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始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということでですね、今日はリクエスト回ということで。
はい、待ってました。
待ってました?早速、読み上げたいと思うんですが、
はい。
これはね、くるみまんさんから頂きました。
はい。
実はNHKの第一放送も入らない三鷹のふもとに、片道40分以上も通勤しているのです。
雑音が入らず、できれば聞き応えのある教養を高めるものはないかと探していましたら、見つけてしまいました。
1年以上に渡り、「大人の近代史」を2回以上は聞いています。
お二人の掛け合いが心地よく、絶妙なタイミングのボケも定番のツッコミも大好きです。
内容は非常に興味深く聞き入っています。
印象に残ったのは柴五郎の回です。
計画はなされているとは思いますが、
高橋小暦を、特にロシアとの戦費のため国債を売りさばいたそうですが、この辺を重点的にお話を期待しています。
ということで頂きました。
お、てことはリクエストは高橋小暦を。
今回のリクエストにお答えして、ボケとツッコミについてやりたいと思います。
いやー待ってましたー。もうみんな待ってるよそれ。
一応歴史番組なんだよ。
えー、あれ小雅郎のコント番組じゃないの?
そうそう、さっきあった高橋小暦をもそうなんだけど、
にも触れて、あと日露戦争とお金っていう部分でテーマでやっていこうかなと思って。
あ、大変興味深いですね。
ほんとですか?
じゃあということで、まずは日露戦争の経緯これ何回も多分喋ってるかもしれないけど、ざっくりと触れていきたいんだけど、
ロシアはさ、年間通して凍らない港を求めて南に領土を拡大する南下政策っていうのを取ってたんだよね。
で、1900年に発生した、これ義和団事件。
長丸が最初の頃にやったやつだね。
あー懐かしいね。
そうそう、この義和団事件を後日に満州に出兵して、実はロシアが勢力化に収めたっていうのがあって、
それはさ、いずれ朝鮮半島だったり、さらに日本へ迫ってくるっていう危機感が日本にはあったんだよね。
で、この危機感はさ、実はその日本だけじゃなくて、中国に利権を持つイギリスも同様で、
そこでさ、1902年に日本との日英同盟っていうのを結んだきっかけでもあるんだよね。
そしてさ、1904年から1905年にかけて行われた、日本とロシアの間で起こった戦争が日露戦争なんだよね。
まずね、ちょっと日露戦争時の経済状況にちょっと触れたいんだけども、
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1900年当時の日本とロシアのね、ちょっとGDPの比較で見てみたいんだけど、
日本はね、約520億ドルだったんだよね、その頃。
で、ロシアはね、約ね、1540億ドルなんだよね。
だいたい3倍ぐらいの開きがあるの。
ちなみにね、アメリカはね、約3120億ドルって、だいぶさらに上にいるんだけど、
で、このさ、GDPってさ、国内総生産だから、人口が多い国の方が比較的高い数字が出るんだよね。
なんで、このGDPをさ、人口で割ると、一人当たりのGDP、裕福度みたいな言われ方もするんだけど、ざっくりそういうのが出てくるんだよね。
で、そうすると、実は当時の日本とロシアっていうのは、ほとんど変わらない水準なんだよね。
そう、人口がね、って言えば、日本がね、その時4400万人に対して、
ロシアはね、1億2500万人っていう、3倍の開きがあるんだよね、約。
で、このさ、人口から見てもさ、戦争になったらさ、日本はかなり不利なように見えるよね。
うん、そうだね。
そうそう。だけどさ、ロシアはさ、国土が広い分、自国防衛のために、ヨーロッパ方面とかにも兵力を残さなければいけないっていう弱点もあるんだよね。
まあ、これはね、長丸がやった、地勢学から見たロシア編で、ちょっと詳しくね、語ってたと思うんだけど。
語ってたっけ?覚えてない。
まあ、そこ興味があればって感じですけど。
で、実際に日露戦争で展開されたロシアの兵力っていうのは、全体のね、4割ほどなんだよね。
そう、で、それに対してさ、日本は海に囲まれていて、自国防衛に兵力をそれほど残す必要がなかったんだよね。
で、これはさ、イギリスが当時なんで世界一の繁栄をしていったかっていうにも通じるんだけど。
イギリスはさ、ドーバー海峡によってさ、大陸からの侵攻の懸念が少なくてさ、で、自国防衛にそこまで力を入れる必要がなかったっていうのもあるんだよね。
