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イギリスの歴史家、トーマス・カーライルは言った、「圧力なくしてダイヤモンドなし」
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
圧力なくしてか。
ね。ダイヤモンドってやっぱそうだよね。
うん。で、このセリフはなんかあれなの?ちょっと人生的な部分にもかけてるっていう?
いや、ちょっと今日のね、テーマに関係してたんで。
あ、そうなの?
そう。ね、ダイヤモンドってさ、地下すごい深くさ、100kmとか以上とか、高温とか高圧の中、厳しい環境耐え抜いてやっとできるみたいよ。
あー、まあ、結晶だからね、要は。
ね。今日はそんな、スリーダイヤモンドのお話をしたいと思います。
はい?え?
知らない、スリーダイヤモンド。
何それ。
テーマはね、「財閥三菱を築いたい。岩﨑八太郎をやろうかな。」って思います。
あー、岩﨑八太郎ね。なるほど。お願いします。
そうそうそうそう。三菱のロゴね、ダイヤモンドの3つの形だからね。
あのね、スリーダイヤモンドって言うの?
え?いや、言う人いないかもしれないけど、まあそういう風に言ってたやつもあったから。
あー。
まあ、ということで、この岩﨑八太郎って言ったらさ、明治維新後にさ、短期間の間にさ、すごい莫大な富を築いたっていうんで、まあ有名な人だけど、
今さ、長室三菱って言ったら、何を思い浮かべる?
三菱?
うん。
え?三菱って言ったら、あの三菱のさ、まあやっぱり俺は財閥をね、思い浮かべちゃうね。
あー、そうだよね。
うん。まあ、だってさ、今だってさ、不動産から銀行からさ、自動車だってあるしさ、なんかもうとにかくいろんな分野に進出してる企業なわけじゃん。
うん。
そう、三菱と言ったらもう日本を代表するね、財閥だと思うよ。
あー、そうだね。
うん。
今回はね、ちょっとその、まあ岩﨑八太郎を中心にやりたいから、海運業の話が中心になると思います。
あー、海運業か。
そうそうそう。あのさ、岩﨑八太郎って写真とかなんか見たことある?
あるね、確か。ちょっと、ただ今パッと出てこないけど。
あー、結構もうなんか、ごっついというか、すごい強そうな感じの写真ばっかなんだけど、
うん。
残ってる写真ってね、あの和服姿ばっかりなのよ。
あー、なんか言われてみるとそうかもしんないね。
あ、そっか。そんなに真面目な人見ないもんね。
そんなに見ない。あのね、創業者とかあんまり見なくない?
この人ね、あのー、一時ね、西洋の服装をしようとした時があって、
うん。
でね、奥さんに見せたら、あんまり良い評判じゃなくて、
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うん。
で、自分でも鏡で見てみたら、
なるほど、これじゃあ田んぼのカカシの方がマシじゃって言って、
うん。
自分が似合わないのをね、悟ったわけ。
あー、なんか見慣れてないだけな気もするけどね、当時の日本人のその洋装っていうのが。
あー、もうあるかもね。
あとはさ、岩崎敦自体がっちりした肩幅が結構広いような、
うん。
で、いて、足はね、そんなにスラッとしてるわけではないっていう。
まあなんか、ごつい日本人って感じなのかな。
そうそうそう。まあだから、より和服が似合いそうな感じなんだよね。
あー、なるほど。
そうそうそう。残された写真って和服姿ばっかりなのが特徴なんだよね。
うん。
そう。これはね、同じ時代に着た渋沢栄一とはちょっと違うんだよね。
あー、そうだね。渋沢栄一はどっちかっていうと逆だよね。
あ、そうそうそう。後半もね、西洋の服結構着てたからね。
うん。
このね、大人の近代史のサムネイルも。
あー、そうか。そうだな、確かに。
そうだよ。渋沢栄一のを使ってるから。
渋沢栄一風小ヶ太郎だからね。
そうそうそう。
まあ、ということで、ちょっとおいたちからちょっとさらっといきたいと思います。
はい。
岩崎八太郎っていうのは、戸佐、まあ高知県だね、の井の口村っていう貧しいね、家庭に生まれた。
うん。
で、岩崎家っていうのは、曹祖父の時に武士だったんだけど、その身分を売って、
農地を耕して、生計を立てていくような、
戸佐ではね、これをね、地下浪人って呼ぶんだよね。
うん。
で、八太郎は幼少期から、なんだろう、どっちかというと性格がね、気性が荒くて、負けず嫌いなところがあって、
うん。
一方ね、弁学にはね、結構熱中して、授学だったりとか勧学っていうのを学んで、結構優秀な人でもあった。
うん。
で、そんな彼はね、24歳の時に、戸佐藩の役人に抜擢されて、
うん。
で、長崎にも出張を経験してるんだよね。
