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2025-06-10 26:45

#208 満州国皇帝「愛新覚羅溥儀」わが半生

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------------------------清朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」が満州国皇帝となった時、いったい彼はどんなことを考えていたのか?

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第84回「満州事変」石原莞爾が描いた満州国

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サマリー

愛新覚羅溥儀の半生を通じて、彼が皇帝として即位し、満州国を設立し、日本との関係を築く様子が探られます。特に、彼が満州国の政治的象徴となる経緯や、その後の心境や思惑について論じられています。彼は満州国の皇帝として複雑な人生を送り、天皇との地位の違いや日本の軍部の干渉に幻滅しながらも権力に執着しました。彼の人生は日本の戦争の影響を受け、最終的に満州国の崩壊とともに幕を閉じることになります。このように、愛新覚羅溥儀の生涯を通じて、満州国における彼の皇帝としての立場と周囲からの期待が彼に与えた影響について議論されています。

愛新覚羅溥儀の即位と変遷
スピーカー 1
私は、時間の中で閉じ込められた生きた博物館の展示物でした。
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
なんか聞いたことあるような気がするんだ、それ。
スピーカー 1
ねえ、なんかすごい言葉だよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはね、愛新覚羅溥儀の言葉。
スピーカー 2
ああ、だからか。
スピーカー 1
あ、そう。どこで聞くの、こんな言葉。
スピーカー 2
いやいや、だって俺溥儀一回やろうと思ったからさ。
溥儀は調べたことがあって、それでなんか見たんだろうな、多分。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
というか、その言葉自体、割と溥儀をちょっと調べると出てくる言葉だと思うよ、確か。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
うん。あ、なるほどね。もうやろうと思ったの1年ぐらい前だから忘れてたわ、すっかり。
スピーカー 1
次は長まろが、じゃあぜひ。
スピーカー 2
いやいや、今日溥儀やるんでしょ、ってことは。
スピーカー 1
あ、そう、溥儀。ただ溥儀の、ちょっと満州国の時代の溥儀をちょっとやろうかなと思ってるんで。
スピーカー 2
いやもうみんなそれを望んでるんだよ。みんな愛新覚羅溥儀大好きじゃん。
スピーカー 1
そうか、そんなのか。
スピーカー 2
いやいやいや、なんか前にどっかで言ったかもしれないけど、愛新覚羅っていう苗字の時点でもうすごいみんな好きでしょ、どう考えたって。
スピーカー 1
あ、まあすごいよね、この名前ね。
スピーカー 2
そうだよ、俺ちょっと解明できるんだったらさ、愛新覚羅にしたいもん。
ほんとか。
あいまろになっちゃうかな。
スピーカー 1
確かに。
まあということで、満州国のあたりを今回やるんですけど、一応ちょっとその追い立ちからさらっと流して、最初は行きたいと思います。
はい。
この愛新覚羅溥儀なんですが、1906年に新朝第十一代皇帝の皇書邸の弟である愛新覚羅裁法の長男として生まれるんだよね。
1908年にもう皇書邸がいきなりなくなって、その後溥儀が第十二代新朝皇帝に即位するんだよね。
そうそう、もうこの時ね、2歳とかそのぐらいの年で史上最年少の即位って言われてるんだよね。
すごいよね、これちょっとね。
スピーカー 2
まあ尾形郎か溥儀かみたいな感じだよね。
いや、俺はもうマジで関係ないよ。
スピーカー 1
この皇帝即位名が先頭帝って言うんだよね。
その3年後にもう時代がどんどん急変していって、新外革命が起きて、新朝に対する各地の反乱が広がっていくんだよね。
1912年に新朝が滅亡して溥儀が退位しなければいけなくなったんだよね。
日本との関係と満州国の設立
スピーカー 1
この退位の条件として、中華民国の臨時大相当、孫文と新政府との間で取決めがその時行われて、
溥儀は皇帝の称号を保持したまま、それまで暮らしていた資金場内での移住が認められるっていう優待条件が取り交わされるんだよね。
これは新朝が亡くなったんだけど、皇帝の時と同じような贅沢な暮らしが維持されたっていうことになるんだよね。
