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2022-03-29 32:49

第60回「廃仏毀釈」神道と仏教の分離

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廃仏毀釈とは、1868年の神仏判然令を主なきっかけとし、
寺院にある仏像、仏具などを破壊し、仏教を抑圧したことを指す。

これにより日本の寺院は少なくとも半減し、多くの仏像が消えた
なぜこのような事が起こったのか?
神道と仏教の歴史からさかのぼって話しています。
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ちんぐら壊されました。 始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 えーと、ちんぐらなんたら?
これ発音あってんのかな?いや、多分あってないんだろうけど。
なんかの方言なんだろうなぐらいにしかわかんなかったよ。
これね、薩摩弁なの。 あー、薩摩弁ね。
ちょっと、あの鹿児島の方、全然違うよって言われそうだけど。
多分絶対違うんだろうね。 全然違う。
一応ちょっとYouTube見て、それっぽく頑張ったつもりなんだけど。
いや、すげーなんか、後でちょっと聞いてもらえればわかるけれど、ちょっとあれだよ、片言だったよ。
確かに。これね、ちんぐらって、薩摩弁でね、「めちゃめちゃ」っていう意味だ。
めちゃめちゃ? そう、めちゃめちゃ壊されましたって言ってんの。
壊された? そうそう。
壊されたっていうのも多分、それ薩摩弁なんでしょ?
いや、壊されましたわ、これ普通にだって標準語としても。
え、その壊されましたなの? あ、そうだよ。
マジで?そこは普通なんだ。
だと思う。これ、言ってた言葉っていうよりは、本に書いてあったの。
本に? うん。
この何が壊されたんだっていうのは、今日のテーマなんだけども、
今日のテーマはね、「廃物希釈」です。
あー、廃物希釈ですか。
そうそうそうそう。冒頭の言葉はね、
鹿児島県の廃物希釈の研究者の名越ゆずるさんっていう方が、
本で言ってた言葉。
どんなとこ取ってんだよっていう。
いや、なんかすごい重要な言葉なのかなってちょっと思っちゃうけどね。
いや、別に。 全然そんなことはない。
ただ対話で言ってただけ。なんかそれを本に書いてあったけど。
で、この廃物希釈っていうのは何なのかっていうと、
これね、廃物って、仏を廃するって廃止するっていう廃物で、
で、希釈っていうのがちょっとこれ難しい感じなんだけど、
希釈の釈は釈迦の釈なんで、
希っていうのが壊すっていう漢字にもなるんだけど、
だから釈迦の教えを壊すっていう。
要するにどういうものかっていうと、お寺とかにある仏像だったり仏具とか、
そういったものを破壊して仏教を抑圧、退けることを廃物希釈っていうんだよね。
長丸さん廃物希釈って知ってた?
廃物希釈は結構有名だよね。
ルローニ・ケンシン読んでる人はわかるよ。
そうなんだ。
出てくるんだ。
出てくるよ。十本刀の暗示はそうじゃん。廃物希釈で、それはいいや。
そうなんだ。全然知らなかった。
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時代もその頃じゃん。ルローニ・ケンシンって。
そうだね。
この廃物希釈が起こったことによって、
いわゆる日本人の無宗教観っていうか、
特にこだわりがない宗教観ってどことなくあるじゃん。
そうだね。
そうそう。これも廃物希釈によって、結構こういった考えになっていったんじゃないかとも言われてる。
一応ね、自分もなんかそんな感じなんだよね。
なんか特に何か宗教を信仰してるって感覚は全くなくて。
そんな感じで、例えば実家には仏壇と神棚があって、
で、先祖のお墓参りはお寺行って、
初詣はなんとなく神社行くみたいな。
なんかあれだよね、日本人って感じだよね。
そうそう。
で、結婚式はさ、なぜかチャペルで行って、
で、いきなり現れた神父に片言で誓いの言葉を促されて、
戸惑いながら、誓いますって言ってるような。
で、花雪を踊るっていうね。
それ、それ俺の結婚式じゃん。
いや、まあそうなんだけど。
まあね、聞いてる人もどことなくそう感じる人も、
まあそれぞれだからね、いろいろあるとは思うけど形は。
そうそう。
まあそんな今度はね、ちょっと廃仏希釈の時代背景から話したいんだけども、
そもそもその仏教と神道っていうものが存在するんだけど、
このまず仏教っていうのは6世紀の半ば頃、古墳時代だね。
もうかなり前に朝鮮半島から日本へ来たってされてるんだけど、
で、その仏教が来る前にあったのが神道って言われてて、
神道っていうのは自然発生的に生まれた信仰とも言われてて、
自然の山とか川とか、あとは祖先なんかにあらゆるものに霊が宿って、
それを神として信仰するような信仰なんだけども、
だからね、ブッダとかイエス・キリストみたいに特定の創始者はいないんだよね。
