1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. 第89回「戦時下の食事」第二次..
2022-11-01 31:19

第89回「戦時下の食事」第二次世界大戦時の飢餓に苦しむ日本

参考図書&テキスト:https://otokin.com/archives/529
戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る/斎藤美奈子

なぜ戦争になると食料が不足するのか? 
第二次世界大戦時の日本国内の食生活は、工夫をこらし飢えを凌いでいた 。
今回はそんな当時の食事情について話しています。 

★番組ホームページ:https://otokin.com/
★お便りはこちら☞ https://bit.ly/2YkUaRB
番組存続のため寄付を募集しています https://otokin.com/sponsorship
00:04
哲学者ソクラテスは言った、生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ。
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか、俺は食べるために生きてる気もなくはないけど。
確かにね。
なんか、食も一個の楽しみにはなってるからね。
だから、なんだこれ、欲を捨てろってことなのかな。
だから、生きるっていうところに対しての哲学だからね。
その食べることを生き甲斐にしちゃいけないとか、そういうことなのかな。ちょっとよくわかんないけど。
ね。今日はさ、生きるために満足に食べることができなかった時代のお話をしたいなって思います。
なるほどですね。お願いします。
はい。今日のテーマは、「戦時下の食事」
おー、なんか面白そうだね。
これ、戦時下って第二次世界大戦というか、大東亜戦争時の日本の食生活を今日はやりたいと思います。
なるほどね。それはね、面白そうだよ。なかなか。
ほら、結構さ、こんな感じかなみたいなのは多分知ってる人多いと思うけど、別に何かそれを調べたりっていうのは多分ないから。
まあね、確かに。
ちょっと興味はやっぱあると思う。
これね、戦下のレシピっていう本があって、斉藤美奈子さんっていう人が書いてる本なんだけど、
だいぶね、この本面白かったんで、ちょっとここの本から撮ってる部分が多いので、もしよかったら皆さんも興味あったら見てくださいって感じですね。
参考図書はこちらみたいな。
そうそう。いつも複数さ、結構本あるんだけど、今回この本に偏ってるんで、そういう場合はちょっとあえて言おうかなと思って。
いいと思う。
あ、このこと言ってたんかとかっていうのをさ、本見てね、知ってもらうことも大事だしね。
ああ、確かに。
うん。
そういうことで、戦争のまずさ、前っていうのは、当時のさ、日本人っていうのは驚くほどさ、今と比べると量の米を食べてたの。
ああ、っていうのはなんか聞くよね、そういうのは。
そうそう聞く。年間消費量で言うと約1200万トン。
ちょっと想像がつかないけど。
これね、イメージしにくいと思うから、一人単位にすると、1日ね、約3合。
一人当たり?
一人当たり。
3合か。ああ、だから3食だったら1食1合ずつ食ってたってことでしょ。
そうそう。これね、約茶碗にすると6.6杯分だから、で、しかも都市部だともうちょっと多くて約3合半とか言われてるんでね。
ああ。
そんなに食う?長丸今。
いや、若い時さ、何だろう、例えばカレーとかさ、家で作るじゃん。
うん。
その時は2合とか普通に食ってたけど1回で。
嘘だ、嘘だ、やめるやつじゃん。
03:00
いやいや、別に食えるもん、若い時だから。今やれっつったら無理だけど。
嘘すげえな。
いやいや、割とできるよ。だってさ、俺、ほら、ずっと運動やってきてたから、周りもやっぱそういう人だし。
ああ。
ああ、まあ2合はペロリみたいな、そんな感じで。
1合でも結構きついけどね。
そうだな、今カレー食うんだったら1合がちょっと限界かもしんない。2合は食いたくない。
いや、もう俺1合も絶対食ってないけどね。
ああ、でも俺1合ぐらいなら今食えるね。普通のご飯として。
すげえな。
まあそんなに食わないけど、いちいちあえて。だから別に、なんだろ、セーブして0.7とか6ぐらい合うな気はするけど。
ああ。
別にほら、それって腹8分目ぐらいで止めてるからさ、少なくとも。1合はまあ、1合食える。
食えるっちゃ食えるけど。
いや、さすがって言うけど、これ全然たぶんすごくないから。あの、大人の人たち絶対もっと食う人いるから普通に。