1917年になると張勲将軍が出てきて、新朝が一時的に復活をするっていうのがあるんだけども、
これもすぐに約12日間ぐらいで崩壊をしてしまうんだよね。
1924年、溥儀がもう18歳の時に風玉賞が中心になって行われた空出た、
ぺきせいへんとか言い方もするけど、によってそれまでのこの優待条件が廃止をされて、
溥儀らはその資金場を追放されて、新朝の皇帝としての待遇を失うんだよね。
ここで行き場を失った溥儀らに対して、日本が受け入れを表明して、天津の日本疎開地に移住するっていうことになるんだよね。
この天津は日清戦争で日本が勝利した後に設けられた疎開地なんだけども、
疎開っていう地が中国に属してはいるんだけども、中国側に行政権がなかったりとか、長期的に他の国に貸し与えられた地域なんだよね。
以後、日本と溥儀っていうのはかなり接近していくことになるんだよね。
1931年になって満州事変が勃発して、関東軍が中国東北部を占領するんだよね。
そこで満州国を建国して、ここで新朝最後の皇帝、溥儀に日本は目をつけるんだよね。
もともと新朝って満州族によって作られてるから、その満州族の発祥の地が中国東北部にあたる満州の地なんだよね。
そういった面からも溥儀の存在っていうのは日本にとって都合が良くて、そういった理由もあって、
溥儀は日本の支援のもとに満州国執政、国家元首に就任するんだよね。
ここで彼は一体その時どんなことを考えてたんだろうかっていうのを今日は重点的に話したいと思うんですけども、
満州国皇帝としての心境
スピーカー 1
これは溥儀自身が書いた我が反省って本から中心に引用していくので、
この我が反省ってさ、びっくりしてめちゃめちゃ量多いんだよね。
一応補足として、これは満州国時代に溥儀が書いたものじゃなくて、1964年に58歳の時に溥儀が書いたものなんだよね。
かなり晩年というか、第二次世界大戦で日本が敗戦をして、溥儀はソ連に捕らえられて、
その後ソ連から中国へ引き渡されて収容所に入れられて、なおかつそこで共産主義の教育を受けるっていうことがあったんだよね。
これ思想改造とかよく本では書かれてたりするんだけども、徹底的な洗脳教育のような形を受けるんだよね。
その後53歳で釈放されて、その5年後に一般人となった溥儀が書いたっていう、そういう背景があるっていうので、
その時の本当の率直の気持ちからだいぶ経ってはいるっていうところは、一応念頭に置いておいた方がいいかなと思って。
話は満州国に移るんだけども、
満州国は130万平方キロメートルぐらいあるって言われている、現在の日本の国土の約3倍にあたる本当に大きな地域なんだよね。
人口は1940年の調査では4300万人いたって言われている。
この満州国の失勢に溥儀がなって、この時の溥儀の心境はこう語っているんだけども、
心差しを殺して大政に順応するしかなかった。それにもし日本人をうまくあしらえば、あるいは私が皇帝の尊厳を回復するのを支持してくれるかもしれない。
みたいなことをこの我が反省で書いてるんだよね。
さらに失勢の地位を皇帝の玉座に綴る戒断とさえみなした。みたいなことも言っていて、
こんなふうに不義にも皇帝の座に再びつきたいという思惑があって、これが日本との利害が一致して彼は満州に来ているっていうのが見えるんだよね。
この不義がなったその失勢の権限なんだけれども、一応その満州国組織法っていうのに書かれていて、
これが一つ目が失勢は満州国を統治する。
二つ目が立法権、行政権、司法権を執行する。
三つ目が陸海軍を統帥するっていうような、そういった権限が表向きはあるっていうふうにされてたんだよね。
実際にはね、彼が語っているのは失勢の職権とは紙に書かれたものに過ぎず、私には自分の外出を決定する権利さえなかったって言ってるんだよね。
あのちょっとね、いろんなエピソードが語られてるんだけども、一つ例にあげると、不義のところにその満州国の役人がご機嫌をこううかがいにいっぱいやってくるんだって。
その時に不義が公務についてその役人たちに問いかけると、彼らは決まってその次長が処理しておりますとか、次長に聞いてみなければなりませんっていうような回答をするんだって。
この次長っていうのが結局日本人なんだよね。
国務会議っていうのも開かれても形式を踏むだけで最終的には関東軍の決定によって決まるっていうことだったりとか、
だからその不義だけじゃなくて、満州国のそのついた役人たちも表向きに役職があるだけで、実際は何の権限もなくて日本人が裏で行っているっていうことを言ってるんだよね。
1933年になると日本政府がね、その不義を満州国皇帝にするっていう正式に通告をするんだよね。
やっと不義がなりたかったその皇帝にもう一度なれるっていうことで、この不義の心境を自ら語っているんだけども、全く嬉しくて天にも昇る気持ちだったっていうふうに言っていて、
で、さらにね、私が最初に考えたことっていうのを言ってるんだけど、これは何だと思う?
