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どうも、WATAです。 TAZAWAです。
テーマがね、枯渇してます。
枯渇してますよ。
あのー、ちょっと短めで行こうかなと思うんですけど
小田雄二の炎上
いやーあれですね、何の話しようかな。 まあ、小田雄二の世界陸上の炎上の話がしますか。
あ、そうなんですか。炎上じゃないですか。
今、世界陸上やってるんですよね。 はいはい、あ、そうなんですね。
ちょっと、僕も詳しく知らないですけど、
解説とかってか、昔からやっぱ小田雄二はあのテンションじゃん、言っちゃうと。
だから、まあね、過去もそういう、なんか
いろいろ、いろんな発言はあるんで、そんなね、なんかとがめなくてもいいんじゃないかと思うんですけど、
なんか、とある選手が、こうメダル取ったのかな。メダル取って、それに対して、なんかその
正直期待してなかったみたいな感じで、奇跡、この選手がメダル取るのが奇跡だみたいなことを言っちゃったんですよ。
それがなんか炎上してましたね。なんかこう、かわいそうというかさ、
キャラクターだからしょうがないですよね。 そう、だから、そういうブランディング、なんていうんですかね、ちょっと難しいですけど、なんか
そういうもんじゃないですか、もう、小田雄二って。でもあれですね、小田雄二、それだから、まあそれがあってかわかんないけど、もう世界陸上は
今回で引退という感じで、引退宣言をしてましたね。なんかこう、もう出ないって言ってました。
でね、まああれですね。 そういうので引退するっていうのは、もう何のためにいるのかってなるじゃないですか、そういう役割の人が。
まあ、そうね。 だから、別にアナウンサーで中立に実況する役割としているわけじゃないでしょ、別に。
いや、そうそうそうそう。だからまあ、なんかコメント、コメントを求められてどういうコメントをするかっていう、そういうキャラクターがあって、
そういう、あの、小田雄二がずっと採用されてきたわけでしょ、わかんないけど。昔からやっぱそういうちょっと、
はにきぬきせぬじゃないけど、割とだから思ったこと言っちゃいそうな雰囲気にずっとあったわけじゃないですか、小田雄二は。
だからそこが、そういうね、ある種そういうキャラクターがハマってたみたいなところがあるからね、そこまでね、こう厳しく見なくてもいいんじゃないかなっていう気はしますけど、
チョコプラの問題
まあちょっとそれが理由でじゃないと思うけど、一応今回が最後っていう感じで。 で、あれですね、チョコプラも炎上しましたし、なんかこうね。
チョコプラ知らないですか?あれ? チョコプラの炎上だいぶあれですよ、だいぶ炎上ですよ。
あのアインシュタインっていうお笑いのグループいるじゃないですか。
で、最近あの稲田さんでしたっけ、稲田がずっとこの1、1年、1、2年ぐらい、結局そのなんか、
SNSを使ってファンにわいせつな何かを送り、送ってもらうみたいな疑惑がこうずっとかかってて、権威がかかってて、
で、それがなんか濡れぎるだったっていうのがわかったんですよね。そのSNSのアカウントに乗っ取られて、みたいなのがわかったっていうことに対してのコメントで炎上をしまして、
そもそもそういう犯罪的なことをするっていう、そういうモラルがないことをすること自体は当然、休断されるべきなんだけど、
とはいえ、そのSNSっていうのは、なんかもう芸能人だけが発信するツールとしてあればいいだけで、素人がSNS使って発信するんじゃね?みたいなやつを言っちゃったんですよ。
ああ、なんかそのフレーズだけ聞き覚えがあります。 これは多分、僕はそれがすごい大炎上してて。だからそのあれですよ、小田ゆうじの件はそんな炎上してないですけど、
チョコプラの件は割とこう、ちゃんと炎上して、まあなんかその動画見たんですけど、まあまあこういうことも言うときもあるかなぐらいの感じなんですけど、
結構割とちゃんと炎上して、なんかいろんな各所から批判を浴びて、謝罪で丸坊主にする動画みたいな、でももともと限りなく坊主に近いから反省してないだろうみたいなことを言われて、
