1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. 第81回「薩英戦争」明治維新へ..
2022-09-06 27:09

第81回「薩英戦争」明治維新への転換点

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イギリス人が島津氏の大名行列の家来に斬られた生麦事件を
きっかけに薩摩藩とイギリス間で戦争が起こる。
薩摩藩内では攘夷思想も根強くあったが、薩英戦争でのイギリスの強さを痛感することで、
外国と協調路線へと変革し倒幕へ突き進むこととなる。
00:04
生存リスクを犯してまで、死ぬ時の満足感を取れるのは、人間くらい。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか、あれだね、ちょっとこう、生きるとは、みたいな感じのテーマだったけど。
ねえ、俺これね、ちょっと最近聞いてね、痺れたね。
おー、痺れた?
そう、これね、あの、上出良平さんが言ってたの。
あー、え、そうなの?
あの、ハイパーハードボイルドグルメリポートとか作ってる、元テレビ東京でプロデューサーの上出さん。
うん。
今、ポッドキャスト界のレジェンドだよね。
えへへへ。が、言ってたの?
そうそう、この人、あの、最近テレビ東京辞めたんだよ。
うん。
で、後に言ってたんだけど、このまま会社にいるっていうのは安住の地なんだけど、なんかこれだと、死ぬ時ちょっと嫌だなって思ったらしい。
あー。
いやー、なんか、この生存リスクをうちらは取れないね。
あははははは。
って思って。
え、小渡郎いつでも取れるじゃん。
どういうこと?
いや、なんか多才だからさ。
あはははは。
いやー、かっこいいね、生き方がね、ほんとに。
まあ、やるかやらないかの部分がでかいけどね、こういうのって。
だって、しかもテレビ東京なんてもう、相当な大企業じゃん。
うん。
しかも、その中でかなり実力のあるプロデューサーだったしね。
まあ、逆だろうね。実力あるから、どこへ辞めたって何とでもなるっていうところなんだろうね、そういう人たちって。
あー、そうなのかね。
じゃあ、今日、長丸の回なので、生存リスクを犯してまで、どんな内容を伝えてくれるのか、楽しみです。
はい、私は生存リスクを犯すような真似は一切致しません。
だいぶしてると思うけどな。
いや、してない、してない。いや、してないでしょ。
意味がよくわからない。
今日は、撮影戦争をやりたいと思います。
おー、撮影戦争。
撮影戦争はね、あのうちらのさ、大人の近代史の中でもちょくちょく出てたようなテーマではあると思うんだよね。
うん、出てきたね、たぶん。
うん、たぶん用語が出てきたり、そのちょっと家庭説明したりとかさ、たぶんそういうこともあったと思うんだけれども、ちょっと今日は今回はその撮影戦争だけをスパッとちょっとこう抜いて、しゃべりたいなと思います。
ぜひ、よろしくお願いします。
早速だけれども、まず撮影戦争ってなんじゃらほいっていうところからちょっとしゃべんない人だと思うんで、
うん。
薩摩藩とイギリスが戦争をした戦い、だから撮影戦争なわけだよね。
はい。
で、年号で言うと1863年で、8月15日から17日の、まあ、実質2日間ぐらいで行われた戦いなんだよね。
はいはい。
で、これ、まずさ、歴史知ってる方はさ、「いや、そんな当たり前じゃん。」って言うかもしれないけど、あんまり詳しくない方ほど、「え、なんでイギリスが薩摩藩っていう一つの藩と戦ったの?」っていうたぶん疑問があると思うんだよ。
03:06
うんうん。
で、そこはちょっと簡単に説明すると、当時の江戸時代っていうのは藩制度を敷いてたよね。
うん。
藩制度ってそもそも何なのかっていうところの話を細かく言っちゃうと、すごい長くなっちゃうから簡単に言うけど、
藩っていうのは一つの国みたいなもんなんだよね。
うんうん。
で、それを束ねているのが江戸幕府親分っていう感じなんだよね。
はいはい。
そう、いわゆる封建制度って言うんだけど、そういうの。
うん。
だから、薩摩藩は薩摩藩で、もうそこの藩だけでもう自治が成り立ってたんだよ、国としての。
