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心は求め続けるもの、渇き続けるもの。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。何か、あれですかね、不満があるんですかね。
これね、あの、草薙隆春って方の、仏教の僧侶の方が、本でね、言ってた。
へー。
なんか、心ってさ、常に何か求めるようなものなんだってさ、そもそもが。
あー。
まあ、もともとその仏陀の考えらしくて、確かになって思っちゃって。
まあ、でもそうだよね。だって生きるっていうことは、常に何かを欲してなくちゃいけないわけじゃん。
うん。
なんか、もういいやってなった時は、たぶん死ぬ時じゃん、きっと。だから、食べたいとかさ、そういうのがなくなるってことだろうから。
ね。なんか満足するってことは、そもそもがないのかもしんないね。
なんか、深い話だね、それ。
そうそうそう。聞いてたら、なんかそうだなーって思って。
うん。
まあ、ということで、今回永丸はどんな求め続けるものをテーマとして選んでくれたのか、楽しみです。
はい。なんか、毎回この類の振りがあるんですけど、なかなか期待に応えるのは難しいなっていうふうに思ってるね。
今日のテーマは、柴五郎さんについてやりたいと思います。
へー。知らない。なんだ、その人は。
早速、内容の方入っていきたいと思います。
お願いします。
柴五郎さん。柴五郎さんとか、なんかすごいさ、なれなれしく呼んでるけど、この人すごい人で。
まず、なんでこの人を取り上げたかっていうと、うちらの大人の近代史の扱っている時代をまさに生きた人なんだよ。
あー、そうなんだ。
この人、1860年生まれで、1945年に亡くなってるの。
はいはい。
85歳で亡くなってるんだけど、要は俺らがこの大人の近代史で扱っている、もう本当に時代をちょうど生きた人。
あー、サダヤッコみたいな。
懐かしいな、サダヤッコ。
まあ本当に、そう。まず、あの俺らのそのテーマの時代を生きたっていうところで、人物扱うとしてはすごいふさわしいなと思ったのと。
はいはい。
あとこの人ね、合図班の生まれなんだよ。
あーそうなんだ。
だからさ、合図班って母親戦争で負けてさ、結構境遇悪い中、この人って出世していって、最高峰のところまで行くんだよね。
だからやっぱりちょっとそのバイタリティというかさ、その素子さっていうところもちょっと取り上げたいなっていうところで、今回ちょっとテーマとして選んだっていう次第ですね。
お願いします。
はい。
まあちょっと冒頭で軽く説明しちゃったけれども、この人、合図班出身なんで、母親戦争を経験してるんだよね。
1860年生まれだから、母親戦争って1868年じゃん。
はいはい。
8歳の時なんだよね、経験してるのが。
うんうん。
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8歳って言うとさ、記憶もぶっちゃけ裸なのかなっていうぐらいのレベルだと思うんだけれども。
はい。
ただ、すごいやっぱさ、母親戦争時ってさ、その合図班の人たちって結構ひどい目にあってんのよ、やっぱ。
うん。
この柴吾朗さんに関して言えば、この人もともと武家の生まれだから、藩士の生まれだから、父親とかはもちろん城守りに行ったりとかしてるような人なわけよ。
はいはい。
で、まだ8歳だからもちろん自分は戦えないじゃん。
うん。
だから母親戦争時は家にいたんだけど、あの城下町にね。でもさ、もういよいよ城下町に殺虫連合軍が攻めてくるっていう感じになって、
その時に母親になんとか血筋を絶やさないためにっていうんで、まあ別宅があったんだけど、別宅にこうとりあえず逃がしてもらった。
はいはい。
で、自分の家族はって言うと、もうそこで足手まといにならないためにみんな自決すんの、その一家は。
わあ、そうなの。
そう。まあ正確に言うと女性人がみんな足手まといになるからって言うんで、もう戦わないで自決して。まあだからお母さんとかおばあちゃんとか妹とか。
ああ、そういう人ってやっぱ多かったんかね。
多分多かったんだと思う。特に合図藩とかさ、百戸隊とか有名じゃんやっぱ。
うんうん。
なんかやっぱそういう文化って言ったらちょっと言葉悪いんだけど、もうほんとそういう感じなんだろうね。
うんうん。
恥をしのんでみたいな感じではなく、もう潔く死にましょうみたいな。
はいはい。
そうそう。で、まあ本当に家族の中の女性人っていうのはそれで自決して死んじゃうのよ。