ネタにされてますね、このチョコプラは。だからまあ相も変わらずね、この芸能とかこういうタレントの人とかは、
炎上してるなっていうね感じで、もう変わらないですね、この辺はね、もうね、やっぱり。 だって、その何も全く何も問題がないですよ、聞いてて今。 でしょ? まあでしょって言うと、これもこれで怒られるかもしれないですけど。 いや、夢見てます。夢ですよ、それ本当に。
そんなのは。個人が思ったことを言っただけの話だから。 そうなんですよ。だから、
まあ後でやっぱりそのね、まあ言っても、そのチョコプラのやつとか、まあ語り口としては暴論っぽく聞こえつつも、
一理あるじゃん。一理というかだいぶ、まあ見方としては、その、もうSNSは基本的にみんなやらない方がいいんだから。
中で、なんかその芸能人がやっぱりそういうSNSでその、なんていうの、素人からこう攻撃をされて、だからそういう匿名性がある中で、
その自由に物事を言えるっていうこと自体が規制されるべきじゃないかみたいな、そういうニュアンスも多分入ってるんですよね、チョコプラのやつには。
じゃあそれ、結構一理あるじゃない。 そうそう。 まあだからこういう現状で、だから軸が二つあって、一つはその個人が思ってることを言ったっていうことがどうかって話と、内容がどうかって話じゃないですか。
内容がどうかっていう。 僕はもうそっちは論じる必要はないと思いますよ、もう。 まあそうなんですよね。
なんか本人が何と言ってようが、なんか。 でまあその世の中のやっぱり大多数は、正直その内容もそうだし、
誰も興味ないわけですよ、この本当はこの話題。まあだからまあその炎上のこうなんて言うんですかね、そのもう仕組みが多分そうなってると思うんですけど、そういう界隈でネタにされてみたいな感じの構造が、まあその一般の人はそれをこうしらけた顔で見てるっていう構図なのかなっていう感じなんですけど、なんかでも。
それが炎上だと認識してること自体がなんか間違ってるような気がするんですよ。 そうね、炎上と自負枠組みですね。
そうそうそう炎上じゃないですよ、だからそれを。 そうそうそうそうそう。だからなんかこう、だからテーマをね、持って話すとしたら、ちょっとそのあえてこのテーマで話したいなと思ったのは、なんか
まあその、もうこの番組でもまあその、こういう炎上の話でも何回もこう話してますし、擦りすぎてるんで、それに関してこう何か論じることはもうほとんどないんですけど、なんかこう
炎上とユーモア
何て言うんすかね、愛嬌がなくなってきてる時代というか、なんかこう炎上してるネタもそうだし、あとはその炎上してる内容とか、まあなんか全てその炎上を捉えてる世の中とか社会もそうなんだけど、なんかこう愛嬌がない時代になってきたんじゃないかなっていうのを最近すごい思うようになって
これはまあ僕の習慣なんで、ざれ事なんで、別にこれこういう世の中だって言い切りたいわけじゃないんですけど、なんかこう、炎上とかっていうさ、さっきのその切り取り方、捉え方とか、あとはそもそもそういう
炎上までに至るまでのその道筋として、芸能人はそういう、一般のそういう、一般というかさ、そういうさ、その誹謗中傷したい人たちから散々言われてきて、でそれなりにやっぱフラストレーションがずっとあるわけじゃないですか
YouTube とかでもさ、なんかこう、もう本当に心ないことを言われたりとかね、まあだから色々あるだろうから、そういうこう前提、そういうフラストレーションが溜まってる中でのああいう発言みたいな、っていうのがあって、なんかこう全体のストーリーとして、なんかこうユーモアが全体的にないんですよ。ユーモアでこう物事を捉えるみたいな、でまあそれちょっと僕は言い換えて愛嬌みたいな感覚なんじゃないかなと思うんですけど
前、TAZAWAさんと行ったトークイベントで、岸谷乱丸君と大二郎さんとか、なんかこうそういうインフルエンサーの方のトークイベント行って、でなんかそこでこう話し合った内容で、いや確かになと思ったのがあって、結構炎上する話ってさ、別にその日本も海外も、まあ炎上っていう意味で言ったら海外もやっぱ炎上はすごいすごくて、そのコメントとかもやっぱすごい辛辣な抽象とかあるし、
