00:04
一郎は言った、小さいことを積み重ねるのがとんでもないところへ行く、ただ一つの道だと思っています。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんかあれだね、一郎が言うとさ、すごく聞こえるよね、いいことに。
ね、実績があるからね。
そう、でもほら普通の人がさ、小さいこと積み重ねたって別に何にもなんないじゃん。
悲観的だな。
だから一郎とかみたいなさ、やっぱすごい人が言うからね、その言葉ってこうグッてくるんだけどさ、俺がだってさ、いや小さなことの積み重ねだよとか言ったってさ、誰もほらね、グッてこないじゃん。
いやいや、その結果今とんでもないとこ行ってんじゃん。
ははははは。まず小さなことすら積み重ねてないっていうのが現状だけどね。
いやいや、積み重ねてるでしょ。
え?全然ないね。
まあ、ということで今日は長丸がどんなとんでもないところへ連れて行ってくれるのか楽しみです。
あ、今日はね、とんでもないところというか、違う国のお話ですね。
え?ちょっと待って、どういうことだ?
えっと今日はスマラン事件やりたいと思います。
え、なんだ、またしても知らないな。
スマラン事件を知ってる人はね、多分あんまりいないかもしれない。
スマラン事件っていうのは、えっとね、1945年の10月15日から19日にかけてなんだけれども、5日間戦争とも言われてたりするんだけど、
はいはい。
ジャワ島のスマランっていう都市があって、スマランっていうのはそのジャワ島のだいたい真ん中ぐらいの都市なんだけれども、
うん。
そこで起こった事件なんだよね。
はいはい。
そう、で今日はちょっとそれを題材に、というところで。
で、スマラン事件はもちろん1945年って言ったから、もうお分かりの通りさ、日本が関係してくるのよ。
はいはい。
で、ちょっと事件の背景を説明する前に、ちょっとインドネシアっていうところの、ちょっと軽い歴史のところから入っていかないといけないんで、そこから説明しますというところで。
はい。
まずインドネシアって、もともと日本がインドネシアを占領する前っていうのは、オランダが統治してたんだよね。
はいはい。
で、オランダ領として統治されていたのにも歴史があって、だいたい大航海時代っていうのがヨーロッパで始まってさ、どんどんヨーロッパ諸国がさ、植民都市を求めて世界に散らばっていくわけよ。
その流れでオランダもインドネシアを植民地にしていくわけよ。
はい。
で、1609年に東インド総督っていうのを置いて、そこからが一応このオランダ統治の始まりとも言われてるんだけれども。
うんうん。
だからもうそんな1600年ぐらいからもうね、日本で言ったら関ヶ原とかその辺じゃん。
03:00
うん。
その辺からさ、もうずっとオランダの統治が始まってたわけよ。
はいはい。
オランダっていうのはさ、もちろん植民地だからさ、現地の人たちを儲かる商売をしたいがために、例えばさ、コーヒーだったりとか、サトウキビとか、またお茶とかタバコとかそういったものを栽培させて、でそれをこう安値で買い上げて利益を得てたんだよね。
はい。
で、これ現地の人からするとさ、まあ最終的にでも働く場所も与えられていいんじゃないかとかって思う方もいるかもしれないけれども、実際結構ほんとに安値で買い叩かれてたっていうのもあるし、そもそも元々米農家だった人たちも、はいじゃあコーヒー作れ、タバコ作れとか言って食えないものを作らされるわけよ。
うんうん。
だから元々やってた農業っていうのがもうめちゃめちゃになっちゃって、実際インドネシアではあのたびたび飢饉なんかも起きてたりするのよ。
はい。
まあそういった形で現地の人っていうのはかなりこう絞り取られてたし、すごい辛い目に遭ってたわけよ。
うんうん。
