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2021-11-23 35:05

第45回「二・二六事件」鈴木貫太郎を襲った軍のクーデター 終戦への道

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1936年、武装した陸軍の青年将校らが天皇中心の軍事政権をめざしクーデーターを起こした事件。
今回はその中でも、鈴木貫太郎を襲撃した二・二六事件に触れ、クーデターがどうやって鎮圧され、
その後どうなったのか。。。
数奇な運命は第二次世界大戦の終戦へと向かう。
00:04
始まってます。「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
どういうこと?
ちょっとだけ変えてみた。始まってます。
だって、あの、なんか、音楽、ドゥルルルルンみたいな音楽の後に始まってますって。
そうそうそうそう。びっくりするでしょ。
なんだよ、それって。
じゃあ、その前回、「二・二六事件」っていうのを取り扱ったんだけども、
ちょっとその前、「二・二六事件」っていう名前ってさ、これさ、なんか自分、どうしてこういうふうについたんだろうと思っちゃって。
例えばさ、こんなふうに言われてたのって、直近だとやっぱ五一五事件だよね。
その後とかってなんだろうとか思うと、こういうふうに明確に呼ばれてるのってないなと思って。
8月18日の製片とかそういうのあったけど、
8.18ではないじゃん。
そうだね。
そうそうそう。なんかあるかな。
なんだっけ、えっとね、なんかあった気もしなくはないんだけどパッと出てこないね。
あとさ、まあ、記憶にうちらって新しいって言ったらやっぱ3.11だよね。
ああ、そうだね。
こういうのって何なんだろうと思っちゃった時に、
例えばさ、二・二六ってふうにしてることでさ、
これが何月何日にあったかっていうのはやっぱ誰しもわかるじゃん。
うん。
で、例えばさ、東京ディズニーランドの開演っていつだったかって言われてわかんないよね。
うん、知らねえな。
これさ、4.15なんだけど、
4.15ってしとけばわかったかもしれないけど、
っていうね。
これさ、自分が思うには累次するような事柄がいくつか起こってる時に、
もう紛らわしんでこういう風にしたのかなっていうのもあるんでね。
ああ、なるほどね。
要はさ、これクーデターとかってさ、ミスインを含めると結構この時軍のクーデターってあったね。
うん。
そうそう。そういうのも、もう何だろう、
いちいちその一つ一つに何か名前って差別化できないのかなっていうのもあるのかなと思って。
ああ。
あとはさ、もう一つ大事なんだ。
この日を絶対忘れるなよっていう強いメッセージ性があると思う。
うん。
それはもう3.11にしても、もちろん2.26にしてもあるのかなみたいな。
うーん。
そうそう。いかがでしょうか、これ。
これ小片郎の予測?
これはね、どこにも別に載ってたわけじゃない。
じゃあリスナーの皆さん賛同かどうかはちょっと自分の心で判断してください。
そうそう。
たださ、これあんまり頻繁に使えないなっていうのも思うのよ。
ああ。
ありすぎるとわけわかんないじゃん。
まあね、年号を覚えさせられるのと変わんなくなるよね。
03:00
そうそう。すいません。ということで早速ね、2.26事件の。
うん。
今回はね、その前回さ、首相官邸を襲った2.26事件なんだけども。
うん。
もちろん今回は結論までいくんだけども。
うん。
2.26事件のもう一つの現場というか。
うん。
鈴木勘太郎を襲撃した2.26事件にも触れていきたいなと思います。
うん。
はい。で、まず2.26事件ってそもそも2月26日ってすごい寒い時期なんだよね。
うん。
これさ、よくさ、2.26ってさ、雪と2.26ってなんかすごい印象がない?
