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OwaiKnight FM
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず、自己紹介をお願いします。
杉田博信と言います。仏像彫刻をしています。
あとは、古美術の修理とか仏像の修理もしています。
仏像はどんな仕事をしていますか?
仏像はですね、結構個人的に注文があって、それを制作して納めるという。
結構、最速とかで急いで作って納めたりするので、作ったやつがあんまり手元に残っていなかったり。
あと、それをまとめて何か展示とかしないの?っていう時に、あんまり展示するほど溜まっていかないとかいうのがあるんですけど、個人的に頼まれたりします。
イメージ的にはあれなんですか?すみません、全然自分、仏像のほうにの知識はちょっとないんで。
素人まがいの質問で申し訳ないんですけど、
画家さんみたいな、自分で絵を描いて、それ注文、オーダーもらってこんな絵、例えば、かかる人こんな絵を描いてくださいね、みたいな感じの仏像バージョン?
そうですね。仏像だけじゃなくて、キリスト教の像とかも頼まれたりしているんですけれども、その人のいろいろな事情で、守り本尊とかを作ったりしたこともあります。
守り本尊っていうのは十二支で、十二位あるわけじゃないんですけど、生まれ年の守護してくれる仏さんがいて、
その生まれ年の人が、その自分の生まれ年の仏様を頼むっていうことがあります。
一体大体いくらくらいなの?
それはね、交渉とか、あとまあ、いろいろ話し合って決めたり。
仏像をじゃあ、くださいみたいなノリで皆さん注文するっていうイメージはあんまりないんですか?
そうですね。デザインとかいうよりも、まず割と今話した守り本尊みたく、
どんな仏様を作ってほしいっていうのがあったりしますよね、その頼まれる方。
まあ、頼まれる方はお不動産頼まれてて、いろんな写真を調べてその人が持ってきて、
こういう感じっておっしゃって、そのイメージがだんだんわかってきて、で作るっていうことですね。
仏像っていうのは、現在の仏像を作っていくんですけど、
いろんな物資産とか、仏像を掘っている人が今たくさんいらっしゃるんですけど、
ある程度、いろんな時代の仏像を参考にしてますから、
ですから、例えば雲景の写真を持ってきて、こういう感じで作ってくださいって言われれば、
ああそういう感じかなって思ったりしますね。
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別にじゃあこの顔でなきゃいけないみたいなのはいいんですか?
うん。今の不動明王を注文されている方は、お不動産で多いのが密教の像で、
やっぱりある種の密教のお不動産の顔で天地眼っていうのがあって、
片っぽ上向いて片っぽ下向いてる目の天地眼っていうのがあるんですけど、
天地眼のこういうのですかって聞いたら、天地眼にはしなくていいっていうから、
目をガッと開いてるタイプのお不動産で作ってくれって言われてるから、
じゃあそうしようかなって思ってます。
ああそういう感じなんですね。
そんなもんですよ。
下調べっていうか、軽くネットで見させていただいたんですけども、
他の物資さんで、宗教、例えば仏教ってあるじゃないですか、
その塊のものしか掘らないみたいなイメージがあったんですよ。
例えば浄土神宗だったら浄土神宗に載っとった仏像とか、
あと他にいろいろ種類があると思うんですけども、
これじゃなきゃいけないみたいな、
例えばキリストの像をポルムアが持っているのかなみたいな感じかなと思ったんですよ。
僕は彫刻家で、
さっきそこにもあったと思うんですけど、でっかいキリストとかあるんですけど、
あれも納める予定のものなんですけれども、
作るものは彫刻としていろんなものを作ります。
ですけれども、前特度したりしたこともあるんで、
儀器っていうのがあるんですね。
儀器っていうのは結構大事でですね、
儀器が間違っていると置物になっちゃうんですね。
それで、例えば浄土神宗とか浄土宗とかあって、
阿弥陀さんなんかを彫るんですけれども、
阿弥陀さんっていうのも実はもとを立たすと密教系の仏様なんですよね。
その因を結んでいるわけです。
その因っていうのは密教だったんで、シークレットなんですね。
だから浄土神宗でも浄土宗でも、密教の修行をしていない人はその意味は知らないし、
知らなくてもいいんですけど、シークレットの意味があるんですけど、
その因が間違っているともうどうしようもないわけです。
それはそういう置物でしかないわけですね。
特に密教像なんかはいろんな因を結んでいて、
結局そういう手法をしたりするときに、
そこの因の部分を見るっていう場面があったりするんですね。
そういうときにその因が違っていると手法ができないわけです。
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だから逆に言うとやっぱり仏像っていうのを見る機会がみんなあって、
憧れて頼むんですけれども、
手法の因の部分っていうのは密教の修行しているときに教わるものだから、
因が怪しい仏像でもそれっぽい形になっていればみんな喜んで一般の人は買うので、
それでもいいのかなと気はしますね。
だけど一応そうじゃないものを作りたいっていうのがあって、
キリスト教の像が起こるから仏像としては結構曖昧なものを作ってもいいとは思ってないです。
そのこだわりみたいなポイントってその仏像によって違ったりすると思うんですけど、
杉田さんの場合だとどの辺をこだわって彫る感じですか?
