-
-
スピーカー 2
女は怖いぞ。女に手を出せば、故国へ帰ることはできなくなる。
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。そうですね。女性はあれみ怖いですよね。
スピーカー 2
まあ、おが太郎はこの言葉の通りにちょっと俺はなってるんじゃないのかなっていう。
スピーカー 1
そんなことないよ。
スピーカー 2
そんなことはない?大丈夫?
たぶん。
ちょっとこの言葉の解説の前にちょっと先に、今日リクエストなんでリクエストをちょっと読みたいんですけれども。
第3京英丸さんから頂きました。はい。ちょっとすみません、抜粋です。
2人は歴史、特に近代史への興味の入り口はどこですか?
私は漂流者の歴史が入り口でした。私は数々の漂流者の中で特に大黒屋光太夫のファンです。
大黒屋光太夫についてもっと多くの方に知ってもらいたいと思い、ぜひお二人の力をお借りできないでしょうか?
スピーカー 1
って頂きました。はいはい、これ覚えてますね。
スピーカー 2
覚えてる?なんかさ、漂流者って言うとさ、もう真っ先にジョン・マンジロー、あのおが太郎の超絶名作、今にもこう
オトキンの多分トップ3じゃん、あれって。の名作の1個に、なんだろう、やっぱ漂流者って言うとジョン・マンジローかなみたいなところあるけれども、
ちょっと俺はこの大黒屋光太夫っていうところで、あ、そういえばいたなこの人ってちょっと思ったんだよね。
スピーカー 1
いや俺さ、探したんだよね。なんかあんまりさ、聞き慣れてなくてさ、あ、でもいるんだこういう人って思って。
スピーカー 2
あのさ、この人さ、教科書にも載ってるぐらい有名なんだよ。有名なのにさ、多分調べていただいたことがある人とかわかると思うんだけど、あんまり資料もないからやっぱりそんなに有名じゃないんだよ。
っていうところでちょっと今日はね、まあ本当に多くの方に知ってもらいたいっていうところ、名前ぐらいみんな知ってると思うけれども、実際じゃあどうだったのっていうところとかはちょっとよくわからないと思うんで、ちょっとその辺を深掘りできたらなと思ってます。
はい、お願いします。 ただちょっと前提として、まず今日の話、全般的に諸説ある話です。
いやそれ違うよっていうの多分出てくるかもしれないんだけれども、その辺はちょっとご容赦くださいっていうところは冒頭で、なんか逃げみたいな感じで申し訳ないんだけれども、まあ一応そういうことなんでよろしくお願いします。
はい。 で、冒頭の言葉、「女は怖いぞ」っていうやつは、あれは吉村晃さんっていう方の小説「大黒や高台湾の中に出てくる言葉」なんだよね。
で、吉村さんってすごくさ、史実に忠実な小説を書くっていうところで、ものすごく有名な小説家、だから名前ぐらい多分吉村晃ね、みたいな感じで知ってる人多いと思うんだけれども、
その中で大黒や高台湾についても結構ね詳細に調べ上げて小説として書いてるんだよね。
で、その中のちょっとフレーズとして冒頭の言葉を選んだんだけれども、なんかねやっぱりねこの言葉ってすごい、ちょっと今日の話聞いてもらうと、
確かにそうだよなっていうところは多分出てくると思うんで、記憶の片隅に入れつつちょっと聞いていただけたらなと思います。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、この高台湾が漂流者になるんだけれども、ちょっとそこの経緯をまず簡単に説明させていただきます。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、まず高台湾は三重県鈴鹿市の船乗りなんだよね。船乗りって言っても、いわゆるジョンマンジロみたいななんか漁師とかではなくて、
商船、要は商売をやっている船を運航する人、まあ扇動を務めてたんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから高台湾自体は商人だと思ってもらえればいいと思う。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、その高台湾が1783年に、もちろん商売のために三重県から江戸に向かって船を出すのよ。
あ、ちなみになんだけど、1783年っていうのは、だいたいちょっと時代背景がわかんないとちょっとポカンとしちゃうと思うんで、
1783年って江戸時代の中期から後期にかけての時代で、だいたいその有名な出来事で言うと天命の大規模だったり、
関西の改革っていうのが行われた頃。まあだいたいそのくらいのお話ってことね、今日は。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、お話は戻りまして、で、1783年に高台湾が船で出航しました。
ただその船、駿河沖で嵐に巻き込まれちゃうんだよ。
まあ、転覆はしなかったんだけれども、当時の船ってもちろん動力があるわけじゃないじゃん。風任せだったわけじゃん、基本的には。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから大きく航路を外れてっちゃって太平洋に漂流したんだよ。これさ、後で地図見てもらうと思うんだけれどもさ、結構漂流すんのよね。
スピーカー 2
ここで大体4年ぐらい経つんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、4年後、ロシア本土へ移送されることになるのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これは毛皮公益業者がこういう人たちいますよみたいなのを本国に報告したから、そのロシア本国側がその漂流者たちに興味を示して、そういう形で移送されることになったのよ。
で、カムチャッカ半島のペトロパブロフスクへ行って、で、その後ヤクーツクを経由して、で、1789年にイルクーツクまで移動するわけ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
えっと、1783年に漂流してるから、大体6年ぐらい経ってるんだよね。この時点で。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、イルクーツクへ移動するわけよ。でも基本的にロシアって寒いじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからどこ行ったって寒いから、もう気候厳しいし、食料も冬の時期ってやっぱりこう、ずっと厳しい時期、日本とは違うわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、ずっと高台雄たちは日本にとにかく帰りたいっていう思いをずっと持ってたわけね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