うん、なんかそのイメージはある。
あるよね。
うん。
2月26日って3日前の2月23日に。
うん。
東京の積雪では今までの積雪量の中でランキング3位に入る積雪量なの。
あー、じゃあ結構大雪だったわけね。
大雪36センチ、東京で積雪が観測されてるの。
いや、36センチって多いよね。だって今そんな降らないでしょ。
そうそう。今東京自体ほとんど降んないじゃん。
うん、なんか豪雪地帯とまでは言わないけどさ、そういう東北とか北海道とかがそんなイメージだよね。
そうそう。もちろんこれ観測が始まった明治になってから1875年ぐらいからの記録なんだけどね。
今でも歴代3位なの。
へー。
そうそう。だからその積もった雪が残ってたんだよね。
うん。
襲撃した時が雪がすごいあるようなイメージもする人もいるかもしれないけど、
実際に行われた時間帯、その5時に襲撃して、午前7時には選挙が完了してるから、
この時は雪はね、実は降ってないんだよね、東京は。
そう、夜はちょっと雪が少しね、降ったっていうのがあって、
だから直接その、なんで雪と因果関係があるかっていうと、このやっぱりすごい雪が降った3日後に行われたからね。
うーん。
っていうのがあります。
残り雪ね、ほんとに。
そうそうそうそう。で、これ鈴木勘太郎の襲撃した事件なんだけれども、
これは捕兵第三連隊っていう安藤輝雄っていう人が指揮をして、
約ね、これね150名ぐらいで、鈴木勘太郎の自重長だったんだけど、その当時。
自重長長官官邸を選挙して、鈴木勘太郎を襲撃した事件。
あのさ、自重長ってさ、天皇の世話役をするというか、
いわば天皇直属の側近の世話役のトップみたいなね、自重長って。
そうそう、そんなニュアンスでいいかなと思うんだけど、
だからね、鈴木勘太郎っていうのは昭和天皇が最も信頼する人の一人になったの。
そんな人が襲撃をされたっていうことなんだけど、
これさ、余談なんだけどさ、この前というか、真子様と小室慶さん結婚したじゃん。
06:04
10月26日に。
でさ、その時に日本にさ、仮住まいの候補として挙げられたのが、この鈴木自重長がいた自重長官邸なんだよね。
あ、そうなんだ。
そうそう、結局別の場所のマンションに選択したから、そこにはなんなかったんだけども。
税金泥棒って言われるからかな。
あるしね、てか、すごいだって歴史があるところで、ここでさ、226が起こってるわけだから。
まあ、余談でした。
余談だね。
で、歩兵第三連隊っていうのは、これ昭和天皇の弟である秩父宮様が入隊してたとこでもある。
これさ、俺あんまりよくわかってなかったんだけど、明治初頭って皇族のその男子っていうのは軍人になることが義務化されてたんでね。
で、それで秩父宮様っていうのも入隊してたっていうところなんだけど、その歩兵第三連隊が反乱を起こしたんでね。
まあ、全部じゃない、一部だけど。
で、安藤照雄っていうのが、そのクーデターの指揮を取ってた中心人物なんだけど、
さっき言った秩父宮様が初めて教官として指導に当たったのが、その安藤照雄なんだって。
だからね、信仰はね、結構あった中なんだよね。
そう、だから何だろう、結構いろいろなことを話したりとか、その時にはもう政府の不満だったりとか、
国民がその生活区で見売りしてるっていうことにこう行き通りを見捨てたような風潮はあった。
その時からその改革派というか、そんな彼の思想があったんだけど、
そういったのを見て、秩父宮様が鈴木勘太郎っていうのに会ってね、一回話をしてこいっていうような、そんなことがあったらしい。
これは226事件が起こる前ね。
実際に鈴木勘太郎に会った後、鈴木勘太郎が最後、高森のような人物だって安藤が言ってたんだけど。
なんで今友達みたいに言ってるの?
俺が?