で、日本はさ、国内の予備兵力も使って、総動員してこの戦争に戦ったんだよね。
だからさ、この戦争の兵士の数の差っていうのは、ロシアが少し若干上ぐらいで、そこまでの差はなかったんだよね。
で、そこでさ、今回のテーマである、この日露戦争でのお金の面で両国はどうだったのかっていうのをちょっと話していきたいんだけど。
まずはね、当時のさ、過兵制度を事前に知る必要があるかなと思って。
現在はさ、管理通貨制度って言ってさ、国が通貨の発行量を決めることができるんだよね。
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そう、だけど日露戦争時においては、多くの国が金本位制度を採用してたんだよね。
これはね、1844年にイギリスがその金本位制度を採用して、で、それからヨーロッパ各国も次々にこの制度を導入して、
で、日本でもね、1897年に金本位制を採用してるの。
で、実はその同じ年にロシアも採用してる。
で、ちょっとこの金本位制とは何なのかっていうところを話したいんだけど、
金ってゴールドのことで、このゴールドをさ、通貨の価値基準とする制度なんだよね。
例えばさ、1万円って紙幣はさ、みんなが1万円って思ってるからさ、1万円の価値があるわけで、
そのさ、共通の認識がなければ、ただの紙なんだよね。
で、金はさ、昔から世界中の共通の認識として、その価値が認められていて、
だからさ、都合が良かったんだよね。
例えばさ、これがさ、金じゃなくて、じゃあ傘だったとするじゃん。
なんで傘なんだよ。
まあ、あのなんだろう、突然こう降り始めた雨の中、見知らぬ男性がさ、傘をさっと私に渡してくれた。
えっ、いいんですか?彼女にとってその傘は、その時価値があるものだったんだよね。
でも、晴れた…
何の話?
ちょっと、ちょっとお付き合いください。
でもさ、晴れた次の日、燃えるゴミにもさ、出せず、参拝扱いとなるこのごつい傘っていうのは、
すでに価値のないものだったんだよね。
まあ、こんな風にさ、傘の場合は価値が変動しやすいんだけど、
金っていうのはさ、この希少性と美しさ、普遍の価値があるんだよね。
なるほどね。傘と金を例えるのはちょっと、ねえ、さすが小片郎って感じだけど。
前代未聞だぞ、これ。
そう、まあ、だから都合のいい女ではなかったってことなんだよね。
ああ、小片郎は結構そういうのにこう振り回されてたかな。
いいや、もう。
そう、だけどさ、金って、それ自体はさ、実際に持って買い物したりとかしたらめっちゃ重いし大変なわけじゃん。
そこでさ、国が発行する紙幣は、常に金と交換できるように保証したんだよね。
で、この紙幣をさ、ダカン紙幣って言うんだけど、
日本で言えばさ、1円は0.75gの金と交換が可能っていうことを保証したわけ。
で、このさ、金本位制のメリットって言ったらさ、金本位制を導入している国同士での貿易がしやすいんだよね。
逆に言えばさ、まあ、これ欧米列挙が先に金本位制を取り入れたことで、貿易を行う上でも金本位制が必要になってきたっていうことも言えるんだよね。
で、あとはさ、価値が安定しやすいっていうのも言われてて、
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現在のようにさ、為替相場でさ、1ドル130円になったりさ、それがまた極端に100円になったりっていう変動はしないわけなんだよね。
金本位制では、金のさ、保有料以上に紙幣を発行することができないっていう決まりがあって、
まあ、それで価値が安定しやすいっていう見方がある。
で、デメリットだと、そのメリットで言った部分なんだけど、金の保有料以上に紙幣を発行することができないっていうことは、
これ逆にデメリットでもあって、平時においてはいいかもしれないんだけど、
例えば、戦争時において紙幣をたくさん吸って、軍事物資をたくさん買いたいって時に、それができないんだよね。
そしてさ、この状況が日露戦争で起こったんだよね。
実はさ、日本が金本位制度を取り入れて起こった初めての大規模な戦争が、この日露戦争なんだよね。
で、日本はさ、物資が豊富な国ではなくてさ、鉄鋼製品だったりさ、例えば冬服に使用するウールなんかもとか、それ以外にも多くを海外から輸入に頼ってたんだよね。
戦争になるとさ、さらにたくさんの軍事物資が必要になってきて、
例えばさ、日露戦争時の日本海軍の主力艦、ミカサって、まあ、うちらもバンガ編で言ったけど、これもさ、イギリスの会社が作った輸入品なんだよね。