うん。
藩主がいて、で、それでその下にこう家来がいて、まあ要はなんていうの、一つの国としての形ができてたわけね。
はいはい。
だからイギリスがその日本っていう国として、まあ日本を日本として見てたとは思うけれども、あのそれぞれに国がこうバラバラにあるっていうのは、一応イギリスも把握はしてたから、薩摩藩と単体で戦うことにはなってるんだよね。
はいはい。
だから、まあ薩英戦争っていうのがまず起きている。日英戦争ではなくて薩英戦争。
うんうん。
で、薩摩藩って、まあ名前有名だから強そうな藩っていう認識は多分みんな持ってると思うけれども、
うん。
当時のあの藩の強さって何万国とかっていうさ、国高で表すんだよね。
はいはい。
で、薩摩藩は一応72万国あったんだよね。国高としては。ちなみに72万国っていうのはかなりもう、当時で言ったらもう相当上の方なんだけど、
うん。
ただ実際は72万国ないんだよね。
あ、そうなんだ。
そう。これ幕府に対して要は課される税金の部分の国高が72万国っていう数値になってただけで、実際現状を考えると50万国もなかったんじゃないのかって言われてるんだよね。
あ、そうなんだ。
そうそう。だからちょっと今と逆で、今はさ、会社の会計とかってこう、すごい少なく見せてさ、少なく税金を納めようとするじゃん。
うんうん。
じゃなくて当時はさ、あの、幕府、いやお前らはこんぐらいあるだろみたいな感じですごいこう持って、なんだろ税金を課してたわけよ。
あー、はいはい。
そう。だから、72万国ないのに72万国の税金を課されるわけだから、藩としては結構こう貧乏?だったというか、もうキツキツでやってたわけよ。
うんうん。
まあこれ別に薩摩藩だからとかじゃなくて、他の藩もこういうところはもうもちろんあったんだけど、
うん。
だから薩摩藩っていうのはさ、ほら琉球の時にさ、琉球をこうね支配したみたいな話もあったけど、
うん。
要は天見諸島とか琉球王国とかそっちの方に進出して、そこからちょっとこうね、税を絞り取ってたって言えばいいの?
はいはい。
そう。それでちょっとこう利益を上げてたんだよね。
うん。
まあ琉球は琉球貿易でとかさ、そんな感じ?
うん。
あ、ちなみにえっと1万国ってどういう単位かっていうところをちょっと説明しとくと、
うん。
1万国っていうのは1万人分の米が取れる土地っていう意味なんだよね。
はいはい。
で、米が取れるイコール、それだけ兵隊を養える。まあそこはイコールになるわけよ当時は。
06:03
あー、1年間でだっけ?
そうそう。だから50万国だったとして、50万国の国高があるっていうことは50万人の兵を養えるだけの一応素養はあるっていう。
うん。
まあそういう藩だったと。
はいはい。
まあ実際もっと低いよ。あのもっと低いしそんな現実はうまくいかないからさ。
はいはい。
で、まず薩摩藩はそんな感じと。
で、この撮影戦争を語る上で、あのぶっちゃけ戦争の経過とかよりももっと大事なのが時代背景の部分なんだよね。
はい。
だからちょっとこの時代背景の部分をちょっとしっかりとこの後説明したいと思いますと。
はい。
時代背景はね、でもと言ってもさ、あの多分小片朗の回で結構ねその時代をやってるから。
いやー幕末結構ね。
やってるよね。
そうそう。
そう、だから大人の人からするとまたこの話ですかみたいなところあるかもしれないけれども。
まあ一応ね、テーマごとに喋るっていうところでそこはちょっとご容赦くださいと。
ね、この回から聞く人もいるかもしれないしね。
そうそうそう。
だからちょっとその辺はまあご容赦いただいてお付き合いいただきたいと。
はい。
で、当時の時代背景として鎖国だったよね。
うん。
鎖国で海外渡航とかできなかったし、外国人の受け入れも禁止してたし、まあもちろん貿易も禁止していたっていう一応建前なわけよ。
うん。
で、そもそもなんで鎖国していたかっていうところはさ、これちなみになぜの部分になるとさ一番の理由何だと思う?
なぜ鎖国をしてたか?
そう。
キリスト教とか宗教の絡みなのかなと思っちゃったんだけど。
さすが、さすが小片朗、正解!
あ、本当に?
