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スピーカー 1
西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり。屈することなく研究に励むべし。
スピーカー 2
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。よろしくお願いします。なんとなく想像がついているぞ、今。
これはね、あの、島津成明の言葉なんです。うん。なんだと思う?今日のテーマ。え?今日のテーマ?
スピーカー 1
島津成明は、多分関係ないんだろうなとは思うけど。さすがにね、やったからね。
この言葉はね、島津成明が藩舎論を作るにあたって、西洋とか、佐賀藩とかは藩舎論、もう日本で一番進んでたから、そういうのを参考にしたっていうところで、そういう言葉なんだけども。
なんで今日はね、佐賀藩、第十代藩主の鍋島直政の時代をやりたいなと思ってます。
スピーカー 2
はい、また小片郎、来ましたね。来てないのよ、いつも。いやいやいや、もういいよ、もうこのくだりは何回もやってるからね、多分ね、そろそろ、ああ、いつものやつねってなってるから、そろそろいいわ。
スピーカー 1
で、これ一応リクエストもあったんで、読みますと、ライオンマルさんからでリクエスト2ついただいた中の1つを今回やるんですけども、
それが、アームストロング砲を作っちゃった科学大国、幕末の佐賀藩、いつも楽しみに拝聴しています。毎週火曜日が待ち遠しいです。っていただきました。
スピーカー 2
ありがとうございます。なんか、アームストロングって言うと俺はルローニケンシンだけどね。
ああ、ルローニケンシンでも出てくるの? アームストロング砲出てくるじゃん。人中編でね。
あ、そうなんだ。俺全部見てないんだよね。 いやー、まあ、人中編はいいんじゃない?見なくて。史詳編まででいいと思うよ。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。 いやー、なんか興味深いところですけども。まずね、ちょっとね、佐賀藩の時代背景から触れてから本題に行きたいと思うんですけども、
佐賀藩っていうのはさ、西軍に属してて、徳川家康率いる東軍と戦って、まあ、敗れて、まあ、戸様大名なんだよね。
で、江戸時代っていうのは、幕府より佐賀藩っていうのは長崎の警備を義務付けられていたんだよね。
このことで財政が結構負担になったっていうのもあるんだけれども、その反面海外の事情に精通していくっていう、まあ、そういう藩だったんだよね。
そこでですね、1808年にフェートン号事件っていうのが起こるんだよね。
これはね、当時、鎖国大政下の日本で、長崎ではオランダとシンと限定的な貿易を行っていたんだけれども、
その長崎にイギリス軍艦のフェートン号っていうのが入港してきて、オランダ召喚を捉えて、食料、水とか燃料を要求してきたんだよね。
で、幕府はこの要求に応えてフェートン号は出港していったんだけれども、この事件は幕府の防備の甘さっていうのを露呈させる事件でもあったし、
そこの長崎の警備をしていた佐賀藩にとってもすごく屈辱的な事件だったんだよね。
だからこそ佐賀藩は海岸防備のためにより強固な砲台を築かなきゃいけないとか、
蒸気船なんかを作って海軍力をつけていかなければっていうような、そういう方向に行くんだよね。
スピーカー 1
で、もう一つその鍋島直政について触れるんだけども、彼はね1814年に生まれて第9代の佐賀藩氏の鍋島成直の三男として生まれるんだよね。
で長男次男がね幼くして亡くなったため、直政がその17歳で佐賀藩氏となるんだよね。
佐賀藩っていうのは元々慢性的な財政なんで、それはさっき言った長崎の海岸防備の負担っていうのもあっただろうし、
前のね藩主成直っていうのは結構ね派手な生活をしていたって言われてて、多くの側室を抱えて、まあ正室側室含めてね46人の子供がいたらしい。
スピーカー 2
あ、正室と側室が何人かいてそれぞれで46人の子供だってことね。小片郎じゃん。
スピーカー 1
いやいや、やばいだろそれ。
スピーカー 2
小片郎も似たようなもんだから。
スピーカー 1
いやまあすごいなと思ったんだけど、この直政が藩主になる前には佐賀で巨大な台風があって、こう甚大な被害も出てるんだよね。
で藩主就任後は佐賀城とかが火災になったりとかして、さらに財政っていうのは緊迫してきたんだよね。
でそこで鍋島直政時代は反省改革に取り組むんだよね。
彼はさ、その若い頃から養育係でもあった学者の子が国道とかをはじめ、知識人なんかのこう意見を上手に取り入れていって、適材適所にこの有能な人材を投与して反省改革を行っていくんだよね。
