へー。
浪人して、大学受験失敗して浪人したけど。
で、横浜のほうの大学に行きました。
へー。
あれ、どこ。北横浜国立大学。
福岡は。
福岡は菓子に行った。
寄瀬美に行った。
あ、寄瀬美。
すいません。
寄瀬美って10年ぶりぐらいに言ったから。なかなか大人になると使わない単語ですよね。
寄瀬美っていいね。
高校のときとかめっちゃ言ってたけど。
菓子。
菓子、そうそうそう。
へー、しかもマルチメディア文化家庭。
そうなんですよ。これちょっと誇りかもしれない。もうない家庭なんでね。
あ、そうなんですか。
もうないんですよ、マルチメディア文化家庭って言って。
今思えばすごく挑戦的な。
何やってたんですか。
文系理系ミックスの、それが一時期流行った時期の年代なので、コンピューターサイエンスの方もいらっしゃったし、語法研究の方もいらっしゃって。
へー、面白そう。
演劇界の中賃というか、カラ十郎さんもいらっしゃったんですよ。
私は後期面接だったので、カラ十郎さんが面接官だった。
やっぱ。
カラさんと語法の話をして、入学をするという。今考えれば。
さすが横国。
なるほどなるほど。
ちょっと変わった家庭だったと思います。
入りたいと思ってそこ行ったんでしょうね、でも。
はい。
そうですよね。
笑っちゃったけど。
いや、そうですよ。入りたいと思って入ったんだけど、まあ第一志望落ちたんでね。
あ、そうなんですか。
でも元々そのマルチメディアというかそういう。
そう、文系と理系が分かれてないところに行きたかったんですよ。
そうするとあんまりチョイスがなくて。
確かになさそうですね。
なさそう。
そうなんですよ。でも行ってよかったですよ。とっても面白い先生たちに標準人に出会えたので。
そうなんだ。
変わった。
人としても変わった。
面白そう。
で、そこから。
から、卒業して就職したくなくて。
こんなとこまで話していいんですかね。
どうぞどうぞ。
何でみんな就職したいのかがよく分かんなくて。
いいね。
分かりました?大学4年の時。分かった?
何でみんな就活すんの?
あんまり知ってなかったからな。
僕もなんかね、サラリーマンになりたくないって思ってたのに、何でサラリーマンになるたびに頑張ってんだろうってすごい道コムを抱えながらやってました。
なんかいつの間にか上級サラリーマンか低級サラリーマンかの争いになってて。
サラリーマンの枠の中で戦おうとしてるけど、あれ俺はこれは思い描いていた未来なんだろうかって思いながらやってた。
すごい今ユニコーンが流れてきた。働く男とか流れてきたけど。
すごいね。
そうなんですよ。だから別にしたくないなと思って、それこそハートに従って。
で、そこから半年くらい金出動制してたんですけど。
だけど、お金ないなと思って。
気づいちゃった。
お金ないなと思って就職しようと。
本当にこれはね、ハートからのというか。
生きていけない。
そう、マネーからの。
マネーからの。
ハートじゃないですよ。
マネーからの。
心臓の方だよね、どっちかっつって。
生きなきゃならねえみたいな。
そうそう、サバイブ。サバイブで、リクナビニックストで就活したんですよ。
新卒なのに。
新卒なのに。
そうそう、もうわけわかんないでしょ。
で、その当時、世の中をもっと見てみるっていうキャッチコピーに書いてあった、ちっちゃい広告代理店、ベンチャーに就職が決まって。
世の中をもっと見てみるっていうキャッチコピーが、世の中見たくなかったんで、別に。
だから真逆のことをやろうと思って、そこに入ったの。
え、どういうひねくれ?
そう、どういう真理?それ。
ひねくれてるっていうか、ひねくれてるのかな?
いやいやいやいや。
だって、見ようぜって言ってて、共感して入ったんじゃないってこと?でしょ?だから。
挑戦しようと思ったとか?