キリスト教の流入をとにかくブロックしたかったんだよね。
うん。
これは何でかっていうと、結局宗教が思想につながって白人史上主義的な考え方っていうのを排除したかったんだよ、日本からは。
はいはい。
これは徳川幕府の統治方法を考えると至極当然というか、そもそも身分制度じゃん。
うん。
徳川幕府っていうのは。そこにさ、人間みんな平等のキリスト教徒の考え方っていらないんだよね。
うん、はいはい。
そもそも。
で、白人史上主義的な考えを結局白人っていうのは持ってたから当時。
うん。
支配されるんじゃないかと結局のところ、外人が来たらキリスト教でこう洗脳されて、なんだ日本人は結局劣る民族だみたいな感じになってって、
白人に支配されちゃうんじゃないかっていうところまで最終的には行き着くんじゃないかっていうところで、
とにかくもう鎖国することによってキリスト教も入らない、外国人も受け入れないっていう感じにすればそれは防げるっていうところが鎖国した一番の理由とは言われて。
あー確かにね。他のなんか国でもそういうのあるもんね。キリスト教を広めてから支配していくみたいなね。
そうそう。なんか結局キリスト教がその悪いわけじゃなくてさ、キリスト教が道具として完全に使われちゃってた感はあるんだよね。
うんうん。
当時って。まあとりあえずそんな感じでさ、鎖国はしていたけれども、ただ実質幕府公認でさ、シンとかオランダとさ、貿易はしてたんだよね実は。
うん。
まあこれも結構有名な話で。シンはさ、まあそもそもキリスト教じゃないじゃん。だから関係ないんだけど、オランダはさキリスト教の国じゃん。ヨーロッパ圏だし。
09:04
うん。
だからオランダと貿易するときの条件として、布教を禁止したことと、とにかくあとヨーロッパの情報は一応欲しいっていうことで、ヨーロッパの情報は常に教えてねみたいな感じの取引を一応して貿易を可能にしてたわけよ。
うんうん。
まあだから布教しないんだったらまあとりあえずいいよねっていう、まあ大前提のもと、一応オランダともやってたっていうところ。
はいはい。
でもさ、やっぱりオランダ以外のさ、欧米諸国からするとさ、え、不公平じゃない?みたいな感じに思うじゃんそれって。
うん。
例えばイギリスとかアメリカとか、まあフランスとかロシアだったりとかはさ、オランダずるくない?日本、うちらとも貿易しようよみたいな感じで来るわけよ。
うん。
でもそれはさ、例えばさ異国船打ち払い例みたいなのがあってさ、来たら大砲を撃ってさ、攻撃するとかさ、あとはとりあえずもう水とか食料は渡すからもううちには寄らないでください、帰ってくださいみたいな感じですぐ追い返しちゃう。
っていうようなやり取りをずっとやってたんだよね。その鎖国しらえだっていうのは。
はいはい。
で、それが、まああれだよ。これも小片郎の大好きな話だけど、黒船来航?
別に大好きではないけど。
小片郎のさ、テーマ回だと何回も聞いたなって思ってさ。
何回ペリー来航してんだっていうね。
そうそうそう。ここでもペリー来航したみたいな。
はいはい。
1853年の黒船来航、ペリーの来航によってさ、要は簡単に言うとさ、日本はさ、日本はというか江戸幕府はって言った方がいいのかな。
外国のその強さっていうのをちょっとこうね、思い知っちゃうんだよね。黒船によって。
うん。
で、これは別に黒船に攻撃されたわけじゃないんだけど。
はいはい。
黒船がさ、江戸湾にまで侵入してきてるのよ。
うん。
で、これはどういうことかって言うと、今までだったらさ、そんな湾内に侵入なんて絶対ありえなかったわけよ。
はいはい。
攻撃されちゃうじゃん。だって湾内に侵入したら、もう四方八方から攻撃だよ。
うん。
で、黒船っていうのはもうそんなのお構いなしに湾まで侵入してきてるわけ。
うんうん。
これはね、自信があったからなんだよね。
あーはい。
え、やれるもんならやってみればみたいな。ただ、こっちもやるよみたいな。
はいはい。
だから、アメリカは勝てる自信がとにかくあったんだよね。
うんうん。
で、江戸幕府はそれを読み取っちゃうわけよ。
はい。