っていうような。
で、日本の神っていうのは800万ぐらいあるって言われてて。
なんかヤオヨロズってやつだよね。
そうそう、様々な神が存在するんだけど、
で、こういってこの神道っていうのは外来宗教の影響を受ける以前に
もうすでに存在してたってされる信仰で、
これはね、神義信仰っていう言い方もするんだよね。
そっからさ、飛鳥時代に仏教を押し進める蘇我氏と、
それに対して反対する諸延氏との戦いがあったんだけど、
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これで蘇我氏が諸延氏を滅ぼすことで、
仏教っていうのは広まっていったってされてる。
ちょっとここはね、かなり昔の時代なんで諸説あるんだけど、
それ以降約1200年余り、
仏教とこの神道っていうのは共存共栄の道に行くんだよね。
それでね、奈良時代に入っていくんだけど、
奈良時代ね、正武天皇っていうのが、
仏教によって世の中を治めようと力を入れたんだよね。
で、これ注目なんだけど、その時代の権力者が仏教派だったんだよね。
そういうのもあって、それまで対等であった仏と神っていう関係に異変が起こった。
この神社の境内とかにはその近辺に寺院が建つとか、
大体がね、神社が寺院に従う形になっていくんだよね。
そうそう。で、仏教のこれ考えなんだけど、
仏教では神道の神っていうのは、
人間より位が高いけど、
仏の境地には達していない修行の途中っていう風な考え方があった。
これがね、平安時代にはその考えがさらに進んで、
神っていうのは仏の化身であって、
つまり神よりも仏の方が優位にあるっていう考えが生まれるのね。
で、これによって神道の神官っていうのは仏教徒の僧侶より下の存在っていう風にされたの。
そういう考えがあって、
なんで仏像を神社の御神体として祀るっていうになったのもこの時なんだよね。
なるほどね。
そうそう。だからね、歴史が古い神社ほどこの仏教信仰の影響を受けてたんだよね。
で、この神官の中にはやっぱりこの状況には納得いかずに不満を持っている人は多くいたっていうのはちょっと抑えておきたいとこなんだけど、
で、あのちょっと時は流れて江戸時代に行くんだけど、
江戸時代になるとまた引き続き徳川幕府の下で仏教っていうのは事実上の国境扱いみたいな感じになったの。
だからあの有力な寺院は将軍や領主から土地を与えられてだいぶ融合を受けたんだよね。
村社会のコミュニティの中で仏教を中心として断化制度っていうのを行ったの。
断化制度っていうのは官官総裁とか全て特定の陣が独占的に行うっていうような、
それに対して断化っていうのは寺院に対して経済的な支援をするっていうような。
で、そんな仏教の支配的構造に異論を唱えたのが国学思想なんでね。
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国学っていうのはもう昔からある古事記とか日本書記っていう書物の研究をもとに、
仏教とか儒教が日本に伝わる前の日本古来のこの精神文化を取り戻そうっていうふうに考えた。
なんだけども。
この国学もそうなんだけど、神道とかに影響を受けてできたのがこの美都学なんでね。
美都学っていうのは美都で生まれたんだけど、
そんな美都では実は明治政府ができる前から廃仏希釈と同じような神仏分離っていうんだけど、
仏と神を分けようっていうふうな活動が行われてた。
これは美都藩の徳川三国の代からあって、
美都公文山だね、これ。
寺院整理って言って経営困難なお寺とか住職がいない寺院なんかを約3割ぐらいなくしたんだよね。
徳川成明の時はさらにどんどん過激になっていったっていう背景があって、
こんなふうにすでに明治になる前にあったっていう現象も美都とか、
あと他に薩摩とかでも実際あったんだけど、
この後徳川幕府を倒幕派っていうのが倒すわけなんだけど、
この倒幕を起こした人の幹部だったり、多くの人がさっき言った国学思想だったり、
美都学で神道に強く影響を受けた人が多かったんだよね。
そうしてできたのが明治政府なんだけど、
明治政府のスローガンっていうのは、これまであった江戸幕府っていう、
悪しき体制ではなくて、もっと前の平安以前にあったような天皇を中心とする国家を作るっていう。
そこではさ、古来から日本に伝わる神道を日本の代表的な思想だったり信仰にしようっていうふうに考えた。
なんで江戸幕府から厚い保護を受けていた仏教っていうのは見直す必要があったんだよね。
これで廃仏希釈に至るところに入ってくるんだけど、
1868年に明治政府っていうのは神仏半全霊っていうのを出した。
この神仏半全って半全っていうのは、はっきり区別するっていう意味だ。
神と仏をはっきり区別しましょうよっていう分離政策なんだ。
ただ、これを受けてっていうか、各それぞれの知事だったり、
あとは神道側とか民衆だね、がこれを拡大解釈をして、
仏教に関する施設とかを破壊する行為っていうのが行われた。
勘違いじゃないけど、ちょっとオーバーに捉えちゃったっていう感じ?
