1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #207 「大黒屋光太夫」ロシア..
2025-06-03 25:26

#207 「大黒屋光太夫」ロシア皇帝に謁見した漂流者

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極寒の地ロシアに漂流し、時の皇帝エカチェリーナ2世に謁見した日本人が実はいました。名前くらいは聞いたことあるけど、あまり知られていない大黒屋光太夫についてお話しています。------------------------

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サマリー

大黒屋光太夫は1783年に漂流し、7ヶ月後にアリューシャン列島のアムチトカ島に到達します。その後、ロシアの毛皮公益業者に助けられながら、文化を学びつつ帰国を望みます。大黒屋光太夫は、ロシアの皇帝エカチェリーナ2世と謁見した日本の漂流者の物語です。彼は漂流の経験を経て帰国を願い、異国の文化や情報を日本に持ち帰ることになります。漂流者である大黒屋光太夫は、ロシアでの生活を経験しながらも、常に日本に帰りたいという思いを抱えています。彼の強いアイデンティティと帰国への熱意が、ロシア皇帝との謁見という結果をもたらします。

漂流の始まり
スピーカー 2
女は怖いぞ。女に手を出せば、故国へ帰ることはできなくなる。
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。そうですね。女性はあれみ怖いですよね。
スピーカー 2
まあ、おが太郎はこの言葉の通りにちょっと俺はなってるんじゃないのかなっていう。
スピーカー 1
そんなことないよ。
スピーカー 2
そんなことはない?大丈夫?
たぶん。
ちょっとこの言葉の解説の前にちょっと先に、今日リクエストなんでリクエストをちょっと読みたいんですけれども。
第3京英丸さんから頂きました。はい。ちょっとすみません、抜粋です。
2人は歴史、特に近代史への興味の入り口はどこですか?
私は漂流者の歴史が入り口でした。私は数々の漂流者の中で特に大黒屋光太夫のファンです。
大黒屋光太夫についてもっと多くの方に知ってもらいたいと思い、ぜひお二人の力をお借りできないでしょうか?
スピーカー 1
って頂きました。はいはい、これ覚えてますね。
スピーカー 2
覚えてる?なんかさ、漂流者って言うとさ、もう真っ先にジョン・マンジロー、あのおが太郎の超絶名作、今にもこう
オトキンの多分トップ3じゃん、あれって。の名作の1個に、なんだろう、やっぱ漂流者って言うとジョン・マンジローかなみたいなところあるけれども、
ちょっと俺はこの大黒屋光太夫っていうところで、あ、そういえばいたなこの人ってちょっと思ったんだよね。
スピーカー 1
いや俺さ、探したんだよね。なんかあんまりさ、聞き慣れてなくてさ、あ、でもいるんだこういう人って思って。
スピーカー 2
あのさ、この人さ、教科書にも載ってるぐらい有名なんだよ。有名なのにさ、多分調べていただいたことがある人とかわかると思うんだけど、あんまり資料もないからやっぱりそんなに有名じゃないんだよ。
っていうところでちょっと今日はね、まあ本当に多くの方に知ってもらいたいっていうところ、名前ぐらいみんな知ってると思うけれども、実際じゃあどうだったのっていうところとかはちょっとよくわからないと思うんで、ちょっとその辺を深掘りできたらなと思ってます。
はい、お願いします。 ただちょっと前提として、まず今日の話、全般的に諸説ある話です。
いやそれ違うよっていうの多分出てくるかもしれないんだけれども、その辺はちょっとご容赦くださいっていうところは冒頭で、なんか逃げみたいな感じで申し訳ないんだけれども、まあ一応そういうことなんでよろしくお願いします。
はい。 で、冒頭の言葉、「女は怖いぞ」っていうやつは、あれは吉村晃さんっていう方の小説「大黒や高台湾の中に出てくる言葉」なんだよね。
で、吉村さんってすごくさ、史実に忠実な小説を書くっていうところで、ものすごく有名な小説家、だから名前ぐらい多分吉村晃ね、みたいな感じで知ってる人多いと思うんだけれども、
その中で大黒や高台湾についても結構ね詳細に調べ上げて小説として書いてるんだよね。
で、その中のちょっとフレーズとして冒頭の言葉を選んだんだけれども、なんかねやっぱりねこの言葉ってすごい、ちょっと今日の話聞いてもらうと、
確かにそうだよなっていうところは多分出てくると思うんで、記憶の片隅に入れつつちょっと聞いていただけたらなと思います。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、この高台湾が漂流者になるんだけれども、ちょっとそこの経緯をまず簡単に説明させていただきます。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、まず高台湾は三重県鈴鹿市の船乗りなんだよね。船乗りって言っても、いわゆるジョンマンジロみたいななんか漁師とかではなくて、
