1. 空地的ジンブン学
  2. #32.5 保坂和志『こことよそ』..
2024-02-29 32:28

#32.5 保坂和志『こことよそ』を読む 学

保坂和志『こことよそ』を読んで語っていきます。

00:01
ということでまあ、こことよそですけど、
そうなんですよ、まだ猫の話になっちゃうけど、
いいテレ?
猫メンタリーってあるんだよね。
猫飼っている作家のドキュメンタリーのシリーズがあって、
保坂和志が世界の文庸の家に住んでるんだけど、
湿筆部屋の付ける隣にアマゾンの箱いっぱい積んであって、
生活が半端ないドキュメンタリーだったんだけど、
そこで猫になりたいんだってことですよ、保坂和志。
草野正宗と同じこと言ってる。
やがて猫になりたい。
草野正宗の猫とは全然違うんだよ。
だから猫の味方で小説を書きたいって言ってたんだよ。
猫の味方で小説を書きたいと。
だから猫っていうのは究極の演劇法なんだと。
機能法じゃないんだよと。
猫っていうのは、目的地に対して、
そうやって行こうって行くんじゃなくて、
こう曲がって曲がって行ったら目的地に着いてたみたいなのが猫性だっていう。
保坂氏は猫メンタリーでいるんですよ。
保坂のトライカーっていうのはね。
だからそういう演劇法としての小説ですよね。
あーなるほどね。
ここでよそっていうのが。
そうだね。
ドライブしてって、やがてなんとなくのまとまりがあるっていうか。
猫のように書くっていうのはその通りかもしれないな。
そうだね。
あれですよ、だから、
多分トリビュート本の中で、
僕は中高級語である保坂氏についての評論を書くわけだけど、
つまり生きることとしての小説っていうテーマを持って書くわけですよ。
小説、生きることをそのまま性への一回性ですよとか、
何回も言うけどね。
を書いてるんだよね。
それの何ていうか、写実じゃないけど、
それをこう文章化してるんですよ。
あと、話が3枚になってきたけど、
ちょっと前の、この前のね、
これの少し前の2,3年前の地亡き小鳥みたいになってる短編があるんだけど、
それって主人公が最初名前が加藤かなんかなんだけど、
途中で保坂になっちゃったりしても、
だけど書き直さないみたいな。
そういうだから、どんどんずれてって間違っちゃったとしても、
そのまま書き続けるみたいな。
そういう、なんていうの、一歩の流れだよね。
間違えちゃったことも含めて性の一回性なんだってことなんだと思うんだけど。
そういうような書き方を最近保坂氏は、
まあ難しいのはこれ意図的にやってることなんだよね。
意識的にやってるね。
しかもこれは明らかに後期小島信夫の短編の書き方なんだよ。
うん。
保坂氏は意識的に、
まあだからそれを継承するみたいな目的意識があるんだよ、絶対。
うん。
で、やってるからそこは難しい話なんだけど、
こことよその難しいところはやっぱりそこだなって思うわけよ。
ああ。
性の一回性について書いてるんだけど、
それを作為を持って書いてるっていうのが
眠いきれないなとは俺はどうしても思う。
うーん。
そこが作為じゃない方が松崎駅にはしっくりくるわけ。
いやあ、作為じゃなくは書けないんだよ。
03:01
うん、無理じゃん。
だからこの方法論が正解の方が難しくなってる。
性の一回性を書くにあたって。
うん。
ああ。
一つの正解な気もするけどね。
別に他に回答はいくらでもあると思うし、
別に穂坂が否定してるような小説だって
性の一回性を描いてるというかそうだし。
でも性の一回性っていうのは俺が出した文脈だけど、
