるしっていう話なんですけど。
言えないでしょ、この言葉を。
でもこれを僕らが配慮してしまうってことは、その世の中づくりに僕らが加担してるってなるから。
結局見た目がすべてですっていう世の中にしちゃってるようなもんで、これを言っちゃうと。
ただもうちょっとその大事なのは、人間的な奥行くかしさとか、あとは、
だから例えば、この例えいいと思うんですけど、バスですごい綺麗な女の人が立ってましたと、見た目がね。
で、おばあちゃんが、マインドバスでおばあちゃんが席に座りたがってて、その女の人は座ってるんですよ。
でも、おばあちゃんが前に立って、それを見たその女の人は、無視をするどころか、下打ちしてどっか行けみたいな態度をしましたと。
っていう女、綺麗な女の人ね。
で、もう一つは、見た目はそこまで綺麗じゃないかもしれない。もしかしたらちょっとブーちゃんかもしれないみたいな人が座ってて、
で、おばあさんが目の前に来ましたと、おばあさんぜひ座ってくださいと。
私も次の駅で降りるんでって言って、またもしね、バス乗って私が座ってたらいつでも席譲るんで、
言ってくださいねみたいなっていう人と比べて、やっぱりこれどっちが美しいかって言ったら、僕は後者だと思うんですよね。
だから、美しいっていうのは人として好きになれるかとか、あり方として美しいかって。
これぐらい結構単純な話で、行為としての美しさの方が本当は多分勝るものがあるんだけども、
人は結構見た目の方に執着しちゃうから、そっちの方で論争を交わして、どんどん見にくい自分を、
もう見た目に執着してバラバラバラっていう自分に執着しちゃって、どんどん見にくい人になっていくと。
だから、結構これも現在に通ずる、すごい皮肉が入ってるんですよ。
現代社会とSNSの影響
スピーカー 2
現代が、より見た目に対する配慮をしなきゃいけないというか、そこにすごくこだわるようになったのは間違いなくSNSの影響だと思ってて。
なぜかと言ったら、SNSだとさっき和田さんが言ってたような、人柄が抜け落ちるんですよ。
全部見た目が並ぶんですよ。そこだけで判断しなきゃいけないから、その人の振る舞いとかも一緒にセットで判断できなくなるんですよね。
だからもう見た目だけで人を判断するのが当たり当然になってきたから、言いにくくなってきてるのはある気がする。
スピーカー 1
本当そうだと思いますね。この話をするとこういう反論が来ると思うんですよ。
じゃあ、見た目も美しくて人格も美しければそれでいいじゃないかって。ある意味正しいんですよ。
正しいんですけど、実存主義の話に戻すと、客観的な美しさの事実っていうよりは、自分が本来持ってる感覚として倫理観を持って正しい行動できるっていうことが正しいわけで。
他者の目を気にしてやってる偽善、ある種偽善なんですけど、偽善っていうものじゃなくて、本来うちから出る美しさの方が美しいわけだから。
だからパフォーマンスでやる、例えばSNSとかでパフォーマンス的に美人の人が席を移って評判を良くするとか、そういうのは間違いなわけですよ。
だから本質的にうちから出る胎児存在、さっきのサルトルの言葉で言うと、そういう意味合いで本当の美しさを磨いていかないと、結局このSNSで汚染されきったこの価値観みたいな感じで、世の中の価値観がそれに染まっちゃうみたいな感じだから。
割と、多分福田恒有さんが今生きてたら絶対に炎上するんですけど、僕は良い本だと思ってるんですよね。
言ってることが極端ではあるんだけど、現実を受け止めた上で、行動で自分を美しく変えていく必要があるっていうのは、かなり禁言というかね。
スピーカー 2
別に昔も今も、だってみんなの美的感覚って変わってないじゃないですか、別に。
スピーカー 1
そうなんすよね。
スピーカー 2
なんでその表現の仕方がここまで変わるのかなっていうか。
スピーカー 1
だからね。
本当はみんな同じじゃないですか、思ってることって。
スピーカー 2
そうね。そうなんすよね。
スピーカー 1
なんか、だから、でもやっぱあれかな。人種の問題とかからやっぱり結構、奥を探っていくと来るんすかね。
黒人、白人とかの。何なのかなと思いますよね。絶対的に触れちゃいけない。
スピーカー 2
見た目で判断するなって、そういうそっち寄りの意見に対してそれを否定することができないから、どんどん声が強くなるのはしょうがないですよね。
スピーカー 1
もうなんかその、正論でしかない。正論でしかないというか。
なんていうのが難しいっすね。
なんていうの、その、まあその、あり定としての倫理観で言ったら、それが正しいよねみたいな感じですよね。