安藤が言ってたんだけど、安藤さん知らないでしょ。
だからまさかこの安藤が事件を起こすっていうのは予想外なことだったの。
実際、彼も226事件を起こす証拠の中では一番最後に参加した人物な。
その計画に悩んでたんだと思うんだよね。
そんな時、結局は鈴木次長を襲ったんだけれども、その5時に鈴木次長官邸を襲って、
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当時、鈴木勘太郎と妻の高っていうのが2人で寝ていたわけ。
激しい破壊音とか物音が聞こえて、急いで起きて。
鈴木勘太郎っていうのはすぐ入ってきたから、難堂っていう物入りみたいなところに隠れたんだ、急いで。
だけど、もう大量に押し寄せた兵士たちの前にもうどうしようもならないっていうのって、自ら難堂を開けて出てったんだよね、その目の前に。
それでもう容赦なく、だから犬戒強しの時とかなり似てるんだけども、問答無用ということで、妻の目の前で至近距離から、
股と左胸、額、右肩って4発打たれてるの。
で、しかも倒れたところを顎の下に銃口を突きつけられて、とどめを刺そうとした時に、この妻の高っていうのが叫んだんだよね。
これ、とどめはやめてくださいっていう、最後のお別れをさせてくださいっていうふうに。
必死に訴えて、その時に廊下から、とどめは不要だっていうふうに声がして、現れたのが、さっき言った安藤照雄なんだよね。
で、もう別れをさせて差し上げろっていう、もう助からんからっていうふうに。
言って、これね、反乱軍っていうのは引き上げた、これで。
ただ、かなりもう助からないっていうか、誰もが思ったぐらい、その重傷というか、4発打たれてるからね。
で、ここでね、安藤照雄が引き上げる時に、妻に言ったのが、その鈴木閣下には恨みはありませんが、
ただ我々の理想と閣下のご意見が異なるため、やむを得ずこのようなことに至りましたっていうふうに言ってんの。
そうそう、まあなんか複雑だよね、これ何だろうと思って。
まあそうだよね。
なぜ起こさなきゃいけなかったのかってちょっと思っちゃうけど。
で、意外にもその反乱軍が引き上げた後に、鈴木寛太郎っていうのは意識がはっきりしてたんだよね。
で、ただその血がかなり出てて、必死にその妻が吹き出る血を懸命に手でね、押さえたんだよ。
で、女中に助けを求めて、電話で救援も呼んで、そこで駆けつけたのが塩田博之っていう有名な下界の人なんだよね。
これ日本以下大の教授でもあるんだけど、この人が適切な処置というか、白い布で頭や体を巻いて、とにかく止血したんだよね。
で、もうすでにでも血がかなり出てたから体が冷たくなってた。で、脈拍も弱くなって呼吸も止まってたって言ってたね。
で、必死で湯たんぽだったりさすって温めたりとかもしながら、湯血をしたんだよね、その場で。
これが鈴木寛太郎の血液っていうのは妻から聞いて大型ってことが分かって、たまたまその医者の助手に同じ大型がいて、
12:00
その腕から直接血液を採取して湯血をして、それによって少しずつ脈が戻って回復に向かってった。
これね、湯血ってさ、今みたいにそこまで復旧してないから、この塩田博之っていう人は1930年に当時の浜口首相っていうのが銃で撃たれた事件があったの。
これもかなりの重傷で、その時に駆けつけて湯血をして命を救ったこともしてんの。
そう、この人。だから、この駆けつけた人がこの人だからっていうのもあるんだよね、助かったっていうのも。
これによって1930年の時はまだ日本で湯血っていうのは広まってなくて、この浜口首相が撃たれて湯血で助かったっていう事件が関心が高まって、
今、一般的に湯血が復旧するきっかけになったって言われてる。
まあ、そんぐらいの人なんだよね、この人。
こんな人が来て、レントゲンを鈴木次重長の官邸に持ってきて、脳のね、損傷とかを見たりとか、
でもこの脳はね、実際にね、損傷が小さくて致命傷になってなかったらしくて、
ただね、撃たれた弾っていうのが、心臓は外れてたんだけど、背中に残ってて、もう一つ股に撃たれたのが、その肛関の後ろに残ってた。
だから、2つね、弾丸が残ってて、その摘出手術をね、行ったんだよね。
ただね、背中の銃弾は摘出できたんだけど、肛関の後ろはどうしてもちょっと難しいところにあったから、弾はね、取り除けなかったらしい。
これね、晩年までずっと弾が残ってたんだって。
なんかネタかよって思っちゃうんだけど。