でまずはその財政を確保しなきゃいけないっていうところで、いくつかちょっと代表的なものを紹介するんだけども、まずは借金整理をしたんだよね。
当時は借金って言わないでさ、借銀って借りる銀って、まあ主に銀で取引してたからこんな風に言うんだけども、
佐賀藩っていうのはさ、多くの借銀を抱えてたんだよね。
でこの対策として、まず支払う利息を止めて50年以内とか100年以内に少しずつ返していくっていうようなことをやったりとか、
2割とかそのほんと一部を支払って残りは藩に献金するっていう形を取ったんだよね。
なんかこれすっごい踏み倒しじゃないかっていう、なんか結構めちゃくちゃだなと思ったんだけど。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
貸してる方からしたらね。
そうそうそう、まあそういった強引な借銀整理を行ったりとか、あとね役人の数っていうのを大幅に削減していったんだよね。
藩の役人の数を3分の1、420人ぐらい削減したって言われてるの。
スピーカー 2
なんか今の日本もやったりもいいんじゃないって思うけどね。
スピーカー 1
確かにね、こんだけさ強烈にできるっていう実効力もすごいよねやっぱ。
そうであと産金交代とかね、あと江戸藩邸の費用の削減なんかも行って、とにかくね質素契約っていうのを心がけたんでね。
食事の簡素化だったりとか、服もね一部その木綿を着用させたりとかして、あと産金交代の随員を100人ぐらい削減したりとか、結構そういったことをしたんだよね。
さらに農村改革なんだけども、これね地主の権力が佐賀藩結構強くなってて、農民が疲弊してたんだよね。
子作人は地主に対して多くの家事姉妹っていうのを治めるんだけども、
地主に対して治める年群みたいな感じで思ってもらえばいいんだけども、この家事姉妹に子作人っていうのは苦しんでたんだよね。
そこで佐賀藩っていうのは家事姉妹猶予令っていうのを出して、10年ほどその家事姉妹を払わなくてもいいっていうような猶予期間を出したんだよね。
その間に農村改革って引き続き行われて、農地を範囲一旦取り上げて、地主がもともと支配してた多くの土地を減らして、その分工作者に分配するってことをした。
これによって地主に力が集中しすぎてたその状況を緩和して貧富の差を少なくして農村の再建を図ったんだよね。
佐賀藩って佐賀平野とか農業しやすい環境があって、だからこそこの農村改革っていうのはすごく重要なものだったんだよね。
あと国産品の奨励っていうのも行っていて、佐賀藩って言ったら有田とか今利の陶器が有名なんだけども、これを先輩制にしたんだよね。
例えば長崎に佐賀商会を設けて直接オランダ人なんかと取引をしたりとか、上海に試店を開設して海外と取引をして、その販路を拡大したんだよね。
お茶もそんな感じで海外の人へ販売したりとか、その他にも石炭を掘り当てるために炭鉱地をまず調査して、
そこでイギリスのグラバー商会と提携して、近代的な機械を導入して高島炭鉱の開発とかにも着手してるんだよね。
こういった取り組みで多額の利益を佐賀藩っていうのはもたらすことになって、再建を確保していくんだよね。
スピーカー 1
この再建の使い道なんだけれども、まず人材育成に当てたんだよね。
もともと、藩舎、高等館っていうのがあって、これを移転して、さらに拡張して教育環境を充実させたんだよね。
スピーカー 2
これね、いろいろ書いてあったんだけど、高等館って、成績が悪かった人は、献上する米の増額なんかが言い渡されるんだって。
スピーカー 1
結局、これって親の負担になるわけで、すごくお子さんの成績悪いんで、実質給料が減らされるみたいな感じじゃん。
スピーカー 2
まあ、そうだよね。
スピーカー 1
なんか、それ必死にやるよねって思って。
開館時間もね、朝6時から開館してて、午後10時までやってんだって。
スピーカー 2
午後10時までやるんだ。すごいね。
スピーカー 1
そうそう。ずっといる人はいないかもしれないけど、わかんないけど、すごいなと思って。
なんか、この前、アイズの繁校、日進館見てきたじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ねえ、やっぱ見応えあるよね。
スピーカー 2
まあ、そうだよね。なんか、いいよね。
スピーカー 1
なんか、すごい堪能できる。この前さ、ちょうど山口行った時も自分がさ、長州繁校の名林館も見てきたのよ。
スピーカー 2
おお。
スピーカー 1
そうそう。やっぱりさ、うわーって思うね。すごいな、これって。
スピーカー 2
いやー、じゃあ、それで一本また放送作れちゃうね。
スピーカー 1
それはいいんだけどさ。
スピーカー 2
それはいいの?