スピーカー 2
そうね。
スピーカー 1
でもね、なんか人間の奥行きってさ、それだけで見えてないから、思ってはいるみたいな感じの社会なわけじゃん。
スピーカー 2
でも別に見た目のその、なんか別にそこストレートに普通に表現したらいいんじゃないかなって、別に昔みたいに。
スピーカー 1
何が悪いことあんのかなっていうか。
まあなんかそうか、そこに対してコンプレックスなりを持つ人に対する配慮ってことか。
そうですね。
そうかそうか。
まああとその、見た目は変えられないっていうやつがあるじゃないですか。今整形でできますけど。
スピーカー 2
あとそれも見た目、よしよし、僕がコンプレックスって言ったのは、よしよしとコンプレックス持ってるって関係ないじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
そこが厄介だなと思ってて。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
だって同じ見た目でもコンプレックス持ってる人もいれば全く気にしない人もいるわけで。
スピーカー 1
いるんすよね。
スピーカー 2
そうするとやっぱ本人が悪いと思う。
スピーカー 1
そうなんすよ。これがさっき言ってたサルトルの対自存在と対他存在ですね。
他者から見ての自分っていうフィルターで自分を見てるから悪くなっちゃう。
それにとらわれちゃう。
スピーカー 2
自分でコンプレックス持って自分で騒いでっていう自作自演感がすごいですよね。
スピーカー 1
そうそうそう。
でも一番幸せなのは自分が自分を認められてる状態じゃないですか。
そうそうそう。
だって全然不幸でもあるんですよ。
結局、なんで見た目で反応するんですか?みたいなことを言っちゃってる状態が。
それはもう自分はあたかも価値がないという判断で自分をさばいちゃってるわけじゃない。その前提だから。
それが悲しいですよね。でもそれに気づかないというか、気づかない世の中になっちゃったみたいなのがありますよね。
スピーカー 2
特に気にしてない健全な人を巻き込んでもいるから。
ちょっと迷惑系連大臣ですよね。
スピーカー 1
だからそうなんですよ。結構これデリケートな話になってくるじゃないですか。
例えばですけど、僕が髪が生えなかったとしましょうと、髪が生えなかったことを気にしてて、周りからの見た目で自分は言われたくないからこれは絶対いじらないでくださいっていう人と、
あえて髪を剃ってその見た目がいいっていう人もいるわけで、でもその人のことをある意味軽蔑してるっていう価値観でもあるわけですよ。
だって自分で好きにヘイトにしてる人は自分がいいと思ってそうしてる。あるいは特定の状況でそうせざるを得ない状況になっちゃったかもしれないけど、
でもこれはこれで自分だからって受け入れて、その見た目を誇りに思ってる人もいるわけだから、それを軽蔑とか差別しちゃうってことになる。
だから自分の中で勝手に思ってるコンプレックスに思う分にはいいけど、それを発信してしまった時点で大きく異名が変わりますから。
だから女性のフェミニズムのやつも一緒です。だから女性って括りで言ってるけど、そうじゃないって思ってる。
例えば働く女性改革で、働いてる女性こそが社会に役立ってるから、やっぱり女性は働くべきだ。それは大切だし大事なんだけど、
一方で働きたくない女性はどうするんですかみたいな話の全然代弁になってなくて、ある種下げすんじゃってるというか、いやもう女性は働く時代ですみたいな感じで、
現代社会の多様性
スピーカー 1
でも私は別に働かない人生もありだと思ってて、これはみんなから認められてるし、私自身もこの今状態が幸せなんですって人の権利も認められていいわけだから。
スピーカー 2
ある種あんまり女性の働き方って言って働くこと前提みたいな社会にしちゃうと、どんどん自分がいいと思ってて働いてなかった人が窮屈になるみたいな変な現象が起きる。
僕ね、そういうことをたまに考えるんですけど、人と比較をしたりとかしていろいろ思うけど、それってネット上のSNSとか話題のものを見てるからそうなるだけで、
スピーカー 1
街に出てね、人がいっぱいいる渋谷とかいいですよ、行ってバーって見渡していろんな人を眺めるんですよ。いろんな人がいるんですよ。
スピーカー 2
それもそれ大事だと思うんですよね。だっていろんな人がいて、いろんな姿、顔とかスタイルの人がいて、それぞれがそれの人生を前向きにみんな生きてる人たちがいっぱいいるわけですよ。