うん。
そうそう。で、この時はね、お酒とか誘拐とかで遊びすぎちゃって、仕事にならずに、この役人の仕事一回やめてるんだよね。
うん。
で、しばらく時が経って、32歳の時に、戸佐藩改正官の長崎商会っていうところに、あの、誘われて仕事をするようになる。
うん。
もう、32歳行っちゃったからね。ちょっと、ここまでさらっと行きたいなと思って。
うん。
で、これは当時、あの、この仕事っていうのは、当時幕府が欧米各国と通商条約を締結した後で、
うん。
長崎にはさ、多くのさ、外国商人がやってきてたんだよね。
うん。
で、ここで欧米の商人に対して輸出乳の交渉を担当する主任に抜擢される。
うん。
そう。で、主に何の交渉なのかっていうと、当時はね、武器や船舶の購入の方がメインなんだよね。
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うん。
幕末だったからさ、この、何だろう、変革時期というか、土佐でもさ、軍事力を強化しようっていう動きが、あの、あったんだよね。
うん。
それは他の藩もそうだし、あの、各藩こう、武器とかそういうのを揃えて軍事力を強化しようとしてた時期で、
うん。
で、その後さ、八太郎っていうのは、長崎から大阪の土佐商会っていうところに場所を移して働くようになる。
うん。
で、時代はさ、明治維新後になるんだけど、
うん。
新政府っていうのは、各藩が運営してた小取引っていうのを禁止する通達をするんだよね。
うん。
その理由としては、藩ごとで取引をしてるんではなくて、日本全体で流通組織を整備しようっていうふうにしようとしたんだよね。
うん。
で、八太郎がいた、あの、大阪の土佐商会も、土佐藩の運営してる土佐商会だから、
うん。
土佐藩から、こう、分離することを決めたんだよね。
うん。
で、1870年に民間会社、筑紋商会っていうふうになる。
うん。
で、ただ、表向きは、土佐藩からの分離って言っても、結局はその、土佐藩のための会社ではあったんだよね。
うん。
だから、おにゃんこクラブのような存在だったの。
え?
いや、どういうこと?
ちょっと難しかった、ごめん。
あの、表向きはさ、恋愛禁止だったけど、
うん。
後で聞いたらさ、あれって半分以上は彼氏がいたらしいからね。
まあ、アイドルグループなんてそんなもんでしょ。
やっぱ、そうなのかな。
え、だって、ねえ、普通にさ、顔はいいわけじゃん。アイドルになってるぐらいだから。
だって、逆にできないほうがおかしいじゃん。
お前ら何話してんだって言って捕まえた。
ということで、この頃から商会の主な業務っていうのは、貿易や商取引から貝運業がメインになってきたんでね。
で、これ貝運業っていうのは、船で人や物を運ぶようなサービスというか仕事なんでね。
このつくむ商会の船の旗に使われてたマークっていうのが、冒頭でも言った3ダイヤモンド。
まあ、そんな言い方するかわかんないけど、3つのひし形なんでね。
そう、で、現在のこの三菱のマークに、もうほぼそのまんま受け継がれてる。
で、マークの由来をちょっとここで話したいんだけど、これさ、2つの家紋が組み合わさってできてるの。
で、1つ目はさ、岩崎八太郎の家の家紋なんでね。
これさ、三貝菱っていってさ、ひし形が3つ上に並んでるようなマークなの。
で、2つ目がさ、土佐藩っていうのはさ、江戸時代ずっと山内家っていうのが支配してたんだよね。
で、この家紋の三菱という菱の葉っぱが3つ配列してる家紋だったの。
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この山内家の家紋の配列に岩崎家のひし形を当てはめたのが三菱のマークなんでね。
まあ、豆知識。
このマークが、つくも紹介の時から今の三菱にもほぼほぼ同じ形で使われてて、
この形ってさ、人っていう字をかたどってるっていう風にも言われるの。
上が1つでさ、下にこう2つダイヤがあるんだけど。
で、これさ、三菱のマークってさ、ネットでさ、今回調べたらさ、
メルセデス・ベンツのエンブレムのパクリじゃないかみたいなさ、乗ってたんだけど、
確かに似てるんでね。
まあ、似てるは似てるね、確かに。
そうそう、でもさ、ベンツっていうのは1909年に今の原型となるエンブレムができてるから、
三菱のこのマークはそれよりも40年ぐらい前にすでに使ってるからね。
そうそう、だからこっちの方が逆に元祖かもしれない。
ベンツがパクった。
ベンツパクるかわかんないけどなったら。
まあ、当時のドイツが日本パクるとは思えないけどね。
で、ちょっと話は戻して、
新政府っていうのはさ、その後廃藩治権を行うんだよね。
それぞれ各藩を置いてたのを、今のような県に置き換えるというか。
