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2024-12-25 40:04

#278 倭国から日本へ。飛鳥時代の日本に求められた仏教の役割とは?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

飛鳥時代における日本の仏教の役割について考察し、当時の思想や社会構造と関連づけながら、仏教が人々の生活にどのように浸透していったのかを探ります。また、蘇我氏の外交活動が仏教受容に与えた影響についても触れています。倭国から日本への移行過程において、飛鳥時代の仏教の役割は重要視されています。特に天武天皇の登場と人身の乱を通じて、日本の権力構造が仏教と結びついていく様子が語られています。飛鳥時代の仏教のあり方とその影響が探求され、外部との外交や経済の動向に影響されつつ、仏教を取り入れることで国のアイデンティティを形成し始めたことが紹介されています。特に天武天皇の時代には日本という国名が認識され、仏教の広がりによって社会構造が変化していった様子が説明されています。飛鳥時代の仏教の広まりの背景には、中国からの仏像や視覚的要素の影響があり、マーケティング的な観点からも興味深い役割を果たしていることに言及されています。

飛鳥時代の日本社会
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回も日本編ということで、前回はわりと神話ぐらいとかそういう話をしてきたんですけれども、今回はどんな感じになっていくんでしょうか?
時代区分みたいなところでいくと、前回は弥生から古墳時代みたいな、ちょっと紀元前後みたいな話をしたと思うんですけど、
そこからさらに進んで、飛鳥時代みたいなところなんですけど、なんとなくイメージ湧きます?
なんと立派な平城京みたいなさ。
うん。
全く湧かないね。ほんとそのぐらいだよね。年後ぐらいだよね。
まあそうだよ、確かに。
平城京が奈良時代の話だよね。
うん、そうですそうです。
平安時代がそういうこと、平安京か。
そうそうそう。
奈久洋。
奈久洋、ウイースがね。僕ら今もそれで覚えてるのか知らないけど。
でも確かに言われてみれば、なんとなく奈良時代、平城京ぐらいの一帯採用あると思うんだけど、
結局その時代がどんな時代だったのかとか、誰が何してたのとかって意外とわかんないじゃないですか。
わかんないね。
だからちょっと今回もね、地層そのものっていうよりは少し歴史的なこととか、こんな事件があったよみたいな感じなんですけど、
それをちょっとね、今回はそのいわゆる異星者というか、ちょっといわゆる貴族とか天皇、
こう言って言うと大王かな、とかの人たちの話と、
ちょっとね、いろいろ調べてたら、その当時の人がどんな風に生活してたのかとか仕事してたのかみたいな論文とかもあったんですよ。
へー、そうなんだ。
そうそうそう。そういうのはね、なんか残ってるみたいで。
なのでちょっとね、今回と次回ぐらいで、この飛鳥奈良時代、時代的に言うと600年とか700年ぐらいの時代の日本の話をしようかなと思ってますという感じですね。
仏教の役割と影響
あれもしかしてだけど、全然繋がってなかったんだけど、最澄空海とかってさ、この700年代の人たちだけか。
そうね、最澄とか空海は平安時代の方だね。
平安時代になっちゃうんだ。
あー、それより前なんだね。
そう、そのちょっと前ぐらいかな。
一応その時代区分でいくと、今言った平安までが古代、日本の古代って言われることが多いんですよね。
平安も含む。
平安も含む、うん。
これもいろんなね、それこそ時代区分はあるんだけど、すごいざっくり言うと、この民衆とか一般の人たちっていうよりも、貴族とか一部の支配者みたいな人たちっていうものが、すごく圧倒的に強い時代なんだよね。
逆に言うと、今回思想を何とか置いたいなと思ってやってはいるんだけど、
そもそも、いわゆる民衆独自の思想みたいなものが、まだ突発しないみたいな感じらしいんですよ。
でも前回のウッドもそうだったよね。バラモンから始まって。
基本的にバラモンたちからどんどんクシャトリアとかで降りていってよって話なんですけど、