親がいるって感じ。
母さん、お父さんって感じがしてるんだけど。
なんだろう、世の中をもっと見てみる?いや、見たくないよって思ってたから。
でも、社会人になるってことは、世の中を見なきゃいけないっていうことを受け入れるってことは、じゃあ真逆、やっぱハートカラーじゃなかったですね。
真逆をやってる感じのところに飛び込もうと思って。
それもね、面白い体験な気がする。
でも、そこでは原稿を書く仕事だったので、私は結構文章の力だったりっていうのは、文章を書くことも好きだったし、それは信じてたので、そういうふうな適性というかやりたいことはマッチしていて、かつそのキャッチコピーで、逆じゃんいいじゃんと思って入りました。
で、それで2年ぐらい、私同じ会社に2年いたことないんですけど、1年半ぐらいしたときに、週刊誌で社長インタビューをやってたんですね、営業で、もしもしからやって。
なので、個人事業みたいなもんですよ。もしもしあって、広告なんですけど、インタビュー掲載しませんか?ってインタビューに行って、自分で原稿書いて、デザイン組み合わせて、週刊誌に載せるっていう。
もちろん先輩に教えてもらったし、編集とかデザインさんはいるんだけど、原稿は自分で書いてっていう感じなんで、ゼロから取ってくるじゃないですか、もしもしで。
だから100件電話して2件アップを取るのか、10本電話して2本取るのか、わかりますよね、なんかその感じ。
なので、それをやって、それで声のあった会社さんが、次上場するんで来ない?っていう声をいただいて、その頃私社内で営業でナンバーワンの、1ヶ月で1回ぐらいナンバーワンになるってそんなに大変なことじゃないかもしれないけど、
やって、だけどそのインセンティブが払われなかったことと、その時に社長が投資してた場所が、社長それないでしょって思ってたから、そっちのお客さんの声かけの方が自分も成長できるし、今までは外から会社を見てたけど、内側から見てみようと思って、広報IRやらないって言われて、IRって何?って思いながら、IPO直前に入るって。
でも、その会社さんからすれば、私が書いたインタビュー原稿が非常にまとまっててよかったからっていうことで、いただいてですね、お話をいただいて、それでそこに入ってったっていう。それで上場で、当初の鐘鳴らすところにもいました。
今考えればすごいお役目をいただいてたんですけど、当時はあんまりわかってなかったですね。ニュースでこう、上場しましたってところに普通に25歳ぐらいの私がいましたね。
で、社長が鳴らして、その横に。
横に、はい。IRとPRの担当なので、上場前に投資会社に、なんて言うんですかね、あれ。
ロードショー。
そうそうそう、ロードショーしに。いつも間違ってハネムーンって椅子になるんだけど、ロードショーしに行くのとか、その資料作ったりとか。
すごい。
それは素晴らしい管理職の方がいて、一緒にやってました。
すごいな、すごいタイミングでの転職っすね。
そうですね。でもそこから上場して、M&Aとか株式分割とか、株主総会とかもね、総会の前には私の電話にすごく電話がかかってくるんですよね。
明日どうなるか見てるよみたいな。
株式会社さんからね、私の電話だけ録音機がついてみたいな。
全部外に出す情報に関してのチェックとかはやってたので、その理念とかに関しては、数字はあっちでやってたけど、数字の裏付けだったり、どうストーリー伝えていくかっていうのはやっていたので、そんな感じですごい頑張ってたんじゃないかなって。
すごい。
なんかそこで、勝手なことだけど、すごい大事な情報を持っているっていう状態がそこであったんだなと思って。
確かにね。
なんかさ、コーチングって個人情報の方向じゃないですか、ある意味プレッシャーに感じる方もいるんじゃないかなっていう気もしてて、喋りたくなっちゃったりとかさ。
でもそこでそういう言っちゃいけない情報を持ってる経験を。
もう先に持ってたんですね。
インサイダー情報すべて持ってるみたいな。
インサイダーがだから、インサイダーがどういうふうにトレースされるかみたいなのも、ちょっと証券会社さんから気をつけてくださいねって言われるので、トレースされますよって言っておくけど。
そうそうそう、まあそういうのもあったので。
なかなか人生でね。
若干26くらいでここにいましたので。
よくやってましたね。
よくやってましたよ。
気持ったまま座ってますね。
例えばその明日どうなるか見てるよみたいなのは、株買ったけど値段が下がっちゃったみたいな人とか。
とか自分が思ってるところに事業投資をしてないよね社長はとか、なんかその出されてる情報に対してどう思うか個人の自由じゃないですか。
なのでこう自分が何かでタイミングで損したとかあるじゃないですか。
なので、電話かかってくるってことはあんまりポジティブな電話はあんまりかかってくる。
でも私はPRの方もやってたので、雑誌社さんだったりとかそっちとか、あとは当初にちゃんとリリースを投げるとかね。
っていうのは結構やってましたね。
すごいね、20代後半でその環境やばくない?