で、これによって土佐藩自体が消滅しちゃうんだよね。
で、藩の上層部っていうのは、岩崎八太郎に個人事業としてつくも商会の継続を要請する。
ということは、たぶんこの時点でかなり岩崎八太郎っていうのは、もう相当な実力者だったんだろうね、きっと。
そうだね。
うん。で、社名を三河商会っていうふうにする。
この約2年後に三菱商会っていうふうに社名を変える。
これで初めて三菱っていう名前が出てくるんだけど、
これはそのまま船の旗に使われてたマークの3つの菱形から三菱っていうふうにつけてるって言われてるんだよね。
で、こうやって個人の三菱商会って岩崎八太郎が代表の会社になったんだけど、
それまで従来藩のものであった財産とか、合計11艘の船を藩から払い下げてもらって、岩崎八太郎の会社の財産っていうふうになるんだよね。
たださ、ここから土佐藩っていう後ろ盾がなくなったんだけど、
八太郎っていうのは取引先から変わらない信頼を受け続けるっていう。
その理由の一つに徹底的なサービスって言われてるんだよね。
もともと会社が土佐藩の事業から誕生した経緯があったから、社員には元武士階級の人も多くて、
武士だとやっぱり、王兵な立ち振る舞いっていうのが表に出てきちゃうことが多くて、
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まずこれを全員に改めさせるようにしたんだよね。
これはさ、羽織袴を脱ぎ去って、羽瓶を着せて、前に前垂れっていう前掛けみたいなのをして、
なんかうちらがイメージするさ、昔の座商人っていう感じの格好をさせたんだって。
で、自分たちが氏族であることを忘れろってことを伝えて、
明治維新って国そのものがさ、変わっていったんだけど、
自分自身も変わる必要があるっていうことを訴えて、従業員に言い聞かせたっていう。
で、これで服装が変わることによって、逆にも丁寧に対応ができるようになっていくっていう。
そうそう、こんなちょっと工夫をしたりとかして。
で、彼らのさ、事業のちょっと開運業について触れたいんだけど、
日本っていうのはさ、それまでさ、開運業は欧米から見てもかなり遅れてたんだよね。
こんなさ、海に囲まれた日本がさ、なんでさ、開運業が盛んになってもおかしくないじゃんって思うじゃん。
でもやっぱそれはさ、約200年の期間のさ、鎖国をした結果でさ、
海外に出ていくっていう機会がそもそも少ないからさ、
日本の開運業っていうのは遅れていって、
で、またさ、幕府の方もさ、各藩の力が増すのを恐れてさ、大きな船っていうのを建造させなかったんだよね。
だから、欧米が大きな蒸気船を使っている中でも、日本っていうのは小型の木造の帆船が運航してたりとか、そういう状況だった。
で、これね、1867年の時点のデータなんだけど、
日本の船舶保有量っていうのは、日本全体で138隻しかなかったんだって。
えー、少ないね。
で、そのうち国産の船っていうのは約20隻のみだった。
そう、だからそれ以外は外国製で、
で、もちろん日本の海っていうのは海外の船に占領されているような状態。
そこでさ、明治政府っていうのは国策として開運業をほぼ育成していこうとするんだよね。
これで開運業でいち早く立ち上がったのは三菱じゃなくて三井なんだよね。
この三井はさ、もっと歴史が古くてさ、1673年に五福天を開いて、
さらに養飼所とか資産を拡大していって、徳川五三家の一つの貴州藩の財政を支えた豪商でもあるんだよね。
で、これが明治政府省令の下、1870年に海藻会社っていうのを設立するの。
これがね、あのちょっと最終的に名前も変わって引き継いでいったのが日本国郵便蒸気船会社っていう会社だ。
これが国の保護の下、もう政府と民間が共同で事業を行っているような会社で、
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開運業として一番この当時大きかった。
でね、やっぱ民間と政府が共同でやっているような会社だから、客への接し方もね、王兵なところがあったんだよね。
で、さっき言った三菱とこの会社との競争っていうのが、徐々にね激しくなっていく時があって、
三菱商会っていうのはその当時まだちっちゃいんだけど会社としては、サービスが優れている点とか新しい船を多く使っている点もあって、
少しずつ三菱商会の方に注文が入るようになってきた。
それでも規模はまだ日本国郵便蒸気船会社の方が大きかったんだけど、
ここであるきっかけが起こって、台湾出兵が行われるんだよね。
これはさ、以前にさ、琉球処分の会でも触れたけど、琉球王国っていうのが当時、薩摩藩と秦に両方とも属しているような関係にあったんだよね。
だから大塚藍のようだったんだけど、
ん?