うん。
単純にどういう、
あ、こことよその、読んだ感想として。
うーん。
めちゃめちゃ小説としてよくできてるっていうか、
プレーンソングしか読んだことなかったので、
非常に優れた小説これは。
うん。
ふふふふふふふふふふふ。
ああ、そうだね。
何てか、あの、普通にこれマジで、
読んだほうがいい小説だよね、これ。
これ結構一読に値する小説だもん、みんなが。
いい、いいセレクトやったね。
何て言うんだろう、あと普通に何か、
小説としてよくできてるよね。
うんうん。
あのー、いろいろ話が行ったり来たりするんだけど、
行ったり来たりしてる、
まあさっきも話したけど、
行ったり来たりしているようで、
ドライブがあって、文章があって、
パラグラフがあって、
まあ文庫本で読んでるとページがあって、
めくる感覚があって、
っていうところが非常にあると。
で、そのー、
結局そのー、
いろんな話が行ったり来たりするところと、
あと現在と過去の時間軸が行ったり来たりする
っていう話の書き方、
で、あと友人の死から思い出されることとかの
リアルさ、
まあ本当に思ったことの感じが
全部つながりがあるっていうか。
うんうん。
うん、非常にそこが
全体的に小説的というか。
まあ単純にだから、
読んで嬉しかったっていうのもあるね。
そのー、
あのー、
ここでは友人の尾崎っていう人が
亡くなったっていうところがあって、
でーっていうのもあるんだけど、
その尾崎は、
その映画のさ、
うん。
ところで暴走族役をやったとかさ、
うんうん。
そうやっていうのも別に、
俺も映画を学んでる人間だし、
あと穂坂が若かった頃のことを考えるにあたって、
小説家になりたい、
うん。
でも別に書いてなかった、
みたいなところのあつあつあって、
それで何か谷崎野で、
この後小説家になった、で嬉しかった、
みたいなのを書いてあったりとか、
あと後半で、2018年の小説なんだっけ、
うん。
だからサチモスの話が出てきたりとか、
非常に、
別に俺のための文学とかまではいかないけど、
非常にこう、俺に近しい話題というか。
面白いよね。
そう。
うん。
新潮文庫って、
やばい、新潮文庫が悪口言いそうになった。
新潮文庫とかいう、
絶対売れるものしか、
絶対売れる、
いにしえのものしか文庫化してないあいつらが、
サチモスって書いてある小説を、
文庫化しているなんて。
このサチモスと書いて、
サチモスと読むのところさ、
おじさんっぽくていいよね、
その年のように生きてた。
06:00
穂坂これさ、文庫本って振ってあるじゃないですか、
何冊目か、
もう絶版ですからね。
カンバーゼーションピースとか、
生きる喜びとか、
こんな人の生きとか、
ないですから。
もう絶版ですから。
その意味では新潮、
新潮ですよ、相変わらず。
普通にあと、
人の死をこういう風に書くっていうのが、
非常に嬉しい、
とは俺は思った。
人の死を、
人の死と、
現在と過去っていう話に必然とつながっていくし、
そこの入りは、
そのさっき言った、
谷崎純二郎の月報を書くところなんだけど、
っていうところで、
そこは非常に小説的なテーマなんだけど、
それをこういう風に、
書くっていうことが、
非常になんか、
嬉しくなるような、
小説だったなって思うか思いました。
なるほど。
穂坂さん最近ずっと言ってるからね、
死は存在しないんじゃないかみたいなこと。
いよいよだよ。
なんか、青棺先生は絶対わかります?
現代美術家で。
知らない。
どういう人?