まあそれはここ一箇所ですってことじゃなくて、いろんなものがそれぞれあると思いますけど、
今言った儀器に正しくないかっていうのは僕のこだわりでもあると思うんですけど、
仏像を彫る人だったら多分ある程度前提だと思いますよね。
逆に因が怪しいとお坊さんとか見る人が見れば、
この人は分かってない人が作ったんだなっていう部分があって、
やっぱりお道具ではないんですけど仏様ですから、
でもお茶の世界のお道具とか茶釈みたいなもので、
やっぱり一見よくできててもお茶人が見たら、
この茶釈じゃ使えないよねとか、お茶碗の形とかもそうだし、
雰囲気がいいとかいいんじゃなくて、これじゃ使えないよね。
というところで雰囲気がいいとかいうのは全部すっ飛ばして相手にされないってことがありますよね、お茶の。
ちょっと素人感覚で自分から言うと、
どこが因が入った仏像とかっぽい仏像っていうのが見分けが少なくて、
例えば古っぽいものと実際のアンティークって風合いとか色違ったりすると思うんですけど、
その感覚ですかね。
因っていうのは、そこが違うと、そのもの自体が阿弥陀さんじゃない。
極端な訳ではこういう丸いのだけど、こういう風にやってるとか。
それダメです。
ダメってことですか。
でもこういうのもあったりするんですよ。
それはそれで仏教なんで、おしゃれじゃなくて意味があるんですね。
ぽいやつっていうのは一発じゃああってなるんですか。
そうそう。で、たぶんぽいやつを作ってる人がいるわけですよ。
でもそういう人はポップな感じで作ってたりして、その人を頑張って否定はしないですね。
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それはその人のスタンスです。
別にこれって決まりはなくて、自分の道を切り開いたものがちじゃないですけど。
いやでもこれって決まりはあるんですよ。
要するに仏像テイストの彫刻っていう場合はそれでいい。
で、その印が間違ってるとそれになるんだけど、
ちゃんとした印の形を結んでて、それで完全音菩薩っていうふうに観音さんを作って、
見た目入れをしたりしたら、それは彫刻でもあるんですけど仏様。
完全音菩薩っていう仏様になる。
そうするとみなさん拝んで仏様っていう。
みなさんっていうか念字物にしたいと思った人に念字物としてお渡しするつもりで作る場合はそうですよね。
もともとあれなんですか、仏教の世界に精通してたんですか。
家は仏教、昔から優秀だらしい仏教の名門でとか。
それはないんですけど、うちの父親は坊さんだったんですね。
で、坊さん途中で辞めたんですけど、家業ついで。
私もそういう仏教にはいろいろ関わることは多いですね。
それから仏像を彫っていく段階で仏教のことを勉強していくことになっていきますね。
どういった勉強をされましたか。
今話したように儀器の勉強とか、
あと儀器の勉強として仏像が何でああいう格好をしているのかということも含めていろいろ勉強していきましたね。
学校入ってか仏像、仏門って言うんですか。
やっぱり小さい頃から触れる機会は多かったですね。
仏教って勝手なイメージで申し訳ないんですけども、
決して明るい感じ?