だんだん時代が経つとさ、こうちょっと倫理的な部分で、ほら例えばアメリカだったら黒人解放みたいな動きが出たりとかしたじゃん。
うん。
そういう流れでやっぱり倫理的にさ、そういう現地の人間をそういうふうに扱うのはどうなのっていう流れも出てきたから、いわゆるその強制栽培方法っていうのはだんだんだんだん緩和されていくのよ、時代とともに。
はいはい。
ただとはいっても、やっぱり植民地の現地の人間よりも、まあ例えばこの場合だったらオランダ人の方が偉いみたいな、その上下関係っていうのはあったし、
うん。
インドネシアに限って言えば、そういう強制栽培みたいなものはなくなってったんだけれども、あそこって油田があるの。油田っていうか石油が出るから油田開発にシフトしていくわけよ、どんどん。
うん。
結局のところさ、こう、例えばコーヒーとかさ、サトウキビとかさ、そういったものの栽培っていうのだってさ、まあオランダが儲けたいがためじゃん。
うん。
で、じゃあ石油っていうのも結局さ、オランダがもちろん使う分もあるけれども、結局資源の削除することによって儲けられるんだよね。
はいはい。
っていうような形で、やっぱり敷いてあげられてるっていうこの関係性っていうのはずっと変わらなかったのよ。
うんうん。
甘くはなってきたとは言ってもね。
はい。
ただ、甘くなってきたっていうのはどういうところかっていうと、例えば現地に学校作ったりするのよ。
うんうん。
で、学校作るとどんどんどんどん勉強する人が出てくるでしょ、現地の人間でも。
はい。
そうすると、現地の知識層が増えるのよ。で、知識層が増えると、これはおかしいぞってことに気づくのよ。逆に言うとそういうのがないと、これがおかしいって気づけないんだよね。
あー、はいはい。
そう。で、知識層が増えてったことによって、学校とかそういう教育っていうのが充実してきてね。で、増えてきたことによってインドネシアはインドネシア人の国にするべきじゃないかっていうさ、いわゆるナショナリズム、民族自立の運動っていうのが出始めてくるのよ。
はいはい。
ただ、そういう運動が出始めてもオランダにもう鎮圧される。もう武力で鎮圧されるっていうような状態だったわけ。
うんうん。
これがざっとそのちょっと第二次世界大戦前のインドネシアの部分になるんだよね。
06:04
はいはい。
そんな中、日本っていうのはインドネシアに侵略していくわけよ。
うんうん。
で、1939年に第二次世界大戦が始まって。
うん。
で、1940年の5月15日にオランダがドイツに降伏するのよ。
はいはい。
本国の話ね。本国オランダはドイツに占領されちゃうわけね。ナチスドイツに。
うん。
で、オランダの政府っていうのはイギリスに亡命するからオランダっていう国が消滅するわけじゃないんだけれども、インドネシアはじゃあどうだったのかっていうところで、
インドネシアはオランダのその亡命政権、イギリスに握ってた亡命政権参加であり続けたんだよね。
うんうん。
まあ要はドイツに本国占領されちゃったからインドネシアがドイツになりましたってことはなくて、
うん。
オランダの亡命政権がこう管理するっていうの。管轄みたいな感じにはなってたのよ。
はいはい。
まあドイツもさヨーロッパ戦線で忙しいからさ、そんな東アジアのさこう東南アジアとかそういったところのさ、要はイギリスだったりオランダだったりとかさフランスだったりとかそういったところの国の領土までどうにかするっていうことはできなかったわけよ。
うんうん。
で、そんな中日本が1942年の2月に進行してくるわけ。
はいはい。
インドネシアにね。
うん。
で、これはもう全然勝負にならなくて、日本軍はもう全然意気揚々とした感じでピンピンした状態で来てるわけよ。
うんうん。
で、オランダっていうのはさ、そもそも本国がさ乗っ取られちゃってるわけじゃん。
うん。
やっぱり本国がピンチの時にさ、そもそもさ、そんなに兵隊をさ、そういう植民地とかに裂かないじゃん。