うん。
自分の男兄弟は生き残るのよね、最終的には。
うん。
で、生き残るんだけどさ、結局合図藩って負けちゃうじゃん。で、城も取られちゃうし、敵が焼かれちゃうし。
うんうん。
そう。で、もう合図藩に住めなくなっちゃうのよ。
ああ、はいはいはい。
あの藩士って結構こう礼遇されたというか、合図藩の人たちって。
うん。
やっぱ抵抗したわけじゃん、最後まで。
そうだね。
そうそう。だからあの許してもらえなくて、まあ簡単に言うと、要はちょっと飛ばされたんだよね。お待ちいけっつって。で、飛ばされたところがこの人たち、青森なんだよ、ちなみに。
ああ、そうなんだ。
そう。で、当時、まあ今もそんなさ、青森ってこう栄えてるイメージないと思うけど、当時もっとひどかったわけよ、当たり前だけど。
ああ、はいはい。
土地は痩せてるし、寒冷だし、住むのにはものすごく条件が悪いところに飛ばされたっていう感じか。
うんうん。
で、まあそういう冬の厳しさとかに耐えながら、なんとか生き残ってやるって。本当にさ、当時ってさ、もう冬寒くって死んじゃうとかそういうレベルの話だから。
はいはい。
で、でもなんとか生き残ってやるっていうちょっとハングリー精神っていうのはそこでこう身についていくんだよね。
うん。
で、この人のさ、あの、ヒストリーってこれ一個一個追ってきちゃうとさ、多分もう時間がいくらあっても足んないから、ダイジェスト的にポンポンやってきたいんだけど。
うん。
とにかく、この幼年期で言いたかったことは、あの、アイズハンの生まれで母親戦争を経験した。で、母親戦争もちろん負けてるから、それなりにやっぱりひどい目にあってきたっていうところがこうちょっと抑えられてればいいかな。
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うん。
で、やっぱりなんかそういうところもあって、ハングリー精神身につくし、ちょっと心を持ちとしては強くなってったのよ、どんどん。
はいはい。
だから、軍人になろうって思うようになって、1873年に陸軍学校に入学するんだよね。
あー、そうなんだ。
で、そこからも軍人の道を歩み出すっていう感じ。
うん。
だから、生まれついての軍人みたいな感じだよね、なんかもう本当に。
うんうん。
で、1873年に入学して、で、1881年に正式に部隊に所属になって、晴れて軍人になるんだよね。
うん。
で、そこからこの人ってやっぱどんどんどんどん頭角を表していくのよ。能力がすごい高い人だったから。
へー。
そう。で、なんかね、中国語を勉強してたのかな。で、中国に行くことになるんだよね。
うん。
それが1884年か。北京に駐在することになって、そこでとにかくどんどんどんどん出世していくのよ。
うん。
やっぱ中国語喋れるしさ、なんだかんだ頭も切れるしさ、結構能力の高い人だからどんどんどんどん出世していくわけ。
うん。
で、1894年にはもう少佐にまでなるんだよ。少佐って結構すごいじゃん。もう陸軍少佐、すごいよね。
うん。
で、1894年って言うとあの戦争ですよ、やっぱり。
うん。
日清戦争。で、ここで日清戦争にも参加するのよ。で、まあただ、あのもう少佐だから、もうなんつーの、前線に行って戦うとかではなくて、参謀的な感じであの参戦はするわけよ。
あーそうなんだ。
そうそう。武力で強いっていう感じの人っていうよりはこの人はどっちかっていうと地略系なのよ。
はい。
頭使って情報宣伝みたいなそういう感じのところがある人だから、それだからこうちょっとトップにこう立っていくような人っていう感じなんだよね。指導的立場。
うん。
で、日清戦争にもこう参加してやっぱり功績をこう得て、そういったところでどんどんどんどんこうやっぱ軍の中での評価っていうのが上がっていくわけ。で、その後ちょっと一旦アメリカに行ったりするんだけれども、結局また最終的に中国にまた戻ってくるわけよ。
うん。
で、それが1899年で、その時にはもう陸軍中参にまでなる。中参。
へー。
だからもう順調に進休してるわけよ。
はいはい。
で、1899年って言うとあれがあるんですよ、中国。義和団事件。
あー、はいはいはい。
で、正確に言うと1900年にこの人、新国の公使館に着任になるのよ。
うん。
公使館ってもちろん北京にあるから、義和団のランっていうのが北京に来た時だったのよ。
うん。
で、着任後すぐもう義和団に包囲されるんだよね、大使館。
あーそうなんだ。