この当時の日本っていうのも、まだまだ個人がっていうよりは、一族がとか地域社会がみたいな、そういうのがあって、個人っていうよりはその一部みたいな感じだよね。
ああ、だから家とか村とか、そっちの方も意識の方がだんだん強いよみたいな。
そうそうそうそう。
そうなんです。思想みたいな話、特に哲学的な思想って、自分はなんで生きてるのかとかでもいいし、
社会と自分の関係とかっていうときは、この意識がないとあんまり発展していかないんだよね。
はいはいはい。
そういうときに家とか地域とかってなると、あんまり個人的な利害とかっていう意識がそもそも薄いっていうのがあって、
あんまりそういう思想が生まれる余地がなかったんじゃないかみたいな、そういうふうな解釈というか、考察をしてる人がいるんですけど。
社会的にまだ、ある意味進化論っぽくて、あれだけと違う、そうじゃないと思うけど、
はいはい。
バラモンとかがやってたのがあれ、紀元前何年とかだよね、バインシャットとか、
紀元前、そうね、千何百年とかだね。
っていうような感じで、日本がまだ何百年、六百年だとまだそういう感じだったってことだよね、レベルで言うと。
思想レベルみたいなことがあるとしたらね。
あるとしたらね。
そうそうそう。
で、ちなみに今兄貴が言ってくれた通りで、そういういわゆる支配者と呼ばれるんだけど、異性者か、
人たちは逆に言うと、やっぱりもっと自分がこの日本という国をもっと強くしたいとか、自分がもっとよりよく統治してね、みたいな。
そういうふうなものがやっぱり発想として出てくるので、
なんかそのために、そういうこう、どういうふうな発想をもつに考えるかとか、
物事をやっていくかっていうところが大事になってくるっていうのがこの時代なんだよね。
なるほどなるほど。
今言った新しい発想ってものをどこに求めたかっていうのが、実はっていう感じなんだけど、これが仏教なんですよ。
あ、これ仏教なんだ。
そうそう。
やっぱり仏教って、これまでは結構思想的に、仏陀がとか大乗仏教がとかっていろいろやってきたと思うんですけど、
やっぱりこの日本の飛鳥奈良時代の仏教って、いわゆる先進国の膨大な知識みたいな感じなんだよね。
おー。
なんかその、教えがとか下達がとかっていうことよりも、どっちかっていうと、いわゆる厳勢利益的なというか、
お祈りすれば、何だろうな、例えば願いが叶うとかさ、病気になっても仏様に、例えば病が治るとか、
そういうところでどんどん活用されていくような、鎮護国家みたいな言葉って教科書とかで聞いたことあるかな。
あんな感じで国を治めるために、仏教の力を取りようみたいな、使おうみたいな、そういうふうな発想らしいんですよね。
で、もちろん民衆にそういう仏教が浸透してなかったかっていうと、一定広まってはいたというか、増えてる人もいたらしいんだけど、
仏教的な思想とかってよりは、日本領域かなっていう本に、奈良時代にどんなふうに仏教が信仰されてましたよ、みたいな書いてるんだけど、
それを見てみると、海で相談した漁師さんが、ナムシカムニブツみたいな、お釈迦様助けてくださいみたいな。
で、唱えたら助かったよ、とか。
それこそ、鉱山の中に入ってた人が閉じ込まれたんだけど、仏様のお導きで助かりました、みたいな、そういう話ばっかり載ってるらしいんだよね。
そうなんだ。当時、すでに大乗仏教ってどのくらいから、もうあったのか?何百年くらいと。
大乗仏教はあった。中国では2世紀くらいにできてるものだから、1世紀とか2世紀。
今の海で相談すれば、もう大乗仏教的な考え方だよね。
大乗仏教的っていうか、ナムアミダブツみたいなものは、もうちょっと後。それこそ平安なんだよね。
浄土法みたいな感じになってくるのは、もうちょっと後の時代で。
その手前の、よくわからんけどお願いしたら聞いてくれる、よくわからん神様がいるっぽいぞ、みたいな。
そういう感覚だよね。
神様、仏様と、うちらが言うと同じような感覚で言ってるくらいの。
前回やったみたいな、演技がとか、車があって、人の本性とはとか、ということとは全然関係なく、相談しちゃいました、助けてください、みたいな。ほんとそういう感じ?