うんうん。
だからさ、要は一軍はみんなヨーロッパに行ってて、二軍部隊みたいなのしかいなかったわけよ。
はいはい。
だからまああっという間に日本に敗れて、全面降伏するんだよね。
うん。
そこから日本の軍政化に置かれるインドネシアは。
はいはい。
で、ちなみにこの1942年の2月に日本が侵略したことによって、約350年も続いてたオランダの支配っていうのは実質的にここで終了するわけ。
はいはい。
350年植民地だったっていうのもすごい話なんだけど。
うんうん。
まあとにかくインドネシアっていうのはそういう歴史でこう来てたわけね。
はいはい。
で、日本はオランダ人とちょっと違って、あ、その軍政化に置いた時ね。
インドネシア人の優遇政策っていうのを取ってたのよ。
うんうん。
今までインドネシア人っていうのはもうこう結構差別的って言ったらちょっと語弊あるかもしれないけれども、やっぱりちょっとこう下に見てたわけよ、オランダ人っていうのは。
はい。
ただ日本っていうのはそこをもう一切やめて、インドネシア人であろうとも優遇政策を取ったわけよ。
はいはい。
だからもちろん一方では人気は出たわけよ。
うん。
ただ日本も大東亜戦略指導大綱に基づいて、例えば日本語教育をするとか、まあいわゆる公民化だよね。
うん。
公民化政策っていうのを行っていって、まあ結局ちょっとこう日本はさ、どっちかっていうとこう上から支配するっていうよりは、ここは大東亜共栄圏だからみんな仲間だよ、ただし日本の真似してねみたいなそういう感じなんだよね、どっちかっていうと。
09:03
うんうん。
まあ現地の人からしたら変わんないじゃんっていう話にはなってくるんだけど。
はい。
で、一方日本もインドネシアを独立させようっていう動きはちょっとあって。
うんうん。
それはさっき言ったさ、結局大東亜共栄圏を作るために別に日本の植民地を作りたいっていうのはまああったと思うけど、どっちかっていうとこう共栄して生きていけるようなそういう国を作りたかったっていうのもあったと思うから、まあ別に独立に反対してたっていうわけじゃないんだよね、インドネシアの。
はいはい。
インドネシアのそういう独立したいなっていう人たちを教育したりっていうこともしてたのよ、一方で。
まああの名前で言うとスカルノとかハッタっていう人が有名なんだけれども、スカルノってあれね、デビ夫人の夫ね、旦那さん。
ああそうだよね。
そう、スカルノ大統領、後に大統領になる。で、例えばそういった人たちっていうのは結構日本人な人なんだけど、まあそれはそういう理由があってっていうところなんだよね。
うんうん。
で、まあそういった人たち中心にこう独立の準備っていうのがどんどん進められてたわけ。まあ実際日本がどこまで本気だったかっていうのはちょっともう別問題なんだけど。
うん。
たださ、もうすぐその3年後ぐらいにさ日本っていうのは敗戦じゃん。
うん。
1945年の8月15日にまあ漁港放送で日本のあの終戦というか敗戦っていうのが完全に決まって、それを見たインドネシア人たち、まあいわゆるそのさっき言ったスカルノとかハッタとかっていう人たちは8月の17日にインドネシア独立宣言を出すのね。
はいはい。
あ、日本破れた。じゃあもうこれで統治する人たちいない。じゃあもうインドネシア独立だって言って、もうたった2日後だよね。インドネシア独立宣言を出すわけ。
うん。
で、この時ってね、ちなみになんだけど、インドネシアってさあの日本軍がまだいたのよ。
はいはい。
で、そもそもなんだけどインドネシアって連合国軍が来てないのよ。
あーそうなんだ。
そう、飛ばされてどんどんどんどんこう日本本国に行ってったから、ここにいた日本軍っていうのはまあ無傷っていう言い方は変だけど、まあほぼほぼ武器とか弾薬とかも全部持った状態で終戦を迎えてるわけ。