あの、どこだっけあの、
あのね、
あれ、天命反転住宅ってあるんだよ。
うん。
渋谷じゃないけど、都内にあって、
うんうん。
結構最近だって、チェルミコが、
うん。
あの、
I Wanna Dance With You ビリオードの
MVって撮ってたんだけど、
うん。
まあ、あれですね、なんかすごいこう、
部屋が球体みたいな感じで、
球体の部屋とかがあってすごい、
で、色がどぎついみたいなんですけど、
うんうん。
だから天命が反転するんですよ。
うん。
青棺住宅は死は存在しないんだと。
うん。
で、そういう、
あともっとね、
岐阜かどっかにも天命反転公園みたいな公園があるの。
うん。
そこもだから、こう、
すごい地面の中に穴空いてたりとかして、
天命を反転させるっていうコンセプトで作ってるんだけど。
はいはいはい。
ちょっと今、I Wanna Dance With You で見た。
そうそう、ちょっとわかったと思うんだけど。
わかったわかった。
で、そういうものを作って、
はい。
で、青棺住宅の話を小坂氏はやたらしてて、
青棺住宅は死は存在しないと言ったら死んだ、みたいなことを言ってたけど。
うん。
でも小坂氏は最近、死は存在しないみたいなことを言ってるよね、ずっとだから。
うん。
カレリアもさ、その1本目が、
花ちゃんが死んだ話。
はいはい。
で、全然俺は納得はしてないんだけど。
うん。
死は存在しないみたいなのは最近の小坂のモードではある。
うーん。
Twitterとかインスタの投稿でも、
うん。
俺と死が、死とか肉体がなくなった後も継続するものみたいな話はしてるかも。
うーん。
まあだから、そういう意味で、
この調整の書き方とその、
まあ言ってしまえば、
70歳近い小坂氏のなんか体感みたいなのは割と一致してきてるのかなみたいな。
なるほどね。
そう、その小坂氏のまあ個人的なその死が近づいてくることに対する考えじゃなくて、
なんかそういうのがこういう書き方をさせてるような気もするよね。
作家が目立ってしまうけど。
うーん。
09:00
中村くんのところで。
そうそう、書館のところで。
今話してるとこは続けてもいい?
うん。
なんかあの、生きる喜びって短編があって、
うん。
ハレルヤの中に入ってるやつ。
うん。
まあその小説に作家が書いてあることを、実そのまま信じるってのもあれだけど、
人間の思考はもともと世界というような抽象でなくて、目の前にある事態に対処するように発達したからで。
うん。
中略、純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界に突き当たる。
うん。
っていう話を、あの、あと何行かずっと書いてるんですけど。
うん。
神の視点の導入の否定とか。
うん。
そういうことを書いてるんだけど、これきり俺小坂和志の作家としての限界を感じるんだよね。
その、小坂和志が書いてる範囲はそこなんだけど、
うん。
なんだ、だからその、悪いことだと思わないんだけど、
うん。
そこじゃないところを書くこともできるのよ、小説というものは。
うんうんうん。
で、そこじゃない範囲も背負うことができるけど、
うん。
小坂和志多分そこをあえて選択してないんだよねって感じはした。
うん。
そうだね、なんか、詩は存在しないっていうのも、
うん。
やっぱそういうなんかなんだろう、書写選択なのか限界なのか分かんないけど、
うん。
こう、選ばれた末の結論だと思うんだよね。
うん。
なんだろう、やっぱさ、その、俺はまだ小坂和志じゃないから分かんないけど、
うん。
なんだ、うーん、やっぱなんか20歳で生きてる分にしてはその詩は存在しないって言い切ることはできないじゃないですか普通に。
できないね。
できない。
うん。
そうそう、っていう意味もあるし、
うん。
なんだろうな、その、小坂和志はさ、
うん。
この、なんだ、その、世界があったとしてさ、
うん。
そこと自分を切断してさ、
うん。
自分の関係の周りの近くのことを書いてるじゃん。
うん。
そういうことを書くべきだっていう風に生きてる人じゃん。
うん。