それは別に日本よりも激しい部分が逆にあったりするけど、ただコメントが炎上させるためのコメントとか誹謗抽象が海外の方が面白いっていう話をしてたんですよ、岸谷乱丸君が。
そう、日本のやつはあんま笑えないんだけど、海外のやつはコメントが笑えるからついつい見ちゃうみたいな、その誹謗抽象なんだけど、コメントがこうユーモアがあるからついつい見ちゃうみたいな話をしてて、でもなんかその日本の炎上とか、日本のこういう炎上をした時の一般的な視聴者の捉え方って、ユーモアがあんまないなというか。
こういうの言うと、たぶんすごいこれもね、なんかその炎上させるとか指摘にユーモアなんていらないだろうみたいな話で突っ込まれそうな気がするんですけど、なんていうんですかね、それは僕が思う愛嬌みたいなものなんですけど、ユーモアで捉えたらそんなこうならなくないみたいな、こんなこうなんかよくわかんない空気みたいな、誰も得しないこのなんていうんですか、変な冷笑であざ笑うような空気になるみたいな、
これが一連がユーモアがすごいないというか、そういう時代感がやっぱり反映されてるなと、炎上問題と言われるものに。だから愛嬌がね、愛嬌とユーモアみたいなものがない時代なんだろうなっていうのを毎度思いますよね。
もっと面白おかしくって言うと、これもやっぱ怒られるんでしょうけど、面白くいじることもできるような気がするんですよ、一連のお大友人にしても、チョコブラにしても。別にだって誰が傷ついてる話でもないじゃないですか、これは。本当に特定のマイノリティの人を抽象してるとか、やばいこと言ってるやつは、それはまあ怒られちゃうかもしれないけど、
なんかこれ、別に捉えようによってはユーモアに変えられるようぐらいの、それぐらいの粗末な話のような気がしてて。
なんかこう、すごいみんな真面目に向き合うというか、そういう問題に対して。真面目に、やっぱちゃんとマジレスするみたいな。
で、真面目に受け取りすぎですけどね、そのされてる方が。炎上って言葉が悪いと思います。炎上っていう言葉ってちょっとバカっぽいなって思うんですよ。
要はその状況を説明するときに炎上って言うから、ネガティブなものとして全体とらえるじゃないですか。なんか意見が活発って言い換えたらいいんじゃないかなって思うんですよね。
そうしたら炎上ってものが今ほどネガティブにとらえられないと思うんですよね。 そうなんですよ。
炎上の滑稽さと社会的影響について
炎上したって言って本人が反省したり気にすること自体が一番問題だとむしろ思いますよね。ほったらかしたらいいんじゃないかなと思いますけどね。
そういうふうな感じで、わりと一連の炎上してから謝罪とか、わりと流れがカタカサされたみたいなのがあるじゃないですか。そこまでがワンセットでみたいな。
真面目にとらえる構図すら滑稽みたいなものじゃない。だから言っちゃうとレベルで言うと、昔のワイドショーとかを不倫とかあったりとか、いろいろあって勝信太郎が不倫の会見でふざけてる会見とかあって、ああいうのクスクス笑いながら見てた時代あったと思うんですけど。
だからあれぐらいの感じで、ちわというかさ、一連が滑稽なものなんだっていう。だから全てがコントというかさ、コメディとしてしか本当はたぶん捉えようがない一連の現象なんですけど、それをみんな真面目に捉えて真面目に休断してちゃんとリンチするみたいな。
滑稽さを与えるみたいな。だからやっぱすごい愛嬌がない。別に昭和のああいう適当ななんていうか、なんでもかんでも笑いに変えてとか、特定の何かをいじって笑いに変えてとか、別にそれが前後手したいわけじゃないんだけど。
捉え方として、愛嬌と余裕と、わかんないけど一連はそもそも滑稽じゃんっていう、なんかシニカルな部分が感覚としてあったんだけど、すごい真面目に捉える時代で、真面目に捉えた上でボコボコに倒すみたいな、それがいい時代になったっていう答えの悲しさであったりとか。
もうちょっとこう、余裕がある感覚の中でいきたいなっていうのは思いますよね。愛嬌がどうかとか、愛嬌の内容は正直どうでもいいと思うんですけど、風潮としてとか、そういう愛嬌させることがエンタメになっちゃって、それが正当化されるというか。
