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はい、「大人の近代史」始めます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
あ、来ましたね。あの2回目、東京裁判、A級戦犯について。
前回の繰り越しですね。
そうですね。意外とね、やっぱりね、人も多いからね、長くなったね。
まあ、テーマ的にやっぱりちょっと太いというか、結構深刻なテーマではあるから、長くなってきてもしょうがないけど。
そうそう。じゃあまあ、そんな感じでまた始めていきたいと思います。
はい、よろしく。
まずは、前回はですね、東京裁判で裁かれたA級戦犯について、大川秀明っていう方を説明したんですけれども、
今回は、2人目として、ひろたこうきをちょっと説明したいなって思います。
この人は外務大臣とか、32代内閣総理大臣とか、歴任してるんだけども、
この人ね、外務大臣としてだった時は、ちょうどね、南京事件があったんですよ。
日本がさ、中国の南京占領して多くの中国人を殺害したっていう事件なんだけど、
この南京事件ね、外務大臣にも現地の報告が来てたって言われてて、
この実情を知りながら閣議にこれを問題として持ち込まなかったっていう罪が結構アメリカに重く見られたんです。
アメリカというか、中国も連合国側にね。
総理大臣時に、軍部大臣、現役武官制を復活させたって言われてるんですよね。
これはね、陸軍大臣とか海軍大臣っていうのが当時内閣の中にあって、
現役の軍の大将とか中将じゃないと陸軍大臣、海軍大臣になれませんよっていう制度なんですよ。
これによって軍の内閣の介入を許したというか、力を強ませた原因じゃないかって言われてて、
これも重く裁判で見られたんです。
ただね、この人は逆に陸軍大臣、海軍大臣を現役の軍の人にするっていうことは、
軍のOBとかが力を強めてた226事件とかもあったから、
逆にそのOBとかそういう影響力を排除するためって言われてる。
だから軍を逆に縮小に向かわせるためにこの制度をつけたんじゃないかとも言われてるんですよ。
あとは敗戦が濃厚だった戦争末期に、
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ソ連を仲介に連合国と和平の道を探ってたっていうこともしてたんですよ。
結局この人は公主権として裁かれたんですよね。
映像でも自分見たんだけども、裁判で裁かれる日ね、
ヘッドフォン、一人一人呼ばれてするわけです。
そこで英語で主に就寝金庫刑か公主刑が多かったんだけども、
就寝金庫刑だったらインスプリメントフォアライフって言われるんですよ。
公主刑だったらデスバイハンギングって言われて、その後日本語訳が流れるんだけど、
これ自分の立場だったら相当怖いですよね。
どっちかで絶対流れてきて、片方は絶対死ぬわけじゃん。
しかもどっちかが流れるかも知らないわけですよ。
何が行われるかさえも敵国側がすることだからわからなかったわけですよ。
中には結構手震えて、なかなかヘッドフォンつけられないって人もいたんです。
それは怖いですよね。だって自分の命がそれで決まっちゃうんだもんね。
この人は公主刑って言い渡されて、退出時に傍聴人跡に見上げて軽くえしゃくしたんですよ。
こういう行動した人はこの人だけだと思うんだけど、
お父さんの裁判を毎回欠かさず見てきた2人の娘さんがいたんですよ。
その人に向けて最後の挨拶だって言われてるんですよね。
そうそう。なんかこれね、やっぱ自分もさ、長丸もそうだけど子供がいるじゃん。
なんかね、重なっちゃうよね。そこにちょっと感極まるものが正直あったね。
まあ覚悟もしてたんだろうけどね。
そうそうそうそう。で最後、東条秀樹なんだけれども、この人は結構永久戦犯として一番有名だと思うんだけど、
陸軍大臣とか外務大臣、文部大臣とか各大臣で歴任ずっとしてきて、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任してるんですよね。
在任期間って1941年から44年だから、ちょうど太平洋戦争が始まって、本当に終戦間際までいた中心人物ですよね。
だからアメリカはこの真っ先に東条秀樹を容疑者として第一号として捉えたんです。
もう狙い討ちというか。
この人はね、常にアメリカに尋問された時に、なんでこのパールファーバー、真珠湾に攻撃を仕掛けたんだっていう時も、この戦争自体が自衛戦争だって言ったんですよね。
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自分たちはアメリカに経済的とか軍事的に圧迫されてきて、日本って資源がないから石油とか鉄とか物資って当時アメリカに7割ぐらい依存してたから、これをストップさせられちゃって、後々国が衰退して、逆に何もできないような状態に弱体化されていくっていうのは目に見えてたから、
その前に自分たちは戦うしかなかったっていう自衛戦争をずっと言ってたっていう感じですね。