でも、これは多分ね、生き残るための方法だったんだと思うんだよね、その時代に小説を書くっていうことにおいて。
うんうん。
ただその、なんだ、この切断の仕方が多分すごいなんだ、ちょっと抽象的な話になるけど、その、どんどんその内容が平面的になっていくところだと思うんだよ。
うん。
平面的になっていってリズムだけが強くなるっていう、小坂の方きっとそうだと思うんだよね。
うんうん。
俺はあの、小手装ですごいそれを思ったんだよね。
うんうん。
風景が、あのプレーンソングの時より明らかに、やっぱりよりこう平面的で生物的になっていくのよ。
うんうん。
写真の中の話とかすごいするじゃん。
うんうん。
だしその動的な風景じゃなくなってるのよ。
うん、そうだね。
っていう風になんか、なんだろう、すごい選んでった先にあるからやっぱ、そうなんだ。
ちょっと好きなみな結論になっちゃうけど、70歳の小坂和司をこれを書いてるってことには、
うん。
なんかある意味その、元気づけられるとこもあるけど、一方でやっぱりその、なんだろう、
12:04
まあ70歳の人だなっていう感じはしたな。
うんうん。
その、自分が20歳で、そうそう。
70歳の人って感じするよね。
そう。
70歳のおっさんの話だよな。
そうそう。
うんうん。
そういう意味でなんか、なんだろう、自分がこれからどういうものを書いていくかって同人作家として考えた時に、
うん。
なんか、そうだね。そうじゃないことを書いていく必要があるなとはちょっと思ったね。
うんうんうん。
ちょっと抽象的な話になっちゃったけど、そうだね。
ここで要するに書いた感じ、読んだ感じはそうかな。
まあまあね。
うん。
ここで要するにっていうのは、
ここで要するにそのややこしいことはこの一回性なんだよね。
うん。
っていう直線とさ、
うん。
あとさ、こう時間軸がさ、こう入り乱れるこの曲線がさ、
うん。
一回性もさ、一回性の直線であるっていうところが難しいんだよね。
うん。
なんか、ジグエーブ言ってたけどちょっとラジオっぽいわ。
ここと予想ってなんか、
うん。
まあそうだね。
そう、すごいラジオっぽい。なんか、語り口調だっていうところ以上に、
うん。
やっぱりなんか、話にこのまま奥にあって含みがあるんじゃなくてどんどん流れてくっていう感じが、
うんうんうん。
すごいなんだろう。
それがでもなんか、なんだろう、物語としての小説のこう希望なのかもしんないけどね。
うん。
特に時間がちゃんと経過していくっていう文章の中で流れていくっていうのは。
それこそが小説だったことなんだと思うよ。
うん。
ストーリーがあって、
あ、そうか。
ドラマツリーがあるってことじゃなくて、
うんうんうん。
単純にその時間が流れてくっていうことだけで曲の小説が成り立ってしまうんだっていうことでもあると思うんだよね。
うん。
うん。
まあそうだね。
そういう意味での救いなのかなやっぱり。だから結局辿り着いたのは。
まあなんだろうな。
でもそれはそれで納得できるんだよな。
うん。
うん。
まあ三つ目のライブ版ってことですよ。
はい。
はいはい。
てか音楽全般そうだねって思っちゃったけど。
いやいやいやいや。
三つ目のライブ版ってことですよ。
あと。
あのギターはほぼ単音でさ。
はいはい。
で、ベースとドラムが基本しか鳴ってなくて、メロディーがあればいけるっていう。
あのベースとドラム、最後までパターン変わんないやつね。
そうそうそうそう。
すごいミニマムで。
そうそう。
ギターもほぼあれほぼベースとドラムとボーカルしかない時間多くねみたいなのでも聴けちゃうみたいな。
ギターがベースと同じノートを弾いてる時間あるからね。
とかでもポップスで整理するみたいな話。
だからね。
そう。
これ超引き算の小説とも言えるよね。単純に技術的な話で言えば。
そこだね。だって別に。
超引き算かも。
それが平面的ってことなのかもしれない。
非常に物語があるわけでもないしドラマがあるわけでもないし。
最後の奥に繋がってるものが見えないけどちゃんといい小説だわ。
うん。
なんかその奥行きとか大きさで攻めた小説じゃないわ。
そうだね。