例えばフェスティバル的な感じじゃなくて、
暗いお寺っていうイメージが強いんですね。
その影の部分と光の部分の差が激しいのかなって仏教、勝手にちょっと思ってるんですけど。
でもですね、世の中でそういうふうに思われている方も結構いると思うんですけども、
俯瞰してみるといろいろですよね。
仏像ブームっていうのが歴叙とか刀剣女子みたく定期的にあるんですよ。
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何でも刀剣なんかでもそうだけど、地味に仕事とか研究者としてずっと、
マニアでもあってやってる学校の先生みたいな人もいるんだけど、
刀剣乱舞とかでにわかに刀剣がダーッとあれして、
そのうちまたしたびになって、みんな次の方にダーッと向いたりするってことがあるんですけど、
そういうことが仏像でもありましたし、
アシュラーの時なんかすごい並んだのかな、東京国立博物館。
異常な並びっぷりでイケメンということでね。
それでその子たちが仏像飽きたみたいな感じで違う方行っちゃったら、
仏像はほっとかれるかっていうと、やっぱり根強くずっといるわけですよ。
なのでそういう地味に研究してる人たちが、地味までいかないかもしれないですが、
ある程度一定数いて、わーっとブームになる人たちがいて、
そういう人たちがちょっとしたびになってもずっと続くと。
それからだいたい日本の古い、古いっていうか江戸時代とかからの観光地っていうのはお寺の周辺なんですよね。
京都もそうですよね。
それで江戸っていうところは、豊臣秀吉が意地悪して家康に国返させて、
こっちに野原とか沼しかないときにやってきたときに、
この辺の唯一のこの武蔵野の広いところの、ここがあるよねみたいな場所って浅草寺ぐらいしかないんですよ。
その後にいろいろ官営寺作ったり、忍ばずの池作ったりするんですけど、
浅草寺っていう場所で一応パッと行って、もうちょっとお参りして、その後茶屋に行ったりしますよね。
観音山をがんだ後でその裏の吉原行って観音山をがんだりするわけですよ。
吉原みたいなところと観光スポットの浅草寺っていうのがくっついてたりするんですよね。観音村なんですけど。
だからとりあえず行って、お参りしましょうって言って、ほんの何秒間ぐらい押さえてあげてお参りして、
じゃあ何食おうかとかね。そういう風に場所としてのお寺があるんで。
だから地味とか暗いっていう感じでもなかったかもしれないですね。
だから浅草寺の周りに中店があって、観見所があって、お茶屋さんがあってっていう感じなんですか?
一番最初江戸に来た時は、そういうような場所っていうかな、ここにとりあえずお参り行こうみたいな場所はあんなもんしかないんじゃないですかね。浅草寺ぐらいしか。
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これは一応ですね、仏教の最初の頃ぐらいの仏さんが網に引っかかったっていうね。500年代から600年代ぐらいの話ってことになってるんですよね。
この辺がちょっと曖昧で申し上げなかったですけど。
仏像の物資の話に戻ると、掘り続けて何年ぐらいですか?
そうですね、仏像掘りたいって言い出したのは、保育園の時に。
それから小学校の時にいろいろ習いに行って、その教室が下大の保存でた先生たちが教えてるんで、いろいろなことを習いましたね。
そのやってて、面白みを一番感じた部分ってことですか?
やっぱり最近自分なんかが感じるのは、
曽像っていう粘土で作る仏像もやるんですけれども、木彫が今中心なんですよね。
木彫って実は彫刻やってる人たちの中でも今流行ってるジャンルなんですけど、
やっぱり、昔の仏像を作っている仏像を見ると、
出来たものを見ているにも変わらず、作っている感覚がちょっと伝わってくるんですよ。
それを見ていると、記述にも残ってるんですけど、早いんですね。掘ってるのが。
掘り始めてから仕上がるまでが早いんですよ。
わかりやすいんだと、東大寺に仁王があるんですけど、慶波が作って、一人で作ったわけじゃないんですけど、
2体で2ヶ月で作ってるんですね。
結構でかいです。
でかいですよ。何台もにあるやつね。
それで、そのスピード感の中で、ある一瞬のイメージを一気に閉じ込めて、そのまま仕上げちゃうっていうことがあって、
最近なんですけど、これだけでやってるってわけじゃないんですけど、スピード感の中で形を仕上げていくっていうことが、スポーツみたいな感覚があって、
また彫刻刀持ってるじゃないですか。
僕は割と血の毛の多いところがあるんですけど、
剣道の試合ってだいたいしないでしょ。
あと居合とかって真剣に使うけど切り合わないじゃないですか。
切り合ったら捕まえちゃうんですけど、
そういう風に刃物持って、バンバン刃物を使ってどんどん捌いていくっていうようなことができる数少ない仕事だなって思って、