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そうそう、オーバーに捉えたっていうのもあるし、今までの流れから不満を持ってた人は多くいたのよ。
特に神道側にね。
民衆も結構、暖化制度って言って結構厳しい管理をされてたんだよね。
っていうのもあったんだと思うんだよ。
なるほどね。
これはね、1870年頃ピークを迎えて、結構長いところは1876年とかまで続いてるところもあったり、
これちょっと余談なんだけど、あくまで明治政府は分離っていう政策をして、
神道による強い国家づくりを進めるために、仏教を弱体化しようっていう意図も感じられるんだよね。
例えば、今まで浄土紳士を除いて僧侶が肉を食べるとか、妻を埋めとるとか、紙を生やすっていうのを禁止してた。
これをね、1872年に明治政府は解禁してるんだよね。
これはね、この仏教の宗教的吸収力を削ぐ目的で、僧侶の弱体化を狙ったっていう風にされてる。
だから俺これさ、聞いたときにさ、それまでお坊さんってほとんど肉食べなかったんだと思って。
なんか精進料理みたいなイメージあるよね、昔の人って。
奥さんもさ、埋めとることができなかったんだね。
もう尾形にとっては致命的だね。
やめろやめろ。
いやなんか、俺そういうさ、だってお坊さんと結構結婚してるって当たり前に感じるじゃん。
今はね。紙は生やしてないけど確かに。
それもさ、人によるっていうか、生やしてる人もたまにいるよね、お坊さんでも。
今朝来てさ、でもあれ紙生えてるなっていう人。
なんか今もその宗派によっては肉を食べるのはダメとかそういうのもあるんだけど、
基本的には結構自由にこの時からなってるんだよね。
完全に個人的なイメージで申し訳ないんだけどさ、
なんかお坊さんって性欲強そうでね。
なんじゃそれ。
いやなんかさ、生命力がさ、なんか強いイメージじゃん。
修行に耐えてみたいな。
だからなんか勝手にその、多分あのテレビの小田武道の影響が強いのかもしれない。
小田武道懐かしいな。
懐かしいけど、だってなんかあの人テレビで初めて女性の体を知ったのは13歳の時だったって言ってた。
マジで?そうなの?むしろそれを知ってる小片郎がすげえわ。
嘘。自分で性欲が強いって言ってたから、なんかもうその僧侶の方にちょっと申し訳ないっす。
小田武道イコールもう仏教になりつつあるけど、ちょっとそれは多分間違いだね。
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それはちょっとね、ちょっと話を戻そう。
で、例えばこの廃仏希釈っていう具体例をちょっと挙げていくんだけど、
最もさ、仏教の施設だったりとかが破壊された件っていうのは、
長丸どこだと思う?
もっともでしょ?えー、イメージだけど、
いや、ちょっと待って、イメージもないな。もっともなんか理由があるんだよね、きっと。
まあ理由はあるけど、自分もこれはわかんなかったね。極端に一つだけすごいとこがある。
お寺がいっぱいあったとこかなってことは。え、じゃあ普通に京都とかになるの?