そう。で、まあこんな風にさ、戦前まではよほどの金持ち以外は多くの人はお味噌汁にわずかな漬物とかで大量のご飯を食べるだけっていうのが多かったんだよね。
ああ、なんかほら、ジンのさ、ところでもさ、そういう描写あるじゃん。まあジンは幕末だけど。
幕末とか特にもっとそうだろうね。
なんかご飯がさ、日本昔話みたいな感じのてんこ盛りでさ、で、なんかおしんこみたいなのとさっき言ったそのお味噌汁みたいなのがあって終わりみたいな。
そうそうそうそう。ほんとにそうなんだ。
で、みなかた先生が、え、これだけですかみたいなシーンがあるんだけど、なんかちょっと今それを想像しちゃったよ。
だから、あの、ご飯を食べるためにおかずがあるみたいな感じなんだよね。
ああ、そうだよね。うん。
だから、で、よく一十一歳みたいな言い方するけどね。
うん、確かに。
だから、魚や肉っていうのはさ、ほんとにたまにしか食べれなかったんだって。
ああ。
そう、江戸時代よりはもちろんさ、食生活っていうのは多少ね、改善されてきたところもあったみたいなんだけど、
うん。
決して戦前の日本も恵まれた食生活じゃなかったっていう点があるんだよね。
ああ。
そう、で、これさ、象徴的なのがさ、宮沢賢治のさ、雨にも負けずってあんじゃん。
うん。
これさ、1931年に宮沢賢治自身が書いたものなんだけど、
うん。
この中にさ、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べってあるじゃん。
うん。
そう、これさ、俺小学校の時に暗記させられてさ、今でもやっぱ覚えてんだよね。
すごいね。暗記はさせられなかったけど。
ああ、そうなんだ。俺なんかこれだけなんか残っちゃってさ、全文が。
すごいね。
まだ覚えてんだ。
そう、なんか、記憶が定着しちゃってる数少ないやつ。
いや、でさ、これさ、当時はさ、疾走な食事なんだろうなって想像してさ、
うん。
まあ、そういう詩じゃん、そもそもが。
まあまあまあ、うん。
でもさ、よくよく見ると、この玄米四合ってさ、
うん。
めっちゃ食ってるじゃん、みたいな思ったんだよね。
両方だけ言ったら、まあ、めっちゃ食ってるよね。
06:02
そうそう、このさ、部分って、日本が終戦の時に、
うん。
食料なんだったわけじゃん。
うん。
まあ、戦時中もそうなんだけど、で、ここでね、3号に書き換えられたんだって、この雨にも負けずの文面が。
1号減らしたんだ。
そうそう、いや、だから、そぐわないってことなんだよね。
いや、そぐわないっていうか、別に。1号減らしたぐらいじゃ変わんないでしょ、そんなに。
そうそう、まあ、こんな感じにさ、日本人っていうのは、おかずがほとんどなくて、大量のご飯を食べ続けるっていうのがあったんだよね、実際に。
うん。
そう、で、これはさ、ビタミン不足になって、よくさ、オトキンでも出てきてるけど、カッケになる人が多くいたんだよね。
うん。
これでさ、あの、症状としては、心不全とかさ、足の痺れとか、むくみなどが起こってさ、支障が出てくるわけよ。
うん。
で、ちょっと時代背景を軽くまず説明したいんだけど、1937年から日中戦争が始まったよね。
うん。
で、1938年に国家相談違法が制定されて、経済活動に国が介入することが始まっていったんだよね。
うん。
で、1940年になると、贅沢品の製造だったり販売を制限するっていう法律ができてきた。
うん。
で、これによってさ、贅沢は敵だみたいな、欲しがりません、勝つまではっていうようなさ、スローガンが出てくるような時代に入ってくるんだよね。
うん。
で、1941年になると、日本とアメリカの戦争の太平洋戦争が始まるんだよね。
うん。
で、まあ、こんな時代背景で、戦時下のちょっと食糧事情、まずは覗いてみましょう。
はい。
失礼します。
1941年から、都市部からさ、配給通帳制度が始まって、
うん。
1942年にさ、全国でこれは実施されるんだよね。
うん。
で、配給制度ってさ、よく聞くけどさ、
うん。
実際どんなもんなのかっていうと、
うん。
これさ、限られた物資を国民に公平に分けるための制度で、
うん。
具体的に言うとさ、世帯単位でさ、配給切符っていうのが渡されるんだよね。
うん。
で、その配給切符を持って、配給を委託されてる小売店だったり、
地域ごとの指定された配給所へ行くの。
うん。
そこで配給切符を見せて、それに印鑑をしてもらって、物資を購入するんだよね。
うん。
でさ、これさ、配給って言われるからさ、
ただでもらえるのかって思うかもしれないけど、
うん。
お金もちゃんと払うんだって。
うん。
いや、俺そうなんだと思って。
あれでしょ。だから、何て言えばいいの?