違うでしょ、ちょっと。そこは望んでないよ、さすがに。
だってさ、弾が残ったって、まあそれは残ったんだなっていう。
今この状況で言う?これ。
違う。いや、小片郎はあり得るかなって思ったんだよ。
いやいや、そこまでしないよ、そんな。
まあいいや、話し終わっちゃって申し訳ない。
で、懸命の治療の結果に命を取り留めたのよ。奇跡的に助かることができたの。
で、ちょっとここで振り返りたいのが、鈴木勘太郎の妻っていうの、この鷹っていう人なんだけど、
この人は昭和天皇が13歳の時まで養育係としていた人なの。
そうなんだ。
そう、だから天皇ともちろん関わりがかなり強いくて、
で、もちろんその弟の後の秩父宮様に対しても同じく養育係として育ててるんだ。
これってさ、天皇ってさ、今でもそうだけどさ、
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子供の頃って親とは別の家に預けられて育てるっていうのが古くからの慣習なんだってね。
で、最初川村伯爵ってとこに預けられたんだけど、
3年でその人が亡くなっちゃったらしくて、
そこで赤坂の東宮御所に移って、
そこで鈴木勧太郎の妻である、その当時は違うけど鷹っていうのが養育係として抜擢された。
この鷹って人は幼稚園の先生してたんだよね。
で、上流階級の子供が通う幼稚園の先生で、その評判が良くて推薦されたらしい。
なるほどね。
そうそう。だからね、昭和天皇っていうのは鈴木勧太郎に対しても信頼してるけど、
その妻の鷹に対してもかなりの思い入れがあったと思うんで、当時。
で、話はね、ちょっと陸軍に移るんだけど、
陸軍ってこの226事件が起こった時にどうしてたかっていうと、
侵圧する動きをしないで、何にもね、特に行動を起こさなかった。
これはさ、陸軍大臣の声明からも読み取れるんだけど、
なんか、お前たちの真意は認めるといったようなね、
その青年商工に向けて、そんな声明を出してる。
で、陸軍って最初、反乱軍っていうふうに言わないで、
撃棄隊って言ってたからね、この青年商工の空手隊に対して。
だからなんだろうな、この同情的な面もあったし、
あわよくば陸軍がそのまま実験を握るようなことも考えてたかもしれない。
ただ、これに対してものすごく反発した人がいたんだよ。
これが昭和天皇なんでね。
この人が、軍のその曖昧な態度もそうだし、
侵来してる何よりも人たちが襲撃されて、
実際に高橋高齢級とか、襲撃されて殺されちゃってるし、
そういった現状にすごく激怒したんだよね。
だからこの昭和天皇っていうのは、
自分の意思をはっきりその時に伝えて、
もう徹底的に鎮圧するんだっていうふうに命じたのよ。
でもその怒りはすごくて、
自分の直属の親衛隊であるこの江志団を率いて、
自ら鎮圧するっていうふうに言ってたのよ。
そのぐらいかなりの意気込みというか、
この曖昧な態度を示さなかったっていうのも、
くでたが長引かなかったっていうことにもつながるんだけども、
例えば幕末、同じような昭和維新なんだけど、
明治維新を見てみても、
幕末の時って孔明天皇っていうのは幕府寄りだったわけよ、
どっちかっていうと。
幕府の存続は望んでたのよ。
でも後半になって、
倒幕派が武力っていうのが目立つようになって、
18:00
その背景に自分の意思っていうのは通しにくくなったんだよね。
そして亡くなってった。
殺されたっていう説もあるけども。
ただそれと反面、昭和天皇っていうのは、
はっきり自分の意思を貫き通したというか、
ここで曖昧に態度をとって、
むしろ軍寄りとかになっちゃったら、
ますます懐忍をかなり許したっていう、
方向性がちょっと変わってきたと思うんだよね、これ。
重要な判断だったなと思って。
昭和天皇が後にこれまでに、
自分が生涯に渡って2度、
自分の意思で国政の方向を決めたことがあるって言ってるの。
これが、一つが226事件。
もう一つが終戦だよね。
これ、玉音放送の回でもあったと思うんだけど、
こんな風にして言ってはいるんだけども、
それで、戒厳令っていうのを出すわけ。
これをもう徹底的に、
迅速に226事件を収めてほしいって思いがあって、
この戒厳令っていうのは、
戦争とか内乱時とか非常時において、
一時的にこの軍が立法だったり、
行政司法の権限を代行するっていうね。
これによって迅速な対応ができるからっていう、
いろいろな縛りがなくなって。
これね、関東大震災の時も戒厳令って発せられてる。