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それだけのためにやってるわけじゃないですけど、それは今聞かれたときにちょっと一つ、自分の中で感じていることかな。
例えば料理とかって、卵料理とかオムレツとかって時間かけて作ってたらダメになっちゃうじゃないですか。
一瞬でこうある経験を積んだところで一瞬で仕上げる部分がありますよね。
木って腐らないじゃないですか。
木って腐らないので、自分でも実際は多いんですけど、しばらく置いといてから作るってことがあるんですけど、
あるものでは短時間の中で作って、いろんなものを抑えて作っているときに、それを逃すと逃げちゃうってことがあるんですよ。
だからそれを逃げないうちに仕留めないとっていう部分があって、それはちょっとスポーツ的なんですよね。
そういう血が沸くっていうかな。
すみません、ちょっと自分のことなんですけど、インタビュー記事が終わった後に書かせてもらっているんですけど、音声も全部編集してやるんですけども、
それが時間が経っちゃうとやりたくなくなっちゃうんですよ。
要はさっきおっしゃっていた気を逃せるということなんですけど、その場の雰囲気とかを一緒に持って行って後でバーって書くんですけど、
それをどっかに行っちゃうとミラキンオブセイションですよね。それみたいな感じですか。
そうですよね。その人からもらったインスピレーションと、その人のこの人面白いっていう感じが、後になってからよっこらちょっと整理してまとめるかっていうと、
まとめただけで、自分がこの人こういう面白いこと言うんだなみたいなのが、ちょっと感じられないものに仕上がる。
形はできるけど。
そういうのってある。
あれですか、さっきおっしゃっていた仏像っぽいものと、ちゃんとしたっていうわけじゃないですか、気が入った仏像の違いがそこで出てきちゃうってことですか。
いや、それはね、実は仏像の儀器っていう、ポーズっていうんじゃなくて、インなんですけど、とか持ち物とかの話で、
割と例えばお坊さんとか、そういう仏像をちゃんと必要としている人たちにとっては、あんまり正規がない仏像でもちゃんとできていれば、ちゃんと仏さんとして扱うっていうところはあるんですけど、
逆に言うと、すごい生き生きしてても、さっき最初に言った儀器っていう、一言で言うと、何だろうな、決まりっていうかな、決まりがちゃんとしてないと、これじゃちょっと使えないよねっていう部分はあると思うんですけど、
それはやっぱり、生命観とかっていう部分と、その儀器っていう部分と、2つ別々に考えて、両方抑えていきたいんですよね。
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両方ないと、面白みっていうか、人間の生々しさみたいなのが、ちょっと感じ取れないのかなって。
それで、またさっきおっしゃった、暗いっていうか、あんまりワクワクするような場所じゃないっておっしゃって、そういう部分ってはっきりあるわけで、そういう時に仏様っていうものが、ある種の生命観みたいなものが要求されてない部分もあるので、
物がない仏様作っても、さっき話した儀器が通ってれば、問題なく通るっていうか、やっていけるっていう部分はあるんですよね。
なんかお寺に行って、怖いっていう、ちょっと薄暗くて怖いお寺と、薄暗いけども、そこにずっと佇んでいたじゃないですか、仏像と大仏さんとずっと向き合っていたみたいな場所があると思うんですけど、
そこでその生命観のあるなしが、なんとなく感じ取れる場合ではなく、その時の流れがあるのかなって思うんですけど。
なるほどね。やっぱりさっきの話した戦争時なんか、暗くて寂しいって感じしないですよね。
そうです。
あの感じでね。浴衣着た姉ちゃんとかいたりね。
それで逆にその禅寺でもやっぱり暗くて寂しい感じがするところって多分あると思うんですけど、鎌倉とかいろいろ。
でも逆に言うと、そういうのを場所に行きたい人にとってはその場所ってすごくいいですよね。
そうです。魅力的です。
普段も都会の喧騒で追いまくられてて、散々いろんなこと言われてる時にそういうとこ行きたいっていう人はいると思いますね。
そういう人にとってみればやっぱりそういう場所って癒しの場所なのかもしれない。
じゃあもうなんですかね、南米の教会とか、ちょっと勝手にイメージなんですけど、ほとんどフェスティバルじゃないですか。
ウルトラバロックのすごいのありますね。
なんか仏教って今お話を伺うと、明るい分もあったり暗い分もあったり、それは自分の心を映し出す場所だったり。
だから別に明るいからいいとか、明るいから悪いとかじゃなくて、その場の雰囲気がそれぞれ大事なんじゃないかなってちょっと今思ってます。