この物をこの分だけ買えます予見だよね、要は。
あ、そうそう。品目ごとに一人当たりの購入量が決められてるっていうような状態らしいね。
あー、そうだね。
そうそうそう。で、これによってさ、今までみたいにさ、好きな物を好きなだけ買うってことができなくなったんだよね。
09:02
うん。
これはさ、買い占め防止だったり、みんなが欲しい物がさ、異様に値が吊り上がるのを避けるためでもあるんだよね。
うん。
例えばさ、あのコロナでさ、マスクが手に入らなかった時さ、値段が吊り上がったじゃん。
うん。
まあ、そういうのをこう防止するためにでもあるんだよね。
あー。
だからさ、当時の国民っていうのはさ、与えられた、限られた食材で、次の配給日が来るまでに、しのがなければならないっていうのがあって、
うん。
それこそさ、これ買い損ねたら大変なことになるわけ。
うん。
ね、一家単位だから。
うん。
で、そのためさ、毎回配給される場所にはさ、長蛇のこう列ができて、
うん。
並ぶ時間はね、1日2時間とか、多い時には4時間半とかにも並ぶらしいんだよね。
4時間はきついな。ディズニーランドなんかもう目じゃないね。
いやー、だからそれがね、ほぼほぼ毎日起こってたんだって。
うん。
やばいね、これね。
確かに。
ファストパスがあればいいのにね。
いやーね、しかもそれがさ、なんだろう、娯楽じゃないわけじゃん。
生きるために並んでるわけじゃん、ほんとに。
うん。
で、これ配給制度ってさ、いきなり全ての物資が配給制になるわけではなくて、
うん。
徐々にこの生活必需品が配給制になっていくっていうイメージなんだよね。
うん。
で、最初にさ、配給制になったものってなんだと思う?
最初?
うん。
最初?ちょっと分かんない。最初とかって言われると分かんないけど、なんか味噌とか醤油とか砂糖とかその辺じゃないの?
あーそうそう、そういうのもなってったんだけど、
うん。あ、違うんだ。
あ、今当たってたな。あ、砂糖はそう。
あー。
マッチと砂糖なの。
マッチか、なるほど。ちょっとその、マッチは想像つかなかったな。
そうそうそう。マッチっていうのはさ、あの、ちょっと大人の人もイメージどうしてか分かんないけど、
うん。
ギンギラギンにさりげなくのほうじゃないんだよね。
あー、多分ね、誰もがね、え、そっち?みたいな感じになったと思う、今のは。
そう、当時火をつけるのにマッチって使ってたから、こっちもマッチだね。
多分ね、大人はね、あの、結構こう、世代は高い方だから、あの、皆さんマッチぐらい吸ってると思うよ。
そりゃそうだよね。
俺らですら吸ってんだから、逆に言えば。
いや、てか最初に言ったマッチも、あれ、マッチ坊から来てるから。
え?どういうこと?