でも逆にすごいよね。そこまで感覚レベルで浸透してるってことだよね。
もともと仏教が来るまでは、もしかしたら別の、神様、仏様で言うと、海の神様みたいな。山に閉じ込めたら山の神様みたいな。
それが仏様が入ってきたっていうのは結構すごいことだと思うけどね。
まさになんで仏教がそこまで入ってきたのか、浸透したのかっていう話を取り上げてお伝えしたいんですけど。
まさに今、兄貴が言ってる通りで、それまでは仏教ってもう全然、ちょっと入ってきたんだけど、やっぱり基本的には日本の神様とか、日本的な宗教とか信仰っていうものが大事にされてましたと。
いわゆるそのトップが大君大王みたいな感じなわけなんだよね。
このときですね、ちょっと外交的な国際的な話があるんだけど。
当時は中国とか、特に当時の地名で言うと九太郎とか聞いたことがあるから、卑に住むみたいな、かゆく、九太郎ってのがあるんだけど。
そことの外交を取りしきっていた一族っていうのが、蘇我氏なんですよね。
蘇我の馬子とか、大化の戒心、まさにそれこそ虫殺す大化の戒心で645年みたいなのがあったときに、
その時に蘇我のイルカさんが殺されるみたいな事件なんだけど、その蘇我氏っていうのが外交を取りしきっておりましたよと。
なので、いろんな大国とのやり取りをするので、当然仏教もこの蘇我氏っていうところが結構強力に受け入れてたみたいな話があるんだよね。
さっきも言った通り、当時のいわゆる大王みたいな人たちは、やっぱり日本の神様を大事にしてたんで、
あんまり表立って、じゃあ仏教、ネイコーブとかって言えなかったですっていうのがあって、
そうしているうちに蘇我氏は仏教すげえとか、外国の文明すげえとかって言ってどんどんどんどん力をつけていきましたみたいな。
それが目の上の炭鉱物っぽくなって、やられちゃいましたみたいな。そんな感じなんだよね。
人々の生活と信仰
なるほど、なるほど。
何がそんな魅力的だったの?みたいな話なんだけど、さっき言った通り、仏教っていわゆる個別具体的な悩みとかお願い事を叶えてくれるみたいな、そういう風な受け入れられ方だったんですよね。
例えば日本の神様とかだと、ちょっとなんかお日様いいけど、そろそろ雨降らせてほしいなとかさ、
なんか実りはできれば豊かにしてほしいですみたいな、そういうふわっとしたお願い事というか、やっぱりいわゆる祈祷でいくと、
何だろうな、ことしかできなかったんだって。
でも仏教が入ってきたことによって、いわゆる私の家を繁栄させてくださいとかさ、私の出世を応援してくださいとかさ、
あるいは、いわゆる倫理的なところで言うと、死後の世界とかももっと豊かにしてほしいみたいな、そういうことを願えるようになったんだよね。
うわー、すごいね。
これはシステムでしょ?