商船、要は商売をやっている船を運航する人、まあ扇動を務めてたんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから高台湾自体は商人だと思ってもらえればいいと思う。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、その高台湾が1783年に、もちろん商売のために三重県から江戸に向かって船を出すのよ。
あ、ちなみになんだけど、1783年っていうのは、だいたいちょっと時代背景がわかんないとちょっとポカンとしちゃうと思うんで、
1783年って江戸時代の中期から後期にかけての時代で、だいたいその有名な出来事で言うと天命の大規模だったり、
関西の改革っていうのが行われた頃。まあだいたいそのくらいのお話ってことね、今日は。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、お話は戻りまして、で、1783年に高台湾が船で出航しました。
ただその船、駿河沖で嵐に巻き込まれちゃうんだよ。
まあ、転覆はしなかったんだけれども、当時の船ってもちろん動力があるわけじゃないじゃん。風任せだったわけじゃん、基本的には。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから大きく航路を外れてっちゃって太平洋に漂流したんだよ。これさ、後で地図見てもらうと思うんだけれどもさ、結構漂流すんのよね。
アムチトカ島での生活
スピーカー 1
うんうん。
スピーカー 2
で、太平洋を漂流して、で、実際どういうルートで漂流したかっていうのはちゃんと定かにはなっていないんだけれども、
なんとこれ7ヶ月も船の上で漂流生活を送ることになるのよ。
スピーカー 1
あー長いね。
スピーカー 2
そう、長い。で、この7ヶ月間どうやって生きてきたかっていうところの詳細も正直わかってはない。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
たださ、まあ船の上で生きる術なんて多分限られてんじゃん。
もちろん持ってた食料は7ヶ月待ったら尽きちゃうから、まあ魚釣ったりとかさ、雨が降ったらその水を蓄えてとか多分そういうようなサバイバル生活をしてたと思うんだけれども、
基本的にこの船の上めちゃめちゃ退屈だったらしいの。
スピーカー 1
うんうん。
スピーカー 2
だから、なんか賭博とかして、まあ暇を潰しながら、まあのんびりっつーわけじゃないだろうけど、まあのんびりしてたんだよね結構。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、7ヶ月漂流したら、当時ロシア領のアリューシャン列島にあるアムチトカ島っていうところにたどり着くのよ。
スピーカー 1
はいはい。
スピーカー 2
これ地図でそう見てもらうと、こんなところまで行っちゃったのって多分思うと思うんだけれども、てかよく生きてたねっていう。
スピーカー 1
そうだよね。
スピーカー 2
そう。で、アムチトカ島なんて俺もちろん知らないからさ、今日これグーグルマップでどういうところだろうっつって見に行ったんだけどさ、アムチトカ島ってマジで辺境なのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
グーグルマップ見てもらうとさ、今写真で見れるじゃん、航空写真みたいなので。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
すごいね、まあもうこれはとりあえず寒いんだろうなっていうのがちょっと伝わってくるようなものだったね。
スピーカー 1
あーじゃあそんな結構北の方行ったんだ。
スピーカー 2
アリューシャン列島だから、もう北も北だよ。
で、なんとこのアムチトカ島って日付変更線の向こう側なんだよね、さらに言うと。だからかなり遠いじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
そんなところまでなんと生きてたどり着くのよ。
スピーカー 1
へー。
スピーカー 2
この漂流したのって全部で17人いたのね。
スピーカー 1
あ、17人生きてたんだ。
スピーカー 2
あ、1人亡くなっちゃってるけど正確に言うと。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
そう、で、まあたどり着いたと。で、ただアムチトカ島もさっき言った通りちょっとごっかんの気候だし、だから植物もそんなろくに生えてるようなところじゃないんだよ。
だからそれぐらい結構厳しい、生活環境としてはとても厳しいところで、結局その島に着いてからもうほんとサバイバル状態だったのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、食べ物探すのも大変だし、単純に寒いから暖を取るのにもすごく苦労するわけよ。