え、あの、近藤、近藤正彦、なんだっけ、あのジャニーズの。
いやもうちょっと待って、名前言えてないじゃん。
ジャニーズのマッチも、小さい頃丸刈りで、顔が小さくてヒョロヒョロだったんだって。
うん。
それからマッチ坊みたいって、そっからマッチって来てるから。
え、そうなんだ。
うん。
えー、なんか、トリビアになりそう。
どうでもいいだろって言われそう。
いや、だからトリビアだからいいんだよ、どうでもよくて。
でさ、あの、もちろん、あの、砂糖っていうのも、
うん。
主にさ、海外からの輸入がメインで、
うん。
それとさ、あと、日本で多く製造してたのはさ、沖縄とかさ、
うん。
植民地としてたら台湾とかなんだよね。
12:02
あー。
そう、で、これってさ、戦争によってさ、日本本土へのさ、輸送に制限がかかって、
うん。
思うようにこう、手に入らなくなってきたんだよね。
うん。
だから、こう、砂糖は贅沢品だったんだよ、当時。
あー。
他にもさ、米とか、木炭とか、牛乳、小麦粉、肉、魚、卵とか、
ま、いろいろ、こう、配給制になっていったんだよね。
うん。
で、中でもさ、肉とかは貴重でさ、
配給はさ、ま、平均だけど月に一度しか来ないとか、
うん。
魚の配給は三日に一度とか、
うん。
野菜の配給は二日に一度みたいな感じで、
うん。
だからさ、当時の人って他の食材とかさ、生活物資を含めたら、
毎日、どこかで物資を求めて並ぶ必要があったのよ。
あー。
そう、それこそさっき言った、もう本当に何時間もかけて。
うん。
あらゆるさ、こう、なんだろう、生活物資が配給制になっていくと、
もう、いくらお金があっても手に入らないっていう時代になってったんだよね。
うん。
で、えっと、日本のさ、食事で、
最も食べられてたのはさ、冒頭でも言ったけど、お米なんだよね。
うん。
これがさ、一人当たり決まった量の米しか手に入らなくなってくるわけ。
うん。
でね、一人ね、一日あたりの配給量っていうのは、
だいたいね、二合ちょっとぐらいだって。
あー。
そうそう。
ま、ちょっとね、これ時期にも、年によっても変わってくるんだけど、
うん。
それまで食べていた米の量からすると、ま、2割ほど削減されてるんだよね。
うん。
そう、で、これ米ってさ、配給が始まった当初は、七分月っていう米が配給されてるの。
あー。
これさ、白米の一歩手前の状態で、米ってさ、稲から収穫された時は、もみがらっていう皮に包まれていて、
うん。
その皮をさ、取り除いた状態が玄米なわけじゃん。
うん。
で、周りにはさ、ぬか層とかさ、お米の凹んでる部分、肺がって言われる部分があって、
うん。
こういった茶色い状態なんだよね、この玄米っていうのは。
うん。
で、この周りの層を7割削った状態が、七分月って言われるの。
うんうん。
で、完全に削ってさ、ま、白いのはよくみんなが食べてるような白米なんだよね。
うん。
ちなみに長丸って白米?
うん、白米だね。
ま、そうだよね、多くの人はね。
うん、あんまり玄米食ってるとかっていう人の方が逆に珍しいんじゃない?
ま、確かに。
うん。
その後さ、五分月って米になって、
うん。
間もなく、完全にこうぬかを全部残した状態の玄米に配給が変わるんだよね。
うん。
で、玄米っていうのはさ、白米に比べるとさ、実はビタミン類が豊富で、
うん。
ただその反面さ、消化が悪くて下痢になったりしやすいんだよね。
うん。
だからよくあの、戦争博物館とか行くとさ、一升瓶があったりするよね。
うん。
だからどの家庭でも米をさ、一升瓶に入れてこう棒でつくんだよね。
うん。
で、このつくことで玄米のぬかを取り除くっていうことをしてたんだよね。
15:02
うん。
長丸もさ、つくの昔から得意だったよね。
な、なんの?