普通にいろんなとこ行こうっていう人でもやっぱり自分の状態に合わせてチョイスしてると思いますよ。
これから仏像をじっくり見ていきたいっていう人のために、ここを抑えるともっと面白くなるポイントがあったりしますか。
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そうですね。前講座をやってたことがあって、ポルフォはずっと教えてるんですけども、学科の講座をやったことがあって、そこで喋ったようなことでもあるんですけれども。
仏像って人の形してますから、人体彫刻なんですね。
人体彫刻なんですけれども、普通の人体彫刻っていうのはモデルさんとか作って立ってるところの字山なんか小さくて薄いんですけれども、仏像はレンゲ座とかに座ってたり、後輩がついてたり、その下のレンゲ座に台座がついてたりするんですね。
九十座って九段ついてたりするんですけど、それがですね、例えばダビンチの解剖図とか人体図で、円の中に人が入ってるような有名な絵とかあるんですけど、
ああいうふうなもので、あれを描いたっていうのは、ダビンチの独自の世界観の中に、キリスト教徒なんだと思うんですけど、ちょっと仏教的・密教的な後からこじつけると、要素みたいなのも本人の中に入ってたかもしれないですけど、
その円の中に人体が構成されているとかいう、その気化形態と人体が組み合わされている絵なんですね。そういう要素が、ただの単体の人間作ってる彫刻じゃなくて、仏像の中には含まれてくるんです。
その台座とかレンゲ座とか、その流れでの交配っていうものがですね、最初の中に入っている人の形した仏像と組み合わされるように作っているんです。最初から。
一緒に計画されて、まず当然なんですけど、作られてるんですよね。古い時代のものは。それで、仏像を作ったんで、台座とか交配なんかつけとけばいいやっていうわけではないんですよ。
それで仏像で言えばですね、大体仏像を彫るときの最初のイメージっていうのは、お経感か絵なんですね。お経感というのはめちゃくちゃなこと書いてあるんですよ。手が千本生えてるとかね。千本あるとか。
それをですね、どうやって表現するかとかね。千樹観音っていうのが。あとは仏画とか密教画の場合にはですね、超現実的な世界の話ですから、虚空に宝珠が浮かんでるっていう感じなんですね。虚空っていうのは空間にですね。
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人間は普通空は飛べないんで、地面に立って歩いてるんですけど、この虚空にですね、宝珠が浮かんでて、その宝珠の球の一体にですね、仏様が存在してるっていう、文学としては表せそうなもんなんですけど、それを立体にするときに、
例えば仏様がレンゲ座に座っているときに、そのレンゲ座の曲線からそのまま仏様を包むオーラなんですけど、広範囲のラインがスーッとつながるんですよ。
そのレンゲっていうのは本当は細い茎にお花がぼっと咲いてるんですけど、それを表現するとぽっきり折れちゃうので、そのレンゲ座の下はキュッと閉まってるんですね。その下からこの水平のように下に広がっていく世界があるんですけど、それがドカッとした塊だと思うんですよ。
下からフーッと浮き上がっていくような、このレンゲの軽やかな、花の上に人の形したものが乗っかってるっていう、現実としてはナンセンスな状態を彫刻で表現してるんで、その上ってきたラインのまま、このオーラである広範囲につながっていく。
で、その下がキュッと閉まってるからここに空間があるわけですよね。そうすると、この光珠が虚空に浮かんでるっていう状態を表現しているわけです。それで、それを後世の人が、現代でも江戸時代でもいいんですけど、広範囲とれちゃったと。
それで、あんまり意識しないで修復すると、そのレンゲ座とは別に小さい光範囲をつけたりするんですよ。そうすると、だいたいのプロポーションが八の字みたいになっちゃうんですね。八の字みたいな形になっちゃうと、下と上と本体の、しかも八の字になって小さくなっちゃうと、
例えば座ってる仏さんだと、膝だけ飛び出ちゃうんですよ。広範囲ない状態で。ということは、仏さんは全部オーラが包まれてるはずなのに、膝だけオーラがないってことになっちゃう。
で、それは、なんでそんなことになるかっていうと、一言で言うと、何も考えてないからですよ。で、何も考えてないっていうことは、勝手にそういう形になるはずがないんですよ。
意識が全くないからです。で、意識があるから、昔の後輩どうなんだろうと思って、ちゃんとしたセットになって残ってるやつを見ると、やっぱり繋がってるんですよ。それはそういう風な意識があって作ってるからです。
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たまに出てるのはその理由なんですか?