ただここで、ロシアの毛皮公益業者が、アザラシの川だったりとかをこう狩猟しに来てたんだけれども、その毛皮公益業者が助けてくれるんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、その高台流たち一向に食料とか衣服を提供してくれて、まあ手厚くまでは言わないけれども、もてなしてくれたわけよ。
なんとかこう生きられるように。
そんな感じで助けも得つつ、で、そこの現地の先住民もいたから先住民とこう交流しつつ生活をしていくっていう形で、
帰国の試み
スピーカー 2
ここで大体4年ぐらい経つんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、4年後、ロシア本土へ移送されることになるのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これは毛皮公益業者がこういう人たちいますよみたいなのを本国に報告したから、そのロシア本国側がその漂流者たちに興味を示して、そういう形で移送されることになったのよ。
で、カムチャッカ半島のペトロパブロフスクへ行って、で、その後ヤクーツクを経由して、で、1789年にイルクーツクまで移動するわけ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
えっと、1783年に漂流してるから、大体6年ぐらい経ってるんだよね。この時点で。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、イルクーツクへ移動するわけよ。でも基本的にロシアって寒いじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからどこ行ったって寒いから、もう気候厳しいし、食料も冬の時期ってやっぱりこう、ずっと厳しい時期、日本とは違うわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、ずっと高台雄たちは日本にとにかく帰りたいっていう思いをずっと持ってたわけね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
帰りたいから帰れるっていう世の中ではなかったから、もちろん当時は。
スピーカー 1
で、高台雄たちは、でも辛抱強く、そのロシアの言語であったりとか、文化っていうものを習得していって、現地に溶け込むように頑張ってたわけね。
スピーカー 2
うん。
これは単純に生きるためには、やっぱりさ、ロシア人の力っていうのが絶対必要だったから、コミュニケーション取れないと話にならないし、
やっぱり相手のことを知るためには、相手の文化っていうのも知っていかなきゃいけない、合わせていかなきゃいけないっていう、これは日本人は割と得意なことだと思うんだけどね、こういうことに関しては。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
そういった形で、日本に帰りたいっていう思いはずっと強く持ちつつ、ロシアに適応していったっていうところがあるんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、この高台雄たち、とはいえやっぱり日本にはもう帰りたいから、イルクーツクに行った時に、ロシアの役人に会う機会があるのよ。
で、その役人に、どうにかして我々を日本へ帰還させてください、お願いしますっていう形で、もうお願いするのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
でもさ、これロシア側からしたらさ、そもそもこいつらどこから来たんだよっていう状態なわけよ。
なんか全然見たこともないような風貌をしてるような奴らが、なんか私たちは漂流民です、日本から来たんです、帰りたいですって言ってても、本当かよ、まず本当かよじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、プラス日本っていうのは当時、ご存知の通り鎖国してるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから当然ロシアとも外交関係なんかない国なわけね。
だから外交関係がないってことは、じゃあ日本のどこどこに連絡してこの人たちが帰れるように手筈を取りますなんてこともできないわけよ。
はい。
だから簡単に言うと帰国手続きなんてできないっていうか難しいんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、ロシア側としては、しかもこれ貴重なんだよ、高台優たちっていうのは。
何でかっていうと、日本の情報ってさ、入ってこないじゃん、絶対。
鎖国してんだし。
でもさ、その日本人が来たわけだよ。
スピーカー 1
うんうん。
スピーカー 2
だからそこから日本の情報を仕入れるというか、まあ単純なところで言うと日本語を学ばせることだってできるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ロシア人に。
まあそんな感じで、ロシア側としては日本の情報源としてものすごく貴重な存在だっていうこともあったのよ。