システムというか、さっきのね、社会の段階というか状況というか、それとやっぱりすごい密接につながってるなって思うよね。
本当に?うんうんうん。
ある意味、普通に素朴に農場とかして、やっとその日暮らしみたいなさ、家の大変っていう時だと、やっぱり自然の方が大事だよね、人間より。
そうだね、そうだね。
晴らしてほしい、雨よろしくとかさ、今年はあんま寒くしないでくれとかさ。
そうね。
だけど、今の願いって全然違うもんね。人間同士の出世したりとかさ、死後の世界を豊かになんてさ、別にある意味その日暮らして、その日も精一杯みたいな感じだったらさ、別にどうでもいいというかさ、あんまそんなこと考える余裕もないから。
うん。
なんか、そこの一気に変わってて、で確かにそういうさ、自然、対自然と言った時に、まあその自然そのものに応用にすればよかった、確かにわかるし。
それはじゃあ人間同士の時に、まさか相手に頼むわけにもいかないし、あれ?これって誰に頼むの?あの空だっけ?太陽だっけ?海だっけ?みたいな。
うんうんうん。
すごい、その感覚バシッとなんか来るね。
すごい、いやでもさすが兄貴は、すごい、やっぱり兄貴の感受性はね、本当素敵だと思うんだけど、当時の人に今なりきってるじゃん、当時の人にね。
そうだね、当時のあの、ハトキの人みたいなね。
ハトキの人、権力争いしてる人がさ、「あ、ついにお願いできる相手ができたー!」みたいな。
うん、そうね。
ほんとそんな感じで、やっぱ中国とか韓国ではそういうことをもう延々やっています。何百年も武器は叶えてくれますっていうのがやっと来たよ、みたいな。
海外で出売してるおもちゃがやっと日本でも取り扱えました、みたいな。結構そんな感じなんだよね。
いやー、そうだね、確かに確かに。
なるほど、ついにね。
ついに来たぞって。
来たぞって。
なので結構この当時の異性者って悩ましくって、やっぱ仏教をもっとやりたい。
実際出家したりとか、仏教的なお祈りをしてる人もいるんだけど、表だってはやっぱ日本の神様を大事にしなきゃとか、そういう伝統を立てなきゃみたいなところで、
結構そういう歯がゆい立場だったんだよっていうのがこの当時の、いわゆる異性者たちだったらしいんですよね。
人身の乱と天皇の登場
ただね、これが一変する出来事があって、聞いたことあるかな?人身の乱っていう出来事なんだけど、いわゆる行為継承争いの反乱とか内乱みたいなやつで、
これは672年に起きるんですよ。なのでいわゆる行為継承者同士が、おじとおいみたいな感じなんだけどが争って、
本来はおいっ子の方が、いわゆる大王だったんだけど、おじさんの方が倒したんだよ、それを。
はいはいはいはい。
で、要は空出た成立みたいな感じになって、ここで実は歴史上初めて天皇っていうものを称号として自称されるっていう風に言われてるんだよね。
えー、あ、そっか、だからさっき早田の大君みたいな話をしてたのか。
確かにそういう言葉、なんとかの大君とかって習った気がするよね。
そうそうそう。
あー、なるほど。
そうなんです。それまでいわゆる大王大君っていうものが、いわゆる日本のトップの尊将というか、役職名って感じだったんだけど、
ここで初めて天皇っていうものが使われたって言われてるんだよね。
へー、確かに天っていう言葉使ってるのもちょっと中国っぽいというか。
そうそうそう。もともと道教とかの言葉らしくて、それを使ったのが天武天皇っていう人らしいんだけど、
ちなみにね、この辺詳しい人がいたらと思って見たんだけど、
隣町のページとかにちゃんと書いてるんですよ、天皇の系統図みたいな。
あー、そうなの?知らなかった、そうなんだ。
そうそうそう。出てくるんですけど、さっきさ、天武天皇が初めて天皇を使いましたって言ったじゃん。
でもね、隣町のページを見ると、天武天皇は40番目の天皇だって言われてるのよ。
40番目?
40番目。
はいはいはいはい。
その手前に39人の天皇がいて、
初代天皇がね、神武天皇っていう、何か、
紀元前660年くらいに生きた人だっていうふうに書かれてるんだよね。
へー、ほいほいほいほい。
ただ、これはあくまでも伝説上の人であろうと。
ふんふんふん。
伝説上の人なんだけど、それこそ日本史記かな?古事記かな?ちょっとどっちか忘れちゃったんだけど、
そこには、そういう神武天皇から代々続いて、いわゆる万世一継か、
天皇が、それこそ本当に現代まで、現代の天皇まで続いてるよっていうふうに言われてるんだよね。
あー、そうなんだ。
だからこの辺が、いわゆる歴史的なとか、史実から伝わるものと、日本の、何だ、
なんか、史実か、史実的なものと、歴史的なものの違い?