スピーカー 2
私が最初に考えたこと?いや、わかんない。
スピーカー 1
これはもう学校のテストでも結構定番で出てくるかもしれない。
スピーカー 2
本当?ちょっと待って、じゃあ何か当たり前のこと言えばいいのかな?
だって皇帝になってでしょ?
いや、ちょっと全然わかんないな。想像がつかないな。
スピーカー 1
これはね、論破を一着準備しなければならないって考えたらしい。
スピーカー 2
なるほど。学校のテスト出るね、確かに。俺ちょっと0点だ。
スピーカー 1
いや、なんかそんなこと考えたんだと思って。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これ論破ってさ、まあ論って龍って書くんだけど、龍の文様が入って、色鮮やかに刺繍なんかが施されているような服で、
多分、新朝歴代の皇帝とかのなんか肖像画とかでも多分結構着てるの多いんじゃないかな。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、即位した時にこの論破を着て天に報告するっていうのが新朝の古くからの儀式なんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、フギはそのかつてのその皇書帝が着ていた論破をわざわざ取り寄せて着ようとしたんだけれども、
その日本側にこう、それは新朝の論破であって、あなたがなるのはその満州国皇帝としてなるんだから、論破は着ちゃダメだよみたいなこと言われんだよね。
うん。
で、関東軍の指定するその源水の清掃を着用するようにっていう風に言われるんだよね。
うん。
でもフギは論破をどうしても着たいっていうのを主張して、そこでね妥協案がなされて、
初めにその論破を着て天に報告する古来からの儀式を行った後に、その大源水の清掃に着替えて、そこから表向きな即位式を行うっていうことになったんだよね。
うん。
で、その満州国時代のフギの写真って、論破を着てる写真じゃなくてさ、軍服みたいな服装を着てるのがそっちの方だよね、見てるのってね。
スピーカー 2
うん、そうだね。
スピーカー 1
そうそうそう、そういうまあ事情があって、その後のね、宴会で皇帝陛下万歳とか、結構みんなにもてはやされて、彼はね自己投水に達したっていうような、そんなことも言ってるんだよね。
さらにね、フギと皇后沿用の写真が、その軍隊とか公共団体の場所に御神影として飾られるっていうことにもなったんだよね。
これは戦前さ、日本も天皇皇后の肖像写真がさ、各地で飾られてたっていうようなことと一緒のように、自分がその満州国の皇帝になったっていう高揚感をすごくこの時感じてる様子が書かれてるんだよね。
で、フギ自身がね最大の錯覚をしたっていうことを言っていて、それがね1935年に日本を訪問した時なんでね。
スピーカー 2
うん。
満州国の立場と日本の統制
スピーカー 1
これはね、あの関東軍がお膳立てをして、あの満州から日本までの航路に多くのこう護衛官がついて、で横浜に着いた時はね、百鬼のね変態が歓迎したって言ってんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そっちの変態じゃないよ。
スピーカー 2
いや、小片郎のことを言ったと思った俺。
スピーカー 1
ごめんごめん。なんか中丸が素直に受け入れてたから。
スピーカー 2
いやいや、ほら小片郎のことかと思って。
スピーカー 1
やめろよ。これ一応あの変態ってその2機以上の飛行機などがある隊形をとってることなんだってね。
うん。
俺びっくりしちゃってちょっと。ごめんごめん。
スピーカー 2
いやいや、だってどう考えたって字が違うでしょ。
スピーカー 1
そうそう、字が違うんだけど。
で、あの東京に着くと昭和天皇自らこう駅まで迎えに来てくれて、それからね宴会を開いてくれたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でも本当にの多くの歓迎を受けて、この時の神経不義は語ってるんだけども、天皇と私とは平等だ。天皇の日本における地位は私の満州国における地位と同じだっていう風に言ってんだよね。