そうそう。で、まあ、ミカサ・カーマンはさ、あ、ごめん、違う、進撃だった。
何そのぶっこみ方。
ごめん、誰にも刺さんないな。ちょっとごめん。
刺さるよ、刺さる。あの、カーマンはね、やっぱ刺さるよ。
いや、絶対みんな知ってるから。ミカサ大好きだよ、みんな。
好きだな。そう、で、まあ、あとはさ、さっき言ったウールにしてもさ、まあ、羊の毛なんだけどさ、日露戦争でさ、寒い場所での戦いでさ、兵士が着る軍服にもさ、ウールが使われてたりとかしたんだよ。
だからこのウールもさ、ほとんど輸入品で賄われてるし、そうそう、他にもいっぱい色々あるんだけど、だけどさ、まあ、金本位制ではさ、自国の紙幣は保有する金の量以上に発行できないから、こうやってあの輸入品を大量に買えばさ、金が海外に流出してしまうっていうことなんだよね。
そう、これだと金本位制の維持が難しくなってくるっていうのがあって、だったらさ、これもう金本位制なんてやめちゃえばいいじゃないかっていう考えもあるんだけど、まあ、実際これはさ、第一次世界大戦時なんかは欧米列挙とかは一時的にこの金本位制を停止してるんだよね。
これはさ、ある意味大国だからできるっていうのもあって、その頃の日本はさ、欧米列挙に比べたらさ、まだまだ国力は小さくてさ、金本位制をやめればさ、他国から見た時に日本の通貨の信用がなくなって、価値がなくなっちゃうんだよね。
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ということはさ、海外との取引が難しくなってくるっていうのがあるんだよね。だからまあ、結局はさ、こういう貨幣制度っていうのはさ、歴史を見てもその時の大国が決めたルールに結構左右されてるっていうことなんでね。
じゃあさ、この日露戦争のために日本はどうやってお金を集めたかっていうところなんだけども、これで日本の交際、国の借金だね。公の債務って書いて交際なんだけど、を発行して外国に買ってもらうことにしたんだよね。
だからこそ、借金を買ってもらうってことは、金本位制を維持しなければいけないっていう面もあるわけなんだよね。だってこの金本位制を維持できない国の借金なんて信用がなくて買ってくれないわけだから、これでさ、どこの国が買ってくれるだろうかっていうので、当時はさ、外国に貸し出せるほどの資金のある国っていうのはもう限られてたんだよね。
それはさ、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスぐらいだったんだよね。そこでね、日本はね、イギリスをまず頼みにするんだよね。
それはさ、日英同盟を結んでるっていうのもあるかもしれないけど、当時のイギリスはさ、世界一の大国なわけで、イギリスがさ、その世界に先駆けてこの金本位制を施行した国であって、で、強大な海軍力を背景に広大な範囲の植民地支配をして繁栄をしていったっていうのもあって、
で、当時最も信用力が高いこの通貨、基軸通貨はイギリスのポンドだったんだよね。今はドルって言われるけど、この時はイギリスのポンドが最も信用が高い通貨だった。だからさ、真っ先にさ、日本はイギリスを頼みにするんだよね。
で、そこでさ、誰かがこの世界で最も信用のおける通貨であるイギリスポンドで資金を借りてこなければならなかったんだよね。じゃあ誰が交渉に行くのかっていうところなんだけど、そこでね、選ばれたのが高橋小暦夫だったんだよね。
彼のさ、人生ってのは本当に濃い人生なんで、これね、喋っちゃうと脱線しちゃうんで、別の回でちょっとこれはこれでやった方がいいかなと思って、今日はもうその日露戦争時のところの部分だけを話したいんだけど、日露戦争時はさ、彼って日本銀行の副総裁だったんだよね。
で、改選が始まってね、間もない頃ね、築地の寮邸に呼ばれたっていうエピソードが残ってて、そこにはさ、あの当時の首相桂太郎とか元老の井上薫とか曽根大倉大臣とか、もうね、早々たるメンバーがいたところに呼ばれたんだよね。
でさ、小暦夫はさ、その座敷へ通された時に、深くね、こう頭を下げたつもりだったんだけども、まあ福佑かな体格だったからさ、その首を少しだけ折ったようにも見えたっていう風な記述があった。
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なんかこれ可愛らしいなって思っちゃった。
だからお腹がつっかえちゃってあんまり下がんなかったってことでしょ。