だから返したくないっていう思いもあったんだろうね、ロシア側からしたら。
そもそも物理的に返すのも厳しいしっていうのは前提であるけれども、でも単純に返すのももったいない。
この国でいい職業を与えるから、この国で暮らそうよみたいな感じの通知が来るのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
まあもちろんこれは、高台雄たちが望んでたことじゃないから、高台雄たちはかなり怒るらしいんだけれども。
漂流者の運命
スピーカー 2
ただ、他にもこのイルクーツクにかつて日本の漂流民がいたらしいのよ。
ただその人たちっていうのは帰国がかなわずにロシアで骨を埋めるっていうような人たちだったわけね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、例えば現地の女性と結婚して、ロシアで家庭を築いていって、それで幸せかどうかわからないけど、そうやって生涯を終えていくっていうような人も実際にいたらしいのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、そういった人たちはロシア側はさっき言った通り貴重な日本の情報源だから、うまく囲って日本語教育に利用したりとかっていう風にしてたらしいのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ちなみになんで日本語教育するかっていうと、当時のロシアっていうのは南の領土が欲しかったのよ。
不登港を求めるためにね。ロシアの、ずっと言ってるけどロシアっていうのはとにかく寒いじゃん。港が凍っちゃうから、とにかく南に領土を広げたかったわけ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、南っていうことはその中にもちろん日本も入るわけよ。だから、その先を見据えた戦略としては、日本語を学んでおいて日本と交渉ができるようにするっていうのは決して国策としては悪い方法じゃないわけじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
っていうところで、日本人自体にそもそも価値を感じてたんだよね。ロシアからすると。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
っていうところもあって、なかなか高台雄たちは帰国に向けて話が進まなかったわけ。そんな中、ロシア人のキリル・ラクスマンに出会うんだよ。
ロシア皇帝との謁見
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、ラクスマンっていうのはすごい日本への関心が強い人だったわけね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、当然高台雄たちにもものすごい関心を示すわけ。で、この関心っていう言葉で言うとさ、なんかちょっとあれなんだけれども、どちらかというと同情してたと思う。
言われてるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
なんか漂流して、故国に帰れないかわいそうな人たちみたいな感じで。
スピーカー 1
はいはい。
スピーカー 2
そう。で、そういうところもあって、この実はラクスマンの家族と高台雄っていうのは結構こう家族ぐるみでの付き合いが進んでいくわけね。要は仲良しになったのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからラクスマンが皇帝にこの人たちかわいそうだから返してあげたいなっていう気持ちが出たんだろうね。だからちょっと皇帝に越見できるような手配をしてくれるのよ。
だからそこから鉄道を用意してくれてイルクーツクから当時のロシアの使徒サンクトペテルブルクまで行けるように手配してくれて、で、なんとそこのサンクトペテルブルクで当時のロシア皇帝エカチェリーナ2世と越見するんだよ。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そう。すごいよね。なんか今日教科書づくめでしょ。エカチェリーナ2世だよ。
スピーカー 1
ね。
スピーカー 2
そう。もうそんな、えーマジで?みたいな人と出会ってんだよ。なんと日本人が。
で、まあエカチェリーナ2世自体でなんか俺もう1話喋りたいぐらいの勢いなんだけれども、ちょっとそこはちょっと今日もいいやっていう感じで伏せるんだけれども、まあとにかくそんな超強国の皇帝と越見できるような場にこの高台湾っていうのはね、高台湾はそういう機会に恵まれて、でそこで帰国を願うわけよ。日本にどうしても帰りたいんですっていう形で。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
もちろんさ、ただの漂流者なわけよ。あの高台湾自体別にさ日本ではさ単なる商人じゃん。