え?
ごめん。大塚藍のね、さくらんぼみたいな、そんな感じだったんだけど。
どういう、あれだっけ?
ごめんごめん。両方にぶら下がってんじゃん、さくらんぼは。
そういうこと?
あ、歌関係ないのね。
歌はさ、あれでしょ、手帳を開くともう2年経つなって始まるんだよ。
あ、そうなの?
そう、だから三菱商会は、台湾出兵は1年後の出来事だから、そこはちょっと混同しないようにしてください。
あの、しない。
で、事件っていうのはさ、1871年に、
宮古島から朱利へ年貢を運んでいる船があって、
その船が暴風で台湾南部に漂着したんだよね。
彼らあそこで戦獣民に助けを求めたんだけど、
多くの島民が殺害されたっていう事件。
これをきっかけにさ、台湾を武力で制圧しようっていう流れが出てくるんだけど、
その結果、明治政府が初の海外出兵を行う。
で、台湾にはね、3600名の大軍を率いて制圧をしたんだよね。
で、この輸送に貢献したのが三菱商会なの。
なんで三菱商会が選ばれたかっていうと、
最初さ、政府は輸送に、まず欧米の会社に協力を要請したんだよね。
だけど彼らっていうのは、新国との関係を崩したくないから、中立の立場を取ったんだよね。
そこで政府が支援してた、さっき言ってた日本国郵便蒸気船会社っていうところに頼むんだよね。
だけどね、その頼みには乗らなかったんだよね。
この理由としてはね、一つ目は三菱との競争が激化してたから、
今台湾への輸送を引き受けたら、
国内のシェアっていうのが、みんな三菱に持っていかれちゃうんじゃないかっていうふうに考えた。
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で、二つ目がさ、台湾出兵に政府の中でもこう意見が分かれてて、
例えば木戸孝之とかね、反対の立場でいて、もちろん国とちょっと絡んでる会社だから、
そういった政府内部での勢力争いによって、協力できなかったんじゃないかっていう。
結果的にはさ、その状況を見て、岩崎敦郎が大熊茂信とか大久保利道の当時の権力者に自分を売り込みに行ったんだよね。
で、政府もさ、海運業界を見渡したときに、大阪の三菱商会以外に目星会社っていうのはなかった。
それで大久保利道から正式に依頼があって、
これがね、岩崎敦郎が言った言葉が、
承知しました。国あっての三菱、引き受けさせていただきましょうっていうふうに言ってんの。
このさ、国あっての三菱っていう言葉がさ、まさにさ、三菱を語る上で象徴的な言葉なんだけど。
で、岩崎敦郎はね、この件について後にね、人間は一生のうち必ず一度は千載一遇の好奇に遭遇するものであるっていうふうに言ってんの。
ねえ、永丸もそんな好奇あった?
俺はほら、どん底の人生だからさ、それはないじゃん。
大阪人はさ、どっちかっていうと、千載一遇のチャンスを常に掴んできてる人じゃん。
めちゃめちゃ自虐志向じゃん。
いやでも、俺が見ててやっぱり小方郎はさ、千載一遇のチャンスっていうのは逃さずに今人生きてるわけじゃん。
いいよ、もう吊るさなくて。
吊るしてない。事実。
でも、永丸はほら、奥さんとの出会いとかね、好奇だったでしょ?