すごい炎上までのしょうもない一連の流れが、社会的制裁を与えたっていう答えを与えることが形になってるというか、それで満足してるというか。それが悲しい時代ですよねっていう。
もうちょっと捉え方を、もうちょっと逆に言うと自虐的に、面白おかしく捉えてもいいような気がするようなっていうのをね、ちょっと最近感じてたっていう話ですね。
ネットの話が主役だっていう前提があるから、こういう問題になってるし取り上げてる気がするんですけど、なんか所詮ネットの中で盛り上がってるだけっていう風に、立場逆転させたらいいんじゃないと思うんですよ。
まあそうなんですよね。だから、そうなんですよ。要するに、昔で言うとテレビとかそういうものだったと思うんですけど、なんか世論みたいなものがそこに閉じこもってて、それが風潮とか世論的な正解みたいな、そういう捉え方をするじゃないですか。
でもなんか、そういうこと自体がそもそも滑稽ですよっていう前提が、前置きがあるはずなんですよ、本当は。 炎上問題を大真面目に大人が話題してる時点で、同じ土俵で戦ってるから。
もうちょっと笑ってみないと、すごいせせこましいって言うと怒られそうだから、すごい息苦しい世の中になっていくから、その息苦しさみたいな窮屈な感じは、やっぱこういう物事の捉え方、価値観みたいなものがポリコレ以降すごい出てきましたと。
それがすごい、僕らもこういう、聞いてる人は少ないかもしれないですけど、発信する活動みたいなのをやってる中で、いろいろ配慮して物事を言ったりはするんですけど、やっぱり感じますよね。
なんつーだろう、そもそも滑稽なコメディーの中での一幕が、すごいこう切り取りというか捉え方で、社会問題みたいな扱いをされる。でもそれを社会問題化してること自体もコメディーなんだっていう、それが俯瞰して分かってればいいんだけど、すごいこう大事件ですみたいな。
夢だから。僕なんで最初全部こういう話したかというと、ちょうど見返した動画が昨日あって、関根勤めの話の動画、大田上田に関根勤めが出てるやつ見て。
僕あれすごい好きでしょ、その回。 そうそう。やっぱり関根勤めって、SNSがあったら俺テレビに消えてたって言ってたんですよね。だからそうなんですよ、その関根さんがSNSがあったら消えてた人なんですよね。
そうそうそう。 っていうぐらい意味がないんですよ、SNSなんて。 意味がないですよね。
本当に。あの頃に苦情とか炎上とか批判コメントが関根勤めに届いてたら、今の関根勤めいないから。 いないですね。で、たぶんあの世代からの、最近というか2000年代前半ぐらいまでのお笑いって基本的にその部分じゃないですか。
だって貧困法制からちょっとずれてるから笑いになった。そのずれを楽しむっていう前提があったわけですよ。それをこう、過去僕らの番組でもいじめとお笑いの問題でね、たぶん話してると思うんですけど。
そういうずれっていう感覚のずれを笑うっていうユーモアを、なんかすごい真正面に捉えちゃう時代がやってきて。 そうそうそう。
今はその真正面に捉えた上で、それをこうぶっ叩くっていう、ぶっ叩くことで色々数字が稼げるから、ぶっ叩いて、あんな時代に合わない倫理に反することを言ってるぜみんなボコボコにしようぜみたいなムーブで、
そういった不謹慎なこととか、言ってはいってないことで笑ってたずれの感覚っていうのを叩くことで盛り上がるっていう。でもそれもさ、結構汚くて、本当に倫理感があってそうしてるっていうよりは、ただ数が稼げるからそうしてるっていう、そういうムーブになるじゃないですか。
やっぱみんなこぞってその話題を取り上げて、それで数を稼ぐみたいな。なんか燃料投下してみたいな。だからそういう全然面白くない、まあユーモアで捉えようと思ったら捉えられたものを、面白くない風に捉えるっていう風程?風潮?みたいなのがあるんですよね。
だからお笑いがやっぱりね、難しい時代だし、面白くないとも捉えられる時代になってきちゃったのはやっぱそういうところはやっぱありますよね、本当に。
僕やっぱり思うのは、なんで不幸だと思うかというと、悪いのは僕でやっぱりSNSだと思う。やっぱりこれは愛嬌とかっていう点もある一方で、やっぱり僕SNSが悪いと思ってて。