だから、あれだよね、いわゆる考古学的ではね、
ものから、資料からだけ見ると、さっきハエトが言った天武天皇が最初自称した人だろうっていうふうにはなるんだけども、
いわゆるその歴史上、残ってるものの真珠とすると、そういうふうには書いてるよと。
そうそうそうそう。
上から言ったよって、そういうのも書いてあるよっていう。
書いてある、うん。
うーん。あ、そうなんだ。え、でも国内帳に書いてるんだ、それ。
国内帳に書いてる。ちゃんと書いてます。
うーん。
でも面白いから見て、よかったら見ていてほしいんですけど、ただまあ、一応その、学術的にはっていう感じでいくと、
この天武天皇が672年の反乱をもとに天皇になるんだけど、
実はその天武天皇が作らせたのが、これまでに挙げてきた古事記とか日本書記なんだよね。
わー、なるほど。あ、そうなんだ。天武天皇が作ったんだ。
そうなんです、そうなんです。なので、普通に考えると、要は反乱によってさ、やっぱり権力を得たっていうことは、正当性が必要なわけじゃない。
もちろん自分も法族の地を引いてるわけなんだけれども、そこをちゃんと立てるために、
それを立てて、自分が支配者というかトップとして正しいんだっていう、それを担保するために作ったのが、
古事記とか日本書記なんじゃないかっていうふうなことが言われてるんだよね。
仏教の全国的普及
へー。
かつ、その時に、やっぱり日本の神様、それまでの神様だけだと、やっぱり正当性が足りないってなった時に、
それはまた利用するのが仏教なんですよ。
わー、そうなんだ。
つまり、日本は神様も扱えるし、仏教の仏様も扱えるっていう、
それよりも上位の存在が天皇としての自分なんだっていう、そういうふうな物語を作っちゃうんだよね。
へー、そうなの。
そう、そうなの、そうなの。
だから当時、今はね、それこそ天皇も人ですみたいな話があるとは思うんだけど、
それはもうちょっと昔の時代からそうなんだけど、
その時の天皇は、もう神様よりも仏様よりも偉いみたいな、
そのぐらいの、いわゆる荒人神とかって言葉もあると思うんだけど、
人でありながらも神様で、絶大な地位とか権力を持ってるんだっていうふうな存在だったんだよね。
なるほど、まあそう言いたいよね。だし言わないと危ないというかね。
そうね、また自分もやられちゃうかもしれないからさ。
そうなんです。
なので、さっき言ったみたいに、いろんなことで叶えてくれる、
社会的なこととか、仕事とか出世みたいなことも叶えてくれる神様、
仏様か、だったものを、ある種自分の知性の正当性のところに取り込んだ、
というのがこの天武というものなんだけど、
そこから一気に仏教というものが日本全国に広まっていくんだよね。
へー、なるほどなるほど。それは面白いね。
例えば、それこそいろんな国、地域にお寺を建てるとかもそうだし、
あとは徳道っていわゆるお坊さんになる制度とかってあると思うんだけど、
それも完全に国管理してるんで、いわゆる国家公務員みたいな感じになってくるわけなんだよね、お坊さんが。
なるほど、まあ元々そうだもんね。中国とかでもそうだもんね。
そうそうそう、そうなんですそうなんです。
元々は中国とか韓国から来た人にお願いしてたんだけど、
やっぱり全国に寺を建てると人が足りなくなるから、
やっぱり日本でもそういうお坊さんを作んなきゃいけない、育てなきゃいけないって言って、そういう事業が起こったりとか、
教育係はとか、任命制度はとか、誰をどこに配置するとかっていうところが仕事と時期にバッと増えてきて、
そういうところからいわゆる行政というか、そういった仕事がどんどんできていきますよっていうのがこの時代なんだよね。
わー、すごいね。仏教完全トップダウンなんだ。
そう、完全トップダウン。
今で言うと、でもそれこそ天皇とか総理大臣が、
うちは今からこれだって言って、あの宗教がガラッと変わるみたいな。
日本全国各市区町村にお寺ができるみたいな、そんなイメージだよね。
へー。
うん。結構ダイナミックな変化だなって思わない?この辺。
うん、びっくりしている。