そうそう。もうたまったもんじゃないと思うけどね。着任早々みたいな。
はいはい。
で、義和団の暴徒たちがさ、別に日本だけじゃない、各国の大使館を取り囲んでさ、中にはやっぱ殺されちゃった人もいるわけよ。
うん。
その暴徒たちに。で、そんな中、とにかくここを支出しようっていうことで、他国の、当時ね、11カ国ぐらい大使館っていうか、各国の駐在所みたいなのがあったらしいんだけれども、そことを連携して、約60日間、牢状船を指揮するんだよね、この人。
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えーそうなんだ。
柴五郎さんが指揮するのよ。まあ指揮するっていうか、正確に言うと指揮官は別にいたんだけれども、ただ、もう実質的指揮官は柴五郎さんだったって言われるのよ。
うん。
で、なんでかっていうと、これは理由が2つあって、1つは、あのこの人、義和団に囲まれるっていう時に、急いで地理をもう調べ尽くしたのよ、周辺の。
うん。
だから、まず地理が分かってるっていうのがすごくでかかったんだ。
はいはい。
地理にさ、例えばさ、ググったらさ、地図が出てくるとかじゃないじゃん。
うん。
だから、やっぱり地図を頭に暗記してるっていうのは、やっぱ強みになるわけよ。軍を動かす上では。
うん。
で、もう1つは、この人、やっぱり情報戦に長けてるから、情報も自分の中で持ってたのよ。
うん。
まあなんか、いわゆる患者だよね。スパイとかそういうのを放って、情報をどんどんどんどん仕入れていくみたいな。
うんうん。
そういうところで、地理を知っていた情報も持っていたっていうところで、実質的指揮官として、この人が60日間戦い続けるんだよね。
で、結果的に守りきるわけよ。
守りきったんだ。
そうそう。義和団事件ってさ、ほらその後結局日本とかさ、ロシアとかが破壊してさ、大使館助けるわけよ。
うん。
で、そこで60日間なんとか耐えて、解放されるっていう。
うん。
で、やっぱりここでの功績っていうのがすごく評価されて、各国から。
はい。
で、特にイギリスね。イギリスは当時女王、ヴィクトリア女王なんだけども、ヴィクトリア女王がもう本当にありがとうございますっていう感じで、勲章を授与するぐらいなんだ。
へー。
そう。で、もちろんさ、そんなさ、当時さ、新興国、新興国っていうかもう、日清戦争には勝ったけどさ、もう全然さ、列強と肩を並べるような国ではなかったわけじゃん、日本っていうのは。
うん。
で、そんな国のさ、一軍人がさ、勲章を得れるぐらいまでになったっていうところで、やっぱりさ、国際的な地位が上がるんだよね。
まあ、その柴五郎さんの名声があっての、っていうのもあるんだけど、日本っていう国としての名声を上げたっていう。
うんうん。
そう。ところで、イギリスから日本に対する信頼っていうのがめちゃめちゃ上がるんだよね。やっぱりこの義和団を通して。
はい。
それで、まあ、柴五郎さんなんかが結局こう、率先的にイギリスと同盟を結んだ方がいいっていう形で、結構こう、裏で動いてくれたりしたっていうのも諸説あるんだけれども、いろいろ。
それで、1902年の日英同盟に繋がったなんて、とも言われてるんだよね。
うーん。
そう。だからまあ、日英同盟って、この柴五郎さんがもしいなかったら、もしかしたら結ばれなかったかもしれないとも言われてるぐらい、結構この人の功績ってでかいんだよ。
へー、そうなんだ。
そう。だからイギリスからしたらさ、日本と同盟を結ぶメリットがなかったら結ばないわけじゃん。当時、イギリスってもう世界一位の国なわけだからさ。
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うん。
でもやっぱり日本と結んだ方がいいって思わせるところが、やっぱりこういう義和団事件を通してだったりとか、柴五郎さんっていう人物を通してっていうところもあったし、もちろん最終的には国と国のメリットで結んでるんだけれども。
うん。
だからさ、やっぱりただメリットがあるだけでも、メリットが薄かったらそんなにさ、でっかい同盟結ぼうって思わないわけじゃん。
うーん、そうだね。
そうそう、やっぱりそういうところでこの人結構功績があったって言われてるんだよね。
うん。
まあここからはもうあとはもう結構ダイジェスト的に終わってくるんだけど、実はこの人。その後1904年日露戦争、これももちろん参戦するのよ。
はい。
で、この時はもう実は陸軍大佐になるんだよね。
へー、大佐。
うん。もう大出世だよね。
うん。