うんうん。
その状態なんか要は日本軍っていうのは全然その壊滅とか何もしてない、ほぼ無傷状態でまるっといたわけね。
うん。
ただ終戦したから、連合国軍側から日本軍は武装解除してくださいってこう言われてたっていうような状況なわけよ。
はいはい。
で、そんな中まあ8月17日にインドネシア独立宣言が出て、ただ連合国軍がこう来るまでの間、誰かが治安を維持しなきゃいけないってなるのよ、インドネシアの。
まあそもそも8月17日にさその独立宣言出されちゃうようなレベルだからさ、これはまずいぞって連合国側も思ってるわけよ。
はいはい。
だって要はオランダからしたらもともと自分の植民地だったわけじゃん。
うん。
それがさ日本がこう横槍入れてきて奪われちゃったがために、まあ要は追い出されちゃってるわけじゃんオランダって。
うん。
で、日本が負けたんだから元に戻るべきでしょっていう、わかるなっていう考えではあるけど。
うん。
そういう考えがあるから、やっぱりそんな勝手に独立宣言なんか出されてほしくないしっていうのもあって、治安維持を日本に頼むのねこれ。
あーそうなんだ。
12:00
そう。えっとね8月26日にあの乱軍で協定するんだけれども、それに基づいて日本軍っていうのが現地の治安維持の責任を負うってことが決まるのよ。
うん。
これはほら日本軍がさ要はほぼほぼ無傷で残ってたから、もうそれを利用しない手はないっていう感じだよね。
はいはい。
まあこれはまたちょっと微妙な話にはなってくるけど、たださ連合国側もさなかなかさ来てくれないのよインドネシアに。
はいはい。
まあ理由は様々あるんだよ。ヨーロッパだってそんなにさ余力あるわけじゃないしっていうのもあるし、まあそもそももう日本負けて降伏してるから、でその日本軍が一応守ってるし安心でしょっていうところもあったのかな。
ちょっといろいろ理由あると思うんだけど。
うん。
連合国軍側の派遣要員っていうのがほんともう微量な数しか来なくて、全然さ要は治安を維持するのに必要な兵力が全然来ないのよ。
うんうん。
だからなかなか日本軍っていうのは後退できないでいたのね。
はいはい。
日本軍の立場からしたらめちゃめちゃ微妙だと思わない?
そうだね。
だって敗戦してさもう武装解除してくださいって言われてるけど治安維持してくださいって言われてて、なんか武器持ってんだよ。
治安維持はあれな連合国側から言われてるの?
そう。
じゃああれだね、インドネシアの独立を目指そうとする人たちが敵みたいな感じなのかな?
そうだね、その対立構造で間違いない。
うんうん。
だから日本からしたらさめちゃめちゃ微妙なラインなわけよ。
うん。
自分勝手に武器使ったらさ、いやなんで終戦した、終戦っていうか敗戦した国が勝手に武器使ってんの?とかなっちゃうし。
うん。
かといってさ、何もしないわけにもいかないしっていうなんかすごいこうちょっとすごい微妙なラインを日本っていうのはいたわけね。
はいはい。
で、そのインドネシアの独立派からするとさ、この後オランダがまた戻ってくるぞっていうのはもう分かることじゃん。
うんうん。
だからこれは戻ってきた時にオランダと戦争しなきゃいけないって。
はいはい。
そう独立を勝ち取るためには戦争しなきゃいけないんだっていうんで、少しでも武器が欲しかったのよ。
うん。
で、その独立派の人たちっていうのは日本軍のところ行ってこう武器の引き渡しを求めるんだよね。
はいはい。
で、もちろんこれは日本軍は断るのよ。
うん。
これは何でかっていうと連合国側からもそう言われてたから、いや絶対渡しちゃダメだよみたいな。
はいはい。
まあ分かるよね。渡したらだって絶対いいこと起きないじゃん。
うん。
だから日本っていうのは立場的にすごい微妙なところだったんだけど、まあ仕方なく言いつけられたからとりあえず武器は自分らが持つしかないみたいなそんな感じ?