てかなんか風景がある前に書き方の問題と小説の形態の話として思考があるよね。
だから風景がそれに対して動的にならないようにしてるわけだから性的だし。
それをすごい徹底的にやりきってんのがいいところだと思う。
そうだと思う。
15:00
なんかこの時代の作家全般にそれ結構言えるけど戦後の。
でもあんまりやりきれてる人が少ないというか奥にあるものに対する憧れを捨てきれない人も多いじゃん。
分かる?その。
そうだね。だから。
そうだね。やっぱその近代文学前としたものに対する憧れを捨てきれないというのはあるじゃん。
うん。
奥に背後に何かがあって。
吉本ゆめ的なね。の詩的なね。
そうそう。そういう難解さとか。
そうだね。そこをちゃんとなんか切り捨ててる潔さみたいなのがあるね。
なんだろう。
ごめん。長く話したくない。っていう感じ。
小説ってこれだけでもいけるんすねっていう感じはあるよね。
これ書くのね。マジでむずいよ。
ココトヨソは。
マジでむずい。
プレインソングはまだなんて言うんだろう。
小説って広いし、ありだし、嬉しいっていう。小説好き。
小説書くの楽しい。
小説書くの楽しい。小説好きって気持ちになるんだけど。
ココトヨソはちょっと明らかに成熟した作家のレベルだから。
ありがたいし、ありがたい話でもあったし、ありがたい小説でもあるし、好きなんだけど。
ちょっとこう、別に身近ではない。
そういう意味で身近なさはあるよね。
ココトヨソのね、やってること自体はそこまで遠くないんだけど。
文章のレベルが明らかにプレインソングとかとわけが違うなと思った。
プレインソングの、突き詰めた先にあるけどね単純に。
あるある。
延長線上にある。
まあでも、いろんなルートがあるからね。
穂坂医師はココを選んだんだなっていうのもあるね。
まあ分かんない。
俺が同じタイミングで読んじゃったからさ、どっちも。
繋がりがあるように見えちゃってるけど。
繋がりはあると思うよ。
結局ココトヨソにしようだから何回も言うけど、
結局小説は読んでる時間の中でしかないっていう。
一番端的な穂坂性を表す発言だけど。
それはプレインソングよりココトヨソの方が特に出てるかもね。
小説の一回性っていうか。
プレインソングはもうちょっと小説前してるよね。物語前として。
俺は一人の同人作家としては、
穂坂の言う小説を読んでる時間にしか小説はないっていうのはすごく共感できるんだけど、
穂坂はそこを全面に出す派なんだなっていう感覚がある。
それって多分穂坂が批判したいとか、
穂坂がこういうやり方したくないと思ってるような作家。
穂坂と違うような書き方をしてる作家でももちろん一回性がすごくあるように感じる。
そうするとすごいドライブのものだから。
非常に物語があっても社会性があっても、あるいは奥行きがあったりとかしても、
どんな文学でも一回性があるなっていう感覚はあるんだよ俺の中にも。
穂坂のやり方がそぎ落とし系だったと普通に言うんですよね。
18:06
逆なんだと思うよ。
なるほど。
なんていうか、早くない?なるほどが。
口癖やね。
ドライブしてるかどうか、してないのかもしれない。
書いてる時のドライブかどうかわかんないじゃん。
そういうドライブさせるように構築されてるんだと思う。穂坂の小説っていうのは。
なるほどね。構築されてる。
結局、小島の坊の後期にしろ、後藤明成とかでもね、
いわゆる饒舌体だよねって言われる文体っていうか、書き方の小説ってさ、
饒舌体で書いてるように普通に書いてるんだよ、結局は構築的に。
だから多分ね、構成をしてるからこそ、
最近俺はね、小説結局構成してるの書けないなっていう派なんだよ。
ドライブしてるように構築するものだと思う。
ドライブしていくもんじゃなくて、書いてるようにしていくことはあるんだけど、
ドライブしてる状態を構築して作り出すものが小説だと思う。
だからそういう意味で、一緒っちゃ一緒だけど、これまでの日本文学とね。
書き方としてね。
書き方としてだけど、穂坂は明らかにドライブを作り出す構造っていうのをすごい意識的なのかなとは思う。
そこになるかと。
なるほどね。
結局構造なんだと思ったんですか?