まあ日露戦争も終わって、でその後第一次世界大戦あるじゃん。
まあ第一次世界大戦って日本ってさ、直接的に参戦はしてないからさ、まあそこはあの特にこうこの人何かこう大活躍したっていうのはないんだけれども、
ただやっぱり軍人としてやっぱりそこは経験してるわけよ。第一次世界大戦っていうもの自体はさ、あの自分は戦いに行かなくても経験をするわけじゃん。
はい。
で、最終的に第一次世界大戦が終わった1919年にこの人最終階級陸軍大将なんだよ。
うん。
最高階級じゃん陸軍大将って。
そうだね。
1919年に陸軍大将になるんだよね。
うーん。
これはなんていうの、当時さ、あり得ないことなんだよね実は。
あーそうなの。
そう、なんでかっていうと、この辺は小片郎も多分どっかで言ってた気がするんだけれども、当時ってさ、明治維新ってさ、新政府軍っていうのはさ、基本薩長だったわけじゃん。
あーはいはいはい。
で、新政府を作ったのは薩長だから養殖を抑えてたのは薩長なんだよ。薩長とか薩長に味方した土佐だったりとかさ、まあいろいろあるじゃん。
うん。
で、反新政府軍だった人たちっていうのは結構礼遇されたのよ、やっぱり。
あーはい。
で、藍津藩じゃん、出身。諸田じゃん。
そうだね。
そう、だからあり得なかったの、本当に普通に考えたらこの人が出世するなんていうこと。
うんうん。
でも、やっぱりハングリー戦神と、もう単純に能力の高さ。
へー。
この2つで最高位まで登り詰めたっていう人なんだよね。
あーそうなんだ。
陸軍大将だからね。
うーん。
そう、だからやっぱりそこがすごいなっていうところなんだよね。
この人取り上げた理由として、俺さ、あのー義和団をさ、放送してるじゃん。
うん。
で、その時にこの人の名前もちろん調べりゃすぐ出てくるから知ってたんだけど、なんかちょっとこの人取っておきたいなと思って、一切喋んなかったんだけど。
うーん。
でも、やっぱりさ、活躍してるだけあって、日本っていうのもさ、そんな合図だからこう礼遇しようっていう風にはならなかったんだよね。
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あーはいはい。
やっぱりそこが能力主義になってたんだろうね、最終的に。
っていうのが、あーなんか当時って派閥とかあったんだろうけど、最終的には能力とかそういう人となりで見るんだなっていうのをなんかちょっとそこで感じたっていうところかな。
はい。
で、最終的にこの人1930年まで軍人として志役行って言えばいいのかな、するんだけれども、で、最終的に1930年で退役。
まあ軍隊からはこう身を退くんだよね。
はいはい。
で、この人ね、この後もすごいんだよ。
えーそうなんだ。
そう。で、最後さ、この人亡くなったの1945年じゃん。
うん。
戦争で亡くなったって思うじゃん、1945年って。
あーまあでもかなり年だよね、その時。
ちなみに1945年の時って85歳。
そうだよね。
そうそう。で、この人は戦争で死んだんじゃないんだよ。
そうなの?
太平洋戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争っていうのを終えて終戦のラジオ聞くじゃん。
うん。
で、新編整理するんだよ、そこで。
はいはい。
で、そこから1ヶ月後に自決するんだよ。
あー、そうなんだ。
でもね、85歳じゃん。
はいはい。
やっぱ力もないし、手もこう多分震えちゃうとかそういうんで滑っちゃって、お腹に刃は刺せたんだけどそこから動かせなかったらしくて。
うん。
そう。だから要は死に底になっちゃうんだよね、簡単に言うと。
はいはい。
たださ、やっぱりお腹にこう刃刺してるからさ、大怪我なわけじゃん。
うん。
そう。で、大怪我なんだけれども死ねなくって、でもやっぱり年が年だから、もうその怪我が元で最終的に病気にかかって死んじゃうのよ。
あー、そうなんだ。
そう。だからなんかすごいこう、なんて言えばいいんだろうな、もう超無念なんだろうなっていう。
あー、そういう感覚なのか。
うん。死にたくって死のうとしたけど死ねなくて、ただその怪我が元で超苦しんで死んでっちゃうからね、最終的に。
うん。
85歳で。で、まぁこんな感じの一生を終えたっていう感じの人なんだよね。
うん。
でさ、まぁ最後の部分だけどさ、85歳じゃん。
そうだね。
で、これ俺らの感覚にないよね。
いや、もちろんないね。
85歳ってさ、もう当時のさ、寿命で言ったらさ、もうすでに平均寿命を超えてるしさ、もうなんか明日死んでもおかしくないっていうレベルの話じゃん、きっと。