はいはい。
本当は武装補給してから武器なんか捨てなきゃいけないんだけどっていうところもあるんだけどね。
うんうん。
で、インドネシアの独立派っていうのはどんどん要求がエスカレートしてくるのよ。
うん。
そんな感じだから。
例えば9月に入った時にもう日本軍の部隊とか、まあ倉庫とかがあるんだけど、そういったところを襲撃し出すのよ。
はいはい。
で、もう無理やり武器を強奪したりっていうことも、まあそういう事件もだんだん起きてくるわけね。
はいはい。
で、これはね、あのやっぱり連合国軍側が徐々にだけれども、どんどんどんどんインドネシアに切り出してて。
うん。
だから焦ったんだよね。
あーはいはい。
15:00
やばいこのままじゃ丸腰のままじゃ戦えないって言って、とりあえず武器を手に入れないとっていう感じ。
うん。
で、何度も言ってるけど日本軍っていうのはもう対応に苦労するわけ。
はいはい。
板挟みだからね。
うん。
日本ってさ、そうちょっと初めの方にも言ったけどさ、インドネシアの独立に対しては別にさ、まあいいよぐらいの感じのスタンスなわけよ元々。
はいはい。
でも連合国側からはそれをするなって言われてるわけじゃん。
うん。
だから板挟みなんだよ本当に。
で、そんな感じで、なんだろう板挟み状態の日本っていうのが困ってくっていうところになるんだけど。
はい。
で、ジャワ島の東部にスラバヤっていう都市があるんだけど。
はいはい。
そこで日本軍が、いやもうちょっとこんな板挟み嫌だから連合軍が早くもう武器もらってよみたいな、もううち武器捨てたいからって言って。
うん。
引き取りをお願いするのよ。
あーはいはい。
そうそう。で、それで連合軍がよいしょ分かったOKだっつってOK出すんだけど。
うん。
ただね、これがあんまり良くなかったんだけど、じゃあ日本軍は武器捨てちゃうから治安維持は現地の人たちの警察に任せようってなるのよ。
はいはい。
現地人ってインドネシア人じゃん。
うんうん。
だから結果的に独立派にそこから武器が回るのよね。
あーはいはい。
だから結局さ、現地の警察だっつったってインドネシア人なわけじゃん。
うん。
だからインドネシア独立派の方の味方するよねっていう。
はいはい。
で、そんな感じでさ、東部の方でそういうことが起きて、だから他の地域でもそれを洗礼にして独立派がさ、よいしょ同じことやれやれって感じになってくるのよ。
だから盛り上がってきちゃうわけね、要は独立派の運動が。
うんうん。
例えば、ジャワ西部のバンドンっていう都市では、日本軍の憲兵隊とか飛行場とかそういったところを襲撃して、日本人もちょっと死者が出ちゃったりっていうような事件が起きたりするのよ。
はいはい。
あとガルーっていうところでは、日本兵42名が無抵抗のまんまもう殺されちゃうとか。
あー、はいはい。
そう、無抵抗な理由はいろいろあるけど、とにかく無抵抗な人間だけれども殺して武器奪われちゃうみたいな。
うんうん。
で、他にもブカシってところでは、竹下海軍大佐、大佐の一行86名いたんだけど、それが襲撃受けて拉致されて、最終的に武器を渡せってなったんだけど拒むのよ。
うんうん。
防犯だからみんな殺されちゃうみたいな。
あー、そうなんだ。
そう。で、こんな感じで、ジャワ島の各地で独立派と日本軍の争いじゃないんだよね。一方的に日本は無抵抗のままやられちゃってるから。
はいはい。
ちなみにこのスマランっていうのは中部のジャワなんだけれども、そこで独立派の攻撃を受けた日本軍っていうのもいて。
うん。
日本軍が300人と、民間人もいたから日本の。日本の民間人100人が、武装してる独立派には何も戦いたくないですって言って城畑あげて降伏するんだけれども、劣悪な環境に倒獄されて、それで多くの人が亡くなっちゃうなんてことも起きたりするのよ。