うん、そうです。だから、何か付けときゃいいやっていう人は何も考えてないですよね。結局、後輩と台座と仏様本体が組み合わさった構成的な彫刻なんだっていうところが仏像の特徴の一つである。
しかもですね、それが仏像、後輩、台座がもっと広がって、お堂がありますね。
お堂の最初から、仏様が外から見て、中から光がフワーッと広がって、中の仏様が光の中に、虚空の中に法師が一個あるっていう風に見えるように、お堂とも一緒に構成されています。
仏像によっては、仏像の審議がお堂の建築の審議になってるものなんですよ。そのまんま。
お堂を作るときに、そこに部材として組み込んで作っちゃってるようなものもあるんで、完全にそのお堂と一体型なんですね。
それは遠くから入ってきて、扉が開いてて、今は配管上、こっちから入ったりすることあると思うんですけど、当時の注文した貴族なんか、真正面から入って、フワーッと開いたときに、フワーッとそれがお堂の中に、お寿司の中に仏様が入ってるように、ワッと見えるように構成されてできる。
だから、お堂入ってお堂、仏像って別行のものじゃなくて、そこからのワクワク感があるんですね。
そういうものが残っているものが、いくつか全国にあります。国宝とかね。それで、そのお堂と仏像が、さっきの後輩みたく、結果としてしょうがないんですけど、何回もお堂が焼けちゃって、仏像とお堂がセットじゃないところは、さっきの話と同じで、その構成が関係ないですから、全然それは期待できない。
元のお堂であっても、仏像の目の前にお供えとかいっぱいあったり、横に卓仏とかあったり、いろんな他の仏様があると、その構成が見えなくなっていくんですね。
そういう状態だと、その仏様は、そういう構成でできたんだなということが期待できないし、よっぽどの通じゃないとわかんないんですけど、浄土式の法会寺とか白水網田堂とか、そういうところは、当時のお堂と仏様が一緒に残っていますから、そういうのが楽しめると思います。
で、ドカーンとしたでっかい真四角の建物の中にも、法会寺って好きなんですけど、でっかい水産が一個置いてあるんですね。ドーンと。それはもうそのお堂と一緒に構成されているから、ここの場所に合わせて作ったんだなっていうのがすごい感じですね。
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なんでその結論っていうほどじゃないんですけど、だいたい仏様は顔だと。とにかく顔を見れば、それでその顔とあと説明書き見て、うーん、なるほど鎌倉時代に、うんうん、芸が作った、うんうんって顔見てパッと次行く人いるんですけど、ちょっと離れて全体を見てみたり、あと僕なんか結構好きなのは仏像の側面感っていうのが好きなんで、
側面感がやっぱりその、まあこれなんか鎌倉時代のものを参考にしてるんですけど、鎌倉時代っていうのはこの股関節の部分をグーッと前に出してたりするんですけど、そういうところが横から見ると、あ、案外美しいなと思ったりするっていうところがあるので、横からの全体像とか、あと後輩と外座とかと仏像との美しいフォルムとか、そういうものを見てもらうといいかもしれないですね。
企画よりも一歩ちょっと引いてみたほうがいいってことですか?
まあ引いて、うん、引いてみるっていうことと、あとまあ仏像は顔なんでとりあえず顔だけ見て説明書きっていうんじゃなくて、今のちょっと僕が話したことを意識してみても面白いんじゃないでしょうかっていうことですね。
で、あのおすすめが今このなんかお話にあった、こう、
あ、法会寺とか好きですね。
まあ法会寺がじゃあとりあえずおすすめ?
そうですね、まあ平等院と同じようなスタイルなので、まあ違っちゃ違うんですけど、平等院も当時のお堂と仏さんが一体になっているんですね。
それがなんか国宝って呼ばれるゆえっていうんですか?それがあるからまあ国宝っていうことなんですか?