で、写真残ってるの見ても結構ぱっつんぱっつんだよね。
まあ割と大柄な人だったのかなと思うけど。
でもまあその風貌がさ、だるまに似てるってことからさ、結構だるまっていう呼び名で国民からも親しまれた人なんだよね。
えーそうなんだ。
そうそうそう。で、ここではさ、そのロンドンに行って交際の募集に当たってほしいっていう風に頼まれるんだよね。
でもさ、高橋小暦っていうのはやっぱ最初は断るんだよね。
これはさ、日露戦争っていうのはこの時もうすでに始まっていて、もしさ、これ交際の募集に失敗した場合はさ、国家そのものがもう破綻してしまうんじゃないかっていうぐらいのさ、割に合わない仕事なんだよね。
だけどさ、早々たるメンバーの懇願が続いて、姉妹にはねこれ高橋小暦を泣き出しちゃったっていうのが書いてあったんだよね。
そうなんだ。
うん。で、そこでね最後にはねこう引き受けることを決意してみんなで抱き合って泣いたっていうエピソードが残ってるの。
こうしてね、海外交際募集をしに行くことが決まった高橋。
これ聞いよ。泣くなあよ。ありがとう。背中回ろ。
なんか久々にオガラップ出たじゃん。
戸惑って。どうしたらいいか。
いやもうこれであれでもういっぱいコメントくるよまた。素晴らしいですオガ太郎さんって。
ここで来ないだろ。いやでもちょっとメロディ外れちゃったなあ。
そこ?
そう。でまぁ彼はさあの交際を募集するにあたり日本政府に条件を出したんだよね。
それはさ、儲けようと様々な金融関係の人間が政府に話を持ちかけてきても取り合わないで欲しいっていう風に言ったんだよね。
高橋小暦夫に全て任せて欲しいという条件を出して、これをね閣躍をもらう。
で、こうして彼はね日元副総裁でありながら日本の運命を背負ってアメリカをまず経由してイギリスのロンドンに向かうんだよね。
そうでもねこれ最初ね交際の募集にイギリスの金融業界っていうのは積極的にね協力してくれなかったんだよね。
これはさどういうことかっていうと参考になるのがねロンドン市場における日本とロシアの交際り回りっていうのがその当時のがあって
これね国の借金を買ってもらう代わりに利息をつけてさ返さなければいけないわけじゃん。
で交際り回りが低いっていう場合は評価が高いってことになるんだよね。
で、り回りが高いっていう場合は評価が低いっていう意味でちょっとややこしいんだけど、
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まあ競馬で例えるとさ人気のない勝てそうにもない馬がもし買ったらたくさんの配当金をもらえるわけで、
これはさ配当率が高いわけじゃん。
じゃあさこの日露戦争で言う人気のない馬っていうのは日本だったんだよね。
日本交際はさ海戦前ってさイタリアアルゼンチよりもすでにねり回りが高かったんだよね。
要は国際的にはそれほど評価が低くて弱小国っていう風に見られてた。
でこれね海戦前後のちょっと日本とロシアのね交際り回りの比較なんだけど、
海戦前はさ日本がねり回りがね5.2%に対してロシアがね4.2%ってこれ両者の差って1%前後の開きがあるんだよね。
でここでもやっぱり日本の方が少し評価が低いんだよね。
で戦争が始まってね2ヶ月後これどうなったかっていうと両者の差がねさらに倍以上に広がったんだよね。
これは何が言えるかっていうとロンドン市場では日本がこの戦争に勝てるっていうのは考えてなかったんでね。
これはね他の国の多くもそう見てたっていうことなんでね。
でこの日露戦争自体にいくら必要なのかっていうところなんだけど、
日本はさ初め日清戦争時の戦費を参考に軍事の総額を予想して、
約ね4億5000万円ぐらいじゃないかっていうふうに見積もったんだよね。
ただこの数字っていうのは朝鮮からロシア軍を一掃する1年ほどの戦費で、
戦線がもっと拡大して継続するときは戦費はさらに追加が必要で、
他にもまあもっとかかるって予想もした人もいるし様々な予想額はあるんだけども、
それでもさ予想した額より実際はさ戦争って満州の地でも拡大していったりとか、
結局最終的には20億ほどかかってるんだよね。
当初の予想よりも膨大な額がこの戦争にかかったっていうことなんだよね。
で日本はさまず最初の段階では約1億円1000万ポンドの交渉を発行して募集を募ったんだよね。
でこれ高橋コレキオがさロンドンにいてさ、
毎日こうロンドンの各銀行だったりとか財閥とかねロスチャイルド家とか、
そういったね財界人を訪ねて粘り強く交渉して交際範囲を広げていったんでね。
交際募集だけにね。
何?交際かけた?