この人結局は公私刑になったんですよね。
この戦争ってさ、結構いろんな人の証言とか本とか映像もあったんだけど、戦争の責任を押し付け合ったところもあったんですよ。
日本人の中でね。例えば海軍とかはね、太平洋戦争に対しては、これ陸軍と一緒で自衛戦争っていう風に言ってたんだけども、
例えば中国、アジアに関しては問題点があったっていう風に言ってるんですよ。
だけど陸軍は常に自衛戦争だ、これはっていう、東洋民族解放のための戦争だっていう風に結構ここでも意見分かれてたんだけど、
あと海軍は陸軍に対して、陸軍がこう主導でやって、自分たちはそれに流れについて行かせられなかったっていう状況があったみたいなね、そういう証言もしてるんですよ。
この陸軍、海軍の問題ってさ、結構明治維新から言われてるけど、割と船かで有名なとこがあって、
陸軍って長州派閥というか、海軍は薩摩派閥っていうか、もうその頃から結構船か説っていうのは有名だったんだけども、それがこの裁判で色濃く出たような感じだね。
あと、アメリカとか裁判で重く見られてたのが外務省なんだけども、この外務省は、戦争を回避に自分たちは勤めてたって、だけど現地で捕虜とか残虐行為した人たちっていうのは軍に責任があるっていう風に責任を押し付け合ってたんですよね。
全部じゃないけどね、一部そういうのがあって、そういうところも見られたっていう裁判でもあったなと思って。この裁判の中でインド代表のパルハンジっていうのは、被告人全員無罪っていう風に主張したんです。
この11人、パルハンジがいたんだけど、その中で唯一、そもそも侵略戦争の定義もないし、明確な証拠もないっていうことで、無罪っていうのを主張した、たった唯一の人ですね。
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っていう人もいたんだけども、結局刑は執行されて、公私刑が7名で、終身禁錮刑が16名なんです。他に2人、1人ずつ禁錮7年と20年っていうのがいたんだけども、全員だから裁かれた人は有罪になったわけですね。
公私刑7名って言ったんだけど、6名は陸軍関係なんですよ、全部。東條秀樹も陸軍関係と入れるならばだけど、だから陸軍が常に重く見られたというか、さっき言ったけど、陸軍は常に自衛の戦争で自分たちは悪くないっていうのを主張したんですよ。
海軍は逆に、海軍自体で統制が取れてて、言論を統一して、太平洋戦争に対しては自衛戦争なんだけども、中国アジアとかには問題点があったって非を認めるような形で、印象が陸軍より遥かに良かった部分もあったんです。
それで公私刑は実際に永久宣判では選ばれてないっていうのもあるって言われてる。
印象的だったのが、最後死刑の刑が宣告される前に会うっていうのが境界史なんだけども、この境界史の証言で、最後に死刑宣告されるっていう前に、じゃあみんなで天皇陛下万歳って言いましょうかみたいな。
これは境界史が言ったわけじゃなくて、死刑宣告される人たちが自らそう言って、天皇陛下万歳って言って、その後死刑が宣告されるみたいな。
だから天皇の存在って最後の最後までも天皇のことを思ってというか、当時特別な思いって今以上にすごいよね。
国家っていうものの一番の代表者っていうか、忠誠心とか愛国心っていうのがやっぱり今の感覚と違うんだろう。
この裁判では天皇っていうのは直接罪には問われなかったんですよね。
アメリカがあえて天皇を利用したって言い方はあれかもしれないけど、天皇に罪を着せて敬意を貸したとしたら、日本の国民はかなりの反発が予想されて、
ゲリラ戦とかになって、何百万って追加でアメリカ兵とか、連合国側の兵士が必要になるって言われてる。だから、それを避けるためにも天皇は罪に問われなかったとも言われてるんですよね。
この死刑日なんだけど、1948年の12月23日なんですよ。
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これってその時皇太子で、後に秋人天皇の誕生日なんですよ。
これはアメリカがあえてこの日を狙ったって言われてるんですよね。
狙ってそうだよね。わざわざそこをピンポイントでやらなくたっていいわけだし。
単純に天皇も含めて国民も天皇の誕生日だからって言って喜べなくなったわけじゃん。
国家に勤めて、内閣総理大臣まで勤めた人たちも、殺された日が天皇の誕生日と一緒みたいなね。
そういうのもすごいなと思って。
この裁判、後で振り返ってたんだけど、マッカーさんの情報散歩してたチャールズ・ウィロビーっていう人がいるんですよ。
この人が、この裁判は歴史上最悪の偽善でしたって言ってるんですよね。
まさしく、そんな言葉が合うなと思って。
それぞれが、自分たちは正義だと思って信じて、アメリカも日本側も行動してたんだろうなっていうのも思うし、
結局のところさ、今もだけど、この世の中って結局力が支配してさ、その力に屈服した国の末路だよね。
本当に負けた国だからこそって感じだよね。
そんな感じです。どうでしょうか?
