はい。お願いします。
ご説明します。
はい。
ちょっとボリューミーなんで、
はい。
ああ、そうなんだなって思いながら聞いていただければ。
うん。長崎聞きみたいだね。
はい。そうです。
はい。
これ250年って言うんで、時代背景が結構ね、分かれるんですよ。
ああ、そうですね。
はい。で、ご存知の方多いと思うんですけども、
4つの時代に分かれまして、
うん。
まず最初に、始まりという時代。
はい。
はい。17世紀初めから中頃にかけての時代なんですけども、
うん。
まさに、近況期突入、そして鎖国へ。
その引き概念となった、島原天草一揆って習いましたよね。
はい。
はい。ここで一揆が起きたことで、鎖国っていうものがですね、
うん。
江戸幕府の政策として取り行われるようになったんですけども、
うん。
これを表す世界遺産として、原城跡という、
はい。
城跡が世界遺産に登録されております。
はい。
そして、次に京成という時代がやってきます。
はい。
はい。
少しずつね、
少しずつ変わっていきます。
はい。
17世紀中頃から、この19世紀の初めぐらい、結構2世紀ぐらいね、
うーん。
間を持つんですけども、
ここで登録されたのが、平戸の聖地と集落。
うん。
さすが集落と安万岳という場所と、
天草の柵津集落、
はい。
外目の執集落、
うん。
外目の大野集落っていうところが、世界遺産に登録されていると。
はい。
なんで、なんだろうな、
密かに信仰を保つために、隠れられる場所っていうか、
うーん。
集落に隠れて、キリシタンたちが隠れていたと。
そうですね。
そういった。
まあ大体的にはね、できないですからね、その時代って。
そうそうそうそう。そうなんですよね。
でも見た限り、まだまだこの九州本土に残ってるなっていう部分はありますね、場所的には。
うーん。
はい。
で、その次の維持拡大の時代から、
はい。
後藤列島へと広がっていきます。
どんどんどんどんね。
はい。
場所が変わってくる。
そうですね。広くなっていきますね。
18世紀末から19世紀中頃にかけて、黒島の集落、
はい。
野崎島の集落後、柵ヶ島の集落、
日坂島の集落、
鳴島の江上集落っていうね。
うーん。
この辺、全部はですね、後藤列島ですね。
はい。
なんで本土からついに離れて、
うーん。
島に渡って、島で隠れて、進行を守っていたと。
ちょっとこう、追われつつあったんですかね。
そうですよね。
うーん。
まあなんか、この辺を収めてた人たちの、なんていうのかな、開拓するために。
うーん。
まあ、進行してるってこと、ぶっちゃけ知ってたけど。
ああ、そうですね。
容認したっていう場所もありつつも。
うんうん。
でも、隠れやすい場所にどんどん広がっていったというところですね。
そうか。
えー。
そして最後、変容終わりという時代が来ます。
はい。
19世紀後半ですね。
うん。
で、この舞台になったのが大浦天守堂。
はい、これ長崎です。
そうですね。有名ですね。
有名ですね。
日本二十六聖人って言われる、キリシタの方たちが殉教、いわゆる処刑された、その殉教者たちに捧げる形で建てられた教会なんです。
うーん、なるほどね。
だから、大浦天守堂にもし行かれたことある方、思い出してもらえたら嬉しいんですけど。
結構ね、見た目はすごくノロスタルジーな建物じゃないですか。
うーん、どんなイメージ?
中入ったらちょっと怖くないですか?
うーん、なるほど。
なんか物々しい感じ?
そうですよね。
私は入ったことない。
あ、本当ですか?