もちろん今は1947年にこれって廃止されてて、
今の憲法にはないけれども、当時はあったっていう。
これで陸軍っていうのは、
もうこういう天皇の意思というか決意を目の当たりにして、
鎮圧の方向に走る。
鎮圧部隊を出して、
反乱軍、トータルで1500人に対して、
後位した軍っていうのは総勢約2万人って言われてる。
なんかすごいね、もう桁が。
もうこれ本格的に。
しかも戦車だったりとか武器弾薬はもうフル装備で。
もちろん青年少女たちは戦車とかそういうのはないからさ。
圧倒的な人数と圧倒的な武器というか、
威嚇したんだよね。
これを見て、もちろん最初から勝てるとは思ってはないと思うんだけど、
もう降参せざるを得ないような形になるわけじゃん。
その時に言ったのが、天皇からの正式な使者を送ってもらえれば、
自分たちは自決をするっていうふうに言ったの。
最後まで天皇の使者に自分たちの意見を言いたかったんだろうね。
伝えたかったんだと思うんで。
でも天皇はさらに突き放して、
死ぬなら勝手に死ねっていうふうに言ったらしいね。
もうそのぐらい激怒してたというか。
これね、事件の3日後ぐらいになって、
ハンラングに対してビラが飛行機から散布された。
あとラジオ放送とかもあって、
これ何を訴えたかっていうと、
今からでも遅くないから元の部隊に帰れっていうふうに伝えて、
21:05
多くの青年少女たちに伝えたんだけど、
あとそれと、抵抗する者は射殺するよって。
あと国族となるお前たちに対して父母兄弟は泣いてるぞっていうふうな、
そういうようなビラとか放送した。
下士官兵っていうのはさ、冒頭でも言ったけどさ、
ほとんどは上官の命令にただ従っただけなんでね。
だからすごいこれ効果があったの。
次々と元の部隊に帰ってたんだよね。
で、これで空出たっていうのは戦闘が起こらずに収まったわけよ。
で、この死亡した将校たちは特設の軍法会議にかけられた。
これ軍法会議って弁護人なしで非公開で行われて、
もう上告することもできない。一審制なのよ。
だからその場で刑が言い渡されたら、また次の上告するってことができないわけよ。
そんな特別な軍法会議っていうのかけられて、
15名の将校っていうのは死刑判決で、
そこに2名の民間人もプラスで入った。
民間人。
冒頭で言った北一喜っていう本出版した人。
革命の失踪家、もう一人西田光という人もいるんだけど、
この人も死刑になってたね。
そんな感じ。ぶっちゃけ北一喜とか、
軍の内部の問題っていうよりは、
外の北一喜とかの思想に扇動されてやっちゃったんだよっていうふうに見せたかったとも言われてるんでね。
直接絡みがないって言われてるから。
そんなのがあるんだけれども。
226によって、行動派と統制派っていうのが陸軍内部にあったんだけど、
226の事件のクーデターの失敗によって、行動派っていうのは一掃されて、
その後、統制派が陸軍を掌握するんだよね。
ここで226のポイントというか、重要なのは、
軍がこうやって反乱を起こせば、警察がいたとしても、
内閣も法律があろうとも、圧倒的な力の前に、
何もできないってことを知らしめた事件でもあるんだよね。
だからこれ前回も言ったように、ミャンマーの軍のクーデターをやっぱり連想させるなと思って。
結局のところ、武器は違うし、そもそも訓練もされてて、
統率も取れてる、数も違うしね。
この事件の終結後、岡田圭介内閣は総辞職して、
平田幸喜内閣が成立するんだけども、
平田幸喜内閣って、軍が有利な政策をどんどん進めていくの。
24:01
これによって、軍の介入を許したって言って、永久裁判でもやったけどさ、
平田幸喜っていうのは、永久裁判で死刑になってるから。
そういう流れも後々あるんだけど、
平田幸喜内閣があって、その後にどんどん日中戦争、第二次世界大戦に入っていくんだけど、
なんでさ、この226事件今回やったんだけど、
岡田圭介と鈴木勘太郎っていうのを取り上げて扱ったのかっていうと、
2人とも第二次世界大戦の終戦に向けて懸命に働きかけた人物なんだよね。
岡田圭介っていうのも、鈴木勘太郎を終戦の内閣の首相にしようと働きかけたんだよね。
っていうのもやってたって言われてるし、海軍大臣にも余内光雅っていうのを立てたりとかして、
徹底的に後戦するっていう人たちが多い中、そうでない人たちを推薦するというか、働きかけたって言われてて。
