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スピーカー 2
なるほど。そうやって繋がってくるのか。
スピーカー 1
そう。で、今日はその日本人の中村哲っていう人をやりたいと思います。
スピーカー 2
あー、なんか、そしたらもう結構最近の話だね。
スピーカー 1
そうだね。最近っちゃ最近だね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この中村哲っていう人はもうね、多分ね、普通に知ってる人多いと思う。あの、ニュースでもめちゃめちゃ出てたし、知ってる人多いと思うんだけれども、
ただ、実際じゃあどんな活動をやってきたかって細かく知ってる人ってあんまりいないと思うんで、
ちょっと今日はね、その中村哲さんがアフガニスタンのこの間伐被害っていうのを救ったっていうところに特に焦点を当ててやっていきたいなと思います。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、中村哲なんだけれども、1946年に福岡県に生まれて、で、小さい頃は虫の観察が好きだったっていうような、なんかそんな感じの少年だったらしいんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、虫の観察が好きっていうのが結局さ、こういろんなもの、虫眼鏡でさ、なんか虫をこうすごい観察してさ、ここはこうなってんのかとかさ、そういうのが好きだったらしいんだけれども、とにかく観察するっていうのがすごくここで身についたらしいよね。習慣として。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、あとこの中村哲さんのその祖母、おばあちゃんなんだけれどもがすごい厳しい人だったらしくって、この祖母が弱いものは進んでかばうことを徹底して教えてたらしいのよ。
うん。
この祖母の言葉っていうのがすごい将来の活動へつながっていくことになるとも言われてたんだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、この中村哲さんの住んでいた地域っていうのは、医療過疎の問題が起きつつあったところなんだよ。
うん。
若い時だよ。で、人のためになることをしたいって思ってたから、哲さん本人は。で、医者を目指すことになるんだよ。
うん。
で、見事医者にはなる。頭はすごい良い人だったから、医者にもなれたんだよ。なれたんだけれども、ただ当時の医療業界、今もちょっとそういう考えあるかもしれないけれども、とにかく長生きをさせることが大事っていう考えだったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
今ってさ、ちょっとそこのイメージは変わってきてるじゃん。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
うん。なんかそれよりも本人の意思がとかさ、まださ日本って安楽死とかそっちの方にまで行ってないけどさ、どちらかというとこう本人の意思で、例えば延命治療を続けるかとかさ、ガンなんかといってもさ、積極的にガンの治療をやっていくかとかそういうところは結構患者マターになってきてるじゃん。患者が決められるというか。
うん。
当時っていうのはもう医者がとにかく1秒でも長く生きさせるっていうところが大事になっていて、だから例えば呼吸がもうできなくなってしまった患者は人工呼吸器をぶつけてもう1秒でも長く息をさせるみたいなそんな感じの医療の流れ、大枠としてはそんな感じになってたんだよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
これに対して中村哲さんは医療は壊れた道具をただ修復するような、ただそれだけであってはいけないんだ、どう生きるかについて深く考えるっていうことをすごく考えるようになったんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからやっぱりそういう人を見てきて、こんな人生でいいのかなとかそういうイメージで生きることについてっていうのはすごく考えるようになったらしいのね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
そんな中、海外登山隊に同行する医師を募集しているっていう話を聞いて喜んでその仕事を引き受けることにしたんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ちなみに元々なんだけれどもこの人海外とかの渡航経験もあったからそういったところに行きたいっていうのはあったらしいのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この海外登山隊の医師として派遣されたのがヒンドゥークシュ山脈っていうところなんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これがパキスタンとアフガニスタンの間なんだよ大体。
スピーカー 2
あーはい。
スピーカー 1
そこで海外登山隊に同行するメンバーとして加わったんだけれども現地の状況っていうのを目の当たりにするのよ。
現地の医療状況っていうのはかなり劣悪だったのね。
うん。
多くの住民がまず医者がいないんだよ。まず単純に医者がいないの。
スピーカー 2
あーそうなんだ。
スピーカー 1
そう、医者がいないから本来この病気は医者がいれば治るんだけれども、医者がいて薬があれば治るんだけれども、その治るはずの病気で苦しんでいるっていう人がすごく多かったらしいのね。
うん。
なんかさ、もう日本でも治らないようなさ、もう不治の病みたいなのでさ、こう人が、人々が亡くなってるっていうのはさ、まあちょっと言い方は良くないけどある種しょうがないじゃん。
うん。
他言ったって治んないんだから。ただ、日本に来れば絶対治るよっていうような病気ですら亡くなっちゃう人が多いっていうような状況だったんだよね。
スピーカー 2
あーうん。
スピーカー 1
そう。で、特にハンセン病が目立ってたんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ハンセン病はさ、過去オトキンでもやったけれども、で、その時にもちょっと触れたと思うんだけれども、現代においてはもう全然その衛生環境も完璧に整ってるからすぐ治るような病気にはなってるんだけれども、それはあくまでもう先進国の話なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