あ、つくの。つくのはほら、小片郎の千倍特許みたいなもんじゃん。
いや、メロッコ一応教養番組なんだよ。
いや、振ったの小片郎でしょ。
で、今ではさ、あの、健康だって言ってさ、玄米食べる人もいるけどね。
ああ、まあ確かにね。
うん。
なんかあんまりおいしくないって聞くけど俺は。
あ、あんまり食ったこともなんか記憶にあるかないかぐらいのレベルだけど。
自分もないかもしんない。
いや、たぶんね、食ったことぐらいはある気はするんだよね。
給食とかでもたまに出た気するもん。
あ、出てたのかな。
なんかね、出てた気がする。
ちょっと混ざったようなやつとか。
ああ。
だってなんか、給食のこんだて表に玄米牛乳うんたらとかって書いてあるの俺覚えてるもん、なんか。
ああ、一応ね、実家米農家だったけどね。
あ、そっかそっか。広大な農地があったもんね。
全然ちっちゃいわ。
カイコもね、養産もやってたし。
まあ、そう、ちょっと一応米の説明をね、あえて馴染みがない人もいるかなと思ってしたんだけど。
うん。
で、なぜさ、戦争になると食料が不足するのかっていう問題なんだけど。
うん。
戦地にさ、いる兵士にさ、これ食べ物を送るからでは決してないんだよね。
うん。
戦地の兵隊にさ、食料を送るとしてもさ、国民の総人口は変わらないわけじゃん。
うん。
で、そればかりがさ、戦地の兵士っていうのは、ガシ状態の人がたくさん実際いたんだよね。
うん。
よく日本兵の写真でさ、あばら骨が浮き出てるような、もう極度に痩せた写真って結構あるじゃん。
うん。
だから、食料はね、十分に与えられたわけではなくて、
現地の兵士っていうのは、自ら土地を開墾したりとか、芋やカボチャを育てたりして、上を凌ごうとしてたんだよね。
うん。
で、それでも、まあ、大勢の合社が出てるっていう状態で、まあ、当時っていうのはどこも食料団だったんだよね。
うん。
じゃあ、なぜ不足するのかっていうと。
うん。
一つ目はさ、日本ってそもそも輸入に頼っていた面があるんだよね。
うん。
俺はさ、江戸時代の鎖国の時っていうのはさ、一部の例外を除いてさ、基本的にはさ、食料自給率って100%だったんだよね。
うん。
まあ、もちろんさ、これで基金とかが起こってさ、合社を多く出したっていう判明はあるんだけど。
うん。
で、明治以降になると、人口増加もあって、食の消費量っていうのは上がり続けてったんだよね。
うん。
で、しかもさ、日本っていうのは工場にさ、力を入れて近代化を進めていったんだよね。
うん。
で、その結果さ、国内の生産だけではさ、まかないきれなくなってきたんだよね。
うん。
で、米で言うとさ、明治30年代からさ、輸入が始まって、インドとかタイから米を輸入するようになった。
うん。
で、その後さ、当時日本の統治下にあった台湾とか朝鮮で米の増産が進められて、国内の消費量のね、約20%が台湾とか朝鮮からの米って言われてる。
18:12
ああ。
そう。で、こんな風にさ、日本本土に必要な量を賄うには、海を越えてさ、輸送が必要だったんだよね。
うん。
たださ、1943年頃に入るとさ、戦争でさ、こう劣勢に陥った日本っていうのは、制空圏、制海圏っていうのを失って、孤立していくんだよね。
うん。
で、日本本土で見るとさ、外から入ってくる物資っていうのはもう当てにできなくなっていったんだよね。
うん。
だからさ、1944年から45年のこの2年間は、外からの米はね、一粒も入ってないって言われてるの。
ああ。
で、台湾、朝鮮、満州っていった植民地とかさ、占領地っていうのは、おそらくね、もっと食生活は苦しかったんじゃないかって言われてる。
うん。
で、不足しているさ、理由の2つ目がさ、軍需品を優先するからなんだよね。
うん。
日本はさ、米とかの輸入を止めて、その分を軍需品の材料など、輸入を優先させたんだよね。
うん。
米はさ、飛行機だみたいな弾丸だっていうスローガンがあるぐらいで。
うん。
これはさ、米にかからず、全ての産業に軍需品が優先されたんだけど、