というのは、昔はお茶の間で言ってたわけですよ、テレビに向かって。だから今でSNSがあるから、こうなってるだけだから。要はSNSで炎上に加担してる人達って、実は本当は別にたいして思ってないんですよ。
それSNSで自分で発信したってことによって、自分の意見だと思い込んで、それを大きく増幅してるだけだから、本当だったらSNSがなかったら、そんな風にたいして思ってないはずなんですよ。それが炎上に加担してしまって、人を作り出してしまってるだけだから、僕やっぱSNSが悪いと思いますね。
でもそうでしょうね。 だってわざわざテレビ企業に電話かけて、小田由次の話、苦情入れる人いますかって。昔だったらそうしなきゃいけなかったんですよ。 そうだね。でも本当そうですよね。この時代にはそういう、逆に言ってもその現象はないわけですよね。
まずテレビ局の電話番号調べて、電話して、受付の人にちょっと変わりますって2段階くらい挟んでからようやく言えたんですよ。それでありがたいことはありがとうございますって言って終わってたんですよ。
そのクレームというか、そういうことは要するにテレビ局側に吸収されちゃうことだから、クレームがあったっていう事実は残るけど、言葉は残んないもんね。でも届かないし。 だから残っちゃう時代だから、そこにすごい力が生まれてしまって。だからその力を生み出してる仕組み自体がやっぱりダメにしてるから。
だから残ってることが正しいかどうかって議論が大事かもしれないですね。
だからそういうさ、あえてチョコプラの意見をね。これはだから怒られると思うし、怒られる前提というか、これ聞く人が違和感を感じる前提で言うんですけど。
ある種正論ではあるよね、チョコプラになって。そういう別に、本来届かないというか、本来聞こえるべきではない声が聞こえるようになっちゃった時代で。
よく言われる覚醒期じゃないんですけど、極端な言葉で抽象する言葉も、それより倫理の壁を乗り越えて聞こえる仕組みができちゃったじゃん。
だから特に匿名だし、わざとそういう悪いことを言えるったりもするから、そういう仕組みがない中で、いわゆる一般の我々みたいなのが、そういう覚醒期で発信することが、
エンタメとユーモアの観点から
やっぱこう、よくないというかさ、なんて言うんだろうな。やっぱり無法、よくわかんない、めちゃくちゃやばい奴が言った言葉とかも、本来現実世界では聞こえないはずなのに。
聞こえなくていいし、だからそういう感じでスクリーニングされてるわけなんだけど、でもやっぱりSNSがあると、そういう言葉がみんな面白いからそれがバズっちゃって、アルゴリズム的にもそういうのがすごい拡散されちゃうわけですよ。そういう仕組みだから、SNSっていうのは。
って考えると、一般の人がそういう場で発信すべきじゃないっていうのは結構、結構、理にかなってる。だからだとすると、これで言うと、じゃあ芸能人だけがSNSで発信していいのかみたいな、そういう議論になってたでしょ。だから、芸能人も一般人もSNSなんかいらないんだよっていうのが、本来の答えなのかなっていう。
逆かもしんないなと思って、逆に芸能人やんないほうがいいと思うんですよ、やっぱね。 まあそう、芸能人もやんないほうがいい。
結構、本人をやってなくてスタッフが運営してるアカウントもやられちゃうんですか。あれでいいと思うんですけどね。 まあね、だから直接関わる必要ないっていうことなんですね。だから昔のテレビ局の仕組みじゃないけど、直接関わることないわけじゃない。
番組企画する人も演者も。だってあくまでそのさ、テレビ局として責任を持って放映してるものに乗っかってるだけだから、本来責任が生まれるわけはないはずなんですよね、その演者に。
そうですよね。そもそもだって芸能人とかっていうのは、やっぱり個人の人格とまた別で人格を持って演出するわけだから、わざわざその一個人としてなんか発信する必要もないような。
でもそれぐらい、時代的にそういうエンターテナーみたいな人、商売が難しい時代、SNS戦術、戦略じゃないですけど、そういうマーケティング的な観点で使う人が多くなっちゃったっていうのがあると思うけど、