なんかさ幕府のさ役人とかそういうわけでもないしさ、もちろん国の代表でもなんでもないさ、1階の市民商人がだよ。時の皇帝に越見するなんていうのもすごいことだし、でそこで自分たちを返してくれるように交渉までできるっていう、これはすごいことなんだよね。異例だよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ただこれはロシア側にももちろん思惑はあって、これを機に日本と通所、まあ要は貿易とかできたらいいなっていう思いはあったのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからそのために高台湾たちをまあ利用できたらいいなみたいな感じには思ったっぽいんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
まあちなみにエカチェリーナ日政自体、結構高台湾たちの話とかは結構好意的に受け止めてくれてたらしいのよ。
帰国とその後
スピーカー 1
ああそうなんだ。
スピーカー 2
そう、エカチェリーナ日政自体が割とこう知識よく旺盛で、外国の文化とかにはすごい興味を示す人であったから、まあそういったところも一応あって、とはいってもさ、皇帝がじゃあさ、よしといったって国全体でさ、じゃあそういう方針に行くかって言ったらやっぱりなかなかならないけれども、まあやっぱりエカチェリーナ日政豪安だから、もうやると言ったらやるんでしょうね。で、もうじゃあ返そうっていう形になるわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ただ問題はまだまだたくさんあるんだけれども、日本っていうのはロシアとは陸続きじゃないじゃん。もうこれは一番のネックなところなんだけれども。だから必ず船が必要なのよ。で、船で行くしかないっていうところで、まあまずどういうルートで行くかとかそういったところも問題になったし、あとは日本に単純にたどり着けない。これは理由は鎖国してるから。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからどうしようかってなるわけよ。で、結局これは日本に施設として行くしかないなっていう風になって、ラクスマン、さっきキリルラクスマンっていう人を出したけれども、このキリルラクスマンの息子を派遣することになるのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
息子の名前はちなみにアダムラクスマン。こっちかな教科書載ってんの。ちょっとごめん、違ったらごめんなさいなんだけれども。このラクスマンがロシア最初の県立施設として船を出してくれるっていうか、エカチェリーナ2世のもちろん命令で出すことになるのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、1792年に、漂流してからだいたい10年ぐらいだよね。10年ぐらいでネムロに上陸することになるのよ。
スピーカー 1
はいはい。
スピーカー 2
これネムロっていう場所がもう、なかなかね、当時の日本からするとグレーゾーンな部分だったから。北海道ってさ、厳密に言うと幕府の管理してる領土じゃなかったわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
一応マツマヤ藩っていう藩が置かれて、江戸地、まあ当時は江戸地って呼ばれてたから、江戸地自体は、いわゆるアイヌ民族っていう人たちがチリジリに治めてたわって言えば治めてたし、まあマツマヤ藩がこう管理してたっていう見方の方が強いけれども、まあそんな状態だったわけじゃん。なんかグレーなところに行くわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
これもちろん江戸に行ければ一番良かったんだけど、江戸には行けないじゃん。どうやったって。だからネムロで上陸して、そこで施設として幕府と交渉していくっていう形になるんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ちなみになんだけれども、漂流したの全部で17人いたじゃん。ここのネムロの地に上陸できたのは3名なんだよね。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そう。ほとんどは亡くなっちゃってて、上陸できた3名っていうのが江戸いうとイソキチとコイチっていうこの3名なんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、12名は漂流中およびそのロシア国内で生活していく中で、まあ過酷な環境でもあったから亡くなっちゃってるのよ。
スピーカー 1
ああ、やっぱ過酷だったんだ。
スピーカー 2
寒いし。で、栄養失調とかそういったので亡くなってる人もいるし。
うん。
で、2名残るじゃん。その2名はイルクーツクにいる時にロシア政権を回収してロシアへ残ることを選択したのよ。
スピーカー 2
うん。
これ2名がもういやロシア大好きだ、ロシアから離れたくないんですっていうことかどうかっていうのはちょっと諸説あるんだけれども、1名は足の病気で足切断しちゃったのよ。