交際かけた。いらなかった。
いやいやいやもう絶対これカットしないでね。
でコレキオはさこの先銀行かそのロスチャイルドのような資本家、
どっちにさ積極的に交渉していくかっていうのを悩んだわけよ。
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そこでねあるねイギリスの既選会社の会長を務めているマッケンジー卿に相談をしたんだよね。
彼はねこう答えたんだけど、
例えば資本家の場合はロスチャイルドのような単独で引き受けられるような大資本家っていうのは見込みがあれば直ちに応じてくれるんだけども、
たださ資本家は得た利益がそのまま自分の利益になるから高い利回りを要求してくるっていう風に言ったの。
で一方銀行っていうのはいずれもさ株式会社で大衆からの預金を運用しているから
公債を買う余力っていうのはないっていう風に言ったんだけど、
公債を買うにはさ一般公募を募って募集しなければいけないっていう風に言った。
だから要望には速やかに応えられない。
でただ銀行っていうのは株式組織で利益が直接各個人の懐に入るわけではないから発行条件は資本家より良くなるっていう傾向にあるっていう風に言われたんだよね。
でそこでコレキヨが選んだのは銀行にしたんだよね。
やっぱり発行条件が良いものっていうのを選んだんだよね。
これで銀行と交渉を続けたコレキヨなんだけど、
ロンドンの銀行から500万ポンドまでなら可能っていう回答までもらうことはできたんだけど、
希望の1000万ポンドまでは無理っていう風に言われたんだよね。
である晩餐会でアメリカ人のシフっていう人に出会うんだよね。
これ彼がどんな人物か知らずにコレキヨは今の日本の交渉の募集が集まらない現状を語って、
するとさ翌日にこのシフから残りの500万ポンドはアメリカで発行し募集してもいいっていう風な連絡が来た。
実はこのシフっていうのはニューヨークの君労部商会の主席代表している人で、
この君労部商会って言ったら当時アメリカのモルガンと並んで大金融グループの一つなんだよね。
でこの人はもう莫大な資産を動かせる人だった。
こうして1回目の交渉募集に目処が立って、
さらにタイミング良くというか交渉発行前に日本軍が大旅行っていうところでロシア軍に勝利するっていうのがあったんだよね。
それもあって日本交渉っていうのは相当の人気が出て、
ロンドンのパーズ銀行っていうところではちょうどの列ができたっていうほどだったんだよね。
このパーズ銀行なんだけど副支配人のシャンドっていう人とは、
コレキヨって実はその窮地の中でちょっとエピソードがあるんだけど、
コレキヨが12歳の時に横浜の外国人居留区の銀行で防衛として働いてたんだって。
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その銀行の支配人がシャンドだったんだけど。
そうなんだ。
ある時コレキヨはね、ネズミをシャンドのフライパンで焼いて酒のつまみにしてたんだって。
それを目撃したシャンドが、私の道具でネズミを焼くことだけはやめてくださいっていうくらいの仲だったんだよね。
どんな仲?
よくわかんないね。
すごいエピソードだなって。
ネズミを捕まえて酒のつまみにしてたんだってよ。
食べちゃうってことでしょ?