うんうん。
そんな感じで、ジャワ島っていうのは悲惨な状況になっていくわけね。日本軍にとって。
18:01
はいはい。
で、じゃあちょっと話はスマランに戻すけど、スマランじゃあどうだったのかっていうところなんだけど、スマランっていうのは連合国軍の到着がかなり遅い方だったんだよ。そのジャワ島の中でも。
はいはい。
だから10月の半ばぐらいになっても日本軍がずっと治安維持してたのね。
へー。
だってもう終戦8月の15じゃん。で、2ヶ月ぐらいだから日本がずっと治安維持してんのよ。まだ武器持ってね。
はいはい。
そう、なんかなかなかやっぱここの立場が微妙だと思うんだけど。
うん。
そんな中、10月の12日に独立派の軍集が日本軍が中途してるところにね、大勢で来て、武器を渡せって来るのよ。
はいはい。
で、それは断るの。そしたら2日後にもまた来たの。
うん。
それももちろん日本側拒否するわけ。渡すわけはないよねっていう。
はいはい。
まあそんな感じでこう、なんだろう、日本軍ともこうバチバチになってきてる中、やっぱ周辺の治安っていうのがめちゃめちゃ悪くなっちゃったのね。
うんうん。
日本としてもさ、やっぱりさ、下手に出歩いたら殺されちゃうから。
うん。
だからなるべくこう中遁地にね、とどまってなんか耐えようみたいな、どっちかっていうのは流れとしてはそうなってたし。
はい。
で、周辺の治安っていうのがめちゃめちゃ悪くなって、例えばスマラン製鉄所っていうのがあるんだけど。
うん。
まあここに日本人が339人いたのね。
はいはい。
そう。で、これはもうみんな現地の警察に拘束されちゃうのよ。
へえ。
で、他にも別に日本人に限らず、そのスマランの市内にはね、2000人ぐらい外国人がいたのよ。
うんうん。
で、そういった人たちもみんな刑務所に監禁されちゃうわけ。
はいはい。
っていうような感じで、もうめちゃめちゃ治安が悪化しちゃったから、もうこれはもうダメだってなって、10月15日の早朝、日本軍が武力行使に出るんだよね。
うんうん。
要は軍隊がただただ武器を使ってなかっただけだから、もうこれはもう武器を使って戦うしかないってなって、10月15日に武力衝突するの。独立派の人たちと。
はいはい。
で、実際戦えばそれは日本軍の方が強いのよ。
ああそうなんだ。
だって、まず独立派の人って要は民間人だもん。
ああはいはい。
軍隊じゃないわけね。
うん。
対する日本軍じゃん。ちゃんと軍事教育を受けてる人たちだし、まあ訓練もしてるし、そもそも武器がやっぱり一番いいものを使ってるから。
うん。
連合国軍が来てないところだったから、やっぱり日本軍は弾薬とかもつきてないし、フル装備なわけよ。
はいはい。
そう、だからまあ当然ながら武装勢力との戦闘をやったって日本が圧倒的に勝つわけよ。
うん。
で、これが5日間行われたから5日間戦争なんていう呼び方もされるんだけれども、いわゆるこれがスマラン事件なんだよね、全容としては。
はい。
で、その5日後の10月19日に日本軍とインドネシア人の治安団体とで定戦協定が一応結ばれて一旦は治まるわけ。
うんうん。
で、この事件の結果、インドネシア側っていうのはだいたい2000人ぐらいが亡くなったって言われてるのよ。
ああそうなんだ。
そう。これはもちろん日本軍に殺されたってことね。
21:00
うんうん。
もちろん日本側はどうだったのかっていうと、日本軍としては28人が亡くなって、そのプラス15人ぐらいが行方がわかんなくなっちゃってるの。
まあ死んじゃってるんだと思うんだけど。
はい。
だからまあだいたい40人ぐらいが亡くなってるんだよね。
うん。
だからまあ2000人に対して40人の死者だから軍としての戦いだったら圧倒的だったのはわかるじゃん。
はいはい。