やばい、これやったらやばいやつやんみたいな。これ攻撃したらダメなやつでしょみたいな。
はいはい。
そう。で、ご存知の通り、尻込みして日米和親条約だったり日米収購通商条約っていうのをアメリカと結ぶよね。
うん。
で、それに倣ってさ、他のちょっと日本と貿易したかったような国、イギリスとかそういった国とかも、そこに一気に付け込んできて、日本と条約を結んでいくわけよ。
はい。
要は日本はここで開国したわけ。
うんうん。
ただ、開国に関しては、これももうね、尊王上位運動のところで散々言ってることかもしれないけれども、
うん。
とりあえず当時の天皇の孔明天皇は開国には反対派だったわけ。
はいはい。
これはもう単純に日本が外国人に侵略されることを好んでなかったというか、望ましいと思ってなかったからなんだけれども。
うん。
で、当時の天皇っていうのはさ、権力なんかないじゃん。江戸幕府がもう完全に権力者だから。
12:05
はいはい。
でも、国民の信頼っていうのはやっぱりさ、ずっと続いてきた天皇制だからすごく信頼は厚かったっていうのはあって、
うん。
だから、え、あの天皇が要は上位運動?外国人排斥に肯定的だぞみたいなところで、やっぱりその江戸幕府の対応をさ、こうにがにがしく思ってた人たちがこう勢いづいてくわけよ。
うんうん。
まあこれがいわゆる尊王上位運動になってくわけだよね。
はい。
で、まあこんな感じの今時代背景でしたと。まあここがものすごく重要で。
うんうん。
で、そんな中、薩摩藩ってどういう姿勢をとっていたかっていうとさ、
はい。
薩摩藩は外国人も全員追い出せとかってそういう感じではなくて、どっちかっていうと幕府と朝廷はとりあえず仲良くしといた方がいいよねっていう。
まあすべてちょっと穏便にやっていこうっていうようなどっちかっていうと考え方だったわけよ。トップ的な部分では。
はいはい。
で、島津久光、まあ当時の藩主はその息子だけど、実験は島津久光にあったから島津久光がさ、江戸に行って後部合体、天皇と幕府がもう結びついた方が得ですよみたいなことを提案しに行くわけよ。
うんうん。
大名行列でね、もちろん当時だから。
はい。
で、江戸に着いてさ、それで提案してさ、それ良さそうだねみたいな感じで、じゃあそれを今度京都にいる天皇にもお伝えいただけますかみたいな感じで回答をもらって、
その江戸からさ、今度京都に行く途中であの事件が起きるんですよ。
はいはい。
生麦事件ね。
うんうん。
で、生麦事件っていうのは、今の横浜市のさ、生麦っていう場所、まあ駅の名前もあるけど、当時生麦村かっていう場所で起きたから生麦事件って言うんだけれども、
はいはい。
これは1862年の9月に起きてるんだよね。
うんうん。
で、事件の概要は簡単に言うと、まあそもそもまず当時横浜っていうのは、その日米就航通商条約によって開港してたんだよ、もう。
はい。
そう、だから外国人がこう、もうちょっと住んでたりしてたわけね。
うんうん。
そうイギリスだったりとか、まあアメリカ人だったりとか、まあちょっと住んでたわけよ、とにかく。
はい。
で、ちょうどその島津久光が京都に向かう途中の大名行列のこの一行がさ、生麦村にこう差し掛かった時に、
4人のイギリス人がね、まあ別に外国人がいることはそんなにもう珍しくなかったっけ、横浜だから。
うんうん。
4人のイギリス人がさ、こう馬に乗ってさ、あの大名行列に出くわすのよ。
はい。
でさ、大名行列っていうのは、まあ日本人はみんななんとなく知ってると思うけれども、
大名行列が通る時っていうのはこう横に寄って、まあ土下座じゃないけどさ、
膝ついてさ、こうなんか頭をこう下げて、大名が通り過ぎるのをこう待たなくちゃいけないみたいなのが一応マナーだったわけよ。
はいはい。
まあ最低限読むのはマナーね。
うん。
そう、その道に立ちふさがるとかそういうのはもう無礼とかそういうレベルの話で。
うん。
で、イギリス人だから日本のそういう慣習なんか知らないわけじゃん。
うん。
まあ知らなかったかもしれないし、知ってたけどいやいやいやみたいな感じのところがあって、