いや、京都はね、今も残ってんじゃん結構。
あ、そっか。逆にいうとそっか、壊されなかったから残ってんのか。
のもあると思う。
え、お寺が多いとこってどこだ?わかんねえ。
これね、あの薩摩藩なんだよね。
えー、そうなんだ。
なんで、まあ鹿児島県なんだけど、県で言うと。
そうそうそう。これね、江戸末期には薩摩藩っていうのは寺院がね、約1000以上あったの。
で、僧侶もね、約3000人くらいいたって言われてて。
これがね、なんと廃仏希釈によってゼロになった。
ゼロ?
ゼロって、この数字はね、他の藩とか見てもないんだよね、こんな現象は。
だってゼロでしょ?
ゼロなのよ。
やばくない?
いや、これびっくりして、あれ、今現状はちょっと普及してお寺はあるんだけど、
でね、これ、原因っていうのはちょっと推測にもなっちゃうんだけど、
一応2つ考えられる原因としては、
もともと江戸時代の頃から藩主のね、例えば始末成明の時に、
彼ってその国学思想に結構熱心だったのもあって、
この寺院の整理っていうのは行ってたの。
で、これね、主な目的っていうのは、お寺にある金とか金属の部分だね。
この金属を使って大宝とか小銃、通貨の生産に当てたんだよね。
っていうような、そういうので結構お寺が取り壊されたりとか。
で、その後実家を握った始末久光にも、それがね、受け継がれていった。
でね、2つ目にちょっと考えられるのが、
薩摩ってね、物資の比率が他の藩と比べて異様に高いのよ。
なんかそのイメージはあるね。
明治のね、初期の段階で薩摩における物資の率っていうのは、
約26%物資なの。
そんな多かったんだ。
これね、全国平均が大体約5から6%ぐらい。
そうだよね。だって、資能交渉のバランスが悪くなっちゃうもんね。じゃないと。
そうそうそうそう。だからすごい比率だなと思って。
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で、この物資が多くいたっていうことで、物資ってさ、ちょっと薩摩って独特で、
五十教育っていう教育方法があって、地域ごとに先輩が後輩に教えるっていう教育方法なの。
なんで、寺小屋とか私塾っていう大衆が学ぶ、そういう施設っていうのが異様に少なかった。
で、このことによって先輩だったり、上からの命令に対して従順に従うという権力構造になっていったんじゃないかとか言われるの。
こんな経緯もあって、明治政府の新物犯前例が出たときに、廃物希釈っていう形で拍車をかけたんじゃないかって言われて。
廃物希釈ってさ、他の県とか見ても、2,3年ぐらいで収まってることが多いんだけど、
鹿児島はね、13年以上にわたって廃物希釈が行われてるから。
13年か。
もうね、お寺とか仏像、徹底的に破壊したんだよね。
なんかもう、うさばらしみたくなっちゃうよね、そうなると。
ね、なってんのかもしれない。燃やしたりとか、粉々になるまで破壊したり、川や山へ破棄したりとか。
結構ね、破壊した度合いもすごい。
で、今現在、浄土新宿とかが仏教を広める活動を積極的に行ったことで、2021年の現在の段階では481寺が戻ってきてる。
そんなに増やしたんだ。
そう、ただ、このやっぱ廃物希釈の影響があって、今でも47都道府県中6番目に少ないんだよね、お寺の数。
そう、だからね、鹿児島県ってさ、古い寺を回るっていう巡礼みたいなことをする人ってまずないのよ。
まあ、そうだよね、その話からするとゼロになってるってことは少なくとも明治以降のものってことだもんね。
そうそう、だから復興した寺も真新しい鉄筋コンクリートで作られたりするんだって。
で、これね、薩摩でこういうのがあって、隣の宮崎県、今の。
これさ、長丸がこの前言ってた知性学的に見れば、宮崎っていうのは鹿児島の隣なんだよね。
そんだけなんだけど。
いや、なんだよ。宮崎はどうだったんだとかってならないんだ。
で、宮崎はだから隣なんで薩摩藩の影響をすごい受けてたのよ。
薩摩ってさ、やっぱり全体で見てもすごい強大な力を持ってたから、その薩摩の方針に忖度する形で自ら配仏希釈をしてたっていう側面がある。
宮崎ね。
この南九州地方っていうのは配仏希釈がね、結構日本全体で見ると積極的に行われた場所だ。
ただ宮崎っていうのはさっき言ったみたいにちょっと忖度してやってるようなところがあるから、粉々にこう壊すっていうんじゃなくて、