だから動けなくてもう残るしかなかったっていうね、そういう選択肢しかなかったっていうのもあるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
この残った人たちが幸せかどうかだったかっていうのはちょっともう分からないんだけれども、とりあえず生き残ったのは5名いて、帰れたのは3名。
ただし、もう超かわいそうなんだけど、この3名のうちの1名、コイチっていう方なんだけれども、このコイチっていう方はネムロで亡くなっちゃうの。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そう。故郷の地に足を踏み入れることなく、快血病になって死んじゃうんだよね。
で、これなんで亡くなっちゃったかっていうのもちゃんと理由はあるんだけれども、
江戸幕府としては漂流者を受け入れることに対してものすごく慎重な姿勢を取ったわけ。
めちゃめちゃ足止め食ったの、ネムロで。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、その間に亡くなっちゃったの。
スピーカー 1
あー、そうなんだ。
スピーカー 2
だから漂流者引渡しですってこうスッて引き渡して、そのまま帰れれば、たぶん生きて帰れたかもしれないんだけれども、
まあ、ちょっと一番最年長っていうこともあって、病気になって亡くなっちゃうんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
まあそんな感じで、なんとかネムロについてその後幕府とうまく交渉して、
こうだいうと、磯基地は日本に帰れることになったの。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、帰国後はどんな扱いを受けたかっていうところに入るんだけども、
これも諸説あるから絶対これが正しいっていうわけじゃないんだけれども、
基本的にはそんなに差別的な扱いも受けなかったし、
こう、礼遇されたわけではないっていうのが一応通説にはなってるね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
どちらかというとやっぱりジョン・マンジロウとちょっと近しいんだけれども、
異国の地の情報っていうのはさ、貴重なわけじゃん、日本からしたら。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから幕府としては、やっぱりその異国の大地で見聞を知った人たちっていうのから、
もう情報をできるだけ仕入れたいっていうのもあって、
幕府に呼び出されて、その見聞とかっていうのを報告させたんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これはあの書物で、あの北沢文略っていう書物があるんだけれども、
こうだいうからその聞き取りした内容をもうそのまんま記したような書があるのよ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、これがいわゆる日本のロシア学の発端の書っても言われてるんだけれども、
ただこれ、こうだいう自体がさ、ちょっとこれ言い方悪くなるけど、別に学がある人じゃないんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、別にさ、めちゃめちゃ有能な役人とかそういう人じゃなくて、
一般市民がさ、当時のそういうレベル感で外国のことを見聞きして、
持って帰ってきた知識なわけじゃん。
だからやっぱり怪しいところも多いのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから明らかに誤ってる。まあ単純なところで言うと、年号とか結構間違ってるらしいのね。
スピーカー 1
あー、はいはい。
スピーカー 2
まあこれはいたしかたないところはあると思うんだけれども、
まあそういったところっていうのは、もう明らかに間違ってるんだけどなぁと思いつつ、
とりあえずもう聞いたまま書いて、で、注釈とかで訂正してるみたいな、そんな感じの書なんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これ一応この書に書かれてることなんだけど、
大国のことは分かりにくいことが多いから、漂流民の述べたことは誤りも多いと思われる。
だけれども、その成語に関わらず、今は聞いたままのことを記憶するっていうようなことを書いてあるんだよね。
だから結構この、なんだろ、諸説ありっていうのはそういうところにも出てきちゃうんだよ。
結局書いてあることをそのまま鵜呑みにすれば、これが正しいになっちゃうし、
いやでもこれ普通に考えてこうじゃねえだろっていうところを考えていくとやっぱりそれは違うってなるし、
だからいろいろ分からない部分も多いっていうのはそういうことなんだよね。
スピーカー 1
うん。
高太郎の生涯と思い
スピーカー 2
で、まあそんな感じで、高台雄は幕府からも割と重宝されて、幕府から一定の支援も受けることになるんだよ、生活に関しては。