うん。
それにもかかるさ、政府っていうのは、国内で食料増産するんだとかさ、自給自足をするんだって呼びかけるようになるんだけど、
うん。
現実はさ、多くの男性は戦地に行って、
うん。
戦地へ行ってない人もさ、14歳以上の男女の勤労が義務化されてた時代だから、
うん。
軍需産業へと借り出されてるわけ。
うん。
だから、国内の軍需品以外の食料や物資っていうのは、当然生産力は落ちるっていう。
うん。
だから、なぜ戦争になると食料が不足するのかっていうのは、こんな要因が考えられるんだよね。
うん。
そこで、戦時からの食事はさ、工夫して上をしのぐ必要があったんだよね。
うん。
で、これはさ、水の量を多くしてさ、かさ増しして、お粥とか雑炊にしたりとか、
うん。
あとは小麦粉などでさ、作った、よくスイトンってね、イメージするのが一番多いと思うけど、
うん。
そう、そんなのも食べたりとかもして、
うん。
で、お米の代わりにさ、芋が大役としてさ、多く活用されたんだよね。
うん。
これはさ、江戸時代の貴勤の時も多くの庶民を、あの、菓子から作ったんだけども、
うん。
ヨーロッパでもまあそうだよね、確か。
あ、そうなの?あんまヨーロッパのことは知らねえや。
そうそうそう。
で、芋ってさ、主にじゃがいもとかさ、さつまいものことなんだけど、
うん。
これってさ、気候やさ、土壌に左右されにくくてさ、
うん。
基本的には育てやすいんだよね。
うんうん。
だから、当時学校の校庭とか、庭とか空き地なども使えるところは使って、栽培をし始めたんだよね。
21:00
うんうん。
で、戦時中っていうのは、じゃがいもよりね、実はね、さつまいもの方がね、推奨されたんだって。
うん。
これ、なんでかと思う?
いや、わかんないけど、収穫量とか?
あー、収穫量になるのかな。あの、じゃがいもと比べるとね、
うん。
カロリーが高いんだって。
あー、収穫量じゃなくてあれだな、なんか物の質の部分だね。
うん。だからまあ推奨されたっていうのがあって、
うん。
しかもね、さつまいもっていうのはさ、乾燥するとさ、干し芋になるから、
うん。
結構日持ちにも向いてたりするんだよね。
あ、確かにね、じゃがいもを乾燥して干しじゃがいもとかっていうのは見えないよね。
まあね、なくはないかもしれないけどね。
なんかポテトチップスになっちゃってる気がする。
ね。やっぱ甘みがあるからね、美味しいもんね、さつまいもはね。
まあそうだね、なんかどっちが食べたいかって言われたらさつまいもって選んじゃうな。
うん。でさ、1944年に入るとさつまいものね、次はね、一家に一株かぼちゃの栽培が推奨されたんだよね。
うん。
これさ、さつまいもはさ、一応苗から育てる必要があるのに対して、
うん。
かぼちゃっていうのはさ、その辺に種をまけばさ、
うん。
勝手に芽が出て、花が咲いて、実が付くまで育つんだよね。
えー、そんな楽なんだかぼちゃって。
うん。
まあ、ちょっとかぼちゃ農家に怒られるかもしんないけどもしかしたら。
本当の多分、売り物にしたらもうちょっと必要なのかもしんないけど、
うん。
生きるためには、あの、それで実が付くことが多いんだって。
おー、まあいいね、それだったら。
うん。
で、しかもさ、貯蔵性に優れていて、
うん。
夏に収穫したかぼちゃっていうのは冬まで持つらしいんだよね。
あ、そんな持つんだかぼちゃって。
うん。
ただね、ちなみにね、今言ってるかぼちゃっていうのは、
うん。
当時ね、日本かぼちゃって言われるものなの。
おー。
今はさ、あの、西洋かぼちゃっていうのが主流だから、
うん。
おそらくね、日本かぼちゃって見たことないんじゃないかな。
なんかちょっと全然想像はついてないね。
そう、あの、西洋かぼちゃに比べると日本かぼちゃってあの、結構ゴツゴツしてる感じなの。
うん。
あのね、例えて言うなら、銀バッチみたいな。
ちょっと待って、わかんねぇな。
あの、だから、めっちゃこう線が入ってんの。