うん。
そうそう。こんな風にさ、本当に思っていた不義がこれがね、幻滅に変わっていったんだよね。
うん。
これはね、日本がその1933年に国際連盟を脱退して軍備を拡張していって、戦争準備を進めていったんだよね。
そんな中さ、満州国内でも統制が強化されていって、彼が日本に対して幻滅を感じ始めた最初のきっかけがリンション事件って言ってんだよね。
うん。
これはね、あの満州国の皇冠リンションっていうのがいて、リンションのその息子と不義の4番目の妹がね、つい最近婚約したばかりだったんだよね。
うん。
で、こういう家族的な付き合いもあったんだけれども、ある会議でそのリンションが関東軍に対して不満を漏らしたんだよね。
うん。
彼が言ったのは、実際にはいたるところで関東軍の干渉を受けている。
自分は何の権限も職務もなく、全ては日本人がやっているみたいなことを言ったんだって。
うん。
その会議が終わって帰る最中に日本軍に連行されて、彼はその軍法会議にかけられて死刑、残死刑を宣告されたんだよね。
うん。
で、この事件直後に不義はね、通訳を通してこう言われてるんだけども、
「陛下、一人を殺して百人への見せしめにすることは必要なことです。」っていう風に言われてんだよね。
うん。
あとね、関東軍参謀からも不義の妹とその隣所の息子との婚約を破棄するべきっていう通知を受けて、不義はその通りにしてるんだよね。
うん。
で、こういうことがあってさ、その日本の天皇と自分は地位が同じなんだって思ってたのが、その厳密に変わり始めたんだよね。
家族と恐れ
スピーカー 1
うん。
1937年に入ると、公日連軍っていうのが4万5千人ぐらいいた巨大な組織があったんだけども、
日本はね、それに対して大規模に軍隊を導入して大量検挙を行ったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
さらにね、弟の不潔をね、日本人の妻と結婚させようと関東軍が働きかけたんだよね。
うん。
これがね、佐賀博っていう日本の女性と結婚することになるんだけども、その後ね、定位継承法っていうのが改正されて、
公帝の守護は子がこれを継ぐ。子がない時は孫がこれを継ぐ。子も孫もない時は弟がこれを継ぐ。弟がない時は弟の子がこれを継ぐ。
っていうようなことが書かれてるんだよね。
うん。
これ他がいなければ、最終的には弟の子供が公帝を継ぐっていうことになってるんだよね。
うん。
不義には子供がいなくて、不義が思ったのは自分自身も弟も結局殺されるんじゃないかっていうふうに恐れたんだよね。
うん。
恐怖を感じながら彼は生活をすることになっていって、不潔の妻が不義に送ってくれる食べ物でさえも一口も食べないようにっていうふうに心がけたんだって。
うん。
で、その後弟夫妻に子供ができるってことになって、不義はこう焦るんだよね。
うん。
ただ生まれてきたのは女の子で、そこで不義は安堵するっていうような心境がすごく書かれてたんだけども。
うん。
で、ちょっとここで皇后の制裁である縁容についてちょっと触れたいんだけども。
うん。
縁容については不義はそんなに語ってないんだけども、書かれてたのはほとんど話もしなかったし、彼女のことを気に留めなかったっていうことを言っていて、長期にわたって冷たい扱いをしたみたいなんだよね。
うん。
そう。で、二人の関係はよくなくて、不義とその縁容との間で子供を作ろうっていうこともなかったらしいんだよね。
うん。
これはね、不義は生涯、その後もその5人の女性と結婚してるんだけども、実の子供は1人もいないんだよね。
権力の執着と終焉
スピーカー 1
うん。
これはね、ちょっと別の本にも書いてあったんだけど、自分の性的能力の喪失ってことを不義から聞いたっていう人もいて、その原因が2歳でその皇帝の座についた不義の周りには、当時その大勢の官官とか女官がいたんだって。
うん。
官官って、その男性気を切除した人でその身の回りの世話をしてくれたりとか立場なんだけども、
で、不義がさ、夜部屋から出るのをその官官たちが恐れたために出られないようにその女官たちに相手をさせたんだって。
うん。
で、ある時はその2,3人が不義と一緒に寝て、彼にその悪いことを教えて、すっかり疲れて寝てしまうまでしたみたいなことが書いてあって。