株主のおっさんから人期待してるよって言われるんだよ。
嫌だね。
本当に今思えば本当によく任せてくれたなと思いますよ。
すごいよ。
上司がすごい。
それ任せられる人にしか任せられない役割だからやっぱりさやかさんがすごいよ。
でもチャンスはねいただいてたんだなって思いますよね。
面白い。
え、そこから?
そこから上場してしばらく経って社内の様子も結構変わって、上場に持ってったメンバーと上場後に入ってきた人材って結構違うって言うじゃないですか。
出たー。
あるある。
あるある。この番組でも何回か聞いたことある。
私もこの番組で聞いたことある。
あるあるでそれで、私もここで学べること、すごい生意気な言い方すると20代だったからね、許してください。
いいねいいね。
ここで学べることは結構学んだなっていう気持ちがあって、ニューヨーク行こうと思ってニューヨーク行った。
どういうこと?またどういうことだよ。
いやもうハートに従ってるんですよ。
どういうことをなんか欲しいよ。
どういうことを欲しいって3回言わないで。
そう、ニューヨークは10代の頃からずっと住んでみたくて、なんか今だなと思って、その時貯めてたお金全部使ってきましたね。
かっけーな。
かっけー。
なんで使っちゃったんだろうね。
でも、なんか本当にニューヨークに行こうと思って。
それ別になんかニューヨークの何かが目的とかじゃなくて、本当にニューヨークに行くこととか住むことがなんとなく目的?
そのときに東京の家も引き払ってたので、鹿児島から行ってフリーで広報の支援サービスをスタートしたんですけど、当時まだPRとか広報っていうのも全然日本ではスタンダードじゃなかったし、フリーランスもちょっと売れてるデザイナーさんとか建築デザイナーさんとかそれぐらいだったので、PRでフリーって何みたいな、両方分かんなくて分かんないのがかけ合わさったみたいな状態だったんですけど。
たしかに新しいですね。
今だとね、ノマドワーカーとかギグワーカーみたいになってるけど、当時は。
なにそれ、みたいな感じで。
しかもだから若干26、7でってことですよね。
そうです。6、7ぐらい。
すげーな。
頑張ったよね。
頑張ってる。
人材の育成だったりとか、広報の体制の構築だったり、あとは代行、こっちが代わってやったり、みたいなのもやって、いろんな会社さんやって。
すごい、いろんな会社さん見てるんですね。
会社さんそうだし、ベンチャー、行政、IT、いろいろやりました。
それでいろいろやってたときに、最初のピック候補PRのIRをやってたときのご縁で、ある会社案内作ってもらったんですけど、出版社さんに。
そこのメンバーが独立してたのは知ってたんだけど、うち行こないみたいな話があって。
私もフリーランスで30歳ぐらいになったときかな、誰からも怒られないなと思ったんですよ。
そりゃそうだ。
誰からも怒られないなって。これ30で誰からも怒られないっていいのかなって。
そこ気づくなって。
で、その出版社の社長さんが結構編集者としては素晴らしいなと思ってた人だったこともあり、その知恵を学びたいなと思って、その会社に一瞬入ったんですよ。司庫役員として。
けど、PRのお話が来るわけですよ。営業に行くと、出版系で。
だから、自分の持ってた案件もその会社でやったりとかもやりながらやってて、やっぱり自分のやつでやろうかなみたいな感じがあって、円満退社して自分で、今度はフリーランスも5年ぐらいやったしと思って会社にしてみたっていうのが個人設立かな。
会社にしてみた。
だから、あんまり組織を作ろうとか、会社だとこういうふうにお金もあるしとかじゃなくて、フリーランスもやったしみたいな感じで個人にしました。
いや、まだね、コーチングの欠片も出てきてない。
てか、やっぱ熱いね、過去が。
訳わかんないかもしんないね。
いやいやいや。
ここに勤めて、ここに勤めてコーチやりましたじゃないもんね。
なんか一時役割が重いしさ、一個一個の。
そうなのか。