あー。
そう、深い掘りの線が入ってるような感じ。
うん。
で、甘みがね、実はこう少なくて、
うん。
粘り気が強いっていう特徴があるんだよね。
えー、なんかちょっとあれなのかな。
甘みがないってことは、なんか茄子とかそっちに近くなるのかな。
あー、そう、だからなんかね、日本料理とかで、
うん。
使ったりするらしい、今は。高級店とか。
あー、でもそういう高級店とかで出るやつなんだ。
そうそうそう。で、粘り気が強いっていうのもあるのかな。
うん。
あとあの、甘みっていうのはまあ、ほら、調味料でさ、たぶんなんとかなんじゃん。
うん。
おそらく。
で、戦時中っていうのはさ、こう、かぼちゃの葉とか花まですべて食べたって言われてんだよね。
24:03
うんうん。
で、戦争末期になるとさ、そもそも野菜って、結構生で食べるってこともしてたんだって。
うんうん。
刻んだりさ、まあ、洗ったりさ、あの、火にかけたりするとさ、
うん。
貴重なさ、栄養分がなくなっちゃうんだってね。
あー。
あとは、量がそもそも減っちゃうとか。
うん。
だから、そのまま皮とか根も葉も食べるっていうような時代があったんだよね。
うんうん。
で、今までさ、こう、捨ててた部位っていうのも残さずに、もう、もちろんすべて食べるみたいな。
うん。
そう、で、その他にはさ、稲子とかさ、野草っていうのもさ、食べたりとかしてるんだよね。
あー。
これさ、戦時中っていうのはさ、あの、農村と都心のさ、暮らしっていうのが、形勢逆転した時期でもあるんだよね。
うん。
戦争前っていうのはさ、農村部の暮らしは、まあ、比較的困窮してて、
うん。
米を作ってる農民でさえ、自分たちの米を食べずに、米を売ったお金で安い輸入米を買ってた時代で、
うん。
戦前はね。
うん。
それにさ、麦やさ、芋や雑穀を混ぜて食べたりとか、
うん。
で、一方、都心部っていうのはさ、農村部と比べるとさ、食生活も割と充実していて、
うん。
比較的こう、裕福な暮らしをしてる人が多かったんだよね。
あー。
そう。で、これがさ、戦争に入ると逆転して、
うん。
都会から食べ物が消えて、自給自足をしてる農村には食べ物が残るっていうような状態になったんだよね。
あー。
これさ、あの、知らす次郎がさ、都会の家を売り払ってさ、農村で自給自足したっていうエピソードがあるんだけど、
うん。
ね、うちらあの、部外草よ、前行ったじゃん。
あー、行ったね。あの、番外編にならなかったやつね。
ならなかった。幻の。
そうですね。
あそこにさ、住んでさ、要は自給自足したんだよね。
あー。
まあ、賢いというかね、知らす次郎はちょっとあの、いろいろ情報が入ってくる立場にあったから、
うん。
そういうのも読んで行動したっていうのもあるんだろうけどね。
うーん、そうだね。
で、最終的にはさ、廃給ってさ、滞るようになってくるんだよね。
うん。
廃給が、そもそも来ない日も多くなって、
うん。
そうなるとさ、暮らすことがさ、難しくなってくるんだよね。
うん。
で、特に都心部の人たちっていうのは、どうにかして食材を確保しなければいけないっていうのがあって、
うん。
それにはさ、汽車に乗って郊外の農家に行って直接買いに行ったりとか、
うん。
あとは闇取引って呼ばれるさ、非合法で食材を確保したりしてたんだよね。
うん。
闇取引ってさ、1939年に価格統制令が施行されて、
うん。
でさ、すべての物資はさ、政府が取り決めた値段で取引することになってたんだよね。
うん。
で、この闇取引っていうのは、この決めた値段よりも高値で売買をするんだけども、
うん。
27:00
何倍とかさ、何十倍ものさ、価格に実際はなってたって言われてんだよね。
うん。
で、もちろんこれは違反でさ、見つかれば没収されてさ、処罰の対象にはなるんだけど、
うん。
これよくね、戦後とかに聞くよね、闇取引ってね、闇市か。
そうそう、なんか闇市のイメージだね。
そうそうそう。で、戦時中も同じようなのがあったんだよね。
うん。