うん。
だからこの前のさ、ハルビアの10年前ぐらいだったのかな、無縁の逃走感。
全部読んでないけど俺は。
の有名な一文目は、3年前に死んだなんとかが、なんだっけ忘れたな、やばい。読ませてたわ。
まあまあまあ、それでどう思った?
日本語として成立してない日本語として始まってる。
はい。
3年前に死んでいたみたいなやつなんだけど。
だから穂坂は、生の一回戦のドライブのために、いろいろそういう方法論は生み出していってたよね。
それから例えば地亡き小鳥川みたいなのは、だからさっきも言ったけど、一種間違いを直さないということで、訂正しないみたいなことじゃん。
とか未明の闘争では日本語をそもそも文法として成立しないように。
そういう意味でそこを重視してるってイメージなんだよ、穂坂は。
そこの方法論からの構築による小説の一回戦っていうか、お前の言う言葉で言ったら一回戦っていうものを、全面に小説のその一要素をすごく全面に押し出した小説を作ってるってイメージなんだよ。
そうだね。
21:01
だから明らかにそこに力点を置いてるから、世界を描こうとしてるっていうことなんだろうな。
でっかい世界じゃなくてね。
面に見えるもんね。
だからそれが何の比喩でもないっていうことをやっぱりやろうと。
してるっていうのがやっぱり明らかに近代文学とか戦後文学から違うからじゃない?
やっぱり大江の同時代ゲームを最近読み始めたけどさ、おもろいけどさ、結局全部メタファージャンみたいなのがある。
大江とかそうだよね、マジで。
シンプルにそこに冷めるっていうのがあるじゃん、わかる?
そこに対するリアリティを持てるかっていう。
小説、結局これが例えばGHQのこと言っててとか、思っちゃわない?
それはなんかおごりな気もするけどね、こっちの。
何て言うの?読者の体感っていうか。
だからそこに俺やっぱり未だに違和感というか、そこに対する何かがあるんだよね。
ためらいみたいなのが。
結局何かを表彰してるだけのものでしかないっていうことに対するつまらなさだよね。
いやでもテキストはテキストに存在してない、大江とかってイメージだけどな。
シークとかだって明らかにGHQのこと書いてるけど、
でも別にそれなんか関係なくできてるよって思ってるよ、見てとしては。
そこは微妙なラインだな、俺的には。
俺はね、今年の3年末に一気に6冊ぐらい読んだね。
今や大江が、大江の熱に一番高い20歳だと思うけどね、瞬間的に。
それでもね、やっぱね、そこはどうなんだろうなって思うんだよ。
それならそのこと書けばよくないっていう単純な。
それ俺も思う。
俺の中のギャルが言ってる。
メタバロが好かないって書けばよくないって。
ぶっちゃけ?
うん、ぶっちゃけ。ギャルピされてる。
前なんかポッドキャストで話した記憶があるけど、
俺なんかテーマがあんだったらテーマ書けばいいじゃないですかっていう誰かが、
金美恵子かな?
金美恵子だね。
金美恵子が、その小説にテーマがあるんだったら、
テーマどこと産業で書けばいいじゃないですかって言ったことをすごくそうだなって思ったので、
俺も結構、いわゆる本当に従来の文学の方法論にのっとって書いてることが多いけど、
そのまま書くにしてる。
なんか、でも大江とかってさ、テーマがないわけじゃなくてさ、
大江に何かあるんだよ。テーマというより。
テキストの奥に何かある。
大江は明らかにそうなんだよね。
だから大江は神話なわけじゃん、結局。
だからそれはいいんだけど、自分が読者としての肌書いたことだよね。
現代美術以降の美術の流れとかを考えた時にさ、
24:00
なんとなくさ、コンセプチャルアートってあるわけじゃん。
例えばあれだよね、椅子の写真と椅子の定義に2枚飾ってるやつとかあるじゃん。
名前もじゃないけど、女性コーネルかな?じゃないな、多分。
とかあるけど、そういうことじゃなくね?みたいな気持ちがある。
それに対してさ、日本のモノ派っていうのがいいんだけどさ、
土を丸く掘り出して、掘り出した穴の脇に掘り出したやつがバンって置いてあるだけなんだよ。
で、その物質性?みたいなところに俺はなんとなく親近感があんだよね、自分の中で。
これはなんか、論び立て喋る話じゃないんだけど、
そういう物質感みたいなのに対する憧れとか信頼感が俺はなんとなくあるから、
そういった時に穂坂の小説っていうのが物質感として好きかなみたいなのがある。
あ、そういえば耳の遠そうな1文目今思い出しましたけど調べました?