まあそれも言えますよね。
すごい勉強になりますね。すごいなんか今までのその仏像の見方がちょっと変わって見れそうな。
さっきの平等院なんかで言うと、まあ有名なんですけど、十円玉になってますけど、浄土式庭園って言って、あの目の前に池があるんですね。
その池にその有名な話ですけど、平等院が鏡のように反面に映ってるんですよ。
その鏡の平等院と池に映った阿弥陀さんを観想するっていう仏教の瞑想法があるんですけど、十六観想法。
で、それのスタイルのお堂なので、さっき言った逆なんですけど、仏様からじゃなくて仏様、仏様と一緒に構成されているお堂。
お堂と一緒に構成されている全体の庭園、緑、それからお池ですね。
それでそのお池から今はできないんですけど、向こう岸から太鼓橋をこう1回渡って、真ん中の中須に降りて、もう1回太鼓橋渡って平等院に真っ直ぐ入っていくと、阿弥陀さんがドーンといるという。
だからその太鼓橋池の向こうから渡ってくるところから夕方とか夜の暗い中の、そこから中入っていくと中もすごい華やかなんで、そこまで行くまでのこのワクワク感っていうのがあったと思うので、
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さっきの話を拡大すると庭園までセットになるんですね。
当時のあれで極楽威風かしかば、宇治の御寺を敬えとなって、極楽ってどんなもんか想像できなかったら1回平等院に行ってみーっていう話があって、
ここが極楽ですよっていうのをテーマパークじゃないですけど、もう頑張って再現したという。ディズニーじゃないですけどね。
それを頑張ってやって結構よくできてると思いますし、10円玉になってたりしますよね。そんな感じでできてます、浄土式庭園って。
今すぐ平等院に行ってみてみたいな。
しかもね、いいか悪いかっていうかいいんだと思うんですけど、
方法も含めてね、昔は当然色が退色して茶色かったんですけど、今は真っ赤っかですから。
当時は最初真っ赤っかだったんですけど、上から塗ったんですけど、でもそれも当時の弁柄か本書かわからないですけど塗ったんで、
こういうのをね、ちゃんと見てる人はね、本集だよとかちゃんと画面に突っ込んだりする人かもしれないですけど、僕その辺がちょっと今怪しかったんで、あれなんですけど、
そういう綺麗な荷塗りになってますよ。だから今の平等院に行くと地味って感じしないと思いますよ。
ちょっとコロナの状況だけど、まあ落ち着いたらぜひ皆さんね、もう見に行ってほしいですね。
でもね、だいたい観光地ですから、観光地の観光地ですから、そういうことをお勧めしなくてもめちゃめちゃ必要ですから、気が向いたら行かれたらいいんじゃないでしょうか。
わかりました。ありがとうございます。
最後に今後のお知らせか何かありましたらぜひ教えていただきたいですね。
まあ唐突なんですけど、私はインドネシアの家芸芝居やってまして、そのインドネシアの家芸芝居っていうのはジャワで8時間ぐらいぶっ通しでやるんですけれども、
それをですね、8時間近く一人で語るんですけれども、物語をね。それで王様の声から女性の声から鬼の声まで全部一人で喋るんですけども、
それを上演して、インドネシアの話っていうのはだいたい二部構成になっていることが多くて、最初の話は原因で、第二部の話は結果っていう形の話になるんですけど、
前半はものすごく素晴らしい70年代か80年代のインドネシアの家芸をするダランって言うんですけど、そのダランのテープをもとに上演して、後半はですね、
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元の語りというか台本があるんですけど、テープ自体がなくなっちゃってるので、いろんな音楽家の人たち、アーティストの方たちの生演奏で語っていきたいと思います。
【佐藤】さるよのしっていう物語なんですけれども、それがですね、うちの近所のしすいずうっていうところで、今年の秋にやる予定だったんですけれども、たくさん人を入れたいとかいろいろありまして、コロナ禍なので来年上演する、来年の早い時期でもやりたいなと思ってます。
【佐藤】なるほど。来年の、だいたいいつ頃は? 【佐藤】春先にでもやりたいなと思ってます。 【佐藤】その物語のあらすじって何か教えていただくとできますか? 【佐藤】物語のあらすじですね。
【佐藤】そうですね。さるよれのっていう話で、放題さるよのしってなってるんですけれども、前半はですね、れのっていうのが、しっていうよりも元の言葉で言うと事故っていうような意味なんですよ。
【佐藤】事故ってあれ?【佐藤】そう、事故にあう。いろんな意味で事故にあう。だから、ちょっとまともな死に方じゃないっていう。それで結局、王子様が、こいつが主人公なんですけど、キャラとしては気の強いやつなんですよ、とにかくね。