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例えば仏像はナイフでちょっと切ったような切り口が特徴で、後でさ復元できるようにソフトに壊してるっていうのもあった。
ただこの宮崎で悲劇もあって、宮崎県の伊万福寺っていうのがあるんだけど、これ抵抗した僧侶を崖から落として殺害してるっていうのも起こっちゃってる。
こうして宮崎県ね、現在でもう配仏希釈の影響があって、お寺の数っていうのは47都道府県中2番目に少ない。
もう鹿児島より少ないんだ。
そうそう少ないんだよね。ちなみに一番少ないのは沖縄だから。これはもうまた別の問題だから。
これさ、倒幕に関わった中心の州が、藩が多いんじゃないかと思うんだけど、長州を見てみると長州はそんなにね、破壊濃いっていうのはほとんどない。
逆にこう寺院を整理するっていうような感じで、計画的に行われてるような感じ。
で、これ何でだろうって見た時に長州藩っていうのは江戸時代から約1300ぐらい寺小屋が結構多かったの。
寺小屋ってさ、お寺で学ぶことが多いのよ、場所として。
だから庶民がさ、お寺と密に繋がりがあったの。
そういうのも影響して破壊行為っていうふうにならなかったんじゃないかって言われてて。
ちなみに東京も激しい廃物希釈みたいな破壊運動っていうのはなかったんでね。
今県を取り上げたんだけど、神社単体でちょっと見てみたいんだけど、
例えば神社の代表格って言われたら伊勢神宮なんだけど、
三重県伊勢市にある伊勢神宮、これ1855年の廃物希釈が行われる前の段階では、
伊勢神宮の周辺には約120ぐらい寺院があったの。
これが廃物希釈によって、例えば昭和初め頃には24ぐらいの寺までになってんの。激減してんの。
これは何でだろうかっていう時に、この地域の行政府の幹部とかがやっぱり神道寄りの人が多かった。
それまで仮装ってある物資寄装をやめて、神僧祭っていう土装にするっていうお触れが出てるぐらい。
これでね、結構お寺大ダメージとか経済的にもダメージを受けるよね。
で、自らお寺をやめるっていう僧侶とかもいたりとか。
決定的だったのが、伊勢神宮って、明治天皇が初めてこの後、伊勢神宮案外をすることになった。
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それで伊勢神宮の沿道に今まであった寺院とか仏教関係のものをなくしていったんだよね。
それは天皇がそれを望んでいたかはわかんないんだけど、もう明治政府の意向で天皇の目に触れないようにしたんだって。
だから伊勢神宮って本当に神社ってイメージじゃん。
そうだね。
廃仏寄射が行われる前は今の光景とはちょっと違ってたんだよね。
なるほどね。
伊勢神宮の裏手に奈良時代に建てられた、今は幻ってされてる巨大な菩提祭神宮寺っていうデッカイお寺があったんだって。
これ今あったら多分国宝級のお寺だと思う。
そうなんだ。
そうそう、そういうのもいっぱいあったんだよね。
でさ、ここの特徴っていうのは、破壊っていうよりは計画的にお寺が取り壊されたりとか、
僧侶は自ら辞めて武士、氏族になるっていう人もいた。
これ逆に氏族になれちゃうんだっていうね。
これね、行政側が飴と鞭じゃないけど、待遇を良くして僧侶を辞めてもらうみたいな。
そんな感じでやったとも言われてて。
ちょっと今度はお寺、幸福寺っていうのをちょっと触れたいんだけど、
幸福寺って言ったら今もある奈良の大きな幸福寺っていうお寺なんだけど、
これ奈良時代に建てられて巨大な経済力、政治力を持ってた影響力のあるお寺なんだけど、
これ明治政府から寺を廃止するっていう命令が下ったの。
多くは破壊されたりとか仏像とか売却されたりとか、
あと警察の詰め処になったんだって。
冬場になると警察が寒いから、そこら中にあった仏像を持ってきて薪として燃やして壇を取ったとか。
こうやって貴重な仏像が多くあったんだけど、相当数この時になくなってんの。
それこそもう本当に重要文化財の国宝級のものが多くあったって言われてんの。
幸福寺今はもうシンボルであるんだけど五十の塔っていう国宝になってんだけど、
これが廃仏希釈の時代、当時の価格で25円で民間に売り出された。
五十の塔が?