全然、それはないな。
失礼だ、失礼だ。
まあ、ということで、これで正式に三菱商会っていうのが台湾出兵を引き受けるんだけど、
政府っていうのは、ニューヨークのウォルシュ商会っていうところを通して、3隻の船を購入して、これを三菱商会に貸し出したわけよ。
さらに三菱商会も、そのウォルシュ商会から12隻の船を緊急で購入して設備投資したんだよね。
これ、三菱商会が借金して購入してるから。
さらに、日本国内でも大小の船を8隻ぐらい加えて、これらの船を三菱商会っていうのは総動員して、兵員だったりとか武器とか軍事物資をひたすら台湾にピストン輸送した。
これで、台湾の事件があった場所の周辺を2週間ほどで制圧することができたんだよね。
結果はイギリス公使の圧戦もあって、深刻政府と交渉が行われて、深は日本に未賄金という形で50万両ぐらい払うことになったんだよね。
この成果によって三菱商会っていうのは政府から信頼されるような会社として、その後も政府が保護していくような会社になってくる。
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しかも台湾出兵で政府が用意してくれた、貸し出してくれた船はそのまま委託っていう形で三菱商会が使用することが認められるっていう条件もあって。
一方、三菱商会と競争してた日本国郵便蒸気船会社なんだけど、これは完全に三菱商会にシェアを奪われて、再産が取れなくなって、その後解散するんだよね。
しかもその会社が所有してた船舶18隻を政府が買い上げて、ほとんど無償に近い条件で三菱に払い下げたんだよね。
さらに政府っていうのは第一命令書っていうのを交付して、蒸気船12隻を無償で三菱に与えて、さらに運搬費補助金っていうのも政府から与えるようになった。
ただ、この手厚い保護の条件として、政府っていうのは必要な時に船を動員してサポートするっていう条件が取り替わされてるの。
ここに国あっての三菱っていう、さっきの言葉じゃないけど、国家権力に密接につながった巨大な組織が誕生するんだよね。
まさにこの台湾出兵っていうのは三菱にとっては本当に大きな転換期だったんだよね。
その後、八太郎っていうのは三菱商会の社名を三菱蒸気船会社っていう風にするの。
これで日本国内の会社としては、海運業としては独占状態になったわけなんだけど、日本の海に進出してる海外企業っていうのはいて、その対決をしなければならなくなったんだよね。
代表的なのだと、上海航路を巡ってアメリカのパシフィックメールっていうところと競争に入るの。
これは1870年以来この会社は上海の定期航路を独占してきてたんだけど、そこに三菱が挑戦を挑んで、両者激しい値下げ競争に入っていくのよ。
最終的に船を動かせば、大損の状態にまで行って、サービスは三菱の方が良かったっていうところもあって、次第にパシフィックメールは劣勢になっていくんだよね。
ついにパシフィックメールが売却交渉を自ら三菱に持ちかけてきたんだけど、八太郎は相手がこうやって交渉を持ちかけてくるのを待ってたんだよね。
交渉ごとでは相手から根を挙げてきた場合は、持ちかけられた三菱っていうのは有利に交渉ごとを進めることができるから、
結果当初の価格に双方開きがあったんだけど、三菱側の希望価格に近い価格で取引がされるようになる。
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この時の買収金額っていうのは政府から借りて、国がやっぱりサポートしてるんだよね。
さらに強敵は続いて、イギリスの今度、略称P&O基線って言うんだけど、日本の海運業に参入してきたんだよね。
横浜から神戸、長崎とか上海の航路を開拓していったんだけど、この会社は。
これに対して三菱は大幅に社員をリストラしたりとかコスト削減をして、あとはメディアとかを利用して外国基線のボイコット運動とかを訴えるようになって、
これに対して政府も後押しをしたんだよね。
結果的にはP&O基線っていうのは日本から撤退して、三菱の勝利で終わる。
こう考えると、この時三菱とか国が力を入れて競争しなかったら、日本の海運業っていうのはもうすべて海外へ持って行かれてたかもね。
この件があって三菱の社員に、成果として日本で初のボーナスっていうのも支給されてる。
そうそう。おそらく三菱が日本で初のボーナスを出した会社じゃないかって言われてる。