15:02
なんでうちらがそんなに従わなきゃいけないのっていうところでどかなかったかもしれないし、
そこははっきりわかってないんだけれども実際のところは。
うん。
まあ結果的にどかなかったわけよ。
うん。
で、どかなかったどころか、もう突っ込んできたわけね、どっちかっていうと行列の方に。
はいはい。
だからその鳥巻たち、大名行列の鳥巻たちがもう馬を降りてどけって言うのよ。
うん。
でもさ、もちろん日本語で言うからわかんないわけじゃん。
はいはい。
でもさ、これはちょっといつもこの話を聞くと思うんだけれどもさ、
勢いでなんとなく何言ってるかなんてわかるじゃん。
うんうん。
なんなら刀抜いてたと思うんだよね、おそらくだけど。
はいはい。
威嚇するためにも。でもどかなかったんだよね。
うんうん。
だからまあ斬られたっていうのがこの生麦事件なんだけれども。
はいはい。
で、結果的に4人中1人が亡くなって、2人は大怪我、1人は逃げたから助かったっていう。
あーはいはい。
まあこれが生麦事件だよね。
うん。
で、ここで当然ながらイギリスと揉め事になるわけよ。
そうだよね。
で、1958年にさ、日米就効通商条約は結ばれてたんだけど、
実は日英就効通商条約も結ばれてたわけよ。
うん。
で、これで違法権っていうのが認められてたんだよね。まあ不平等条約ね、いわゆる。
はい。
だからイギリスとしては自分の国でもう捌いてやるみたいな感じのところがあって、
で、日本としてまず責任持ってよって言って、まず幕府に詰め寄ったのよ。
はい。
で、幕府に対して賠償金10万ポンドをまず要求したわけね。
うん。
で、薩摩藩に対しても同様に、あの、賠償金2万5千ポンドを要求するわけ。
あと、犯人の引渡しか。
で、犯人はもうイギリスの軍人立合の下、こっちで処刑するからっていう、そういう条件で。
はいはい。
で、今の言ったものを受け入れないんだったらイギリスとして攻撃しますと。
戦争ですっていう感じで脅したわけ。
うん。
で、幕府としても嫌嫌嫌っていう意見がやっぱり多かったんだけれども、
うん。
ただ、戦っても勝てないしなっていうのはやっぱりあったから、
結局すごい伸びたんだけど、9ヶ月後に賠償金を幕府は払うわけね。
うん。
で、まあ幕府は一応そんな感じの対応をしたと。
賠償金10万ポンドは払いましたと。
はい。
で、対する薩摩藩っていうのは、もう一切応じる気はなかったわけね、まず。
うん。
で、だからイギリスが豪を煮やしてさ、薩摩藩に交渉に行くわけよ。
うん。
で、交渉に行くっつっても施設を横したわけじゃなくて、軍艦7隻でもう武力ちらつかせて脅しに行ったんだよね。
はい。
で、イギリスはもうやっぱり日本っていう国自体を舐めてたから。
うん。
だって幕府ともさ、もう不平等条約を結べてたわけじゃん、当時って。
はいはい。
だから日本っていう国自体をちょっとやっぱり舐めてたんだよね。
うん。
で、ましてそのうちのさ、一つの日本っていう全体のうちのさ、一個の藩なわけじゃん。
うん。
だからそこにさ、こうね、軍艦7隻で行ってさ、で、大砲とかそういうのちらつかせてさ、いやもうお前ら払えよって言えばもう屈するっていうのをもう完全に思ってたんだよね、イギリスは。
はいはい。
でも、これが全然交渉がまとまんなかったんだよ。
18:01
うん。
で、決裂したから、とりあえずイギリスはこう薩摩藩の蒸気船3隻をこう打砲したりするんだよ。
はい。
で、もう薩摩藩がそこにもう行かれてイギリス軍を攻撃する。で、撮影戦争が開始されたっていう、こんな感じなんだよね。
はいはい。
で、撮影戦争の細かな部分っていうのは正直さ、そんな話してもしょうがないところもあるから、ちょっとかいつまんで言うんだけれども。
うん。
はっきり言ってまず兵器の差っていうのはもうすごい雲泥の差があったけよ。
はいはい。
薩摩藩っていうのは大砲はあるけれども、旧式のさ、もう全然距離も飛ばないようなさ大砲で、弾がまず丸かったんだよね。
はい。
で、イギリスの弾っていうのはさ、今のさ、鉄砲の弾って言えばいいの?ちょっとこう塩水系の?