入ったことない、なんか。
なんかね、見てもらいたいんですけど、あそこ、中撮影禁止なんで、写真で撮ることはできないんですけど、祭壇の両サイドに、先ほど言った二十六聖人が殉教されるフレスコが飾ってあるんですよ。
へー、なるほど。
十字架にかけられて。
なるほど。
ちょっとね、見た人は、「え?」って思うかもしれないですけど。
あー、でもなんかね、そういう歴史も垣間見れる感じのね、ちゃんとやってるんですね。
そうなんです。
で、この大浦天守堂は世界遺産であり、実は西洋建築初の国宝なんですよ。
へー、日本で。
日本で。
すご。
それまではほとんどね、日本の純和風の歴史的な建物が国宝にとして。
豪快ですもんね。
でね、ちょっとね、注目したいのが、この最後の変容終わりの時代なんですけど。
はい。
これがね、面白いっていうか、この後のストーリーを考えると、結構ね、考えることがいっぱいあって。
へー。
ちょっとね、ご紹介したいんですよね。
はい、ぜひ。
これ世界遺産の範囲って、この変容終わりの部分で終わってるんですよ。
でもこの後の時代っていうのが、結構考えさせるっていうか。
へー。
はい。
はい。
完全にご紹介しますと。
はい。
1865年。
まあ、250年続いたって言ってたんですけど。
はい。
公から姿を隠していた旋風キリシタンたちが、大浦天守堂とかね、本土を訪れて、日本に来ていた司教に真空告白を読むんですよね。
はい。
実は私たちキリシタンなんですと。
うん。
これには、もちろん司教含め、世界中が驚愕するわけですよ。
そうですよね。
なんせ日本っていうのは、極東の本当に小さな島国で、それもそれも国全体が政策として鎖国してるんで、まさかその中にキリシタンがいるって思わないじゃないですか。
そうですね。
なので、かなり本当、歴史的な出来事だったらしくて。
うんうん。世界中にね、知れ渡ったって言いますよね。
そうですよね。
なんか、カトリックのローマ教皇とかの海にも入ったとかっていうふうに。
そうなんですよ。
まさにその、かないさん言ったように、ローマ教皇にね、これは奇跡的な出来事だとして。
すごいですよね。
はい。実際に口にされたそうですけども、実はこれって、この後、ちょっとね、穏やかでは終わらない展開が待ってるんですよ。
いやー、でもね、なかなかこう、自分キリシタンなんだよって言って、信仰を続けさせてくれるかって言うと、なんかそういう時代ではなさそうかなって。
そうなんですよ。おっしゃる通りで、実はこの時、まだ国としては、近況例が解かれてなかったんですよ。
あー、はいはいはい。
そうだな。
それが延長するとどうなるかっていうと、やっぱり戦争っていうものが起きちゃうんで、
やっぱりここは世界遺産の理念にすごく沿った、一つの世界遺産かなという。
大事ですね。やっぱり根本的なところからっていう。
そうなんです。
なんで争ってるのっていうところをね、見るのがすごい大事だと思います。
ということで、今回は日本の世界遺産、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産でした。
ありがとうございます。
はい、ということで、エンディングに入りたいと思うんですけども、
先ほどの浦上天守堂が世界遺産にならなかった理由、気になってる方も多いんじゃないかと思うので。
思ってますよね。気になってますよね。
これね、壮絶な歴史がありまして。
なんかここからが結構もうメインどころみたいな感じですよね、むしろ。
実はね、実はそうなんですよ。
で、ここはもう世界遺産ではないので、世界遺産としての価値からは外れてるんです。
もちろん世界遺産検定のテキストにも書かれていません。
でも、ここを外してね、僕、この世界遺産って語れないと思うんですよね。
すごく重要な場所なので、何かというと、今日8月6日、ここにちょっとね、つながっちゃうんですよ。
今日は広島に原爆投下された日ですけども、長崎に投下されたのが8月9日じゃないですか。
長崎って、どこに原子爆弾が落ちたかっていうと、
長崎の中心市街から若干北にずれた場所で、それが浦上地区なんですよ。
なるほど。
もちろんこの浦上電子堂も甚大なる被害を受けるわけです。
そうですよね。
今の浦上地区の平和記念公園かな、が爆心にほぼ近い場所って言われてるんですけども、
爆心地から約500mの場所に浦上電子堂ってあるんですよ。
今も、行かれたらわかると思うんですけども、
多分ね、平和記念公園が若干見えるんですよね。
あ、そうなんですね。
浦上電子堂って。
なるほど。
で、もともとね、石とレンガ作りできたロマネスク様式の教会で、すごく存在感のあるきれいな建物で、
もちろん先ほどの浦上4番崩れで殉教された方たちを思って、それに捧げる形でできたんですけども、
原爆投下によって、こっぱみじん切られちゃうんですよ。
なるほど。そうなんだ。
ほぼほぼ外壁しか残らない状態になって。
その距離だったらね。
そうですよね。
そうですよね。
若干こう、遺構が残ってるんですけども、遺構を残しつつも、その横に木造平屋のね、仮の正道を建てたりしたんですけども、
あー、当時は?