感謝しなきゃだね。
三菱様様だね。
そうだね。
で、この後財閥三菱を決定付ける出来事が起こるんだけど、それは長丸をもやった西南戦争なんでね。
1877年に西郷隆盛を筆頭に鹿児島の氏族たちが起こした反乱なんだけど、これに明治政府は結果的には圧勝するんだけど、その背景には政府軍の圧倒的兵力と物量があったんだよね。
鉄道がないに等しい時代に6万ぐらいの兵士と大量の武器、弾薬、食料っていうのをすべて船舶輸送が必要だったんだよね。
いかにこれを円滑に運搬するかが重要な鍵を握ってて、この輸送に大きく関わったのが三菱なんだよね。
西南戦争が始まると八太郎っていうのは従業員に素早く指示を出して、当時外国航路に出てる船以外はすべて政府軍の軍事輸送用に切り替えたんだよね。
三菱は西南戦争で軍事輸送に関わったトータルの公開日数っていうのは7,240日なんだって。
だいぶだね。
すごいよね。
この戦争に他にももちろん三井とか大倉とか藤田とかいった企業も利益を上げてたんだけど、三菱の儲けっていうのは軍を抜いてた。
データとしては日本政府が西南戦争に投じた総額の7%以上が三菱の船舶による軍事輸送費だったんだって。
これで三菱の年間収入はこの時約440万。
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当時の価格なんだけど、利益は約120万ぐらいか。
これちょっと価値が単純に計算できないからあれなんだけど、おそらく今の価値だと約1万倍とか3万倍とか、そんぐらいの倍率じゃないかって言われてる。
ちょっと俺電卓で計算しようとしたんだけど、もう出てこなかったんだよね。
数が変なふうになっちゃった、数字が。
エラーするやつね。
そうそう。
だからそれぐらい莫大な資産を築いたんだよね。
戦争なり金って言葉あるけど、この最たる霊が三菱なのかなっていう。
西南戦争って、私族と新政府の軍隊による戦いに結構注目が行きがちだけど、
違った見方をすれば、戦争を支援した企業の資本蓄積がここでどんどん加速していって、
それが日本の三菱だけじゃなくて財閥の基盤を作らせる結果にもなってるんだよね。
結果、三菱は西南戦争が終結した頃に所有する船舶っていうのは61隻だったんだって。
日本全国の73%を占めるっていうぐらい、もう独占状態というか。
この後、ずっと三菱を支援してくれてたというか、近い存在だった大久保利道っていうのが1878年に暗殺されちゃうんだよね。
そうそう。これも長丸がやったね。
清井坂だね。
どんどん結びついてきたね。いろんなのがやっていくと。
その後、明治14年の政変っていって大熊茂信も政界から追放されちゃうっていうのがあって、
こうやって三菱に保護政策を取ったり親密にしてた人っていうのがいなくなっていっちゃうんだよね。
こういった状況もあって、三菱の海運業独占状態を阻止しようとする動きが政府でも出てくる。
そこで政府が全面的にバックアップして、渋沢栄一とか三井の増田孝とか大倉貴八郎っていうのが在海人が加わって共同運輸会社っていうのを設立する。
これちょっと渋沢栄一の会でチラッとやったんだけど、三菱の海運業にこうやって対抗しようとしたんだよね。
これもかなりの値下げ競争が始まって、しかも両者の船がすれ違うときは互いに進路を譲らずに衝突事故も発生するような競争が激化して、互いに不採択っていうのが増えてったんだよね。
こんな中、岩崎八郎っていうのは50歳で胃がんのため亡くなるんだよね。
八郎からしたら、こんな会社が名言がかかった壮絶な時期にやっぱり亡くなるっていうのはちょっと無念というか、もっとやりたいことが多分あったんだと思うんだよね。
その後、この競争っていうのは政府がこのまま続ければ日本の寄仙会社が2つとも潰れてしまうことになるから、そうなれば外国の寄仙会社に入ってきて占有されちゃうっていうことを恐れたんだよね。
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これで共同運輸側から三菱に合併を持ちかけて、その結果1885年に両社が合併して、今の日本寄仙株式会社が設立する。
これね、筆頭株主って実は三菱系の人が多く役職に就いてる。
これは三菱との競争が激化している中で、共同運輸の赤字が続いたから、株主たちって株を売りに出した人も多くて、
それを三菱が買い集めたんだよね。