確かに歴史ではね、そういう言葉とかね、たぶん自分信頼とかで習ったんだろうけれども、
こういうふうにリアルにイメージ化はもちろんしてなかったから。
本当にだしね、それこそね、固定ラジオさんとかではこういうことをずっとやってらっしゃるのとは思うんだけどさ、
よく言うね、歴史ももっとね、ちゃんと知ったら面白いのにみたいなこととかさ、
やっぱりちゃんとその教科書系の知識だけじゃなくて、やっぱりこうね、結局何がそれで起きたの?とか、なんでそんなことがあったの?みたいな話。
なんで僕らって今こんだけ仏教、なんとなくは知ってるの?っていう時にさ、
当然そのね、それの後の鎌倉仏教とかさ、永安時代のさっきのね、最澄空海とかって話もあるんだけど、
天皇と仏教の関係
やっぱその手前に、やっぱ天皇がそれは、これから仏教だって言ったらそれはなるよね?みたいなさ。
そういうところが細かにあったんだなって。僕もね、改めて知りましたっていう話ではあるんだけどね。
でもそうだね、固定ラジオ聞いてるけど、たぶんやってくれてるんだろうけども、やっぱりね、この辺の話は聞いた気がする。天皇のところとか、
清後仏教のところとか、その技術が云々みたいな話だと聞いてたのを今思い出したけれども、やっぱりね、一、二回聞いただけじゃ、
そこはね、覚えらんないから、なんかこうやって、こういろんなところでこうやって聞く。で、いろんな角度から聞く。
たぶんね、ハヤトの角度と固定ラジオと違うだろうから、またそこをよく。
自分の物覚えが悪い説もあるけども、記憶力大説もあるんだけど。
そんなにね、めちゃめちゃ一言一句もらわずに聞こうとかって思うんでもないからね、ポストキャスト自体がね。
たしかにね。
いやー、でもすごい。そっか、そんなにこの人心なんていうか、
いわゆるこの天皇のしわうんぬんとか、しわうんぬんがなかなか難しいよねっていう話があったけれども、この辺が絡んでくるんだね。
そうだね。まさにだし。
天無天皇?
天無天皇だよね。
天無天皇。
手がこじつけちゃったからその辺の整合性みたいなものはちょっとごちゃっとするんだね。
そうだね。画期術的にはそう言われている。
あと、やっぱりこれもちょっと余談っぽくなっちゃうんだけど、思想とかもっとやりたいなとは思ったんだけど、
どうしてもこの時の世の中って、特に日本って思想で動くっていうよりやっぱりいろんな外交的な現実関係が動いてるらしいんだよね。
らしいっていうのは、さっきの人心の乱みたいな話も、じゃあなんでそんなことが起きるのかっていろんな説はあるらしいんだけど、
韓国で核スキノエの戦いから、そういう戦争が起きて、それに日本がクダラを助けに行ったんだけど、
負けちゃって、あわや日本が攻め込まれるかみたいな、結構そういうふうな状況だったらしいんだよね。
そういう時に、どうするんだみたいな話とか、この後中国とか韓国に日本が奪われちゃうという時に、
じゃあもっと日本も変わらなきゃとか、自分がやらなきゃとかっていって、ある種反乱を起こしたみたいなこともあったみたいで。
ある種その思想的なものっていうよりは、そういう外圧とか国際的な緊張関係の中で、やっぱり物語がどんどん変わってったっていうところがあるので、
やっぱり古代ギリシャみたいに、民主制で言論でこの街を運営していくのだとかっていうことにしてるには、
日本の独立を守るとか、自分の知性っていうものを維持するみたいな、そういうところで動いてた時代なんだろうな。
もちろんそれだけじゃないとは思うんだけど、歴史をひも解いてみると、いわゆる現実でどう対処していくかっていうところで、
この時代はまだまだ動いてるなっていうところが感じます。
はいはいはい。ちょっと受け身ではあるんだね。
そうだね。
もちろんね、どこどこにも、まあそうだろうけどね、責められちゃったからみたいなのはあると思うんだけども。
だからその天皇争いっていうのも、ただの権力争い、親戚同士のとかじゃなくて、ある意味ね、そのまま歴史へたどるのもあるんだけども、
さっきの竜馬、達長がさ、頑張ったみたいな感じで、ある意味さ、幕府は何も現状分かっとらんと、海外の政策とか海外の実情分かっとらんと、
