運動会の変化と体験
先週末に、子供の小学校最後の運動会があって、見に行ってきたんですけど、
うちの小学校は、コロナ以降、運動会とか音楽会とか、年間の一大イベントのネーミングが変わって、
運動会はスポーツフェスティバル、音楽会はミュージックフェスティバルっていうのに変わっちゃって、
名前だけが変わったっていうわけじゃなくて、内容もすごい短縮されて、
音楽会なんかは、2日に分かれてね、学年ごとに組み合わせされて、分散されるっていうことになっています。
今もなっていますっていう感じです。
もうコロナが終わっちゃったのにね。
周りの小学校では運動会とか音楽会とかになっているというか、変わってきたと思うんですけど、
うちの小学校はずっとフェスティバルのままっていう現状です。
スポーツフェスティバルも行ってきて、すごい戦争を感じましたよ。
リレーとかもあったんですよね。
あって、100メートル走なんですけど、運動場一周ね。
6年生やってたんですけど、男性5クラスあるんで、見るのも大変というか、
息子の順番を待っているだけで長いっていう感じなんですよね。
でもその時間も6年間いるから、知ってる子も数名いるし、待ってる間も見てるんですよ。
見てるって楽しんでるんですけど、うちの息子はスポーツは何もしてないんですけど、
リレーっていうか足がめちゃくちゃ速いんですよ。
足がめちゃくちゃ速くて、この間体育の授業か何かで100メートル走を測るっていうので、
何秒やった?14秒?14秒って速いのかな?ちょっとわかんないですけど、
なんか速い方やったみたいで、先生にすごい速いって言ってめちゃくちゃ褒めてもらったんですけど、
私そういう運動関連に疎くて、それが速いんかっていうのがあんまりわかんなくて、
反応がちょっと薄いって言われたんですよね、子供に。
だけど速いらしいんですよ、うちの小学校の中では。
安価ではなかったけど、最初に引き離していく担当やねんっていうので、最初の方に走ってて。
やっぱりすごい速かったんですよ。運動会って速いとちょっと注目浴びるじゃないですか。
だから他の親御さんから速いねって言ってもらったりとか、
いろいろちょっと声かけてもらったりしながら、かっこよかったなって思ってたんですね。
で、そのスポーツフェスティバルが終わって、2、3日してから息子が1枚の写真をもらってきたんですよね。
それも見ると、すごいかっこいいショットっていうか、親も撮れないようなすごいいいショット。
本当にリレーのカーブを曲がる瞬間の足も空中に浮いているみたいな。
飛んでんの?みたいな感じの写真を撮ってくれてた人がいたんですよ。
で、これ誰にもらったんって言ったら、うちの小学校の前に小さな道路があって、
そこで交通の整備してくれてるPTAじゃないな、あれは。
おじいちゃんおばあちゃんがいてはって、ご夫婦でされてるんですけど、その方からもらったって言って、写真をもらってきたんですね。
で、こんないいショットってなかなか親でも撮られへんし、こんな6年生5クラスあるんですけど、
一枚一枚撮ってて渡してるってこと?ってなって、すごすぎひん?ってなって。
愛情と成長の理解
で、もらいっぱなしやと、私がご挨拶というかお礼を言いたかったんで、朝にいはるっていうのを聞いたから、
さっきね、一緒に小学校まで行って、写真のお礼というかありがとうございますっていう風に伝えて、今戻ってきたんですよ。
そしたら、そのおじいちゃんは、うちの息子のことを小1?小さい時から知ってるって言ってて、
公園でよくお父さんと遊んでて、そこで面識があったみたいなんですね。
で、私は公園とか行ったんですけど、公園を担当してなくて、子供を連れて行くっていうのをあんまりしてなかったんですね。
私はちょっと存じ上げてなかったんですけど、そういう面識があって、すごい親しみを持ってくれてて、
だから卒業するの寂しいわみたいな感じで言ってくれたんですよ。
本当にありがたい話なんですけど、うちの息子だけじゃなくて、結構ほとんど戻ってて、今登校してる子に顔がわかる子は渡してるっていう感じで、
なんかすごいなぁと思って、多分自分のお孫さんとかも小学校に居合ったんやろうけど、
人の子供にそんなに愛情というかを注げるって、なんか私にはちょっとできひんというか、まだそこまで心が超越できてないので、
できひんなぁと思って、でもなんかありがたいなぁと思ったんですよね、その一枚の写真から。
で、なんかそういうふうに息子がね、全然私が知らないところで、愛情っていうか、愛情をもらって帰ってくるっていうのはすごい良いことやなって思うんですよね。
で、小学校入る前とか思い返してみたら、私は結構一人っ子っていうのもあって、二人目も作らないって私は思っていたんで、
なんか一人っ子がゆえ、結構独占欲が私、過去ね、すごい強かったんかなぁって思い返してて、
自分が一番近くにいるんですけど、離れることとかもあると、ちょっと奪われたかみたいな、
奪ってないんですよ、奪ってないんやけど、なんかちょっと自分の心がそう思っちゃうみたいなところがあったりとか、
自分だけが子供のことを一番よくわかっているって思いたいみたいなところがあったりとか、
それって私が産んでるから、そういうのってちょっと自然なことっていうか、それって本能に近いんかなって思うんですけど、
その時はそういう自分に全然気づけてなくて、私もそこからいろいろ子育てとか夫婦関係とかで壁にぶち当たったりして、
自分も変わらないとダメやなとか、いろいろ悩みに悩んでそう思えるっていう感じなんですけど、
今はもう本当に愛情って言っても一つとは限らないじゃないですか、その関わりの一分、その愛情って一分だけあるんかなって思うし、
例えば友達とか先生とか、そういう写真をもらったりして、他の大人に見守られたりとか、
そういうふうに子供自身の世界を広げていってほしいなって、それを私が近くで見て純粋に良かったねって思える関係に、
私に今は少しずつ近づいてるなって、ちょっと変わったなっていうふうに思いました、写真の件でね、いろいろ思い返してみて。
でも、やっぱり子育てって親が注げる愛が一番最初であって、
それがやっぱり子供の中でも私とかお父さんが注ぐ愛情が最初だから、安心とか信頼とかの土台、ベースになって、
その上に学校とかで友達とか先生とか、その今日みたいな地域の人、愛情を注いでくれて、それがいろいろ層になって、
子供の成長につながるんじゃないかなって、今はそうやってちょっと冷静になって思えるようになっているっていう感じですかね。
子育てってすごい難しい部分があるから何とも言えないんですけど、でもやっぱり愛情って何に関しても大事だと思うし、
それに私は少しでも気づけたっていうのは自分の中でも大きいし、それを全部丸ごと受け入れることができたら、
それって結局子供だけのことに限らず、自分自身を受け入れるってことにも少しずつつながっているんじゃないかなって、
写真のお礼を言いに行って感じたことでした。
なので結構愛情はいろんな愛情があって深いなっていう話を今日は残しました。
もしここまで聞いてくれた方いたらありがとうございます。
お家が一番の知恵でした。ではまたです。