たまに眺めながら思いますね。
スピーカー 1
本当そうなんですよね。それぞれの美しさがあって、嫌いな人もいれば好きな人もいるし、お互い認め合う人もいれば認め合わない人もいる。ただその自然の状態じゃないですか。それが一番美しいと思うんですけど、でも現代の感覚はこうですよ。
いや、もうそれは自分が自分の見た目気に食わないなら整形しちゃいなよ。それでいいんだよ。もう人生自由に生きようよ、みたいな。いいんだよ、別に変えちゃっても。でも周り、街見たらみんな同じ顔みたいな感じになっていくわけ。
これちょっと局界ですけど、共産主義ってこういうことですからね。全部平均、平等化、均質化して全部同じにするが共産主義なんで、まさにこういうこと。中国行くと同じ見た目のビルめっちゃいっぱい建ってますから、すべて均質、平等にするっていう感覚。
だから、ある種だから自然を否定しちゃうし、アイデンティティーも否定しちゃいますよね。だっていいと思ってることを社会が批判するんだから。なんか多様性とかすごい言葉のねじれがすごいあるんですよね。
スピーカー 2
理想の方向に向かいたいっていう気持ちはわかるんですけど、その方向で多分正しいと思うんですけど、その向かい方が無理やり窮屈にやっていくというよりもっといろんなものがあってみんな面白いよねっていうような、そういうところに魅力を感じるようなコンテンツなりそういう文化で育っていってほしいなと思うんですよね。
だから、本来だから多様性って言ってたらそういうことなんじゃないかなって思うんですけどね。 結局ネットの進歩によってみんなが同じものを理想とするようになっちゃったから、同じになっちゃうんですよね。
あと炎上怖いから変なことしないようになるとか。 そうそうそう。これっていつずっとこのまま突き詰めていくんですかね、この方。
古典文学と現代の接点
スピーカー 2
まあ現状はそうじゃない。 いつか大きく変わるんですかね。
スピーカー 1
でもやっぱりこう思ってる人はいっぱいいるじゃないですか、きっと。それが得意点を迎えるとやっぱあるんじゃない、逆転現象みたいなバックラッシュというか。
今何か置きかかってるような気もするんだけど、逆に言うと突き進んでる感じもあるというか。だから結構瀬戸際な感じ。
でもたださんおっしゃるようにやっぱりSNSが一つの基準にはなってて。だから前々から言ってる通りやっぱあれですね、SNSは悪であるというか。
スピーカー 2
最近思ったんですけど、ネットでディスっちゃいけないものっていろいろ増えてる中で、唯一最後の取り出だったのが男おっさんだったんですよ。それがこないだ匂いのやつで。
聞きましたね、これね。 初めて男がそれをダメってなったんですよ。最後のそこが全部のスケープコード取り出だったのに、それが壊れたから逆にリセットするんじゃないかなっていう期待はありますね。
スピーカー 1
だから違い封建だったから全てのカルマをそこに背負わせてたんだけど、それがやっぱ言えなく、一部の過激なフェミの人たちも言えなくなっちゃったから、逃げ場がなくなって、もう当たる場所がないじゃないかみたいな。
そうそうそう。あれで初めて平等になったんじゃないかと思ってましたね。 そうですね、あれ結構ショッキングな雰囲気はありましたよね。男性たちが声を揃えて、女性の方もフォローしてくれてる人とかいましたけど。
だからあれ自体は僕は全然よく分かんないけど、結果的にあの動きに関してはリセットする結果になるかなとは思いますね。 なるかもしれないですね。結局描いてた世界観これで良かったな結果が、すごい複雑な顔してる人はいっぱい多いでしょうね。
スピーカー 2
状況みたいな。本当そうですよね。だからなんかやっぱり、めっちゃ表面的な合理性とか倫理観とか、ある種これは一般的にこうでしょうみたいな感覚を押し付けすぎると、どんどん歪んできて、その歪みに耐えられなくて暴発しちゃうみたいな。
スピーカー 1
あとやっぱりもっと過激な人が出てきちゃう、もっとヤバい奴が出てきちゃう引き金にもなりかねないから、もうそういうのも嫌なんですよ。だからある程度の全部が全部きれいに整えるのは無理じゃないですか。人種差別も見た目の差別も絶対無理じゃないですか。
なんかその、この領域は超えない方がいいよねっていう、そこを整えてくれるのがやっぱり倫理観だと思うから。あとはその、この前話したのが品性とか、その感覚がすごい大事なわけで、でもなんか絶対ゼロにしようとする。もう本当にこう、貧困法制絶対ダメみたいな。絶対許さんみたいな。やった奴は全員で叩き殺すみたいな感じにしちゃうと、