ちょっとやばいんだぞ、ほんとにみたいな、そういう危機感の違いみたいな、ある意味その時のど真ん中に影響性のある方が、あんまりこの辺ちょっと分かってない気がして、周りから。
日本名の確立
現場だったりとか、海外と近いところでそういうのを見てる人からすると、ちょっと足らんぞと。そういうのもあったのかもってことなんだね、そのおじさん側というか反乱側というか。
そうね、そうね。
日本やべえぞ、みたいな。
そうね、そういうのもあったと思う。なんかね、Wikipediaとか見ると、結局女性関係だぜ、みたいなこともある。説としてはあるらしくて。
あそこはいろいろある。
いろいろあるらしいです。そんなことも含めて、いろんな時代の変化があったって話なんだけど。ちなみに、日本の思想とか歴史ってやってるんだけど、実はこの日本っていう国の名前っていうのも、正式に使い出したのがこのくらいの時代らしいんですよね。
それまでやっぱり和っていう、中国から与えられたというか、呼ばれてる名前、和国そうだったんだけれども、これってやっぱちょっと別称というか、そういうちょっと癒しさみたいなものもあったらしくて。
で、この天武天皇の後にね、その奥さんの地頭天皇っていうのが即位するんだけれども、そこで日本っていう国名を中国に対して伝えていって、認めせましたみたいな。
へー、あーそうだ。
これが702年の話なんだよね。今から1300年ちょっと前ぐらいに、日本っていう国名がちゃんと成り立ちましたみたいな。
ほうほうほうほう。あー、やっぱり早藤言ってた通り、ものすごい時代の変化あったんだね。
そうだね。
そういうね、中国の一部変境の和って言われてたのが、あれ、俺たち、ちゃんと地学でっていうのを、あっちんと持てるぐらいの社会構造とか規模とかになってきたってことなんだね。
そうだね、そうだね。
だから、この時にね、冒頭言ったような、なんと立派な平城京、710年っていうふうな話したので、時代的にもこのぐらいなんだけど、
この時は日本の人口がだいたい500万人ぐらいだったらしいんだけれども、いろいろ推計するとね。
だから、日本の広さとかを考えたら全然スカスカでわかるんだけど、やっぱりそのぐらいの人が、この日本っていう国で自分たちは日本人である。
で、地学を徐々に持ち始めてきたみたいな感じだね。
さすがに全国と言うか、平城京不利でしょ、でもさすがに。
まあでもね。
一ノ国の人たちは持てた。
ちょっとね、東北の人たちはまだそうでもないかも。
実際ちょっと次回にまたそれを伝えるんだけど、言葉とかも全然、もちろん似てはいるんだけどね、その国の名前とかさ、
本編。
ところで、通訳が必要だったみたいなぐらいらしいので、この時代はね。
日本、いわゆる今の日本国内どうしても。
今の日本国内でも。
そうそうそう。なので、
何だろうな。
これまでの各国というか、100ぐらいの国が日本という中にありましたというところからすると、かなり統一っぽくなってきたっていうのが、こういった時代ですと。
やっぱりそのね、今の日本につながるような仕組みとかもできてくるんだけれども、
結構そういう異性者、天皇とか大君みたいな人たちの変化というものと、それをやっぱり仏教というものがどう影響を与えたかという。
仏教の社会的影響
逆に言うと仏教というものをどう活用して、そういったね、いわゆる国とか時代の変化を作っていただいた話をしたんですけど。
近いね。この話は天皇とかトップオブトップみたいな人たちの話だったので、
もうちょっと平常境で働いていた役人たちの、普通に働いている人たちの生活を見てみたいなと思っていますと。
おー面白そう。
もちろんです。いわゆる農民とかとはまた違う。そういう人たちよりはもうちょっと階級としては上なんだけれども。
いわゆる宮塚みたいな人たちだよね。
そういう人たちがどんなふうに暮らしてたのとか、平常境っていわゆる街だったみたいな話が結構知られたり出てきたんですよ。
結構面白かったんで、それを伝えていく中で、この時代の立体感というか、理解というものをもうちょっと深めていけないと思ってますっていう感じですね。