帰りたいから帰れるっていう世の中ではなかったから、もちろん当時は。
スピーカー 1
で、高台雄たちは、でも辛抱強く、そのロシアの言語であったりとか、文化っていうものを習得していって、現地に溶け込むように頑張ってたわけね。
スピーカー 2
うん。
これは単純に生きるためには、やっぱりさ、ロシア人の力っていうのが絶対必要だったから、コミュニケーション取れないと話にならないし、
やっぱり相手のことを知るためには、相手の文化っていうのも知っていかなきゃいけない、合わせていかなきゃいけないっていう、これは日本人は割と得意なことだと思うんだけどね、こういうことに関しては。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
そういった形で、日本に帰りたいっていう思いはずっと強く持ちつつ、ロシアに適応していったっていうところがあるんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、この高台雄たち、とはいえやっぱり日本にはもう帰りたいから、イルクーツクに行った時に、ロシアの役人に会う機会があるのよ。
で、その役人に、どうにかして我々を日本へ帰還させてください、お願いしますっていう形で、もうお願いするのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
でもさ、これロシア側からしたらさ、そもそもこいつらどこから来たんだよっていう状態なわけよ。
なんか全然見たこともないような風貌をしてるような奴らが、なんか私たちは漂流民です、日本から来たんです、帰りたいですって言ってても、本当かよ、まず本当かよじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、プラス日本っていうのは当時、ご存知の通り鎖国してるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから当然ロシアとも外交関係なんかない国なわけね。
だから外交関係がないってことは、じゃあ日本のどこどこに連絡してこの人たちが帰れるように手筈を取りますなんてこともできないわけよ。
はい。
だから簡単に言うと帰国手続きなんてできないっていうか難しいんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、ロシア側としては、しかもこれ貴重なんだよ、高台優たちっていうのは。
何でかっていうと、日本の情報ってさ、入ってこないじゃん、絶対。
鎖国してんだし。
でもさ、その日本人が来たわけだよ。
スピーカー 1
うんうん。
スピーカー 2
だからそこから日本の情報を仕入れるというか、まあ単純なところで言うと日本語を学ばせることだってできるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ロシア人に。
まあそんな感じで、ロシア側としては日本の情報源としてものすごく貴重な存在だっていうこともあったのよ。
だから返したくないっていう思いもあったんだろうね、ロシア側からしたら。
そもそも物理的に返すのも厳しいしっていうのは前提であるけれども、でも単純に返すのももったいない。
この国でいい職業を与えるから、この国で暮らそうよみたいな感じの通知が来るのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
まあもちろんこれは、高台雄たちが望んでたことじゃないから、高台雄たちはかなり怒るらしいんだけれども。
スピーカー 1
ああそうなんだ。
スピーカー 2
そう、エカチェリーナ日政自体が割とこう知識よく旺盛で、外国の文化とかにはすごい興味を示す人であったから、まあそういったところも一応あって、とはいってもさ、皇帝がじゃあさ、よしといったって国全体でさ、じゃあそういう方針に行くかって言ったらやっぱりなかなかならないけれども、まあやっぱりエカチェリーナ日政豪安だから、もうやると言ったらやるんでしょうね。で、もうじゃあ返そうっていう形になるわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ただ問題はまだまだたくさんあるんだけれども、日本っていうのはロシアとは陸続きじゃないじゃん。もうこれは一番のネックなところなんだけれども。だから必ず船が必要なのよ。で、船で行くしかないっていうところで、まあまずどういうルートで行くかとかそういったところも問題になったし、あとは日本に単純にたどり着けない。これは理由は鎖国してるから。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからどうしようかってなるわけよ。で、結局これは日本に施設として行くしかないなっていう風になって、ラクスマン、さっきキリルラクスマンっていう人を出したけれども、このキリルラクスマンの息子を派遣することになるのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
息子の名前はちなみにアダムラクスマン。こっちかな教科書載ってんの。ちょっとごめん、違ったらごめんなさいなんだけれども。このラクスマンがロシア最初の県立施設として船を出してくれるっていうか、エカチェリーナ2世のもちろん命令で出すことになるのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、1792年に、漂流してからだいたい10年ぐらいだよね。10年ぐらいでネムロに上陸することになるのよ。
スピーカー 1
はいはい。
スピーカー 2
これネムロっていう場所がもう、なかなかね、当時の日本からするとグレーゾーンな部分だったから。北海道ってさ、厳密に言うと幕府の管理してる領土じゃなかったわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
一応マツマヤ藩っていう藩が置かれて、江戸地、まあ当時は江戸地って呼ばれてたから、江戸地自体は、いわゆるアイヌ民族っていう人たちがチリジリに治めてたわって言えば治めてたし、まあマツマヤ藩がこう管理してたっていう見方の方が強いけれども、まあそんな状態だったわけじゃん。なんかグレーなところに行くわけよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