はい。
えー。
最終的にはもう全部崩して、綺麗にして、今鉄筋コンクリート作りって。
はい。
再建されてます。
あー、もう丈夫なね。
そうなんです。
建築素材、素材使ってね。
はい。だから旗から見ると、ほぼ昔と変わってないんですけども、素材がそもそも違うっていうところですね。
まあ、大事ですよね。
そうなんです。
地震も起こるし。
うん。
で、ここからがね、ちょっと考えさせられる部分なんですけども、
はい。
広島のね、原爆ドームって、いろいろ揉めて、残すか取り壊すかで、
でも、広島市議会が、もう永遠に残しますという宣言をして、残ったじゃないですか。
はい。
でも、やっぱね、原爆の被害を受けてる方とすると、見たらやっぱ思い出しちゃうから、見たくないとかってね、壊してほしいっていう意見も。
そうですよね。トラウマになっちゃうとかね。
いや、そうなんですよね。
たぶん、私たちが考えてるトラウマとは、もうレベルが段違いの。
次元がね。
次元がパニックになっちゃうくらいのね、たぶんすごいものなんだと思うんですけどね。
ね、ほんとちょっと、どんな言葉で表したらいいのかわかんないけど、よく言うのは、ほんとに地獄絵図っていう。
うん。
言うんですけど、この長崎も実は同様にですね、長崎市議会としては、原爆の恐ろしさを伝えるために、絶対に遺構は残すべきだっていうふうな意見で。
はい。
議会も開かれたんですけども、この教会っていうところで、教会の司教がですね、こういった反対の意見を出されたんですよね。
これもね、やっぱね、ちょっと本当に、教会の司教ならではの考えだなって僕は思ったんですけども、遺構を残すことで、人々の像を借り立ててしまうのではないかと。
はい。
信者たちの将来の心の拠り所として、いち早く再建すべきだっていうことを、当時の司教さんは言われてるんですよね。
これもちょっと理解はできるんですよね、僕としては。
確かにそうだなっていうのは、恐ろしさを伝えるために残すっていうのは、もちろん僕そうだと思うし、でも宗教施設として、それが喧嘩とか、戦争の引きがいになるべきではないっていう考え。
それも確かに理解できると。
これも本当にちょっとどっちが正解とは、なかなか言い切れない。
どっちもね、いろいろこういい面もあれば、ちょっと良くない方向に進んじゃう場面もあったりするのかなとかね。
また、これは宗教施設っていうとこは独特なんでしょうね。
そうだな。
そうなんです。
ということもあって、世界遺産ではね、再建による文化財の登録っていうのは認められていないんですよね。
唯一一件だけ波紋を起こしたきっかけとなるポーランドのワルシャの歴史地区が世界遺産に登録されてますけど、それもナチスドイツに破壊された街を、昔の設計図を取り直して、もともとあった形でもさらに深く、街全体を再建したっていうことで登録されたけど、
それってどうなの?みたいなのが起きて、そこから以降は認めないよっていうことがあったんで、
当然この浦上地区の浦上天主堂っていうのは、世界遺産としては再建された建物なので、登録できないということで。
詳しく言うと、そうですよね、当時のまま残ってないっていう。
そうなんです。
素材もちょっと違うしとかね。
コンクリートで作ってるし。
そうですよね。そこもちょっと関わってたりしたんですね。なるほど。
そうなんです。
残す残さないって、結構見方がやっぱいろいろあるじゃないですか。
そうだな。
なんかね、世界遺産登録されないっていうのは、やっぱ世界遺産としての価値観かもしれないですけど、そもそもね、私たちの生活基準で考えたときも、その境界がある、ないとかね、