五十の塔が。
買っとけばよかったな。
本当に俺もそう思った。
これ今の価格だともうちょっと高いんだけど、
今だと多くても10万円程度じゃないかって言われてんの。五十の塔が。
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そんなの1日の観光料でもうペイできそうじゃん。
管理代は分かんないけどね。
これさ、購入した人いるわけよ。
この人はこの五十の塔に使われていた金属が見えてたの。
燃やせば金属が残って採取できるんじゃないかって考えて、
その五十の塔の周りに芝を積んで燃やそうとしたんだけど、
近隣住民から周辺に燃え移る可能性があるからって言って反発を受けたの。
結局そこで取りやめたことによって今五十の塔っていうのは残ってる。
そうなんだ。
幸福寺って奈良県だからさ、周辺には結構鹿もいたんだって。
今もいるけどさ、その鹿もその時に捕らえられてすき焼きにされたりとかしたんだって。
なんですき焼きなの?
いや分かんないけどそう書いてあった。鹿肉美味しいんじゃないの?
鹿肉ってちょっと獣臭のする感じのやつだよね。
ちょっと歯ごたえがある。
だからこの時さ、一時期絶滅の危機を迎えるほど減ったらしいよ、鹿が。
今じゃ逆なのにね。
そうそう。今はいっぱいいるもんね。
いっぱいて逆にもう駆除しなきゃっていう感じになってるわけじゃん。
確かに。こんな具体例がいろいろあるんだけど、
写真とかも今回見たんだけど、仏像のね破壊でね印象だったのは結構ね首を切ってるケースがある。
仏像の。なんか処刑みたいな感じでさ、残忍な破壊行為があったんだなと思って。
なんかあれこれさ、2001年にさ、パキスタンでイスラム武装勢力のさ、タリバンがさ、
バーミアンの巨大な仏像を爆破したっていうのがあったじゃん。
バーミアン石骨ね。
そうそう。俺その時さ、テレビで見ててさ、やべえ奴らだなと思ってたんだけど、
かつて似たような出来事が日本にあったんだねっていう。
そうなんだよね。
そうなんだよ。
同じことやってるからね。
意外とねこれね、なかなか触れられないところでもあるから。
この廃物希釈によって日本の寺院っていうのは半減して多くの仏像が消えたのよ。
だからこの出来事がなければ日本の国宝っていうのは3倍以上あったんじゃないかって言われてるの。
そうなんだ。
そうそう。まあそんな感じでいかがでしたでしょうか。
廃物希釈自体ね、やっぱり歴史としてはさ、
じゃあもし行われなかったらどうなったのかとかっていうのを考えてみるとちょっと面白いのかなと思ったけど、
結局さ、神道の権威づけっていうのは明治政府が望んでたことだからさ、天皇の権威づけっていう意味でね。
で、仏教を残したままさ、要は矛盾を抱えたまま多分その神道を権威づけするっていうのは多分厳しいものがあったんでしょう。
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仏教の力が結構強かったからね。
だからやっぱりさっきの伊勢の話もそうだしさ、宮崎って言ったらあれだよね、天孫降臨のところだからね、高知方の。
だからやっぱりそういうちょっとこういわゆる戸敷とかでさ、舞台になるような場所っていうのはやっぱりそれなりに権威づけのために徹底的にやったんじゃないかなっていう気もする。
あー確かに。これさ、お寺ってさ、一緒に出たアゲ地霊っていうのがあってさ、お寺ってかなり広大な面積あったところもさ、国が没収してさ、その後そこに小学校とか学校とか建てられるケースっていうのも多くあったんでね。
そうそう。だからかつてね、この小学校の跡地ってお寺ってとか多いらしいよ。
お寺か墓場かみたいな。
墓場っていうのは結局お寺を潰してだから。
じゃあということで、今回は灰物希釈についてでした。では最後に長丸はこれからも妻を愛することを誓いますか。
え?
あなたは?
妻を一生愛することを誓いますかとか言えばいいでしょ。
ちょっと待って、最後の締めだけ言おうまず。
そうだね。
ということで、今回のテーマは灰物希釈についてでした。
もしよかったらですね、フォローだったりとか評価をポチッとしていただくと嬉しいです。
そうですね。
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
32:49

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