そうかもしれない。
そうそう、ヘビーヘビー。
ヘビーか。
それで法人設立した頃、世界銀行さんが、世銀側の防災ハッカーソン、3.11があった後だったので、防災ハッカーソンを東大でやるよと。
で、そのハッカーソンのイベント側にいる人に、ちょっと来てよみたいな、テックの人ばっかりだったら話弾まないかもしれないから、手伝いに来て、あんま近いし行きますわって言って行ったら、防災のために技術を使ってどんな社会的なソリューションができるかっていう回なわけですよ、ハッカーソンで。
で、私3.11の時に非常に情報の伝達の効率の悪さに腹が立っていた。
で、日本PR協会の会長さんって東電の当時の会長が会長さんやってたんですけど、なのに東京の停電情報が英語でアナウンスされたのって、日本語の2日後とか次の日だったんですよ。
それに私はすごく憤りを感じていて、PR会社のPR協会の会長が何やってんねんみたいな感じで思ったりしていたので、
防災ハッカーソンの時に、災害の時に母国語同士でつながれるコミュニティを作るみたいな、それをアプリで解決するって言ってたベトナム人の方がいらっしゃって、でその人の声に手伝いに行ったはずが、いいねっつって、やるってなって一緒にやることにして。
そしたら、それハッカーソン3日間くらいあったのかな。2日か3日あって、次の日プレゼンしてくださいと。プロトタイプというか、画面見せてくださいみたいなので、急遽作ってですね、発表したらGoogleさんに賞もらって、そこから賞もらったので、次世界大会あります。
っていうので、一応世界トップ10チーム入りして、事業化しようってすごく頑張ったんですけど、1年くらい、いろんな年がかかったんですけど、やっぱりベンチャー、VCブームみたいなの、半年とか1年くらい前だったのかなっていうことも言い訳にしますけど、非日常で、非営利なアプリじゃないですか。防災なのでね。で、なかなか事業化に至らず、ここで挫折をしてるんですよね、スタートアップ。
ただ、これの事業化に至らないときに、社会企業について学びに行った先で出会った方が、国際コンサルの方で、今度ブラジルでプロジェクトがあって、PRについて、僕やらなきゃいけないんですけど、さゆかさん教えてくださいって言って、タイ料理食べながら話してて、いいなあ、ブラジル行きたいなあ。行きます?行きたい。じゃあ、ボスに話してみます。みたいな声がきっかけて、めくるめく。
さゆかさん ジャイカ発のPR専門家として、ジャイカ日本ブラジル国際協力EUSとリバースロジスティックプロジェクトっていう、家電リサイクル法案ですね。それがブラジルであるタイミングで、ちょっとそのパイロットプロジェクトで、どんな条例を作ればいいかっていうのを見るために、サンパウロシティでやりましょうっていうところの、サンパウロ市民向け広報をやるっていうので、ブラジルと行ったり来たりの仕事をしてました。
ブラジル行ったり来たりって、だって行くだけで丸一日とかでしょ。
さゆかさん そうそうそう、25時間くらいだよね。その、一回ではいけないから、どっかで必ずストップバイして、行かなきゃいけないけど、まあ往復で地球一周じゃないですか、まあ。
そうね。
マイルザクザク。
落とそう、落とそう。ステージ上がって、みたいな。知らなかったけど、その頃はそのマイル修行っていうことを知らなかったです。
さゆかさん すごいすごい。
なので、一番こう、行った海外はサンパウロなんですよね。実はニューヨークではなくて。
どれくらい行ったんですかね。
さゆかさん 計6ヶ月くらい、それでも測ってみたら、1ヶ月弱行って帰ってきて、2ヶ月行って帰ってきて、みたいなのを行ったり来たりで。
体力。
さゆかさん でも、それはあるかもしれないですね。全然大先輩方まだ、今アフリカに回すとか、今インドに回すとか、おっしゃってますけど、この会社の方。
で、帰ってきて、帰ってきて、もう40なるしと思って、会社員やろうと思って。
さゆかさん え、そこで会社員?
会社員?