はい。
私は1週間前に死んだ篠島が歩いていた。
なるほど。
もう一回言って。
私は1週間前に死んだ篠島が歩いていた。
あ、なるほどね。
篠島。
そうそう。
西武百貨店の手前にあるビックリガードの御猿と呼ばれているところで、私は1週間前に死んだ篠島が歩いていた。
でもさ、これってこうじゃなくて書けないって書けないことを書いてるっていう。
だから物質性なんだよ多分一つ。
だからそれをそうとしか捉えられないものをそうとしか捉えられないように書くっていうのが俺は、
小坂と俺の親近感というかなんか信頼してるとこかな?
そういう気はしますね。
そこまで行くと俺は別に似てるんじゃないかな。
読者として。
1人の文学好き青年としてそこまで行くとお前の気持ちはわかるけどさってなるよ俺は。
読んでて気持ちいいかどうかは別やんって思うから俺は。
俺でも読んだら楽しもうけどね。
1週間前に死んだ篠島が歩いていたと。
1週間前に死んだ篠島が歩いていたと。
私は1週間前に死んだ篠島が歩いていたと。
それは俺読んでないからなんとも言えない。
それが気持ちいいってなるときあるからね。
あるね。あるんだけどね。
あるだろ?
吉木一とかでもたまにある。
気持ちいいってやつ。
あるじゃん。作者出てきたら嬉しいじゃん。
作者出てきたら嬉しいよ。
やっぱフォールオーサー出てきたら一応嬉しいもんね。
ガラスの街で。
ガラスの街で出てくるよね。
あそこでもかっこよすぎないか?やりすぎじゃないか?って気にもなったけど。
やりすぎとイケすぎって表裏一体的に。
そこは微妙にできる小説家とできない小説家がいるからね。
あとしばりおたろのたまにね、筆者は出てくる。
あれイケてるのかな?
あれでも歴史小説とかじゃないの?
あれでもさ、フォーマットで。
しばりおたろフォーマットじゃん。
でもたぶん中期以降じゃない。
リョウモが1回出てこない。
リョウモが1回出てこないか。
あの途中でしばりおたろが
最近そこの街に行ったらししだすからね。
俺さ、でも書きあがれてる人のこと読んでるから最初に。
穂坂ってやっぱ、俺普通に文学感が合わないやかましいやつ。
書きあがれてる人のこと読んでみたいな。
小説読んだ後に読むってのがいいかもしれない。
27:00
そうだね。
小説読んだ後に読んだほうがいいと思う。
どういうことを言ってるかもしれない。
さよならギャングたち読む前に高橋健一も読んじゃったんじゃない?
さよならギャングたち読む前に読んじゃった。
あー。
でもさよならギャングたちと別に何も関係なくない?1億3千万人。
関係あった?
1億3千万人その覚えたらいいんだけど。
さよならギャングたちはなんかあれだよ、もうちょっと若い。
自分の中で体験づけられる前に書いてる感じがするから。
穂坂の話からどんどんずれちゃったけど。
もうちょっと雑にがある。
ブレンソンもそういうとこある?
どうですか?
そろそろエンディング向かいましょうか。
言い残したことありますか?
俺は穂坂が渡谷里坂アクタガー賞取った時に受賞パーティーで
何読んでんの?