スピーカー 1
で、さらにね、医学にも力を入れてて、佐賀藩っていうのは。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
医学館っていうのを設立してさ、有名なとこで言うとさ、天然痘の予防として、牛頭法が日本で先駆けて行われたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それまでさ、人頭法って言われるさ、天然痘患者から直接海を摂取して、健康な人にそれを摂取させることでさ、軽度の天然痘を引き起こさせて免疫を図るっていうようなやり方があったんだけども。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これだとね、重症化する例もあって、そこでね、より安全な予防法として、イギリスのジェンナーが考案した、牛のこの海を用いた牛頭法による予防が提案されたんだよね。
うん。
で、これをね、佐賀藩っていうのはいち早く取り入れて、実際にその効果が出てきて、佐賀藩からその日本全国に広まってったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、医学の研究だけじゃなくて、それがね、軍事科学に発展していって、大砲など火器をこう扱う技術にも応用されたりとか、造船技術の発展にも貢献していったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、なんといっても、冒頭の言葉でもあったんだけど、佐賀藩といった反射炉が有名で、日本でさ、初めて鉄製の大砲を作ったのが佐賀藩で、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その大砲を作るのにも巨大な反射炉が必要で、反射炉っていうのは効率よく大量の金属を精錬するためのものなんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これね、オランダの解説書を翻訳したりとかして、数年かけて試行錯誤を繰り返して、鉄製の大砲の鋳造する反射炉を4機完成させてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これね、今ね、佐賀には反射炉、当時のは残ってないんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
調べたら、現存する反射炉って、形として残ってるものって、静岡の二良山と山口県の萩の2カ所のみなんだって。
スピーカー 2
てことは?
スピーカー 1
そうなんです。見てきたんですよ。
スピーカー 2
やっぱり、なんかそんな気がしたよ。
スピーカー 1
そうなのよ。反射炉マニアとしては、ぜひここを見たくて。
スピーカー 2
なんだよ、反射炉マニアって。でも反射炉ってね、なんかいい味出してるから、確かに見ても面白いかもね。
スピーカー 1
そうそうそう。誰もいなかったんだけどね、行ったら。
スピーカー 2
え、そうなんだ。
スピーカー 1
あ、そうそう。自由に無料で見れる場所にあって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ちょっと萩の城下町から離れてるからっていうのもあるんだけど、そこで自分は知ったわけよ。
佐賀藩を参考にして長州藩も作ったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だけど結局完成しなかったんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはやっぱり技術面とか金銭面なんかの理由でできなかったって言われてて、だからいかにこの佐賀藩が当時進んでいたかっていうのが分かったなと思って。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これによって反射炉が完成して外国戦の脅威に対抗するために長崎に砲台を新たに佐賀藩というのを設置したりとか、アメリカのペリーが来港して引いた時に幕府は品川の台場に200門の砲台を配置するために佐賀藩に依頼してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この時日本で鉄製の大砲を製造できたのが佐賀藩だけだったから依頼されたっていう経緯があるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、20年間でおよそ300門の大砲が製造されたんじゃないかって言われてるの、佐賀藩で。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただこの時作られた鉄製の大砲って一つも残ってないんだって。
スピーカー 2
ああ、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう。おそらくこれは太平洋戦争時の金属不足なんかで回収されちゃったんじゃないかっていう。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
さらに佐賀藩、蒸気船なんかも力入れてて、大砲なんかの重機を大量に輸送するために蒸気船の開発っていうのは積極的に取り組んだんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
1865年に日本初の国産蒸気船の両風丸っていうのを作って、さらに人を育てるために長崎に海軍練習所っていうのがあって、