結局やっぱりすげえヤバい奴が、すごい頭おかしい人が出てくる可能性もありますからね。だからそうなるとやっぱりディストピアになっていっちゃうから、その判断基準を養わなきゃいけない時代なんだと思うんですよね。だからやっぱり僕は古典、一回やっぱり古典に戻って、古典から教わることやっぱり学ぶことが本当に多いと思ったんです。だから僕は保守に今なっていってるっていうのはあるんですけど。
スピーカー 2
古典は時代に左右されませんからね。
スピーカー 1
皆さん、もしかしたら古い人のことバカにしてる人もいるかもしれないですけど、昔結構同じことみんなやってるんですよ。このカフカの時代も、今の現代と同じ悩みを抱えてるから、カフカはこの本を書いたわけで。複雑にありももう何十年も前の人で、何十年も前の本ですけど、同じこと考えてて。複雑にあり偉いなと思うのは、昭和の初期とかでもポリコレ的な感覚はあったんです。
これを言ったら絶対に皆さんに怒られるかもしれないけど、絶対言わなきゃいけないからっていう前提で書いてる本なんですね。だから怒られるっていう感覚はこの人も持ってたんですよ。ブスは幸せになれないみたいな。
それ言い方はきついと思うんだけど、今の現代の感覚でアップデートされてるっていうのは結構バイアスがかかってると思ってて、昔は昔で同じ問題があって、昔も対峙してそういうのをどういうふうに解決しようかって考えた人たちはいっぱいいるから、結構古典を読むと再解釈というかね、現代的に解釈できることが多いんだよなって。
ブス そうですね。
っていうのを感じたという話ですよ。
ブス 僕も結構乗っかっちゃいましたけど、もう何の回だったかわからなかった。
ブス 本の紹介の回だったんですけど、結局また思想の話をしてるっていうことで、本題の方に戻して本の紹介っていうところで、一応この2冊を今回取り上げたんですけど、もちろん多角的ないろんな本も読んで、もっとお勧めしたい本。
リスナーからのお便り紹介
スピーカー 1
またちょっとね、僕の悪い癖で、左寄りの批判みたいなニュアンスも入っちゃいましたけど、ただ経営化としては僕もやっぱりもともと実存主義的な、割と左寄りの感覚もあって、別にそこは共感してるっていう話もちょっと今日したかったということで。
スピーカー 2
ブス なるほど。
決まりがいるというか、もう自分でも着地点がわからなくなってます。
ブス ありがとうございました。でもね、僕はカフカのこと、昔の遠い記憶だったんで、すごいクリアになりましたし、勉強になりました。
スピーカー 1
本当ですか。なんかね、僕は結構人間的に好きなんですよ、カフカは。なんかしっぽりしてるじゃないですか。
ブス 確かに、そっかそっか。
イケメンだしね。イケメンってもう見た目の話を早速しちゃってますけど。
スピーカー 2
ブス いいですね。
スピーカー 1
いいですよね。最後台無しにするっていう。いいですね、このオチがちょうどしょうもないオチが。
スピーカー 2
ブス 前お便りの紹介、回答っていう感じの回答したじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
ブス お便りいただいててね、今度また紹介。
スピーカー 1
そうなんですよ。
スピーカー 2
ブス 渡さんが結構そのお便りで膨らませて話してくれそうだったんで。
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
ブス お便りいただいたら見てるんで、今後ちょっとご紹介しますんで。
スピーカー 1
割と僕らが番組で話したら、お便りくれるんだなってことに気づいたんで。
スピーカー 2
ブス すごい嬉しいんで。
スピーカー 1
嬉しいんでね、ぜひちゃんと一つ一つね、ご回答かご紹介かみたいなのは。
もし紹介してほしくないよっていう人がいたら、紹介したくないっていうやつにフォームでチェックしてもらえれば大丈夫なんで。
そういう紹介しなくても感想を言いたいよっていう人も送っていただけたら。
ブス そうですね。
ぜひテーマ、提案したいっていうのがあったら言っていただけたらね。
僕らこういうウダウダ長話で返しますんで、全然参考にならないかもしれないですけど、ぜひいただけたらなと思うのでよろしくお願いします。
じゃあ終わります。ありがとうございました。
スピーカー 2
ブス ありがとうございました。
52:45

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