うん。
遠くまで飛ぶようなさ、こう弾使ってるとか。もうほんとそういうところからもう全然違ったわけよ。もう技術っていうかさ。
うん。
それで、はじめこうイギリスがさ、薩摩の市街地とかにもこう攻撃してさ、こう燃やしてどうだって感じで見せつけるんだけれども。
はい。
薩摩藩はこれに負けじと、その旧式の大砲でイギリスの艦隊にもうぶち当てるんだよね。
おー、はいはい。
で、これ結果的に7隻あったうちの1隻はもう大破。もうほぼもう自力走行はもう難しいぐらい大破して。
うん。
で、2隻は損傷。まあただもうちょっと戦える感じでもないぐらいの損傷。
うん。
っていう状況にまでなるんだよね、最終的には。
はい。
で、死者数だけで見ると、薩摩藩っていうのは一応ちょっとこれ諸説あるんだけれども、24名亡くなったって言われてんだよね。
うん。
で、これ諸説あるっていうのはさ、市街地にこう攻撃されてるから民間人の死者がはっきりしないんだよね。
あー、はいはい。
そう、っていうところがあって、もしかしたらもっと何百人とかいるんかもしれないけれども、一応なんかその記録上的な部分だとまあ大体それぐらいじゃないかって言われてて。
うん。
対するイギリス側って63人亡くなってんだよね。
あー、はいはい。
そう。だから単純なその死者数だけで言うと、実はイギリスの方がダメージデカかったんだよ。
うん。
で、もちろん薩摩はさ、とはいっても市街地の10分の1程度がもう焼け野原になっちゃって、砲弾から飛び散った火で燃えちゃってさ。
うん。
あとはさ、もちろん砲台とかも潰されちゃってるから、そういう被害もあったし。
うん。っていうところ。
で、ただイギリスはさ、さっき言った3席はもうボロボロになっちゃって、で、死者数も結構多く出ちゃった。
はい。
だから思ってたよりもあれ、薩摩藩強い。まあ薩摩藩というか引いては日本強いなってイギリスは感じたんだよね。
うんうん。
あーで、薩摩藩も逆にイギリス強いなーみたいな。俺たちちょっと舐めてたかもしんない。こんなのマジで敵に回そうとしてたの?みたいな。
うんうん。
だから双方に強さを思い知るんだよね。
うん。
で、これ結論の部分に行っちゃうけども、お互いにさ、仲良くした方がこれ得じゃないっていうところに結論はなるんだよね、最終的に。
うん。
で、戦争の結末としては、薩摩藩っていうのは結局名目上賠償金は払うのよ。
はい。
25,000ポンド。
うん。
ただ、犯人は引き渡さない。その殺した人は引き渡さないで、なんだろ、双方こうなんつーの、そこがまあ情報というかさ、お互いがこう譲り合ってそうなったっていう感じなんだけれども。
21:09
うん。
一応結末としてはそんな感じで、両国ともこう和睦をするわけね。
はいはい。
そう。で、そこからはイギリスと薩摩藩っていうのは実はすごい仲良くなって。
うん。
例えばイギリスはさ、なんかもう幕府と初め取引しようと思ってたんだけれども、
うん。
なんか江戸幕府ちょっともうダメだよね、みたいな。直接薩摩と貿易したいねっていう感じになって、薩摩とこう貿易するんだよね、その後ってどんどんどんどん。
はい。
で、あと薩摩藩はイギリスのその先進的な技術っていうのをとにかく身につけたい、どういう、まあ技術だけじゃなくてさ、もう国の成り立ちとかそういったところから含めてイギリスから学ぼうっていうんでさ、留学生をこう派遣したりするんだよね、イギリスに。
はいはい。
それによって留学生がさ、そのイギリスをもう全然日本なんかと比べ物にならないぐらい進んでたイギリスを見て帰ってきて、いろんな技術だったり考え方だったりっていうのをこう広めていくことによって、とにかくもう外交とか貿易っていうのが今の世の中大事なんですよっていうところをこう訴えていくわけね。
はいはい。
で、もうこれ最後の方になるけれども、薩摩藩ってさ、もともとは幕府と朝廷、天皇が仲良くした方がいいよねっていう側の考えだったんだよ、藩としてね。
はい。
ただ内部的にはものすごく上位思想も多かったのよ。
うん。
だから藩としては一応、まあ幕府と朝廷結びつけましょうっていう考えだったけれども、下の方のこう武士たち見ると、いやいやそんなんじゃ余ったるいぜっていうさ、どっちかというと徴収的な考え方。
うん。
実はそういうのも多かったんだよ。
はい。
そう、ただ撮影戦争を経験したことによって、その上位思想を持っていた人たちがもうめっちゃ痛感するのよ。
うん。