当時あったものを残す残さないっていうレベル感で考えるとね。
そうだな。
日本は特にキリスト教徒は、今はね、たくさんいると思いますし、街歩いてたら境界がたくさんあるしとか、なんか抵抗のない世の中になってきた感じはありますけれども、
当時もなおさらやっぱり戦後とかも含めてどうするかってなったときに、まだちょっと行き渡ってない感じもあったのかなとか、賛否はほんと出るんだろうなっていう感じですよね。
そうですよね。
この長崎の浦上地区に関しては、両方の意見は僕としてはすごく理解できるなと思ったので、それはね、なんかその先人の先輩たちのね、意見の通り。
ただその、再建されたからといって何がしろじゃなくて、やっぱそういった背景があった土地なんだなっていうことを思いながら足を運んでいただけたらいいのかなって。
そうですね。
思っております。
すごいいろんな投稿を見かけますけど、やっぱこう、例えばイスラム教徒の方が、なんかちょっとこう、暴力振られちゃってる動画なのか、
なんかそのっぽいのを見たんですけど、それに対する返信が、やっぱイスラム教徒なんだから当然だみたいな返信がバーってあったんですよ。
本当にみんな、こんなに思ってる人たちがいるの?って思っちゃったくらい、やっぱこう、イスラム教徒に対する方の考え方とかもそうなんですけど、
ちょっとこう一つのニュースとか、今まであった過激なニュースとかを、もうそれをイスラム教徒の全体として捉えてしまってるのかなとか、
そういうのもあるので、ああいうとこですごく危険だなって思うんですよね。
確かに。
そうなんですよ。やっぱ一言一言、すごい気をつけないと。
確かにね。
自分たちもね、何かしらの宗教の一部っていうこともあるんで、当然そのフィルターを通してね、そのニュースとかを見てるわけなんで、
そこをちょっと意識したほうがいいのかもしれないですね。
いや、本当にそうですよ。
なんかね、一つニュース回数までこの人は良くないって言ったとしても、たぶんその宗教に入ってる人なんて、世界中で考えたら圧倒的に多くて、
そうですね。
日本ってちょっと特殊な国だと思うんですね。
ちょっとそういう意味でも考えたい内容ですね。
そうですね。
まあね、宗教の自由っていうのをね、うまく理解することで戦争を食い止めることができるとか、
起きない将来を作るじゃないかっていうところが世界遺産の真髄でもあるんで、
ただ世界遺産で登録されている背景だけじゃなくて、その前後まで知っておくと、
やっぱりその今はない遺構とか、今は見えない建造物もこういう場所だったんだっていうことで、
そういったお互いの理解にね、つながると思うので、
なんか僕らはそれはそれで、見えないからこそ音声で伝えていきたいなと思っております。
まだちょっといろいろね、新発見とかしながらね、皆さんに共有できたらいいですね。
そうですね。発掘していきたいなと思っております。
はい。
ということで、行きたくなる世界遺産では皆様からのお便りをお待ちしております。
エピソードの感想など、ぜひぜひいただけたら嬉しいなと思いますので、
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皆さんと交流できることを楽しみにしております。
ということで、今日は平和というか、人権について考える、ちょっと真面目な回でお送りしました。
はい。
次はまたどんな世界遺産が出てくるのか、楽しみにしていただけたらなと思います。
ではまた来週会いましょう。バイバイ。
バイバイ。