一方、鈴木勘太郎っていうのは、終戦に持ってったときの内閣総理大臣で、歴代首相中最高齢の77歳で就任してるのよ。
この人の決意ってすごいあってさ、226事件の経験があってさ、
やっぱりまたクーデターが起こされるっていう恐怖もあったと思うんだよね。
ポツダム宣言を目殺っていうふうに世界に向けて発信したりとか、
原爆投下されてすぐに降伏できなかったっていうことはあったかもしれないけれども、
それは多分そういう226事件のこともあったし、その軍の圧力があったっていうのもあると思うんだよ。
それでもさ、結果この226事件の経験を踏まえて、戦争を絶対に終わらせるっていう強い思いが彼の中にずっとあって、
それを最後まで貫き通したわけじゃん。
この人さ、もちろん生涯にはだって銃弾が一発残ってて、体に。
その古傷が痛みながらもね、あと足も不自由な中、日本を終戦に向かわせた人だなっていう。
これ、玉音放送でもかなりなんか言ってたと思うんだけど。
なので玉音放送この後に聞くとちょうどいい感じになっております。
バトンタッチ式になるよね。
そうそう、この時の決意ってそういうことなのかっていうような繋がりがちょっとあるかなと思って。
でさ、俺ちょっとさ、これ知らなかったエピソードなんだけどさ、
終戦の3年後に鈴木勘太郎っていうのは80歳で亡くなってんだよ。
で、遺体がその焼かれて、遺廃には226事件のこの銃弾が出てきたって言われて。
まあそんな226事件でした。
ちょっと待って、最後のエピソードは何だったの?
なんか来るものがない?
27:02
まあずっと残ってたんだなっていう感じだよね。
そうそうそう、いかがでしょうか。
鈴木勘太郎自体はさ、やっぱりその終戦の首相っていうところで有名な人じゃん。
で、この人やっぱり226で撃たれたっていうのも有名だからさ、激動の人生だったんだろうなっていうことはわかるよね。
殺されかけて、でも戦争を終わらせるために活躍してっていう感じでさ。
しかももうすぐ死んじゃうじゃん、その後。
本当にそこに生涯を費やした人なんだなっていう。
すごいよね。
やっぱ何がすごいって、よく生きてたようなんだよね、226で。
確かに。
4発食らってんだよ、普通死ぬからね。
しかもあんな目にあって、またその内閣総理大臣としてさ、自分がなるっていうのが決意もすごいと思うよね。
なんか担ぎ上げられたっていうのもあるんだろうけど。
まあね。
そこはね、ちょっともうわからないというか、実際本人がどう思ってたっていうところまではわかんないからね。
ちょっとね、今回違った目線で見れたんじゃないかなと思います。
なんかちょっとさ、前回もそうだけど、人に焦点を当てつつ、人にフォーカスした事件の捉え方みたいな感じだったからさ。
ちょっとこう、いつもと違って、事件の歴史だけれども、ちょっと感情も移入できるっていう、なんかちょっと面白い回だったなって思う。
前回と今回。
そう、ありがとう。
なんかさ、だってさ、いつもだとさ、人を扱ったりさ、事件を扱ったってさ、別にさ、そこ、変な話、両方扱うっていう感じではなかったじゃん、うちらのやつって。
本当に。
でもさ、人を扱えばさ、別にその人のさ、今こういうふうにやったけど、自分だったらこうだなとかっていう、ちょっと感情移入があるじゃん、人を扱えば。
そうだね。
事件を扱うと、でもそれはないわけじゃん。
淡々と事件を。
そうそう、まあそのエピソードトークみたいなのは出てくるかもしれないけど、別に感情移入はしてこないわけじゃん。
そういう意味で226っていうものに対して、実在した人たちにフォーカスして話したっていうのは、なんかすごく面白かったんじゃないかなって思いますね。
ありがとう。なんかね、やっぱこう授業とかでさ、一人の人物ってさ、226の表面的な内容はわかってもさ、この実際のその人の感情というかさ、そういうものって、もちろん全てがさ、正しいわけではないけどもさ、こういう見方もあるよっていうのが、ちょっと話したかったっていう。
ということで、今回226事件の鈴木勘太郎のエピソードを踏まえて語らせていただきました。最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、じゃあということで、コメントをいただいてますので、いくつか読みたいと思います。
30:04
はい、お願いします。
はい、こちらはニックネームひろみさんからいただきました。
はい。
ありがとうございます。そんな笑いの回あったっけ?