まあ、こんな風にさ、戦時中っていうのは食料が不足して、栄養失調だったり、飢えで亡くなる人が多くて、
うん。
特に赤ん坊とかね、子供、お年寄りなどが多かったって言われてる。
うん。
そう。で、それ以上にさ、まあ悲惨だって言われるのがさ、さっきも言った戦後なんだよね。
うん。
あの空爆によってさ、破壊されてさ、家もなくて、焼け跡の後さ、バラックでの生活をしてる人が多くて、
うん。
さらにさ、戦地から戻ってくる人たちもいるし、
うん。
で、台湾とかさ、朝鮮、満州、南カラフトなどさ、多くの土地を失って引き上げてくる人たちもいたんだよね。
うん。
でもさ、日本本土にはさ、食料が不足していて、多くの人がこう、飢餓で亡くなってるんだよ、実際。
うん。
あとはね、東京ではね、上野駅付近で、ガシ社がね、1日平均2.5人出てた時代もあったんだって。
うん。
だから、戦争になればさ、こんな風に必ずまた同じことが起こるし、
うん。
今だったら、それ以上の悲劇が起こると思うんだよね。
ああ。
うん。だって、食料自給率ってもう戦後よりもだいぶ下がってるから。
うん。
まあ、そんな風にして、今回、戦時下の食事について話しました。
はい。
いかがでしたでしょうか。
まあ、そうだね。戦時下のさ、その食料事情的な部分っていうのはさ、
まあ、大変だったんだろうなとかっていうのは多分みんな知っているところで、
ただ具体的な感じなところっていうのはさ、ちょっとピンとこない人も結構いるんじゃないかなっていうところで、
ちょっとそういうところ、なんか知れたっていうのが良かったかなっていうところと、
うん。
まあ、あとはやっぱりあれだよね、もう俺は完全に蛍の墓だよね。
ああ、蛍の墓。
そう、もう、なんだろう、戦時下の食事っていうともうあれを思い浮かべる。
飴出てくるじゃん、あのドロップ飴。
うん。
ね、あんな飴がさ、すごいやっぱさ、もうね、すごい貴重なものになってきちゃうような時代なわけじゃん。
ああ、確かに。
で、ほら、最後あれに水入れてさ、ちょっとこう甘い汁を飲むっていうシーンもあるじゃん。
なくなっちゃったからさ、中身が。
うんうん。
でもやっぱ、そうまでして、こう、なんか甘いものっていうかさ、が欲しかったっていうかさ。
ああ、確かに。
ね、まあ最終的にほら、あの、ちょっと名前忘れちゃったけど、あのお兄ちゃんの方もさ、あの飢餓で死んじゃうじゃん。
うんうん。
だから最後のその上野でさ、2.5に死んじゃったっていう話もあったけどさ、なんかやっぱその辺もこうね、ああ、なんか蛍の墓だな、本当にっていう感じはした。
いや、もうほんと想像さ、するの難しいぐらいね、こんな時代があったんだっていうね。
飴で言ったらさ、もうアメリカ兵とかのさ、周りでよく飴くださいとかさ、あのチョコレートとかもらったりとか。
30:03
うん。
実際になんかアメリカ兵が捨てた残飯を食べるっていうこともしてたんだって。
ああ、なるほど。
そうそう。いや、なんか最初に言ったさ、あの、欲しがりません、勝つまではっていうスローガンがあったけどさ。
うん。
で、その結果がね、こんな形でね、なって。
もうプライドもヘッタクレもないからね。
もうね、ね、生きるしかないもんね。
そうだね。
ぜひね、この1000時間の食事はうちらでちょっと再現やってみたいね。
ね、どういう料理になるんだかわかんないけどさ。
チャレンジをね、今度してみようかなっていうね。
そうだね。
そう、まあ、ということで、もしよかったら概要欄にホームページがありますので、覗いてくれるだけでも嬉しいなって思います。
はい、今まで放送した回のブログでちょっと文面で紹介してたりっていうのもあるんで、ぜひとも覗くだけでも嬉しいなと思います。
そうですね、よろしくお願いします。
はい、ぜひともよろしくお願いします。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
31:19

コメント

スクロール