排斥運動はやばいなと。これはこんなことやってたらいつか負けるぞみたいな。
はいはい。
何よりもやっぱり外国のその進んだ技術っていうのを取り入れていって強くなんないと、今回は一応イーブン引き分けで終わったけれども、次来たらもうどんどんどんどん向こうは進んでて勝てないんじゃないかっていうところまでやっぱ思うようになって、考えが上位からクルッとさ、倒幕に切り替わっていくんだよね。
うんうん。
そう、この倒幕に切り替わっていくってのも面白いんだけど、藩としてはさあくまでもさ、後部合体の部分を望んでたから、そっちの方で進むかと思いきやさ、ここはやっぱり幕府と朝廷の考えもなかなか一致しなかったっていうところもあって、
はい。
もうそんなんだったらもうじゃあいっそのこと幕府倒して、新政府樹立だ!っていう方に一気に薩摩藩は傾いていって、この先は小ヶ太郎がさ、よく話してたあの薩長連合のところだとかそういったところにこう結びついていくわけね。
はいはい。
まあこんな感じで撮影戦争っていうのはとにかく明治維新の盾役者だった薩摩藩の考え方のさ、もう本当に骨組みの部分をさ作った戦争って言っても過言じゃないと思うんだよね。
はいはい。
結構それぐらい重要なさ、今のさ、要は日本のこう礎になってるようなさ部分の実は戦争でもあるっていうところなんだよね。
24:01
はいはい。
はい、そんな感じで今日は撮影戦争をちょっとお話しさせていただきましたが、小ヶ太郎いかがでしたでしょうか。
そうだね、あえてさこの撮影戦争ってあまり、これ歴史の中でちょっと出てくるけどさ、そこまでね時代背景も含めて改めて知る機会ってあんまないからいい機会だったなと思って。
うん。
不思議なのはさ、やっぱ薩摩藩とイギリスがさ、戦争したのにさ、その後結構協力関係というかさ、そういうのになっていくのってやっぱりお互いがなんか認め合ったところがあったのかなって思ったね。
うん、そうだよね。なんかさ、普通こんなうまくいかないじゃん。
いかない。だって人も死んでるしね。
ね、だって双方ね、死者は出ててさ、損失もでかくってさ、なんか憎しみがこう、より憎しみを生むようなさ、よく戦争にありがちのパターンになりかねないところがさ、そうじゃなくなってるってところがさ、やっぱりそれ以上のこうメリットがあったとしかちょっと思えないよね。
あー、あとは何の薩摩とかの外交力とかもすごかったのかな。なんかちょっと見えない部分だけど。
うん、なんかでもそんな気はするんだよね。
うん。
やっぱり毅然とした態度をさ、取ってたっていうのがイギリス側からしたらちょっとこう対等にこう思ってくれる部分でもあったのかもしれないね。
あー、はいはいはい。
幕府は弱腰だったわけじゃん。
そうだね。
うん、だからやっぱそれがこう読み取られちゃったっていうところもあるだろうし。
うん。
そう、だからやっぱりちょっとこう薩摩藩に対してはイギリスもこう一目置いたっていうところは間違いなくって。
うん。
だからまあ結果的に、まあ結果的に賠償金も払ってるからね、薩摩が。
だからなんか妥協じゃないけどさ、もうこれ以上なんか敵対するよりはもう仲良くした方が得だよねっていう本当にただただメリットを追求しただけなのかもしれないし。
うん。
まあそこはちょっと何とも言えないけど、もうわかんないというかさ。
うん、そうだね。なんか幕府はもう交渉の相手ではないっていうような感じをイギリスが行動から見れるけど、なんか最近そういうの聞いたなと思って。
あれだよね、なんか賠償金の話もさ、幕府にも払ってもらって薩摩にも払ってもらったわけじゃん。
まあ薩摩のお金は幕府のお金なんだけどね。
あ、そっかそっか。
借りてんのよ。そうそう借りてんだけど、まあしかも踏み倒してるから薩摩藩はダメージゼロなのよ、実際。
うん、まあそうなんだ。じゃあ幕府がなんか余計に払ってるって感じなのかイメージ的には。
まあ一応立て前というか結果的にそうなったと言えばいいのかな。
うーん、そうなんだ。
うん。
ということで今回は撮影戦争についてでした。
はい。
もしよかったら評価の星をポチッと輝かせてくれたら嬉しいです。
評価の星か、いいね、いいこと言うね。
あ、本当に?
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
27:09

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