やっぱりね、テーマが重たいよね、これは。
重たいね。
日本ってさ、うちらってさ、負けた国に生まれてるわけじゃん。
もう全然その先の話だけど。
だから、感覚としては、自分たちが悪かったんだみたいな、たぶんそういう植え付けもされちゃってるんだよね。
教育の仕方もそうなんだけど。
たぶん、自分だけじゃないと思うんだよね。そういうふうに思ってるので。
それ自体がだから自虐主観っていうのが。
事実はやっぱ、東京裁判だけに関して言えば少なくとも、これはもういらなかったでしょっていう裁判だと思うんだよね。
まあね。
だって、その裁かれた人たちって、現地ってさ、人殺してきてるんかっていう人たちだけじゃないじゃん、やっぱり。
そうだよね。
だから、じゃあ、罪は何なのかっていうのも、しかも小片朗の話にもあったみたいにさ、
法律が後にできててっていうような、よくわかんない状況だったりもするわけじゃん。
そうそうそうそう。
だから、そういうところでも、ただただ、誰かを生贄に捧げなくちゃ、この戦争を幕引きできないみたいな、
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そういう思惑のためだけの裁判っていう印象はすごい持ったかな。
今もさ、結局、これ何十年も前の話じゃん、戦争時代では、70年くらい前の話だけどさ。
でも、今の世の中も全然この構図っていうのは変わってなくて、
例えば直近で言うと、有名なところで言うとイラク戦争。
2005年くらい、2003年だっけ、5年だっけ、そのくらいに起きた、十数年前だよね。
あれなんかもさ、結局イラクの当時の大統領のサダムフセインが悪いっていうんでさ、
戦争に勝ったアメリカが捕まえて、死刑にしちゃってるよね。
サダムフセインは、サダムフセインって、やっぱり自分の中の正義とかあったわけじゃん。
で、実際、イラク国内では人気があった人でもあるし、もちろんサダムフセインの支持者っていうのもすごく多くて、
やっぱりそれを支持してた人たちもすごい多いわけじゃん。
ただ、反面、やっぱりクルド人虐殺したりとかさ、ワンガン戦争だったりイラク戦争もそうだけど、
戦争を引き起こしてるっていう罪もあるからさ、そこは何とも言い難いところだけど、
ただ、やっぱりそういった勝った側が決めてるよ、罪を結局のところ。
やっぱりそういうところで勝った側が決められるっていう構図は一切この頃から変わってないんだなっていうのは感じた。
そうだよね。特にこの頃からかな、アメリカってもう世界の正義を掲げて結構いろんなところで言ってるよね、戦争とかね。
警察だよね、世界の警察。
そうそう、何とも言い難いけど。
首突っ込んでベトナム戦争では負けてっていう、なんかよくわかんないことやってたりするけどさ。
アメリカの得か損かって言うとちょっと微妙なところはあるけどね、そういう戦争介入自体が。
まあね。
イラクなんて完全に石油利権だしさ、何とも言い難い。それはもう完全に得なんだろう。
まあそんな感じで、結局ちょっと重くなっちゃったんだけどテーマがね。
日本の近代史って結構重たいテーマ多いから。
そうそう、だからこの一言で言うと、ノースリーブ裁判っていうことなんですよね。
なんでここに突っ込んだんだよ。
ごめんなさい、これ今言っちゃうけど、聞いてる人これ2回目なんですよね。
そうなんですよ、録音2回目なんですよね。
実は録音するの忘れちゃって、今だから言うんだけども、一回同じこと言ってね。
ノースリーブ裁判のネタは良かったのに使わなかったんだよね、2回目。
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もうここしかないみたいな。
いや、使うならノースリーブ言ってた時でしょ、どう考えても。
もうそうなんだけどね、本当にちょっとリアクションとかもいつも初めてテーマを2人は知らない状態で、何を言うかって感じのリアクションもマチュラルな状態でしてたんだけど、
今日はもう本当に申し訳ない。
これは茶番です。
そういう締め方。
東京裁判だけに茶番でしたと。
すいません、なんか。
でも東京裁判ってね、ちゃんといろいろ考えさせられるテーマですね。
本当に戦争っていろいろ難しいよねっていうテーマでした。
はい、じゃあ最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。