いやこれね、絶妙にっていうのが嬉しいですね。
さっき間違えて微妙にって読んじゃったとこだったんだけど、いや絶妙でよかったです。
微妙だと本当に微妙になっちゃうからね。
いや嬉しいです、こんな。
いや楽しんでもらえて本当ありがたいですね。
そうですね。続きましてコメントは、八甲田さん遭難事件についてコメントいただきました。津波代さんからいただきました。
はい。
こんにちは。この事件の話は以前テレビで映画を見たことがありました。初めは創作物だと思って見ていたのですが、実はと知ってとても恐ろしかったことを覚えています。
っていただきました。
八甲田さんって言ったらね、永丸が言った回なんですけれども、自分もこの話聞いた時に、なんか作り話っぽいなっていうエピソードなんかも結構あって、
でも結構マジなんだよね。人が立ったまま死んじゃうらしいからさ。なんかね、倒れられないんだって。
えー。
凍っちゃうっていうのもあるんだけど、すごい吹雪が強くて、倒れる前に死んじゃうんだって結局。
あーそうなんだ。
で、そのまま凍って、要は人柱になっちゃうっていう、本当に。
なんか漫画みたいじゃん、すごく話聞いて。その話聞いてるだけで。
確かに。
でもこれが現実だったらしくて。
恐ろしいよね。
だから創作物って思っちゃうのもなんかすごい頷けるというか。
あー確かに。続きまして、同じく八甲田さんの件で、さとしさんからいただきました。
はい。
私が子供の頃、八甲田さんという映画がヒットして、それをテレビで見たのでうっすらと覚えてます。
特に、「天は我々を見放したか?」というセリフは予告でも使われてたので覚えてますね。
余談ですが、「そうなんだ」っていう合図地がなんか笑いの壺に入りました。
っていただきました。
そうなんていうのがさ、なんか方言らしいね、ちなみにだけど。
あ、うちらのってこと?
そうそう、あの、普通、だからそうなんて言わないらしいよ。
なんかちょっと他の言い方が今思いつかないけど。
あ、これ何?埼玉のあそこの方言なの?
なんかそうなーんみたいなのがそう、方言らしいよ。
だから標準語じゃないらしいねっていうのは聞いたことあって。
えー、それこそそうなーんって思っちゃったけどさ。
33:00
あ、そういうことか。なるほど、全然気づかずに使ってたわ。
だから多分ね、浸透しすぎちゃっててもう気づかないんだと思うよ。
そうだよね、もう。
どっからが方言で、どっからが標準語なのか、だってさ、埼玉県で微妙じゃん。
そう、微妙だしさ、実際もう埼玉の人って東京出まくってるからさ、東京の人も浸食してると思うんだよね。
あ、使ってたりするよね。
あ、そうなーんとかってなったら多分浸食されてるよね。
いや、なんか新しい気づきありがとうございます。
えー、そんなところがツボに入ったかっていう。
この方ね、よくコメントくれるんですよね。
あー、ありがたいですね。
はい、ありがとうございます。
はい、じゃあということで、今回もコメントありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
35:05

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