どういうことって思ってこれ普通に書いてあったけど。
ネズミ食べてたんだね当時。
そう、コレキヨだけだったのかわからないけどさ。
そんなネズミ食いの人ってすごい珍しそうだけどさ、いたとしても。
なんかそういうもんだったんじゃないの多分。
でもこのシャンドにとってはありえない行動だったから多分この人はしてないんだよね。
俺らの感覚からしてもしないよね。
そうそう、すごいなって。
で、ちょっと話ずれちゃったんだけど、
こうしてその1回目の交際の発行条件は、
まだまだ序盤でそれほど日本にとっては良くなかった面もあるんだけど、
1000万ポンドが一度に調達できたわけなんでね。
これによって日露戦争をまずは継続することができたっていうのがある。
で、それとアメリカの勲労部長会からの資本の援助があったってことは大きいんだよね。
当初はイギリスっていうのを頼みにしてたんだけど、
この時アメリカっていうのは急速に国力をつけてきてる国でさ、
鉄鋼生産だけ見てもすでにこの時もイギリスを抜いてたんだよね。
で、この勲労部長会が支援してきた理由なんだけども、
日本のさ、これからの発展を見抜いてたのかもしれないんだけども、
代表の私婦っていう人はユダヤ人の人で、アメリカのユダヤ人会の会長をしてた。
そこでユダヤ人の救済なんかも行ってたりして、
一方さ、その頃さ、帝政ロシアではユダヤ人っていうのは迫害されてたんだよね。
で、移住地域とかさ、職業選択とか、学校への進学も制限されたりとか、
あとね、虐殺されるっていう事件も起こってた。
で、こんなね、ロシア政府には私婦も何度も待遇改善の要請をしてたんだけど、改善されるっていうことはなかったんだよね。
で、そんな理由もこの私婦が日本側に歩み寄ってきたっていう理由の一つだとされてるんだよね。
で、その後さ、日露戦争っていうのは戦線が拡大して長引いたわけで、
で、そのためさ、当初想定していたより多くの資金が必要になって、
日本はね、その後ね、合計4回のね、交際発行を行ってんの。
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で、いずれもイギリスだったりアメリカが中心で、後半にはね、ドイツの銀行団も加わって交際募集にこう名乗り出てるんだよね。
そしてさ、日露戦争自体っていうのは法天改善とか領事院陥落とか日本海改善で優勢に勝利していって、
でね、日本とね、ロシアの交際入り回りの差っていうのはほぼなくなってきたんだよね。
ただね、日本もお金とか人が多くなくなってるわけで、戦争を継続するっていうのは難しくなってきたんだよね。
そんな中ね、アメリカの大統領セオドワール・ルーズベルとの仲介もあって、ポーツマスでこう講和を結ぶっていうことになったんだよね。
で、ロシア自体はさ、なぜ講和を結ぶっていうことにしたかっていう背景をちょっと見てみたいんだけど、
今回お金の面から見てみたいんだけど、
帝政ロシアっていうのはさ、改戦前からさ、すでに借金大国で、そのうちのね、4分の3はね、フランスからの借金だったんだよね。
これはさ、鉄道事業などを目的にロシア国債を発行していたっていう経緯があるんだよね。
だからロシアの財政っていうのは、パリ証券市場に結構依存しているような状態だった。
そしてさ、日露戦争が始まって、ロシアも戦費をさ、交際を発行して外国へ募集をしたんだよね。
で、初めはさ、フランスが支援をしてくれたっていうのがあって、
それはさ、そもそもフランスっていうのはさ、さっき言った通りさ、ロシア交際が個人の投資家たちに広く保有されていて、
これ以上さ、ロシア交際を暴落させないためにも支援したっていう背景があるんだよね。
だけどさ、戦争が進むにつれて、日本の優勢が見られていって、
またさ、ロシア国内でもさ、大規模な民主のストライキなんかも起こったりとか、マイナス要素が重なって、
フランスもね、支援を断ってきたんだよね。
で、そればかりがさ、ドイツとかアメリカにも断られて、お金のね、調達ができなくなっていったんだよね、ロシアは。
だからロシアもその日露戦争の継続は難しかったっていうのが、お金の面からでも言えるんだよね。
ちなみにさ、ロシアってさ、お金を調達するのに、フランスの銀行団を自分とこのペテルブルクまで越させて交渉するっていうようなスタイルをしてたんだって。
で、ここはまあ日本と違ってさ、高橋コレキオはさ、直接現地に行って、毎日交渉し続けたっていう違いもあるかなっていうのを思ったんだよね。
こんな風にちょっとざっくり日露戦争とお金の部分を話したんだけど、
日露戦争の費用っていうのはさ、約20億ぐらいって冒頭にも言ったんだけど、
これはまあ今のお金でね、約2兆6千億ぐらいなんじゃないかって言われてて、