発展途上国では今なおハンセン病っていうのは猛威を振るっている病気の一つではあるんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、当時ね、のパキスタンのハンセン病患者って約2万人ぐらいいたって言われてて、で、そのハンセン病を見れる医者の数っていうのはたった3人しかいないって言われてたの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だけど2万人に対して3人だからさ、そんな見切れるわけないじゃん。1日何人見るんだって話じゃん。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
なんで、そういう現地の悲惨な状況を目の当たりにした中村哲さんはハンセン病患者を治療するための活動をその現地で行っていくっていう活動をしていくんだよね。
スピーカー 1
そうそう。もともとこの人ペシャワール界っていうところに所属してて、ペシャワールって地名からわかると思うけどパキスタンなんだよ。パキスタンなんだけれども、そこからアフガニスタンとパキスタンって隣だから、で、だいたいその辺り近辺を活動してた人たちなんだよ。
だから活動域がアフガニスタンに広がったっていう風に考えてもらえればいいんじゃないかな。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。で、それで冒頭の話になるんだけれども、2000年の初頭に大間罰に見舞われたことでアフガニスタンっていうのはとにかく水不足になったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そんなもう砂漠地帯にさ、雪どけ水すらないっていうような状況になった時に、まずさ、水がないとさ、そもそも人は生きていけないじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから、病気の治療どころじゃないよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
だから、もう明日を生きるかどうかの瀬戸際に立ってる時に病気の治療なんかしてる場合じゃないぞっていう状態になったわけ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、とにかく水が必要だから、じゃあ水を出さなきゃいけない。で、水を出すには井戸を掘るしかないよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから、村人が使っていた井戸っていうのはもちろんすっかり干上がっちゃってるの。畑にもこうひび割れができたり、石がもうゴロゴロ転がってるような、もうそんな感じで荒廃もしちゃってるわけ。
だから、僅かに水が出る井戸っていうのもあったにはあったんだけれども、その僅かに出る水をめぐって人々がもう殺到して、そこで喧嘩、もう下手すりゃ殺し合いみたいなのが行われてるっていうような状況にもなりつつあったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
こんな状況を何とかしないといけないっていう風に、瀬戸さんは考えて、村人を集めて深い井戸を掘り始めるっていう事業を行っていくのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただ、これももちろんその専門的な銃器があったわけでもないし、そもそも井戸掘りの技術なんてなかったのよ。
スピーカー 2
あ、そうだよね。医者だもんね。
スピーカー 1
だから、そんなん分かんないんだよ。分かんないけど、でももう手探りでやるしかないっていうんで、なんかちょっと聞いた知識とか、自分で調べて頑張って、こうやって掘ればいいのかっていうのをなんかやりながら、とにかく手作業、ツルハシとかシャベルの手作業で掘っていくっていうような感じでやっていくんだよね。
スピーカー 2
すごい行動力だね。
スピーカー 1
そう。これはめちゃめちゃすごいよね。
でもそれだけ追い詰められてたっていうのもあるんだよ、現地は。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ただツルハシやシャベルじゃさ、例えばさ、でっかい石に当たっちゃうとさ、もうそれ以上掘れないんだよ。
うん。
さすがに割れないからね、石を。
で、結局もうそうなると行き詰まっちゃうから、ここで日本から井戸掘りの専門家を呼ぶことにしたの。
はい。
で、ただこれも大事にしたのは、その土地にある技術でできることで、何とか井戸を掘れないかっていうところを鉄則としたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これが何でかっていうとさ、とにかくさ、要はお金さえかけりゃ何とでもなるじゃん、こんな話はぶっちゃけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でもさ、それってさ、その場しのぎの解決でさ、結局何も現地のため、その本当に一瞬はいいかもしれないけど、結局そこだけが潤ってさ、他ね、アフガニスタ全域にそういうことができるかって言ったらできなくてさ、
例えば何々村の何々井戸は何とかなったけど、その他は全部ダメですっていう状態になっちゃうじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから、現地にある技術とか道具でできるっていうものを何とかしてくれっていうような形で専門家に頼んだの。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、大きな石っていうのはもう解決策としては掘削機で穴を開けて爆弾使おうっていう話になったの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、爆弾はアフガニスタンってソ連に侵攻されたことがあるんだけれども、この2000年からするとだいたい20年近く前の話になるのかな、ぐらいの話なんだけれども、
だからそのソ連侵攻時に不発弾が結構あったらしいのね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
その爆弾をうまく使って大きな石を粉砕させたっていうようなことをやったらしいの。
スピーカー 2
へー、それすらも活用したんだ。
スピーカー 1
そう。だからもうとにかく現地にあるもので何とかしようっていう。
例えばめちゃめちゃ日本からさ、もう高性能な銃器持ってきてさ、とかさ、なんかダイナマイトでドカンとかやればさ、こんなもん何とでもなるじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でもさ、やっぱりそれじゃ解決はできるかもしれないけれども、根本的な部分の解決にはならないからさ、その場しのぎの解決になっちゃうから、