そのため、実は下半数の株が三菱側に渡ってたってされてる。
だから、実質日本寄仙って三菱の支配が強い会社になってるんだってね。
俺ちょっと改めて見たんだけど、日本寄仙のホームページ今見たんだけど、成田地の歴史って見たらやっぱ三菱のことがメインに書かれてたね。
もう三菱だね、じゃあ。
いや、俺渋沢栄一とか出てくるのかなと思ったんだけど、見当たらなかったね。
そうそう、そういう歴史があるんだなと思って。
まとめると、三菱ってこうやって台湾出兵に始まって、西南戦争、この後の日露戦争、第一次世界大戦にしてもそうだけど、
国の有事の際に大きく成長していったような会社で、
まさに戦争と三菱っていうか、国と三菱っていう関係性が強い会社なのかなっていうのを感じました。
以上です。
はい。
いかがでしょうか。
三菱だからね、今でも名前知らない人いないわけじゃん。三菱って言ったら大会社で。
そうだね。
財閥としては解体されちゃったけどさ、結局名前は残って会社も残ってるわけだしさ。
大きな会社だよね。
まあね、三菱ぐらい大きい会社に勤めてればもう安泰だろうけどさ。
まあね、いろんな会社あるけどね。
三菱はね、やっぱ規模が違うね。なんか俺の中でやっぱりちょっと軍を抜いてるよ、財閥の中でも。
ああ、でも三菱とかもすごいでしょ。
うん。
だからさ、こうやってさ、明治維新ってさ、まあありえないぐらい大きな変革の時代だったじゃん。
うん。
まあその波に乗ったらさ、相当今にはないぐらいの財産というか基盤を作れるんだなと思って。
ね、まあ乗った人は、乗れた人がさ、こううまく成功してるだけでさ、乗ろうと思って失敗した人もたくさんいるわけじゃん、でも結局。
ああ、まあね。鈴木商店とかもね、まあいいとこまで行ったんだけどね。
まあ結局ダメになっちゃったっていうところでさ、まあそれは何でかっていうところをこうね、いろいろ掘り下げていくとまた面白いことになるかもね。
ね、まあやっぱ一つは国との関係性が強かったっていうのはあるよね。
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うん、まあ今とはやっぱりさ、そこの考え方が違うというかさ、今はもう本当に国とそんな結びついちゃったら油着だになっちゃうじゃん、完全に。
ああ、だからその時代の得意性っていうのもあったんだよね、きっと。
そうだね。
三菱ってさ、この後2代、3代、4代っていう勤めた岩崎家の代表が結構優秀って言われてて、だから1代で終わらずにずっと今でも続いてるっていうふうにも言われてるんだよね。
うん。
俺なんかさ、これちょっと思ってさ、最初さ、船って海運業って全然だったわけじゃん、日本って。
うん。
で、でもこの後発展しててさ、あの多分戦後とか、あの日本が一番船を作ってる造船業の中でトップシェアだったんだってね。
うん、そうだね。日本の結構もう代表的な分野ではあったね。
ね、2000年ぐらいまで、最近中国とか韓国がすごいけど。
うん、日本はもうだね、だめだよ。
いや、でもそう考えるとさ、俺ちょっと思ったのが、あの空の世界というかさ、航空機の世界もさ、日本もう全然じゃん、正直。
うん。
ま、それはさ、GHQが入ってさ、7年ぐらい航空機の研究とか開発禁止されちゃったからだけどさ。
うん。
で、ここでさ、前あったじゃん、その前って言ったらあれだけど三菱がさ、最初MRJって言ってさ、飛行機作ろうとしたじゃん、航空機。
うん。
で、ま、結果あれなんか凍結しちゃったらしいけどさ。
うん。
いや、なんかまたこういう時代が繰り返して、そういった産業を生み出してくれるのかなってちょっと期待した部分あったんだけどね。
ま、日本はね、今新しい産業っていう感じじゃないからね、どっちかっていうと。
ね。いや、なんか頑張ってほしいなっていうところもあったけど。
まあね。
ということで。
あ、言っとうけどね、この放送に関しては国からの支援は受けてないんですよ。
うん。知ってるよ。国からどころか民間からも受けてないからね。
確かに。どこも受けてないわ。
うん。
ま、あの、おとらーってのこの番組なので。
そうですね。
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ドロドロの関係って言うかな。
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