で、国民もさ、日清戦争の時と同じようにさ、
講和の時にさ、賠償金は取れるだろうっていう風に考えてたんだよね。
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ただ結果さ、賠償金は取れなかったんだよね。
それはさ、日露戦争はさ、朝鮮とかさ、その新国の領土での争いで、ロシアの領土を支配したわけでもなくて、
一方的にさ、ロシアが負けた戦争っていう風にも言えないんだよね。
だから戦後賠償の交渉の時もさ、ロシアは結構強気で、賠償金は取ることができなかったっていう背景がある。
これに対してさ、やっぱ国民っていうのはさ、不満があってさ、
この戦争でさ、かなり厳しい増税もなされたりとか、知り合いとかは多く戦死したりとかしていて、
それがさ、日比谷焼き討ち事件みたいな暴動にもつながってたりするんだけど、
たださ、結果その日本の成果っていうのはさ、南カラフトの獲得とかさ、朝鮮半島の優越権だったり、関東州の訴釈権とかなんかをさ、得たっていうのもあるし、
さらにさ、国際金融市場で言えばさ、これまで評価の低かった日本っていうのが、戦争が終わった後には、このロシア並みのその評価になったってことが、
大きな成果だったんじゃないかなっていう風に言えるんだよね。
で、日露戦争っていうのは、これまでの戦争と比べてさ、規模がかなり大きくて、日本人だけでもね、約8万4千人くらいの人が命を落としてるんだよね。
で、この戦争のさ、選挙をさ、安全な場所から損得勘定で投資したりっていう人がいるっていうのを今回、いろいろ調べてて思って、
だからそれはさ、今の世の中でも結局そうなわけじゃん。
うん。
そんなお話でした。どうでしょうか。
そうだね。やっぱ、高橋コレキヨのさ、その戦費調達っていうのはさ、あったからこそやっぱ日本はさ、日露戦争を戦うこともできたし、
俺はすごい日露戦争ってさ、勝ったとはいえ、支払ったその損害に対するリターンは得られてないと思っててさ、やっぱり正直。
そうだね。その後もこの戦費にしてもかなりずっと借金は残ってたからね。
うん。だって結局第一次世界大戦始まるまで日本はずっと不況をさ、で、苦しむわけじゃん。10年ぐらい。
うん。
っていうのもあるし、で、やっぱり多くの犠牲も払って、で、ただ、ロシアの南下政策を防ぐことができたっていうのがまあ一番のポイントだからさ。
ああ、そうだね。
うん。だって、これは自分がずっと言ってることだけど、日本にとっての脅威っていうのはもう、いつの時代もロシアだからさ。
はいはい。
これは今もそうなんだけど、常にロシアだから。で、そのロシアの侵略を防いだっていうのが一番やっぱこの戦いの意義であって。
で、その戦争ってさ、もうその、どうしてもお金っていうものが絶対に引っかかるわけじゃん。絡んでくるじゃん。
うん。
そういう資金っていうところでこう支えた。高橋小暦夫のやっぱりそこがまあ一番功績なんじゃないかなって、まあすごく感じましたというところですね。
ああ、そうだね。
うん。
そういうのさ、あのなんだろう、書いてあったけど、国民っていうのはそこまでそういう選挙調達しないともう継続できないっていう情報とかがさ、全くこうメディアとかも報道しなくてさ。
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うん。
なんかいい面ばっかり報道しててさ、だからなんだよこれってさ、終わってみてさ、賠償金も取れないのかよみたいなね。
そんなこの高橋小暦夫のさ、活躍っていうのは実際にさ、多分表に出たのは相当先の話だろうね。
うん。
まあ、そんな感じで、今回はね、リクエストにあった日露戦争とお金、そして高橋、これ聞いよ。泣くなあよ。ありがとう。セイナガマーロ。
なんで最後セイナガマーロなのかと思ったけど、さっきもそうだったからさ。
ナガマーロこれ、それに乗って喋ってよっていう意味なの。
ああ、ごめん、俺そういうの無理だったわ、ちょっと。
嘘?
小片郎のね、笑いのレベルまで俺ちょっとやっぱついていけてない。
だから1回目はもちろん反応できないだろうなと思って、あえてその最後にもう1回来たんだよね。
ああ、たぶんね、やっぱ小片郎の笑いのレベル俺無理だわ、ちょっとね、高すぎる。
高すぎないわ。
高すぎるよ。いや、だってやっぱほら、もうずっとさ、高校の時からもう人気者だったもんね。
やめろやめろ。
いや、ほんとだから。
ということで、よかったらまた大人の近代史を来週も聞いてくれたら嬉しいです。
はい、ぜひお願いします。
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。