これもちろん江戸に行ければ一番良かったんだけど、江戸には行けないじゃん。どうやったって。だからネムロで上陸して、そこで施設として幕府と交渉していくっていう形になるんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ちなみになんだけれども、漂流したの全部で17人いたじゃん。ここのネムロの地に上陸できたのは3名なんだよね。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そう。ほとんどは亡くなっちゃってて、上陸できた3名っていうのが江戸いうとイソキチとコイチっていうこの3名なんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、12名は漂流中およびそのロシア国内で生活していく中で、まあ過酷な環境でもあったから亡くなっちゃってるのよ。
スピーカー 1
ああ、やっぱ過酷だったんだ。
スピーカー 2
寒いし。で、栄養失調とかそういったので亡くなってる人もいるし。
うん。
で、2名残るじゃん。その2名はイルクーツクにいる時にロシア政権を回収してロシアへ残ることを選択したのよ。
スピーカー 2
うん。
これ2名がもういやロシア大好きだ、ロシアから離れたくないんですっていうことかどうかっていうのはちょっと諸説あるんだけれども、1名は足の病気で足切断しちゃったのよ。
だから動けなくてもう残るしかなかったっていうね、そういう選択肢しかなかったっていうのもあるんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
この残った人たちが幸せかどうかだったかっていうのはちょっともう分からないんだけれども、とりあえず生き残ったのは5名いて、帰れたのは3名。
ただし、もう超かわいそうなんだけど、この3名のうちの1名、コイチっていう方なんだけれども、このコイチっていう方はネムロで亡くなっちゃうの。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そう。故郷の地に足を踏み入れることなく、快血病になって死んじゃうんだよね。
で、これなんで亡くなっちゃったかっていうのもちゃんと理由はあるんだけれども、
江戸幕府としては漂流者を受け入れることに対してものすごく慎重な姿勢を取ったわけ。
めちゃめちゃ足止め食ったの、ネムロで。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、その間に亡くなっちゃったの。
スピーカー 1
あー、そうなんだ。
スピーカー 2
だから漂流者引渡しですってこうスッて引き渡して、そのまま帰れれば、たぶん生きて帰れたかもしれないんだけれども、
まあ、ちょっと一番最年長っていうこともあって、病気になって亡くなっちゃうんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
まあそんな感じで、なんとかネムロについてその後幕府とうまく交渉して、
こうだいうと、磯基地は日本に帰れることになったの。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、帰国後はどんな扱いを受けたかっていうところに入るんだけども、
これも諸説あるから絶対これが正しいっていうわけじゃないんだけれども、
基本的にはそんなに差別的な扱いも受けなかったし、
こう、礼遇されたわけではないっていうのが一応通説にはなってるね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
どちらかというとやっぱりジョン・マンジロウとちょっと近しいんだけれども、
異国の地の情報っていうのはさ、貴重なわけじゃん、日本からしたら。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから幕府としては、やっぱりその異国の大地で見聞を知った人たちっていうのから、
もう情報をできるだけ仕入れたいっていうのもあって、
幕府に呼び出されて、その見聞とかっていうのを報告させたんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これはあの書物で、あの北沢文略っていう書物があるんだけれども、
こうだいうからその聞き取りした内容をもうそのまんま記したような書があるのよ。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
で、これがいわゆる日本のロシア学の発端の書っても言われてるんだけれども、
ただこれ、こうだいう自体がさ、ちょっとこれ言い方悪くなるけど、別に学がある人じゃないんだよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、別にさ、めちゃめちゃ有能な役人とかそういう人じゃなくて、
一般市民がさ、当時のそういうレベル感で外国のことを見聞きして、
持って帰ってきた知識なわけじゃん。
だからやっぱり怪しいところも多いのよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから明らかに誤ってる。まあ単純なところで言うと、年号とか結構間違ってるらしいのね。
スピーカー 1
あー、はいはい。
スピーカー 2
まあこれはいたしかたないところはあると思うんだけれども、
まあそういったところっていうのは、もう明らかに間違ってるんだけどなぁと思いつつ、
とりあえずもう聞いたまま書いて、で、注釈とかで訂正してるみたいな、そんな感じの書なんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これ一応この書に書かれてることなんだけど、
大国のことは分かりにくいことが多いから、漂流民の述べたことは誤りも多いと思われる。
だけれども、その成語に関わらず、今は聞いたままのことを記憶するっていうようなことを書いてあるんだよね。
だから結構この、なんだろ、諸説ありっていうのはそういうところにも出てきちゃうんだよ。
結局書いてあることをそのまま鵜呑みにすれば、これが正しいになっちゃうし、
いやでもこれ普通に考えてこうじゃねえだろっていうところを考えていくとやっぱりそれは違うってなるし、
だからいろいろ分からない部分も多いっていうのはそういうことなんだよね。
スピーカー 1
うん。