たださ、それまでにさ、例えばさ、刑務所に監禁されましたって話とかしてたじゃん、市内にいた日本人がとか。
うん。
こういった人たちが結果から言うと150人ぐらいはもう殺されてたのよ。
ああそうなんだ。
そう。結構ムゴイ殺され方してて、なんか竹槍で刺されてとかさ、でなかなか、急傷刺されるわけじゃないからずっとこう生きながられて苦しみながら死んでっちゃうみたいな。
うんうん。
で機銃装置でこうバーってさ、なんだろ、銃撃受けたりもするんだけど素人が銃使ってるから、やっぱりこれもなかなか一発で死ねるところに当ててくんなくって、
結構もだえながらずっと長い時間生きてて、でも結果死んじゃったっていう人も多かったらしいのよ。
はいはい。
っていう感じで結構まあその亡くなった方っていうのはまあなかなかムゴイ殺され方してるんだよね。
うんうん。
でちなみに停戦したんだけど結局治安って回復しないのよ。
ああそうなんだ。
そう。この後もうたびたび周辺都市では日本人のいる場所とかが襲撃されたりして、殺人事件みたいなのはこう頻繁に起きるのね。
うん。
っていう感じでまあ結局ねスマラン事件が終わったから日本っていうのは安泰になったっていうわけでもなかったってところなんだよね。
はいはい。
でこの結果インドネシアの独立派に日本軍の武器っていうのがだいぶ渡ったのよ。
うんうん。
このスマラン事件を通して、まあスマラン事件だけじゃなくて他の地域でも起きてたいろんなところからこう日本の軍のさ武器を奪ってさ、要は独立派っていうのはめちゃめちゃ武装できるようになったわけ。
はいはい。
でこれが結果的にインドネシアの独立戦争で戦ったのはイギリスとかオランダなんだけどめちゃめちゃ苦しめることになるんだよね。
はいはい。
でインドネシア独立戦争っていうのはもうその日本がさ敗戦してからもう始まってるようなもんだから。
うん。
そこから1949年のハーグ協定っていうのがあるんだけれどもそこでオランダが正式にインドネシアを放棄するのよ。もうここはオランダの領土じゃありませんみたいな。
はいはい。
でインドネシアっていうのは明日共に独立を達成しましたっていうところなんだよね。
はいはい。
でそんな感じで今日のスマラン事件っていうのはちょっと説明した通りなんだけれどもこのインドネシアの独立を語る上で外せない事件なんだよね。
はいはい。
でそこにやっぱり日本人っていうのがものすごく大きく絡んでて。
うん。
ただ日本じゃあんまりこれを知ってる人はいないんだよね残念ながら。
いや知らなかった。
そうなんでかっていうとやっぱりその終戦後すぐのさ事件だしあんまりこういい事件じゃないんだよねやっぱり日本人も多く殺されちゃってるし。
うんうん。
だからなのかなちょっとなんであんまり日本じゃこういう話って出ないかなっていうのは気になるんだけど。
あー終戦後っていうのがありそうだけどね。
24:00
うん結構ねそのインドネシアの独立に関してはさ日本の貢献みたいなところが取り出されることが多くて。
うん。
インドネシア独立戦争の時に日本軍であのインドネシアに残った人たちが結構いるんだよ。
はいはい。
あー要は終戦しても帰んなかった人たちね。
もちろんその治安維持部隊とかもさ連合国側とさこうバトンタッチしたら帰ってったわけよみんな日本軍っていうのは。
ただ帰らずにインドネシアの独立のために残った人たちもいるのよ日本人の中で。
うんうん。
そういった人たちっていうのは結構話には出るんだけど日本っていう中では。
あーなんかそう聞いたことある。
そう。だけどなんかこういうスマラン事件っていうのはさあんまり話聞かないなーっていうんでさ。
実際ちょっと調べてもらえればわかるんだけどあんまり資料もないのよ。
うんうん。
まあそんな感じでねちょっと今回取り上げた経緯としてはさこういう事件もあったんだよっていうのを知っていただけたらなっていうところもあって取り上げたんだけど。