うん。
なんなんだろうと思ったんだけども、まあ悪いことをされたんだろうね。
うん。
またね、不義はね、あるその一人の官官をすごく長愛して、一時ね、常に一緒にいたっていうこともあったらしいんだよね。
うん。
こんな風にその幼い時からのこういった得意な生活がその性的能力の喪失につながったんじゃないかっていう見方があるんだよね。
うん。
後々この遠洋っていうのは満州に来る前から徐々にアヘンの習慣に染まってたっていうのもあって、
満州時代は結構そのアヘン中毒が進行して体衰弱していったりとか意識が朦朧となってたりして、極力その表舞台には出てないんだよね。
うん。
で、1946年にまあ彼女はその39歳で亡くなっているんだよね。
うん。
あとね、フギってさ、写真から見ると真面目で大人しそうに見えるんだけども、特徴としてさ、暴力性の一面があるんだよね。
うん。
これね、周囲の人間に怒鳴ったりとか、終始ね、殴るようフギが指示をしてたりするんだよね。
うん。
これはね、もうフギ自身が我が繁盛で語ってるんだけども、妻や弟も含めほとんど家中のすべての人がその対象になったって言ってるんだよね。
うん。
で、ある時は拷問に使用されるような敬語を使ったりとかして、殴る側も一人や二人じゃなくて、その場に居合わせた者全員に指示して徹底的に殴らせるっていうことをしたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、真中にはその耐えられなくなって逃走しようとした人に対して捕まえて罰を与えて亡くなってしまうっていうケースもあったんだって。
うん。
そういった残忍で暴力性の一面があるっていうところがあって。
で、これね、13歳だったフギに英語を教えてたイギリス人教師のジョンストンが語っているんだけども、フギの性格には常に分裂した二面性があるって言ってるんだよね。
うん。
まじめな面と軽薄な面っていうような言い方をしてるんだけども、ジョンストンはその要因として幼くして皇帝となって不健全な環境のせいではないかっていうようなことを言ってるんだよね。
うん。
そんな満州国の暮らしの中で、日本は日中戦争、そして太平洋戦争に入っていって物資が不足していくんだよね。
うん。
フギは自分がいた宮殿にあった銅とか鉄製品を取り外して、日本側に積極的に渡して協力してるんだよね。
うん。
で、日本の敗戦がどんどん濃厚になってくると、自分が口封じのために殺されるんじゃないかっていうふうに恐れて、精神が不安定になったりとか、生活習慣が不規則な状態が続いて虚弱状態になっていったとも言ってるんだよね。
うん。
1945年、日本は漁港放送によって終戦を宣言して、13年5ヶ月存在した満州国っていうのも同時に崩壊するんだよね。
うん。
ここで彼の皇帝自体っていうのは幕を閉じる。
で、その後も色々彼は激動な人生を送るんだけども、今日は一旦ここまでにしたいんだけども、まさにフギって時代に翻弄された人だなっていうのは感じるんだよね。
うん。
実際で皇帝の座について何もわからないまま、周りが皇帝として自分を扱うっていう立場で、そんな環境の中で一般的な人格形成っていうのは難しかったんじゃないかっていうのも思うんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ちょっと前にさ、自分が徳川義信をやったからさ、尚更なんかちょっとこの二人を比較しちゃうんだけども、同じさ、やっぱ最後の皇帝、最後の将軍っていう立場だったわけじゃん。
で、そういう共通点もあるしさ、権力の頂点にお互いいた立場から下ろされるっていう、そういうのも経験してるんだよね。
たださ、やっぱり異なる点っていうのは、徳川義信は権力の座に執着せずにあっさり違う生き方を選んだっていう点だなと思って、
フギはさ、やっぱり皇帝の地位に執着したっていう面がすごいあるなと思うんだよね。
うん。
で、この時代に翻弄されたっていうのを言ったんだけども、ただただその犠牲者っていう一方で、この機会を利用してまた権力の座に就くんだっていう野心がすごく見え隠れするんだよね。
うん。