うん。
でもやっぱり自決して恥をしのんで生きるよりはみたいなさ、感じなんだろうね。
あー、そうだね。
そう、結局さ、あの幼少期にさ、自分の母親とかさ、祖母とかがさ、自決してんじゃん、あいつ犯で。
あー、そうだよね。
なんかそういうところがすごい思い強いのかなっていうさ。
あー、確かにそこ重なるよね。
そうそう、母親戦争は負けたわけじゃん、あいつ犯だったから。
うん。
で、この人もう一回負けたっていうのは実はこの二次大戦なんだよね。
はいはい。
日本ってさ、ずっと負けてなかったじゃん、それまで。
うん。
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まぁこの人で言ったらさ、日清戦争は勝った、義和団も沈めた、日露戦争を勝った、一次大戦勝った、みたいな感じでさ、勝ってんのよ。
はいはい。
で、やっぱり負けた?最終的に自分は軍人としては参加してないけど負けたっていうところで決心したっていうところがあるのかね、やっぱり。
あー、そうなんだね。
そう。これがやっぱり俺らに今ない感覚なんだよね。
うん。
まぁ、というわけでちょっともうダイジェスト的に柴五郎さんちょっと扱ってみたんだけれども。
はい。
小片あろう的にどうかな、この柴五郎さんっていう人の人生。
全然この人知らなかった。
うん。あのね、調べればすぐ出てくるくらい有名ではある。
へー、そうなんだ。なんかやっぱこの当時その名を挙げるというか、やっぱ軍人っていう道が今じゃ考えられないじゃん。
まぁ今はほらさ、シビリアンコントロールでさ、もう軍人がさ、政治家にはなれないわけじゃん。
うん。
まぁ軍人というか、もう軍人はさ、結局自衛隊のさ、あの一番トップになる以外はないわけじゃん。
そうだよね。
軍人としては。防衛省が結局はコントロールしてるけど自衛隊っていうのは。
うん。
でもさ、防衛省はシビリアンコントロールだから軍人はなれないわけじゃん。
うん。
そこがすごいなんか難しいところっていうかさ、軍人としてはさ、結局さ、自衛隊のトップにまでしかなれないわけ。
あー、はいはい。
っていうところでさ、なんか当時とやっぱり違うんだよね。
そうだよね。
うん。だってほら、例えば東条秀樹とかも陸軍大将だったじゃん、確か。
うん。
総理大臣になってんじゃん。そういうのがもう絶対できないわけじゃん、今は。
確かに過去のね、そういう苦い経験もあるし。なんかやっぱ最後の死に方もそうだけど、ちょっと乃木稀助も連想するような、同じ軍人として。
まあ年齢も近いんじゃないかな、多分。そんなに離れてないはずで。
あー、確かに。やっぱ最終的にはちょっと今の価値観とは分からない部分もあるような。だけどすごい、本当に合図班出身で、ここまで出世するってことは相当能力が高かったんだろうなっていうのを感じる人だね。
うん。ね、取り上げててやっぱりさ、よくほんと出世したよなって思うもん。
うん。
だって結局さ、今ですらさ、結構その薩長派閥って残ってるわけじゃん。政治家ね。
はい。
一番有名なところで言うと安倍さんとかさ、山口健じゃん。
そうだね。
だからやっぱ残ってんだよね。結構、なんつーの、二世三世とかっていう政治家ってさ、調べてみるとさ、あーなるほどねーみたいなさ、有名な話だけど、阿蘇さんとか大久保利道の子孫じゃん。
うん。
とかそんな感じでさ、あーやっぱりねーみたいなのはやっぱあるじゃん。
確かに。
ね。今だって残ってるレベルの話なのに、その当時じゃん。当時だから絶対もっとあったわけよ。
うん。
あーどこ出身ですか、愛図です。あーちょっとダメですねーみたいなさ。
うん。
あの、なんだ、学歴フィルターじゃねえけどさ。
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そうだね。
出身地フィルターみたいなのは絶対あったんだよ。
うん。
ね、そんな中やっぱり陸軍大将まで登り詰めたっていうのは本当に相当な能力だった。まあ能力もそうだし努力もそうだしってところなのかなっていう。
うーん、ありがとう。
うん。
じゃあということで、今回は柴吾朗さんについてでした。
はい。
まあということで、もしよかったらフォローだったり、評価をポチッとしてくれたら嬉しいです。
はい。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
はい、ありがとうございました。