そこでオランダ人教師を雇って、実際に船を使った実地訓練っていうのが行われてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これで幕府とか各藩から参加してったんだけども、この時総勢130名中、佐賀藩から48名派遣されてるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この数は藩から出された人数で最も多い人数を派遣してて、それほど力を入れてたっていうのが分かるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 2
うん。
その間にも科学技術の研究を進めていったし、より近代化の進んだ強固な藩を作っていったっていうのが、すごく鍋島直政を中心に佐賀藩の栽培っていうのは優れてたなって思うんだよね。
うん。
スピーカー 1
鍋島直政って現在佐賀市にある河野公園っていう場所があるんだけども、ここが藩主の秘書地で会合が行われてた場所らしいんだけど、当時やっぱり藩の中でも保守派とか改革派とかがあって、その話し合いを設けて融和を図ったりとか藩の統率力を高めることにも力を入れてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
岩倉智美なんかはね、後に鍋島直政について語ってるんだけども、彼はね、神経質に見えるが大胆なことを考え、そして寛容、恩和で誰からも慕われているって言ってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そんな今回は鍋島直政が活躍した時代の佐賀藩について話しました。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
やっぱりそうだね。小片郎がこうさ、あの歴史、特に幕末を語るとさ、もうこれぞこれぞって感じでね、話が進んでいくから俺はすごい楽しいを聞いてて。
スピーカー 1
ほんとかよ。
スピーカー 2
やっぱり佐賀藩ってさ、佐賀藩に限らずだとは思うんだけどさ、日本ってなんかもともとこう、どっちかっていうと西が栄えてたんだよね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
で、今でこそ東京が東にあるからさ、なんか東が栄えてるようなイメージもあるけどさ、でも今でもさ、やっぱりさ、西側の方が工業地帯が多かったりもするわけじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからそれはやっぱり昔ながらのそういう歴史があるからっていうのもあると思うんだよね。佐賀藩なんて特にやっぱさ、あのちょっと話の中にも出てたけどさ、やっぱり当時のさ、外国の窓口っていうのはさ、長崎だったしさ、その長崎にやっぱり近いところほど外国のこう、なんていうの、影響を受けやすい状態でもあったと思うし、
で、やっぱり日本だけでやってるとどうしても行き詰まっちゃうようなところでも外国の知識が入ってくると、さらにこう発展していくっていう側面は多分ね、その佐賀藩っていうのがなんか証明してるんじゃないのかなと思いました。
スピーカー 1
確かにね。なんか今のコメントで全部いいって感じだね。
スピーカー 2
いやいや、もう俺のコメントはカットされるからいいんだよ。
スピーカー 1
これさ、憲兵衛施設団ってさ、日米就効通所条約の批准書の交換のためにさ、幕府からさ、アメリカに施設団が派遣されたっていうのがあったんだけど、この中でもね、やっぱ佐賀藩が8名同行してて、これもね、藩の中で最多なんだって。
そうそう。だからいかにその佐賀藩の意識の高さとか、幕府もさ、佐賀藩に対する評価が高かったんだなっていうのがわかるんでね。
これ絶対憲兵衛施設団、今度NHKで大河ドラマで小栗忠政がやるみたいだから、出てきそうだよね。
スピーカー 2
小栗忠政ってあれでしょ?小片郎が主演やるんでしょ?
スピーカー 1
いやいや、なんか手違いで松坂通りになっちゃってた。
スピーカー 2
顔が似てるからってさ、ちょっとそれはひどいよね。
スピーカー 1
やべー、でもそれすごいクレーム君がやめろって。
スピーカー 2
いや、だってほんとほんと、小片郎どっちかっていうと松潤に似てる気がするけど。
スピーカー 1
いや似てないわ。
スピーカー 2
似てるよ似てる。
スピーカー 1
いやだからね、俺これもしかしたらまだその本当のさ、主役は決まってるけど、
例えば憲兵衛施設団って言ったらその佐賀藩とかのさ、川崎道民とか言ってるんだけど、彼とか多分決まってないんじゃないかな。
どうだろう、まだいけるのかな。
スピーカー 2
小片郎やる?
うん、ちょい役だけど、佐賀藩がどこまで出てくるのかわかんないけど。
スピーカー 1
通りすがりぐらいになるけど。
スピーカー 2
いやいやいや。
スピーカー 1
いやいや、まあ全然ちょっと本題からそれちゃったんだけども、まあ今回は佐賀藩、鍋島直政についてでした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
じゃあもしよかったら、今聞いてる媒体で評価の星だったりとか、あのいいねボタンがありましたらぜひポチポチっとしていただければすごくね、それ見てあの微笑んでます。
スピーカー 2
はい、高評価ぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 1
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
ありがとうございました。