ただその一体彼の本心ってどこにあるんだろうっていうのが、この我が反省読んでても素直に受け入れていいものなのかっていうのもちょっと本当にわかんないような、何なんだろうな、ちょっと不思議な感じを持ったんでね。
うん。
そうそう。まあそんなわけでちょっと今日はフギの満州国時代のお話をしました。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
いかがでしたでしょうか。
フギの生涯と時代
スピーカー 2
まあフギはね、やっぱりやっていくと面白い人だなと思うからさ、ぜひちょっと後編も期待はするんだけれども、なんだろうね、やっぱりその小片郎が言った通りさ、時代に翻弄されたっていうところは本当にその通りだなと思っててさ、
まあ別に好きで皇帝に生まれたわけじゃないしっていうところがまず大前提にあって、でもそういうふうに周りはさ、やっぱ見て、で自分はそういう周りからの期待だったりとかさ、まあそういうのに答えるっていう形で皇帝を演じなきゃいけないっていうところもあったと思うんだよね。
これはちっちゃい頃もそうだし、大人になって満州国の失勢になって皇帝になってからっていうところでもそうだと思うんだけれども、フギ研究ってすごいさ、俺面白いなって思うのはさ、この人って結局何を考えてたのかがよくわかんないっていうのが結論だと思ってて。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
だからさ、本当のところがマジでわからないなっていうところで、たぶんこんないろんな推測だったり、ここの発言からこうなんじゃないかとかっていうんでさ、なんかそういうので研究していくってところでちょっと面白みがある人だなと思うんだけれども。
だからまさに本当に皇帝になりたかったのかどうかすらわからないっていうところだよね、最終的には。
スピーカー 1
あ、そうだね。
スピーカー 2
なんかすごい俺もこの人はすごい権力に執着していたイメージはめっちゃあるんだけど、でもそれもさ、後付けなのかもしれないなっていう風に見ていくといろんな見方できるなっていうんでさ、なんだろう。
今日小片郎の話はその満州に絞った話だったけど、ちょっとフギっていうこの人物を家族関係とか含めてこう調べていくと結構面白いんだよね。
まあその弟は日本人の家族の方と結婚してるしさ、とかそういう形でさ、すごい日本とも密接にやっぱ絡んでいく、ファミリー的にね、絡んでいく部分も多いんで、この放送会きっかけになんか興味湧いた人はね、調べてみるといいかなって思いました。
スピーカー 1
そうだね、ぜひ。
あ、これなんかさ、中国の長州にさ、義満工具博物院っていうフギが満州国時代に公務を行った場所とか、そういうのがあるんだよね。展示されていけるらしいんだよね。
中にはなんかエンヨーがアヘンを吸引してた部屋っていうのもあるらしくて、そうそう、映画のラストエンペラーの撮影場所にもなってるから、ぜひね、ちょっと行ってみたいね。
スピーカー 2
そうだね、なんかエンヨーでむしろ1話使えるぐらい多分喋れると思うんだけど実際、エンヨー自体なんかすぐ話題があるというかさ。
スピーカー 1
いや、そうそう、エンヨーもすごい興味あったんだけど。
スピーカー 2
そう、もう小片郎大好きじゃん。
スピーカー 1
いやいや、俺もわかんないんだよね。
そうじゃない?
どうさらエンヨーもわかんないかもしれない、結局。
スピーカー 2
うーん、まあそうだね、難しいとこだよ。
スピーカー 1
うん、まあというわけで、今回は愛心伽倉フギの満州国時代のお話をしました。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
じゃあ、もしよかったらこのフギを聞いて、私実は長州に行って見てきましたとか、そういう話でももしあったら聞きたいので、ぜひコメントお願いします。
スピーカー 2
はい、コメントお待ちしてます。
スピーカー 1
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
26:45

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