でも多分ね、そういうのもやっぱり基本的にこう、すごいこう、大元を例えるとすごい滑稽なことであって、商売としてやらなきゃいけないってことは分かるんだけど、でもやらなきゃいけないこのユーモアの無さというかさ、
なんかすごい真面目な、真面目にマーケティングしますみたいな、その世界線もユーモアがないし、なんかこう、粋な感じがない、粋な感覚というかさ、やっぱりこう、昭和のお笑いとかね、昔のお笑いがすべてがいいわけではないけど、
なんかそういうこう、そもそも部粋であるっていうことを、なんか俯瞰して捉えて、それを滑稽だねって笑ってるあの時代の方が、まだ余裕があったんじゃないかなっていうふうにちょっと思っちゃったんですよ。だからその現代的な感覚が、別にね、悪いとは思わないんだけど、し、昔がいいと思わないけど、なんか感覚として、まあその、余裕がなくなってきてるというか
なんでそういう余裕が生まれてたかっていうところを考えるのがいいんじゃないですかね、でも まあそうだね
じゃあその、やっぱり間、こうハードルがあったっていうのも、結果的にそれが余裕っぽく見えてるってのもあるかもしれないですよね まあそう、演出されてたわ、だからその、すべてのものをすべてにつもびらかにしなくていいわね、だからそんなことになったら、世の中大変なことになるわけですよ
ほとんどは覆い隠さなきゃいけないような事実ばっかなんだから、実は。だからでもそういうのがこう、何て言うんですかね、不都合な真実的な感じで、結構色々こうそういう情報がアクセスしやすくなったのと、リークしやすくなったりとか、リークを恐れるとこう言わなきゃいけないっていう、なんか守りのね、なんか体制にもなんなきゃいけなかったりとかっていうことで
どんどんこう、何て言うんですかね、もちろん演出されてるものが、すごいそれが必ずしもいいかというと別にそうじゃないかもしれないけど、ただやっぱりさっき言ってた余裕とか、それ全体もある種懐深く見て滑稽に笑えばいいんじゃないかっていう、もうどうせ世の中くだらないんだからっていうぐらいの感覚で笑えたら
なんかそれはそれで幸せじゃないですかみたいなね、なんかこうそういう感覚がどんどんどんどんこう気迫になってるようなっていう
まあみんな一言だから結局、大した気持ち入れて喋ってないから、そのSNSで誹謗中傷してる人もね、だからそれをみんなで大真面目に向き合ってること自体も、なんかどうかと思うんでね
SNSとかニュースサイト見ないと本当に何も知らないんだなって思いました、僕
まあ見なくていいんですよ、だから。あえて僕が誇っちゃったんで知っちゃいましたけど、基本的にいらない情報なんで、こういうのもね
まあなるほどね、でもわかった上であえてちゃんと選択して向き合うことは大事かもしれないですね
あと世の中の雰囲気というかね、俯瞰してみるとこういう雰囲気みたいなのはどうしても触れなきゃいけないですか、そういう具体的な炎上とかはアクセスしないと見えないんで
触れなくていいんですけど、ただそういう社会の雰囲気というかね、そういうのはどうしても肌に感じちゃうところがあるんで
それをね、そういうのをどう捉えるべきかっていうときに、そうだね、さっきの余裕を持つためにどうあるべきかみたいな、なぜその余裕を持てたのかみたいなのは
いろいろあると思いますよ、社会状況、経済的に余裕があったとか、結構いろいろある、いろんな係数があるから
そう思うと再現性があるわけ、余裕っていう、だからそっちに目を向けた方がやっぱりいい時代になる気がするんですよ
だから余裕がなくなる方にみんな目を向けるから、どんどんせせこましくなっていく空気が
政治の話につなげる感じがしますね
未来への希望
完全に次の何かの橋渡しにしようとしてる感じが出てきてますけど、ただ具体的に政治の話はしないんですけど
そういう風潮があるんじゃないかという感じのお話でございます
若干政治の話なんですけど、バトンを受け取る形で次の話をしようかなと
何のテーマも用意してなかったんで、ちょっと最初不安でしたけど
今日はこういう感じで終わろうかなと思います。ありがとうございました