で、江戸で住むことになって、そこで奥さんも芽取って、生涯を終えていくっていうような感じで。
1828年に77歳でこの世を去るんだけれども、そんな感じの生涯を終えたという方なんですね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
最後、自分がちょっと思ったことになるんだけれども、やっぱりこの高台雄は常に日本に帰りたいっていう思いを強く持ってたらしいのよ。
まあこれはアイデンティティなのか、ちょっとよく分からないけれども、やっぱり日本がすごく良かったんだろうね。
だからロシアに行って、周りの人たちはこうやっぱりロシアに帰化することを勧めてくるわけも多い。
ここで職業もくれるんだし、住んじゃえなよとか、奥さんもいい女いるよみたいな感じでさ、勧められたりもするけれども、
そういうのは、いや、私は帰りたいんですっていう思いを諦めずに、ロシアの役人に食いかかって帰りたい帰りたいってずっと言ったことで、
ラクスマンと出会えて、なんと皇帝にまで配圧することができるっていう形で、やっぱりこの思いの強さっていうのが結果として、
例えばそういうロシア語っていうのを学ぶ、学ぶ姿勢というかさ、学んでロシア人とコミュニケーションを取れるようになったことから、やっぱりこう日本帰国っていうのを実現させられたっていうところで、
思いの強さっていうのはすごく大事なんだなっていうのをちょっとこの高台雄のエピソードを見てちょっと思いましたという形で、最後小片郎の締め込めでお願いします。
日本への帰国の熱意
スピーカー 1
はい、自分この方あんまり、あんまりというか、もう全くかな、知らなかったんで、今回小片リクエストもいただいて、長丸が一通りパーッと解説してくれたんで、ああこういう人がいたんだなっていうのを覚えるきっかけになりましたね。
スピーカー 2
いやーなんかね、ジョンマンジローに比べるとね、なんか小片郎のあの超名作の後の漂流者っていうところで、俺ちょっとそこだけが申し訳ないなと思ってるんだけど。
スピーカー 1
いやいや、そんな俺名作じゃないんだよあれは。
スピーカー 2
いやいや名作でやばいじゃんあれはマジで。
スピーカー 1
誰が、まああのそうだね、この人あれロシアで何してたんだろうね。ロシアで何か働いてたんかね。
スピーカー 2
ロシアでは結局そのなんだ、日本語、これなんだろう、やっぱり使喚しろっていうことがすごく言われてて、やっぱりそういうロシア人たちと交流を深めていくことがもうむしろそれが仕事みたいな感じになってたんじゃないのかな。
ああそうなんだ。
スピーカー 1
あの時代的にはあれだよね、1700年代だから幕末に入る前ぐらいだもんね。
スピーカー 2
そうそう中期からだいたい後期にかけての、江戸時代の中でも安定からちょっと崩れていくようなところだよね、ちょうど江戸時代でいうところの。
スピーカー 1
うんうん、ああそっか。なるほど。
いや確かにね、長丸が言ったように、日本とそのロシアの暮らし自体がどっちが良かったのかもうちょっとわかんないけど、それでもやっぱり日本に帰れるかわからないけれども、危険を犯してでも帰りたいっていう、なんかそういう熱意をちょっと感じたね。
スピーカー 2
そうそう、ほらこれ冒頭の言葉とかもちょっと伝わって、にもかかってくるんだけれども、やっぱりそこでさ、奥さん見つけて暮らしていくっていうことも、もう骨を埋めることも全然できたわけよ、もうはっきり言って。
ただそうはしなかった、強い思いを持ったまんま日本に帰ってったっていうところもそうだし、なんか日本に、日本とそのロシアの生活どっちが良かったかっていうのはさ、わからないけれども、
文化レベルで言ったら当時のロシアの方が、まあ普通に考えて上のはずなんだよ。
スピーカー 1
ああ、なんかそんな気するよね。
スピーカー 2
うん。で、日本さ、しかもさ、ちょうど俺言ったじゃん、天命の大危機の頃だって。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
なんか、結構劣悪な環境だったわけよ、日本って、その当時からすれば。だから、なんだろうね、やっぱりそれでも帰りたいっていうのはさ、
なんだろうね、やっぱりこう、故国がいいっていう強い思いを、何が良かったのかちょっとわからないけれども、ずっと思ってたっていうところがやっぱりでかいのかなと思うけどね。
スピーカー 1
ああ、はい、なるほどね。はい、じゃあ今回は大国や高台湾でした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
じゃあもしよかったら、あの概要欄にお便り送る方もありますので、今回のようなそのリクエストだったりとか、またあのただ番組の感想だけでも嬉しいので、何なりとコメントいただけると励みになります。
スピーカー 2
はい、お便りお待ちしております。
スピーカー 1
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
25:26

コメント

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