はい。
まあここまで小片郎どうでしょうか。
そうだねインドネシアっていう国自体のさその大東亜戦争の時からさ。
うん。
まあオランダに統治されてからとかこう時系列順に結構わかりやすく聞けてあんまりこう自分知らないとこだったから勉強になったしなんかわかりやすかったね。
なんだそれ。
あれだよねあの俺があの前落下3部隊でさパレンボアン作戦で行ったのが確かねインドネシアだったからその状況まあすんなりさ落下3部隊も制圧できてっていうのがあって。
そういった背景にはねオランダのその当時の事情があったりとかそういうのもなんか結びついたなあっていう回だったし。
でその後のただ日本がさそのインドネシアのに残ってまあ戦ってたっていうのはそういう歴史があったんだなあっていうのを考えさせられたね。
そうなんだよねポイントはさ例えばさソ連がさあまあシュム首都とかの話をするんだけどあのソ連がさ日本がさ降伏してからもさ攻め続けてきたわけじゃん。
うんうん。
あの時守ってたのはさ一応日本の領土を守るためにつながる戦いだったわけじゃんずっと。
はいはい。
でもさここのジャワ島でやってるのはさもう日本の領土関係ないんだよね。
いやほんと複雑な立場だよねこれ。
そうすごいね多分ねいた人たちその日本軍っていうのはすごいもう葛藤っていうかなもう俺たちは何と戦うんだみたいな感じになってたと思うんだけど。
うんうん。
だって言ってしまえば関係ないじゃんもう負けたんだよって俺らはさっさと日本帰りたいんだよっていう人たちだと思うんだよ。
はいはい。
でも治安維持やれってさ命令されてさ別に戦う相手も別にもう自分の敵でもない人たちと戦うみたいなさ。
うんうん。
すごい立場複雑だったと思うよ。
ああこの人たちってなんかその後B級とかA級裁判で裁かれたんかな。
裁かれてる人もいるもちろん。
いるんだなんかそれもまた複雑だね。
27:00
結局さ裁かれた人たちっていうのはさその今まで何をやってきたかで裁かれてるわけだからさなんだろう。
ここで例えば連合国側に役に立ったからどうっていうのは多分そこまで関係ないんだよ。
ああそうなんだ。
うん。
実際あのジャワ島ってさあのいわゆる慰安所みたいなのも作られたりしてさ。
うんうん。
ちょうどこのスマランなんかでもその慰安所っていうのがあったんだけど。
うん。
オランダ人女性をこう無理やり強制的に慰安所で働かせてたみたいなのがあって。
確かその人は死刑にされてるような気がするんだよね。
その時にいたその日本の軍人の人って。
へー。
そんな感じでまあなんだろう別に関係なくやっぱりBC級戦犯にされたら罰せられてはいるよね。
ああやっぱそうなんだ。
うん。
あとまあインドネシア側から見た場合はさ。
うん。
インドネシアも結局は侵略され続けてきた歴史というかさ。
うん。
もうあるわけでね。
まあ彼らがその独立したいっていうなんか気持ちもわかるし。
うん。
なんか。
いやまあ。
何が正義なんだっていう。
オランダが悪いんだよね。
うん。
で日本はちょっと中途半端なことしちゃったから日本も悪くなったって感じだよね。
ああはいはいはい。
うん。
まあ結局ダメなんだよ。
見方変えれば日本がオランダを追い出したっていう見方もできるけどさ。
うん。
まあほら大統和共栄権のためにさ公民化政策もやっちゃってるからね。
そうだね。
まあ言い逃れはできないっていう。
ああはいはい。
ところはあると思う。
うん。
まあじゃあということで今回はスマラン事件でした。
はい。
もしよかったら評価の星をポチポチっと押していただくと私たちのやる気が出ます。
そうですね。
ぜひともお願いします。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。