さゆかさん そうそう、もう体力もアイデアもと思って、40なるしってフォロワーを持って就職活動をして、ある会社の、結構大きい会社さんの社長室候補、かつ新しい事業の候補って、結構な大役をいただいたんですが、
さゆかさん 使用期間3ヶ月でやめまして、やめたというか、やめさせられたというか、挫折したというか、私はずっとフリーでやってたんで、社内政治が一切できなかったんですよ。
そんなあったんだ、やっぱり。
やっぱり結構入ってすぐ、かでめなプロジェクトにアサインされて、そこにはずっとプロパーで頑張ってきた人たちもいるのに、急に年下の人がアサインされて、面白くないわけじゃないですか。
私もそんなのあんまり知らずに、のんきに、よし頑張るぞと思って仕事を頑張った。仕事はすごく楽しかったんですけど、仕事プラスその人間関係っていうのが、あんまり人間関係だから重きを置けなかったんですよ。置き方もわからなかったし。
いや、わかんないよ、大企業の。
そうなんですよ。そこで育ってないので、育ってないのでって言い訳かもしれないけど、本当に中学生みたいないじめというか、日に日におはようございますって言っても誰も挨拶してくれなくなったりとか、毎日泣きながら帰ってた。でも仕事は好きだったから、定日より1時間半前ぐらいに行って仕事してたりとか、結構ね、あの3ヶ月は、なんでこんなことが起こってるんだろうって思ってたけど。
今思えば、人間関係とか政治を本当に知らなかったんだなって思いますね。
仕事できる人が出世できない大企業、言っちゃったみたいな。
まずね、プロパー文化やばいよ、なめたら。
そうか、そうだね。
うちもそうやから、半分そうやから、うちは半分そうやから、もう本当に。
本当にそうです。
本編戻ろう。
それもそうです。
それはあって、それでも就職しようかなとか思ったりしてて。ある投資会社にご縁をいただいて、それを外部支援的にやってたんですけど、また外部支援的に、いろんな会社さんやらせていただいて、その一つでVCがあったんですけど、そこがある会社の創業社長さんが何百億っていうお金を持って、いろんな世界中、アジア中心に投資をやってるような会社で、
そこでやってたときに、この人のPRできないと思ったの。
なぜ?
PRってパブリッククリエーションスなんで、関係性なんですよね。なので、情報の提供だけではなくて、関係性を作るっていう感じなんだけど、多分、日本の企業の多くがそうだと思うんですけど、セールスマーケティング的な捉え方をしている。
うちのプラスになるためにどう情報を発信するかってところに留まってしまうと、私の好きなPRができないなみたいなこととか、あとは、とにかくすごく自分の内側にあることをそんなに話さない人なんだなみたいなのを、なんとなく自分のジャッジとして見えてきていて、これ主観ですよ。
そのときに、投資会社なんで、企業家の支援とかもたくさんやってたので、いろいろ人の内面の成長とかも勉強していて、そのときにコーチングって言葉に出会って、
やっと出てきたよ。 長かった。ごめんなさい。 いやでもね、盛りだくさん過ぎて面白かった。 それでコーチングを学び始めたんですよね、2019年に。それでこう、内側の、私でもテーマが、ライフワークのテーマがコミュニケーションなので、人と人がどう影響を与え合うかっていうところで、今までは外向けにどう情報を編集するか、どういうふうに情報で価値を作るか。
がテーマだったんですけど、ミッションが関わりによって可能性を開放するっていうふうになってきて、関わり、自分が自分にどう関わってるかっていうのが見えてくるのが、コーチングだなと思うので、そこにパートナーとしていればっていうようなイメージもあって、個人コーチングやり始めて、でも個人コーチングを提供していると、関係性にあるもので、個人では何ともならんというタイピングが出てきて、システムコーチングまでいく。
っていう感じです。
なるほど。PRからコーチングに移行する間っていうのは、もうコーチングするって決めたから、コーチング頑張って、コーチングできるようになったからPRさよならみたいな感じだったのか、その辺の移行みたいなのはあったんですか?