それで、鬼に連れてかれるんですけど、その鬼の娘が王子様のことを夢で見て、それで結婚したいって連れてこられたんですけど、何すんだって連れてこられたんだけど、娘が美人だったんで結婚することになったんですけど。
鬼っていうのは実はお坊さんで、見た目が鬼なんですけど、もうすごい修行してる人で、話としてはあるときに娘を解悶家なんかやらして、鬼の坊さんがお前の気持ちはわかってるんだけどって言ったら、そもそもお前みたいな鬼が親戚に出るっていうのが我慢ならないんだっていうんで、死んでくれっていう話になるんですけど。
その代わりに、ちっちゃい悪魔がいっぱい出る呪文をもらって、その悪魔は、悪魔っていうかな、神っていう怪物のちっちゃいやつなんですけどね。それを殺すと2匹が4匹になって、4匹が16匹になって、もうすごい増えていくっていうやつなんですけど。
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要するにその陰我を起こうっていうのは喰らうだろうっていうんで、その呪文っていうのは前半と後半2回出てくるんですけど、あんまり役に立たないっていうかね。最後はね、結局自滅するんですよ。
あ、その坊さんまで。
ごめんなさい、坊さんはそこで殺されちゃうんですよ。
あ、そうなんですね。
残ったのがその、ノロソモって言って、ノロソモっていうのはサルヨの若い頃で。サルヨの若い頃の気の強いやつなんだけど、そのスタイルの人形で出てくるのが前半の話です。話がノロソモっていう、そいつの名前ですね。後半がサルヨの死って言うんだけど、割と結構気が強くて自分勝手なやつなんだけど、
だんだん後半になると立派なやつになってくるんですよ。いいやつになってくるんですけど、やっぱりワヤンの僕の大好きなところっていうのは世の中にいいやつとか悪いやつとかそんなのいなくて、みんな自分らしくしか生きられないんですね。だからそのキャラをね、生きていくしかないと。
後半はなんだかんだ言って美人の嫁さんなんだけど、それを本当に大事にして、結構立派な男になって、なかなかかっこいいんですけど。で最後やっぱり運命っていうかな、最後自滅するんですよ。
サルヨの死っていう話です。でもその自滅っていうのも面白くて、それは物語ですからお楽しみなんですけど、やっぱりいろんなキャラクターが出てくるんですけど、レノっていう話を僕今まで何回か上演したんですけど、クンボカルノレノとスマントリレノっていうのをやったんですけど、スマントリもクンボカルノも人の名前なんですけど、
こういう悪いことやったとか、いいやつとかこいつが悪いっていうんじゃないんですよね。自分らしく生きてって結局そうなるだろうなって感じなんですけど、そうなっちゃうんですよ。
それがね、本当にそのキャラクターっていうのは、元はギリシャ語かなんかでオメンみたいな意味らしいんですけど、そのキャラを古代の演劇の考え方だと、絶対人間って変えられないって言うんですよね。
だから、だんだん成長してってキャラが変わるっていうことは、昔の演劇じゃないらしくて、それで人形とかオメンがそうですけど、もうずっとその顔してますから、サルヨとノロソモって同じなんですけど、目キッと開いて、ちょっと顔が赤っぽいんですけど、
キャラのまんま真っ直ぐ行って、そのまんまドーンってなるんですけど、他のサルヨと対峙するユディスティラっていうのは、宗教的な人間で修行ばっかりしてるんですけど、そいつはそいつらしいキャラで真っ直ぐ行くんですよね。
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サルヨはサルヨのキャラクターで、とにかく早口で気が強いんですよ。人をババババって射詰めるような性格があるんですけど、あのキャラのまんま行って、その中でも本当にだんだんいい男になってくるんですけど、そのまんま結果は曲げられないっていうか、最初に追った呪いっていうのは絶対に外せないっていうことがあって。
そういう悪いやつとかそんなのが一人も出てこないとかいうのが好きですね。そのキャラしかみんな生きられないっていうのが。なんかちゃんとうまく説明できないかもしれない。
詳しくはその物語を、実際上映も見に行っていただいて。入場無料でやるつもりで、多分お酒とかご飯も食べれると思うので。
食べ放題飲み放題入場無料ですか?
そんなことはないです。食べ物と飲み物は必ずワンオーダー制ってことはないと思うんですけど、それぞれ注文してください。
どっかのイベントホールじゃなくてお店の中のってことですか?
そうですね。でもカンカンとかレビューとかやってるとこなんで、結構広いですよ。
大塚の…
しすいです。ただまだ日にちが未定なんでね、申し訳ないんですけど。
告知ってなんか出るんですか?
出ます出ます。
Facebookからサイト?
はい、出ます出ます。
わかりました。じゃあ今日は杉田さんでした。どうもありがとうございます。
どうもありがとうございます。
ホワインナイトFM…
ホワインナイトFM