おーなるほど。そこまでの解像度をこの時代見ることってないし、見ようとすることもないから。
ないよね。
面白いね。
うん、そう。ほんと面白かった。ちょっと敷き出しなんだけど、論文でどんなことが書いてるかっていうと、
宮塚で働いている人がいるじゃない?が、どんな理由で休みを申請したかみたいな。
そんな細かい勇気の取り方みたいな。
そうそうそう、勇気の取り方が残ってるのよ。
あ、そうなんだ。それはなかなか、資料が残ってないという人は、やっぱりその辺の時代だと、そういう人が残ってたりするんだね。
そう、いわゆる木漢とかが出てきて、その中に書いてるんだって、やっぱり。
へー。
でもその辺の中さ、役人の感じだとあれだよね、薬屋の独り言的な、あなた王宮の中すぎるけれども、
王宮があって町があって、さらにこの文があって、そこでいうと、そういう役人側の、ああいう王宮の中みたいな感じなんだろうね。
そうですね、バカな生き方のために説明すると、薬屋の独り言っていうのも、小説、漫画、アニメありますが、
いわゆる皇宮だよね、その皇帝が住んで、中国かあれは、中国の皇帝が住んでるところの、見預かりしている女性たちの中で、
働く人たちの物語のお話を、今お兄さんが突然入れ込んだと思うんですけど。
今回でいうと、前半に仏教が、意外と、例えば海に出てる漁師さんとか、そういう人とかにも広がってた。
仏様助けてください、みたいな。なんでかっていうのは、ここだったことなんだね。天皇が仏教を取り込んで、各地にお寺とか建てて広めたから、
その感じで、お寺とかも割と身近で、お坊さんの説法みたいなのもなんとなく聞く。
そういうのも、結構ババーっと広がってたんだよ、みたいな。
そうです。もうちょっと言うと、その国からいたのが、やっぱり地方の豪族たちとかも、やっぱり寺作ろうと作ってて、
その周囲に住んでる人たちも、なんだなんだと、興味を持って少しずつ緩和されていくみたいな。
だから出家してるとかっていうよりは、いわゆる在野の出家とかせずに、ただただなんとなく仏教的なものに触れてます、みたいな人が増えてったっていう感じなんだよね。
まあそうだよね。なんか立って、なんだなんだってなって、ちょっと話を聞いて、
仏教の視覚的要素とマーケティング
例えみたいな話を言うと、確かにわかるよね。思想というよりはそういう、もう神頼みというか、
お店さんありがとうみたいな、そういう感じだったことがある。
そうですね。やっぱりちょっとこれも雑句っぽくなっちゃうんだけど、やっぱり仏教がなぜここまで浸透したかっていうと、いろんな説もあるんだけれども、
やっぱり一気に、それこそ仏像とかさ、いわゆる視覚的な要素もそうだし、あと念仏みたいな、やっぱり耳で聞くみたいなリズムとかも含めて、
人にすごい訴える仕組みが、もうそもそも中国へすごい固まってたわけなんだよね。
ほいほいほいほい。
いわゆる本が入ってきてさ、本を読みましたとかじゃなくて、いわゆる仏像とかドヤドヤって入ってきて、なんかすごいものあるぞとかさ、
この中国、なんかよくわかんないけど、確かにいわゆる塔と僧みたいなさ、
そういう感覚でどんどん広まっていきますっていう感じなんだよね。だからそれもいわゆるマーケティング的な感じ?
うん。これいいよじゃなくて、とりあえずこの仏像ってものがあって、これに向かって動かせばいいんだみたいなさ。
わかんないけどやってみようみたいな。
確かに、いわゆるあんな中から、わっ!ってなるもんね、確かに。
そうそうそうそう。なんじゃこりゃみたいな。
はいはいはい。なるほどなるほど。
ではね、今回はそういった異性者の立場から見た当時の奈良時代、ラスカ時代とか、仏教ってものをどう作ったかという話をさせていただいたという感じですね。
はいはい、わかりました。では次回ですね、そんな時代の役人の生活というところで見ていきたいと思います。では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
40:04

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