太宰治です。
そんなもん読んでちゃダメだよって言ったらしいってことを聞いてから
若者として
分断にすべてを挑もうとしている若者として
穂坂に聞かれたらなんて答えようと思って
佐々木康生が言ってるのよ。
穂坂スクールっていう一連の作家がいるんだよ。
柴崎智亜。
最近の滝口優秀とか、柴崎賢治とかね。
その中に渡谷里坂も入ってますから。
渡谷里坂っていうのは穂坂の一応
よく一緒に写真写ってるイメージあるんだよ俺。
柴崎智亜もね、真剣に読んだことないんだけど
ちょくちょくコラムとかネットに上がってるとすごい読むわ。
すごいいいんだよね。
マジで穂坂に聞かれたらなんて答えようかな。
なんて答えよう?
決めちゃいない。
穂坂さんです。
違う。
ダンテじゃない。
ダンテ?
ダンテ?
ダンテ読んで
ダンテ戦おうとしない?
タペ作ってない?
ダンテとかホウソウンとか。
ホウソウンやかばしいね。
ダンテだから
こう
かもなく不可能な話できるようにしたらいいんじゃない?
そう思って渡谷里坂は
ダザイオサムレスって言ったんでしょ?
違うだろ絶対。
素で言ったんだろ。
だって穂坂さん読んでたらわかるだろ。
ダザイオサムって言っちゃダメだろ。
あえてダメなやつを言うってのもあるよね。
良くないおじさんなんだなと思って。
ファンとして良くないおじさんを楽しむってのもあるもんね。
穂坂ってやかましくて良くないおじさんなんだなと思って
俺ら親近感湧いたけどね。
でも自分が売れててさ
自分が売れてる人から言われたらさ
読めちゃダメじゃんって言いそうじゃない?
売れてたら?
自分が穂坂勝一側で若手作家に
そういう話になって
何読んでるのか聞いたかどうか別にして
何を読んでるんですよって言われて
読めちゃダメだよそれって言うと思う?
今例えば映画学科の一年生に
ちょっと前から喫煙状であって
嫌な話始まるな
こういう映画見てるんですって
なに見てんの?
ウェスタンダンスなんかそんな見ちゃダメだよ。
それ言うわ。
自分の目になって見たら思ったわ。
ウェスタンダンスなんか見ちゃダメだよ。
まずね
超ジョーイル見ないと。
うっせ。
リミュール見た。
30:01
授業で見ましたって言われるだけだろ。
ぐらいですかね。
ありますか?言い残したこと。
言い残したことは別にないけど
作家として一つの正解を示してくれてるってことは
ありがたいよね。
小説の広がりがある。
ただやっぱり月並みの感想ですけど
自分はこういう風には書けないな
という風にはめちゃくちゃ思うんで
自分の肌感としてもね
あるんで
締め切りのことまた考えちゃったな。
ワタエリサに聞かれるパターンもあるよね。
今度は。
ワタエリサが
お前読んでないよって
お前読んでないよって
何で喧嘩読むの。
違うだろ。
お前って誰か見てワタエリサじゃないよ。
逃走するね。
そもそも。
お前は読んでないけど。
お前以外ですかね。
中学生じゃん。
聞かれたら違うだろ。
小説とかあんま
読んだことなくて。
小説読んだことなくて。
でもなんか書いてみたら
意外と書ききてる。
最初
一行書いたら
それを噛んできちゃって。
みたいな方が良くない?
俺そういう新人賞インタビュー見ると
スマホバキバキになってるんだろうと思う。
東野遥ってキングヌードルと夏目そーすぎだからね。
影響受けてるの。
まあいっか。終わろっか。
お疲れ様でした。
軽く
軽くですか?
来たら待つだけの流れで。
待つだけ企画ですかね。
楽しめてよかった。
これを機に
皆さん読んでもらえればいいんじゃないかなっていう。
非常に読んでて楽しいからね。
長くなっちゃいましたね。
1時間半くらい喋ったんじゃない?
1時間くらい?
ということでロング回ということでね。
お疲れ様でした。
買ってください。
よろしくお願いします。
読んでもらえれば。
楽しみ。
よろしくお願いします。
お疲れ様でした。
32:28

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