だから何とか現地の人の力でこれをやり遂げる必要があるっていうところは一応思ってそうやってたっていうことなんだけどね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、こういうようなやり方っていうのが結局こうアフガニスタン全体に広まっていくことで、アフガニスタン人だけで要は井戸を掘れるようになったわけ。
はい。
こういう活動を繰り返すことで2001年の9月までには660カ所の井戸を作ったらしいの。
で、その約90%で水も出すことができたの。
はい。
そう。で、ただここで確保できたっていうのはあくまでも井戸水なんだよ。
うん。
井戸水で賄えるのはあくまでも飲料水なんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でも、農地を潤すような水の量ではないわけ。というか、そもそも井戸水で農地を潤すっていうのはちょっと難しいんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そこで伝統的な灌漑用水路、地理的な用語で言うとカナートとかカレーズとかっていう用語で言われるんだけれども、それを復旧させようとしたんだよね。今度は。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
灌漑用水路を作ることで農業用地にも水を常に供給できるような体制を作ろうとしたわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そのやり方としては井戸の底を横につなぐ穴を掘ったんだよね。小片郎がどっかの回で言ってたけど横井戸ってやつ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その結果砂漠化した田畑が短期間で蘇るんだよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
30万人もの人が農業を続けられるようになったっていう実績も出せたの。
スピーカー 2
へえ。
スピーカー 1
結構こういった形で結果は出したんだけれども、ただそれでも水ってどんどん枯れてきちゃうんだよ。結局、干ばつの勢いの方が強いから一時的に水をそこに供給してもう乾くスピードの方が早いっていうこと。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、水も井戸水をどんどん汲み上げるから水自体が今度枯れてきちゃったわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
じゃあこれじゃやっぱ解決なんないよねっていう形になって、だから要は井戸水に限界を感じたわけこの時点で。
じゃあもうどうするかっつったら大きい川から引いてくるしかないよねっていう形で思いつくんだけれども、
スピーカー 2
くなある川っていう大きい川があるんだよ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、そこから水を引く本格的な用水路を建設しようっていう話になったんだけれども、この人別に建設が主じゃないからさ、ド素人なわけよ。
スピーカー 1
うん。
だからその娘さんがいたらしいんだけれども、娘さんが高校の数学の教科書を持ってたからその数学の教科書を借りて土木工学の勉強からスタートするっていう、なんかもうすごいなって思うんだけどさ、こういうの聞くとさ、よく頑張れるよなって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まず自分に知識がないから自分がそういう土木工学の知識を入れなきゃいけないっていうんで、もう高校の数学からスタートだっつって、なんか教科書読み出しちゃうみたいな、そんな感じの人なんだよね。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
で、あと用水路を作るにしても日本の技術をそのまんま取り入れたって、さっきの井戸水の話と同じなんだけれども、結局それは一時的な解決方法にしかならないから、とにかく現地の技術、現地の技術というか現地の人がメンテナンスできるような、現地にあるもので現地の人ができることを、で、用水路を作ろうとしたわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、アフガニスタンと日本の川って実は似てるんで。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。地理的要件が若干似てるからなんだけれども、例えば傾斜地が多いんだよ。アフガニスタンって山、山合いって言えばいいの。で、日本も山多いじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからその傾斜地のところをこう、川が流れるから、川の流れっていうのはね、早いんだよ。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。で、あと季節による水位差もあるし、山間の平野部で農業をしているっていうような特徴もあったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
日本も山ばっかだからさ、平野部って少ないからさ、限られた平野っていうか平らなところで頑張って農業したりさ、なんなら棚田みたいなのもあって山でも農業してたりするじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そういった形でアフガニスタンも状況としては似てるんで。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから割と日本の川っていうのの治水技術っていうのは参考になるっていうのが分かってきて、それで日本の技術、日本のそういう昔に行ってた治水技術っていうのが取り入れられるようになってくんだよね。
うん。
で、そこで参考になったのが、なんとこの中村哲さんの故郷、福岡って言ったけれども、そこに流れてるチクゴ川なんだよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
チクゴ川から田畑に水を引くための山田関っていうのがあるんだけれども、その山田関っていうのがすごく参考になったんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんか斜め関っていう技術を使ってるらしいんだけれども、川の流れが速いっていう特徴があるじゃん。
川の流れが速いから、こう、取水口を作ろうとしてもなかなかそこにうまく水が流れ込んでくれないっていうのが最大の難関だったらしいんだけども、この養水路作るときに。
この斜め関っていうのを取り入れることで、川の流れの抵抗が少ない形で水を取り込むことができたらしいの。