そうですね。コーチングも提供し始めて、最初はだからもう無料でやって、本当に友達だけ無料でやって、その後渡辺さんとか6000円ぐらいでやってた時だよね。
そうだっけ。いやいや、当時の俺でも払えるぐらい。
そうそうそう、それぐらいでやらせていただいた時は、もうPR全部やめてましたね。
なんかPRもPRで、とても私の心とリソースを使う、情熱を使うから、あとは一個あるのは、グッバイキレイにできたのは、ブラジル以上の仕事は日本では難しいって思って。
ブラジルすごく頑張れたので、向こうのPR会社素晴らしかったこともあるし、そこで出し切った感もちょっとあったので、売上げとか収入の面の心配あったけど、全フリしましたね。
売上げとか生活の不安はあったけど、パツッといったっていうのが。
そうですね、パツッといってるとパツッとすっきりしてる人に見えるけど、不安よ毎日。家賃、家賃って思ってましたよ。
やっぱそれはありつつも、でもやりたいことはこっちみたいな。
もうやるって決めて、こっちに行くって決めたんだから、こっちっていう感じですね。
うん、すごいな。やっぱなんか肝っ玉座ってますよね。
そうだね、ハートに従ってますからね。
単力すげえだって思う。
いやいやいや、必死よ。
必死。
必死というか、まあまあでも、やりたくなったからね、やってました。
すごい。
私の勝手な感想なんですけど、単力あるなって思ったっていう、肝っ座ってる感というか。
でもそういうのって、ご自身だと培われてきた感覚あるのか、それともいや別に元からそうでしたのか、いやなんかあんまりそういうことを考えたことなかったでしたのか。
なんかすごい、さっきもなんか振り返ってみるとすごいみたいなお話もしてましたけど、どうなんですかね。
なんかでも振り返ると、いろんな人に助けてもらってきてのキャリアだったなあと思うんですよね。
なんか自分で探して就職してっていうの、この40の時の3ヶ月で辞めたとこぐらいで、今言いながらそっかって思ってるけど。
実際にその広告台に入ってからのPR、IRもなんか魚釣りされた感じだし、そっからね、博士を手伝いに来て、それ勝手にやっちゃったし、それの流れでこう、その出会いでブラジルのチャンスをいただいたし、みたいな。
なんかこう、いろんな人をどんぶらこっこして、来た感じですよね。
わらしべ長者的なキャリアだったんじゃないですかね。自分が作ろうと思ってブラジル行けたわけじゃないし。
そうですよね。なかなかそんなブラジルの面白いことをね。
取りに行こうってなかなかできないだろうけど。
本当にありがたいですね。ありがたい出会いばかりでしたね。
今振り返ったら繋がるみたいなのあるかもしれないですね。
そうですね。
コネクティング・ザ・ドッツみたいな。
確かに。さっき話しながら、政治ができなかった自分がシステムコーチ、関係性のコーチングをしてるっていうのが、さっきコネクティング・ザ・ドッツしたよね。
そう、そこがあったんじゃないのってなるかもしれない。
そう、気づいてなかった。
そういうことか。
面白い。
今ここで気づきました。
あれ、ここか、みたいな。
苦手なんですよ。できないし、難しいよ。空気感とかそういうやつじゃんだって、なんていうか。
私たぶん、性格もあれじゃないですか。
わかる。
あ、わかるんだ。
ぼっちみたいな。
メンタルモデルの話。
あとなんか、目的に向かって邁進するタイプなんだろうなと思って。
あの、政治する人たちって目的じゃないじゃないですか。
ああ、そうですね。
それもまあ、ある種のその場にちゃんといるっていう目的あると思うんですよね。
そうそうそう。
だけど目的がたぶんちょっと違って。
違う。自分がやりたくて、ビジネスのために、その事業のためにどうするみたいな、それ以外やんなくてよくね、みたいな風に思うけど、一方で、いやいやいや。
僕がどういう風に振る舞うかとか、その振る舞いとか。
誰々さんとの距離感、温度感みたいな。
わかんない。
でしょ。
はーって思っちゃう。
はーって思っちゃうでしょ。あ、ここカット。
それも大事なんですけどね。
そう、大事なんだけど、いつまでやってんの?って思っちゃうわ。
そう、いや、潰れるよ、会社って。
そうそう。
そうですね。いやだから、そういうのをいつまでやってんの?とか、それつまんないなとか、そこが本題じゃないじゃんっていう声も、ちゃんとそのシステムっていうか関係性出せたら。
そうだね。
多分こう変わっていくかもしれないんだけど。
そうだね。
出せないっていう、なんかこう、圧があったりするからだと思うんだけど、システムコーチングではだから、全部を知恵として使うみたいなものを作っていくので。
いいねー。
すべてを武器にしている。
今気づきましたよー。
関係全てを武器にしている。
はい、ちょっとね、まだ聞きたい話がいっぱいありますが。
よかったのかな。めっちゃよかったと思う。
過去編は以上となります。